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2012.08.26

平清盛 第33回 「清盛、五十の宴」

(院の御所。今様を歌い舞う後白河上皇。鼓を打ち、上皇の舞を見ているのは乙前。ここに来たのは清盛と関わりがあるのかと問う上皇。今は老い先短い白拍子と答える乙前。)

(清盛の館。朝義で音戸の瀬戸の開削が決められたと報告する重盛。すぐに人を集めろと清盛。反対する公卿は時忠が言いくるめたと宗盛。言いくるめたとは人聞きの悪いと時忠。朝廷を思い通りに動かすには一門の者を多く送り込む事だと清盛。)

(厳島に発つ清盛に、帰って来たら50の賀の宴をしたいと時子。誰が50なのだと問い返す清盛。殿がと答える盛国。あまりに目まぐるしくて気が付かなかったと清盛。)

(院の御所。舞を舞う滋子。見つめる客人達。降ってきた雨の中でも舞い続ける滋子。)

(雨の中で舞い続けた滋子を褒める西光、成親。そこに現れ、上皇に酌を求める滋子。はは、と応じる上皇。そこに訪れて来た以仁王。追い返せと上皇。八条院も一緒だと家人。)

(八条院の用件とは、以仁王への親王宣下でした。まあいずれと誤魔化す上皇。鳥羽院の覚え目出度かった八条院の養子である自分は、憲仁よりも帝となるに相応しいと言ってのける以仁王。よしなにと言って帰って行く八条院。)

(時忠を呼び出した滋子。平家の財を憲仁のために惜しみなく使ってくれと頼む滋子。平家の力で以仁王の親王宣下を阻んだ滋子。)

(厳島。景弘に厳島の社の修復を申し出る清盛。とまどう景弘に、音戸瀬戸の開削、大輪田泊の改修のために、厳島明神の力を借りたいのだと清盛。願ってもない事と景弘。)

(そこに子供を抱いた桃李を伴って現れ、小兎丸だと紹介する兔丸。子供を抱き、この子が大きくなる頃にはこの国も変わっていると清盛。うなずく兔丸。)

(内裏。廊下ですれ違った重盛たちを見送り、近頃の平家の振る舞いは目に余ると基房。武士風情に国造りなど出来るものではないと思い知らせてやりましょうと兼実。)

(五十の賀の宴当日、清盛の館。任地に赴く前に、清盛に挨拶に訪れた源頼政と仲綱の親子。かたじけない事と清盛。清盛の去った後、不服そうな息子になぜかと問う頼政。未だになぜ頼政が、平治の戦の折に平家方に付いたのか測りかねていると仲綱。それ以上は言うなと頼政。)

(五十の賀を述べる重盛。嬉しそうに今日は無礼講だと一門に勧める清盛。)

(賑やかな宴。重盛と宗盛に兄弟力を合わせて一門を盛り立てよと励ます清盛。)

(三人の子を清盛の前に座らせる経子。孫の可愛い口上に口元の綻ぶ清盛。そして、忠清に重太の乳父として武芸を仕込めと命じます。)

(別室。牛若を連れてきている常磐。驚く時子。牛若がどうしても清盛の宴に出たいと言って聞かないのだと常磐。今は一条成の妻となっている常磐ですが、牛若は五歳の時まで清盛の世話になっていたので、実の父は清盛だと思い込んでいるのでした。とまどいながらも、無礼講だからと牛若を清盛に会わせる時子。)

(上機嫌で牛若の相手をし、唐果物を手渡してやる清盛。そして知盛らに遊んでやれと声を掛けます。無邪気に遊びに出る牛若。義朝の子ゆえ、格別な思いがあるのだろうと時子。)

(そこに乱入してきた一人の男。色めき立つ郎党達。それは清盛の末の弟の忠度でした。しかし、誰も覚えていない清盛達。何と、と驚く家能。じっと忠度の顔を見ている内に、やっと思い出した清盛達。)

(上機嫌で忠度の賀を聞く清盛。頼盛はどこかと問う忠度。頼盛は太宰大弐となって現地に赴任しており、ここには居ないと清盛。兄として名乗りを上げる教盛、経盛、時忠たち。祝いに熊野の舞を披露すると忠度。)

(庭で剽軽な踊りを披露する忠度。笑い転げる一門達。そこに現れた基房と兼実。突然現れた摂政と右大臣に拝礼する一門。)

(平家一門の繁栄振りを褒めそやす兼実。しかし、厳島の社の修復について、それは王家や藤原摂関家など筋目正しき者の務めと横槍を入れます。花鳥風月など雅を解さない者には無理だと兼実。下らない話はそれくらいにと相手にならない清盛。色をなす基房。相手にせず、せっかくの宴、存分に楽しんで下さいと清盛。)

(豪華な膳を前に、祝いの印として舞を献上したいと言い出す基房。有り難き事と受ける清盛。)

(舞台で優美に舞う二人。見つめる一門。舞終わった二人に、さすがと褒める清盛。そして、重盛、宗盛、経盛に返礼をせよと命じます。)

(経盛の笛に合わせて、見事に待ってみせる重盛と宗盛。舞と糸竹の芸はどうにか仕込まれたと見えると嫌味を言う基房。次は和歌など如何と兼実。歌の上手は居ないのかと挑まれ、経盛を促す教盛。しかし、朝廷一の歌の上手と言われる兼実を相手に怯む経盛。その時、清盛が忠度に歌の相手をせよと命じます。ひげ面の男を見て、あざ笑う兼実たち。)

(題は恋と言って促す時子。)

(兼実の歌。)

(「帰りつる 名残りの空を ながむれば なぐさめがたき 有明の月」)

(さすがと感心する一門。)

(忠度の歌。)

(「たのめつつ 来ぬ夜つもりの うらみても まつより外の なぐさめぞなき」)

(兼実に劣らぬ出来に、ざわめく一門。)

(歌の応酬をする兼実と忠度。最後の忠度の歌を聞き、仏頂面で席に戻る兼実。)

(こんな事で自分たちをごまかせると思うな、所詮はまねごと、肩を並べたと思うなと負け惜しみを言う基房。そして、厳島の社の一件は断じて許さないと言い切ります。小さく微笑んで、仕方がないと言いながら、盛国にあれを持てと命ずる清盛。)

(盛国の持ってきた巻物を、基房達の前で広げてみせる清盛。それは厳島の社の意匠でした。海に浮かぶ社殿を見て、唖然とする基房。これは誰の思いつきだと兼実。私ですと清盛。これまでの社は上へ上へと目指してきた、それを横へ広げたいと思う、これが自分の国目指す国の姿だと清盛。絶句する基房たち。)

(夕方。基房たちが帰った後、溜飲を下げている一門。忠度の歌の上手さはどこからと経盛。父と母が好きだった故、手慰みに嗜んでいたまでの事と忠度。兄は知っていたのかと問う教盛。知らない、忠度に賭けてみたまでの事と清盛。笑いさざめく一門。賭けに勝つのは愉快だと清盛。飲み過ぎたと心配する皆を余所に、庭に出て舞い始める清盛。そして、こんな愉快な日は終わって欲しくないと言って扇で日を招きます。すると、不思議な事に暮れかけた日が再び輝きを増したのでした。瑞兆に驚く一門。面白やと舞い続ける清盛。)

(常磐と帰る牛若。母に向かって、父が扇で招くと日が再び昇ったと言い募る牛若。)

(院の御所。清盛が夕日を昇らせたという噂を上皇に伝える成親。大方、清盛を尊大に見せる為の作り話だと西光。微笑む乙前。)

(伊豆。時政に清盛の噂を伝える頼政。その清盛によって流された頼朝がどんな事になっているか知っているかと時政。)

(頼朝の館。呆然と柱にもたれている頼朝。頼朝の前に膳を置く藤九郎。うつろに籐九郎を見る頼朝。)

(庭先からその様子を見て、何とした事かと驚く頼政。清盛の仕業、京に居ながらにして、伊豆に住む者をこんな具合にしてしまう程の力を持っているのだと時政。惚けきった様子の頼朝。)

(清盛の館。厳島の社造営の為に旅立つ朝、倒れた清盛。)

今回は絶頂期に差し掛かろうとする平家一門の姿が描かれました。大半は創作でしたが、時忠が参議となり、頼盛が太宰大弐となった事などは史実を踏襲されています。また、挿話的に描かれた以仁王については、八条院が美福門院と鳥羽院の娘である事、近衛帝の死後に正統後継者として女帝の候補に挙がった事、その正統を守る為に以仁王を猶子とした事、憲仁のために親王宣下を滋子が阻んだ事などは史実のとおりですね。

厳島神社の造営については、少し年月を遡っており、実際に造営の願い出をしたのは太政大臣を辞任した翌年の事でした。表向きは景弘が願い出た事になっており、藤原摂関家が横槍を入れたという事実は無い様です。ここには先日訪れたばかりなので、見ていて感慨深いものがありましたね。あの海に浮かぶ壮麗な社殿には、当時の人もさぞかし驚かされた事だろうと思います。

義経については、2005年の大河ドラマ「義経」の設定を踏襲したものと思われます。史実としては、義経が清盛を父として慕っていたという記録はなく、作者が前回のドラマを生かそうと考えたと想像されますね。まあ、話の流れとしては、清盛が義朝を親友と捉えていたという設定からは、無理の無いストーリーと言えなくもないですか。

忠度については、歌人として優れていた事が知られており、熊野で育った事も含めて、今回の設定に生かされていました。ドラマで詠った歌は、実際に忠度が詠ったものですね。武芸にも優れていたとも言いますが、あんなひげ面だったかは定かではありません。だぶん、ドラマ上の設定なのでしょう。ちなみに、重盛よりも六歳の年下になりますが、そういう雰囲気でもなかったですね。

清盛が夕日を招き戻したという逸話は、清盛紀行にもあった様に音戸の瀬戸の開削工事の時として伝えられます。それを清盛絶頂の宴の時としたのは、これもドラマの演出上の事なのでしょう。もしかしたら、工事の場面までは描かないのかも知れませんね。

ドラマとしては、とにかく清盛の大人物らしさが強調されて描かれていました。そして、その大度が実像を離れて恐れられ、誤解を与えて行くという過程も丁寧に描写されていたと思います。巧みに伏線を張るこのドラマらしい描き方ですね。

次回は病に倒れた清盛とその波紋が描かれる様です。白河院も再登場する様ですね。もののけの血という主題が再び繰り返されるのかな。どんな描き方をされるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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