平清盛 第28回 「友の子、友の妻」
(1159年(平治元年)12月、東国へ落ちる途上の義朝一行。父が髭斬の太刀を持っていない事に気付き、落としたのではないかと探しに引き返す頼朝。その内に、一人となってしまう頼朝。)
(後白河上皇を頼って仁和寺に現れた信頼と成親。彼等を優しく出迎える上皇。その上で、長恨歌を歌い出す上皇。これは聞いた事の無い歌だと信頼。これは家臣に裏切られ、国を滅ぼした皇帝の歌だと上皇。驚く信頼。自分はそうなりたくないと言って立ち上がる上皇。そこに現れ、信頼たちを捕らえる教盛。上皇様と叫び続けながら、引き立てられていく信頼。冷たく見送る上皇。)
(清盛の館。庭先に引き据えられている信頼たち。今度の始末は全権を任されていると宣言し、信頼と成親の罪をならす清盛。まず、成親に向かって、今度だけは許す、次は身内でも許さないと恫喝する清盛。叩頭する成親。私も助けて欲しいと立ち上がる信頼。信西の座に取って代わろうとして謀反を起こした者を生かしておいては、信西の霊も浮かばれないと冷たく言い放つ清盛。うなだれて、おもしろうないのうとつぶやく信頼。志の無い者の一生が面白くないのは道理だと一喝する清盛。その上で、六条河原で斬首すると断を下します。呆然と清盛を見上げる信頼。)
(引き続き、義朝の行方を追えと命ずる清盛。)
(美濃国、青墓。傷が悪化し、苦しむ朝長。励ます義朝。もうここから動けない、敵の手に掛かるくらいならと言って、短刀で自害した朝長。悲しむ義朝。)
(自分は北国へ行く、義朝には東国に行って手勢を率いて上洛をして欲しい、そうすれば平氏を滅ぼす事が出来ると義平。義平を見送る義朝。しかし、後に平氏に捕らわれて斬首となった義平。)
(平治2年1月4日、尾張国。長田忠致を頼った義朝と正清。力強く、暫くここに止まって兵を集められよ、自分も加勢すると言う忠致。かたじけないと正清。風呂の支度が出来ているので、ゆっくりと寛いで欲しいと忠致。)
(忠致を見送った後、落ちる時は諸共と言った事を覚えているかと正清に問う義朝。何の事かと正清。源氏はこれまでだ、忠致は既に裏切っている、この館の者は自分たちの命を狙っていると言って庭を見る義朝。庭にちらつく怪しい人影。諦めては行けないと駈け寄る正清。自分は木に登る手順を間違えたと義朝。殿、と言葉にならない正清。もう木登りは終わりだと義朝。)
(そこに、風呂の支度が出来た、太刀を預かると帰って来る忠致。二人で見つめ合い、やにわに庭に飛び出す義朝と正清。そこかしこから現れた忠致の家人たち。太刀を抜いて、彼らと対峙する義朝と正清。そして、二人で目を合わせると、俄に太刀を構えて二人で差し違えます。驚く忠致と家人たち。義朝の脳裏に浮かんだ、次は負けぬからなと叫ぶ清盛。庭に倒れる義朝と正清。)
(清盛の館。義朝と正清が尾張国で自害したと伝える忠清。ついに源氏がと歓声を上げる基盛、教盛たち。これで名実共に武士の頂きに立ったと教盛。頼朝はどうなったと問う清盛。途中ではぐれた模様と忠清。きっと見つけ出せ、頼朝を処分しなければこの戦は終わらないと言って立ち去る清盛。)
(廊下で立ち止まり、目を閉じる清盛。それを見ている時子。)
(年号が改まり、永曆元年2月。とある小屋で捕縛された頼朝。)
(清盛の館。庭先に控える頼朝。清盛と二度目の対面をする頼朝に、その後の父や兄の事は知っているのかと問う清盛。聞かせて欲しいと頼朝。朝長は義朝が手を掛け、義平は斬首となったと告げる清盛。そして、立ち上がって頼朝に近付き、義朝は忠致の背信に気付いて正清と共に自害したと伝える清盛。泣き崩れる頼朝。冷たく彼を見下ろし、下がらせよと命ずる清盛。引き立てられていく頼朝。)
(14の若者、無理もないと盛国。義平と同じく斬首かと基盛。仕方がないと時忠。では叔父上が斬るかと基盛。それは困ると時忠。斬らなければ勅命に逆らうのと同じと忠清。どうするつもりかと父に問う重盛。自分の覚悟は忠正を斬った時から決まっている、新しい国作りを邪魔する者は、友の子であっても許さないと清盛。)
(夜、木を削る頼朝。そこに現れ、内裏での戦いは自分の初陣だった、満足に戦えなくても是非の無い事と言い出す宗盛。宗盛を見て、戦の日の事を思い出す頼朝。今思い出したのかと宗盛。申し訳ない、あれは自分にとっても初陣だったのだと頼朝。勝ち誇ったつもりなのか、そなたなど賊の子だと宗盛。黙ってうなだれている頼朝。)
(そこに現れ、宗盛をたしなめる池禅尼。禅尼に謝り、頼朝を睨んで立ち去る宗盛。頼朝の前に座る禅尼。頭を下げる頼朝。その檜と小刀を所望したそうなと問う禅尼。はいと頼朝。何とすると禅尼。父と母と兄たちに、せめて卒塔婆の一本でも作って供養としたいのだ、命のある内にと頼朝。命の、と禅尼。源氏は逆賊、自分は棟梁の子、助かるとは思っていないと頼朝。助かりたいとは思わないのかと禅尼。どんな時も源氏の誇りを持てと母に教えられた、どんな沙汰も受け入れる事が母の思いに応える事だと思うと頼朝。頼朝をじっと見つめる禅尼。)
(粗末な小屋の中で、生まれたての牛若を抱く常磐。そこに現れたのは、食べ物を持ってきた鬼若。そして、常磐に向かって、赤子を抱かせてくれと頼みます。そして、牛若の顔をのぞき込み、良い面構えだ、良い源氏の武者となるだろうと鬼若。そして、牛若を抱きながら、父の手に抱かれる事もない不憫な子だと涙ぐみます。)
(牛若を鬼若から受け取り、これから六波羅に行くと言い出す常磐。何だとと驚く鬼若。そなたに助けられた故に、無事に牛若を産む事が出来た、それ故に何としても乙若、今若、牛若の三人を命を守りたいのだと常磐。清盛は、今度の戦に係わった者をすべて断罪したと聞く、今六波羅に下ってはどんな目に遭うか判ったものではないと反対する鬼若。自分は清盛の慈悲に賭けてみたいと常磐。忌々しげに、飛び出していく鬼若。)
(清盛の館。清盛を訪ねてきた池禅尼。彼女の用件とは、頼朝の命を助けて欲しいという事でした。何故と清盛。頼朝は家盛に似ているのだと禅尼。似ても似つかないと清盛。父思い、母思い、兄思いのところが似ていると禅尼。その頼朝が斬られる事は、家盛が二度命を落とす様な心地がすると禅尼。自分は平氏の棟梁として情に流される訳には行かないのだと清盛。じっと清盛を見る禅尼。)
(翌日。清盛に慈悲をと願う頼盛。それを無視する清盛。何事ですかと重盛。禅尼が一切の食事を摂らないのだと忠清。食事だけでなく、水も湯もだと頼盛。頼朝を斬るなら、自分も飢え死にするそうだと清盛。飢え死に?と驚く一同。断食など3日と持つまいと楽観的な清盛。2日と持たない、いや1日も持たないと口々に言う郎党たち。止さぬかと叫ぶ頼盛。)
(そこに客人として案内されてきた、師光改め西光。彼の用件とは、頼朝の首を刎ねて欲しいという事でした。頼朝を生かしておいたのでは、信西の霊が浮かばれないと西光。言われるまでもないと清盛。)
(念仏を唱える禅尼。そこに白湯を持って現れ、無理をしなくても禅尼の思いは清盛に伝わっていると家貞。そなたには敵わないと禅尼。頼朝を見ていると家盛を思い出すというのは本当だ、しかしそれ以上に痛々しいのは清盛、健気な若者の命を奪いたいはずはないと禅尼。後は清盛が決める事、自分たち年よりの出る幕ではないと家貞。そなたと一緒にするなと言って、白湯を飲む禅尼。あっと驚く家貞。あっと気が付く禅尼。笑いを堪える家貞。顔を顰めて、口に人差し指を当てる禅尼。)
(清盛の館。庭に控える常磐、今若、乙若。常磐に抱かれている牛若。立場を知らない訳でもないのに、なぜ自ら来たのかと問う清盛。自分はどうなっても構わない、この子たちの命だけは何とぞと頭を下げる常磐。その乳飲み子はと問う清盛。暮れに生まれたばかりの牛若と答える常磐。暮れにと絶句する清盛。そして、追って沙汰すると言って常磐達を下がらせます。一礼して立ち去る常磐。)
(噂以上に美しい女だと忠清。側女にするのだろうと時忠。側女になどしないと清盛。何故と教盛。母が怖いのかと基盛。彼をたしなめる重盛。立ち上がり、そうだと言って笑う清盛。)
(廊下。清盛の前に現れて、自分のせいにするとは酷いと怒る時子。自分は構わないから、あの女を側女にせよ、妻の悋気で威厳を増す事を阻んでいると思われては堪らないと時子。そうではない、落ち着けと清盛。ではなぜと時子。常磐は義朝が心の支えとしていた女、それをどうして側女に出来ると清盛。やはりそれが本心だったかと時子。自分を騙したのかと清盛。義朝は敵である前に掛け替えのない友、その上で裁断すれば良いのではないのかと時子。無言で目を逸らす清盛。)
(庭先に控える頼朝。広間の上座に着く清盛。そなたに沙汰を下さなければならない、しかしその前にと清盛。布を被した物を運んでくる盛国。それは髭切の太刀でした。驚く頼朝。義朝と一騎打ちになった時、義朝が残していったものだと清盛。涙ぐむ頼朝。そして、早く殺してくれと口走ります。義朝は真の武士だった、財力にものを言わせて朝廷に取り入る平氏のやり方が許せず、太刀の力を信じて兵を挙げた、その父が平氏の棟梁の前に髭切の太刀を置いていくとは、背を見せて去ったとは、そんな弱々しい背を見たくないと頼朝。真の武士がまやかしの武士に負けた、そんな世の行く末を見たくないと頼朝。黙って立ち上がる清盛。その髭切で早く首を切ってくれと迫る頼朝。)
(髭切の太刀を手にして、頼朝の前に立つ清盛。そして、太刀で頼朝を殴りつけます。その頼朝の姿は、清盛には義朝に見えていました。お前はそれで気が済むだろう、一心に太刀を振るい、武士として生き、武士として死んだと思っているのだろうと義朝に語りかける清盛。だが自分はどうなる、お前が居ない世で武士が頂きとなる世を切り開いて行かなければならないのだ、それがどんなに苦しい事、空しい事か判るかと清盛。だが、自分は乗り越える、乗り越えてこその武士だ。醜い事にまみれようとも、必ずこの世の頂きに立つ、途中で降りたお前が見る事のなかった景色をこの目で見てやる、その時こそ源氏が平氏に負けたと思い知れと叫ぶ清盛。あの詰まらぬ戦を起こした自分の愚かさ知れ、俺はお前を断じて許さないと言って太刀を抜き、その太刀を地面に突き刺す清盛。驚いて清盛を見る頼朝。誰が殺してなどやるものか、真の武士はいかなるものか見せてやると言って太刀から手を離し、頼朝を流罪に処すと宣言する清盛。そして、遠く伊豆から平氏の繁栄を指をくわえて眺めていろと言って立ち去ります。呆然と清盛を見送る頼朝。同時にその背に義朝の志を負っている事も知りました。)
(牛若を寝かしつける常磐。そこに現れた清盛。ひれ伏す常磐。じっと牛若を見る清盛。座り直す常磐。丁度これくらいの時だったのだろう、自分の母は自分を助ける為に死んだと清盛。そして、常磐に向かって、子供達を助けるためには、自分がどうなっても良いと言ったなと確かめる清盛。はいと答える常磐。常磐の肩を抱いて、死ぬ事は許さない、母ならば生きて子を守れと清盛。常磐を押し倒す清盛。元よりその覚悟、常磐は義朝の妻と常磐。さようかと清盛。)
(母と共に都に住む事を許された牛若。)
(髭斬の太刀を木箱に収める頼朝。出立の刻限だと告げる基盛。そこに現れ、禅尼から伊豆に供するようにと命じられたと言う藤九郎。さようかと驚く頼朝。さっそく、頼朝の荷物を持って駆け出す藤九郎。では、と促す基盛。立ち上がる頼朝。)
(武士として初めて公卿となった清盛。)
今回は平治の乱の戦後処理として、信頼たちと頼朝、常磐のその後が描かれました。史実において、信頼が乱の首謀者として斬首されたのはドラマにあったとおりで、保元の乱の時と違い、死罪が武士だけでなく公家にまで適用された事で衝撃が走ったと言われます。一方の成親は重盛の義兄という事で許され、解官されただけに止まっています。このあたり平氏は身内に甘いという気もしますが、ドラマの中で二度目は無いと言われたこの人が、後に同じ事をやってしまうのが公家らしくて懲りないところと言うべきなのでしょうか。
一方、頼朝の助命を池禅尼が求めた事は平治物語にあるとおりで、その理由はドラマにもあった様に家盛に似ているからという事でした。また、これもドラマにあった様に、頼朝が亡き一族のために卒塔婆を作った事も、禅尼らの心証を良くした様ですね。清盛にとっては禅尼は義母とは言え目上の存在であり、その発言を無視出来なかったのだろうと言われています。
事実としては、禅尼が頼朝に心を動かされたと言うよりも、頼朝が仕えていた上西門院の周辺から救いの手が差し伸べられた結果である様ですが、義朝は謀反に加担したとはいえ首謀者ではなく、信頼に命じられたままに動いたに過ぎなかったという事情もあった様です。王家を二分した保元の乱とは違って、今回は信西と信頼という臣下同士の争いであり、それに加担した武士に対する処分も、保元の乱ほど苛烈にする必然性は無かったのではないかとも言われます。
また、常磐は、乱の後一度は清水寺に逃げ込み、その後大和の宇陀にまで落ち延びたと言われます。ドラマで後の弁慶である鬼若が助けたというのは創作ですね。しかし、都で母が自分達の行方を巡って責め苦を受けていると知り、それを助けるべく六波羅に現れたとされています。六波羅では清盛に慈悲を乞い、清盛の側女となる代わりに子供達の命が助けられたと言われますが、それが事実かどうかは定かではないようです。少なくとも、嫡子の頼朝を助けた以上、それ以下の子供達を処刑する理由などなく、常磐の身の処し方とは関係なしに牛若達の助命は決められたものと考えられています。
ドラマに戻って、清盛にとっては義朝は掛け替えのない友なのでした。その友の子や妻を殺す事は、清盛にはどうしても出来ない事だったのですね。禅尼もまた、その清盛の心を知っていて一芝居を打ったのでした。このあたりのお互いの思いやり方が、如何にもこのドラマにおける平家らしいと言えるでしょうか。その甘さが平家の命取りとなるというのが既定の路線となるのかな。
清盛にとっては、頼朝は義朝その人に見えたのでした。頼朝にぶつけた思いの丈は、義朝に対する悔恨の情でもあったのでしょうね。甘いと言えば甘いけれど、ライバル物語としては良くできた場面ではありました。
それにしても、伏線の使い方は相変わらず巧みで、まず信頼の「面白くないのう」という決まり文句は、最後に清盛が罵倒するために使われていたのですね。きっと何か狙いがあるのだろうと思っていましたが、なるほどこう来たかという感じです。
次に、赤子を抱いた清盛の母と常磐の姿が見事にオーバーラップしていました。清盛の母をああいう形で死なせたのは、常磐の姿を重ねたいという狙いもあったのですね。ついでに言えば、清盛と牛若の立場も重なるものがあります。白河院が築いた世を壊した清盛が、自分が助けた赤子によって倒されるという因縁が込められているのでしょうか。
また、髭斬の太刀を前回義朝が残していった訳は、二度に渡って清盛が義朝を救う為でした。二度目は頼朝だった訳ですが、清盛にしてみれば義朝の分身ですよね。そして髭斬の太刀は清盛の思いと共に頼朝に受け継がれていく訳ですが、繰り返しナレーションされている様に、確かに清盛の誰よりも武士でありたいという思いは頼朝に伝わっていたのでした。なぜ頼朝が敵であるはずの清盛を誰よりも理解していたかという謎の答えがここにあります。
次回は公卿となった清盛と、時子の妹の滋子との関わりが描かれるようです。滋子はちょっとした変わり者として描かれる様で、そのあたりが見所となるようですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。
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