平清盛 平治の乱の舞台 ~三条東殿遺址~
平清盛展を機に、近くの清盛縁の史跡を巡ってきました。その一つが三条東殿遺址、姉小路烏丸東入るにある史跡です。
ここは平治の乱の端緒となった場所で、当時は後白河上皇の院の御所となっていました。平治の乱とは、この頃権勢を振るっていた信西を排斥するために、藤原信頼ら反信西派が起こしたクーデターで、兵力としては源義朝の一族が主力となっていました。
信頼と義朝は、院御所を襲って上皇を拘束し、内裏にあった一本御書所に幽閉します。次いで、信西とその一派を捕らえるためか院御所に放火し、男女の区別無く殺戮を始めました。御所は業火に包まれ、多くの官人や女房たちが殺されたと伝わります。
中でも悲惨だったのは、火に追われて井戸に飛び込んだ女房たちで、下の者は溺死し、中の者は圧死、上の者は業火と矢によってことごとくが亡くなったとされます。戦いの後で信頼は戦功のあったものに恩賞の除目を行っているのですが、時の太政大臣であった藤原伊通は、人を多く殺した者に官位が与えられると言うのなら、あの井戸にも官位を与えるべきだろうと皮肉ったと伝えられてます。
実のところ、狙いは信西とその一族だけだったはずで、ここまでの殺戮を行う必要があったのかと思われるのですが、一説に依ると信頼は普段から御所の人々の嘲りを受けており、その報復の意味もあったのではないかとも言われます。
なお、軍勢は信西の屋敷も襲撃したのですが、信西は危険をあらかじめ察知していたらしく事前に逃亡しており、この時は虎口を逃れています。
その悲惨な事件のあった舞台の今はどうなっているかというと、商業施設の新風館となっているのですね。およそ、そんな恐ろしい出来事があったとは思えない程、現代的な店舗が並んでいました。このギャップもまた、如何にも京都らしいと言えましょうか。
平治の乱はドラマではもう少し先の出来事となりますが、その舞台の跡が賑やかな町中にある事だけでも知っておくのも一興だと思いますよ。
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コメント
えええええええ跡地は新風館なんですか!うわぁびっくりした。
史跡解説、いつも勉強させて頂いております。
クセのある脇役が多い中、
最近ますます魅力的な信西の活躍がもう長くは見られないというのが悲しいです。
本当にもったいない…
最期はどう描かれるんでしょうね。潔いのか逃げるのか。
投稿: まきぼう | 2012.06.20 13:52
まきぼうさん、
ねえ、新風館がそんな場所だったとは意外でしょう。
今からではとても想像出来ない事です。
信西は、どちらかというと憎まれ役だったと思うのですが、
今のドラマでは良い感じに描かれてますよね。
次々に個性的な脇役が居なくなって寂しい限りですが、
その分清盛の存在感が増して来るのでしょう。
信西の最期がどう描かれるのか、楽しみですね。
投稿: なおくん | 2012.06.20 23:32