夏の旅2012 ~瑠璃光寺~
山口市の観光で、外せないものはやはり瑠璃光寺でしょう。この五重塔は大内文化を今に伝える唯一の遺構であり、気品に溢れた名塔です。
瑠璃光寺の前身は香積寺と言い、大内義弘によって建てられました。義弘は6カ国の守護を兼ねた守護大名で、大内氏隆盛の基を築いた人物です。しかし、守護大名の勢力を削ろうとする3代将軍足利義満と対立し、応永6年(1399年)に堺で幕府軍と戦って戦って敗れ、戦死してしまいます。
後を継いだのが弟の盛見で、兄の菩提を弔うべく五重塔の建立に着手しました。盛見は没落しようとする大内氏を支え、防長二州の守護に返り咲くなど良く勢力を回復したのですが、永享3年(1431年)に九州で戦いに敗れて亡くなってしまいます。塔が完成したのは、その11年後の嘉吉2年(1442年)の事でした。義弘の死から数えると43年を経過しており、完成までにかなりの長期間を要した事が窺えます。
香積寺は大内氏の滅亡後もこの地にあったのですが、慶長9年(1604年)に毛利輝元によって萩城の資材とするため(要するに金が無かったため)に破脚されてしまいます。しかし、五重塔だけは用材にならなかったのでしょうか、ただ一基のみこの地に残されました。その後、90年近く塔だけが放置されていたのですが、元禄3年(1690年)に至って別の地にあった瑠璃光寺がこの地に移され、以後は同寺の塔として管理される様になります。
今は周囲一帯が香山公園として整備され、寺の境内というより緑地という雰囲気ですね。屋根に比べて塔身が細く、繊細かつ優美な姿をしています。二層目にだけ高欄があるというのも、面白い仕様ですね。何か意味があるのでしょうか。日本三名塔の一つに数えられ、国宝に指定されているのも成る程と頷ける美しさです。
公園内には、義弘の父であり、大内氏の本拠を山口と定めた弘世の像が建てられています。京都の文化を山口に移し、大内文化の基を開いた人物として知られており、その縁で銅像が建てられているのでしょうね。馬の顔ははるか京都を望み、弘世は足下の山口を見ているという姿なのだそうですよ。
この銅像のほか、幕末に薩長の志士が集ったという沈流亭や、手を叩くと鳴るという、うぐいす張りの石畳があります。上の写真がうぐいす張りの石畳で、本当にいい音が響きましたよ。ただ、狙って作ったものではなく、偶然音が反響する様になったものなのだとか。面白い現象ですね。
五重塔は夜間もライトアップされており、その姿を見る事が出来なかったのが心残りです。
明日は山口を出て萩へと向かいます。
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コメント
姪っ子の結婚式で近くまで行きながら時間がなくみれなかったお寺です。
秋には紅葉が綺麗だそうです。
投稿: Milk | 2012.08.23 00:54
こんばんは、なおくん様
おおっ!ここは去年友人と萩旅行に行った際訪れました~。
ご朱印も素敵なんですよ~。
鴬張りの石畳、観光ガイドさんと回ったのですが、びっくりしました。
大内氏は京都と縁の深い豪族、
先日行った陽明文庫展にも、日記に名前が挙がっていました。
投稿: いけこ | 2012.08.23 20:24
Milkさん、
それは惜しい事をしましたね。
次の機会にはぜひ寄ってみて下さい。
とても美しい塔ですよ。
紅葉ですか、この塔にも似合いそうですね。
投稿: なおくん | 2012.08.23 20:31
いけこさん、
朱印は見なかったですね。そんなに素敵ですか。
うぐいす張りの石畳は面白いですね。
あんなに響くとは思わなかった。
山口は西の京らしく、素敵なところですね。
投稿: なおくん | 2012.08.23 20:32