夏の旅 2012 ~厳島神社~
厳島神社は、1400年以上の歴史を持つとされる古社です。宗像三女神を祭神とし、海上の守り神として知られています。
海に向かってせり出すという特異な社殿を建造したのは平清盛で、自身の栄達に対する御礼と一門の更なる発展を祈願してのものでした。仁安3年(1168年)の事で、平家が絶頂期を迎えようとしている頃でした。
訪れた時は干潮でしたが、満潮になると社殿の廻りは潮で満たされ、まさしく海に浮かんだ姿となります。清盛の発想の奇抜さには、驚かされるばかりですね。
その象徴とも言える大鳥居は、地面に埋められているのではなく、自重で建っているですね。地盤は松材の杭と葺石で固められ、鳥居はその上に置かれているのですが、一番上の横木の中は空洞になっており、その中にお経を入れた小石が沢山入れられているのだそうです。その重さが7トンもあり、少々の波ではびくともしない仕掛けとなっているのですね。
清盛は、地方の一神社に過ぎなかった厳島神社を、都周辺にある古社と同列の地位にまで引き上げようとした様です。この壮麗な社殿も、そのための下準備だったのでしょうね。そして、後白河法皇や高倉天皇の行幸まで実現させたのですが、この事が当時の宗教界の反発を招き、平家の立場を悪くする一因ともなりました。
平家が滅亡した後も、厳島神社は源氏を初めとする時の権力者たちから尊崇を集め、繁栄を続けた様です。やはり海の守り神として、粗末に扱う事は憚かれたのでしょうね。しかし、戦国時代に入ると、次第に社運も衰えが見え始めました。
これを救ったのが毛利元就でした。彼は厳島の戦いで陶晴賢を破ると厳島をその支配下に置き、神社を保護したのだそうですね。豊臣秀吉もまた、九州征伐の折に立ち寄って、御堂を寄贈したと言われます。
こうして有力な保護者を得て発展を続けてきた厳島神社でしたが、江戸時代になると厳島詣が庶民の間に広まり、参拝者で賑わう様になります。しゃもじが土産物として考案されたのもこの頃の事ですね。
厳島神社は、その華麗な歴史を反映して国宝・重要文化財の宝庫で、20基の建造物、261点を数える美術工芸品が指定されています。そして、今は世界遺産にも登録されていますね。一社でこれほどの存在は、他に例を見ないのではないでしょうか。
一点異様に感じるのが、神社でありながら五重塔を有している事で、かなりの違和感があります。これは神仏混交の名残で、今は中の仏像は別の寺に保管されており、仏塔としての意味は持っていない様ですね。破壊をまぬがれたのはなぜだったのでしょう。もっとも、明治以前にはこんな景色が普通だったはずで、廃仏毀釈令の影響の大きさを改めて感じます。
予定ではこの後平和記念公園に行くつもりだったのですが、思っていた以上に厳島参拝に時間が掛かっため、広島市に寄る事は諦めて、宿に向かう事にしました。次は湯田温泉の記事をアップします。
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コメント
我家は娘の休みが合わなかったので無理でしたが
まさに私が行きたかったところばかりです!
なおくんの記事を楽しみに読ませてもらってます。
続きも楽しみ♪(*^_^*)
投稿: Milk | 2012.08.17 09:48
こちらへは広島に行くたびにお参りしておりました。
いつみても荘厳な神社だと思います。
干潮時、鳥居の下まで歩いてったり、焼き牡蠣食べたり。。
平家の庇護を受けたと聞いていましたが、その後も歴代の権力者から援助されていたのですね。
大変勉強になります。
投稿: まこ | 2012.08.17 20:47
Milkさん、
今年の旅は、平清盛に合わせてみました。
この厳島神社は特に行きたかったところで、思っていた以上に壮麗な神殿でしたよ。
山口は平家だけでなく、維新史の舞台でもあり、
テーマは二つとなりました。
ちょっと欲張りすぎたのですけどね、それだけに収穫も多かったです。
今月いっぱいかけてアップしますので、
よろければお付き合い下さい。
投稿: なおくん | 2012.08.17 21:01
まこさん、
この神社を訪れたのは初めてだったのですが、
思っていた以上に素敵な場所でした。
優れているのは平家納経ばかりではなかったのですね。
そう言えば、焼き牡蠣も売っていましたね。
そちらも食べてみればよかったかな。
神社の歴史は、私も今回調べて判ったのですが、
やはり保護者が居ないとここまで壮麗な神殿は維持出来なかったと思われます。
それはまた、それだけの価値があったという事なのでしょうね。
投稿: なおくん | 2012.08.17 21:07