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2012.10.28

平清盛 第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

(京、鹿ヶ谷。山荘に集まった法皇以下、西光、成親、行綱、俊寛らの面々。彼らを前に、平家を討つと宣言する法皇。どのようにして討つというのかと狼狽える行綱。そのためにそなたに来て貰ったのだと成親。只で兵は動かせないと行綱。そのために、俊寛を呼んである、法勝寺の執行であり、寺の領地を如何様に出来ると西光。お任せあれと俊寛。康頼に公卿方に働きかけよと依頼する西光。承知したと康頼。公卿気取りの平家は、よもや攻めて来る者が居るとは思うまい、今の平家は隙だらけだと西光。)

(そこに運ばれてきた白い反物。宇治布30反で源氏の旗を作るのだと成親。はっとなる行綱。源氏は平家と並ぶ武家の名門だった、そなたとて源氏の一党と成親。ぐと口を引き締めて法皇に頭を下げる行綱。うなずく法皇。)

(誓いの杯を上げる一同。瓶子を倒してしまう行綱。おや、瓶子が倒れましたぞと成親。これは幸先が良いと俊寛。平氏の首はこうしてやればよいと言って瓶子を叩き割る西光。その狂態ぶりに怯える俊寛たち。まずは、福原から清盛をおびき出す事だと法皇。)

(伊豆、時政の館。庭で弓を射ながら、頼朝の言葉を思い出している政子。そこに現れ、政子を呼ぶ時政。彼の用件は、山木兼隆と政子の婚礼でした。山木は平家縁りの者と聞き、今は行けないと政子。なぜだと時政。佐殿を捨てておけないのだと政子。政子を張り飛ばす時政。佐殿には係わるなと言ったはずだと時政。されどと政子。父の心が判らないのかと時政。そして政子に近付き、佐殿の事は自分が出来るだけの事をする、一月後には山木殿の下に参れと言って立ち去る時政。)

(安元3年(1177年)5月4日。延暦寺。突如明雲を捕らえて拷問し、座主の座を追い、所領を奪った法皇。)

(内裏。明雲の処分について話し合う公卿たち。そもそも明雲の罪状とはなにかと経宗。根も葉もない言い掛かりばかりと基房。しかし、法皇は斬首せよと言う、せいぜい流罪が相当と基房。流罪と断ずる前に、相応の詮議と配慮があってしかるべきと兼実。)

(公卿達の思惑に係わらず、すぐさま明雲を伊豆に流罪と決めた法皇。)

(福原。いつもに増した常軌を逸した振る舞いと盛国。何かおかしいと清盛。)

(近江国。伊豆に流罪となる途上の明雲。警護にあたる伊豆守の頼政。一行を包囲し、明雲を奪い返した山法師達。)

(院の御所。ここまでは法皇様の読み通りと西光。この先も手筈どおり進めよと法皇。)

(重盛に向かって、このたびの山門の振る舞いは不埒千万、すぐさま攻めよと命ずる西光。直に山門を攻めるなど前例が無いと重盛。法皇直々の命令だと西光。清盛の裁断を仰がなくてはと重盛。目配せをし合う西光と成親。)

(5月28日、上洛し、法皇に拝謁する清盛。清盛に山門を討てという命を伝える成親。それではかえって法皇の威光を傷付ける事になると清盛。なぜと西光。明雲の流罪には宮中の不服も多く、明雲の罪状にも根拠が無い。これ以上山門をいたぶるのは得策ではないと清盛。ならぬ、今すぐ攻めよと西光。まあ良い、平家にとっても一大事、しばし都に留まり一門で話し合えと法皇。)

(六波羅。山門を攻めるなどもってのほかと重盛。攻めるふりをしておけば良いのだと時忠。西光の子たちを配流先から呼び戻せば良いのではと経盛。子供じみたわがままだと教盛。子供じみたわがままにしてはやり過ぎだ、何か裏があると清盛。それは疑いすぎだと頼盛。山門を思うままにしたいという欲の強い方だと宗清。今はもう少し法皇の出方を探ろうと清盛。)

(そこに現れ、ひれ伏す頼政。驚く清盛に、今度の事は面目次第もないと謝る頼政。今度の事で咎めるつもりはない、頼政には歌会合わせなどで世話になっている、いつか報いるつもりだと清盛。痛み入ると頼政。)

(頼政の館。頼政を訪ねてきた行綱。頼政に、平家打倒の企みが進んでいる、御所に参内した清盛を捕らえ、それを人質として六波羅を攻める計画と打ち明け、頼政の協力があれば法皇の描いた絵の通りに動くはずと説く行綱。今こそ、源氏再興を賭けて立ち上がる時と仲綱。平家のためにも源氏のためにも戦う力は持ち合わせていないと立ち去る頼政。打ち明けたからにはそうは行かないと食い下がる行綱。やんごとなき方々が、酒の席で思いつかれた戯言で倒れる程平家は脆くないと頼政。)

(伊豆。笙を吹いている頼朝。その頼朝に、政子が兼隆の妻となるという噂を伝える藤九郎。あのかしましい女が現れぬと思ったら清々すると頼朝。自分はいささか残念だ、明日が鮮やかに変わる刹那をみてみたいものだと藤九郎。)

(院の御所。源氏の白旗が並ぶ庭。決行は6月1日、清盛を絡め取った後、六波羅を攻めよと行綱に命ずる西光。はっ、と応じる行綱。そこに経子が訪ねてきているという知らせが入ります。)

(経子の用とは、5月29日は自分たちの父、家成の命日だからという事でした。清盛が都に居る間に、盛大に法要を行ってはどうかという重盛の意向を伝える経子。そくんな事だったかと成親。その様に致そうと西光。よしなにと去る経子。)

(こんな事になるとは、自分たちは親不孝者だと成親。あの頃はのどかな世であったという事だと西光。野良犬の声などに耳を傾けたばかりにとつぶやく西光。振り向く成親。きっと首を取ってやると西光。)

(夜、六波羅。明日、御所に参れと法皇からお召しが掛かっていると重盛。信西が首を取られた夜と似た様な心地がする、ざわざわとと嫌なものが夜の静寂にざわめていてると清盛。そこに現れた客。)

(客とは行綱でした。平家打倒の企てが進んでいると打ち明ける行綱。俄には信じられぬと盛国。証拠の品として、成親から授けられた白旗を示す行綱。まさか成親がと驚く重盛。これは成親が自ら取り寄せた宇治布で作ったもの、出所を確かめればすぐに判るはずと行綱。頭目は誰だと問う清盛。)

(院の御所。賽を振る法皇。)

(安元3年6月1日。伊豆、頼朝の館。雷鳴で目を覚ました頼朝。)

(時政の館。兼隆の下に嫁ぐべく、父母にあいさつをする政子。)

(六波羅。重盛を訪ねてきた成親。庭で焼かれている白旗に気付いた成親。成親を囲んだ兵士たち。戦く成親。)

(西光の館。読経する西光。突如踏み込んできた忠清の兵士たち。)

(院の御所。成親と西光が捕らえられたという知らせに、顔を顰めて賽を握りしめる法皇。戦く俊寛。)

(六波羅。庭に引き据えられた西光。その前に現れた清盛。何が気に入らぬと西光を問い質す清盛。二人の子が流された事なら、信西が目指した国造りのためには仕方のない事と清盛。我が主、信西の目指した国造り?そなたごときにあの方の代わりが務まるはずもないと西光。黙って聞いている清盛を、聞こえたか、無頼の高平太と罵る西光。どうやら判ってもらえない様だと言って、兵士に合図をする清盛。西光に乱暴を働き出す兵士達。)

(伊豆山中。雨に降り込められた政子の一行。)

(頼朝の館。雨を見ている頼朝。)

(雨宿りをしながら、どこか落ち着かない様子の政子。)

(六波羅。痛めつけられながらも、清盛を罵り続ける西光。そなたの国造りは志ではない、復讐だと西光。それまでじっと見ていた清盛が、復讐という言葉に反応します。犬と蔑む王家への恨みに、突き動かされているだけだと西光。そんなものに付き合わされてよい面の皮だ、民も、公卿も、お前達もなと西光。思わず立ち上がる清盛。得体も知れぬ男のに復讐につきあわされているだけだと西光。怒りに駆られて庭に飛び出し、西光を蹴り倒す清盛。倒れた西光を、なおも蹴り続ける清盛。)

(伊豆。びしょ濡れの姿で頼朝の前に現れた政子。驚く頼朝を尻目に、家に入って髭切の太刀を手に取る政子。何をすると言って太刀を取り戻そうどする頼朝。もみ合う二人。戻ってきた藤九郎。太刀が鞘走ったため、鞘を手に雨の中に転がり出る頼朝。太刀を手に頼朝に迫る政子。)

(遠く伊豆から、平氏の繁栄ぶりをみておれと言われたとは、こんな暮らしをする事なのかと政子。他にどうしようがあると頼朝。ならばなぜこの太刀を渡されたと政子。倒れている頼朝に太刀を握らせ、武士の魂を忘れるなという事ではないのかと政子。清盛の言葉を思い出す頼朝。)

(頼朝の回想。お前が居なくなった後も、武士の世を切り開いていかなければならないのだ、と幻の義朝に言う清盛。)

(西光を踏み付けにする清盛。この粗暴な振る舞い、どこまで行っても無頼者だと西光。)

(頼朝の回想。乗り越えてこその武士だ、醜き事にまみれようとも、必ずこの世の頂きに立つと清盛。)

(取り憑かれた様に、西光を蹴り続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。途中で降りたお前が見る事の無かった世をこの目で見てやると清盛。)

(自分は武士だ、武士の世を作るのだと西光を踏み付ける清盛。)

(頼朝の回想。頼朝の前に太刀を突き立てた清盛。)

(武士の世を、と言いながら西光を踏み続ける清盛。)

(太刀を見つめる頼朝。)

(頼朝の回想。誰が殺してなどやるものか、真の武士はいかなるものか見せてやると清盛。)

(頼朝を見つめて微笑み、それを言っておこうと思っただけだと政子。ご無礼をしましたと出て行こうとする政子の腕を掴む頼朝。昨日とも、今日とも違う、私の明日へと連れて行ってくれと政子に頼む頼朝。連れて行けとは女々しい人、共にまいろうぞと頼朝に抱きつく政子。笑顔で政子を抱きしめる頼朝。)

(六波羅。西光を蹴り続けている清盛。清盛を止める重盛。信西が死んだ時、天はこの国を見放したと虫の息で言う西光。西光を睨み付けながら、洛中引き回しの上、朱雀大路にて斬首せよと命ずる清盛。西光を引きづり出していく兵士達。)

(信西の懐から落ちた算木。それを差し出す兵士。受け取ってへし折り、焼き捨てよと命じる清盛。)

(伊豆。雨の中で抱き合っている頼朝と政子。二人を家の中に誘う藤九郎。庭に落ちた鞘を拾い、頼朝に渡す政子。微笑む頼朝。笑い合う二人。)

(明日を見つけた頼朝。明日を見失いつつあった清盛。)

(院の御所。自分はまた失うのかと乙前に問う法皇。国の頂きを争う壮大な双六遊び、数多の駒を失うのは道理でしょうと、あなたも清盛もと乙前。)

今回は鹿ヶ谷の陰謀が描かれました。狂気にまみれた清盛と、正気を取り戻した頼朝の対比が鮮やかでしたね。

後白河法皇が天台座主明雲を捕らえ、伊豆に流罪としたのは史実にあるとおりです。この時の明雲の罪状は謀反でした。この事件の直前に、京の4分の1が焼け落ちるという大火が起こっています。太郎焼亡と呼ばれるこの大火では大勢の人が焼け死に、内裏も燃えました。そして、火事の後は強盗が横行し、中宮庁にまで強盗が押し入るという事態に至っています。明雲の流罪はこの増大する社会不安の中で行われており、謀反という罪状には山門の強訴が世を乱したという法皇の怒りが反映されていると言われています。

結果として、明雲は伊豆に流される途中に叡山の悪僧達によって奪還されており、法皇の面子は丸つぶれとなりました。怒り心頭に発した法皇は叡山の攻撃を思い立ち、清盛に命を下すに至ります。この時、法皇が叡山攻撃を命じたのは平家に対してだけではなく、近江、美濃、越前の3カ国の武士に対しても同様の命令を発しています。山門と協調して行きたい清盛とにとっては迷惑至極だったのですが、国を挙げての命とあれば従わざるを得ず、平家も進退窮まったかに見えました。

その時に起こったのが鹿ヶ谷事件でした。この事件はドラマにあった様に、法皇とその側近が平家打倒を密議したというもので、行綱の密告によりこの事を知った清盛は直ちに事件の中心に居た西光らを捕らえ、果断な処罰を下しています。この事件によって、叡山への攻撃は沙汰止みとなっており、清盛にとって最大の悩みの種であった山門との対決は雨散霧消したのでした。

この事から、この事件は清盛によって筋書きが描かれた謀略という見方もあります。つまり、鹿ヶ谷の密議は確かに行われたが、それは法皇とその側近が平家全盛の時節を嘆いたという程度のもので、とても平家打倒という具体策を伴ったものではなかったと言うのですね。実際、平家物語に描かれた場面でも、瓶子と平氏を掛けてその首を取るといった戯れを言っている程度のもので、本気で清盛の首を取るという気概が感じられるものではありません。行綱が謀略の無謀さを感じ、密告に及んだというのも無理はないと思える狂態ぶりですよね。清盛は、その程度の取るに足りない愚痴の言い合いを、これ幸いとばかりに騒ぎ立てて平家に対する武力蜂起とみなし、事件とする事で山門との対立を回避したという見方があるのです。

このあたりは確証がある訳ではありませんが、清盛にとってはとても都合の良い事件であった事は確かですね。それを裏付けるかの様に、鹿ヶ谷事件で諮られたという陰謀の全容を語るものは何もなく、清盛を人質にして平家を討つというドラマのストーリーは創作です。

西光が清盛を高平太と罵ったのは平家物語にあり、清盛は西光の顔を踏み付けた上でその口を切り裂かせ、五条朱雀で首を打たせたと記されています。ドラマの様にしつこく蹴り倒してまではいませんが、西光の悪口が清盛を激怒させた事は確かな様ですね。

ドラマに戻って、法皇渾身の企ては、行綱という小心者の裏切りによって崩れ去りました。どうもこの人のやる事は、手が込んでいる様でいて、根本的に杜撰です。平家物語に描かれている事だから仕方が無いのでしょうけど、行綱程度の者に清盛を討たせ様とする事自体が間違いの元だと気付きそうなものなのですけどね。

対して清盛は、西光の言葉に我を失い、自らの株を下げてしまいました。せっかく大人物的な振る舞いを身につけてきていたというのに、あんな狂態を示してしまってはどん引きも良いところでしょう。信西の跡継ぎにはふさわしくない、お前の国造りはただの復讐だと言われた事に切れたのでしょうけど、いくら何でもやりすぎです。ドラマでは、清盛の狂態と頼朝の回想がクロスし、清盛の判って貰えなかったという無念さと、これが頂きに立った者がする事かという失望感が交錯していた様に思えました。でも、これでは従来からある平家物語的な平家観を踏襲するのみで、新しい平家を描くというドラマの趣旨には反すると思うのは私だけかしらん。視聴者としては、清盛の抱く失望感をもっと理解してやらなくてはいけないという事なのかな。このあたりの難解さが、視聴率にも響いているのではないかという気がしています。

さて、いよいよ平家の閉塞感が強まり、源氏の再興機運が高まってきました。頼朝は政子という心強い味方を得て、生き返りましたね。次回は清盛に待望の皇子が産まれる一方で、時政が頼朝の後ろ盾となる様です。頂点を極めんとする平家と、密かに芽生えようとする源氏再興の機運が描き出される回となりそうですね。

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コメント

こんばんは。
いつも拝見しているのですがコメントは久しぶりになってしてしまいました。

今回確かに清盛の切れ方にはドン引きでしたね。
いろいろ葛藤があるだろうことはわかるのですが。。。

磯プロデューサーのお話では、
最近清盛をブラックに描きすぎだと言われますが
大河で為政者を扱うのは久しぶり(「葵徳川三代」「北条時宗」以来!)でもあるので
その功罪も含めて人間的に描いて行きたいとのことです。
うーーーん、なるほど・・・(;´∀`)

今後の展開ではブラックなばかりでもないようですよ。

私は相変わらずコンプレックスと孤独感を抱えた後白河が好きです(笑)

投稿: まきぼう | 2012.10.29 21:33

まきぼうさん、

なるほど、為政者の功罪を描いている訳ですか。
きれい事ばかりのドラマよりずっと良いですが、難解ではありますね。

確かに、今は後白河の方が良いかも、です。
清盛よりも人間味が感じられて、親しみを持てますね。

投稿: なおくん | 2012.10.29 21:58

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『平清盛』 第42回「鹿ヶ谷の陰謀」 後白河法皇(松田翔太)藤原成親(吉沢悠)西光(加藤虎ノ介)などによる《鹿ヶ谷の陰謀》がスタート。 比叡山の明雲(腹筋善之介)に言いがかりを付けて拷問のうえ流罪決定で事を荒立たせ、あれやこれやで平清盛(松山ケンイチ)を上洛させて隙を見て捕縛し、間隙を縫って平家を打倒しようという目論見です。 謀議の最中に多田行綱(野仲イサオ)が、壷の一種で徳利のデカイやつみたいな瓶子(へいし)を転かしてしまいます。 「瓶子=へいし=平氏」が倒れて幸先が良いと喜ぶ... [続きを読む]

受信: 2012.10.29 11:34

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