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2012.11.04

平清盛 第43回 「忠と孝のはざまで」

(捕らえられている成親。そこに訪ねてきた重盛。西光はと縋り付く成親。信西の下に旅立たれたと重盛。驚愕する成親。何故このような事をされたと問う重盛。平家の犬と化して生きる事は面白くないと思った、似合わぬ事をした挙げ句がこの様だと成親。きっと助けると重盛。)

(清盛に向かって、成親の命ばかりは助けて欲しいと嘆願する重盛。二度までも裏切った者は許さないと清盛。私もそう思うと宗盛。軽々しく言うなと重盛。信西が死罪を復活させたのが誤りの元、死罪を行えば国中に謀反を起こす者が絶えないと古の人も言っているとおりだと重盛。兄上は成親と義理の兄弟故、そういうのだろうと重衛。違う、帝のため、国のため、平家一門の為に言っていると重盛。良く判った、成親は流罪とすると清盛。)

(備前に流罪となった成親。左近衛大将を辞任した重盛。)

(重盛に成親のために立場を悪くしただろうと詫びる経子。義理の弟として当然の事をしたまでと重盛。)

(安元3年7月9日、備前で餓死した成親。)

(六波羅。重盛に向かって、お前の望みどおり流罪とした、流罪先でどうなろうと知った事ではないと清盛。自分は拙いながらも父を支えてきた、それは父が思い描く国の姿を見てみたいと思ったからだ、しかし、今もってそれが見えてこない、すべて父の思い通りになったと言うのに、これ以上何が欠けているのかと重盛。そんな話をしに上洛したのではない、これよりすべての社寺に命じて中宮に皇子が授かる様に祈願すると清盛。平家の血が流れている帝が欠けているというのかと重盛。平家の棟梁ならば、黙って私の国造りを支えよと清盛。力なく立ち上がり、ふらふらと去っていく重盛。法皇の近臣でもある重盛の立場を思いやる盛国。)

(院の御所。法皇を励ます重盛。成親は餓死、西光は拷問のあげく斬首されたと聞く、本当かと問う法皇。答えられない重盛。含み笑いをして立ち上がり、現に生きるもののけの血がうずき始めていると法皇。泣き笑いする法皇の高笑い。)

(伊豆。時政の館。政子と共に現れ、政子を妻に迎えたいと時政に頭を下げる頼朝。八重姫との事を忘れたのかと時政。断じてそんな事はさせないと頼朝。何故そんな事が言えると時政。あの時は源氏である事を捨てるつもりだった、しかし、今はいずれ義朝の様な源氏の棟梁となりたいと考えているのだと頼朝。義朝の様なとはと時政。つまり、東国の武士の頂きに立ち、源氏を再び平家に劣らぬ武門とする所存、その道を政子と歩いていきたいと頼朝。父に許しを請う政子。呆然としている時政。煮え切らぬ、痩せた土地でも時政殿が耕すと立派な作物が育つと言っているではないかと藤九郎。それがどうしたと時政。土下座をして、頼朝の舅となり、立派な源氏の棟梁に育てて欲しいと頼む藤九郎。頼朝の肩に手を寄せ、涙ぐむ時政。こんな青白くやせ細った苗では、手がかかるだろうと時政。礼を言う頼朝ら三人。)

(京。常磐御前の下を訪ねてきた遮那王。何故得度せぬと常磐。自分は僧にはならないと遮那王。そこに現れた弁慶。驚く常磐。弁慶から全てを聞いた、何時の日か亡き父に代わって平家を倒す所存と遮那王。何を世迷い言を、事情はともあれ父代わりに育ててくれた人に刃を向けようなどと思ってはならぬと遮那王の手を握る常磐。その手を押しやり、奥州の秀衡を頼る所存と遮那王。許さないと常磐。許しを請いに来たのではない、別れを言いに来た、自分は不孝者だと言って立ち去る遮那王。自分が遮那王と会ったばかりに済まない、しかし、これはただの縁ではない、定めだと弁慶。)

(尾張国。野宿する弁慶と遮那王。ここで元服すると言い出す遮那王。何故ととまどう弁慶。ここは父、義朝の最期の地ゆえと遮那王。呆然とする弁慶。どうせ烏帽子親など居ない身、ならば亡き父の御霊に見守られながら自らの手で元服したいと遮那王。)

(とある寺で自ら髪を切った遮那王。烏帽子を被せてやる弁慶。懐から紙を取り出し、遮那王に示す弁慶。そこには義経と書かれていました。常磐から預かったと説明する弁慶。)

(京。月に向かって、父の義朝から一字を頂戴した、本日から義経と名乗るが良い、強き源氏の武者となりなさいと告げる常磐。)

(福原。中宮に懐妊の兆しありと知らせてきた時忠。すぐに都に参ると清盛。)

(治承2年6月。徳子懐妊の知らせに色めき立つ清盛。)

(六波羅。やはり厳島のご加護はてきめんだ、皆男子の誕生を祈るのだぞとと清盛。)

(安産の祈願を行う清盛。無事に生まれた皇子。喜びに沸く平家一門。苦虫を噛みしめた様な経宗や兼実。男泣きに泣く清盛。)

(11月12日、皇子を産んだ徳子。生後ひと月で立太子の運びとなり、言仁と名乗りを定めた皇子。)

(六波羅。祝いの宴を開く清盛。祝いに訪れた頼政。頼政に三位に推挙し、お許しが出たと伝える清盛。祝いを言う平家一門。命尽きるまで平家と共に働くと頼政。心強い、言仁の健やかな成長を願おうと祝杯を上げる清盛。一人醒めている重盛。)

(治承3年2月、福原。無事に執り行われた言仁の百日の宴。機は熟したとつぶやく清盛。)

(重盛の館。清盛上洛を重盛に告げる家人。火急の用との知らせに皆を集めよと命ずる重盛。その直後、立ち上がり、倒れた重盛。)

(六波羅。自分は東宮の外祖父となった、ついては法皇につまらぬ企てを吹き込む輩が出てこないようにするため、法皇にこの館に来て貰ってはどうかと考えていると清盛。とまどう一門。それは法住寺殿を攻めよという事かと頼盛。御所を攻めれば北面の武士との争いになる、速やかに兵を出して院をお連れ参らせよと清盛。)

(乙前の館。寝付いている乙前を見舞った法皇。近臣が居なくなった法皇を気遣う乙前。己の招いた事、しかし、このままにはしておかないと法皇。法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと乙前。まだ自分には手駒があると言い、乙前のために今様を歌い出す法皇。)

(六波羅。鎧姿に身を固めるの一門の中、一人直衣姿で現れた重盛。次席を占めていた宗盛の前に立つ重盛。面白くなさそうに席を譲る宗盛。次席に座る重盛。その姿は何としたと問う清盛。父上こそ、その姿は何事と重盛。暫くの間、法皇にこの館に来て貰うのだと清盛。何と情けないお言葉、一門の運も尽き果てたと重盛。色めき立つ一門。人は運がつき始めると必ず悪事を思い立つものだと重盛。これは悪事ではない、国造りだと清盛。法皇が居てこその国だと重盛。それはやってみなければ判らないと清盛。では法皇の御所は自分が守ると重盛。驚く一門。五位に叙せられてから後、法皇の恩を受けなかった事は一度も無い、その恩は何によりも重く深いと重盛。訝しげに重盛を見つめる清盛。黙って立ち上がる重盛。今一度言う、これは国造りだと清盛。そして、重盛を押し倒し、平家の棟梁であるそなたが阻むと言うのだなと清盛。法皇に忠を尽くそうとすれば父の恩を忘れる事になる、父の不孝から逃れようとずば法皇への不忠となると言って泣き崩れる重盛。忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず、進退は窮まった。こうなった以上、自分の首を召してくれと泣き叫ぶ重盛。痛ましげな一門。じっと重盛を見据える清盛。)

(重盛の懇願に折れた清盛。)

今回は後の安徳帝の誕生前後が描かれました。喜びに沸く一門の中で、ただ一人重盛だけが苦悩する姿が印象的でしたね。

成親が重盛の嘆願によって死罪をまぬがれ、流罪となった事は平家物語にあり、その時に死罪が良くないとは義兄弟だから言っているのではない、世の為、国の為、家の為を思って言っているのだと語ったのはドラマにあったとおりです。その成親が流罪先で餓死させられたとは愚管抄に記されている事で、平家物語では初めは酒に毒を盛って殺そうとしたが上手く行かず、遂には菱という刃物を植えた上に突き落として殺したとあります。いずれにしても、重盛の嘆願にも係わらず殺された事は事実で、これにより重盛の政治的立場は著しく低下し、その苦悩が深まった事は確かです。

清盛が怒りにまかせて法皇を西八条第(ドラマでは六波羅でしたが)に連れてこようとした事も平家物語にあり、その時に清盛が赤地の錦の直垂をつけ、黒糸縅の鎧を腹に巻いていたという描写もドラマにあったとおりです。そして、鎧姿の一門の中に烏帽子直衣姿で重盛が現れたとも平家物語に記されており、その時の台詞のやり取りもまた物語に記されたとおりです。原文に添えば、「悲しい哉、君の御爲に奉公の忠を致んとすれば、迷盧八萬の頂より猶高き父の恩忽に忘れんとす。痛ましい哉、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御爲に已に不忠の逆臣と成ぬべし。進退ここに窮まれり。是非いかにもたとえ難し。申請る所詮は、唯重盛が頸を召され候へ。」と言ったのですね。自分は法皇の下に行って御所を守る、しかし、それでは親に対して不孝となってしまうので今すぐ自分の首を刎ねよと清盛に迫ったのでした。違うのはその後の重盛の振る舞いで、女々しく泣き崩れたのではなく、小松の自邸に帰るや軍勢を催し、数千騎を自分の下に集めたとあります。この時、一度は清盛の下に集まっていた兵もことごとく重盛の下に走ってしまい、清盛は重盛は自分を討つつもりかと嘆いたと記されています。このあたりがドラマと大きく違うところで、重盛の面目が躍如とする場面ですね。そして、平家物語の作者は、重盛をして上代にも末代にも有り難い大臣だと賞賛しています。

ただ、事実としては清盛は法皇に手出しをしようとはしなかった様で、鹿ヶ谷事件の際には、まだ言仁親王が生まれておらず、王家の外戚にもなっていない段階ではそこまでの強権は振るえなかったのではないかと推測されています。また、法皇を除いてしまうと治天の君が不在となるという事情もあった様ですね。だからドラマでは、言仁親王を立太子させた後に清盛が「機は熟した」とつぶやき、法皇を捕らえようとした設定にしたものと思われます。

ドラマに戻って、伊豆では頼朝が政子を娶り、京では遮那王が奥州へと旅立ち、義経と名乗りを改めました。打倒平家の役者がいよいよ揃ってきたという所ですね。一方の平家は、言仁親王を得た事で繁栄の頂点を極め様とする一方で、法皇と一門の板挟みとなった重盛が窮地に立たされます。実は重盛だけでなく宗盛もまた法皇の近臣であり、板挟みという立場は重盛と同様だったのですが、ドラマでは重盛一人が重荷を背負った形となっています。その重盛の姿は痛ましく、清盛という大きすぎる親を持った息子の苦悩がありありと描かれていました。優れた官僚ではあっても、政治家になりきれない重盛の悲劇とでも言いましょうか。

清盛の思い描く国の姿が見えてこないのは重盛だけでなく視聴者も同様で、王家の外戚となって国を動かすというのが最終目標だとしたらあまりにも類型的で、従来の平家像と何も変わらない事になってしまいます。最終回までに、武士の世を作り上げるという清盛の本当の理想像が示されるのかと心配になってきました。ここまで新しい清盛像を信じて見守ってきた思いを裏切らないで欲しいと切に願います。

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受信: 2012.11.05 11:59

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