夏の旅2012 ~平家終焉の地 壇ノ浦~
平家最後の戦いは、壇ノ浦の合戦として知られます。壇ノ浦は関門海峡の最も狭くなった部分の事を言い、今はその上を関門橋が通っていますね。
その壇ノ浦を望む場所にみもすそ川公園があり、義経と知盛の銅像が建てられています。
これは2005年の大河ドラマ「義経」の放映を記念して建てられたもので、現地には除幕式を行った主演の滝沢秀明さんや中越典子さんのサイン入り手形が設置されています。
こちらは碇を担いだ知盛の像。平家物語では、碇を担いで飛び込むのは教盛と経盛なのですが、ここではドラマの演出に合わせて知盛にしている様ですね。
壇ノ浦の戦いと言いますが、実際に戦が行われたのはもう少し東側でした。これは源氏の軍勢が集結したという満珠、干珠の島です。平家軍は壇ノ浦の対岸にある田浦に集結し、源氏に戦いを挑みました。
この写真で言えば、右から左に掛けて平家軍が進み、左の奥で源氏軍が迎え撃ったという形になります。この時、潮流は西から東に流れており、平家方に有利だったと言われていますが、実際に潮の流れを見てみるとまさしく急流であり、この説も成る程と思えてきます。そして、午後遅くになると潮流が逆転し、源氏が有利になったと言いますが、実際には水夫を射るという、当時は禁忌とされた戦法を義経があえて採った事が決め手となりました。
この事も、下関の人達が義経を嫌う元となっている様ですね。なぜなら、撃たれた水夫は地元の漁師達であり、自分たちの先祖が無抵抗のまま殺されたとあっては、恨みが残るのも無理は無いでしょう。一般には判官贔屓として人気のある義経ですが、下関に限って言えば悪役になっている様です。
壇ノ浦からは少し離れますが、下関には平家の落人が隠れ暮らしたという場所も残されています。それが平家塚ですね。
火の山の東北、高畑という山手にあり、写真の様な五輪塔が残されています。これが落人の墓として伝えられているのですね。そして、この奥にはその霊を祀った霊神社があります。この近くには平家の末裔という人達が住んでいるとも聞き、今もなお下関では平家の伝説が生き続けているのです。
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