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2012.08.05

平清盛 第31回 「伊豆の流人」

(伊豆、蛭ヶ小島。流刑先で写経に励む頼朝。そこに魚を持って現れた藤九郎。彼は変わらぬ日々に繰り言を言いますが、頼朝は藤九郎にいつも済まぬと礼を言います。機嫌を直す藤九郎。そこに現れた目付の伊藤祐親。彼はそれとなく頼朝に探りを入れますが、さりげなくそれを躱す頼朝。はぐらかされて帰って行く祐親。)

(平治の乱から5年、往時を思い出す頼朝。彼にとっては全ての事が幻の様でした。)

(清盛の館。一門を相手に、宋の船を博多ではなく都近くにまで入れる様にしたいと説明する清盛。そうすれば無駄はなくなり、財は良く巡り、結果として国は豊になると盛国。そんな港がどこにあると相手にしない兔丸。大輪田辺りに作ればよいと清盛。途中の瀬戸は狭い、唐船は通れないと兔丸。広げればよいと清盛。どうやってと貞能。掘ればよいと清盛。面白い、やれば良いと笑い出す兔丸。後は海の守り神がおわす厳島の社だ、妻の桃李と力を合わせて守る様にと兔丸に命ずる清盛。照れて困る兔丸。)

(港を作るにも、瀬戸を広げるにも朝廷の許しが要る、しかし、先例が無いものを公卿達が許すはずがないと重盛。諮ってみなければ判らないと宗盛。お前は朝廷というところが判っていない、疎まれるだけだと重盛。それは判っている、まずは登る事だと清盛。)

(内裏。皇子の順仁が生まれた二条帝。)

(政の舞台から遠ざけられ、仏道に帰依した後白河上皇。しかし、教典を読んでも彼の苛立ちは収まりませんでした。彼の皇子、憲仁を連れてきた滋子。憲仁を抱きながら、帝に皇子が出来なければ東宮に出来たものをと上皇。少しは歩み寄ってはと滋子。歩み寄らないのは帝の方だと上皇。清盛が謁見したいと言っていると滋子。)

(後白河上皇に謁見し、千体仏を納める御堂を献上すると約束した清盛。)

(完成した蓮華王院を見て、狂喜乱舞した上皇。彼は自分の力を示す為に帝にも見せようと思いつきます。そして、清盛に褒美は何がよ良いかと問い掛けます。)

(朝儀の場で、参議となった重盛を紹介する清盛。居並ぶ公卿達を前に、あいさつをする重盛。自分にとっても義理の兄だと持ち上げる基実。面白くない様子の基房。)

(廊下で、いずれ港作りと瀬戸の開削について朝義に掛けると重盛に告げる清盛。蓮華王院を献上したのはそのためかと重盛。そうだと清盛。)

(頼盛に向かって、重盛が先に参議になるとは納得が行かないと宗清。保元の乱の時に、兄との間に深い溝を作ったのは自分だと頼盛。そこに池禅尼が呼んでいると呼びに来た須磨。)

(苦しそうに横になりながら、心配掛けて済まないと禅尼。脅かさないで下さいと頼盛。忠盛の妻となり、清盛の母となってからもう50年も経つと禅尼。今の平家があるのは禅尼の力あってこその事と頼盛。そう思っていたのだが、済まぬと頼盛に謝る禅尼。)

(伊豆、祐親の館。大番役の勤めに出る祐親。出立にあたり、頼朝の目付はくれぐれも怠るなと一同に諭す祐親。そこに現れた娘の八重姫。勤めを終えて八重姫に会うのが楽しみだと祐親。にこやかに父を送り出す八重姫。)

(頼朝の館。野菜を届けに来た時政。礼を言う頼朝。自分には畑仕事が向いている様だと時政。その時、葛籠の中から笙を見つけた藤九郎。母の形見だと頼朝。頼朝の母は熱田宮司の姫だったのだと藤九郎。そこに現れた客人。それを潮に帰って行く時政。)

(客人は祐親の家人の伊三郎でした。用件は頼朝から八重姫に都の事を教えてやって欲しいとの事。何故と藤九郎。祐親が帰って来た時に驚かせたいのだと伊三郎。頼朝はきっと断ると藤九郎。)

(そこにやって来た八重姫。彼女は無理を言ってはいけないと伊三郎をたしなめます。しかし、諦めないで藤九郎に食い下がる伊三郎。そこに聞こえてきた笙の音。その音に誘われて庭に入り、頼朝を見た八重姫。八重姫と目が合った頼朝。)

(院の御所。二条帝が一度も蓮華王院を見に来ないと怒る上皇。じっと恐れ入っている朝子。父を何と思っていると上皇。)

(内裏。二条帝に重盛を引き合わせ、一層の忠誠を誓う清盛。ご機嫌麗しい帝。その帝に、申し上げたい儀があると言い出す重盛。訝る清盛と時子。重盛は、未だに蓮華王院に行かないのはなぜか、相手は父であり一度くらいはと言いかけますが、その言葉の終わらぬ内に機嫌を悪くした帝が立ち上がります。控えよと重盛を制し、申し訳ございませんと謝る清盛。天使たるものに親など居ないと二条帝。)

(清盛の館。重盛を余計な差し出口をするなと叱りつける清盛。人として信じるところを言ったまで、これ以上上皇を政かせら遠ざけるとはいくら帝とは言っても賛同出来ないと重盛。上皇とは付かず離れずの関係を保つのが良い、自分たちが支えるべきは帝だと清盛。義兄の成親は上皇の近臣、それを無下にしろとはあんまりだと重盛。自分の考えが判らないのかと清盛。判らないと重盛。判らないならそれでよいが、邪魔だけはするなと一喝する清盛。)

(夜、経子を相手に酒を呑む重盛。保元の乱の前、鳥羽法皇と崇徳上皇の間を取り持とうとしていた清盛の姿を良く覚えていると重盛。しかし、時流の波に飲み込まれて後は、修羅の道をまっしぐらに進んでいる様に思えると重盛。その父を支える事が重盛の役目だと経子。)

(清盛の館。重盛はまるで若い時の清盛のようだったと盛国。あんなに青臭くはなかったと清盛。苦笑する盛国。そこに現れた宗盛、知盛、重衛の三人。彼らの用事とは、この国の絵図を重衛にも見せてやって欲しいという事でした。機嫌良く応じる清盛。)

(清盛の館。清盛に拝謁する祐親。勤めを怠るなと清盛。頼朝の様子はどうかと問う盛国。日々写経にいそしみ、つつましく暮らしていると祐親。それをじっと聞いている清盛。そこに現れ、清盛に耳打ちする貞能。はっとなる清盛。)

(急な病で倒れた二条帝。見舞いに駆けつけた清盛。謁見する清盛に向かって、すぐに順仁への譲位の支度をせよ、上皇に政をさせてはいけないと、病床から命ずる帝。黙ってそれを聞いている清盛。)

(7月7日、乳飲み子の身で六条帝となった順仁。20日余り後、23歳の若さで崩御した二条帝。)

(二条帝の葬儀。公卿達と共に参列している清盛と重盛。お労しい事、しかし何事も定めだと清盛。定め?と重盛。)

(そこに、太鼓と鉦を鳴らしながら現れた僧たち。率いているのは延暦寺の明雲でした。その僧侶達が担いでいた輿から下りてきたのは後白河上皇。驚いてひれ伏す一同。何事ですかと問う清盛。弔問だと上皇。二条帝の亡骸に向かって、なぜ蓮華王院に来なかった、そうすれば千体の観音か守ってくれたものをと語りかける上皇。上皇を見つめる清盛。突然笑い出した上皇。いぶかる一同。そちらがこないからこちらから来てやった、千人の僧が弔ってくれようと上皇。その言葉を合図に、打ち鳴らせと命ずる明雲。鳴り響く鉦と太鼓の音と読経。笑い続ける上皇。とまどう一同。その中で一人立ち上がり、止めよと叫ぶ清盛。それを無視する僧侶達。輿を突き飛ばし、無理矢理読経を止めさせる清盛。不埒なと怒鳴る明雲。明雲を睨み付ける清盛。押し黙る明雲。笑いを止めて佇む上皇。)

(上皇に向かって、相変わらず赤子の様な人だと清盛。上皇に向かってそんな事をと重盛。それを無視して、帝が親など居ないと言ったのも道理、あなたは手の掛かるやっかいな赤子だ、赤子にこの国を託す訳には行かないというのが亡き帝の悲痛な思いだったと清盛。清盛に向き直る上皇。上皇にひれ伏しつつ、亡き帝の志を全身全霊をもって守り抜く、お引き取りをと告げる清盛。悄然とうなだれ、輿をと一言言う上皇。しかし、清盛の前で足を止め、読めた、そなたは朝廷を思い通りに操るつもりなのだろう、危うく騙されるところだったとつぶやく上皇。黙って頭を下げている清盛。輿を出せと命ずる明雲。高笑いを残して去る上皇。驚愕して清盛を見ている祐親。)

(重盛の館。経子に向かって、修羅の道を進む父を景に日に支えて行くと決めたと語る重盛。茨の道となるでしょうと経子。覚悟の上と重盛。)

(清盛の館。清盛を大納言に任ずる事が決まったと告げる基実。謹んで受ける清盛。先日の振る舞いを褒め、これからは自分と共に朝廷の要となるが良いと基実。一心に勤めますと清盛。そこに現れた家人。)

(病床にある池禅尼を見舞う清盛。目を瞑っている禅尼に大納言に登ったと報告する清盛。大納言とつぶやく禅尼。武士が頂きに立つ世まで、あと一歩と清盛。あの世で忠盛に会ったら伝えなければと禅尼。須磨に向かって、先に逝くぞと禅尼。口々に禅尼に呼びかける平家の一門。、これだけ大勢の子や孫に囲まれて何と満ち足りた一生かと禅尼。断じて絶やしてはならぬと最後に頼盛に向かって言い、目を閉じる禅尼。そのまま息を引き取った禅尼。悲しむ頼盛と一門たち。)

(大納言として内裏を歩く清盛。その姿を見て、何か粗相をすれば伊藤一族などひとたまりもないとつぶやく祐親。)

(頼朝の館。笙を吹く頼朝とその側で聞き入っている八重姫。見つめ合う二人。八重姫を抱きしめる頼朝。)

今回は伊豆の頼朝の動向を挟みつつ、二条帝の崩御と清盛の国作りについて描かれました。第三部に入って、ドラマが少しずつ終盤に向かって動き出したという印象ですね。

まず、頼朝と八重姫については、頼朝の最初の妻となった人物として良く知られるエピソードです。流人として監視される身分であった頼朝が、目付役である祐親の娘と通じてしまったとは大胆不敵な事ですが、そういう艶福が頼朝にはあった様ですね。もっとも、これは伝承の域を出ないとも言われており、史実かどうかは判らない様です。

次に、清盛が宋との交易の為に大輪田の泊に港を開き、今の神戸の繁栄の基を築いた事も周知の事実ですね。これは清盛にとっての悲願であり、国造りの基本でもありました。この実現のためにはまだ一波乱も二波乱も有る訳ですが、これからのドラマの展開の中では、その事が軸のひとつとなって行くものと思われます。

清盛が後白河上皇のために蓮華王院、今の三十三間堂を建てた事も史実にあるとおりです。ドラマで描かれた様に、政治的には二条帝を支える一方で、後白河上皇には経済的な援助をして双方との関係を良好に保つというのが清盛の基本姿勢でした。ただ、史実と少し違うのは、蓮華王院の建立によって重盛が得たのは正三位という地位であり、参議となったのは二条帝の推挙によるもので、正三位となった一年後の事です。

蓮華王院に後白河上皇が狂喜した事も史実にあるとおりで、この落慶法要に二条帝を招こうとしたのですが、二条帝はこれに応じようとはしませんでした。この時、後白河上皇は、「やや、何の憎さに」と嘆かれたと言われ、二人の間が上手く行っていなかった事が判ります。もっとも、二条帝は後日蓮華王院を訪れたとも伝えられ、頑なに訪問を拒んでいたという訳でも無い様ですね。

その二条帝が俄の病に倒れ、急ぎ六条帝に譲位したとうのも史実どおりですね。この時、六条帝はわずかに二歳(満一歳)で、如何に後白河上皇に実権を渡したく無かったかが窺えます。実の親子でありながら、早くに後白河の手を離れて美福門院に養育されていた二条帝は実父に対する情が薄かったとも言われていますが、やはり後白河上皇の為政者としての資質に疑問を感じていたものと思われます。そして、自らの正当性を守りたいという思いもあった事でしょうね。

二条帝の死によって政界は一気に流動的なものとなりますが、赤子の六条帝の後ろ盾として期待されたのが関白の基実でした。そして、基実は平家の援護を期待して、清盛を大納言に取り立てたのですね。不安定ながらも、二条帝の遺志により、後白河上皇を政の場から外すという方向性は保たれていたのでした。でも、それほど忌避された後白河上皇って一体どんな人だったのだろうと思ってしまいますよね。その点、ここのドラマは上皇の人となりを象徴的に描いているとも思えます。

ドラマでは、二条帝の死にあたって延暦寺の僧侶を率いて後白河上皇が現れましたが、これは完全な創作です。でも、上皇と延暦寺、それに清盛を巻き込んだ騒ぎは確かにあり、平家物語では額打論として描かれています。この事については以前に書いた事があるのでここでは省略しますが、上皇と清盛の間にあった不協和音を、ドラマでは上手く取り入れていたと言えるのでしょうね。

この場面における清盛は格好良く描かれ過ぎているという気もしますが、このドラマにおける清盛の立ち位置を良く示した演出でもありました。単なる口舌の徒でもなく、阿諛の人でもなく、時の権力者に対してはっきりと者を言える骨のある人物だったのですね。これを地方の豪族である祐親から見れば、さぞかし恐ろしい人物として映った事でしょう。

最後に、池禅尼が亡くなりました。ドラマ前半を支えた人がまた一人消えた訳ですが、やはり寂しいという感じはしてしまいます。彼女にとっては、誰より頼盛が可愛かったのでしょうね。本音のところでは清盛より大事に思っていた事が、最後の場面に上手く表されていました。でも、結果として彼女の存在が頼盛を救った事になるのですから、人の運命とはどうなるのか判らないものです。

次回は清盛の太政大臣就任に絡めて政治力を発揮する後白河上皇が描かれる様ですね。ぼんくらの様でいて政治力は持っているというのがこのドラマの後白河ですが、清盛をどう翻弄するのか楽しみに待ちたいと思います。

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今回は、題名の上からも頼朝に注目されまくりの内容になるかと思いきや、平氏の様子、朝廷の様子も含めてバランスいい配分であったような気がします。ただし、前回からの前振り的な要素があまりないため、今回の内容が物語全体の中で一体どのような関係にあって、どのような観点で見ればいいのか視聴者としては混乱してしまったのではないでしょうか。 頼朝が有名で、いずれ平氏を破って鎌倉幕府を開くのは、誰でも分かることなのですが、清盛の生きる時代にあって頼朝がどのような状況の中で立ち振る舞っていたのかを把握している人は、自分... [続きを読む]

受信: 2012.08.06 00:02

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