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2012.08.24

夏の旅2012 ~萩 木戸孝允旧宅~

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木戸孝允は、天保4年6月26日に下呉服町の和田家の長男として生まれました。幼名は小五郎、生家は藩医の家柄でした。この旧宅は、その和田家の家なのですね。

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長男なのですからそのまま和田家を嗣ぎそうなものなのですが、生まれつき病弱であったため、和田家では姉に婿養子を娶って跡継ぎとしました。そして、小五郎は8歳の時に向かいの桂家に末期養子として出されます。ここで桂姓となり、桂小五郎と名乗る様になりました。

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しかし、桂家では養母までが亡くなったために、小五郎は和田家に引き取られ生母の下で過ごす事になります。ですので、この家が生家であると同時に育った家でもある訳ですね。

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和田家が藩医であったのに対し、桂家は150石の大組士という家柄でした。このため、小五郎は医者ではなく武士として身を立てていく事になります。そして、17歳の時に藩校の明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に師事し、その門下生となりました。松陰は小五郎を見て、「事をなすの才あり」と高く評価したと言われます。そして、小五郎もまた、生涯を通して松陰に対する門人の礼を取り続けました。

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藩医の家から出た小五郎は、より武士らしくあらんとして剣術修行に打ち込み、やがて藩内で頭角を現します。そしてそれが認められ、20歳の時に剣術修行のために江戸に出ます。この時に家を出るまで、ここで過ごしたのですね。

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その後の小五郎の活躍は、改めて書くまでもないでしょう。勤王の志士として波瀾万丈の生涯を送り、やがて維新の三傑と称される程の人物となって行くのです。

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木戸姓になったのは34歳の時で、藩命によるとされています。孝允と名乗ったのは37歳の時で、45歳で亡くなるまで木戸孝允として過ごします。ですので、この家も木戸孝允旧宅と呼ばれているのですね。私的には桂小五郎の方が馴染みやすいのだけどな。

この旧宅の周囲は旧い町並みが保存されており、風情のある場所ですよ。近くには青木周弼旧宅、円政寺などがあり、じっくりと歩いて回る事をお薦めします。

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