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2012年7月

2012.07.31

京都・洛中 蓮2012 ~東本願寺 7.28~

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東本願寺の南の堀で、蓮の花が咲いています。堀の長さはざっと5、60m程かな、その中に一面の蓮が植わっています。

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京都駅に近いという事では、貴重な蓮の名所と言えるでしょうね。でも、訪れる人はそれほど多くなく、意外と知られていない穴場と言えるのかも知れません。

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現地の立て札には淀姫と書かれており、この蓮の品種名なのでしょう。豊臣家の淀殿と関係があるのか無いのかは判りませんが、豪華な感じのする花である事は確かです。

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この日は花盛りとまでは行かなかったですが、つぼみはまだ沢山あったので、見頃はこれからなのでしょうね。

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京都駅から行かれるのなら、地下道を通って行くのが便利です。地下道の終端の階段を登ってすぐの所にありますから、場所はすぐに判ると思いますよ。周囲がちょっと殺風景なのだけが難点と言えるかも知れないところですね。

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2012.07.30

京都・洛北 御手洗祭2012 ~下鴨神社~

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今年も下鴨神社で御手洗祭が開催されました。別名足つけ神事と呼ばれる祭りで、土用の丑の日の前後に御手洗池の中を歩き、蝋燭を供えて無病息災を祈願するという趣向です。

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ここに来る時は毎年早朝ばかりだったのですが、今年は午後2時過ぎに行ってみました。暑い最中でしたが、それでも境内は結構な賑わいを見せていましたよ。

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池の水は井戸水ですから、もの凄く冷たく感じます。ですから、涼を求めるにはぴったりの神事でもある訳ですね。かくいう私は、足に軽い怪我をしていたものですから、池に浸かるのは遠慮して、お守りだけを授かってきました。水の中を涼しそうに歩く人達が、ちょっと羨ましかったですね。

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御手洗祭と言えば御手洗団子ですね。今年も井上社の社前に供えられていましたよ。その隣にあるのは何だろう、そうめん状のものでしたが、何か縁のものなのでしょうか。

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参道も出店で大いに賑わっていました。いつも行く早朝には閉まっているので、こういう景色は新鮮に感じます。

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この日は東山区で38度を記録したという猛暑日で、池に浸かるには丁度良かったでしょうね。お祭りは昨日までで終了しており、来年はまた水の中を歩きたいです。毎回夜に行くのも良いかなと言いながら、まだ一度も実現していないのですけどね、さて、次はどうしましょうか。

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2012.07.29

平清盛 第30回 「平家納経」

(讃岐。)

(いつしかと 荻の葉むけの片よりに そそや秋とぞ 風も聞こゆる)

(一人端座し、歌を口ずさむ崇徳上皇。そこに現れた土地の者。美味しそうな野菜を示して、これで夕餉を作ると言います。それを聞き、ここに流されて良かった、無益な戦を起こして愚かであったとつぶやく上皇。)

(院の御所。滋子との間に生まれた憲仁親王を抱き、ご機嫌な様子の後白河院。その様子を見て、嬉しそうな滋子と朝子。)

(清盛の館。まだ戻らぬのかとなにやら苛立った様子の清盛。そこに帰って来た兔丸。その手下が運んで来た宋の国の椅子をはじめとする品々を見て、これを待っていたと清盛。それは憲仁親王誕生の祝いの献上品でした。)

(兔丸たちを労いつつ、その一方で遅いと叱りつける清盛。後白河上皇の機嫌が変わるのを恐れての事でしたが、博多まで行ってきた兔丸達は収まりません。文句があるなら博多を都の隣に持ってこいと口々に言う兔丸と手下たち。減らず口をききおってとやりこめられる清盛。早く行かないとと急かす重盛。)

(幼い弟に、弓の稽古をさせている基盛。その姿を見て、早く着替えよと重盛。自分は御所は窮屈だから結構だと基盛。平家の男子がそれでどうすると重盛。弟たちの世話をするのが性分に合っていると基盛。もう良いと捨て置く清盛。宗盛と知盛に何時までも基盛を頼っているのではないと言い捨てて立ち去る重盛。)

(向こうに唐果物があるぞと宗盛たちをさそう時忠。その言葉に誘われて行く宗盛達。彼らを見送った後、基盛を掴まえる時忠。そこに現れた教盛。彼もまた時忠に呼ばれてき来たのでした。良い事を思いついたのだと話し出す時忠。いきなり断ると立ち去ろうとする教盛。なぜだと時忠。そなたの良い事とはろくな事が無いのだと教盛。まあ聞けと引き止める時忠。)

(基盛と教盛相手に、憲仁を次の天皇、つまり東宮にしてもらうのだと相談を持ち掛ける時忠。何を言い出すとあきれる基盛と教盛。滋子は自分の妹、そうなれば平家はますます世に煌めくと時忠。どうするのだと教盛。まずは成親を頼ると時忠。)

(二条帝に呼ばれ、時忠たちの憲仁擁立について問い詰められた清盛。何も知らずに居て慌てた清盛ですが、改めて二条帝への忠誠を誓います。)

(清盛の館。時忠、基盛、教盛を前に、叱りつける清盛。詫び入る3人。ただちに官職を辞退せよと命ずる清盛。それはあまりに厳しすぎるととりなす頼盛と重盛。それ以外に帝の信用を取り戻す手だてがあるかと清盛。言葉のでない一同。流罪にならないだけ有り難いと思えと言い捨てて立ち去る清盛。)

(庭に一人立つ清盛。そこに現れ、申し訳ございませんと頭を下げる基盛。お前は私の若い頃に良く似ている、出来の良い兄弟が居るとそれに甘えて、自分の好き勝手にしたくなるものだと清盛。そして、お前にも役目があって平家の男子として生まれてきたのだ、重盛と同じく誇らしい我が子だと言って基盛の肩に手を置く清盛。その様子を物陰から見ている重盛。その言葉を肝に銘じて、一層勤めますと笑顔になる基盛。)

(讃岐。写経を書き終えた崇徳上皇。そして新たに和歌を一首認めます。)

(浜千鳥 跡は都へかよへども 身は松山に 音をのみぞなく)

(院の御所。憲仁親王を膝に抱いた後白河上皇に、崇徳上皇から送られてきた写経を示し、保元の乱で命を落とした者達の供養をし、自分の所行を悔い改めたいとの事と崇徳上皇の意向を伝える成親。写経を見ながら、あれほど自分を恨みながら流された者が悔い改めるとは信じがたい、何かの呪詛ではないかと後白河上皇。まさかと成親。気味が悪い、送り返せと後白河上皇。無邪気に手を振って、写経を破いてしまう憲仁。)

(清盛の館。紫宸殿の造営が成り、その落成式の準備に余念がない基盛。精が出るなと清盛。財をなげうって紫宸殿を造営するとは、帝も大層喜んでいると時子。これから法要の手配に高野山に行くと基盛。)

(讃岐。破かれた上、送り返されてきた写経を見て、身体を震わせている崇徳上皇。そこにもたらされた、重仁親王が亡くなったという知らせ。文を読み、何故じゃと惑乱する崇徳上皇。我が深き罪に行わるるに 愁鬱浅からず 日本国の大魔王となりて 王を民に引き降ろし 民をば皇になし上げん。呪いの言葉を吐き、血の涙を流す崇徳上皇。そして舌を噛み、口から血があふれ出ます。)

(清盛の館。白装束を着せられて横たわっている基盛。周囲に座っている清盛以下の一門。どうなさったのですかと基盛の身体を揺らす清五郎。馬の達者な基盛が、川を渡ろうとして溺れるなど考えられないと嘆く忠清。清五郎に、基盛は十万億土に旅立ったのだと盛国。時子の膝で泣き崩れる清五郎。そこに現れ、堪えずとも良い、今はただ父として悲しんでやれと池禅尼。基盛を抱いて泣き叫ぶ清盛。嘆き悲しむ一門。)

(基盛のために経を上げる西行。礼を言う時子。基盛が宇治川を渡ろうとしていた刻限に、高野山で怨念の固まりの様なものが空を行くのを見たと西行。そして、それは讃岐の方角から現れたと西行。何が言いたいのかと清盛。自分が見たものは、讃岐の院の怨念だったのではないかと西行。怨念?と宗盛。清盛は戦で亡くなった人々の志を背負って生きている、それは怨念をも引き受けるという事だろうと西行。)

(讃岐。日本国の大魔王となりて 王を民に引き降ろし 民をば皇になし上げん と言いながら、血まみれになってのたうち回っている崇徳上皇。)

(清盛の館。基実と共に清盛を訪ねてきた忠通。忠通は摂関家の故事や衣食住の作法について書かれた書物を示し、基実を清盛の娘婿にしてくれないかと切り出します。驚いて基実を見る清盛。摂関家が武家の力を頼みにしなければ生き残れないとは、世も移ろったものだと忠通。散々蔑んできた武家に頭を下げるなど父と弟は許さないかもしれないが、こうして摂関家を守る事が自分の誇りだと忠通。わずかにうなずく清盛。)

(長寛2年2月19日、忠通逝去。)

(一門を前に、厳島に教典を奉納すると宣言する清盛。それは讃岐の院の怨霊を恐れての事ですかと貞能。そうではなく、一門の繁栄を祈願するためだと清盛。基盛もそれを望んでいたと盛国。しかし、一門の繁栄は多くの犠牲の上に立つもの、これまでに命を落とした者の冥福も祈りたいと清盛。)

(教典作りに励む一門。教典は33巻とする、これは観世音菩薩が33の姿に変えて人々を救った事にちなむ、一人一巻ずつ書写せよと命ずる清盛。経の見返しには絵を入れ、自分たちの願いを絵で表す、あたうる限り清らかに、格調高く設えよ、古今東西に類を見ない、平家ならではの教典とするのだと清盛。)

(讃岐。血まみれになりながら、呪文を唱えている崇徳上皇。その表情は、まさしく鬼でした。)

(清盛の館。教典を厳島に運ぶ準備をしている時忠。そこに現れた検非違使の使い。時忠に帝を呪詛としたという嫌疑が掛けられているのでした。そんな事はしていないと否定する時忠。しかし、確かな証拠も無いままに、出雲に流罪となった時忠。)

(出雲への旅の途上、福原に立ち寄った清盛。そこは盛国が幼い時に過ごした大輪田の海の近くでした。なつかしいなと清盛。その背後で、何故出雲になど流罪にと嘆いている時忠。まだ言っているのかと清盛。これも讃岐の院の仕業だと時忠。つまらない事を言うな、いずれ連れ戻してやるから、暫くおとなしくしていろと清盛。ここから一人で出雲に向かう時忠。)

(讃岐。呪詛を続けている崇徳上皇。)

(清盛の館。完成した教典を見る清盛。それは平家の財を傾け、一国の技芸の粋を凝らして作り上げた平家納経でした。一門を前に、良き日を選んで厳島に納めに行くと宣言する清盛。)

(瀬戸内の海を行く平家の船。そこには平家一門の他に西行の姿もありました。順調だった航海の向こうに、俄に黒い雲が現れます。)

(轟く雷鳴。)

(荒ら屋と化した讃岐の御所で、呪詛の言葉を吐きながらのたうち回る崇徳上皇。爪は伸び放題に伸び、目には狂気を宿した、まさしく怨霊の姿でした。)

(荒れる海。必死で船を操る人々。船内にまで流れ込む海水。翻弄される平家一門。祈り続ける西行。これも讃岐の院の怨念かと郎党。詰まらぬ事を言うなと清盛。教典を海に放り込めば、院の怨念もむ収まるはずと頼盛。たわけた事を言うなと清盛。今は皆の命が大事、一か八かの賭けに出てはと重盛。ならぬと清盛。これは平家だけのものではない、王家、摂関家、源氏、すべての人々の魂が込められている、讃岐の院の魂もだ、これを捨てれば全てを捨てる事になると清盛。船が沈めば同じ事だと重盛。この船に誰が乗っていると思うと言って、船上に登っていく清盛。)

(船上で兔丸とその郎党、そして盛国を鱸丸と呼び、お前達が頼りだと励ます清盛。無事に厳島まで進むのだと清盛。勝手な事を言って、でも嫌いではないでと兔丸。高笑いする清盛。一層励む兔丸達。)

(そこに響く崇徳上皇の呪詛の声。読経に励む西行。懸命に船を操る兔丸たち。呪詛を続ける崇徳上皇。教典を守り、南無観世音菩薩と唱え続ける清盛。)

(朝。朝日に包まれた崇徳上皇。怨霊の姿で、朝日に向かって這い進む上皇。どこからともなく聞こえてくる子供達が遊ぶ声。朝日を見ながら、穏やかな表情に戻って行く上皇。その耳に聞こえてくる「遊びをせんとや」の今様。そのまま息を引き取った上皇。)

(嵐の収まった船上。力尽きて倒れ込んでいる兔丸達。笑顔で現れた清盛。一礼する盛国。うなずく清盛。清盛を見る西行。舳先に立ち、海を見つめる清盛。)

(厳島。教典を運び込む一門。よくぞご無事でと清盛を出迎える景弘。死ぬかと思ったと笑う清盛。そこに運ばれてきた、気を失っている兔丸。それを見て狼狽える桃李。桃李にゆすられて目を覚ます兔丸。済みませぬと涙ぐむ桃李。桃李と叫びながら彼女を抱きしめる兔丸。笑い声を上げる一門。)

(社で教典を奉納する清盛と一門。)

(頭を下げながら、兔丸が言った、文句があるなら博多を都の隣に持ってこいという言葉と、福原を思い出す清盛。そして不意に笑いだし、兔丸に博多を都の隣に持ってくるぞと告げる清盛。驚く兔丸。不敵に笑う清盛。訝る一門。)

今回は、平家納経と怨霊と化した崇徳上皇を絡めた物語が描かれました。本来、平家納経と崇徳院は関係が無いのですが、ここでは両者を絡める事で物語性を高めているのですね。

平家納経の願文に拠れば、厳島神社の神助によって一門が繁栄した事に対する報恩の意味で発願したもので、今後のさらなる信心と社殿の造営を誓い、極楽往生を願うと共に、国家鎮護をも願うというものでした。この写経をしたのは清盛を初めとする一門郎党の32人で、当時の技巧の粋を集めた豪華絢爛たる巻物です。実物も先日の特別展で拝見しましたが、国宝に相応しい素晴らしい経巻ですね。平家の全盛期と呼ぶにはまだ少し早いのですが、清盛は参議にして中納言、知行国は8カ国に及び、権勢は並び無きものになろうとしていました。ただし、朝廷の実権を完全に握っていたという訳ではなく、天皇の権威はまだ絶対であり、その臣下として頂点を極めつつあったという段階でした。

時忠や基盛、それに教盛らが憲仁親王を立太子させようと画策して二条天皇の逆鱗に触れた事は史実にあるとおりで、彼らは天皇の命によって解官されています。これに清盛が逆らえなかったのは、二条帝近臣である清盛の力が、天皇の意向を覆す程ではなかった事を示しています。ドラマでは触れられていませんが、成親もまた、この時に解官させられています。

その後、時忠には呪詛の疑いが掛けられ、流罪の憂き目に遭っているのも史実にあるとおりで、この時は彼に限らず後白河帝の近臣の多くが処罰されています。つまりは上皇派と天皇派による暗闘の結果であり、敗れた後白河派は力を失い、政治の表舞台からの撤退を余儀なくされてしまいます。

一方の崇徳院ですが、心血を注いだ写経が送り返されてしまい、怒り心頭に発した結果、怨霊と化してしまった事は有名ですね。ドラマでは鬼気迫る演出がなされていましたが、事実もあのとおりであったと言われています。ただし、基盛が亡くなったのは崇徳院の怨霊のせいではなく、頼長の怨霊のせいで溺死させられたと言われており、このあたりはドラマによってすり替えられていますね。史実としては、基盛は溺死ではなく病死したのだろうとされています。享年24歳でしたから、随分と早死にしてしまったものですね。

ドラマでは崇徳院の最後は穏やかなものとなっていましたが、伝説に拠ればその死後も怨霊であり続けました。その遺体を焼いた煙は都の方に流れて行ったと言い、後に世情が不安になると、後白河帝の近親者が相次いで亡くなり、極めつけは清盛が熱病で苦しみながら死んだのは崇徳院の怨霊のせいだと言われる様になります。その後も様々にその霊を慰めようと試みられますが上手く行かず、幕末に至ってもなお白峰神宮が建立されるという、史上最大最強の怨霊として恐れ続けられる事になります。

その直接の原因は後白河院が崇徳院が記した写経を、呪詛が込められているからと送り返した事にあり、実の弟である後白河院の狭量さが後の災いを招いたとも言えますね。このあたりにも、治天の君の器にあらずと言われた人らしさが現れていると言えましょうか。

西行については、ドラマでは清盛一行に同行した事になっていましたが、そんな事実は無く、清盛紀行にあった様に、崇徳院の死後にその地を訪れ、暫く留まってその霊を慰めたと言われています。ただし、生前に訪れたという事実も無く、そのあたりは処罰を恐れての事だとか、あるいは流罪は崇徳院の自業自得だと割り切っていたのだとか言われますが、定かではありません。いずれにしても、ドラマの西行は、崇徳院に少し冷たい様な気がしますね。

なお、基実が清盛の娘婿となったのは史実にあるとおりですが、それは忠通の死後の事であり、忠通が清盛に頭を下げて頼んだという事実は無いと思われます。その娘は前回に出て来た盛子の事で、わかずか9歳の幼子でした。この事から明かな政略結婚であり、結果として平家に大きな果実をもたらす事になります。

次回からは第3部が始まるのですね。いよいよ平家の栄華が頂点に達し、その反動として源氏の力が甦ってくるという展開になるのでしょうか。私としては、頼朝を初めとする源氏の人々がどう描かれるのかに興味がありますね。どんな展開として描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

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2012.07.28

京都・洛中 祇園祭2012 山鉾巡行 ~南観音山~

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祇園祭の掉尾は南観音山に飾って貰いましょうか。この山と出会ったのは四条通で、これから巡行に出発するというところでした。

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この山は前年まで最後尾を飾っていたのですが、今年からはその座を大船鉾に譲り、29番目のくじ取らずの山として巡行する事になりました。この山の後ろにまだ他の山が続いているのを見るのは、ちょっとした違和感がありますね。

その南観音山がまさに動き出す場面を撮ってきたのでご覧下さい。

この山の音頭取りの方は、なかなか良い声をされていますね。この掛け声一つで山がちゃんと動くか決まるのですから、なかなか大切な役目を果たされていると言えます。

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実を言えば、新町通に入る前にこの山と出会った事で、最後までの観覧は無理だなと諦めたのでした。ぐるっと回って来るのに3時間近く掛かりますからね、炎天下ではとても体力が保たないと思ったのです。実際そのとおりで、3分2ほど見たところで体力の限界を感じて引き上げてしまいました。そんな事を言っていたら、巡行に参加している人に笑われてしまいそうなのですけどね、無理なものは仕方がありません。でも、本当は北観音山の締めまで見たかったなあ。

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山鉾巡行の観覧には、暑さ対策が必須ですね。出来るものなら、この辻回し用の水を頭から被りたいと思ったりもしましたよ。あと、出掛ける時間も少し早すぎたな。でも、おかげで大船鉾に会えたのだから、悪い事ばかりでもないか。

来年もまた宵山と山鉾巡行は見に来たいですね。その為には、もう少し体力を付けておかないと、思う様な観覧は出来ないな。暑さに負けない様な身体作りに、今からいそしむ事としますか。


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2012.07.27

京都・洛中 祇園祭2012 山鉾巡行 ~函谷鉾~

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函谷鉾は、四条烏丸西入るにあり、宵山では最もなじみの深い鉾の一つです。中国戦国時代の函谷関における孟嘗君の故事に由来する鉾で、読み方は巡行を先導する旗に書かれた「かんこくほこ」が正しいと思われますが、ホームページでは「かんこぼこ」と記されています。このあたりちょっとややこしいのですが、呼びやすい方で呼べば良いという理解で良いのかな。

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巡行では鉾としては長刀鉾に次ぐ2番目を行くというくじ取らずの鉾で、山も含めた巡行順では5番目という事になります。前掛けは旧約聖書を題材とした16世紀のタペストリで重要文化財に指定されています。ただし、今使われているのは、平成18年に復原新調されたものの様ですね。次に巡行の様子を撮ってきた動画をご覧下さい。

月鉾よりも少し小振りではありますが、それでも迫力は大したものでしょう。

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見送りは他の山鉾に比べると地味な感じがしますが、弘法大師の真筆を写して織り込んだという貴重なものなのだそうです。正確には金剛界礼懺文見送(弘法太子大師真筆写紺地金文字織)というのだそうですが、今の物は天保9年に復原されたもので、オリジナルは宵山の町会所で公開されているのだとか。ここにはまだ行った事が無いので、来年はぜひ寄せてもらおうかと思っているところです。

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どういうものか、鉾の後には必ず大勢の人が続いて行くものの様ですね。鉾に付いて歩いているのか、それとも行く手を阻まれて渋滞しているのか、どちらなのでしょう。何にしても、鉾と見物人とが一体になっている光景は、新町通ならでのものである事は確かです。

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2012.07.26

京都・洛中 祇園祭2012 山鉾巡行 ~月鉾~

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京都の夏は祇園祭と共に訪れると言われますが、今年はまさにそのとおり、山鉾巡行の当日に梅雨明け宣言が出されました。まあ、その日差しの強さと言ったら、真夏のそれと変わりがなかったですね。じめじめした梅雨が明けたとたんに盛夏が襲ってきたのでした。

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まあ、その夏こそ、祇園祭には相応しいと言えましょうか。雨の祇園祭も観覧した事がありますが、鉾には雨は似合わないですね。夏空を背景にして、はじめて鉾が映えるというものです。

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写真は月鉾、鉾の中でも最大級と言われる鉾ですね。その月鉾が目の前を通り過ぎていく迫力有る画像をご覧下さい。

雄大な鉾を支える車輪が回る時に出すきしみ音がリアルでしょう。これは是非、現場に行って直に見て感じて貰いたいところです。

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巡行時の懸装品は豪華で、目一杯めかし込んだという感じがします。私は特に見送りが好きですね。後ろ姿にこそ絢爛たる装飾を施すというのは、京都人の美意識がそこに現れている様な気がします。

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2012.07.25

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 膏薬図子~

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宵山のそぞろ歩き、最後に通ったのが膏薬図子でした。綾小路から四条通に抜ける路地で、宵山に合わせてライトアップが行われています。

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平安時代に平将門の首が晒された場所と言われ、空也商人がその供養を行った事から空也供養の図子と呼ばれる様になり、やがてそれがなまって膏薬図子となったのだとか。その縁を示す様に、図子の途中には将門を祀る神田明神があります。

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鉾町とは違った風情がある事から静かな人気を呼んでいる道で、四条通の喧噪を逃れて入って来る人も結構多いですね。

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静かな宵山巡りもここまでで、四条通に抜ければ雑踏の中に後戻りです。でもまあ、人混みに揉まれてこその宵山とも言えるのですけどね。

明日からは山鉾巡行の様子をお届けします。新町通を行く鉾の迫力が素晴らしいですよ。

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京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 芦刈山~

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西洞院通の西にある四つの山のうち最後の山が芦刈山です。木賊山と似たところがあり、まずどちらも謡曲に題材を求めているところが共通していますね。

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謡曲「芦刈」は、夫婦和合を主題としています。昔、故あって別れてしまった夫婦が居たのですが、妻は都で宮仕えの身となり、夫は浪速の浦で芦刈をして暮らす様になりました。しかし、夫を忘れられない妻が夫を捜し出し、3年ぶりに撚りを戻して都に帰るというストーリーですね。この事から、この山は縁結びのご利益があるとされています。

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この芦刈山のご神体は、妻と別れた後に一人寂しく芦刈をしている夫の姿で、鎌を手にしているところも木賊山と共通しています。巡行の時には、ご神体の前に芦が植えられていますよ。

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町会所の展示では、杜若図の胴掛けが目を惹きます。鶴の絵柄は見送りで、唱和60年に制作されたものなのだとか。

この山では、巡行当日に行われる籤改めの稽古が行われていました。籤改めは子供の役目なのですが、独得の仕草と台詞回しが面白く、人気のあるイベントですね。ただ、残念ながら当日生で見た事はなく、この日が初めての見物となりました。

油天神山の振る舞い酒と言い、こうした思わぬ出逢いがあるのがそぞろ歩きの醍醐味ですね。

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2012.07.24

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 油天神山~

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祇園祭には二つの天神山があります。空から霰と共に降ってきたという天神様をお祭りする霰天神山と菅原道真公をお祀りするこの油天神山ですね。提灯には天神山とだけ書かれていますが、霰天神山と区別する為に、通り名の油小路から採って、油天神山と呼ばれています。

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天神さんをご神体とするだけあって、ここの御利益は学問成就なのですね。ちまきの他、お守りと絵馬が授与されますよ。

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町会所の展示はこんな感じで、正面の鳥居が巡行時にはこの山の目印となります。中でも一際目を惹くのが梅原龍三郎画伯原画の見送りで、平成2年に新調されたものなのだとか。梅原画伯はこの近くの出身で、その縁からこの絵を描かれたのだそうですね。

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この山では、嬉しいハプニングがありました。それがこの菰樽の鏡割りで、この後拝観者にお酒が振る舞われたのですよ。私も頂きましたが、よく冷えていてなかなかの美味でした。普段あまり行かない場所を歩くと、こういう嬉しい場面に出会うのが宵山の面白い所ですね。

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2012.07.23

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 木賊山~

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西洞院通を西に入ると、人通りは一気に少なくなります。歩きやすくはあるけれど、祭りの夜としては寂しく感じてしまうくらいですね。

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この木賊山の界隈は特にそうで、祇園囃子も売り子の童歌もなく、宵山の鉾町としては、一番静かなんじゃないかな。でも、喧噪に疲れた時に来るには、良いエリアではありますね。

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町は静かでも、町会所にある懸装品の数々は豪華そのものですね。この山に掛ける町衆の情熱が感じられる光景です。

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木賊山は世阿弥の謡曲の「木賊」に取材したもので、別れ別れとなった親子が長い年月を経て再会を果たすというストーリーになっています。ご神体は息子を掠われて失意の内に木賊刈りとなっていた父親を現しており、左手に木賊、右手に鎌を持った姿をしています。

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その木賊山で、ちょっと良いなと思ったのがこの暖簾で、なかなか洒落たデザインですよね。

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17日の巡行では、町会所にあった懸装品を纏った姿を見せてくれました。ただ、前掛けの龍は見かけなかったと思うのだけどな。もしかしたら、新調されたものなのかしらん。

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写真を縮小したら判らなくなってしまいましたが、山の周囲には木賊が植えられています。これは巡行の時だけで、宵山では飾られていません。でも、広い四条通や河原町通ではなかなかそこまで気付く事は難しく、狭い新町通ならではの事ですね。

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2012.07.22

平清盛 第29回 「滋子の婚礼」

(1160年(永暦元年)6月、正三位に昇った清盛。)

(後白河上皇の御所。投壺をして遊ぶ上皇。正三位となった御礼を言上する清盛。まさか番犬がここまでと上皇。保元の乱の時から気付いていたはず、上皇を頂く新しい世を平氏が支えて行くと清盛。どこか気のない様子の上皇。)

(六波羅、清盛の館。公卿の家柄となり、平家と呼ばれる様になった一門。宴の席に現れ、祝いの言葉を言上する頼政。重盛は伊予守左馬頭、基盛は遠江守、宗盛は淡路守、知盛は武蔵守にそれぞれ任じられていました。頼盛は尾張守、教盛は常陸介となったと紹介する盛国。お喜び申し上げますと頼政。一人紹介から漏れた経盛は伊賀守でした。)

(そこに帰って来た兔丸。彼は博多で取引した品々を持ち帰ったのでした。それらを帝、関白、上皇に惜しげもなく献上するという清盛。唖然としている頼政。これは家貞の分と兔丸が一品を取り出しますが、肝心の家貞が居ません。)

(家貞の館。寝込んでいる家貞を見舞う清盛。兔丸の土産は唐果物でした。初めて唐果物を貰ったのは正盛からだったと家貞。そのあまりの美味さに、宋との交易を進めてきたのだと家貞。あきれて笑う清盛。欲こそ男子の力の源、信西や義朝ら亡くなった男達の思いを背負って生きていくのだと家貞。元よりその覚悟、それこそが自分の欲と清盛。起き上がって、唐果物を美味しそうに食べる家貞。やがてこの世を去った家貞。)

(安芸、厳島の社。祭壇に唐果物を供える佐伯景弘。一礼する清盛たち。)

(船の上。何を祈願されたかと清盛に問う春夜。もっと強くなる事だと清盛。武者の頂きに立った方が何をおおせかと景弘。それには答えず、兔丸に向かって、船で出逢い、宋の銭で面白い世にしてやると言ってから30年近く経つ、わしはやるぞ語りかける清盛。おお、と兔丸。そのためにはこの国の頂きに立ち、この国を動かせる程の強さが欲しいのだと清盛。うなずく景弘。)

(程なく参議となった清盛。摂関家の長の忠通、関白の基実、内大臣基房たちと共に、公卿議定の場に座っている清盛。)

(美福門院の館。清盛に向かって、公卿義定の場で、途方もない事ばかり言っていると聞くと女院。不調法な新参者ゆえと清盛。そなたが思い描く国作りとは何かと問う女院。何と言っても交易だ、国を挙げて宋の国と取引をし、宋銭が国中に行き渡れば品々の取引は盛んになり、国は豊かになると清盛。途方もない事だ、しかし、清盛にははっきりと思い描けているのだなと女院。はい、と清盛。ならば、若くて賢い帝の下で成し遂げよと女院。一礼し、立ち去る清盛。見送る女院。庭には一面の菊の花。)

(辛そうに脇息にもたれる女院。早く寝所へと御影。私は威厳を保てたか、亡き鳥羽院のお役に立てただろうかと女院。間違い有りませんと御影。微笑みながら、菊の花を眺める女院。)

(永暦元年11月23日、美福門院得子、逝去。)

(御所。二条帝に拝謁し、持てる力全てをもって支えて行くと誓う清盛。そして、乳母として時子を引き合わせます。美福門院は皇子が居ない事を気にしていた、身近に女性が居ない様では諸事滞ると謎かけの様な言葉を残す清盛。)

(上西門院の女房として、宮中に勤めている滋子。滋子の癖毛を蛇の様だとからかう同僚の女房。その女房に蛙の様だとやり返す滋子。)

(猫を抱いて庭を見ている女院。部屋の支度が出来たと滋子。そこに現れた時忠。滋子を褒め、女房として推挙したのは時忠の手柄だと言って立ち去る女院。)

(時忠の用事とは、帝の妃となる事でした。驚く滋子。年の釣り合いも丁度良いと時忠。義兄の清盛も今や公卿、義妹を入内させるのも御心次第と時忠。ところが、断ってしまう滋子。驚く時忠。私は好きな人の妻となる、それが盗人でも乞食でもと言って、あかんべえをして立ち去る滋子。)

(清盛の館。滋子は相変わらずだと笑う清盛。あからさまに帝に近付こうとすると、上皇の機嫌に障るのではと気づかう時子。障らせておけば良いと清盛。驚く時子。上皇とは、付かず離れず、程よい間を保つのが吉と清盛。)

(上皇の御所。清盛からの献上品を披露する成親。青磁の一つを手に取り、こんな器の一つや二つで、私の機嫌を取ったつもりかと言って、器を投げる上皇。)

(公卿達を招いて宴を開き、今様を歌い舞う上皇。俄なお召しと思えばこれかとあきれる基房。治天の君の器ではないと忠通。宴席の隅に控えている滋子。なぜか彼女はじっと上皇を見つめています。)

(夜、一人で酒を呑む上皇。そこに、「遊びをせんとや」と今様を歌いながら現れた滋子。その手をいきなり掴まえて、歌うでないと上皇。驚く滋子。その歌を朗らかに歌うでないと怒る上皇。見受けたとおり、おかしな人と滋子。何、と滋子を見る上皇。真っ直ぐに上皇を見て、朗らかな歌なのだから朗らかに歌えば良いのにと滋子。これが朗らかな歌だとと高笑いする上皇。それに合わせて高笑いを始める滋子。)

(情けないお方と言って座る滋子。誰に向かって言っていると上皇。声を涸らして歌う事でしか心を埋められない、弱いお方が目の前にいる、ただそれだけだと滋子。私にそんな口をきいてただで済むと思っているのかと上皇。済まされないならそれも結構、歌より他にぶつけられる物をみつけなさいと滋子。杯を投げて、滋子の腕を掴む上皇。じっと上皇を見据える滋子。滋子を抱きしめる上皇。上皇の背に手を回す滋子。)

(寝ころびながら、滋子の髪に手を伸ばす上皇。髪にはと嫌がる滋子。よく似合っていると上皇。微笑む滋子。名は何というと上皇。滋子と答える滋子。滋子、と上皇。兄は時忠、姉は清盛の妻の時子と滋子。そなたは清盛の、と上皇。義妹ですと滋子。立ち上がって背を向け、帰れと上皇。帰らないと滋子。政の道具になるだけだと上皇。なりませんと滋子。見つめ合う二人。滋子の髪に触れる上皇。笑ってそれを許す滋子。)

(清盛の館。庭で兔丸たちと遊ぶ徳子と盛子。広間には滋子と時子、それに重盛達。駆け込んできて、滋子の前に立ち、その腹に子がいるのは本当かと問い詰める清盛。本当ですと滋子。その子の父が上皇とは本当かと清盛。本当ですと滋子。あきれた様に尻餅をつく清盛。あの上皇ゆえ、入内の企みに気が付けば、どんな嫌がらせをしてくるか十分に考えられたのにうかつだったと嘆く清盛。それば違う、上皇の妃になると、自分で決めた事と滋子。好きな人の妻になりたいと言っていたなと時忠。言いましたと滋子。本当に上皇様の事を想っているのかと時忠。そうですと滋子。何ととあきれる清盛。)

(気まぐれな女子とは思っていたが、ここまでとはと清盛。上皇の妃になるのならむしろ一門にとって誉れではと基盛。ただの上皇ではない、あのお方だと清盛。しかし、もう後には引けない、既に上皇も滋子との婚礼を整えていると重盛。)

(上皇の御所。滋子との婚礼は4月に定めた、宴を催すと皆に知らせよと上皇。承る成親。朝子に向かって、滋子の館の調度を整える為に匠どもを召し出せと命ずる上皇。嬉しそうに承る朝子。)

(清盛の館。台無しだと頭を抱える清盛。上皇とは付かず離れずの関係を保つ、帝との間は盤石にする、それがこの先力を持つ為には欠かせぬものであったのにと嘆く清盛。義兄には申し訳なく思っています、しかし、私の心は私の物、誰の勝手にもできないと滋子。忌々しげに滋子を見る清盛。滋子の姉として、また棟梁の妻として、詫びを入れる時子。その上で、滋子が望む事ならば、姉として、一門を挙げて婚礼の支度を調えてやりたいと清盛に頭を下げる時子。縁に出て空を見上げ、許さない、自分は一切手を貸さないと清盛。なんと頑固な、ならば自分たちで全て整えると怒る時子。娘達には、平家一門である事が第一と考えよと教え込めと言い捨てて立ち去る清盛。)

(上西門院の御殿。女院に暇乞いをする滋子。聡明な義妹が出来るのは嬉しい事だと女院。礼を言う滋子。ところが、女院は今度の婚礼には賛同しかねると言い出します。意外そうな滋子。後宮は何かと煩いところ、上皇の妃がそんな巻き髪では何かと笑いものにされるだろうと女院。そんな事は構わない、上皇も気にしないと言っていると滋子。それでは収まらないのが世の難しいところ、帝ともますます差が付くと女院。じっと女院を見つめる滋子。)

(清盛の館。滋子の癖毛を直そうと、懸命に手入れをする時子と経子。そこに現れ、何の騒ぎだと訝る清盛。滋子の髪を真っ直ぐに伸ばしているのだと池禅尼。なんですとと清盛。巻き髪では公卿の笑い者にされると、上西門院から何とかせよとの仰せなのだと禅尼。何と馬鹿げたとあきれる清盛。そこに駆け込んできた時忠。彼が持ってきたのは板きれでした。それで髪を挟んで引っ張る時子。痛がる滋子。唖然としている清盛。)

(手だてもむなしく、巻き髪のままの滋子。そこに現れた清盛。もう良いではないか、そんな事で人の値打ちが変わるものではない、そんな事を気にする女子であったとは見損なったと清盛。恋する女の気持ちが判らないのかと時子。何だとと清盛。取りやめにすると滋子。驚く時子、あきれる清盛。今更そんな事が通ると思っているのかと時忠。上皇に恥をかかせたくないと滋子。腹に子が居るのだぞと時忠。きっと巻き髪の子だ、やんごとなき生まれとなっても恥をかくだけだと言って出て行く滋子。後を追う時忠。清盛に向かって、婚礼が取りやめとなれば、上皇の機嫌を損なってしまう、どうするのだと禅尼。ため息をつく清盛。)

(上皇の御所。成親に取り次ぎを頼む清盛。会えないと成親。婚礼を止めた訳ではない、何とか取り次いでくれと頼む清盛。勘違いしているのではないか、上皇は怒っている訳ではないと成親。訝る清盛。)

(上皇に何か食べろと薦める朝子。要らぬと上皇。せめて白湯でもと朝子。要らぬと上皇。滋子が婚礼を考え直していると聞いてから、ずっとあの調子だと成親。その様子を見て吹き出してしまう清盛。)

(清盛の館。横になり、姉に謝る滋子。上皇こそが光る君だったのではないのかと時子。その様子を部屋の外から見ている清盛。)

(翌日。縁に座って、巻き髪を引っ張っている滋子。そこに現れた清盛と兔丸。有無を言わさず、手下に滋子を担がせる兔丸。何じゃと驚く滋子。何事ですかと驚いて出て来る時子。そなたも早く支度をしろと時子。)

(上皇の御所。婚礼の支度がすっかり整っています。居並んだ公卿達。清盛以下、平家一門。滋子を待ち侘びている様子の上皇。)

(清盛の合図と共に響く宋風の楽曲の音。宋の衣装を身に纏い、華やかな髪飾りを付けて現れた滋子。先導し、花を撒いていく子供達。あれは宋国の衣装だと公卿達。天女のごとき美しさだと上西門院。巻き髪が醜いなど、はるか昔に誰かが決めた事、そんな因習に囚われている様では新しい世など名ばかりだと清盛。清盛を見る公卿達。庭先に跪いた滋子。滋子を見る上皇。やがて立ち上がって滋子の前に行き、彼女に手を差し出します。その手を握って立ち上がる滋子。滋子の手を引いて上座に向かう上皇。清盛に向かって礼を言う時子。上皇に借りを作りたくなかっただけだ、また宋との商いに弾みが付けばよいのだと清盛。はいと笑う時子。上座に並び、幸せそうな上皇と滋子。)

(清盛の館。桃李に礼を言う兔丸。お役に立てて良かったと桃李。自分は婚礼の衣装を着けぬまま、この年になってしまったと桃李。照れくさそうに笑う兔丸。隠れて笑っている手下達。)

(上皇の御所。遊びをせんとやと歌い舞う上皇。上皇に続いて今様を歌う清盛。唱和する二人。)

今回は清盛の参議就任、美福門院の逝去など史実に即した動きもありましたが、ほぼ滋子と後白河上皇の婚礼をモチーフとした創作の回でした。

少しだけ清盛に触れておくと、正三位になったのは永暦元年6月の事で、正四位、従三位を飛ばしての就任でした。平治の乱の終結から半年を経過していますが、その理由は定かではない様ですね。この時、清盛は43歳で、前途はまだ洋々としていたと言えます。参議になったのは8月の事で、翌月には右衛門督を兼任しています。さらに、翌年には検非違使別当を兼ねた上に権中納言への昇進を果たしており、乱の前の信頼の地位をほぼ引き継いだ形となりました。平治の乱によって清盛が得た果実は、途方もなく大きかった事が窺える事実ですね。なお、太宰大弐については、永暦元年12月に辞任しています。

一方、美福門院得子が亡くなったのは、永暦元年(1160年)11月23日の事でした。二条帝就任に執念を燃やした女院でしたが、その後は病い勝ちになり、政治の表舞台からは遠ざかっていた様ですね。享年は44歳で、当時としてもまだ若かったんじゃないのかな。彼女の後を清盛が埋めたとも言え、もしもう少し長生きしていれば、その後の政局もまた違ったものになっていたのかも知れません。九尾の狐のモデルとも言われたこの人ですが、このドラマでは、最後はすっかり良い人として描かれていましたね。

二条天皇の后に関して言えば、即位の前に美福門院の皇女である姝子内親王を妃としています。即位後は中宮となりますが、やがて病を得て出家してしまいます。ドラマの中で清盛が中宮が出家したと言っていたのはこの人の事なのですね。

二条帝の后にはもう一人居て、この人が平家物語で二代后と記された藤原多子なのですね。多子は近衛帝の皇后だった人で、頼長の養女だった人でもあります。ドラマでも頼長と忠通との対立の原因となった人として出て来ていますよね。平家物語では、多子の美貌に心を惹かれた二条帝が独断で事を進め、先帝の皇后を后とした先例はないと引き止める近臣を、唐の国では例があると言って強引にねじ伏せて後宮に入れたと記されています。この事はドラマでは完全にスルーとされていました。

スルーと言えば、永暦元年には、平治の乱で暗躍した、惟方と経宗の二人が流罪になると言う事件が起きています。これは、後白河上皇が好んで市井の様子を眺めていたという桟敷があったのですが、これを惟方と経宗の二人が封鎖するという嫌がらせを行った事に端を発しています。これに激怒した上皇は二人を捕らえ、拷問を加えた上に、惟方を長門国に、経宗を淡路国に流してしまったのでした。なぜ、そんな詰まらない事を二人がしたのかは良く判らないのですが、二条側近派と後白河上皇派の争いが背景にはあると言われています。結構大きな事件だと思うのですけどね、ドラマでは一切触れられる事はありませんでした。

滋子について言えば、当時絶世の美女と謳われた人で、その美貌と聡明さが上皇の気に入る所となり、寵愛を受ける様になったと言われています。滋子が上皇を選んだというのは無論創作で、巻き髪だったというのもたぶんそうでしょう。なぜなら、当時の美人の条件としては、美しい黒髪である事が絶対とされていたからで、巻き髪だったとしたら噂にも上らなかった事でしょう。それを逆手に取ったのが今回の創作で、旧弊なしきたりに囚われない清盛らしさを演出するために考えられた設定なのでしょうね。れにしても、宋国の衣装と巻き髪はよく似合っていました。これも女性作家ならではの感性なのかな。

滋子と後白河上皇の仲が良かったのは本当で、滋子が居たからこそ、清盛と上皇の仲が上手く行っていたとも言われます。それほど重要な役割を担った女性が滋子だった訳で、主役扱いの回が設けられるのも無理はないかなとも思えますね。

ただ、清盛としては二条天皇こそが本命で、後白河上皇とはほどとぼのつきあいに止めていたのはドラマにあったとおりです。その理由は、やはり二条天皇が正統な跡継ぎで後白河上皇は中継ぎに過ぎなかった事、またその人柄からとても治天の君は勤まらないと見られていた事が挙げられます。これもドラマの中で描かれていたとおりですね。この事から、後白河上皇は、暫くの間は政治の表舞台から遠ざけられる事になって行きます。

次回は平家納経が描かれる様ですね。平家納経は先日「平清盛展」で拝見しましたが、その見事さには目を奪われるばかりでした。平家の繁栄の象徴ともされますが、このドラマもそこまで来たのかという感じがしますね。ドラマでは崇徳上皇の怨念と絡めて描かれる様ですが、どんな筋立てになるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

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京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 太子山~

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宵山では、あまり人混みのしない場所を選んで歩こうと決めていました。そこには新町通や室町通とはまた違った風情があるかなと思ったからですが、確かにその甲斐はありましたね。

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この太子山は鉾町の南西隅にあり、中心部から最も遠い場所に位置します。祇園囃子もここまでは届かず、この山まで来る人は少ない様に思えるのですが、実際にはそんな事はありませんでした。人混みがする程ではないけれど、結構な賑わいを見せていたのですよ。

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その理由の一つは、ここには床几と長椅子が沢山用意されている事にあるのでしょうね。宵山を歩き疲れた人は、ここに来ればゆっくりと足を休める事が出来るのです。実際、近くの山よりも賑わって見えたのは、座っている人が多かったからなのは確かですね。

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そして、お囃子こそありませんが、売り子達が童歌を絶えず歌ってくれており、宵山らしい祭情緒が漂っていた事も人が集まる理由の一つでしょうね。その様子を動画に獲って来たのでご覧下さい。

基本形は他の山と同じですが、やはりこの山独得の節回しやフレーズがあります。彼女たちはずっとこの調子で歌っていたのですが、後で喉が嗄れたんじゃないかな。でも、おかげさまで祭りの宵の気分を、じっくりと楽しませてもらう事が出来ましたよ。どうも、お疲れ様でした。

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2012.07.21

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵山 大船鉾~

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宵山では、宵々々山ではあまり行かなかった四条通以南を中心に回りました。その最初に訪れたのがここ、大船鉾の町会所です。

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大船鉾は、幕末の大火によって羅災し長い間休み山となっているのですが、宵山ではわずかに残った装具を展示する居祭りが続けられて来ました。

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その中の一つ、この巨大な御幣は船首に付けられるもので、現存する船鉾が鷁首を飾っているのに対し、大船鉾の特徴とも言えるものですね。

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その大船鉾は再興を目指しており、予定では2年後に鉾を復興し、巡行に復帰するつもりなのだとか。今見る事が出来るのはこのミニチュアだけですが、是非とも本物の勇姿を見せて欲しいものですね。

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鉾の復興に先立ち、平成9年からは祇園囃子が奏でられる様になっています。その様子を動画に撮ってきたので、風情のある調べをお聞き下さい。

囃子方の人達は、15年の間、ずっと山鉾の上で演奏する事を夢見て来たのでしょうね。もう少しでその願いが現実のものとなろうとしています。

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そして今年は、ついに巡行にも参加出来る様になりました。まだご神体を入れた唐櫃だけに拠る仮復帰ではありましたが、実に142年ぶりの復活でした。その様子も17日に獲って来たのでご覧下さい。

この動画を撮れたのは全くの偶然で、新町通に向かう途中に行列に出会ったのでした。まさにこれから巡行に出発するタイミングで、大船鉾が復活する瞬間に立ち会えたのは幸運だったの一言です。

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ここまで来たら、復興の夢を無事に叶えてあげたいですね。2年後のこの日に、巡行の掉尾を飾る大船鉾を見る事を楽しみに待ちたいと思っています。

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2012.07.20

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵々々山 蟷螂山~

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西洞院通という鉾町の西の外れにあるのが蟷螂山、祇園祭の山鉾の中で唯一の絡繰り仕掛けを持つ山です。

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巡行中は鎌を振り上げたり羽根を広げたりと楽しませてくれるのですが、宵々々山ではただ展示されているたけでした。これだけではちょっと寂しいですよね。

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それでも蟷螂山には、他では見られない様な長い行列が出来ます。その訳はと言うと、次の動画に答えがあります。

この蟷螂のおみくじが大人気なのですね。これを目当てに、西の外れにある山に大勢の人が押し寄せているのでした。

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蟷螂山のディスプレイは徹底していて、こうした提灯にも蟷螂の折り紙が吊されています。

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そして、販売されているグッズも当然蟷螂づくしで、Tシャツもこんなデザインでした。なかなか洒落た絵柄ですよね。

蟷螂山以外は出店だけという界隈なのですが、それだけにくだけた雰囲気のある界隈でもあります。祇園囃子は聞こえないけれど、宵山では人気の高いスポットの一つですよ。

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2012.07.19

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵々々山 南観音山~

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宵々々山で目標の一つにしていたのが南観音山でした。祇園囃子が奏でられるという事では鉾と変わりないのですが、四条通とは違って新町通という狭い道にあり、昔ながらの風情を感じられるというところが良いのですよ。

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その風情を一層際だたせてくれるのが、この売り子たちの童歌ですね。童歌は他の山でも聞く事が出来ますが、祇園囃子とのコラボレーションとなると、ここにしかないのです。

その動画も撮ってきましたのでアップしますね。

どうですか、宵々々山の雰囲気を味わって頂けたでしょうか。

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売り場にはこんな土鈴が置かれていました。なかなか洒落てますが、これまで見た事が無かったような気がします。もしかしたら、新製品なのかな。

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残念ながら拝観が締め切られていたので山には登る事が出来なかったのですが、祇園囃子はじっくりと聞かせてもらう事が出来ました。祭り気分が最高潮になった界隈でしたね。

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2012.07.18

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵々々山 岩戸山~

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保昌山の次は、高辻通を経て新町通に入り、岩戸山に行くというのがここ数年のパターンになっています。ここは山でありながら囃子方を持つという3つの山の一つ(あと二つは北観音山と南観音山)ですね。

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ここから屋台が始まるのですが、今年は初めて警察の規制が入ったとかで、例年よりも数が少なかった様な気がします。特に気付いたのは綿菓子屋さんが一軒も無かった事で、警察による規制と何か関係があったのでしょうかね。

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ここは山の上に登る事が出来、結構賑わっていました。私も以前に寄せて貰った事があるのですが、やはり大型の鉾に比べると狭く感じましたね。でも、眺めはなかなか良くて、巡行当日ならきっと気分が良い事でしょう。

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ここから新町通を北上して船鉾に行くつもりだったのですが、今年は通行が規制されていて南行き一方通行になっていました。ここだけでなく、一方通行の規制箇所はそこかしこで変わっており、去年までの知識はあまり役に立たなかったです。

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いつも思うのですが、通行を規制するならするで、どこをどう制限しているのか、ちゃんと表示して欲しいですね。道の入り口でここは一方通行ですと叫ぶだけでは、次にどこへ回れば良いのかまるで判らないのですよ。パンフレットには確かに表示されているけれど小さくて分かり難いし、現地に看板を立てるなりなどして規制の内容を明示して貰わないと、時間のロスになるばかりです。

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せっかくのお祭りなのに、そうした運営面で手落ちがあるのは勿体ないですね。全国から大勢の人が集まる一大イベントなのですから、誰が来てもスムーズに歩ける様に工夫して貰いたいです。一方通行自体は混雑緩和の為には歓迎なのですけどね、迷路を歩く様な運営の仕方は勘弁して欲しいものです。

ちょっと愚痴めいてしまったので、お口直しに祇園囃子をお届けします。

これを撮ったのは宵山でしたが、賑わいはさすがに上でした。宵々々山の25万人に対して宵山は40万人だったとか。これだけの人が集まるとは、やっぱり祇園祭だけの事はありますね。

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2012.07.17

京都・洛中 祇園祭2012 山鉾巡行 ~長刀鉾~

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平成24年7月17日、京都・祇園祭のクライマックス、山鉾巡行が行われました。今年も観覧したのは新町通、一通りの巡行を終えた山鉾が各鉾町に帰る時に通る道です。

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ここはなんと言っても、昔ながらの狭い道を山鉾が通る風情と迫力が良いのですよ。四条通や河原町通が余所行きの顔とすれば、ここは山鉾本来の顔が見られる特等席ですね。

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私が陣取ったのは、北観音山の町会所の前でした。ここでは昔ながらの町家と山鉾のコラボレーションを見る事が出来るのです。

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ところがですね、町会所に隣接してあった、旧松坂屋の京都仕入れ店が解体されてしまっていたのです。あるのは殺風景な工事現場だけで、以前の様な風情は失われてしまっていたのでした。松坂屋発祥の地として保存されるかと思っていただけに残念な事ですね。

次に動画を撮ってきたのでご覧下さい。

間近で見る動く山鉾の迫力を感じて頂けたでしょうか。

今日はあまりの暑さに体力の限界を感じて、全ての山鉾を見ることなく、途中で引き上げてしまいました。それでも2時間は頑張ったのですけどね、梅雨明けの夏の日差しは半端では無かったです。そんな中で撮ってきた巡行の様子は順次アップしていくますので、楽しみにお待ち下さい。

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2012.07.16

京都・洛中 祇園祭2012 ~宵々々山 保昌山~

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宵宮へ行くルートはいくつも有りますが、我が家では京阪の清水五条で降りて歩く事が多いです。祇園四条まで行って四条通を西に歩くのがメインストリートでしょうけど、その混み方は半端じゃないのですよね。その点、五条からだと嘘の様に人の居ない道を通って、鉾町までたどり着く事が出来るのです。これはなかなか快適ですよ。一度お試しあれ。

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そのルートを通った場合に最初に着くのが保昌山です。鉾町の東南、烏丸通の東に離れ小島の様にしてある鉾町ですね。

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でも、その人気は上々で、6時過ぎに着いた時には、既に大勢の人で賑わっていました。特に女性の姿が目立つのは縁結びの神様として知られる様になったからで、お守りや願掛けの絵馬を求めに来る人が訪れる様になったのですね。

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そのご神体がこの藤原保昌です。平安時代の中頃に実在した人物で、大和守、山城守などを歴任し、正四位下まで登った貴族でした。女流歌人として知られる泉式部に求愛し、清涼殿で咲いている梅の花を盗ってきたら受け入れると言われ、地位も名誉も忘れて本当にそのとおりにしたという逸話の持ち主で、その情熱から恋愛成就の神様と言われる様になりました。

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武勇にも優れており、当時有名だった袴垂という盗賊に襲われそうになった時、盗賊の方が保昌の迫力に恐れをなして手が出せなかったという逸話もあります。このため、盗難避けのご利益もあるとされていますね。

可愛い売り子が歌う童歌にも、「縁結びと盗難避けのお守り」と出て来ますので、次の動画をご覧下さい。

似ている様でも、他の山とは少しバージョンずつフレーズや節回しが違いますね。こうした童歌を聞き比べて歩くのも、宵宮の楽しみ方の一つです。

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2012.07.15

平清盛 第28回 「友の子、友の妻」

(1159年(平治元年)12月、東国へ落ちる途上の義朝一行。父が髭斬の太刀を持っていない事に気付き、落としたのではないかと探しに引き返す頼朝。その内に、一人となってしまう頼朝。)

(後白河上皇を頼って仁和寺に現れた信頼と成親。彼等を優しく出迎える上皇。その上で、長恨歌を歌い出す上皇。これは聞いた事の無い歌だと信頼。これは家臣に裏切られ、国を滅ぼした皇帝の歌だと上皇。驚く信頼。自分はそうなりたくないと言って立ち上がる上皇。そこに現れ、信頼たちを捕らえる教盛。上皇様と叫び続けながら、引き立てられていく信頼。冷たく見送る上皇。)

(清盛の館。庭先に引き据えられている信頼たち。今度の始末は全権を任されていると宣言し、信頼と成親の罪をならす清盛。まず、成親に向かって、今度だけは許す、次は身内でも許さないと恫喝する清盛。叩頭する成親。私も助けて欲しいと立ち上がる信頼。信西の座に取って代わろうとして謀反を起こした者を生かしておいては、信西の霊も浮かばれないと冷たく言い放つ清盛。うなだれて、おもしろうないのうとつぶやく信頼。志の無い者の一生が面白くないのは道理だと一喝する清盛。その上で、六条河原で斬首すると断を下します。呆然と清盛を見上げる信頼。)

(引き続き、義朝の行方を追えと命ずる清盛。)

(美濃国、青墓。傷が悪化し、苦しむ朝長。励ます義朝。もうここから動けない、敵の手に掛かるくらいならと言って、短刀で自害した朝長。悲しむ義朝。)

(自分は北国へ行く、義朝には東国に行って手勢を率いて上洛をして欲しい、そうすれば平氏を滅ぼす事が出来ると義平。義平を見送る義朝。しかし、後に平氏に捕らわれて斬首となった義平。)

(平治2年1月4日、尾張国。長田忠致を頼った義朝と正清。力強く、暫くここに止まって兵を集められよ、自分も加勢すると言う忠致。かたじけないと正清。風呂の支度が出来ているので、ゆっくりと寛いで欲しいと忠致。)

(忠致を見送った後、落ちる時は諸共と言った事を覚えているかと正清に問う義朝。何の事かと正清。源氏はこれまでだ、忠致は既に裏切っている、この館の者は自分たちの命を狙っていると言って庭を見る義朝。庭にちらつく怪しい人影。諦めては行けないと駈け寄る正清。自分は木に登る手順を間違えたと義朝。殿、と言葉にならない正清。もう木登りは終わりだと義朝。)

(そこに、風呂の支度が出来た、太刀を預かると帰って来る忠致。二人で見つめ合い、やにわに庭に飛び出す義朝と正清。そこかしこから現れた忠致の家人たち。太刀を抜いて、彼らと対峙する義朝と正清。そして、二人で目を合わせると、俄に太刀を構えて二人で差し違えます。驚く忠致と家人たち。義朝の脳裏に浮かんだ、次は負けぬからなと叫ぶ清盛。庭に倒れる義朝と正清。)

(清盛の館。義朝と正清が尾張国で自害したと伝える忠清。ついに源氏がと歓声を上げる基盛、教盛たち。これで名実共に武士の頂きに立ったと教盛。頼朝はどうなったと問う清盛。途中ではぐれた模様と忠清。きっと見つけ出せ、頼朝を処分しなければこの戦は終わらないと言って立ち去る清盛。)

(廊下で立ち止まり、目を閉じる清盛。それを見ている時子。)

(年号が改まり、永曆元年2月。とある小屋で捕縛された頼朝。)

(清盛の館。庭先に控える頼朝。清盛と二度目の対面をする頼朝に、その後の父や兄の事は知っているのかと問う清盛。聞かせて欲しいと頼朝。朝長は義朝が手を掛け、義平は斬首となったと告げる清盛。そして、立ち上がって頼朝に近付き、義朝は忠致の背信に気付いて正清と共に自害したと伝える清盛。泣き崩れる頼朝。冷たく彼を見下ろし、下がらせよと命ずる清盛。引き立てられていく頼朝。)

(14の若者、無理もないと盛国。義平と同じく斬首かと基盛。仕方がないと時忠。では叔父上が斬るかと基盛。それは困ると時忠。斬らなければ勅命に逆らうのと同じと忠清。どうするつもりかと父に問う重盛。自分の覚悟は忠正を斬った時から決まっている、新しい国作りを邪魔する者は、友の子であっても許さないと清盛。)

(夜、木を削る頼朝。そこに現れ、内裏での戦いは自分の初陣だった、満足に戦えなくても是非の無い事と言い出す宗盛。宗盛を見て、戦の日の事を思い出す頼朝。今思い出したのかと宗盛。申し訳ない、あれは自分にとっても初陣だったのだと頼朝。勝ち誇ったつもりなのか、そなたなど賊の子だと宗盛。黙ってうなだれている頼朝。)

(そこに現れ、宗盛をたしなめる池禅尼。禅尼に謝り、頼朝を睨んで立ち去る宗盛。頼朝の前に座る禅尼。頭を下げる頼朝。その檜と小刀を所望したそうなと問う禅尼。はいと頼朝。何とすると禅尼。父と母と兄たちに、せめて卒塔婆の一本でも作って供養としたいのだ、命のある内にと頼朝。命の、と禅尼。源氏は逆賊、自分は棟梁の子、助かるとは思っていないと頼朝。助かりたいとは思わないのかと禅尼。どんな時も源氏の誇りを持てと母に教えられた、どんな沙汰も受け入れる事が母の思いに応える事だと思うと頼朝。頼朝をじっと見つめる禅尼。)

(粗末な小屋の中で、生まれたての牛若を抱く常磐。そこに現れたのは、食べ物を持ってきた鬼若。そして、常磐に向かって、赤子を抱かせてくれと頼みます。そして、牛若の顔をのぞき込み、良い面構えだ、良い源氏の武者となるだろうと鬼若。そして、牛若を抱きながら、父の手に抱かれる事もない不憫な子だと涙ぐみます。)

(牛若を鬼若から受け取り、これから六波羅に行くと言い出す常磐。何だとと驚く鬼若。そなたに助けられた故に、無事に牛若を産む事が出来た、それ故に何としても乙若、今若、牛若の三人を命を守りたいのだと常磐。清盛は、今度の戦に係わった者をすべて断罪したと聞く、今六波羅に下ってはどんな目に遭うか判ったものではないと反対する鬼若。自分は清盛の慈悲に賭けてみたいと常磐。忌々しげに、飛び出していく鬼若。)

(清盛の館。清盛を訪ねてきた池禅尼。彼女の用件とは、頼朝の命を助けて欲しいという事でした。何故と清盛。頼朝は家盛に似ているのだと禅尼。似ても似つかないと清盛。父思い、母思い、兄思いのところが似ていると禅尼。その頼朝が斬られる事は、家盛が二度命を落とす様な心地がすると禅尼。自分は平氏の棟梁として情に流される訳には行かないのだと清盛。じっと清盛を見る禅尼。)

(翌日。清盛に慈悲をと願う頼盛。それを無視する清盛。何事ですかと重盛。禅尼が一切の食事を摂らないのだと忠清。食事だけでなく、水も湯もだと頼盛。頼朝を斬るなら、自分も飢え死にするそうだと清盛。飢え死に?と驚く一同。断食など3日と持つまいと楽観的な清盛。2日と持たない、いや1日も持たないと口々に言う郎党たち。止さぬかと叫ぶ頼盛。)

(そこに客人として案内されてきた、師光改め西光。彼の用件とは、頼朝の首を刎ねて欲しいという事でした。頼朝を生かしておいたのでは、信西の霊が浮かばれないと西光。言われるまでもないと清盛。)

(念仏を唱える禅尼。そこに白湯を持って現れ、無理をしなくても禅尼の思いは清盛に伝わっていると家貞。そなたには敵わないと禅尼。頼朝を見ていると家盛を思い出すというのは本当だ、しかしそれ以上に痛々しいのは清盛、健気な若者の命を奪いたいはずはないと禅尼。後は清盛が決める事、自分たち年よりの出る幕ではないと家貞。そなたと一緒にするなと言って、白湯を飲む禅尼。あっと驚く家貞。あっと気が付く禅尼。笑いを堪える家貞。顔を顰めて、口に人差し指を当てる禅尼。)

(清盛の館。庭に控える常磐、今若、乙若。常磐に抱かれている牛若。立場を知らない訳でもないのに、なぜ自ら来たのかと問う清盛。自分はどうなっても構わない、この子たちの命だけは何とぞと頭を下げる常磐。その乳飲み子はと問う清盛。暮れに生まれたばかりの牛若と答える常磐。暮れにと絶句する清盛。そして、追って沙汰すると言って常磐達を下がらせます。一礼して立ち去る常磐。)

(噂以上に美しい女だと忠清。側女にするのだろうと時忠。側女になどしないと清盛。何故と教盛。母が怖いのかと基盛。彼をたしなめる重盛。立ち上がり、そうだと言って笑う清盛。)

(廊下。清盛の前に現れて、自分のせいにするとは酷いと怒る時子。自分は構わないから、あの女を側女にせよ、妻の悋気で威厳を増す事を阻んでいると思われては堪らないと時子。そうではない、落ち着けと清盛。ではなぜと時子。常磐は義朝が心の支えとしていた女、それをどうして側女に出来ると清盛。やはりそれが本心だったかと時子。自分を騙したのかと清盛。義朝は敵である前に掛け替えのない友、その上で裁断すれば良いのではないのかと時子。無言で目を逸らす清盛。)

(庭先に控える頼朝。広間の上座に着く清盛。そなたに沙汰を下さなければならない、しかしその前にと清盛。布を被した物を運んでくる盛国。それは髭切の太刀でした。驚く頼朝。義朝と一騎打ちになった時、義朝が残していったものだと清盛。涙ぐむ頼朝。そして、早く殺してくれと口走ります。義朝は真の武士だった、財力にものを言わせて朝廷に取り入る平氏のやり方が許せず、太刀の力を信じて兵を挙げた、その父が平氏の棟梁の前に髭切の太刀を置いていくとは、背を見せて去ったとは、そんな弱々しい背を見たくないと頼朝。真の武士がまやかしの武士に負けた、そんな世の行く末を見たくないと頼朝。黙って立ち上がる清盛。その髭切で早く首を切ってくれと迫る頼朝。)

(髭切の太刀を手にして、頼朝の前に立つ清盛。そして、太刀で頼朝を殴りつけます。その頼朝の姿は、清盛には義朝に見えていました。お前はそれで気が済むだろう、一心に太刀を振るい、武士として生き、武士として死んだと思っているのだろうと義朝に語りかける清盛。だが自分はどうなる、お前が居ない世で武士が頂きとなる世を切り開いて行かなければならないのだ、それがどんなに苦しい事、空しい事か判るかと清盛。だが、自分は乗り越える、乗り越えてこその武士だ。醜い事にまみれようとも、必ずこの世の頂きに立つ、途中で降りたお前が見る事のなかった景色をこの目で見てやる、その時こそ源氏が平氏に負けたと思い知れと叫ぶ清盛。あの詰まらぬ戦を起こした自分の愚かさ知れ、俺はお前を断じて許さないと言って太刀を抜き、その太刀を地面に突き刺す清盛。驚いて清盛を見る頼朝。誰が殺してなどやるものか、真の武士はいかなるものか見せてやると言って太刀から手を離し、頼朝を流罪に処すと宣言する清盛。そして、遠く伊豆から平氏の繁栄を指をくわえて眺めていろと言って立ち去ります。呆然と清盛を見送る頼朝。同時にその背に義朝の志を負っている事も知りました。)

(牛若を寝かしつける常磐。そこに現れた清盛。ひれ伏す常磐。じっと牛若を見る清盛。座り直す常磐。丁度これくらいの時だったのだろう、自分の母は自分を助ける為に死んだと清盛。そして、常磐に向かって、子供達を助けるためには、自分がどうなっても良いと言ったなと確かめる清盛。はいと答える常磐。常磐の肩を抱いて、死ぬ事は許さない、母ならば生きて子を守れと清盛。常磐を押し倒す清盛。元よりその覚悟、常磐は義朝の妻と常磐。さようかと清盛。)

(母と共に都に住む事を許された牛若。)

(髭斬の太刀を木箱に収める頼朝。出立の刻限だと告げる基盛。そこに現れ、禅尼から伊豆に供するようにと命じられたと言う藤九郎。さようかと驚く頼朝。さっそく、頼朝の荷物を持って駆け出す藤九郎。では、と促す基盛。立ち上がる頼朝。)

(武士として初めて公卿となった清盛。)

今回は平治の乱の戦後処理として、信頼たちと頼朝、常磐のその後が描かれました。史実において、信頼が乱の首謀者として斬首されたのはドラマにあったとおりで、保元の乱の時と違い、死罪が武士だけでなく公家にまで適用された事で衝撃が走ったと言われます。一方の成親は重盛の義兄という事で許され、解官されただけに止まっています。このあたり平氏は身内に甘いという気もしますが、ドラマの中で二度目は無いと言われたこの人が、後に同じ事をやってしまうのが公家らしくて懲りないところと言うべきなのでしょうか。

一方、頼朝の助命を池禅尼が求めた事は平治物語にあるとおりで、その理由はドラマにもあった様に家盛に似ているからという事でした。また、これもドラマにあった様に、頼朝が亡き一族のために卒塔婆を作った事も、禅尼らの心証を良くした様ですね。清盛にとっては禅尼は義母とは言え目上の存在であり、その発言を無視出来なかったのだろうと言われています。

事実としては、禅尼が頼朝に心を動かされたと言うよりも、頼朝が仕えていた上西門院の周辺から救いの手が差し伸べられた結果である様ですが、義朝は謀反に加担したとはいえ首謀者ではなく、信頼に命じられたままに動いたに過ぎなかったという事情もあった様です。王家を二分した保元の乱とは違って、今回は信西と信頼という臣下同士の争いであり、それに加担した武士に対する処分も、保元の乱ほど苛烈にする必然性は無かったのではないかとも言われます。

また、常磐は、乱の後一度は清水寺に逃げ込み、その後大和の宇陀にまで落ち延びたと言われます。ドラマで後の弁慶である鬼若が助けたというのは創作ですね。しかし、都で母が自分達の行方を巡って責め苦を受けていると知り、それを助けるべく六波羅に現れたとされています。六波羅では清盛に慈悲を乞い、清盛の側女となる代わりに子供達の命が助けられたと言われますが、それが事実かどうかは定かではないようです。少なくとも、嫡子の頼朝を助けた以上、それ以下の子供達を処刑する理由などなく、常磐の身の処し方とは関係なしに牛若達の助命は決められたものと考えられています。

ドラマに戻って、清盛にとっては義朝は掛け替えのない友なのでした。その友の子や妻を殺す事は、清盛にはどうしても出来ない事だったのですね。禅尼もまた、その清盛の心を知っていて一芝居を打ったのでした。このあたりのお互いの思いやり方が、如何にもこのドラマにおける平家らしいと言えるでしょうか。その甘さが平家の命取りとなるというのが既定の路線となるのかな。

清盛にとっては、頼朝は義朝その人に見えたのでした。頼朝にぶつけた思いの丈は、義朝に対する悔恨の情でもあったのでしょうね。甘いと言えば甘いけれど、ライバル物語としては良くできた場面ではありました。

それにしても、伏線の使い方は相変わらず巧みで、まず信頼の「面白くないのう」という決まり文句は、最後に清盛が罵倒するために使われていたのですね。きっと何か狙いがあるのだろうと思っていましたが、なるほどこう来たかという感じです。

次に、赤子を抱いた清盛の母と常磐の姿が見事にオーバーラップしていました。清盛の母をああいう形で死なせたのは、常磐の姿を重ねたいという狙いもあったのですね。ついでに言えば、清盛と牛若の立場も重なるものがあります。白河院が築いた世を壊した清盛が、自分が助けた赤子によって倒されるという因縁が込められているのでしょうか。

また、髭斬の太刀を前回義朝が残していった訳は、二度に渡って清盛が義朝を救う為でした。二度目は頼朝だった訳ですが、清盛にしてみれば義朝の分身ですよね。そして髭斬の太刀は清盛の思いと共に頼朝に受け継がれていく訳ですが、繰り返しナレーションされている様に、確かに清盛の誰よりも武士でありたいという思いは頼朝に伝わっていたのでした。なぜ頼朝が敵であるはずの清盛を誰よりも理解していたかという謎の答えがここにあります。

次回は公卿となった清盛と、時子の妹の滋子との関わりが描かれるようです。滋子はちょっとした変わり者として描かれる様で、そのあたりが見所となるようですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

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京都・洛中 祇園祭2012 ~宵々々山 四条通~

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平成24年7月14日の四条通です。京都ではこの日から祇園祭の宵宮が始まり、巡行3日前は宵々々山と呼ばれます。例年なら宵宮の中では比較的空いている事が多いのですが、3連休に当たった今年は昨年よりも10万人も多い25万人が訪れたとの事でした。

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その分人混みに揉まれたのですが、2年前の雨の宵々々山は人が少な過ぎて寂しい思いをした事に比べれば、余程祇園祭らしくて良かったとも思えます。

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写真は四条通の様子で、ここでは3基の大型の山鉾を見る事が出来ます。その一つが函谷鉾で、この鉾が奏でる祇園囃子が祭りの風情をぐっと高めてくれます。その様子を動画でご覧下さい。

風情ある祇園囃子と共に、凄い人出だった事が判るでしょうか。初日でこれなら、今日とと明日はどうなるのでしょうね。

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函谷鉾の西にあるのが月鉾ですね。新月を鉾の頂上に頂き、祭りの宵の風情に相応しい鉾ですが、函谷鉾と共に祇園囃子で祭りらしさを演出してくれます。こちらも動画を撮ってきたので、ご覧になって下さい。

函谷鉾とは似て異なる祇園囃子を楽しんで頂けたでしょうか。明日以降はさらに、宵々山、宵山、巡行の様子を順次アップしていく予定です。

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2012.07.14

京都・洛東 紫陽花2012 ~二年坂 7.7~

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三年坂から続く二年坂もまた、1年を通して人通りが絶えない場所の一つです。

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その二年坂にある甘味処がかさぎ屋さん。大正時代に開業したこの店の街灯は結構大きなもので、その形から大正ロマンを感じさせてくれます。相当に古そうなのですが、開店当時からあるものなのかな。

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かさぎ屋さんから暫く歩くと、紫陽花が咲いていました。鉢植えですけど、毎年この場所で咲いています。この時期の二年坂には欠かせない嬉しい花ですね。そろそろ梅雨も終わりを迎えそうですが、この花の盛りもそろそろ過ぎる頃かな。祇園祭と共に、京都には夏が訪れます。

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2012.07.13

京都・洛東 百合の咲く坂道 ~三年坂 7.7~

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清水寺から三年坂へと降りてきました。この坂も相変わらず人通りが多いですね。

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その坂の途中で、百合が咲いていました。ほのかな香りもしていて、なんとも風情があるものですね。この坂の雰囲気にぴったと来る花でしたよ。

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瓢箪屋さんの前では、アガパンサスが咲いていました。南アフリカ原産の花ではあるけれど、この時期に咲く、梅雨らしい花ではありますね。

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梅雨の谷間の三年坂は、家並みの中にも確かな季節感を感じる事が出来る坂道でした。やっぱり風情のある道を歩くのは、楽しいものですね。

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2012.07.12

京都・洛東 深緑2012 ~清水寺 7.7~

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清水寺を訪れるのは3月以来になります。桜の季節にも来なかったものな。これだけ間を開けたのは久しぶりな気がします。

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その間に季節はすっかり変わって、本堂は深緑に埋まっていました。曇天なのが残念ですけどね、いっそ雨が降っていた方が風情があって良かったかも知れません。

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本堂でちょっと驚いたのは、阿弥陀様が鎮座されていた事でした。阿弥陀堂が補修されている間、こちらに移されているのですね。これは今しか見る事が出来ない貴重な光景ですよ。

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厚い雲に覆われた京都の光景です。うっとうしくはあるけれど、これも梅雨らしい景色ではありますね。

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梅雨らしいと言えば、紫陽花も境内のそこかしこで咲いていました。ここはまさに花盛りでしたね。この花もまた、清水寺の一つの顔と言えるのかも知れません。

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2012.07.11

京都・洛東 桔梗2012 ~智積院 7.7~

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天得院から智積院へとたどり着きました。ここもまた、桔梗の咲く寺として知られるところです。

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しかし、既報のとおり、今年の桔梗はかなり寂しい事になっています。参道ばかりでなく、庭園の桔梗も花がまばらなのですね。いつもなら勢いよく咲いているところなのに、どうしてしまったのでしょうか。

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代わりに、紫陽花はまだ見頃を保っていました。ここの紫陽花は金堂の東側と北側一面に植えられているのですが、数が多いので、なかなか見事ですよ。でも、もうそろそろ見頃は終わりを迎えるでしょうね。

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かつてはこの寺は蓮が見事だったのですが、数年前から姿を消してしまいました。正確にはまだ一部に残っているのだけど、以前の様に群生という感じてはないですね。代わりに睡蓮がわずかばかり咲いているだけというのは、少し寂しい姿です。

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その池の中の石組みで、ネジバナが咲いていました。これも以前は池の周囲で咲いていたのですけどね、最近は見かけなくなっています。もしかしたら採られてしまったのかな。さすがに池の中では手が出なくて、ここだけ残っているのかも知れないですね。

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智積院は少し期待外れに終わってしまったけれど、紫陽花が綺麗だったので、まあ良しとしなければならないのでしょうね。来年は桔梗が復活してくれると良いのだけどな。

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2012.07.10

京都・洛東 桔梗2012 ~天得院 7.7~

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光明院に続いて天得院を訪れて来ました。ここも先日桔梗の寺として紹介したところですね。

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ここはまさに花盛り、この日が見頃と言って良い状況でした。こちらは南側の庭の様子です。

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こちらは西側の庭です。一続きではあるのですけどね、背景が土塀か植え込みかで、感じが違って見えますね。

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パンフレットの表紙にもなっているのがこの火頭窓。でも、パンフレットの様に、桔梗を沢山入れて撮るのはなかなか出来ないのですよね。どういう角度から撮れば上手くいくのかしらん。

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前にも書いたとおり、野趣に富んだ草姿がこの庭の風情です。でも、手入れがされていないのかというとそんな事はなくて、花殻は丁寧に摘み取られており、どの株も綺麗な姿を見せてくれています。

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苔の上には枯葉一枚落ちておらず、絶え間なく手が入れられている事が窺えます。一見奔放に見えるこの庭も、ちゃんと管理されているからこそ、この姿を保っているのだと判ります。

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桔梗は背が高いのが普通ですが、中にはこんな小さな桔梗も咲いています。花は同じなのですけど、背丈の小さい種類なのかな。なんとも可愛らしくて良いですね。

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庭の方でも八重が咲いていると廊下に書かれていたのですが、私は見つける事が出来ませんでした。代わりに見つけたのが入り口にあったこの花で、白の八重咲きですね。ぱっと見、別の花の様ですが、よく見ると確かに桔梗です。こういう豪華な花もまた、この桔梗の寺の見所の一つです。

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2012.07.09

京都・洛東 桔梗2012 ~光明院 7.7~

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先日、桔梗が咲いているはずだよと紹介した光明院ですが、今年の状況はどうかと確かめて来ました。

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すると、確かに今年も咲いていましたね。少し盛りを過ぎていた様ですが、それにしても様子が何か不自然です。

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よく見ると、株を縛ってあるのでした。たぶん、雨のせいで倒れてしまったのでしょうね。桔梗は自然な草姿が良いのに、少し残念な感じです。

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その雨は、この日の朝まで降っていたのですが、そのせいで州浜が本当の池の様になっていました。雨が降ると必ずこうなるのですけどね、普段と違う景色を見る事が出来るのが面白いところです。

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雲嶺庭の桔梗は花盛りでした。やっぱり桔梗は、こんな具合に自然な姿が良いですね。波心庭の桔梗は期待はずれだったけど、こちらの花が綺麗だったので良しとしましょうか。ただ、今年の盛りはこの日が最後くらいだったのかな。まだ咲き続けるでしょうけど、だんだんと寂しくなる事でしょうね。

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2012.07.08

平清盛 第27回 「宿命の対決」

(平治元年12月18日、清盛の館。熊野から戻った清盛。戦支度で現れ、今すぐ源氏を攻めるという教盛。時期尚早と時忠。清盛はさぞ怒っている事だろうと重盛と基盛。)

(一同の前に現れた清盛。彼は一門を前に、今は信頼が国の頂きに立っている、断じて攻めようとは考えるなと諭します。意外な言葉に、不承不承頭を下げる一門。)

(内裏。清盛が京に帰った事を知り、今すぐにでも攻めて来る、存分に戦って源氏の力を世に見せてやれと郎党達に檄を飛ばす義朝。武者押しの声で応える一同。その中に、義平、朝長、頼朝の兄弟の姿。)

(その様子を見ている惟方と経宗。源氏が勝ったとしても、そのまま内裏に居座る様な事になればと不安げです。その後ろで、侍女と双六に興じている信頼。彼は何も仕事らしい仕事はせず、朝廷の機能は停止したままでした、。その姿を見て、大きな過ちを犯したのではと惟方と経宗。同意を求められ、気のなさげに応える成親。成親の妹は重盛の妻だからどちらに転んでも安泰なのだと陰口を利く経宗。その間も、双六に夢中になっている信頼。)

(一本御書所。幽閉されながらも、平然と今様を歌っている後白河上皇。こんな時に何を暢気なと上西門院。その言葉が耳に入っているのかいないのか、床に目を落とす上皇。)

(清盛の館。何の動きも見せず、平然と飯を食べている清盛。清三郎相手に、留守中の事を聞き、来年が元服だったと気付いて機嫌良く笑う清盛。その様子を不審気に見ている重盛たち。)

(源氏の陣。武装して待っているにも係わらず、何時まで経っても現れない平家軍に、待ちくたびれた様子の源氏の武者たち。何故、清盛は攻めてこないと不審気な義朝。そこに、清盛の使いの者が信頼を訪ねてきたと伝える正清。)

(急いで信頼の下に駆け込む義朝。その姿を見て平家が攻めて来たと狼狽し、自分を守れと義朝に命ずる信頼。うなずく義朝。そこに使者が入ってくる気配がします。きっと振り返り、立ちはだかる義朝。穏やかにお入りあれと促す正清の声。現れたのは家貞一人でした。)

(狼狽する信頼たちを余所に、穏やかに口上を述べ、これを奉呈しに来たと巻紙を差し出す家貞。その巻紙を見て、意外そうな声を上げる義朝。何だと問う信頼。名簿だと応える家貞。それは信頼に忠義を尽くすという証しとなるものでした。ほっとした様に、名簿を受け取る信頼。それを遮り、信西と親交のあった平家が名簿を差し出すとは、何か裏があるとしか思えないと義朝。おののく信頼。平然と、武士の本分はお上を守る事、裏も表もないと穏やかに諭す家貞。信西を討った事に遺恨はないのかと義朝。笑顔でうなずく家貞。清盛はそんな男ではないと叫ぶ義朝。もう良いだろう、疑う事はないと信頼。一朝事があれば、平氏3000騎が駆けつける、なんなりと申しつけられよと家貞。頼もしいと信頼。疑わしげな経宗。納得が行かない様子の義朝。)

(清盛の館。家貞の報告を聞いて、我が意どおりだと清盛。そろそろ皆にからくりを話してはどうかと家貞。顔を上げて家貞を見る清盛。)

(平家一門の宴。盛り上がる一同の中で、一人離れて縁側に座っている重盛。そこに現れ、兄がとんでもない事をしたと清盛に謝りたいと言う経子。それには及ばない様だと微笑む重盛。)

(ますます盛り上がる宴。そこに待ち人が来たと清盛に告げる基盛。急に静まる一同。膳を下げよと命ずる清盛。)

(清盛に平伏し、詫びを入れる経宗と惟方。大納言と検非違使別当という重職にある方が、自分になど平伏されるとは奇っ怪なと清盛。ますますはいつくばり、今度の謀反はすべて信頼が仕組んだ事と訴える惟方。自分たちは巻き込まれたに過ぎないと経宗。ほう、ととぼける清盛。このままでは都は東夷のなすがままになってしまうと惟方。して、と清盛。平氏の力をもって、都を元の姿に戻して欲しいと経宗。)

(巻き込まれただけとは片腹痛い、公卿どもが語らって信西を葬ったのは判っているのだと叫びながら剣を抜き放つ清盛。悲鳴を上げる惟方と経宗。本当なら叩き斬ってやるところ、しかし、自らここに来た度胸は見上げたもの、それに免じて此度は許してやると言って剣を納める清盛。清盛の剣幕に戦く二人。そなたたちの望みを叶えてやる、その代わりどんな事でもすると約束せよと清盛。うなずく二人。返事はと一喝する清盛。飛び上がって、はいと応える二人。)

(源氏の陣。平氏一門は宴にばかり耽っているという噂に、あの名簿は本当だったのではと正清。そんな筈はない、清盛は何かを考えているはずと断言する義朝。そこに現れた身重の常磐。彼女はなぜこんな大それた事をと義朝に問い掛けます。清盛と決着を付けるためには避けて通れない道だったのだと義朝。)

(清盛の館。月明かりの中、一人佇む清盛。そこに現れた時子。いつか待つと言っていたのは、義朝の事でしょうと時子。良いのですか、このまま行けばと時子。これが定めなのだろうと清盛。)

(源氏の陣。これが定めなのだと義朝。)

(源氏と平氏、と清盛。)

(二つの家の嫡男として出会ったと義朝。)

(棟梁となったと清盛。)

(内裏。白拍子と踊る信頼。信頼に、御座所の兵たちもそろそろ疲れて来ている、酒でも振る舞ってやってはどうかと問う経宗。兵の事は義朝に任せてあると信頼。近衛大将直々の振る舞いとあっては、兵にとってこの上ない誉れと惟方。誰もが信頼にひれ伏している今、見張りなど付けるに及ばないと経宗。機嫌良さげに笑う信頼。そっと目配せをし会う惟方と経宗。)

(清盛の館。一人で賽子を振っている清盛。)

(一本御書所。酔い潰れた兵士達。)

(賽子を振り続ける清盛。)

(一本御書所。駆けつけてきた経宗。彼は上皇の部屋に入り、馬の用意があると言って、脱出を薦めます。笑みを浮かべて立ち上がる上皇。)

(黒戸御所。庭に停まった牛車。そこに乗り込もうとする女装姿の人。それを見とがめる義平。さる上臈が北野参詣に出かけるところだと答える惟方。こんな夜更けにかと不審げな義平。差し支えはないだろうと惟方。それを無視して、牛車の中を覗く義平。中に座っているのは、被を被り、女装した二条帝。それを見て、良い女だと言って立ち去る義平。ほっとして、帝に参りましょうと声を掛ける惟方。黙ってうなずく二条帝。)

(清盛の館。帝を無事に救った、間もなくこの六波羅に臨幸するという知らせを持ってくる忠清。直ちに、帝は六波羅におわすと触れ回れと命ずる清盛。)

(内裏、朝。酔い潰れた兵たちを見る義朝。冷ややかにその様子を見ている頼政。)

(急いで、寝ている信頼を叩き起こし、この日本一の不覚人がと投げ飛ばす義朝。驚いて這い蹲る信頼を引き起こし、これで自分たちは賊に成り下がったのだぞと殴り飛ばす義朝。)

(寝ている兵たちを起し、すぐに内裏を固めよと命じて回る義平。これがはじめからの狙いだったのだろうと頼政。それでこそ貴様だと、笑みを浮かべて叫ぶ義朝。)

(平治元年12月26日、清盛の館。主座に向かって控えている清盛たち。六波羅に臨幸した二条帝。これに従った、忠通以下の公卿たち。主座に着く二条帝。帝に向かって、この六波羅に来てもらったからには、一門が命を賭してお守りすると誓う清盛。清盛に向かって、朝敵を討つが良い、信頼と義朝を追討せよと命ずる帝。承知つかまつりましたと清盛。勅命を受けて、官軍となった平氏。)

(意気上がる平家一門。出陣の前に清三郎を呼び、俄かの元服式を挙げる清盛。清三郎は宗盛と名を改めました。宗盛に初陣だと命ずる清盛。えっと驚く宗盛。)

(一門を前に、義は我らにあり、内裏に籠もる逆賊どもを討ち取れと檄を飛ばす清盛。おー、と応える一門。)

(内裏。義平に待賢門、朝長と頼朝には郁芳門を守れ、正清は頼朝の後見をと命ずる義朝。承知と応える一同。その時、聞こえて来る馬のいななき。平氏が来た、叩きのめせと檄を飛ばす義朝。おー、と応える一同。)

(信頼に鎧を叩き付け、そなたも命を張って戦えと命ずる義朝。戦く信頼。)

(廊下を走る義朝。その時、前に現れた常盤。近づくな、そなたは今から我が妻ではないと心得よと義朝。黙って義朝に近付き、その手を取って必ず勝って下さい、そしてこの子を抱いてやって下さいと願う常磐。常磐の腹に手を当てて、黙って聞いている義朝。自分はずっと、あなただけの妻だと常磐。お腹に顔を付けて、牛若と名付けよと義朝。牛若、と常磐。きっと男子だ、強い源氏の武者となる子だと義朝。義朝を見つめる常磐。行ってまいると立ち去る義朝。義朝を見送る常磐。)

(丸太で門を打ち破ろうとする平氏の軍勢。年号は平治、花の都は平安城、我らは平氏なり、平の字が三つ揃って、今度の戦に勝つ事は疑いはないと兵たちを励ます重盛。打ち破られた門。いざ参ると叫ぶ重盛。門に駆け込む平氏軍。しかし、たちまち射竦められてしまいます。門の中で待っていたのは義平勢。)

(我こそは平重盛と名乗りを上げて太刀を抜く重盛。平の字が3つと言ったか、我が名は鎌倉悪源太義平、四つ目の平の字は我が名に有り、いざ戦わんと太刀を抜く義平。掛かれと命ずる重盛。下知に応じて攻め掛かる兵士達。迎え撃つ義平勢。)

(清盛の館。床几に座って目を閉じている清盛。重盛が義平と一騎打ちをしていると知らせる家貞。その様子をじっと見ている池禅尼。)

(内裏。床几に座って、じっと目を閉じている義朝。)

(太刀を持って、一騎打ちをしている重盛と義平。)

(抜丸を振るい、戦う頼盛。)

(悪鬼のごとく戦う忠清。その背後で呆然としている宗盛。)

(物陰で、私を守れと言いながら震えている信頼。)

(じっと目を閉じている清盛。)

(じっと目を閉じている義朝。)

(義平と戦い続けている重盛。)

(奮戦する頼盛。)

(宗盛に向かって矢を放つ頼朝。その矢を太刀で払う忠清。腰を抜かして倒れ込む宗盛。)

(内裏に忍び込んだ鬼若。一室で念仏を唱えている常盤たち。その部屋に乱入した鬼若。小刀を構える常磐。手込めにしようと言うのではない、安心しろと鬼若。)

(矢を放つ重盛。余裕で太刀で躱す義平。太陽の位置を確認し、退けと命ずる重盛。下知に応じて退く平氏勢。義平を尻目に門を出て行く重盛。)

(敵を斬り、退けと命ずる頼盛。)

(退けと命じ続ける忠清。続々と内裏を後にする平氏勢。)

(義朝に、義平の働きによって平氏が敗走していると告げる正清。すぐに追撃して撃破せよと命ずる義朝。)

(清盛の館。重盛の下知によって、味方はひとまず兵を退いたと告げる家貞。目を開けて、手筈どおりだと答える清盛。)

(賀茂川。押し寄せる源氏の白旗。止まれと命ずる義朝。対岸には、無人の平氏の陣。掛かれと命ずる義朝。その時、馬のいななきが聞こえてきます。それを聞いて立ち止まる源氏勢。対岸に現れたのは、馬に乗った清盛。それと同時に、一斉に上がる平氏の赤旗。)

(一斉に現れた、夥しい数の平氏勢。これは、と驚く正清。源氏に向かって弓を構える平氏勢。清盛と馬を並べる重盛と宗盛。)

(平氏勢を見て、3000は下らないとつぶやく正清。まんまとおびき寄せられたという事だと言い捨てて、背を向けて去っていく頼政。頼政殿と声を掛ける義朝。それを無視して立ち去る頼政。)

(放て、と弓隊に命ずる忠清。源氏勢に降り注ぐ弓の雨。たちどころに倒されていく源氏勢。必死に防ぐ、義朝、正清、頼朝たち。さらに放たれる矢の雨。次々に倒れる源氏の軍勢。その内の一本の矢が義平に刺さります。ここは我らに任せられよと正清。)

(対岸の清盛に合図をする義朝。それに応じて、馬を進める清盛。河原で馬を駆けさせる義朝と清盛。誰も居ない河原で、向き合う義朝と清盛。)

(平氏が棟梁、平清盛と名乗りを上げる清盛。源氏が棟梁、源義朝と名乗りを上げる義朝。お互いに太刀を抜き、鞘を捨てる二人。二度までも駆け違った二人。二度目に義朝の太刀を叩き飛ばした清盛。慌てて馬を下り、太刀を拾う義朝。同じく馬を下り、駈け寄る清盛。)

(太刀を構えてにらみ合う二人。仕掛ける清盛。躱して切り返す義朝。激しく斬り合う二人。互角の戦い。ついに義朝を倒し、馬乗りになった清盛。短刀を義朝の喉に突き付け、武士とは勝つ事だ、どんな事をしても勝ち続ける事だと清盛。清盛を見上げている義朝。短刀を捨て、髭切の太刀を持ち、お前は負けたのだと清盛。)

(太刀を義朝の顔すれすれに振り下ろし、地面に突き立てる清盛。そして、義朝の胸ぐらを掴んで、義朝、次などない戦に負けたのだと涙ぐみながら言います。そして、義朝を突き飛ばし、彼に背を向けて座り込みます。起き上がり、我が身は滅びても、源氏の魂は断じて滅びないと叫ぶ義朝。背中でそれを聞いている清盛。涙を流しながら、また会おうと言って立ち去る義朝。残された髭斬の太刀。黙って前を見据えている清盛。馬に乗って去っていく義朝。)

今回は、平治の乱の後段が描かれました。権力を奪ったものの何もしなかった信頼、朝敵となる事を恐れて信頼に擬態を示した清盛、無能な信頼を見限って清盛を頼った二条帝の側近たち、二条帝を奪われて信頼を日本一の不覚人と罵った義朝、わざと兵を退き、源氏勢をおびき出した重盛などは、平治物語に描かれた筋書きどおりの展開でした。ただ、最後の清盛と義朝の一騎打ちは完全な創作で、どう見るか評価は分かれるところでしょうね。

史実としては、以前に書いた様に、内裏を焼くなと命じられていた清盛がわざと負けて源氏をおびき出したのであり、迎え撃ったのは要塞化した六波羅の平家屋敷でした。つまり、展開されたのは要塞戦で、それも攻め込む側が少数派という絶望的な戦いでした。それでも義平は一度は門を打ち破るという善戦をして見せたのですから、ドラマとはかなり違った展開だった訳ですね。

後に源氏の天下となったために、平治の乱は源平の最初の争いと見られる事が多いのですが、宿命のライバルと呼ぶには源氏と平家の力の差は歴然としており、お互いに相手を倒す為に戦ったのではなく、朝廷の主導権を巡る争いに巻き込まれたというのが正しいと思われます。その結果は実力通りに源氏の大敗だった訳ですが、最初の源平合戦であった事も確かではあります。

ドラマとしては、一騎打ちを除けば、非常に緊迫した場面が連続して、面白かったと思います。ただ、私を守れと言う信頼が、保元の乱の頼長とダブって見えたのはどうかと思いましたが、公家らしさを演出するにはああいう形になってしまうのかなという気もしますね。

一騎打ちについては、勅命を受けた官軍の大将としては有り得ない行動であり、どう好意的に見ても無理が有りすぎます。反面、義朝と清盛を宿命のライバルと位置付けたこのドラマとしては、巨人の星よろしく、こう描きたいところでもあったのでしょう。政治家として成長した清盛ではあっても、青春の頃の熱い思いを引きずっている部分は今でも残っているという事なのでしょうか。そういう甘さがこのドラマの清盛の持ち味であり、平家の弱さという描き方なのかも知れませんね。二人の友情物語としては、良くできた演出だったとも言えるかも、ですね。でも、大河ドラマとしてはどうなのかなあ。

次回はその甘さを引きずった清盛が戦後処理を行う訳ですが、頼朝や常磐を巡ってそのあたりがクローズアップされそうですね。私的には、頼朝と清盛に絡む池禅尼の行動に注目してみたいと思っています。またこのドラマらしい、伏線が張られているかも知れないですね。

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2012.07.07

京都・洛東 七夕祭2012 ~地主神社~

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7月7日は七夕、京都でもいくつかの神社で行事が行われますが、今年は清水寺に隣接する地主神社にお邪魔して来ました。

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ここは何と言っても恋愛成就を謳う神社ですから、七夕とは相性がぴったりなのでしょう。力の入れ方が、他の神社とは違っている様に思えます。

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その祭りのアイテムがこの七夕こけしです。一対になった紙製のこけしで、それぞれに自分と相手の名前を書いて、大笹に結びつけて願掛けをするのですね。相手が居ない人でも、理想のタイプを書けば良いそうですから、上手く考えられています。

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暫く見ていると、巫女さんが沢山のこけしを結びつけていたのですが、これは全国から郵送で送られて来たものだった様です。地主神社のホームページでは、遠隔地からの祈願も受け付けているのですね。

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午後2時からは神事が執り行われました。私はそこまで参加しませんでしたが、神社のブログに依れば大いに賑わった様ですね。

晩婚化や少子化が叫ばれる昨今ですが、ここだけを見ていると、それはどこの世界の事かと思ってしまいます。この行事で、多くの人の思いが成就すれば良いですね。

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2012.07.06

京都・洛東 桔梗の咲く寺 ~智積院~

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桔梗と言えば、やはり智積院も外せないでしょうね。ここもまた、境内のそこかしこで咲き誇る桔梗を楽しむ事が出来る寺です。

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以前は参道沿いが中心だったのですが、最近では数が減ってしまいました。今年はまだ行ってないのですが、どんな具合なのでしょうね。ちょっと気がかりです。

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それでも、庭園の中にはあちこちで咲いているはずなので、大丈夫だと思います。ここも野趣に富んだ咲き方で、やはり野の花だという気がしますよ。(Milkさんの情報だと、かなり悪い様ですが。)

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智積院では、この時期紫陽花も見る事が出来ます。それも半端な数ではないので、結構見事ですよ。こちらはそろそろ盛りを過ぎてきた頃かな。ここの花も一度は見ておきたかったところですね。まだ間に合うと嬉しいのだけどな。

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2012.07.05

京都・洛東 桔梗の庭特別拝観 ~天得院~

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先週末は出かける事が出来なかったので、今週は過去の写真のストックから構成してお届けしています。さて、この時期は桔梗が綺麗な季節ですね。桔梗の寺はいくつかありますが、その一つが天得院、東福寺の塔頭の一つです。

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天得院は、日下門のすぐ門前にあります。幼稚園が併設されているので、判りやすいでしょうね。その鍵型の苔の庭では、毎年沢山の桔梗が花を咲かせてくれます。

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その種類は、白、青、ピンク、八重と様々で、彩りと形で楽しませてくれるのが良いですね。こうした背丈の低い桔梗もまた種類が違うのかしらん。

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同じ桔梗の庭でも、手入れの行き届いた廬山寺とは違って、野趣に富んでいるのがここの特徴ですね。どちらが良いというのではなく、両方楽しめるのが嬉しいところです。

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天得院の特別公開は、7月17日までとなっています。今年はまだ行っていませんが、そろそろ盛りになっている頃じゃないのかな。私も出来れば盛りの内に見ておきたいものだと思っているところです。

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2012.07.04

京都・洛東 桔梗の咲く庭 ~光明院~

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天得院の近く、光明院でも桔梗を見る事が出来ます。ここもまた、東福寺の塔頭の一つですね。(写真は昨年撮影したものです。)

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桔梗が咲いているのは、波心庭の一角で、いつも一株だけが咲いています。一株ではあるけれど、その存在感は結構あるのですよ。苔の庭にあって、良いアクセントとなっています。

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ところで、この庭を取り囲む刈り込みなのですが、ずっとサツキだと思っていたのですが、かなりの部分はツツジだったのですね。サツキもあるけれども少数派で、どうりで6月に行ってもあまり咲いていない訳でした。次は5月の初め頃、ツツジの盛りを狙って行ってみようと思っています。

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桔梗は雲嶺庭でも咲いています。山門を入ってすぐのところで、こちらは目の前で見る事が出来るのが嬉しいですね。ここも今年はまだ行っておらず、どんな具合か知る事は出来ませんが、たぶん盛りを迎えている頃だと思われます。出来ればここも、今週末くらいには行ってみたいところですね。

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2012.07.03

祇園祭2012

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季節は巡って、今年も祇園祭の7月となりました。京都では、これから1ヶ月に渡って様々な行事が行われる事になります。まさに、町が祇園祭一色に染まると言っても良いですね。

一昨日は祭りの始まりを告げる切符入り、昨日は巡行の順番を決める籤取り式が行われました。町会所では二階囃子が始まり、お祭りムードがだんだんと高まって来ている事でしょうね。

今年は宵々々山から宵山までが3連休にあたり、さぞかし大勢の人でにぎわう事でしょう。かくいう私も、3日のうち2日は出かけるつもりです。さらには17日も休暇を取って、巡行も見に行く予定をしています。あと気になるのは天気かな。

鉾建や曳き初めは残念ながら見る事は出来そうにないのですが、クライマックスはたっぷりと楽しめそうなので、良しとしなければならないのでしょう。あの熱気と祭りの風情を思うと、今から心がうきうきして来ますね。楽しみだなあ。

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2012.07.02

平清盛 ~平治の乱の舞台 六条河原~

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平氏の乱において、源氏と平家が決戦を行った場所、それが六条河原です。平治の乱は藤原信頼が首謀者となり、二条帝親政派と謀って時の権力者信西を討ったという事が端緒でしたが、事件はそれたけでは収まりませんでした。

信西に取って代わった信頼は、臨時の除目を行って、自らは近衛大将(異説もあります)、義朝は従四位下播磨守、その子頼朝は右兵衛左に任じました。また、その一方で信西の所領を没収し、その一族を流罪にするなどしましたが、その後の朝政をどうするかについては全く展望を欠いていました。つまりは、信西とは違って何もしなかったのですね。

信頼の不思議なところは、彼自身は後白河上皇の近臣であり、その権勢の拠り所は上皇にあったにも係わらずこれを一本御書所に幽閉してしまった事で、院政を停止してしまったのでは自らの権力基盤を崩してしまった事になります。これが不覚人と言われる所以で、もしかしたら二条親政派との間で何らかの取引があったのかもしれませんが、彼の権力を裏付けるものは義朝の武力だけといった心細い状態でした。

一方の二条親政派は反信西という点でのみ信頼と同盟していたに過ぎず、信西の後釜に信頼が座るのは許容し難いものがありました。ここに大きな意味を持って来るのが清盛という存在です。

乱の勃発当時、清盛は熊野参詣に出かけており、都を留守にしていました。平治の乱は信西を支える平家の武力が居なくなるという軍事的空白を狙ってのクーデターと言われますが、清盛その人は信西の同調者ではありましたが、信頼の縁者でもあり、政治的には中立の立場を取っていました。このため、信頼は清盛を敵とは見ておらず、最初から標的とは考えていなかったのですね。また、義朝も俄のクーデターであったため、東国の武士団を呼び寄せる暇などなく、信西を討てるだけの小規模な軍勢を有しているに過ぎず、清盛と決戦出来る程の戦力は持っていませんでした。このため、清盛は命を狙われる事なく、すんなりと京に帰る事が出来ています。

その清盛は、信西が討たれた事を限りなく不快に思っていたのですが、二条帝を擁する信頼に擬態を示します。信頼に自らの名簿を差し出す事で、恭順の意を示したのですね。同時に、婿に迎えていた信頼の息子を使いの者を付けて送り届けています。つまりは、信頼の子息を人質にする様な真似はしないという事なのでしょうか。しかし、その経済力と軍事力が京において抜きん出ている事は明かであり、彼の動向次第で政局は如何様にも動くといった状態でした。

ここに目を付けたのが二条親政派でした。彼らは一向に将来への展望を示さない信頼を見限り、これを排除しようと決めたのですね。そのために清盛と結ぼうと考え、使いの者を出して誼を通じます。そして、清盛の同意を得た上で、二条帝を御所から六波羅へと行幸させたのでした。平治元年12月26日の事で、こうして清盛は局外中立の立場から一転して、官軍の中心勢力となったのです。

二条帝を清盛に奪われた事を知った義朝は、信頼に向かって日本第一の不覚人と罵ったと言います。加えて、もう一人の力の源泉たる後白河上皇もまた、二条帝の六波羅行きを知って一本御書所を脱出し、仁和寺へと入ってしまいました。こうして天皇と上皇という持ち駒を失った信頼と義朝は、今や賊軍の立場に陥ってしまったのでした。

賊軍となった信頼からは、離反者が相次ぎます。その一人が源頼政でした。彼は元々二条帝の近臣であり、その立場から信頼と行動を共にしていたのですが、二条帝が清盛を頼った以上、信頼を見限るのは当然の動きだったのですね。同じ源氏でありながら義朝を裏切って平氏に付いたと言われますが、流れを見ていくと必ずしもそうではない事が判ります。

孤立無援となった信頼と義朝は、内裏に籠もります。これを討つべく清盛は討伐軍を派遣しますが、公卿たちから内裏を焼かない様にとも命じられていました。このため、清盛は策を弄して、追討軍の重盛にわざと負けて逃げる様にという指示を出しており、義朝軍がこれを追って内裏が手薄になった所を、別働隊が内裏を襲って確保するという手筈を整えていました。果たして、源氏軍はこの策に乗り、内裏は無傷で平家軍の手に堕ちてしまいます。

拠って立つべき拠点まで失った義朝軍は、最後の決戦を行うべく六波羅に向かって進撃します。六波羅では、五条橋の橋板を外して盾として並べ、万全の態勢で待ち受けていました。平治物語に拠れば、義朝軍は義平を主力に50数騎に過ぎず、対する平家は、重盛だけでも500騎を有していました。多勢に無勢の絶望的な戦闘ではありましたが、義平は一時は六波羅の門を破って乱入するという奮戦ぶりを見せます。しかし、衆寡敵せず、やがて敗れて六条河原の西岸へと引きました。これを見た義朝は家名の傷だと言ってここで討ち死にをしようとするのですが、家臣に引き止められて東国を目指して落ちて行く事となります。

初の源平合戦と言われる六波羅合戦は、こうして平家方の一方的な勝利で終わりました。その場所は六条河原だったと言われ、今の五条大橋の周辺がそうですね。この東側一帯が六波羅であり、平家の屋敷群があったところでした。清盛は、屋敷を要塞化して立てこもり、義朝は川の西岸から攻め寄せたのですね。今はその痕跡はどこにもありませんが、かつて凄惨な戦いがあった事は確かです。

さらに言えば、清盛が忠正を斬ったのもこの場所という事になりますね。今は義経と弁慶の出逢いの場所としてのみ知られる五条大橋ですが、その前史があった場所としても記憶されるべきだと思われます。

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2012.07.01

平清盛 第26回 「平治の乱」

(1159年(平治元年)12月9日、京、三条殿。松明を持ってうごめく軍勢。)

(長恨歌の絵巻を女房たちに見せる後白河上皇。それはまさに謀反が起き、城が戦火に包まれる場面でした。そこに現れた信頼。彼は軍勢が攻め寄せてくる事を告げ、すぐに車に乗って避難する様に薦めます。訝りながらも立ち上がる上皇。)

(上西門院を案内する正清。どこに行くのかと不安げな女院。ここは危ない、内裏ならば安全だと正清。御簾の陰で、それを聞いている朝子。)

(三条殿門前。義朝に上皇と女院を一本御書所に移したと報告する家人。義朝の号令の下、一斉に放たれる火矢。乱入する兵士達。手当たり次第に御所の中の人々を斬っていく義朝たち。信西が化けているかもしれないというのがその理由でした。とまどいながらも、同行している頼政。逃げまどう女房たちに、容赦なく浴びせられる矢。狙いは信西の首だと叫ぶ義朝。)

(一本御書所。寝ころんで長恨歌を読んでいる上皇。そこに入ってきた上西門院。彼女に向かって、どうやら幽閉された様だと告げる上皇。手荒な真似はしないと言って扉を閉める正清。誰がこんな事をと座り込む女院。平然と長恨歌を読み続ける上皇。)

(内裏、黒戸御所。幽閉された二条帝。何事が起きているのかと不安を隠せない帝。)

(内裏をしずしずと歩く信頼、経宗、惟方、成親たち。)

(清盛の館。必死に門を叩く朝子。)

(応対する時子に、俄に源氏の軍勢が三条殿と自分の夫、信西の館を襲い、帝、上皇、女院を連れ去ったと訴える朝子。盛国に知らせよと侍女に命ずる時子。夫はすぐに気付いて逃げたはず、しかし、追手が掛かっている、夫を助けてくれる様、清盛にと這い蹲る朝子。早馬を出せと命ずる時子。)

(早馬で駆ける忠清。)

(紀伊、切目。熊野詣の途上にある清盛の下に忠清が駆けつけます。三条殿が夜討ちに遭い、上皇、帝、女院が幽閉されたと告げる忠清。誰がそんな事をと清盛。信頼と義朝の謀反だと忠清。さらに信西の館も焼かれたと聞き、信西は無事かと色めき立つ清盛。信西は逃げた、しかし、義朝は追手を出していると忠清。)

(義朝が謀反とは俄には信じられない様子の清盛。そう奇怪な事ではないと思うと重盛。重盛を見る清盛。父を殺され、その後も低い扱いしか受けずに飼い殺しの様な目に遭っている、殺したいと憎むのも無理はないと重盛。義朝だけでなく、朝廷でも憎まれているのだろう、どこを向いても敵だらけだと家貞。何と浅はかな事をした、信西は武士の世を作るのに欠かせない男、自分がもう少し昇るまでなぜ待てなかったと、京の義朝に向かって叫ぶ清盛。)

(内裏の庭。郎党たちに向かって、帝は自分たちの下にいる、義は自分たちにあり何も恐れる事はない、引き続き信西の行方を捜せと檄を飛ばす義朝。信西捜索に散る郎党達。)

(切目。すぐに都に帰ると清盛。戦支度もなしに、どうやって源氏が待ち受ける都に入るつもりかと重盛。義朝に信西を殺させてはならんと叫ぶ清盛。承知いたしましたと家貞。隣室の扉を開く家人たち。その向こうに揃えられている武器と鎧。驚く重盛。万全の備えをしておくのは筆頭家人の当然の努めと家貞。都へ戻るぞと清盛。)

(馬で駆ける清盛たち。)

(京。義朝に向かって、何故この様な形で兵を挙げたのと問う頼政。世に武士の存在を示すのは政ではなく力である事を示す為だと義朝。清盛は信西を救うつもりでいるはず、しかし、坊主の世作りなど武士の力の前にはひとたまりも無いと思い知らせてやると義朝。)

(山城、田原。山中を逃げまどう信西と師光と従者たち。突然立ち止まって、穴を掘れと命ずる信西。とまどいながらも、命に従う師光たち。)

(掘り上がった穴を見下ろして、自分をこの穴に入れろと命ずる信西。驚いて信西を見る従者たち。自分を埋めて、判らない様に隠したら、それぞれ落ち延びよと命ずる信西。そんな事は出来ないと師光たち。すぐに清盛が戻ってくる、それまでの辛抱だ、皆で生き延びようと微笑む信西。)

(穴に入った信西。せめて無事を祈らせて欲しいと言って、髻を切る師光。その髻を受け取り、穴の中に座る信西。)

(12月14日。内裏で行われた除目。念願の近衛大将になった信頼。経宗にはいずれ右大臣、惟方には中納言も夢ではないと笑いかける信頼。そんな事が帝の意思であるはずがない、こんな野放図なやり方で大事ないのかと成親。今更何を言っていると経宗。自分も良い思いがしたかったのだろうと惟方。そこに現れた義朝。その様子を遠くから窺っている美福門院と忠通。)

(にこやかに、義朝に向かって播磨守とすると告げる信頼。そして、頼朝は右兵衛権左でした。義朝に酒を薦める信頼。)

(その様子を見て、功績のない者を昇進させるとはと忠通。愚かな事と美福門院。しかし、帝の身を奪われた今は何も出来ないと女院。)

(そこに東国から到着した義平。義平に向かって、大国の守か、小国の守か、何が欲しいと問う信頼。そんなものよりも軍勢が欲しいと義平。いぶかる信頼に、阿倍野にて清盛を待ち伏せしたいのだと義平。清盛を滅ぼした後で信西の首を刎ねる、そうすれば天下は治まる、その上で恩賞を頂くと義平。頼もしいなと信頼。我が名は鎌倉悪源太と誇らしげな義平。気遣わしげな義朝。)

(清盛の館。殿の留守に謀反とは何と卑怯なと憤る教盛。お静かにと盛国。父はいつ戻るのかと基盛。すぐに取って返しても数日は掛かるだろうと盛国。それでは信西の命が危ういと教盛。信西によって叔父は死罪にされた、それでも救わなければならないのかと頼盛。信西はなかなか良い政をしている、私憤に駆られて見捨てては、一門にとっても損失だと時忠。伊勢平氏でない者の口出しは無用だと頼盛。手厳しいと時忠。)

(清盛が信西との関わりを深めてきた事は確かだ、このままでは自分たち一門の立場も危ういのではと経盛。うなずく郎党達。ここは信頼たちに恭順の意を示しておくのが得策ではと経盛。それは源氏にひれ伏す事だと教盛。清盛の帰りを待つことなく、謀反人を攻めようと立ち上がる教盛。今立ち上がれば、自分たちが謀反人となりかねないと頼盛。にらみ合う教盛と頼盛。静まれと一喝する時子。清盛の考える世に信西は欠かせぬ人、見捨てようなどとは断じて考えないと時子。まずは備えを固め、清盛の帰りを待とうと盛国。)

(紀伊国、佐野。義平の軍勢が待ち伏せているという噂を耳にし、行軍を止めている清盛の一行。近在の者の援軍を得て100騎を越えた、十分に戦えると忠清。敵は3000騎を越えているとも聞くと重盛。清盛に向かって、阿波に渡って兵を集めてはどうかと重盛。そんな暇は無いと清盛。恩賞を餌に近在の武士を集めよ、その間に阿倍野の軍勢を見てこいと命ずる清盛。承知と出て行く忠清。)

(田原。穴の中で読経している信西。ふと目を開けて、まだそこに居るのだろうと師光を呼びます。もうしわけございませんと師光。仕方のない奴だと信西。黙って座り込む師光。西光と法名を授ける信西。有り難き幸せと西光。自分が追手に見つかっても助けようとするな、声を出すな、全てを見届け生き延びると誓え、それがこれまで自分の働きを見てきたお前の努めだと信西。はい、と力なくうなずく西光。)

(私はどこかで道を誤ったのかと西光に問う信西。身もだえる西光。自分は何者になりたくてここまで登ってきたのだと信西。何を気弱な、きっと今に助けが来ると泣きながら言う西光。)

(清盛の陣。物見はまだ帰らないのかと苛立つ忠清。この風が都の義朝に伝えて欲しい、信西を殺してはならぬとと清盛。信西を救い出したところで平氏のためにはならないのではと言い出す重盛。重盛を見る清盛。あの賢い人は源氏と平氏を使える限り使ってあの地位まで上り詰め、思うままに政をして来た。信西が居る限り武士が頂きに上れる事はないと重盛。じっと重盛を見る清盛。このまま信西が滅ぼされた後に信頼を討ち、源氏を倒せば全てが手に入ると重盛。)

(黙って重盛の肩に手を置いて揺さぶる清盛。そして、月を指さして、信西に初めて会ったのはこんな月の夜だったと語り始める清盛。)

(回想。俺は誰なんだと叫ぶ清盛。誰でも良い、助けてくれと叫ぶ若き日の信西。穴の中の信西を見つける清盛。自分が誰なのか判らないのが道理、生きていく内に誰なのかが判ってくるものだと笑う信西。)

(清盛の陣。それから後も自分は進むべき道を見失ってばかりいた、そんな時いつも信西が目の前に現れたと清盛。)

(回想。安芸の浜で箱の中から現れた信西。世にとって、平氏にとって、災いとなるも宝となるも、自分次第だと清盛に語る信西。)

(回想。宋の船に乗った清盛と信西。)

(回想。清盛の漕ぐ小舟の中で、自分の才を生かす為に宋に行きたいと語る信西。行こうと漕ぎ出す清盛。)

(清盛の陣。信西は、時に優しく、時に冷徹に自分を導いてくれたと清盛。)

(回想。保元の乱の戦勝の宴の後。叔父を殺したという重い荷を背負った、それはそれだけの力があると言う事だ、共にこの国を変えていこうと清盛に語りかける信西。)

(回想。宋に行ける、これであの国に学んでもっと良い政が出来ると喜ぶ信西。)

(清盛の陣。月を見つめて目を閉じる清盛。)

(田原。信西の回想。俺は誰なんだと叫ぶ清盛。誰でも良い、助けてくれと信西。)

(穴の中で震えながら、清盛殿、助けてくれとつぶやく信西。)

(清盛の陣。目を開けて、自分は平清盛だとつぶやく清盛。そして、者ども続け、平清盛は断じて友を見捨てないと叫びます。その時、駆け込んでくる武者たち。悪源太の手の者かと誰何する忠清。忠清様と跪く武者たち。それは忠清の伊勢の縁者たちでした。300騎で加勢すると武者たち。よし、悪源太など蹴散らしてしまえと叫ぶ清盛。武者押しの声で応える郎党達。)

(京、内裏。なぜ待ち伏せを許して貰えないのか、みすみす京に入れるつもりかと義朝に迫る義平。そうだと義朝。ならば待ち伏せをと義平。清盛が帰るのを待っているのだと義朝。何と、と絶句する義平。目を閉じる義朝。)

(闇の中、馬で駆ける清盛。)

(田原。穴の中で震えている信西。)

(信西殿、死ぬな、友が助けに行くと言いながら駆ける清盛。)

(穴の中であえぎながら、近付いてくる者の気配を感じる信西。身を隠す西光。穴に近付く松明の群れ。)

(上を見ながら、清盛殿とつぶやく信西。)

(穴を曝く武者たち。)

(覆いが取れた上を見る信西。そこに見えたのは清盛の顔でした。嬉しげに見上げる信西。信西殿と手を差し述べる清盛。微笑みながらその手を掴む信西。しかし、それは追手の武者でした。居たぞ、引きずり出せと叫ぶ武者。無理矢理引き出される信西。物陰から痛ましげに見ている西光。)

(追手に囲まれて横たわる信西。信西に刀を向ける武者たち。突然笑い出した信西。そして座り直すや、自分が誰なのか見つけたり、我は信西入道だと叫んで短刀を抜いた信西。はっとする西光。短刀を自分の首に当てた信西。泣き出しそうな西光。そのまま自害した信西。)

(駆け続ける清盛。)

(泣き出しそうになりながら、無言で信西の亡骸を見つめる西光。西光の周囲で立ちつくす武者たち。横たわる信西の亡骸。)

(京。何かに向かってお経を唱える人々。そこに現れた清盛。彼は人々が拝んでいるものが信西の首だと知ります。その場に泣き崩れる清盛。そこに駆けつけた重盛もまた、信西の首に気が付きます。)

(何という事をしたのだ義朝と泣き続ける清盛。)

(内裏。じっと目を閉じて座っている義朝。そこに清盛が京に入ったという知らせが届きます。来たかと言って目を開けて立ち上がる義朝。)

(全てが終わった、もう取り返しが付かない、これがお前の出した答えだと言うのなら受けて立つと清盛。)

(内裏。清盛は怒っているだろう、だが怒りこそ力、力こそが武士の真だと義朝。いまこそ源氏と平氏のいずれが強いか定める時だと義朝。)

(平氏は源氏を滅ぼすと清盛。)

(源氏が平氏を滅ぼすと義朝。)

今回は平治の乱の前半が描かれました。私としては、信西の最期がどう描かれるのかと注目していたのですが、期待に違わず力の籠もった描き方をしてくれました。それにしても、出逢いの時のエピソードがここで生かされるとは、上手い伏線の張り方をしてますね。清盛に助けを求める信西と、信西を友として助けようとする清盛の姿が、回想を挟んで見事にシンクロしていました。最後に信西を襲った絶望と誇りを賭けた自害とが、物語の前半を支えた人物の死として重みを持っていたと思います。

信西が田原に逃れたのは、彼の領地があったからと言われ、穴に隠れたというのは平治物語に描かれているとおりです。もっとも、物語では息継ぎ用の竹を一本だけ地面に出して埋めたとあり、信西は息のある限り念仏を唱えていようと言ったと書かれていますから、隠れたと言うより緩やかな自害を選んだという事の様ですね。一説には即身成仏を願ったのではないかとも言われています。

物語では、従者の一人が追手に見つかって穴を掘った場所を教えてしまい、まだ息のあった信西の首を刎ねたとありますが、愚管抄では自害して埋められていた遺体を掘り起こして首を刎ねたとあり、史実としては自害したと見るのが正しい様ですね。

なお、穴に入る時に師光に西光という法名を与えた事も、平治物語に描かれているとおりです。

平治物語繋がりで言えば、紀州で信頼謀反の知らせを聞いた清盛一行の中で、家貞が武具を用意してあった事、帰りを義平が待ち受けているという噂が流れていた事、伊勢から300騎が与力として駆けつけた事なども物語にあるとおりですね。

少し違うのが重盛の役割で、ドラマでは一度阿波に逃れて兵を集めようと言っていましたが、物語では一度四国に渡ろうと言い出したのは清盛の方で、重盛はそれでは朝敵とされてしまう、多勢に無勢が討たれても名に傷が付く事はないと言って上洛を促したとあります。このあたり、ドラマの重盛は損な役割になっていますね。

また、阿倍野で待ち伏せしようとした義平を止めたのは義朝になっていましたが、物語では信頼が都の中に取り込めて討てばよいと言って止めたとあります。その前に、大国か小国か、官位は思いのままだと信頼が言ったのは、物語に沿っていますね。

などなど、書くべき事はいくつもありますが、今回は信西の最後があまりに印象的だったのでこのあたりに止めておきます。代わりに、明日の記事で平治の乱の史実の動きについて書いてみたいと思っています。

それにしても、このドラマに限っての事だけど、信西はもう少し生かしておいて欲しかったなあ。阿部信西がもう見られないのはやっぱり残念ですね。


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