京都・洛中 時代祭2012 ~吉野時代から藤原時代まで~
ここから吉野時代に入ります。南北朝時代ではなく、この呼び方をする所に皇国史観を感じますね。ここでは楠木正茂一族の行列を見る事が出来ます。
楠公上洛列に続くのが中世婦人列です。ここになぜか淀君が入っているのですが、安土桃山時代に女人列が無いので仕方がないのかな。今は淀殿と呼ぶ方が一般的かと思われますが、ここでは淀君と表記されています。
こちらは静御前。これも時代がずれており、後の平安時代夫人列でも良いのではないかと思われるのですが、なぜかここに入っています。たぶん、行列の成立時からの経緯があるのでしょうね。7年前は車に乗っていましたが、今年は徒歩での参加でした。この祭は、毎年少しずつ参加形態が変わっていくものなのかも知れませんね。
静御前に続くのが大原女の行列です。大原女って、中世からあったのですかね。どうせなら、花いらんかえ~と声を出して欲しかったな。
大原女に続くのが桂女。手に持っているのは、たぶん鮎を入れた桶という設定なのかな。
鎌倉時代の行列は、城南流鏑馬列しかありません。祭りの中で、一番寂しい時代なのかな。やはり時代の主な舞台は鎌倉であり、京都ではない事が影響しているのでしょうか。それにしても、頼朝も義経も出てこないとはどういう訳なのでしょう。頼朝は政権を朝廷から奪い、義経は朝敵に指名されたという事が影響しているのでしょうか。
鎌倉時代の次は、平安時代とひと括りにせず、藤原時代と延暦時代に分けられています。これはやはり天皇が中心だった時代とそうでない時代を区別しているのかな。
藤原公卿参朝列は特定の人物は登場せず、この時代の風俗のみを再現しています。役職まで再現している室町時代より、さらに大雑把な印象かな。やはり、政権を握っていたのが藤原氏だった事が影響しているのかも知れません。
それにしても平家が一人も居ないとは、やはり朝廷に仇をなしたというイメージが強いのかも知れませんね。
藤原公卿参朝列に続くのが平安時代婦人列です。この祭りの面白いところは、朝敵あるいは朝廷に嫌われた男性は登場しないのに、その妻女ならおとがめ無しというところですね。木曾義仲など、京都で乱暴を働いた代表の様な男ですが、その妻である巴御前はこうして凛々しい姿で登場しています。
義経もまた、本人こそ登場しませんが、その母である常磐御前と兄である今若と乙若は行列に参加しています。ただ、何となくですが、常磐は懐に赤子を抱いているかの様に見えますね。7年前には笠は被らずに手に持っていたのですが、それが赤子に替わったのかな。だとすると、義経は何年か前から参加している事になりますね。
史実ではライバルである清少納言と紫式部は、仲良く同じ車に乗っています。どっちが前に座るのか、揉めたりはしなかったのでしょうかね。
小野小町も7年前とは少し違っています。煌びやかな髪飾りが追加されて華やかな印象になったのですが、絶世の美女なのだから、これくらいの方が良いですよね。
明日は行列の掉尾を飾る延暦時代をお届けします。
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