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2012.06.24

平清盛 第25回 「見果てぬ夢」

(1159年(保元4年2月13日)、上西門院となった統子とその蔵人に取り立てられた頼朝。)

(病床の由良に、蔵人として大役を務める事になったと伝える頼朝。嬉しそうな由良。源氏と平氏の差が埋まらぬ事を気に病み、義朝の胸中を思いやる由良。)

(信西の館。租税の報告に来ている清盛。収入と歳出の収支計算に忙殺される信西。清盛へのあいさつもそこそこに、忙しく立ち去ります。せわしない人だとあきれる清盛。やっと自分の才を振るえる場を得たのだからと朝子。)

(久寿2年(1155年)の事を思い出す朝子。熊野詣の折、宋の僧侶、淡海を召し出した鳥羽院。誰も宋の言葉が判らない中で、一人淡海と会話を交わす信西。信西の宋の知識と巧みな言葉に驚き、そなたこそ生身観音だと拝む淡海。)

(信西が現世に生きる観音と聞き、あきれる清盛。信西が遣唐使の再開を夢見ていると知り、まことに大願だと清盛。)

(二条帝親政派と後白河上皇派に別れた朝廷。大学寮の再建の為にリストラを強行する信西。反発を強める親政派。)

(上皇の寵愛を受ける信頼。今様に興ずる上皇と信頼。歌いすぎだとたしなめる信西。その信西に、信頼が近衛大将に成りたがっていると伝える上皇。朝廷の秩序を乱す元と反対する信西。固い事を言うなと上皇。際だった働きの無い者に与えられる官職ではないと直言する信西。誰の事かと色めき立つ信頼。軽佻浮薄な人柄と、高い家柄だけで公卿になった人の事だと信西。むっとする信頼。高笑いし、そのとおりだが、なんとかしろと信西に命ずる上皇。)

(夜、信西の館。師光に白楽天の長恨歌の巻物を渡し、上皇に届けよと命ずる信西。楊貴妃に溺れて国を傾けた玄宗皇帝になぞらえ、信頼を偏愛する上皇を諌めるためでした。)

(三条殿。長恨歌を読む上皇。しかし、信西の思いは伝わりませんでした。)

(義朝の館を訪れた清盛。彼の用件は、由良のために宋の薬が要るなら手配するというものでした。助けなど借りないと義朝。そんな事を言っている時かと清盛。信西と組んで得た宋の薬など、有り難がって貰わないと義朝。)

(為義が忠盛を闇討ちにしようとした時の忠盛の言葉を引く清盛。今は平氏の財力と武力を信西に貸し、代わりに信西の知力を利用している。全ては朝廷に対して武士が力を持つ為だと清盛。力でのし上がってこそ武士の世だと義朝。それが通用しない事は、保元の乱で思い知ったはずだと清盛。)

(藤原摂関家の栄華も無くなった今、誰の後ろ盾もない自分にどうしろと言うのだと義朝。父を斬っても左馬頭止まりという不甲斐なさのせいで、由良は倒れたのだ、恵まれたお前とは違うと義朝。痛ましげな清盛。)

(2月19日、上西門院の殿上始の儀。最上位の座に就いたのは清盛。武士がと平家の勢いに驚く貴族たち。清盛と初めて会った頼朝。)

(儀式を主導する門院。初献を勤める頼朝。落ちぶれた源氏の子が平氏の棟梁に献杯とはとささやき会う殿上人たち。清盛の貫禄に臆し、酌をしくじる頼朝。謝る頼朝に、最も強き武士は平氏だ、お前の様な弱い者を抱えた源氏とは違うと一喝する清盛。清盛を睨み付ける頼朝。微笑む清盛。清盛をじっと見つめる頼朝。)

(義朝の館。帰宅した頼朝。慌ただしい邸内。由良の容体が急変したのでした。手は尽くした、後は神仏の思し召しと薬師。苦しむ由良。その姿を見て、六波羅に行き、宋の薬を都合して貰うと義朝。平氏に頭など下げてはいけないと止める由良。こんな時に何をと義朝。源氏の御曹司として誇り高く生きてきた義朝を敬って来た、こんな事で志しを曲げてくれるなと由良。たわけと義朝。誇り高き源氏の妻として死なせて欲しいと由良。由良の手を取る義朝。父がと言いかけて、目を閉じた由良。3月1日、そのまま息絶えた由良。)

(由良の為に祈る常磐。)

(信頼の館。師光相手に、信西に対する憤りをぶちまける信頼。宥める師光。そこに現れた親政派の経宗と惟方。仕える相手は違うが、倒すべき相手は同じだと信頼。)

(信西の館。宋との交易で得た品々を信西に示す清盛。2冊の本を取り、それ以外は全て上皇に献上せよと信西。全てかと驚く清盛。上皇の機嫌が良ければ、自分たちの思うままの政治が出来るのだと信西。そこに現れた、口々に礼を言う貧しき人々。信西は彼らに施しをしていたのでした。果たすべき事をしているまでだと信西。)

(清盛の館。信西の政によって、貧しき人々の暮らしもよくなっている、信西の国作りに賭けると清盛。これまで武士が昇った事がない高みに昇る、そしてあいつが昇ってくるのを待つと清盛。)

(常磐の館。酒を呑み、常磐を抱こうとする義朝。それを拒み、ここに渡ってこないで欲しいと常磐。何故と義朝。自分は義朝の逃げ場になりたくないのだと常磐。黙って立ち去る義朝。新たな子を身籠もっている常磐。)

(信頼の館。訪れている義朝。由良が死んだのは、信西が平家を優遇し、源氏に煮え湯を飲ませたからだと信頼。信西の権勢を罵り、ここで起死回生の手を打ってみないかと義朝に囁く信頼。如何なる手だてかと義朝。信西の首を取れ、そうすれば官位も領地も思いのままだと信頼。一族の棟梁として、そんな大それた事は出来ないと義朝。信西の首を取れと繰り返す信頼。許して欲しいと言って立ち去る義朝。)

(信西の館。なにやら興奮している様子の信西。そこに現れた清盛。いぶかる清盛に、宋に行ける目処がようやく立った、2年後には大船が造れると信西。かつて、信西と語り合った宋の国に渡りたいという夢を思い出す清盛。その清盛に、大願成就のために熊野詣に行けと命ずる信西。)

(義朝の館。義朝に、清盛とはどんな人物かと問う頼朝。出逢いの時の競馬を語り、生涯競い合える相手が見つかった事が嬉しかったと義朝。これで合点が行ったと、殿上始の儀の日の事を語る頼朝。その清盛は、きっと競馬の日の義朝と同じ顔をしていたのだろうと正清。笑みを浮かべる頼朝。義朝なくして清盛はなく、清盛なくして義朝はありませんでした。)

(熊野詣の支度に余念のない平氏一門。12月4日、盛国に留守を託し、出立する清盛と一門。)

(9日、田辺に着いた清盛。月を見上げながら、新しい世を作るのに欠かせない二人の事を考える清盛。)

(信西の館。忙しく算木を並べている信西。)

(信頼の館。家人に案内される義朝と正清。)

(算木を並べ続ける信西。それを見つめて、手を合わせる師光。)

(信頼、成宗、惟親、経宗の四人が揃った部屋に入る義朝。)

(床に並べた算木が揺れ、轟く地響きの音。狼狽える信西。)

(松明を持ち、御所に押し入る軍勢。)

今回は平治の乱の前夜が描かれました。少し信西が美化され過ぎている嫌いもありますが、概ね平治物語に記された経過をなぞった様な回でした。

平治物語に拠れば、信西の治世は優れたもので、民にも国家にも負担を掛けずに朝廷を在りし日の姿に戻し、公平にかつ迅速に訴訟を裁断した上に、私心が無かったとあります。世を善良素朴に戻したとありますから、ドラマの描写もあながち大袈裟では無かった事になりますね。実際にそこまで優れた治世だったのかは疑問が残りますが、当時権勢を振るっていた事は確かでした。

彼と並ぶ権勢を誇っていたのが信頼で、短期間のうちに要職を歴任し、人々の耳目を驚かせていました。平治物語に拠れば、信頼は「文にもあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし」という不覚人であったにも係わらず、ただ朝恩によってのみ昇進を重ねていたとあります。これも物語特有の脚色が入っていると思われますが、平治の乱における彼の役割から見ると、当たらずとも遠からずという気もしますね。

この信頼の朝恩がどこから出ていたかというと、何と後白河上皇との男色関係に由来するとも言われます。事の真偽はともかく、愚管抄に「浅ましき程に御寵ありけり」と記されており、上皇が信頼を偏愛していたのは間違い無い様です。

両雄並び立たずと言いますが、信西と信頼もまた両立し難い関係にあった様です。信頼が大将の位を望んだのに対して信西が反対したとは平治物語に記されている事ですが、この時長恨歌の絵巻を上皇に贈って、その軽挙を諌めた事も物語に記されています。この事は玉葉にも記されており、ほぼ史実どおりだろうと言われています。この時信西は、後白河上皇について「身近に謀反人が居ても気付かず、これを諌めても悟ろうとしない。古今に比類無き暗主だ」と嘆いたとも記されており、上皇が信頼を寵愛する事に対して相当な危機感を抱いていた事が窺えます。

信西はまた、二条親政派からも恨まれていました。二条帝はまだ16才と若く、後白河上皇が院政を布いていたので、その側近である信西が全ての実権を握っていたのですが、二条帝の側近たちにすれば面白い訳がありませんでした。加えて、信西は息子たちを要職に据えて自分の補佐をさせていましたから、その事も周囲の嫉みを買う一因ともなっていた様ですね。

一方、清盛はというと、信西の息子を婿に取ると共に、信頼の息子もまた婿にしていました。政策面では信西と協力関係にありましたが、政治的には多方面と関係を結び、中立的な立場を維持していたのですね。このあたりがドラマの描写と異なるところでしょうか。

義朝に関して言えば、保元の乱の後に下野守にして左馬頭という職に就いた事を清盛に比べて低すぎると恨んでいたと見るのが一般的なのですが、左馬頭というのは朝廷の軍馬を総括する役職であり、武家としては重職と言える待遇でした。元々の官位と経済力に差があった事を考慮すればそれほど冷遇されていたとは言えず、親兄弟が謀反人とされた事を考慮に入れれば、むしろ厚遇にあたるという見方もあります。親殺しという悪評がついて回った事は確かですが、ドラマの様に落ち込んでいたかは疑問が残ります。

信頼との関係については、信頼が武蔵守であった事から縁が出来、その支配下に入ったのではないかと言われます。信頼はただの不覚人ではなく、一族で武蔵守や陸奥守を押さえていた事から武家に強く、支配力を持っていたのだとも言われますね。清盛に対しても縁者となっていた事からもそれが窺えます。平治の乱で義朝が兵を挙げたのは、平家に対する対抗心からではなく、信頼に命じられたからだという見方が現在は有力な様です。

ドラマに戻って、これまで丁寧に描かれてきた信西に比べて、信頼たち反信西派の描き方が雑なのが気になりました。首謀者たる信頼にしても、なぜ後白河上皇に偏愛されていたのか、どういう人となりだったのかという説明が足りていませんよね。さらに、二条親政派にしても登場が唐突過ぎて、誰が誰なのかも判らないといった感じでした。彼らが何をしたかったのかも語り方が不十分で、ともかくも反信西派という記号だけが付けられたという印象です。もう少し、彼らがなぜ信西を恨んで結託したのかを語って欲しかった気がしますね。

義朝については、親殺しという烙印が彼をして狂わせ、破滅への道を歩ませたのでした。ずっと鬱病患者の様な描写が哀れでしたね。唯一、清盛との過去を語った時が、彼らしい輝きを取り戻した一瞬でした。その清盛は、義朝が再び立ち上がる時を待っていたのですね。しかし、義朝は清盛の期待を裏切る様に信頼に与して、信西を襲います。その理由の説明は無かったのですが、次回に語られるのでしょうか。一度は躊躇したはずなのに、唐突過ぎるという印象は否めませんでした。

挿話的に語られた頼朝と清盛の出逢いは、平治の乱後の二人の関係のための伏線なのでしょうか。そこに義朝と清盛の出逢いの場面を重ねたのは、上手い伏線の使い方だと思います。このあたり、宋の薬のエピソードも含めて、この脚本の描き方は丁寧だと思いますね。伏線を張るだけ張っておいて、まるで生かせないドラマもあるからなあ。

次回は平治の乱が描かれます。私的には、やはり信西の最期が気になりますね。どんな描き方をするのか、楽しみに待ちたいと思います。

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