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2012.07.01

平清盛 第26回 「平治の乱」

(1159年(平治元年)12月9日、京、三条殿。松明を持ってうごめく軍勢。)

(長恨歌の絵巻を女房たちに見せる後白河上皇。それはまさに謀反が起き、城が戦火に包まれる場面でした。そこに現れた信頼。彼は軍勢が攻め寄せてくる事を告げ、すぐに車に乗って避難する様に薦めます。訝りながらも立ち上がる上皇。)

(上西門院を案内する正清。どこに行くのかと不安げな女院。ここは危ない、内裏ならば安全だと正清。御簾の陰で、それを聞いている朝子。)

(三条殿門前。義朝に上皇と女院を一本御書所に移したと報告する家人。義朝の号令の下、一斉に放たれる火矢。乱入する兵士達。手当たり次第に御所の中の人々を斬っていく義朝たち。信西が化けているかもしれないというのがその理由でした。とまどいながらも、同行している頼政。逃げまどう女房たちに、容赦なく浴びせられる矢。狙いは信西の首だと叫ぶ義朝。)

(一本御書所。寝ころんで長恨歌を読んでいる上皇。そこに入ってきた上西門院。彼女に向かって、どうやら幽閉された様だと告げる上皇。手荒な真似はしないと言って扉を閉める正清。誰がこんな事をと座り込む女院。平然と長恨歌を読み続ける上皇。)

(内裏、黒戸御所。幽閉された二条帝。何事が起きているのかと不安を隠せない帝。)

(内裏をしずしずと歩く信頼、経宗、惟方、成親たち。)

(清盛の館。必死に門を叩く朝子。)

(応対する時子に、俄に源氏の軍勢が三条殿と自分の夫、信西の館を襲い、帝、上皇、女院を連れ去ったと訴える朝子。盛国に知らせよと侍女に命ずる時子。夫はすぐに気付いて逃げたはず、しかし、追手が掛かっている、夫を助けてくれる様、清盛にと這い蹲る朝子。早馬を出せと命ずる時子。)

(早馬で駆ける忠清。)

(紀伊、切目。熊野詣の途上にある清盛の下に忠清が駆けつけます。三条殿が夜討ちに遭い、上皇、帝、女院が幽閉されたと告げる忠清。誰がそんな事をと清盛。信頼と義朝の謀反だと忠清。さらに信西の館も焼かれたと聞き、信西は無事かと色めき立つ清盛。信西は逃げた、しかし、義朝は追手を出していると忠清。)

(義朝が謀反とは俄には信じられない様子の清盛。そう奇怪な事ではないと思うと重盛。重盛を見る清盛。父を殺され、その後も低い扱いしか受けずに飼い殺しの様な目に遭っている、殺したいと憎むのも無理はないと重盛。義朝だけでなく、朝廷でも憎まれているのだろう、どこを向いても敵だらけだと家貞。何と浅はかな事をした、信西は武士の世を作るのに欠かせない男、自分がもう少し昇るまでなぜ待てなかったと、京の義朝に向かって叫ぶ清盛。)

(内裏の庭。郎党たちに向かって、帝は自分たちの下にいる、義は自分たちにあり何も恐れる事はない、引き続き信西の行方を捜せと檄を飛ばす義朝。信西捜索に散る郎党達。)

(切目。すぐに都に帰ると清盛。戦支度もなしに、どうやって源氏が待ち受ける都に入るつもりかと重盛。義朝に信西を殺させてはならんと叫ぶ清盛。承知いたしましたと家貞。隣室の扉を開く家人たち。その向こうに揃えられている武器と鎧。驚く重盛。万全の備えをしておくのは筆頭家人の当然の努めと家貞。都へ戻るぞと清盛。)

(馬で駆ける清盛たち。)

(京。義朝に向かって、何故この様な形で兵を挙げたのと問う頼政。世に武士の存在を示すのは政ではなく力である事を示す為だと義朝。清盛は信西を救うつもりでいるはず、しかし、坊主の世作りなど武士の力の前にはひとたまりも無いと思い知らせてやると義朝。)

(山城、田原。山中を逃げまどう信西と師光と従者たち。突然立ち止まって、穴を掘れと命ずる信西。とまどいながらも、命に従う師光たち。)

(掘り上がった穴を見下ろして、自分をこの穴に入れろと命ずる信西。驚いて信西を見る従者たち。自分を埋めて、判らない様に隠したら、それぞれ落ち延びよと命ずる信西。そんな事は出来ないと師光たち。すぐに清盛が戻ってくる、それまでの辛抱だ、皆で生き延びようと微笑む信西。)

(穴に入った信西。せめて無事を祈らせて欲しいと言って、髻を切る師光。その髻を受け取り、穴の中に座る信西。)

(12月14日。内裏で行われた除目。念願の近衛大将になった信頼。経宗にはいずれ右大臣、惟方には中納言も夢ではないと笑いかける信頼。そんな事が帝の意思であるはずがない、こんな野放図なやり方で大事ないのかと成親。今更何を言っていると経宗。自分も良い思いがしたかったのだろうと惟方。そこに現れた義朝。その様子を遠くから窺っている美福門院と忠通。)

(にこやかに、義朝に向かって播磨守とすると告げる信頼。そして、頼朝は右兵衛権左でした。義朝に酒を薦める信頼。)

(その様子を見て、功績のない者を昇進させるとはと忠通。愚かな事と美福門院。しかし、帝の身を奪われた今は何も出来ないと女院。)

(そこに東国から到着した義平。義平に向かって、大国の守か、小国の守か、何が欲しいと問う信頼。そんなものよりも軍勢が欲しいと義平。いぶかる信頼に、阿倍野にて清盛を待ち伏せしたいのだと義平。清盛を滅ぼした後で信西の首を刎ねる、そうすれば天下は治まる、その上で恩賞を頂くと義平。頼もしいなと信頼。我が名は鎌倉悪源太と誇らしげな義平。気遣わしげな義朝。)

(清盛の館。殿の留守に謀反とは何と卑怯なと憤る教盛。お静かにと盛国。父はいつ戻るのかと基盛。すぐに取って返しても数日は掛かるだろうと盛国。それでは信西の命が危ういと教盛。信西によって叔父は死罪にされた、それでも救わなければならないのかと頼盛。信西はなかなか良い政をしている、私憤に駆られて見捨てては、一門にとっても損失だと時忠。伊勢平氏でない者の口出しは無用だと頼盛。手厳しいと時忠。)

(清盛が信西との関わりを深めてきた事は確かだ、このままでは自分たち一門の立場も危ういのではと経盛。うなずく郎党達。ここは信頼たちに恭順の意を示しておくのが得策ではと経盛。それは源氏にひれ伏す事だと教盛。清盛の帰りを待つことなく、謀反人を攻めようと立ち上がる教盛。今立ち上がれば、自分たちが謀反人となりかねないと頼盛。にらみ合う教盛と頼盛。静まれと一喝する時子。清盛の考える世に信西は欠かせぬ人、見捨てようなどとは断じて考えないと時子。まずは備えを固め、清盛の帰りを待とうと盛国。)

(紀伊国、佐野。義平の軍勢が待ち伏せているという噂を耳にし、行軍を止めている清盛の一行。近在の者の援軍を得て100騎を越えた、十分に戦えると忠清。敵は3000騎を越えているとも聞くと重盛。清盛に向かって、阿波に渡って兵を集めてはどうかと重盛。そんな暇は無いと清盛。恩賞を餌に近在の武士を集めよ、その間に阿倍野の軍勢を見てこいと命ずる清盛。承知と出て行く忠清。)

(田原。穴の中で読経している信西。ふと目を開けて、まだそこに居るのだろうと師光を呼びます。もうしわけございませんと師光。仕方のない奴だと信西。黙って座り込む師光。西光と法名を授ける信西。有り難き幸せと西光。自分が追手に見つかっても助けようとするな、声を出すな、全てを見届け生き延びると誓え、それがこれまで自分の働きを見てきたお前の努めだと信西。はい、と力なくうなずく西光。)

(私はどこかで道を誤ったのかと西光に問う信西。身もだえる西光。自分は何者になりたくてここまで登ってきたのだと信西。何を気弱な、きっと今に助けが来ると泣きながら言う西光。)

(清盛の陣。物見はまだ帰らないのかと苛立つ忠清。この風が都の義朝に伝えて欲しい、信西を殺してはならぬとと清盛。信西を救い出したところで平氏のためにはならないのではと言い出す重盛。重盛を見る清盛。あの賢い人は源氏と平氏を使える限り使ってあの地位まで上り詰め、思うままに政をして来た。信西が居る限り武士が頂きに上れる事はないと重盛。じっと重盛を見る清盛。このまま信西が滅ぼされた後に信頼を討ち、源氏を倒せば全てが手に入ると重盛。)

(黙って重盛の肩に手を置いて揺さぶる清盛。そして、月を指さして、信西に初めて会ったのはこんな月の夜だったと語り始める清盛。)

(回想。俺は誰なんだと叫ぶ清盛。誰でも良い、助けてくれと叫ぶ若き日の信西。穴の中の信西を見つける清盛。自分が誰なのか判らないのが道理、生きていく内に誰なのかが判ってくるものだと笑う信西。)

(清盛の陣。それから後も自分は進むべき道を見失ってばかりいた、そんな時いつも信西が目の前に現れたと清盛。)

(回想。安芸の浜で箱の中から現れた信西。世にとって、平氏にとって、災いとなるも宝となるも、自分次第だと清盛に語る信西。)

(回想。宋の船に乗った清盛と信西。)

(回想。清盛の漕ぐ小舟の中で、自分の才を生かす為に宋に行きたいと語る信西。行こうと漕ぎ出す清盛。)

(清盛の陣。信西は、時に優しく、時に冷徹に自分を導いてくれたと清盛。)

(回想。保元の乱の戦勝の宴の後。叔父を殺したという重い荷を背負った、それはそれだけの力があると言う事だ、共にこの国を変えていこうと清盛に語りかける信西。)

(回想。宋に行ける、これであの国に学んでもっと良い政が出来ると喜ぶ信西。)

(清盛の陣。月を見つめて目を閉じる清盛。)

(田原。信西の回想。俺は誰なんだと叫ぶ清盛。誰でも良い、助けてくれと信西。)

(穴の中で震えながら、清盛殿、助けてくれとつぶやく信西。)

(清盛の陣。目を開けて、自分は平清盛だとつぶやく清盛。そして、者ども続け、平清盛は断じて友を見捨てないと叫びます。その時、駆け込んでくる武者たち。悪源太の手の者かと誰何する忠清。忠清様と跪く武者たち。それは忠清の伊勢の縁者たちでした。300騎で加勢すると武者たち。よし、悪源太など蹴散らしてしまえと叫ぶ清盛。武者押しの声で応える郎党達。)

(京、内裏。なぜ待ち伏せを許して貰えないのか、みすみす京に入れるつもりかと義朝に迫る義平。そうだと義朝。ならば待ち伏せをと義平。清盛が帰るのを待っているのだと義朝。何と、と絶句する義平。目を閉じる義朝。)

(闇の中、馬で駆ける清盛。)

(田原。穴の中で震えている信西。)

(信西殿、死ぬな、友が助けに行くと言いながら駆ける清盛。)

(穴の中であえぎながら、近付いてくる者の気配を感じる信西。身を隠す西光。穴に近付く松明の群れ。)

(上を見ながら、清盛殿とつぶやく信西。)

(穴を曝く武者たち。)

(覆いが取れた上を見る信西。そこに見えたのは清盛の顔でした。嬉しげに見上げる信西。信西殿と手を差し述べる清盛。微笑みながらその手を掴む信西。しかし、それは追手の武者でした。居たぞ、引きずり出せと叫ぶ武者。無理矢理引き出される信西。物陰から痛ましげに見ている西光。)

(追手に囲まれて横たわる信西。信西に刀を向ける武者たち。突然笑い出した信西。そして座り直すや、自分が誰なのか見つけたり、我は信西入道だと叫んで短刀を抜いた信西。はっとする西光。短刀を自分の首に当てた信西。泣き出しそうな西光。そのまま自害した信西。)

(駆け続ける清盛。)

(泣き出しそうになりながら、無言で信西の亡骸を見つめる西光。西光の周囲で立ちつくす武者たち。横たわる信西の亡骸。)

(京。何かに向かってお経を唱える人々。そこに現れた清盛。彼は人々が拝んでいるものが信西の首だと知ります。その場に泣き崩れる清盛。そこに駆けつけた重盛もまた、信西の首に気が付きます。)

(何という事をしたのだ義朝と泣き続ける清盛。)

(内裏。じっと目を閉じて座っている義朝。そこに清盛が京に入ったという知らせが届きます。来たかと言って目を開けて立ち上がる義朝。)

(全てが終わった、もう取り返しが付かない、これがお前の出した答えだと言うのなら受けて立つと清盛。)

(内裏。清盛は怒っているだろう、だが怒りこそ力、力こそが武士の真だと義朝。いまこそ源氏と平氏のいずれが強いか定める時だと義朝。)

(平氏は源氏を滅ぼすと清盛。)

(源氏が平氏を滅ぼすと義朝。)

今回は平治の乱の前半が描かれました。私としては、信西の最期がどう描かれるのかと注目していたのですが、期待に違わず力の籠もった描き方をしてくれました。それにしても、出逢いの時のエピソードがここで生かされるとは、上手い伏線の張り方をしてますね。清盛に助けを求める信西と、信西を友として助けようとする清盛の姿が、回想を挟んで見事にシンクロしていました。最後に信西を襲った絶望と誇りを賭けた自害とが、物語の前半を支えた人物の死として重みを持っていたと思います。

信西が田原に逃れたのは、彼の領地があったからと言われ、穴に隠れたというのは平治物語に描かれているとおりです。もっとも、物語では息継ぎ用の竹を一本だけ地面に出して埋めたとあり、信西は息のある限り念仏を唱えていようと言ったと書かれていますから、隠れたと言うより緩やかな自害を選んだという事の様ですね。一説には即身成仏を願ったのではないかとも言われています。

物語では、従者の一人が追手に見つかって穴を掘った場所を教えてしまい、まだ息のあった信西の首を刎ねたとありますが、愚管抄では自害して埋められていた遺体を掘り起こして首を刎ねたとあり、史実としては自害したと見るのが正しい様ですね。

なお、穴に入る時に師光に西光という法名を与えた事も、平治物語に描かれているとおりです。

平治物語繋がりで言えば、紀州で信頼謀反の知らせを聞いた清盛一行の中で、家貞が武具を用意してあった事、帰りを義平が待ち受けているという噂が流れていた事、伊勢から300騎が与力として駆けつけた事なども物語にあるとおりですね。

少し違うのが重盛の役割で、ドラマでは一度阿波に逃れて兵を集めようと言っていましたが、物語では一度四国に渡ろうと言い出したのは清盛の方で、重盛はそれでは朝敵とされてしまう、多勢に無勢が討たれても名に傷が付く事はないと言って上洛を促したとあります。このあたり、ドラマの重盛は損な役割になっていますね。

また、阿倍野で待ち伏せしようとした義平を止めたのは義朝になっていましたが、物語では信頼が都の中に取り込めて討てばよいと言って止めたとあります。その前に、大国か小国か、官位は思いのままだと信頼が言ったのは、物語に沿っていますね。

などなど、書くべき事はいくつもありますが、今回は信西の最後があまりに印象的だったのでこのあたりに止めておきます。代わりに、明日の記事で平治の乱の史実の動きについて書いてみたいと思っています。

それにしても、このドラマに限っての事だけど、信西はもう少し生かしておいて欲しかったなあ。阿部信西がもう見られないのはやっぱり残念ですね。


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