平清盛 第41回 「賽の目の行方」
(安元2年(1176年)、院の御所。今様を歌いながら滋子の事を想う法皇。もう教える事は無い、法皇の目指す道と歌とが遂に一つになったと乙前。)
(内裏。亡き母の霊に手を合わせる高倉天皇。滋子を祖母に持つ賢い皇子を産むと徳子。きっとと帝。)
(福原。宋の品々を厳島に贈り、徳子の懐妊を祈願する様命ずる清盛。そこに、法皇が九の宮と十の宮を寺から呼び戻して帝の養子にしたという知らせが入ります。これは平家を蔑ろにする事と怒る清盛。これまでなら、滋子が諌めてくれたものをと盛国。すぐに重盛を法皇の下に行かせろと清盛。)
(法皇に拝謁し、平家に二心は無いと言上する重盛。滋子の菩提を弔う寺を建てる、そのために蔵人の頭にして欲しいと願う知盛。苦しう無いと法皇。)
(重盛たちが去った後、如何いたしますかと問う西光と成親。滋子が生きていれば言う事を聞いてやっても良かったと法皇。)
(12月。知盛をさしおいて、近臣の一人を蔵人頭に任じた法皇。)
(福原。明雲に会い、法皇の力を押さえる為に力を貸して欲しいと頼む清盛。)
(伊豆。時政の館。義明と秀義相手に宴を始めようとする時政。そこに現れ、急いで税を集めよと命ずる仲綱。税は納めた筈と合点が行かない時政。女院があいつで亡くなられたための法要の費用なのだと仲綱。これ以上米を召し上げれば、皆の暮らしは苦しくなる一方だと時政。法皇と清盛の下知だ、判ってくれと仲綱。困り切って座り込む時政。平家は滋子亡き後、法皇との絆をつなぎ止めておく事にのみ腐心していると聞く、東国の武士の暮らしなど顧みるつもりなどなどないのだと秀義。その話を聞いている政子。)
(頼朝の館。藤九郎を掴まえ、あの時の太刀は何だったのかと問う政子。あれはと言いよどむ藤九郎。気になるのは太刀ではなく、あの時生き返った様に声を荒げた頼朝なのだと政子。あの太刀は髭切と言い、源氏重代の太刀だと教える藤九郎。そこに現れ、要らぬ事を言うなと頼朝。髭切を見せてくれと土下座して頼む政子。ならぬと頼朝。引かない政子。)
(政子に髭切を見せる頼朝。この見事な太刀を振るう男は、さぞかし強くて美しかったのでしょうと政子。義朝は天下無双の武士だったと藤九郎。父は強かった、武士の世を作る為に戦った、しかし、清盛の前にそれは潰え去ったと頼朝。このままではいけない、東国武士のために立ち上がってくれと叫ぶ政子。昨日が今日でも、今日が明日でも変わらぬ日々を過ごす様に自分は定められているのだと苦笑する頼朝。おかしな事を言う、明日は変えられる、変えるのは今この時だと政子。自分は清盛がどれほど恐ろしい人か知っていると言い捨てて出て行く頼朝。)
(福原。安元3年(1177年)3月。千僧供養のため福原を訪れた法皇。その年の正月、重盛が左近衛大将、宗盛が右近衛大将に昇進し、わだかまりが消えたかの様な法皇と清盛でしたが、滋子が死んだ今、もうここに来る事は無いと言って立ち去る法皇。後に残り、いざという時が来た様だとつぶやく清盛。)
(帰京した西光の下に凶報をもたらした師経と師高。)
(加賀国、鵜川寺。目代として訪れ、風呂をと所望する師経。役人を入れる訳には行かないと僧侶。礼なら与えると宋銭を示す師経。叡山と仲の悪い法皇縁の者を入れる訳には行かないと僧侶。無礼なと怒る師経。立ちふさがる僧兵達。小競り合いとなる師経の一行。ついに、鵜川寺を焼き討ちしてしまった師経。)
(末寺への暴挙に怒り、強訴を起こした比叡山。師経と師高を流罪にせよと御輿を持ち出す明雲。従う僧兵達。)
(福原。盛国と双六の盤を挟みながら、強訴の知らせを聞く清盛。それで良いと清盛。)
(重盛に強訴から内裏を守れと命ずる法皇。我が子が流罪にならないで済む様に守って欲しいと頭を下げる西光。平家の棟梁として、ないがしろになどしないと出て行く重盛。重盛を目で追いながら、手の中の二つの賽子を握る法皇。)
(館に戻り、兵士達に脅すだけでよい、断じて手荒な真似はするなと命ずる重盛。)
(福原。次はいかなる目が出るかと賽子を振る清盛。)
(院の御所。縁に座って手の中で賽子を転がしている法皇。そこに現れ、あの方相手ほどぞくぞくとはしないだろうが、相手をしましょうかと話しかける乙前。)
(福原。盛国を相手に双六をする清盛。)
(院の御所、乙前を相手に双六を始める法皇。)
(夜明け。法皇の下に、重盛の兵が御輿に矢を射たという知らせが入ります。)
(内裏に放置された御輿。何本も刺さった矢を見てへたり込む成親。神罰が下るぞと悲鳴を上げる経宗。所詮は武士、猛々しさはまるで変わらないと逃げ去る基房。こんな事をして叡山が黙っているはずがない、法皇に対して一層強く出て来ると兼実。)
(六波羅に人をやれと郎党に命ずる男。そなたはと誰何する成親。多田蔵人行綱と名乗る男。源氏の武者かと成親。今は平家の家人も同然と行綱。この矢は重盛の郎党が射たというのは本当かと成親。神仏も恐れぬすさまじい所行と行綱。)
(双六をしながら、乙前にこの目をどう見ると問う法皇。自分には判らない、しかし、良い目を出すより双六に勝つ道は無いと乙前。賽子を振る法皇。)
(福原。重盛が現れ、事を荒立ててしまい面目次第も無いと謝ります。よくやったと清盛。意外そうな重盛。これで朝廷は叡山の求めに応じるより無くなったと清盛。)
(院の御所。西光に、師高は尾張国、師経は備後国に流罪となったと伝える基房。御輿に矢を射たのは重盛の郎党だと叫ぶ西光。その郎党は既に捕縛した、しかし、それだけでは叡山は収まらないと兼実。されどと声を絞り出す西光。何と言われてもこの沙汰は変わらないと兼実。縋る西光を見捨てて、立ち去る基房と兼実。)
(そなたは清盛に陥れられた、鵜川寺の一件は清盛と明雲が仕組んだに違いないと法皇。)
(福原。重盛に、鵜川寺の一件は自分と明雲で仕組んだ事と明かす清盛。何故と驚く重盛。)
(院の御所。何故と法皇に問う西光。二人の流罪によって西光の力が削がれると法皇。)
(福原。西光の力が削がれれば法皇の力も弱まると清盛。)
(院の御所。清盛は自分を退けて、この国を思うままに操ろうとしているのだと叫ぶ法皇。)
(福原。平家の力を強め、王家を支え、その先に清盛の目指す国があると思っていた、しかし、それは違うのかと重盛。賽の目は目まぐるしく変わるものだと清盛。)
(院の御所。面白くないと成親。懐から宋銭を取り出し、床に叩き付ける西光。一点を見据える法皇。)
(伊豆。西光の一件を聞いた時政は、政子に誰ぞの妻となれと言い渡します。私は未だと言いよどむ政子。これからも平家の世は続く、そなたは平家の縁のある男子の下に行けと時政。)
(鞍馬寺。月明かりの中、笛を吹いている遮那王。その遮那王に、なぜ出家をためらっていると問う僧都。)
(弁慶の言葉を思い出す遮那王。そなたの父は義朝だと明かす弁慶。何故、あなたがそんな事を知っていると遮那王。そなたを取り上げたのはこの自分だと弁慶。何故、自分と母は清盛の下に居たのかと遮那王。母を責めるでない、武将の妻の定めだと弁慶。血は争えない、そなたの強さは源氏の大将譲り、平家の専横を倒すのはそなたしか居ないと見たと言って、遮那王に太刀を差し出す弁慶。母は自分に、悲しみとも憎しみとも無縁に生きて欲しいと言った、今の話は聞かなかった事にすると立ち去る遮那王。自分は武蔵坊弁慶、そなたの気が変わるのをここで待っていると叫ぶ弁慶。)
(月明かりの中、笛を吹く遮那王。)
(伊豆。月明かりの中、笙を吹く頼朝。)
(時政の館。縁に座り、月を見ている政子。)
(福原。月明かりの中、海を見る清盛。)
(鹿ヶ谷。山荘に入る法皇、成親、西光の面々。一の目を出す賽子。)
(海を見ている清盛。)
(機は熟した、これより我らは平家を討つと宣言する法皇。)
今回は鹿ヶ谷の陰謀の前夜が描かれました。頂きに上り詰めようとする清盛と、それに反発する勢力との緊張が高まってくるのが感じられた回でしたね。
まず、史実としては、加賀国の目代である師経が加賀国で白山と諍いを起こし、叡山の強訴を引き起こしたのは事実です。
師経が鵜川寺の前を通りかかった時に、僧侶たちが湯浴みをしているのを見ました。自分も湯浴みをしたくなった師経は、僧たちを追い払って湯を使い、雑人達に命じて馬を洗わせたりしたのですね。これに怒った僧侶達は、ここは役人が入るべき所ではないと師経を追い出しに掛かったのですが、師経はかえって乱暴を働きます。一度は鵜川寺の僧兵達に追い出された師経でしたが、国中から一千の兵を集めて鵜川寺を襲撃し、これを焼いてしまったのでした。鵜川寺の本寺である白山はこれに怒り、二千の僧兵を集めて復讐に乗り出します。これを知った師経は館を捨てて、都に逃げ帰ってしまいます。師経を捕り逃がしたと知った白山は、本寺である叡山に訴えんとして御輿を担ぎ出し、叡山に向かったのでした。このあたり、省略はあったとはいえ、ドラマに描かれたとおりですね。
白山の訴えを聞いた延暦寺では、朝廷に対して訴訟を起こします。その結果、直接の加害者である師経の配流が決まめられたのですが、大衆はそれに満足せず、国主の師高の配流まで求めて強訴に及んだのでした。
重盛の軍勢が、その強訴の際に御輿に矢を射掛けたのは平家物語に描かれているところであり、僧兵達の多くも射殺され、あるいは傷付けられて、御輿を内裏に放置して山に逃げ帰ったとあります。これもドラマにあったとおりですね。
結果として、この御輿に矢が当たった事が問題となり、再度の強訴を恐れた朝廷が師高を配流する事で決着を見たのもドラマにあったとおりです。そして、この事件の際に延暦寺と清盛が気脈を通じていたらしい事も窺えるのですが、鵜川寺の事件を清盛の陰謀とするのはドラマの創作でしょう。
ドラマの進行とは前後しますが、法皇が九の宮と十の宮を還俗させ、帝の養子としたのも史実にあるとおりです。これは、法皇がやがて成人を迎えようとしている高倉天皇を退位させ、法皇の意のままになる幼帝を立てようとしたのではないかと考えられています。つまり、天皇が大人となって自己主張を初め、自らの政治を行おうとする前に手を打とうとしたと言うのですね。何度となく繰り返されてきた院政の構図と言えましょうか。また、ドラマにあった様に平家の血を引いた帝の出現を恐れたという背景もあったとも言われています。
また、さらっと流されていましたが、宗盛が右近衛大将になった事には重要な意味があり、この時競合したのが成親なのでした。成親はこの事を恨みに思い、平家への反意を抱いたと考えられています。彼は面白くないのうと信頼を思い出す様な台詞を吐いていましたが、そこにはそんな背景があったのでした。
なお、仲綱が言っていた女院の相次ぐ死とは、建春門院の他に、高松院(二条帝の中宮)、九条院(近衛帝の中宮。呈子の事。)が亡くなった事を示しています。ついでに言えば、六条上皇もこの年に十三歳で崩御されています。確かにこれだけ皇族が亡くなれば、葬儀費用だけでもかなりの出費だった事でしょうね。
ドラマに戻って、滋子が居なくなった事で、法皇と清盛の関係は協調から対立へと変化しました。この二人の攻防が見所となる訳ですが、どう見ても清盛の政治力の方が一枚上手ですね。法皇には清盛の手の内を読める力はあるのですが、それに対抗出来るだけの力は有していない事が窺えます。それが鹿ヶ谷の陰謀という無理に繋がって行くのですが、それを賽の目に例えた演出は、以前からの踏襲とは言え、面白いものがありました。
その一方で、源氏が立ち上がる気配も濃厚となりつつあります。まだ平家全盛の世にあって弱々しいものに過ぎないのですが、政子や弁慶と言った補佐役によって、頼朝と義経が表舞台に押し出される過程が見えてきました。
次回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれます。平氏が倒れたという台詞や、西光が瓶子の首を折るという場面も出て来る様ですね。どれも有名な場面ですから、どんな具合に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思っています。
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