京都・洛北 建礼門院徳子最期の地 寂光院 ~平清盛~
大原に行けば必ずと言って良い程寄るのが寂光院です。聖徳太子が開いたと伝わる古刹ですね。
今年の大河ドラマ、平清盛との関係で言えば、清盛の娘であり、安徳天皇の母である建礼門院徳子がその晩年を過ごした寺としても知られます。
建礼門院は、平家滅亡の折、一門と共に壇ノ浦に身を投げたのですが、源氏方の武者によって助けられ、命を永らえました。その後京に連れて帰られて吉田の地に住まわれたのですが、やがて長楽寺にて出家し、この寺へと入られたのでした。
壇ノ浦には今年の夏に訪れたばかりなのですが、あの急流に飛び込むのには相当な覚悟を要した事でしょう。そして心ならずも助け上げられ、一門がことごとく滅んでしまった中、ただ一人生き残った胸中は如何ばかりの事だったかと偲ばれます。
池水に みぎはの櫻 散りしきて 浪の花こそ 盛なりけれ
後白河法皇が傷心の女院を尋ねて大原を訪れた時に詠んだと言われる歌ですが、その歌に詠まれた池が今も残る心字池と伝わります。その池に、秋海棠が美しい姿を写していました。季節と花は歌と異なりますが、女院の寂しい心を癒すには、相応しい花だという気がしています。
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