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2012.06.17

平清盛 第24回 「清盛の大一番」

(1156年(保元元年7月)。讃岐へ流される崇徳上皇。上皇の一行を見送る西行。)

(1157年(保元2年)10月。内裏の修復終了。真新しい御殿を歩き、満足する後白河天皇。平氏の財力のおかげと信西。4つの殿舎の造営は平氏一門が請け負っていたのでした。)

(清盛の館。一門を前に、恩賞として官位が引き上げられると伝える清盛。頼盛が従4位下、経盛が従5位下、教盛が従5位上に昇進する中で、清盛の公卿入りは見送られました。その譲りで従5位上になった重盛。これからも信西を支えていくと清盛。)

(ぼんやりと座っている重盛。どうしたと聞く基盛。重盛は、忠正を斬れと命じた信西の下で、何事も無かったかの様に働く父の姿に疑問を持っていたのでした。)

(内裏。長く廃れていた宮中行事を甦らせると信西。その目玉が相撲節会でした。その費用として平家を当てにしているのかと清盛。そうではない、租税を使うのだと信西。しかし、その租税の取り立てが滞っているのが難題でした。中でも鎮西が問題だと師光。鎮西全てを合わせても播磨一国より少ないと清盛。清盛に、太宰府に行って、太宰大監原田種直と会い、相応の租税を取り立ててくれと信西。それよりもっと良い手がある、自分を太宰大弐に取り立てよと清盛。その重職には、相応の者が代々就いている、奴らを敵に回してはいけないと信西。国の宝となれと言ったのは空言だったのか、私利私欲のために一門を犬として扱うのならば容赦はしないと清盛。自分が居なければ清盛の思う世は来ない、今は指図に従えと信西。)

(内裏。遠回しに後白河帝に譲位を迫る美福門院。譲位はしないと帝。)

(清盛の館。帝は譲位しても良いと思っているはずなのだがと成親。得子を弄ぶのに喜びを見出しているのだろうと清盛。そこに刻限だと告げに来る時子。これから太宰府を手に入れに行って来ると清盛。戯れをと成親。きっと本当にしてしまうでしょうと時子。驚く成親。)

(内裏。信西に会いに来た義朝。信西は多忙だと断る師光。内裏造営の恩賞をと迫る義朝。北の廊を請け負っただけだろう、それには正5位下の位で報いたと師光。)

(悄然と廊下を行く義朝。その背後から嘲笑を浴びせる貴族たち。)

(部屋に戻った信西。義朝がいささか可哀想だと師光。源平は武士の双璧、源氏を叩けばそれだけ平氏を取り立てる事が出来るのだと信西。)

(太宰府に趣いた清盛。宋の国の調度品で飾られた部屋を眺める清盛。供される食事も、給仕の女たちも全て宋風でした。清盛の前に現れた種直。宋風の作法で茶を勧める種直。)

(鎮西は豊かな国にも係わらず、都に届く租税はわずかと切り出す盛国。国によって人も違う、粗暴な鎮西の者たちを手なずけるのに、原田一族は手を尽くしてきたのだと種直。租税とすべきものを、それらの者に分け与えていたのかと清盛。租税を絶やさぬための方便だ、今更都からの口出しなど迷惑千万と種直。)

(廊下。代々甘い汁を吸って来た様だと盛国。苦笑を漏らす清盛。)

(翌日。再び種直の下を訪れた清盛。その背後に続く兔丸たち。兔丸を元は海賊だった者たちと紹介する盛国。荒ぶる兔丸たち。武器を運び込む郎党。鎮西の暴れ者に手を焼いているのなら、暫く郎党たちを預けておくと盛国。平家一門と手を組み、鎮西の富を上手く使っていこうではないかと提案する清盛。播磨守ごときに何が出来ると種直。黙って俺に従えと清盛。後に一門の娘を種直の妻とし、鎮西に足掛かりを作った清盛。)

(平氏の館。上手く行った、これで巻き上げた米を都で売り捌けると喜ぶ兔丸。そんな事はしない、これは相撲節会の元手として信西に届けると清盛。それでは朝廷の上の者だけが楽しむ事になるではないかと兔丸。これは俺と朝廷の相撲だと清盛。どういう事だと兔丸。)

(内裏。鎮西の租税を届けた清盛。これで無事に相撲節会が出来ると信西。その節会の宴の膳を支度させて欲しいと清盛。嬉しげにうなずく信西。)

(廊下。大事な話があると成親に呼び止められた清盛。)

(清盛の館。成親の妹を妻にと勧められた重盛。相手は経子でした。成親は帝の近臣にしていずれ公卿になる人、家同士結んで損はないと清盛。どこか気乗りのしない様子の重盛。経子に不足があるのかと時子。良い人だと思うと重盛。今は一門にとって大事な時、一つ誤っては全てが水泡に帰する、これも嫡男としての勤めと心得よと清盛。承諾する重盛。)

(廊下。盛国に向かって、かつて自分の意のままに振る舞った清盛が、重盛にあのような事を強いるとはと家貞。あの頃より一門が負っている荷がずっと重くなっているのだろうと盛国。立派になった、清盛もさぞ心強いだろうと家貞。)

(1158年(保元3年)2月。皇后宮少進の職に就いた頼朝。由良が統子に頼み込んだ結果でした。統子に拝謁し、礼を言う義朝。頼朝に声を掛け、祝いの品を下さる統子。その品を運ぶ途中、倒れる由良。)

(病の床に付いた由良。)

(特に悪いところはない、先の戦の始末はそなたたちにとってさぞつらい事だったであろうと義朝を気づかう統子。そして、これ以上由良に重荷を背負わせてはならないと統子。)

(義朝の館。一人酒を呑み、もの思いに耽る義朝。それを見守る常磐。父の下に駆け寄る乙若と今若。涙ぐみながら、二人の息子を抱きしめる義朝。)

(内裏。相撲節絵の準備にいそしむ信西。そこに現れた義朝。彼は清盛と並ぶ相応の国をと信西に迫ります。とまどう信西。そこに清盛が膳の件でやって来たと師光が知らせます。今行くと義朝を置き去りにする信西。信西に縋る義朝。無視して立ち去る信西。辛そうな義朝。そこに現れ、義朝に一礼する清盛。義朝を尻目に、信西と奥に消える清盛。無念そうな義朝。)

(6月。重盛と経子の婚礼。成親と平家一門の絆を深めようと、祝いの言葉を言う清盛。)

(相撲節会。帝の前で戦う力士たち。運び込まれる、清盛が用意した膳部の数々。)

(婚礼の儀。舞が舞われ、盛り上がる宴。一人浮かぬ顔の重盛。経子にあいさつする基盛。楽しげに舞う清盛。)

(内裏。古式に則り、滞りなく進む節会。突然現れた宋風の女官に目を奪われる帝。)

(婚礼の儀。突然立ち上がり、経子の前に手を突いて、今度の縁は無かった事にして欲しいと叫び出す重盛。驚く時子。じっと見守る清盛。)

(相撲節会。供された宋の茶にじっと見入る帝。)

(婚礼の儀。訳を言えと静かに問う清盛。叔父を斬り、その叔父を斬れと命じた信西と平気で働ける父の跡を継げるだけの、嫡男としての腹が据わっていないのだと重盛。お前の言う事は良く判った、しかし、戯言に付き合っている暇はない、つべこべ言わずに婚礼を済ませて、子でも設けよと言って、重盛を庭に突き飛ばす清盛。庭に転がった重盛。平然とそれを見つめ、経子に詫びを入れる清盛。呆然とそれを見つめる重盛。経子に杯を薦め、ふつつかな息子を末永くよろしくと頼む清盛。戸惑いながら杯を受ける経子。何事も無かったかの様に続く宴。)

(相撲節会。宋の茶を飲み、じっと器に見入る帝。)

(勝者に帝より言葉を賜ると信頼。しかし、帝はこの膳は誰が支度したと言い出します。茶碗を持ち上げ、この珍しき茶は何だとつぶやく帝。勝者に言葉をと催促する信頼。帝の前に進み出て、清盛が支度をした、宋国の物を宋国の作法で支度したのだと答える信西。なぜ清盛がそんな事を知っているのだと帝。今度の節会は、清盛が太宰府に赴いて税を取り立ててきたから出来た事、その時に見つけた珍しい物をご覧に入れた清盛の座興だと信西。突然、清盛を太宰大弐とすると決めた帝。驚く信頼。意外そうな忠通や成親。苦笑して俯く信西。)

(館の庭で剣を振るう清盛。訪れている信西に、異論は無かったのかと問う清盛。帝の厳命に誰が逆らえようと信西。そうかと清盛。手も触れずに勝ちを得たそなたの相撲にはあきれたと微笑む信西。微笑む清盛。)

(8月11日、内裏。守仁と美福門院を招いた帝。玉座から降り、二人の前に立って、この座が欲しいのならくれてやると言って立ち去る帝。後を追う成親と信頼。譲位が決まった瞬間でした。)

(何故かと問う信頼。もっと面白い遊びがしたいのだと帝。戸惑う信頼。玉座に居ては、あやつと遊べぬと帝。)

(廊下を行く清盛。その前に現れた義朝。久しぶりだなと清盛。信西の目論見がわからないのか。源氏を叩いて平氏を取り立てる。武士に絶大な力を持たせる気は毛頭無い、用が無くなれば捨てられるのだと義朝。それでも今は、信西と手を組む道しかないのだと清盛。その先に武士の世があると言うのかと義朝。そうだと清盛。口元を歪め、立ち去る義朝。義朝を目で追う清盛。)

今回は信西による国作りと、それに乗って勢力を拡大して行く清盛の姿が描かれました。

保元の乱の後、信西が取った政策は、ドラマにあった様に内裏の修築、古式の復活、増えすぎた荘園の整理による国家の収入の増を計る事、官人や社寺の綱紀の粛正などでした。このうち、内裏の修築は諸国に負担が割り振られ、4カ国を有していた平家は4つの殿舎を復興しています。下野一国を有していた義朝は、北の廊下を担当しました。この時代の通例として、殿舎や社寺を奉納したものは官位の昇格などで報われる事になっており、ドラマで描かれた様に平家の一門がそれぞれ昇進を果たしています。この時、清盛の公卿への昇進が見送られ、その譲りで重盛が従五位上に任官したのもドラマのとおりですね。

古式の復元の一環として、信西が相撲節会を復活させた事も史実にあるとおりですが、そこに清盛が絡んでいたというのは、太宰大弐就任と上手く絡めた創作でしょう。太宰大弐は太宰府の事実上の長官(長官職として太宰師がありましたが、大弐が置かれた時には不在とされていました。)で、公卿かそれに準ずる者が任命される事が通例となっていました。清盛がこれに任命されたのは、公卿となる事が約束された事を意味し、かなり大きな出来事だったのですね。そこには信西の引きがあった事は確かなのでしょうけど、ドラマでは清盛が上手く立ち回って見せる事で、政治家として成長した姿を描いて見せたのですね。なお、原田種直については平家の有力な武将となり、家臣団の中核を担う事になるのですが、その出逢いは清盛が大弐に就任した後ではないかと思われます。

台頭する平家の一方で、源氏が低迷していたのもドラマにあったとおりですが、元々の政治力、経済力に大差があったため、当然の結果ではありました。そして、義朝は清盛とは違って信西とは不仲とあったとされ、例えば愚管抄に拠れば、義朝は自分の娘の婿にと信西の息子を望んだのですが、学者の家柄であるので武門の婿には相応しくないと断っています。その一方で、信西は清盛の娘と縁組みをしており、これが後の遺恨に繋がったと言われています。これには異説もあるのですが、信西との仲が上手く行っていなかったのは確かでしょうね。

その義朝が頼りにしたのは、由良とその実家の伝手を頼りとした統子内親王でした。統子内親王は後白河天皇の姉であり、一定の影響力も持っていましたから、義朝が朝廷に接近するには好都合だったのですね。そして、彼はさらに後白河の近臣である信頼に接近して行く事になります。

そして、重大な出来事として、後白河天皇から守仁への譲位が描かれましたが、これは後白河の気まぐれではなく、また公に計られる事もなく、密室で決まったと言われます。兵範記に拠れば「仏と仏の評定」によって決まったとあり、おそらくは出家した者同士の話し合い、つまりは美福門院と信西の話し合いで決められたのではないかと考えられています。後白河は、あくまで守仁が天皇の座に就くまでのショートリリーフでしかなく、美福門院にその事を衝かれると信西も抗しきれなかった様ですね。ただし、守仁はまだ16才に過ぎず、この後は上皇となった後白河が院政を布く事になって行きます。

ドラマに戻って、清盛がすっかり貫禄を付け、したたかな政治家となった姿を見せてくれました。これはかつての忠盛を彷彿とさせる姿であり、代わって重盛がかつての清盛と同じ様な行動を取る様になっています。親子の関係は、順繰りで繰り返すという訳かな。そして清盛の方が、自分がそうだったからか、忠盛より一枚上手の様に見えますね。

一方、辣腕を振るう信西は見るからに楽しそうです。自らが理想とする国作りに勤しんでいる様子が生き生きとしていますよね。その彼も義朝に辛く当たる事で敵を作っており、やがて足下を掬われるであろう事が予感されます。

面白いのはやはり後白河かな。史実とは違うとは言え、清盛と遊べないからと言って自ら玉座を放り出す様は、如何にもこの人らしいと言えましょうか。この無軌道ぶりが、後の世に混乱をもたらす予感がしますよね。

毎回登場の意図が良く判らないのが西行で、今回も崇徳上皇を陰から見送っただけでした。何の為に出て来ているのかと思ってしまいますが、世の無常を彼によって表しているのかしらん。平家物語に言う諸行無常を担当するのが、彼の役割なのかも知れないですね。

次回は早くも平治の乱前夜が描かれる様です。史実でも保元の乱から3年後の事ですが、ドラマの前半を担って来た割に、信西の活躍があまりにも短いという気もしますね。とは言っても主役はあくまで清盛ですから、こういう展開も仕方が無いのでしょう。さて、義朝と清盛のライバル関係がどのように描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


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今回はすでに過去の人になってしまった井浦新さん演じる崇徳上皇が讃岐に流される場面から始まります。いつもながらに憂いを感じさせる表情を浮かべていて、彼がそれ以外の表情したことがあるのを思い出せないほど、完全に似合っています。そんな崇徳上皇を見送るのが西行でした。歌をおくる西行に、崇徳上皇は涙を流すのですが、様々なところに登場する西行の不自然さが際立っていました。 そんな中、政治の世界の中心では、信西が確実に実権を握りそれをサポートする清盛という構図ができあがっていました。後に義朝が清盛に忠告するのです... [続きを読む]

受信: 2012.06.17 22:51

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