« 京都・洛北 京都新緑事情2012 ~金福寺 5.26~ | トップページ | 平清盛 第22回 「勝利の代償」 »

2012.06.02

桜塚 ~藤原頼長首塚 相国寺~

Sakuratuka1206021

保元の乱を終えた大河ドラマ「平清盛」ですが、明日は悪左府こと藤原頼長の最期が描かれるはずです。それに先立ち、頼長の首塚と伝わる桜塚にお参りして来ました。

Sakuratuka1206022

桜塚に関してはzuzuさんに教えていただいたのですが、今は相国寺の墓地内にあります。塚に隣接してある石碑に拠れば、元は東竹屋町にあったと言いますから、白河北殿の故地、今の京大熊野寮の辺りにあったものと思われます。

頼長はその死後に崇徳上皇と共に都に祟りをなしたと恐れられ、正一位太政大臣を追贈されると共に保元の乱の跡地に営まれた粟田社に祀られている事から、彼にまつわる塚が築かれていたのかも知れません。ただし、頼長は奈良にまで逃れて亡くなり、般若野に埋葬されていますから、この石塔は墓ではなく祠廟だろうと石碑には書かれています。

粟田宮はやがて荒廃し塚だけが残ったのですが、誰言うともなく頼長の首塚と呼ばれる様になったらしく、都名所図絵にも載っているのだそうですね。そして、左府塚が訛って桜塚と呼ばれる様になったのだとか。

現在の地に移されたのは明治40年の事で、東竹屋町にあった絹絲紡績株式会社の工場拡張に伴っての事でした。絹絲紡績では、工場の敷地に入ってしまったこの塚を掘ってみたのですが、下には何もなかったそうです。そこで、その土を相国寺に運んで新たに塚を築いて石塔を移し、供養を施したのですね。この石碑はその事を記念して建てたと記されています。

ドラマのオウムの台詞ではないけれど、日本一の大学生と称されて将来を嘱望されていながら非業の死を遂げた頼長ですが、彼を偲ぶものは今ではこの桜塚くらいなのかな。山本耕史演ずる頼長は哀れを誘いますが、怨霊と恐れられた事もこの塚は教えてくれますね。

ドラマを機に、この塚を訪れてみるのも一興かと思いますよ。

|

« 京都・洛北 京都新緑事情2012 ~金福寺 5.26~ | トップページ | 平清盛 第22回 「勝利の代償」 »

義経・平清盛」カテゴリの記事

コメント

相国寺にこんなところがあったんですね。

興味深いお話ありがとうございました。(*^_^*)

投稿: Milk | 2012.06.03 09:50

Milkさん、

私もzuzuさんに教えて貰うまでは知りませんでした。
墓地の入り口には関係者以外立ち入り禁止とありますからね。
でも、この日も桜塚を訪ねてきたらしい人が私以外にも何人か居り、
ドラマを機に注目を集めている様です。

場所は、墓地に入ってすぐ左に曲がった左手にあり、
若沖や義政、定家の墓が隣に並んでいます。
たぶん、墓地のあちこちにあった墓を一カ所にまとめたのでしょうね。
歴史上の人物の墓をこれほど一同に参拝できる場所も、
ちょっと珍しいかも知れませんよ。

投稿: なおくん | 2012.06.03 23:26

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 桜塚 ~藤原頼長首塚 相国寺~:

« 京都・洛北 京都新緑事情2012 ~金福寺 5.26~ | トップページ | 平清盛 第22回 「勝利の代償」 »