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2012.07.29

平清盛 第30回 「平家納経」

(讃岐。)

(いつしかと 荻の葉むけの片よりに そそや秋とぞ 風も聞こゆる)

(一人端座し、歌を口ずさむ崇徳上皇。そこに現れた土地の者。美味しそうな野菜を示して、これで夕餉を作ると言います。それを聞き、ここに流されて良かった、無益な戦を起こして愚かであったとつぶやく上皇。)

(院の御所。滋子との間に生まれた憲仁親王を抱き、ご機嫌な様子の後白河院。その様子を見て、嬉しそうな滋子と朝子。)

(清盛の館。まだ戻らぬのかとなにやら苛立った様子の清盛。そこに帰って来た兔丸。その手下が運んで来た宋の国の椅子をはじめとする品々を見て、これを待っていたと清盛。それは憲仁親王誕生の祝いの献上品でした。)

(兔丸たちを労いつつ、その一方で遅いと叱りつける清盛。後白河上皇の機嫌が変わるのを恐れての事でしたが、博多まで行ってきた兔丸達は収まりません。文句があるなら博多を都の隣に持ってこいと口々に言う兔丸と手下たち。減らず口をききおってとやりこめられる清盛。早く行かないとと急かす重盛。)

(幼い弟に、弓の稽古をさせている基盛。その姿を見て、早く着替えよと重盛。自分は御所は窮屈だから結構だと基盛。平家の男子がそれでどうすると重盛。弟たちの世話をするのが性分に合っていると基盛。もう良いと捨て置く清盛。宗盛と知盛に何時までも基盛を頼っているのではないと言い捨てて立ち去る重盛。)

(向こうに唐果物があるぞと宗盛たちをさそう時忠。その言葉に誘われて行く宗盛達。彼らを見送った後、基盛を掴まえる時忠。そこに現れた教盛。彼もまた時忠に呼ばれてき来たのでした。良い事を思いついたのだと話し出す時忠。いきなり断ると立ち去ろうとする教盛。なぜだと時忠。そなたの良い事とはろくな事が無いのだと教盛。まあ聞けと引き止める時忠。)

(基盛と教盛相手に、憲仁を次の天皇、つまり東宮にしてもらうのだと相談を持ち掛ける時忠。何を言い出すとあきれる基盛と教盛。滋子は自分の妹、そうなれば平家はますます世に煌めくと時忠。どうするのだと教盛。まずは成親を頼ると時忠。)

(二条帝に呼ばれ、時忠たちの憲仁擁立について問い詰められた清盛。何も知らずに居て慌てた清盛ですが、改めて二条帝への忠誠を誓います。)

(清盛の館。時忠、基盛、教盛を前に、叱りつける清盛。詫び入る3人。ただちに官職を辞退せよと命ずる清盛。それはあまりに厳しすぎるととりなす頼盛と重盛。それ以外に帝の信用を取り戻す手だてがあるかと清盛。言葉のでない一同。流罪にならないだけ有り難いと思えと言い捨てて立ち去る清盛。)

(庭に一人立つ清盛。そこに現れ、申し訳ございませんと頭を下げる基盛。お前は私の若い頃に良く似ている、出来の良い兄弟が居るとそれに甘えて、自分の好き勝手にしたくなるものだと清盛。そして、お前にも役目があって平家の男子として生まれてきたのだ、重盛と同じく誇らしい我が子だと言って基盛の肩に手を置く清盛。その様子を物陰から見ている重盛。その言葉を肝に銘じて、一層勤めますと笑顔になる基盛。)

(讃岐。写経を書き終えた崇徳上皇。そして新たに和歌を一首認めます。)

(浜千鳥 跡は都へかよへども 身は松山に 音をのみぞなく)

(院の御所。憲仁親王を膝に抱いた後白河上皇に、崇徳上皇から送られてきた写経を示し、保元の乱で命を落とした者達の供養をし、自分の所行を悔い改めたいとの事と崇徳上皇の意向を伝える成親。写経を見ながら、あれほど自分を恨みながら流された者が悔い改めるとは信じがたい、何かの呪詛ではないかと後白河上皇。まさかと成親。気味が悪い、送り返せと後白河上皇。無邪気に手を振って、写経を破いてしまう憲仁。)

(清盛の館。紫宸殿の造営が成り、その落成式の準備に余念がない基盛。精が出るなと清盛。財をなげうって紫宸殿を造営するとは、帝も大層喜んでいると時子。これから法要の手配に高野山に行くと基盛。)

(讃岐。破かれた上、送り返されてきた写経を見て、身体を震わせている崇徳上皇。そこにもたらされた、重仁親王が亡くなったという知らせ。文を読み、何故じゃと惑乱する崇徳上皇。我が深き罪に行わるるに 愁鬱浅からず 日本国の大魔王となりて 王を民に引き降ろし 民をば皇になし上げん。呪いの言葉を吐き、血の涙を流す崇徳上皇。そして舌を噛み、口から血があふれ出ます。)

(清盛の館。白装束を着せられて横たわっている基盛。周囲に座っている清盛以下の一門。どうなさったのですかと基盛の身体を揺らす清五郎。馬の達者な基盛が、川を渡ろうとして溺れるなど考えられないと嘆く忠清。清五郎に、基盛は十万億土に旅立ったのだと盛国。時子の膝で泣き崩れる清五郎。そこに現れ、堪えずとも良い、今はただ父として悲しんでやれと池禅尼。基盛を抱いて泣き叫ぶ清盛。嘆き悲しむ一門。)

(基盛のために経を上げる西行。礼を言う時子。基盛が宇治川を渡ろうとしていた刻限に、高野山で怨念の固まりの様なものが空を行くのを見たと西行。そして、それは讃岐の方角から現れたと西行。何が言いたいのかと清盛。自分が見たものは、讃岐の院の怨念だったのではないかと西行。怨念?と宗盛。清盛は戦で亡くなった人々の志を背負って生きている、それは怨念をも引き受けるという事だろうと西行。)

(讃岐。日本国の大魔王となりて 王を民に引き降ろし 民をば皇になし上げん と言いながら、血まみれになってのたうち回っている崇徳上皇。)

(清盛の館。基実と共に清盛を訪ねてきた忠通。忠通は摂関家の故事や衣食住の作法について書かれた書物を示し、基実を清盛の娘婿にしてくれないかと切り出します。驚いて基実を見る清盛。摂関家が武家の力を頼みにしなければ生き残れないとは、世も移ろったものだと忠通。散々蔑んできた武家に頭を下げるなど父と弟は許さないかもしれないが、こうして摂関家を守る事が自分の誇りだと忠通。わずかにうなずく清盛。)

(長寛2年2月19日、忠通逝去。)

(一門を前に、厳島に教典を奉納すると宣言する清盛。それは讃岐の院の怨霊を恐れての事ですかと貞能。そうではなく、一門の繁栄を祈願するためだと清盛。基盛もそれを望んでいたと盛国。しかし、一門の繁栄は多くの犠牲の上に立つもの、これまでに命を落とした者の冥福も祈りたいと清盛。)

(教典作りに励む一門。教典は33巻とする、これは観世音菩薩が33の姿に変えて人々を救った事にちなむ、一人一巻ずつ書写せよと命ずる清盛。経の見返しには絵を入れ、自分たちの願いを絵で表す、あたうる限り清らかに、格調高く設えよ、古今東西に類を見ない、平家ならではの教典とするのだと清盛。)

(讃岐。血まみれになりながら、呪文を唱えている崇徳上皇。その表情は、まさしく鬼でした。)

(清盛の館。教典を厳島に運ぶ準備をしている時忠。そこに現れた検非違使の使い。時忠に帝を呪詛としたという嫌疑が掛けられているのでした。そんな事はしていないと否定する時忠。しかし、確かな証拠も無いままに、出雲に流罪となった時忠。)

(出雲への旅の途上、福原に立ち寄った清盛。そこは盛国が幼い時に過ごした大輪田の海の近くでした。なつかしいなと清盛。その背後で、何故出雲になど流罪にと嘆いている時忠。まだ言っているのかと清盛。これも讃岐の院の仕業だと時忠。つまらない事を言うな、いずれ連れ戻してやるから、暫くおとなしくしていろと清盛。ここから一人で出雲に向かう時忠。)

(讃岐。呪詛を続けている崇徳上皇。)

(清盛の館。完成した教典を見る清盛。それは平家の財を傾け、一国の技芸の粋を凝らして作り上げた平家納経でした。一門を前に、良き日を選んで厳島に納めに行くと宣言する清盛。)

(瀬戸内の海を行く平家の船。そこには平家一門の他に西行の姿もありました。順調だった航海の向こうに、俄に黒い雲が現れます。)

(轟く雷鳴。)

(荒ら屋と化した讃岐の御所で、呪詛の言葉を吐きながらのたうち回る崇徳上皇。爪は伸び放題に伸び、目には狂気を宿した、まさしく怨霊の姿でした。)

(荒れる海。必死で船を操る人々。船内にまで流れ込む海水。翻弄される平家一門。祈り続ける西行。これも讃岐の院の怨念かと郎党。詰まらぬ事を言うなと清盛。教典を海に放り込めば、院の怨念もむ収まるはずと頼盛。たわけた事を言うなと清盛。今は皆の命が大事、一か八かの賭けに出てはと重盛。ならぬと清盛。これは平家だけのものではない、王家、摂関家、源氏、すべての人々の魂が込められている、讃岐の院の魂もだ、これを捨てれば全てを捨てる事になると清盛。船が沈めば同じ事だと重盛。この船に誰が乗っていると思うと言って、船上に登っていく清盛。)

(船上で兔丸とその郎党、そして盛国を鱸丸と呼び、お前達が頼りだと励ます清盛。無事に厳島まで進むのだと清盛。勝手な事を言って、でも嫌いではないでと兔丸。高笑いする清盛。一層励む兔丸達。)

(そこに響く崇徳上皇の呪詛の声。読経に励む西行。懸命に船を操る兔丸たち。呪詛を続ける崇徳上皇。教典を守り、南無観世音菩薩と唱え続ける清盛。)

(朝。朝日に包まれた崇徳上皇。怨霊の姿で、朝日に向かって這い進む上皇。どこからともなく聞こえてくる子供達が遊ぶ声。朝日を見ながら、穏やかな表情に戻って行く上皇。その耳に聞こえてくる「遊びをせんとや」の今様。そのまま息を引き取った上皇。)

(嵐の収まった船上。力尽きて倒れ込んでいる兔丸達。笑顔で現れた清盛。一礼する盛国。うなずく清盛。清盛を見る西行。舳先に立ち、海を見つめる清盛。)

(厳島。教典を運び込む一門。よくぞご無事でと清盛を出迎える景弘。死ぬかと思ったと笑う清盛。そこに運ばれてきた、気を失っている兔丸。それを見て狼狽える桃李。桃李にゆすられて目を覚ます兔丸。済みませぬと涙ぐむ桃李。桃李と叫びながら彼女を抱きしめる兔丸。笑い声を上げる一門。)

(社で教典を奉納する清盛と一門。)

(頭を下げながら、兔丸が言った、文句があるなら博多を都の隣に持ってこいという言葉と、福原を思い出す清盛。そして不意に笑いだし、兔丸に博多を都の隣に持ってくるぞと告げる清盛。驚く兔丸。不敵に笑う清盛。訝る一門。)

今回は、平家納経と怨霊と化した崇徳上皇を絡めた物語が描かれました。本来、平家納経と崇徳院は関係が無いのですが、ここでは両者を絡める事で物語性を高めているのですね。

平家納経の願文に拠れば、厳島神社の神助によって一門が繁栄した事に対する報恩の意味で発願したもので、今後のさらなる信心と社殿の造営を誓い、極楽往生を願うと共に、国家鎮護をも願うというものでした。この写経をしたのは清盛を初めとする一門郎党の32人で、当時の技巧の粋を集めた豪華絢爛たる巻物です。実物も先日の特別展で拝見しましたが、国宝に相応しい素晴らしい経巻ですね。平家の全盛期と呼ぶにはまだ少し早いのですが、清盛は参議にして中納言、知行国は8カ国に及び、権勢は並び無きものになろうとしていました。ただし、朝廷の実権を完全に握っていたという訳ではなく、天皇の権威はまだ絶対であり、その臣下として頂点を極めつつあったという段階でした。

時忠や基盛、それに教盛らが憲仁親王を立太子させようと画策して二条天皇の逆鱗に触れた事は史実にあるとおりで、彼らは天皇の命によって解官されています。これに清盛が逆らえなかったのは、二条帝近臣である清盛の力が、天皇の意向を覆す程ではなかった事を示しています。ドラマでは触れられていませんが、成親もまた、この時に解官させられています。

その後、時忠には呪詛の疑いが掛けられ、流罪の憂き目に遭っているのも史実にあるとおりで、この時は彼に限らず後白河帝の近臣の多くが処罰されています。つまりは上皇派と天皇派による暗闘の結果であり、敗れた後白河派は力を失い、政治の表舞台からの撤退を余儀なくされてしまいます。

一方の崇徳院ですが、心血を注いだ写経が送り返されてしまい、怒り心頭に発した結果、怨霊と化してしまった事は有名ですね。ドラマでは鬼気迫る演出がなされていましたが、事実もあのとおりであったと言われています。ただし、基盛が亡くなったのは崇徳院の怨霊のせいではなく、頼長の怨霊のせいで溺死させられたと言われており、このあたりはドラマによってすり替えられていますね。史実としては、基盛は溺死ではなく病死したのだろうとされています。享年24歳でしたから、随分と早死にしてしまったものですね。

ドラマでは崇徳院の最後は穏やかなものとなっていましたが、伝説に拠ればその死後も怨霊であり続けました。その遺体を焼いた煙は都の方に流れて行ったと言い、後に世情が不安になると、後白河帝の近親者が相次いで亡くなり、極めつけは清盛が熱病で苦しみながら死んだのは崇徳院の怨霊のせいだと言われる様になります。その後も様々にその霊を慰めようと試みられますが上手く行かず、幕末に至ってもなお白峰神宮が建立されるという、史上最大最強の怨霊として恐れ続けられる事になります。

その直接の原因は後白河院が崇徳院が記した写経を、呪詛が込められているからと送り返した事にあり、実の弟である後白河院の狭量さが後の災いを招いたとも言えますね。このあたりにも、治天の君の器にあらずと言われた人らしさが現れていると言えましょうか。

西行については、ドラマでは清盛一行に同行した事になっていましたが、そんな事実は無く、清盛紀行にあった様に、崇徳院の死後にその地を訪れ、暫く留まってその霊を慰めたと言われています。ただし、生前に訪れたという事実も無く、そのあたりは処罰を恐れての事だとか、あるいは流罪は崇徳院の自業自得だと割り切っていたのだとか言われますが、定かではありません。いずれにしても、ドラマの西行は、崇徳院に少し冷たい様な気がしますね。

なお、基実が清盛の娘婿となったのは史実にあるとおりですが、それは忠通の死後の事であり、忠通が清盛に頭を下げて頼んだという事実は無いと思われます。その娘は前回に出て来た盛子の事で、わかずか9歳の幼子でした。この事から明かな政略結婚であり、結果として平家に大きな果実をもたらす事になります。

次回からは第3部が始まるのですね。いよいよ平家の栄華が頂点に達し、その反動として源氏の力が甦ってくるという展開になるのでしょうか。私としては、頼朝を初めとする源氏の人々がどう描かれるのかに興味がありますね。どんな展開として描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

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コメント

夕べは大河公式ツイッターに井浦さん生出演でした。
日付替わる近くまで大変な宴になってましたよ。

今回はとても見ごたえありました~~。見終って力尽きました(笑)

平家納経、撮影用のレプリカでもその美しさが想像できますね。
実物見ておけばよかったな…
崇徳院の怨念と絡めた演出は物語的に良かったと私も思います。
西行は冷たかったですかね(^^;)
でも、すべての犠牲者の魂を弔いたいという清盛や西行の念仏が届いて
崇徳さんは怨念から解放されて我に返り穏やかに崩御できたのじゃないかな。
死後も怨霊として祟り続ける形をとらなかったことからは、
崇徳さんに対するプロデューサーや井浦さんの思いが伝わってきました。

井浦崇徳さんほんとに素晴らしかったなぁ。
儚げな表情と気品ある容姿や物腰がまさしく崇徳院そのものというかんじだし、
崇徳という人物への思い入れの深さと演技への熱の込め方には敬服しました。

NHK高松局のサイトもすごいことになっていますよ。
どんだけ崇徳さん推しなんだってかんじで、ファンには垂涎モノです。

そして、改めて後白河はあんぽんたんでした。好きだけど(笑)

投稿: まきぼう | 2012.07.30 15:07

まきぼうさん、崇徳院の生霊は迫力がありましたね。
話に聞く姿そのもので、怨霊とはかくあるものかと思いましたよ。

なるほど、西行にはそういう見方もあるのですね。
でも、怨霊を感じたのなら清盛の所ではなく、
崇徳院の所に行くべきではないかと思ったのです。
史実には無い設定ですけどね。
でもまあ、ドラマでは怨霊としてではなく、元の穏やかな人として死ねたのだから、
良しとしておくのでしょう。

高松局のサイトは見ました。なるほど、力が入ってますね。
これだけ崇徳院にスポットを当てたサイトは初めてじゃないのかな。
怨霊と恐れられた崇徳院も、これだけ持ち上げられれば、
あの世で満足しているかも知れないですね。

平家納経はですね、本当に素晴らしかったですよ。
見事な工芸品で、清盛の字もとても几帳面で、綺麗なものでした。
ただ、なぜか途中から頼盛に代わっているのですけどね。
厳島神社に行けば見られるはずですから、
機会があればぜひご覧になって下さい。

最後に後白河帝は、どうしようもなかったですね。
子煩悩なのは許せるとしても、あんなに仲の良かった兄を、
鬼にしてしまったのですからね。
後で後悔して供養に励んだ訳ですが、
ほんの少しでも思いやりがあれば良かったのと思わずには居られません。
清盛が実権を握らせたくなかった訳が判る様な気がします。

投稿: なおくん | 2012.07.30 22:41

先週は女子会で見れなくて本日再放送見ました。

崇徳院すさまじかったですね~!
残されている怨霊の絵にそっくりで見入っちゃいました。

やっと話も動いてきてますます楽しみですσ(^o^)

投稿: Milk | 2012.08.04 14:24

Milkさん、

あの崇徳院は、これまでのドラマの中でも秀逸の出来だったと思います。
凄い迫力でしたよね。

前半の誰が主人公か判らない状態から、やっとドラマの芯が見えてきました。
第3部は源氏が前面に出て来るのかな。
平家主役のドラマで、義経や弁慶をどう描くのか、
楽しみにしているところです。

投稿: なおくん | 2012.08.04 21:19

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