平清盛 第40回 「はかなき歌」
(承安4年(1174年)、大輪田泊完成。盛んになった宋との交易。)
(西光に銭での取引の実態を見せ、これを都で広めるために協力して欲しいと頼む清盛。信西が生きていたらそうしただろうと引き受ける西光。亡き兔丸に、博多を都の隣に持ってきたと語りかける清盛。)
(春夜に向かって、法皇と建春門院の厳島参詣の準備をするようにと命ずる清盛。そして、法皇には武士が頂きに立つ為に欠かせぬものの誕生を祈って貰いたいと清盛。)
(内裏。入内して3年経つが未だ務めが果たせていないと建春門院に謝る徳子。帝はまだ14歳、あせる事はないと建春門院。そして、厳島に参詣すると徳子に告げます。)
(厳島。社に参詣した法皇と建春門院。これ以後、国のための神となっていく厳島明神。)
(法皇と女院を迎えた景弘。横へと広がりを見せる珍しい趣向の社だと法皇。それこそが自分の目指す国の姿だと清盛。そして、宋銭を法皇に手渡し、これが東西に広がれば国は富み、厳島明神の加護で皇子が生まれれば平家と王家の絆は一層盤石と清盛。)
(大鳥居を眺めながら、蝦夷地から鎮西まで、豊かに人や物が連なる国の姿がはっきりと見えているのだと盛国に語る清盛。)
(清盛の言う国の姿が掴めないと法皇。法皇は自分の求める国を目指せばよい、平家と王家を繋ぐ為に自分が居るのだと滋子。)
(伊豆、蛭ヶ小島。髭切りの太刀の入った函を手に取った頼朝。そこに藤九郎が帰って来て、常澄が亡くなったと知らせます。)
(時政の館。常澄の死を惜しみ、平家に対する不満を口にする義明達。そこに現れた頼朝と藤九郎。見舞いの差し入れを手渡して帰ろうとする頼朝を呼び止める義明。このままでは源氏ゆかりの武士は平家に滅ぼされてしまうと訴える義明に、自分には関わりのない事と言って立ち去る頼朝。)
(頼朝の館。頼朝を追ってきた政子。このままで良いのかと頼朝を焚きつける政子。無礼なと言って取り合わない頼朝。縋り付く政子。振りほどく頼朝、倒れた拍子に、髭切の太刀が函から転がり出ます。申し訳ないと言って太刀に触れようとした政子を叱りつける頼朝。驚く政子。我に返って、大事ないかと言って立ち去る頼朝。)
(重盛の館。舞の稽古をしている維盛と資盛。稽古を付けている経盛。礼を言う重盛。これも清盛の命だと経盛。法皇は芸事を大事にする、いつか披露できる様に稽古せよと重盛。)
(庭で弓の稽古をしている知盛と重衛。稽古を付けている忠清。いついかなる時でも鍛錬を怠らないのが武門と忠清。戦など誰が起こすのかと重衛。忠清に同意しながらも武芸だけでは平家の男子は勤まらないのだと知盛。悲しみを抑えきれない忠清。)
(そこに現れた頼政。彼の用とは、法皇が主催する今様会わせに経盛を誘いに来たのでした。それを聞き、武力だけでは渡っていけない世になったのだなと忠清。)
(院の御所。絵巻を持参した絵師に、褒美として宋銭を与える西光。)
(福原。西光に礼を言う清盛。相撲節会を再び行うと助力を願う西光。自分の息子だと師高と師経を紹介する西光。しかし、形ばかりの行事に費やす財は無いと断る清盛。形ばかりとは何事と憤る西光。信西が生きていればと言いかける西光を遮り、信西ならば国造りが何より大事と判ってくれたはずと清盛。怒りに震えて立ち去る西光。)
(院の御所。良い声で今様を歌っている法皇。法皇をからかう滋子。今様を書きためている、梁塵秘抄と言うと法皇。中国の故事かと滋子。それもあるが、泊の様には世のために役立たず、吹けば飛ぶ様な塵のごとき今様だが、それを聞く者を楽しませ、慰めてくれる、そんな今様が自分は好きだと法皇。それが法皇の目指す世なのですねと寄り添う滋子。)
(7月8日。右近衛大将に任じられた重盛。重盛に昇進の祝いを言う成親。しかし、重盛を見送った彼の顔からは笑みが消えます。そこに現れた西光に声を掛ける成親。二人は平家が慢心しているという見方で一致します。)
(西光と成親を呼び、酒を振る舞う滋子。まるで二人の心の内を見透かした様に、平家の力が増して面白くない事もあろうが、法皇と清盛の間を取り持つのに力を貸して欲しいと頼む滋子。やむなく頭を下げる二人。このまま宴としようぞと明るい滋子。)
(安元2年(1176年)、院の御所。法皇五十歳の賀の宴が行われました。歌や楽を楽しむ宴を幾日にも渡って催す法皇。一門を挙げて宴に参加し、押しも押されぬ公卿となり、法皇の世を支えている事を示した平家。)
(法皇に賀を述べる清盛。黙っている法皇に代わって立ち上がり、清盛に酌をし、次いで法皇に酌をする滋子。杯を手に、この世に生まれて50年、清盛と出会って40年、やっと判ったのは自分の目指す世に清盛は欠かせず、清盛の目指す世に自分は欠かせないという事だ、これより先も共に登ろうと法皇。この上無い誉れと清盛。)
(祝いに、維盛と資盛の舞を献上すると清盛。見事に舞ってみせた二人。)
(安元2年7月2日。俄に身罷った滋子。悲しみに暮れる法皇。)
(時子の館。悲しみに暮れる時子。今、世を去るには、余りに優れた治天の君の后だったと時忠。)
(福原。滋子の死によって朝廷が変わる事を予見しつつ、自分の政は断じて変わらないと清盛。)
(院の御所。悲しみに暮れながら、今様を口ずさむ法皇。そして、泣きながら笑い声を上げる法皇。)
(法皇と清盛の間に大きく影を落とした滋子の死。)
今回は建春門院滋子の死が描かれました。ドラマにあった様に、滋子の存在は平家と法皇双方にとって大きく、両者の間の調整役として欠かせぬ人物でした。元々、法皇と平家の間には相反する利害関係が内在していたのですが、滋子が間を取り持つ事で均衡を保っていたと言われます。それほどの存在であった滋子が亡くなる事で、世は俄然乱れる事となって行きます。
史実との関係で言えば、重盛が右近衛大将になったのは史実にあったとおりですが、その時競合したのは成親ではなく別の人物でした。成親は確かに大将の座を巡って平家に遺恨を抱く様になるのですが、それはもう少し後の事になります。また、西光の相撲節会の件は創作だと思われます。
次に、法皇と滋子が厳島に御幸したのも史実にあるとおりで、清盛には厳島神社をして鎮護国家の社としたいという願望があったとされます。つまり、平家の氏神を畿内の古社と同列に引き上げようという狙いがあったと言われ、これがために後に宗教界からの大きな反発を招く元ともなりました。
法皇五十の賀が行われたのも史実にあるとおりで、これを平家が一門を挙げて祝ったのもドラマに描かれたとおりでした。法皇は清盛に対して感謝の意を表す使者を送り、清盛はこれに対する返礼として100両の白銀を贈ったとされます。このあたりまでが、平家と王家の蜜月時代だったという事になるのでしょうね。
法皇が芸事を好んだ事は良く知られますが、その人事もまた芸事の上手、下手に左右されたと言われます。成親もその一人で、法皇の芸事の相手が出世を果たす事が出来たのでした。このあたり、治天の君の器にあらずと言われた法皇の器量の程が良く現れているところではないかと思われます。
ドラマに戻って、板東では頼朝が目覚め始めています。髭切りの太刀を手にしたのは、いよいよ挙兵に向けてのフラグが立ったという事なのかな。次の回では、政子が頼朝に発破を掛ける様ですね。今回はそのための下準備といったところかな。これから公卿としての道を歩む平家とのコントラストが、より一層鮮やかになって行くのでしょう。
法皇については、おそろしく若い50歳ですね。どう見ても30代にしか見えないのですが、年齢不詳なのはこのドラマの特徴ですから細かい事は抜きにしておきましょうか。ただ、滋子を失った悲しみは良く表れていました。恋人を失ったと歌う今様と合わせた演出はなかなか見事で、副題にあるとおりでしたね。変わりすぎていて容易に感情移入出来ない人ですが、今回はその悲しみが伝わってきたと思っています。
私的には、厳島神社が懐かしかったですね。この8月に行ったばかりですが、滋子や清盛が歩いていても違和感は無く、あの壮麗な社殿が平安時代から存在した事を改めて感じました。あのシーンの収録場面を生で見たかったなあ。もう一度行きたい場所ですね。
次回は王家と平家の対立が明確化して来る様ですね。鹿ヶ谷の変の前夜が描かれるのかな。いよいよドラマが急展開を見せ始める様で、どんな回になるのか楽しみに待ちたいと思います。
| 固定リンク
「義経・平清盛」カテゴリの記事
- 平清盛 第50回 「遊びをせんとや生まれけむ」(2012.12.23)
- 平清盛 第49回 「双六が終わるとき」(2012.12.16)
- 平清盛 第48回 「幻の都」(2012.12.09)
- 平清盛 第47回 「宿命の敗北」(2012.12.02)
- 平清盛 第46回 「頼朝挙兵」(2012.11.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント