平清盛 第35回 「わが都、福原」
(仁安3年(1168年)2月、病から回復した清盛。)
(庭で息子達を相手に剣を教える清盛。)
(明雲を屋敷に呼び、得度を願う清盛。何が狙いかと明雲。対立するのではなく真摯に向き合い、手を携えて行きたいのだと清盛。)
(2月11日、出家した清盛。)
(北条の館。弟に弓を教える政子。男の様な政子を掴まえ、女が弓馬に現を抜かしてどうすると叱りつける時政。)
(頼朝の館。ふぬけの様な頼朝。)
(北条の館。野に飛び出していく政子。)
(清盛の館。丸めた頭で一門の前に現れた清盛。清盛と共に出家した時子。)
(太宰府から急ぎ戻った頼盛。出家姿に驚く頼盛と一門に、福原に住む事にしたと宣言する清盛。何故と驚く一同。大輪田泊に近く、宋との交易のための航路を整えるのに都合がよいからだと清盛。棟梁が京に居ないのは何かと不都合ではと一門。福原まで馬で1日、そう大袈裟に考えるなと立ち去る清盛。)
(廊下で清盛を掴まえ、福原で何をしようとしているのかと問い質す重盛。留守の間、棟梁として一門を束ねるのはお前だと言って立ち去る清盛。)
(後白河院の御所。清盛出家の噂に、いよいよ隠居かと西光。そうではない、新たに駒を進めたのだと上皇。そして、憲仁を即位させると言い出します。重仁は平家縁の皇子、これ以上平家の力を強めては、政の釣り合いが崩れると危惧する西光。それで良い、それ以上の力を持てば良い事、白河院にも出来なかった政をしてみせると上皇。)
(仁安3年2月19日、高倉帝となった重仁。皇太后になった滋子。皇太后宮権大夫になった宗盛。宗盛の代わりに辞任を余儀なくされた頼盛。)
(上皇の御所。頼盛が滋子の代始めの入内に出仕しなかったと清盛を叱責する上皇。ひれ伏す清盛。俗世を離れるのなら、それなりの覚悟をして行く事だと上皇。)
(清盛の館。頼盛を説諭する清盛。太宰大弐は重職、その上の出仕は酷というものと頼盛を庇う宗清。それだけ責務が重くなったのだと心得よと清盛。いつ自分は参議になれるのかと頼盛。それは働き次第と清盛。保元の戦の折の事を根に持っているのかと頼盛。だとすればどうするのか、再び一門から離反するつもりかと清盛。そんな事はと絶句する頼盛。つまらない事を言っていないで、務めに励めと清盛。)
(伊豆。裸足で竹林を歩いている頼朝。)
(時政の館。佑親が頼朝の子を殺したという噂をする三浦義明、上総常澄、佐々木秀義たち。腑抜けの様な頼朝を源氏の御曹司とは言えないと義明。財力でのし上がった清盛を悪し様に罵り、平家を倒す気概のある者は居ないのかと吠える秀義。時政の姫も、佑親の様にならない内に誰かに嫁がせた方が良いのではないかと義明。そこにしとめた猪を担いで現れた政子。娘らしくしろと言ったはずと叱る時政。あっけに取られる客人たち。)
(竹林の中に駆け込んだ政子。そこに現れた頼朝。風が吹き、その間に姿を消した頼朝。もののけ?と訝る政子。)
(福原の別邸。荒れ果てた部屋に光を入れる清盛。そこに現れた兔丸。宋との取引をする為に、貴人を迎えられる様ここを改築して欲しいと頼む清盛。それは良いと張り切る兔丸。何故大輪田泊に大船が入れないか良く確かめて欲しいと清盛。)
(六波羅、重盛の館。教盛を参議にすると伝える邦綱。喜びを噛みしめる教盛。祝いを言う頼盛。)
(夜。なぜ頼盛が参議にならないのかと噂する宗盛たち。そこに現れ、正妻の子なればこそ、棟梁の座を狙うと疑われるからだと時忠。複雑な表情の宗盛。)
(頼盛の館。忠盛から貰った抜丸を抜き、これまでの清盛との確執を思い出す頼盛。)
(福原。月を見ながら頼盛の事を想う清盛。)
(内裏。清盛出家の噂に、平家に隙が出来るはずとほくそ笑む基房。)
(八条院に呼ばれた頼盛。そこに現れた基房。驚く頼盛に、八条院たっての願いで参議にするつもりだと伝える基房。以仁王を紹介し、王家の嫡流でありながら親王にすれなれない、血筋で言えば平家嫡流である頼盛と境遇が似ている、おかしな棟梁によって出世を阻まれるのは忍びないのだと八条院。八条院への忠誠を誓う頼盛。)
(10月18日、参議となった頼盛。)
(11月28日福原。頼盛の解官を清盛に伝える重盛。18日の大嘗会への出仕を怠った事が原因でした。上皇への口添えをと頼む重盛。上皇のなされるとおりにせよと清盛。訝る重盛に、1年ばかり頭を冷やさせる、頼盛を福原に来させよと命ずる清盛。)
(福原。八条院に世話になった以上、滋子より八条院への出仕を大事にしなければならない時もあると弁明する頼盛。黙ってそれを聞いている清盛。いっそ追い出して欲しいと頼盛。それには答えず、鴨川の水もいずれは海に流れ込む、海を思いのままに出来れば鴨川の水を思いのままにするという事だと語り始める清盛。そして、博多を都の隣に持ってくる、時を置かずして平家の都を海近くに置くと大構想を明かす清盛。驚く頼盛。京に居たのではいつまで経っても上皇の掌の上、それ故に目の届かない福原に住む。そして、大輪田を博多のごときにして異国と交易をし、その富で国を富ませると説く清盛。それを朝廷ではなく一門で行うという事かと頼盛。先例大事の朝廷の枠にとらわれて国造りをしている暇はない、国の形をひそかに作り上げ、それをこの国のあるべき姿と示す、それが自分が見つけた答えだと清盛。答え?と頼盛。武士が頂きに立つ世の姿だと清盛。)
(武士の世が来る事を語る忠盛を回想する頼盛。)
(頼盛に向かって、父が目指した世造りに断じて欠かせない、これからも口うるさく一門を支えよと命ずる清盛。)
(清盛に従う覚悟を決めた頼盛。)
(前途の多難さを憂う盛国。これからの事を想うとぞくぞくすると清盛。)
(伊豆。竹林でもののけと思って頼朝を掴まえ、人と知り驚く政子。)
(鞍馬寺。遮那王となり修行に励む牛若。)
今回は福原を都とするという清盛の大構想が明らかにされました。清盛が武士の世を招来するというこのドラマの主題がここに明示された事になりますね。
史実においては、清盛の出家は病快癒を願っての事であり、福原への移住は政の表舞台からの退隠を思っての事ではないかと考えてられています。つまりは、病によって健康に自信を失い、重盛に後を託して自らは宋との交易に余生を捧げようとしたのではないかと思われるのですね。しかし、結果として、清盛という存在の重さがそれを許さず、政界からの引退は実現せずに終わります。
高倉帝の即位についても、やはり清盛の病が引き金となったと考えられています。清盛にもしもの事があれば、以仁王を推す八条院を初めとする反後白河勢力が力を強めると恐れた上皇が、高倉帝を即位させる事で権力の保全を図ったと言うのですね。ドラマでは清盛を警戒した上皇がその裏をかくという感じでしたが、実際には清盛が居なくなる事を恐れた上皇が、即位を強行させたのでした。
頼盛に関して言えば、参議就任直後に解官された事は史実にあるとおりです。その理由もドラマに描かれていた様に、後白河院に対する出仕を怠った事が原因となっており、息子の保盛共々全ての官職を奪われてしまったのでした。なぜ頼盛が出仕を怠ったのかは定かではありませんが、高倉帝の即位など度重なる儀式への負担が過重となり、その事に対する反発があったのではないかとも言われています。
その頼盛を清盛がどう処遇していたかと言えば、重盛と並んで京における自らの代理人というべき地位に置いていました。それだけ頼盛を重用していた訳で、頼盛が後白河院の怒りを買った事は清盛にとって頭痛の種となった事でしょう。
ドラマには描かれていませんでしたが、この時期、清盛が後事を託そうとした重盛が病に倒れるという事態も起こっています。重盛が体調を崩したのは清盛が倒れるより前の事で、清盛が出家した後も重盛の病は本復せず、権大納言の地位を辞任するにまで至っています。順風満帆に見えた平家一門にも、暗雲が立ち込め始めた時期だったとも言えるのでしょうか。
ドラマに関して言えば、清盛の巨大さが際だった回だったという感じです。朝廷の呪縛から離れ、武士が頂点に立つ世を築くという構想を明確に示した事で、このドラマが描こうとしている清盛の姿がはっきりと見えて来ました。その構想の前には、頼盛の悩みなど小さなものに過ぎなかったのですね。ただし、平家を快く思わない人達の姿も次第に明確になってきました。平家を倒す者は居ないのかと叫んでいた秀義の姿は象徴的でもありましたね。
そして、面白いのが政子ですね。実際の姿がどんな具合だったのかは判りませんが、如何にも板東の女子という感じが出ていて好感が持てます。ちょっとやり過ぎの感じもしないではないですけどね。今後の展開が楽しみだな。
次回は法皇となった後白河院と清盛の間に入って悩む重盛の姿が描かれる様です。巨人の影という副題は、清盛の影響力の大きさを表すのかな。久々に政治的に緊張した場面が描かれる様で、どんな回になるのか楽しみに待ちたいと思います。
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