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2012年6月

2012.06.30

夏越しの祓 ~水無月~

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6月30日は夏越しの祓。1年の折り返しの日に、半年の穢れを祓って、残り半年の無事を願うという風習です。その夏越しの祓に食べる菓子が水無月、ういろうベースの和菓子ですね。

水無月は氷室の氷を象ったものと言われます。かつて宮中では、旧暦の6月1日は氷の節句と呼ばれ、氷室の氷りを口にして暑気を払っていました。この氷を食べると夏痩せをしないと考えられていたのですね。

この風習が庶民にまで広がったのですが、とても氷などは手に入りませんでした。そこで、氷を象った菓子を作ってその代わりにしたというのですね。白いういろうは氷の色を表し、上に乗った小豆は悪霊を祓うとされます。三角なのは、氷の形になっているのだとか。

この水無月は京都に本店を置く鼓月製です。ただし、今週は出かけられなかったので、息子に枚方店で買ってきてもらいました。今日一日限定だったのは、さすがに水無月といったところでしょうか。

今年の夏越しの祓は、この水無月と地元の神社で済ませました。さて、今年もあと半年、もう一がんばりと行く事にしましょうか。

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2012.06.29

京都・洛中 水辺の賑わい ~出町デルタ~

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梅雨の晴れ間、日差しは既に夏のものですね。蒸し蒸しした暑さの中、涼を求める人で水辺は賑わいます。

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加茂川と高野川が出会う出町デルタは、そうした場所のメッカですね。この日も何組もの親子連れやカップルが、川の中の飛び石を行き来していました。

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中には、どうやって渡ったんだという様な場所に座っている二人連れも居ましたね。町中にあって、川と触れあえる貴重な場所と言えるのかも知れません。

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ただ、この日は水かさもあって、少し危ないという気もしました。浅い様でも流れは意外と早く、子供がはまると溺れてしまいそうにも見えます。水辺の事故には、くれぐれも注意が必要、ですね。

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2012.06.28

京都・洛中 桔梗2012 ~廬山寺 6.23~

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平成24年6月23日の廬山寺です。この日は源氏の庭で、桔梗が見頃を迎えつつあるところでした。

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実は、我が家の桔梗はまだ咲いておらず、ここも少し早いかなと思っていました。でも、既に結構な数が咲いており、これなら訪れた甲斐もあったというものです。

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毎年思うのですが、草姿が乱れやすい桔梗を、上手く育てるものですね。野草と言っても良い桔梗を、この雅な庭に良く調和させているのが見事だと思います。

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よく見ると、八重の桔梗も混じっていますね。離れて見る事しか出来ないのですが、何となく様子が違うので、それと判ります。

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写真的には、後ろ姿がほとんどなのが辛いところですね。庭は南に面しており、花はどうしても太陽に向かって咲くものなあ。北に向けて咲いてくれる花は、そう多くはありません。

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廬山寺の桔梗は、間もなくピークを迎える事でしょう。ここは雨の日も風情のある場所ですから、梅雨の季節、出かけるにはぴったりの場所ですよ。

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2012.06.27

京都・洛中 紫陽花2012 ~本法寺 6.23~

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平成24年6月23日の本法寺です。この日は紫陽花が咲き始めたところでした。

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本法寺では、山門から本堂へと続く参道沿いに紫陽花が植えられています。一カ所に群生しているので、咲き揃うとそれなりに見事ですよ。

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でも、咲き始めは他に比べると遅い様ですね。そろそろ見頃かなと思っていたのですが、まだほんの数輪が咲いたばかりでした。

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まあ、咲き始めが遅いと言う事は、それだけ長く楽しめるという事でしょう。また機会があれば、咲き揃った姿を見に行ってみようかと思っています。

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2012.06.26

京都・洛中 立葵2012 ~相国寺 6.23~

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平成24年6月23日の相国寺です。この日は立葵が見頃を迎えていました。

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立葵が咲いているのは弁天堂の前で、境内を横切る上立売通にも面しています。何しろこの色合いですからね、人目を惹き付けるには十分の花です。

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強い風雨のせいか、草姿が少し乱れているのが気になりました。何本か根元から切られていたのは、倒れてしまったからなのかな。

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この花は梅雨が始まると同時に咲き始め、先端まで咲き終わると梅雨が明けるという俗説がありますね。でも、今年はあと少しで咲ききってしまいそうなので、梅雨明けまでは保ちそうにはありません。

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すぐ近くでは、紫陽花も咲いていました。限られた狭いスペースですけど、梅雨らしい季節感を感じられた一時でしたよ。

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2012.06.25

京都・洛東 紫陽花2012 ~真如堂 6.23~

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平成24年6月23日、緑が深くなった真如堂です。

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6月の後半になると、さすがに新緑とは言えなくなっていますね。でも、雨で水分を沢山含んだ緑は瑞々しくて、とても美しく輝いて見えます。

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この日のお目当ては、紫陽花を見る事でした。ここは苦沙弥和尚の尽力により、沢山の紫陽花を見る事が出来る様になっているのです。

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紫陽花は主として鐘楼の周囲で咲いています。この日はほぼ見頃だったかな。今、和尚は本堂裏に紫陽花園を作ろうとされているところで、この日もまさに作業が進められているところでした。まだ苗木ばかりの状態ですが、数年後が楽しみな場所ですね。

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もう一つ見頃となりつつあったのが沙羅の花で、この日は数輪が咲いていました。つぼみも沢山あったので、これから暫くの間は楽しむ事が出来ると思いますよ。

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一週間遅かったのが菩提樹の花で、既にほとんど終わっていました。菩提樹は花が終わると同時に丸い青い実が成るのですね。花はほぼ無くなっていましたが、それでも木の下に行くと香りがまだそこはかとなく残っていましたよ。

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少し気になったのは、三重塔前のもみじに大きな茸が生えていた事で、見かけはともかく、中は相当に傷んでいるという事なのかしらん。景観上大事な木なので、元気なままでいて欲しいのですけどね。今年の紅葉は大丈夫なのかな。


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2012.06.24

平清盛 第25回 「見果てぬ夢」

(1159年(保元4年2月13日)、上西門院となった統子とその蔵人に取り立てられた頼朝。)

(病床の由良に、蔵人として大役を務める事になったと伝える頼朝。嬉しそうな由良。源氏と平氏の差が埋まらぬ事を気に病み、義朝の胸中を思いやる由良。)

(信西の館。租税の報告に来ている清盛。収入と歳出の収支計算に忙殺される信西。清盛へのあいさつもそこそこに、忙しく立ち去ります。せわしない人だとあきれる清盛。やっと自分の才を振るえる場を得たのだからと朝子。)

(久寿2年(1155年)の事を思い出す朝子。熊野詣の折、宋の僧侶、淡海を召し出した鳥羽院。誰も宋の言葉が判らない中で、一人淡海と会話を交わす信西。信西の宋の知識と巧みな言葉に驚き、そなたこそ生身観音だと拝む淡海。)

(信西が現世に生きる観音と聞き、あきれる清盛。信西が遣唐使の再開を夢見ていると知り、まことに大願だと清盛。)

(二条帝親政派と後白河上皇派に別れた朝廷。大学寮の再建の為にリストラを強行する信西。反発を強める親政派。)

(上皇の寵愛を受ける信頼。今様に興ずる上皇と信頼。歌いすぎだとたしなめる信西。その信西に、信頼が近衛大将に成りたがっていると伝える上皇。朝廷の秩序を乱す元と反対する信西。固い事を言うなと上皇。際だった働きの無い者に与えられる官職ではないと直言する信西。誰の事かと色めき立つ信頼。軽佻浮薄な人柄と、高い家柄だけで公卿になった人の事だと信西。むっとする信頼。高笑いし、そのとおりだが、なんとかしろと信西に命ずる上皇。)

(夜、信西の館。師光に白楽天の長恨歌の巻物を渡し、上皇に届けよと命ずる信西。楊貴妃に溺れて国を傾けた玄宗皇帝になぞらえ、信頼を偏愛する上皇を諌めるためでした。)

(三条殿。長恨歌を読む上皇。しかし、信西の思いは伝わりませんでした。)

(義朝の館を訪れた清盛。彼の用件は、由良のために宋の薬が要るなら手配するというものでした。助けなど借りないと義朝。そんな事を言っている時かと清盛。信西と組んで得た宋の薬など、有り難がって貰わないと義朝。)

(為義が忠盛を闇討ちにしようとした時の忠盛の言葉を引く清盛。今は平氏の財力と武力を信西に貸し、代わりに信西の知力を利用している。全ては朝廷に対して武士が力を持つ為だと清盛。力でのし上がってこそ武士の世だと義朝。それが通用しない事は、保元の乱で思い知ったはずだと清盛。)

(藤原摂関家の栄華も無くなった今、誰の後ろ盾もない自分にどうしろと言うのだと義朝。父を斬っても左馬頭止まりという不甲斐なさのせいで、由良は倒れたのだ、恵まれたお前とは違うと義朝。痛ましげな清盛。)

(2月19日、上西門院の殿上始の儀。最上位の座に就いたのは清盛。武士がと平家の勢いに驚く貴族たち。清盛と初めて会った頼朝。)

(儀式を主導する門院。初献を勤める頼朝。落ちぶれた源氏の子が平氏の棟梁に献杯とはとささやき会う殿上人たち。清盛の貫禄に臆し、酌をしくじる頼朝。謝る頼朝に、最も強き武士は平氏だ、お前の様な弱い者を抱えた源氏とは違うと一喝する清盛。清盛を睨み付ける頼朝。微笑む清盛。清盛をじっと見つめる頼朝。)

(義朝の館。帰宅した頼朝。慌ただしい邸内。由良の容体が急変したのでした。手は尽くした、後は神仏の思し召しと薬師。苦しむ由良。その姿を見て、六波羅に行き、宋の薬を都合して貰うと義朝。平氏に頭など下げてはいけないと止める由良。こんな時に何をと義朝。源氏の御曹司として誇り高く生きてきた義朝を敬って来た、こんな事で志しを曲げてくれるなと由良。たわけと義朝。誇り高き源氏の妻として死なせて欲しいと由良。由良の手を取る義朝。父がと言いかけて、目を閉じた由良。3月1日、そのまま息絶えた由良。)

(由良の為に祈る常磐。)

(信頼の館。師光相手に、信西に対する憤りをぶちまける信頼。宥める師光。そこに現れた親政派の経宗と惟方。仕える相手は違うが、倒すべき相手は同じだと信頼。)

(信西の館。宋との交易で得た品々を信西に示す清盛。2冊の本を取り、それ以外は全て上皇に献上せよと信西。全てかと驚く清盛。上皇の機嫌が良ければ、自分たちの思うままの政治が出来るのだと信西。そこに現れた、口々に礼を言う貧しき人々。信西は彼らに施しをしていたのでした。果たすべき事をしているまでだと信西。)

(清盛の館。信西の政によって、貧しき人々の暮らしもよくなっている、信西の国作りに賭けると清盛。これまで武士が昇った事がない高みに昇る、そしてあいつが昇ってくるのを待つと清盛。)

(常磐の館。酒を呑み、常磐を抱こうとする義朝。それを拒み、ここに渡ってこないで欲しいと常磐。何故と義朝。自分は義朝の逃げ場になりたくないのだと常磐。黙って立ち去る義朝。新たな子を身籠もっている常磐。)

(信頼の館。訪れている義朝。由良が死んだのは、信西が平家を優遇し、源氏に煮え湯を飲ませたからだと信頼。信西の権勢を罵り、ここで起死回生の手を打ってみないかと義朝に囁く信頼。如何なる手だてかと義朝。信西の首を取れ、そうすれば官位も領地も思いのままだと信頼。一族の棟梁として、そんな大それた事は出来ないと義朝。信西の首を取れと繰り返す信頼。許して欲しいと言って立ち去る義朝。)

(信西の館。なにやら興奮している様子の信西。そこに現れた清盛。いぶかる清盛に、宋に行ける目処がようやく立った、2年後には大船が造れると信西。かつて、信西と語り合った宋の国に渡りたいという夢を思い出す清盛。その清盛に、大願成就のために熊野詣に行けと命ずる信西。)

(義朝の館。義朝に、清盛とはどんな人物かと問う頼朝。出逢いの時の競馬を語り、生涯競い合える相手が見つかった事が嬉しかったと義朝。これで合点が行ったと、殿上始の儀の日の事を語る頼朝。その清盛は、きっと競馬の日の義朝と同じ顔をしていたのだろうと正清。笑みを浮かべる頼朝。義朝なくして清盛はなく、清盛なくして義朝はありませんでした。)

(熊野詣の支度に余念のない平氏一門。12月4日、盛国に留守を託し、出立する清盛と一門。)

(9日、田辺に着いた清盛。月を見上げながら、新しい世を作るのに欠かせない二人の事を考える清盛。)

(信西の館。忙しく算木を並べている信西。)

(信頼の館。家人に案内される義朝と正清。)

(算木を並べ続ける信西。それを見つめて、手を合わせる師光。)

(信頼、成宗、惟親、経宗の四人が揃った部屋に入る義朝。)

(床に並べた算木が揺れ、轟く地響きの音。狼狽える信西。)

(松明を持ち、御所に押し入る軍勢。)

今回は平治の乱の前夜が描かれました。少し信西が美化され過ぎている嫌いもありますが、概ね平治物語に記された経過をなぞった様な回でした。

平治物語に拠れば、信西の治世は優れたもので、民にも国家にも負担を掛けずに朝廷を在りし日の姿に戻し、公平にかつ迅速に訴訟を裁断した上に、私心が無かったとあります。世を善良素朴に戻したとありますから、ドラマの描写もあながち大袈裟では無かった事になりますね。実際にそこまで優れた治世だったのかは疑問が残りますが、当時権勢を振るっていた事は確かでした。

彼と並ぶ権勢を誇っていたのが信頼で、短期間のうちに要職を歴任し、人々の耳目を驚かせていました。平治物語に拠れば、信頼は「文にもあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし」という不覚人であったにも係わらず、ただ朝恩によってのみ昇進を重ねていたとあります。これも物語特有の脚色が入っていると思われますが、平治の乱における彼の役割から見ると、当たらずとも遠からずという気もしますね。

この信頼の朝恩がどこから出ていたかというと、何と後白河上皇との男色関係に由来するとも言われます。事の真偽はともかく、愚管抄に「浅ましき程に御寵ありけり」と記されており、上皇が信頼を偏愛していたのは間違い無い様です。

両雄並び立たずと言いますが、信西と信頼もまた両立し難い関係にあった様です。信頼が大将の位を望んだのに対して信西が反対したとは平治物語に記されている事ですが、この時長恨歌の絵巻を上皇に贈って、その軽挙を諌めた事も物語に記されています。この事は玉葉にも記されており、ほぼ史実どおりだろうと言われています。この時信西は、後白河上皇について「身近に謀反人が居ても気付かず、これを諌めても悟ろうとしない。古今に比類無き暗主だ」と嘆いたとも記されており、上皇が信頼を寵愛する事に対して相当な危機感を抱いていた事が窺えます。

信西はまた、二条親政派からも恨まれていました。二条帝はまだ16才と若く、後白河上皇が院政を布いていたので、その側近である信西が全ての実権を握っていたのですが、二条帝の側近たちにすれば面白い訳がありませんでした。加えて、信西は息子たちを要職に据えて自分の補佐をさせていましたから、その事も周囲の嫉みを買う一因ともなっていた様ですね。

一方、清盛はというと、信西の息子を婿に取ると共に、信頼の息子もまた婿にしていました。政策面では信西と協力関係にありましたが、政治的には多方面と関係を結び、中立的な立場を維持していたのですね。このあたりがドラマの描写と異なるところでしょうか。

義朝に関して言えば、保元の乱の後に下野守にして左馬頭という職に就いた事を清盛に比べて低すぎると恨んでいたと見るのが一般的なのですが、左馬頭というのは朝廷の軍馬を総括する役職であり、武家としては重職と言える待遇でした。元々の官位と経済力に差があった事を考慮すればそれほど冷遇されていたとは言えず、親兄弟が謀反人とされた事を考慮に入れれば、むしろ厚遇にあたるという見方もあります。親殺しという悪評がついて回った事は確かですが、ドラマの様に落ち込んでいたかは疑問が残ります。

信頼との関係については、信頼が武蔵守であった事から縁が出来、その支配下に入ったのではないかと言われます。信頼はただの不覚人ではなく、一族で武蔵守や陸奥守を押さえていた事から武家に強く、支配力を持っていたのだとも言われますね。清盛に対しても縁者となっていた事からもそれが窺えます。平治の乱で義朝が兵を挙げたのは、平家に対する対抗心からではなく、信頼に命じられたからだという見方が現在は有力な様です。

ドラマに戻って、これまで丁寧に描かれてきた信西に比べて、信頼たち反信西派の描き方が雑なのが気になりました。首謀者たる信頼にしても、なぜ後白河上皇に偏愛されていたのか、どういう人となりだったのかという説明が足りていませんよね。さらに、二条親政派にしても登場が唐突過ぎて、誰が誰なのかも判らないといった感じでした。彼らが何をしたかったのかも語り方が不十分で、ともかくも反信西派という記号だけが付けられたという印象です。もう少し、彼らがなぜ信西を恨んで結託したのかを語って欲しかった気がしますね。

義朝については、親殺しという烙印が彼をして狂わせ、破滅への道を歩ませたのでした。ずっと鬱病患者の様な描写が哀れでしたね。唯一、清盛との過去を語った時が、彼らしい輝きを取り戻した一瞬でした。その清盛は、義朝が再び立ち上がる時を待っていたのですね。しかし、義朝は清盛の期待を裏切る様に信頼に与して、信西を襲います。その理由の説明は無かったのですが、次回に語られるのでしょうか。一度は躊躇したはずなのに、唐突過ぎるという印象は否めませんでした。

挿話的に語られた頼朝と清盛の出逢いは、平治の乱後の二人の関係のための伏線なのでしょうか。そこに義朝と清盛の出逢いの場面を重ねたのは、上手い伏線の使い方だと思います。このあたり、宋の薬のエピソードも含めて、この脚本の描き方は丁寧だと思いますね。伏線を張るだけ張っておいて、まるで生かせないドラマもあるからなあ。

次回は平治の乱が描かれます。私的には、やはり信西の最期が気になりますね。どんな描き方をするのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.06.23

京都・洛東 半夏生の庭園特別公開2012 ~両足院 6.23~

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建仁寺の塔頭・両足院で、半夏生の庭園特別公開が行われています。私は今日行ってきましたが、半夏生が満開・見頃になっていましたよ。

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半夏生はドクダミ科の植物で、暦の上の半夏生の頃に咲く事からこの名があると言われます。別に「半化粧」とも書き、葉の半分ほどが白くなる事からそう呼ばれるとも言いますね。

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つまりは、白く見えるのは葉で、花は葉の間に穂の様になった花序として咲いています。この花序も白い色ですね。

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両足院では、回遊式庭園の池の畔に沿う様に植えられており、苔の緑、池の緑に良く映えて、とても美しく見えますよ。

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この半夏生に混じってクチナシも咲いているのですが、初めてここを訪れた時にはそれに気付かず、半夏生も甘い香りがするんだと思ってしまいました。実際には特に香りは無い様です。

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この特別公開での楽しみの一つに、茶席での喫茶があります。拝観料600円に加えて500円を出せば、池のほとりの茶席で、特別誂えの茶菓子と抹茶が頂けるのですよ。今年も味あわせて貰いましたが、ちょっと人が多すぎて風情が感じられなかったのが残念だったかな。

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この半夏生の庭園特別公開は、7月8日まで行われています。半夏生の花期は結構長かったと思うけれども、今がピークなので、なるべく早く行く事をお薦めします。雨の日でも、この花に関してはかえって風情があるかも、ですよ。

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2012.06.22

京都・洛東 雨の風情 ~祇園・巽橋~

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雨の祇園と言えば濡れた石畳に風情を感じます。特に巽橋周辺は格別ですよね。

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その景色には、やはり和服姿こそ似合います。このお二人は、たぶん襟替えをしたばかりの芸妓さんかな。素人にしては垢抜けた雰囲気を持っていましたからね。

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こちらは舞妓さんの後ろ姿です。昼下がりにこの辺りに居ると、時々こうしたオフの舞妓さんたちの姿を見る事が出来ますよ。

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ちょっと気になったのは、白川と書かれた欄干の親柱で、虫食いによってボロボロになっていました。そろそろ取り替えの時期じゃないのかしらん。ここはやはり、磨き込まれた欄干こそが似合いますからね、綺麗になった姿を早く見たいものだと思います。

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2012.06.21

京都・洛東 紫陽花2012 ~祇園白川 6.16~

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平成24年6月16日の祇園白川です。この日は川沿いの紫陽花が、見頃を迎えていました。

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紫陽花が咲いているのは主として西側で、縄手通に近い一帯が一番多いかな。特に旅館白梅の前辺りに集中しています。

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これは通りの中程にある紫陽花ですね。吉井勇と親交があり、文芸芸妓と呼ばれた磯田多佳は紫陽花を愛した事で知られていますが、祇園白川に紫陽花が多いのは、彼女との縁を感じさせますね。ただ、肝心の「かにかくにの碑」の周囲には、わずかしか咲いていないのが残念なのですが。

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紫陽花は梅雨の花。やはり雨の日にこそ似合います。土曜ごとに雨が降るのは困りますが、紫陽花と雨を撮るには好都合と言えるかも知れません。

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こうした川沿いの紫陽花を見る事が出来るのも、祇園白川ならではの景色ですね。紫陽花の季節はまだはじまったばかり、未だ暫くはこの花を楽しむ事が出来ると思いますよ。

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2012.06.20

平清盛 保元の乱の舞台~高松殿跡~

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三条東殿址から姉小路通をずっと西に行くと、釜座東入に高松殿跡があります。こちらは保元の乱の時に、後白河天皇側の本拠地となった場所ですね。当時は天皇の御所とされていましたが、動員された武力は崇徳上皇方を圧倒するもので、雲霞のごとくだったと当時の記録には記されています。

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ドラマにあった様に、信西はこの地で軍議を主導し、義朝の献策に乗って白河北殿へと夜襲を掛けたのでした。義朝も清盛もこの地に集結し、ここから戦いの場へと出て行ったのですね。

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今は高松殿の邸内に祀られていた神明社だけが残り、高松神明神社として存続しています。ここにはもう一つ興味深いものがあって、それがこの神明地蔵尊ですね。これは、元は和歌山の九度山の真田庵にあったもので、真田幸村の念持仏だったと言われます。知将幸村にあやかって、子供に知恵を授かるというご利益があるそうですよ。平家ファンのみならず、戦国ファンも一度は訪れてみたい場所と言えるでしょう。

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さて、保元の乱繋がりで、高松殿跡の北側一帯は、頼長の邸宅(というより藤原摂関家の邸宅というべきかも知れませんが)であった、東三条殿跡に当たります。豪勢な寝殿造りの邸で、乱の勃発直前に頼長から官に没収されていました。そして、戦の最中に後白河帝は、高松殿から東三条殿に移ったと言いますから、ドラマにあった様に兵火で焼かれたという事は無かった様ですね。ただし、没官にあたっては兵士が乱入したと言いますから、ある程度は蹂躙されていたのかも知れません。

今はご覧のとおりに御池通に面しては大きなマンションが建ち並んでおり、当時を偲ばせるものは何もありません。でも、ここで頼長がオウムを相手にしゃべっていたと想像するのも面白いですね。

なお、今回は確認していないのですが、跡地を示す石碑は押小路通釜座にある様です。

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2012.06.19

平清盛 平治の乱の舞台 ~三条東殿遺址~

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平清盛展を機に、近くの清盛縁の史跡を巡ってきました。その一つが三条東殿遺址、姉小路烏丸東入るにある史跡です。

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ここは平治の乱の端緒となった場所で、当時は後白河上皇の院の御所となっていました。平治の乱とは、この頃権勢を振るっていた信西を排斥するために、藤原信頼ら反信西派が起こしたクーデターで、兵力としては源義朝の一族が主力となっていました。

信頼と義朝は、院御所を襲って上皇を拘束し、内裏にあった一本御書所に幽閉します。次いで、信西とその一派を捕らえるためか院御所に放火し、男女の区別無く殺戮を始めました。御所は業火に包まれ、多くの官人や女房たちが殺されたと伝わります。

中でも悲惨だったのは、火に追われて井戸に飛び込んだ女房たちで、下の者は溺死し、中の者は圧死、上の者は業火と矢によってことごとくが亡くなったとされます。戦いの後で信頼は戦功のあったものに恩賞の除目を行っているのですが、時の太政大臣であった藤原伊通は、人を多く殺した者に官位が与えられると言うのなら、あの井戸にも官位を与えるべきだろうと皮肉ったと伝えられてます。

実のところ、狙いは信西とその一族だけだったはずで、ここまでの殺戮を行う必要があったのかと思われるのですが、一説に依ると信頼は普段から御所の人々の嘲りを受けており、その報復の意味もあったのではないかとも言われます。

なお、軍勢は信西の屋敷も襲撃したのですが、信西は危険をあらかじめ察知していたらしく事前に逃亡しており、この時は虎口を逃れています。

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その悲惨な事件のあった舞台の今はどうなっているかというと、商業施設の新風館となっているのですね。およそ、そんな恐ろしい出来事があったとは思えない程、現代的な店舗が並んでいました。このギャップもまた、如何にも京都らしいと言えましょうか。

平治の乱はドラマではもう少し先の出来事となりますが、その舞台の跡が賑やかな町中にある事だけでも知っておくのも一興だと思いますよ。

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2012.06.18

NHK大河ドラマ50年記念特別展「平清盛」 ~京都文化博物館~

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京都文化博物館にて、平清盛展が開催されています。大河ドラマと連動した催しで、東京、神戸、広島に続く開催になります。先の開催地で行かれた方も多い事でしょうね。

私は初日の6月16日に訪れて来ました。初日とあってさぞかし混雑している事だろうと覚悟していたのですが、意外な程空いていたのは雨模様だったせいかしらん。それとも、視聴率が低い事が祟っているのかな。

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展示は5章からなり、平氏の勃興から衰退までを、様々な角度から浮き彫りにされています。私的には、兵範記や玉葉、愚管抄など一級の資料を直に見る事が出来たのが嬉しかったですね。また、清盛が祇園女御の妹の子である事を示す「仏舎利相承系図」も興味深かったです。これらの文献を見ているたげで、時間が経つのを忘れてしまう程でした。西行の山家集にも見入ってしまったな。

圧巻だったのは、やはり平家納経ですね。実物を見るのは初めてで、国宝に指定されているのも成る程と頷ける様な見事なものでした。清盛の直筆もあったのですが、とても端正で綺麗な字を書いていたのですね。几帳面な人柄であった事を偲ばせる写経の文字でした。

主な展示物はリンク先のとおり(ただし、東京展のものなので多少の異動があると思われます)で、大河ドラマファンなら必見の内容ですよ。

期間は7月17日までで、入場料は1200円になっています。なお、私は事前に気付かなかったのですが、割引引換券を印刷して持っていけば100円引きになる様ですよ。

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2012.06.17

平清盛 第24回 「清盛の大一番」

(1156年(保元元年7月)。讃岐へ流される崇徳上皇。上皇の一行を見送る西行。)

(1157年(保元2年)10月。内裏の修復終了。真新しい御殿を歩き、満足する後白河天皇。平氏の財力のおかげと信西。4つの殿舎の造営は平氏一門が請け負っていたのでした。)

(清盛の館。一門を前に、恩賞として官位が引き上げられると伝える清盛。頼盛が従4位下、経盛が従5位下、教盛が従5位上に昇進する中で、清盛の公卿入りは見送られました。その譲りで従5位上になった重盛。これからも信西を支えていくと清盛。)

(ぼんやりと座っている重盛。どうしたと聞く基盛。重盛は、忠正を斬れと命じた信西の下で、何事も無かったかの様に働く父の姿に疑問を持っていたのでした。)

(内裏。長く廃れていた宮中行事を甦らせると信西。その目玉が相撲節会でした。その費用として平家を当てにしているのかと清盛。そうではない、租税を使うのだと信西。しかし、その租税の取り立てが滞っているのが難題でした。中でも鎮西が問題だと師光。鎮西全てを合わせても播磨一国より少ないと清盛。清盛に、太宰府に行って、太宰大監原田種直と会い、相応の租税を取り立ててくれと信西。それよりもっと良い手がある、自分を太宰大弐に取り立てよと清盛。その重職には、相応の者が代々就いている、奴らを敵に回してはいけないと信西。国の宝となれと言ったのは空言だったのか、私利私欲のために一門を犬として扱うのならば容赦はしないと清盛。自分が居なければ清盛の思う世は来ない、今は指図に従えと信西。)

(内裏。遠回しに後白河帝に譲位を迫る美福門院。譲位はしないと帝。)

(清盛の館。帝は譲位しても良いと思っているはずなのだがと成親。得子を弄ぶのに喜びを見出しているのだろうと清盛。そこに刻限だと告げに来る時子。これから太宰府を手に入れに行って来ると清盛。戯れをと成親。きっと本当にしてしまうでしょうと時子。驚く成親。)

(内裏。信西に会いに来た義朝。信西は多忙だと断る師光。内裏造営の恩賞をと迫る義朝。北の廊を請け負っただけだろう、それには正5位下の位で報いたと師光。)

(悄然と廊下を行く義朝。その背後から嘲笑を浴びせる貴族たち。)

(部屋に戻った信西。義朝がいささか可哀想だと師光。源平は武士の双璧、源氏を叩けばそれだけ平氏を取り立てる事が出来るのだと信西。)

(太宰府に趣いた清盛。宋の国の調度品で飾られた部屋を眺める清盛。供される食事も、給仕の女たちも全て宋風でした。清盛の前に現れた種直。宋風の作法で茶を勧める種直。)

(鎮西は豊かな国にも係わらず、都に届く租税はわずかと切り出す盛国。国によって人も違う、粗暴な鎮西の者たちを手なずけるのに、原田一族は手を尽くしてきたのだと種直。租税とすべきものを、それらの者に分け与えていたのかと清盛。租税を絶やさぬための方便だ、今更都からの口出しなど迷惑千万と種直。)

(廊下。代々甘い汁を吸って来た様だと盛国。苦笑を漏らす清盛。)

(翌日。再び種直の下を訪れた清盛。その背後に続く兔丸たち。兔丸を元は海賊だった者たちと紹介する盛国。荒ぶる兔丸たち。武器を運び込む郎党。鎮西の暴れ者に手を焼いているのなら、暫く郎党たちを預けておくと盛国。平家一門と手を組み、鎮西の富を上手く使っていこうではないかと提案する清盛。播磨守ごときに何が出来ると種直。黙って俺に従えと清盛。後に一門の娘を種直の妻とし、鎮西に足掛かりを作った清盛。)

(平氏の館。上手く行った、これで巻き上げた米を都で売り捌けると喜ぶ兔丸。そんな事はしない、これは相撲節会の元手として信西に届けると清盛。それでは朝廷の上の者だけが楽しむ事になるではないかと兔丸。これは俺と朝廷の相撲だと清盛。どういう事だと兔丸。)

(内裏。鎮西の租税を届けた清盛。これで無事に相撲節会が出来ると信西。その節会の宴の膳を支度させて欲しいと清盛。嬉しげにうなずく信西。)

(廊下。大事な話があると成親に呼び止められた清盛。)

(清盛の館。成親の妹を妻にと勧められた重盛。相手は経子でした。成親は帝の近臣にしていずれ公卿になる人、家同士結んで損はないと清盛。どこか気乗りのしない様子の重盛。経子に不足があるのかと時子。良い人だと思うと重盛。今は一門にとって大事な時、一つ誤っては全てが水泡に帰する、これも嫡男としての勤めと心得よと清盛。承諾する重盛。)

(廊下。盛国に向かって、かつて自分の意のままに振る舞った清盛が、重盛にあのような事を強いるとはと家貞。あの頃より一門が負っている荷がずっと重くなっているのだろうと盛国。立派になった、清盛もさぞ心強いだろうと家貞。)

(1158年(保元3年)2月。皇后宮少進の職に就いた頼朝。由良が統子に頼み込んだ結果でした。統子に拝謁し、礼を言う義朝。頼朝に声を掛け、祝いの品を下さる統子。その品を運ぶ途中、倒れる由良。)

(病の床に付いた由良。)

(特に悪いところはない、先の戦の始末はそなたたちにとってさぞつらい事だったであろうと義朝を気づかう統子。そして、これ以上由良に重荷を背負わせてはならないと統子。)

(義朝の館。一人酒を呑み、もの思いに耽る義朝。それを見守る常磐。父の下に駆け寄る乙若と今若。涙ぐみながら、二人の息子を抱きしめる義朝。)

(内裏。相撲節絵の準備にいそしむ信西。そこに現れた義朝。彼は清盛と並ぶ相応の国をと信西に迫ります。とまどう信西。そこに清盛が膳の件でやって来たと師光が知らせます。今行くと義朝を置き去りにする信西。信西に縋る義朝。無視して立ち去る信西。辛そうな義朝。そこに現れ、義朝に一礼する清盛。義朝を尻目に、信西と奥に消える清盛。無念そうな義朝。)

(6月。重盛と経子の婚礼。成親と平家一門の絆を深めようと、祝いの言葉を言う清盛。)

(相撲節会。帝の前で戦う力士たち。運び込まれる、清盛が用意した膳部の数々。)

(婚礼の儀。舞が舞われ、盛り上がる宴。一人浮かぬ顔の重盛。経子にあいさつする基盛。楽しげに舞う清盛。)

(内裏。古式に則り、滞りなく進む節会。突然現れた宋風の女官に目を奪われる帝。)

(婚礼の儀。突然立ち上がり、経子の前に手を突いて、今度の縁は無かった事にして欲しいと叫び出す重盛。驚く時子。じっと見守る清盛。)

(相撲節会。供された宋の茶にじっと見入る帝。)

(婚礼の儀。訳を言えと静かに問う清盛。叔父を斬り、その叔父を斬れと命じた信西と平気で働ける父の跡を継げるだけの、嫡男としての腹が据わっていないのだと重盛。お前の言う事は良く判った、しかし、戯言に付き合っている暇はない、つべこべ言わずに婚礼を済ませて、子でも設けよと言って、重盛を庭に突き飛ばす清盛。庭に転がった重盛。平然とそれを見つめ、経子に詫びを入れる清盛。呆然とそれを見つめる重盛。経子に杯を薦め、ふつつかな息子を末永くよろしくと頼む清盛。戸惑いながら杯を受ける経子。何事も無かったかの様に続く宴。)

(相撲節会。宋の茶を飲み、じっと器に見入る帝。)

(勝者に帝より言葉を賜ると信頼。しかし、帝はこの膳は誰が支度したと言い出します。茶碗を持ち上げ、この珍しき茶は何だとつぶやく帝。勝者に言葉をと催促する信頼。帝の前に進み出て、清盛が支度をした、宋国の物を宋国の作法で支度したのだと答える信西。なぜ清盛がそんな事を知っているのだと帝。今度の節会は、清盛が太宰府に赴いて税を取り立ててきたから出来た事、その時に見つけた珍しい物をご覧に入れた清盛の座興だと信西。突然、清盛を太宰大弐とすると決めた帝。驚く信頼。意外そうな忠通や成親。苦笑して俯く信西。)

(館の庭で剣を振るう清盛。訪れている信西に、異論は無かったのかと問う清盛。帝の厳命に誰が逆らえようと信西。そうかと清盛。手も触れずに勝ちを得たそなたの相撲にはあきれたと微笑む信西。微笑む清盛。)

(8月11日、内裏。守仁と美福門院を招いた帝。玉座から降り、二人の前に立って、この座が欲しいのならくれてやると言って立ち去る帝。後を追う成親と信頼。譲位が決まった瞬間でした。)

(何故かと問う信頼。もっと面白い遊びがしたいのだと帝。戸惑う信頼。玉座に居ては、あやつと遊べぬと帝。)

(廊下を行く清盛。その前に現れた義朝。久しぶりだなと清盛。信西の目論見がわからないのか。源氏を叩いて平氏を取り立てる。武士に絶大な力を持たせる気は毛頭無い、用が無くなれば捨てられるのだと義朝。それでも今は、信西と手を組む道しかないのだと清盛。その先に武士の世があると言うのかと義朝。そうだと清盛。口元を歪め、立ち去る義朝。義朝を目で追う清盛。)

今回は信西による国作りと、それに乗って勢力を拡大して行く清盛の姿が描かれました。

保元の乱の後、信西が取った政策は、ドラマにあった様に内裏の修築、古式の復活、増えすぎた荘園の整理による国家の収入の増を計る事、官人や社寺の綱紀の粛正などでした。このうち、内裏の修築は諸国に負担が割り振られ、4カ国を有していた平家は4つの殿舎を復興しています。下野一国を有していた義朝は、北の廊下を担当しました。この時代の通例として、殿舎や社寺を奉納したものは官位の昇格などで報われる事になっており、ドラマで描かれた様に平家の一門がそれぞれ昇進を果たしています。この時、清盛の公卿への昇進が見送られ、その譲りで重盛が従五位上に任官したのもドラマのとおりですね。

古式の復元の一環として、信西が相撲節会を復活させた事も史実にあるとおりですが、そこに清盛が絡んでいたというのは、太宰大弐就任と上手く絡めた創作でしょう。太宰大弐は太宰府の事実上の長官(長官職として太宰師がありましたが、大弐が置かれた時には不在とされていました。)で、公卿かそれに準ずる者が任命される事が通例となっていました。清盛がこれに任命されたのは、公卿となる事が約束された事を意味し、かなり大きな出来事だったのですね。そこには信西の引きがあった事は確かなのでしょうけど、ドラマでは清盛が上手く立ち回って見せる事で、政治家として成長した姿を描いて見せたのですね。なお、原田種直については平家の有力な武将となり、家臣団の中核を担う事になるのですが、その出逢いは清盛が大弐に就任した後ではないかと思われます。

台頭する平家の一方で、源氏が低迷していたのもドラマにあったとおりですが、元々の政治力、経済力に大差があったため、当然の結果ではありました。そして、義朝は清盛とは違って信西とは不仲とあったとされ、例えば愚管抄に拠れば、義朝は自分の娘の婿にと信西の息子を望んだのですが、学者の家柄であるので武門の婿には相応しくないと断っています。その一方で、信西は清盛の娘と縁組みをしており、これが後の遺恨に繋がったと言われています。これには異説もあるのですが、信西との仲が上手く行っていなかったのは確かでしょうね。

その義朝が頼りにしたのは、由良とその実家の伝手を頼りとした統子内親王でした。統子内親王は後白河天皇の姉であり、一定の影響力も持っていましたから、義朝が朝廷に接近するには好都合だったのですね。そして、彼はさらに後白河の近臣である信頼に接近して行く事になります。

そして、重大な出来事として、後白河天皇から守仁への譲位が描かれましたが、これは後白河の気まぐれではなく、また公に計られる事もなく、密室で決まったと言われます。兵範記に拠れば「仏と仏の評定」によって決まったとあり、おそらくは出家した者同士の話し合い、つまりは美福門院と信西の話し合いで決められたのではないかと考えられています。後白河は、あくまで守仁が天皇の座に就くまでのショートリリーフでしかなく、美福門院にその事を衝かれると信西も抗しきれなかった様ですね。ただし、守仁はまだ16才に過ぎず、この後は上皇となった後白河が院政を布く事になって行きます。

ドラマに戻って、清盛がすっかり貫禄を付け、したたかな政治家となった姿を見せてくれました。これはかつての忠盛を彷彿とさせる姿であり、代わって重盛がかつての清盛と同じ様な行動を取る様になっています。親子の関係は、順繰りで繰り返すという訳かな。そして清盛の方が、自分がそうだったからか、忠盛より一枚上手の様に見えますね。

一方、辣腕を振るう信西は見るからに楽しそうです。自らが理想とする国作りに勤しんでいる様子が生き生きとしていますよね。その彼も義朝に辛く当たる事で敵を作っており、やがて足下を掬われるであろう事が予感されます。

面白いのはやはり後白河かな。史実とは違うとは言え、清盛と遊べないからと言って自ら玉座を放り出す様は、如何にもこの人らしいと言えましょうか。この無軌道ぶりが、後の世に混乱をもたらす予感がしますよね。

毎回登場の意図が良く判らないのが西行で、今回も崇徳上皇を陰から見送っただけでした。何の為に出て来ているのかと思ってしまいますが、世の無常を彼によって表しているのかしらん。平家物語に言う諸行無常を担当するのが、彼の役割なのかも知れないですね。

次回は早くも平治の乱前夜が描かれる様です。史実でも保元の乱から3年後の事ですが、ドラマの前半を担って来た割に、信西の活躍があまりにも短いという気もしますね。とは言っても主役はあくまで清盛ですから、こういう展開も仕方が無いのでしょう。さて、義朝と清盛のライバル関係がどのように描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


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2012.06.16

京都・洛北 6月の花 ~京都府立植物園~

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この時期は花菖蒲に話題が集まりますが、京都府立植物園では、他にも見頃の花がいくつもあります。その一つがアリウムギガンテウムですね。

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ネギ科の花で、ハンドボールぐらいの大きさのある巨大さが特徴ですね。咲いているのは、冒頭の北山門前広場と沈床式花壇で、どちらもこの不思議な景色を楽しむ事が出来ますよ。

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ホタルブクロも梅雨らしい花ですね。この花の中にホタルを入れて、ほのかな光を楽しむものとか聞きますが、一度はやってみたい遊びです。

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バラ園でも綺麗な花が咲いています。この花は京都シリーズの一つ円山です。どこからそういう名が連想されたのかは判りませんが、優しい花の形からなのか、花色が枝垂れ桜を連想させるからなのかと、色々と想像は膨らみますね。

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こちらはアンネのバラ。アンネ・フランク自身が見た訳ではないけれど、彼女縁の花として知られていますよね。植物園でも、年々そのスペースが広がっている様に思えるのは、気のせいなのかしらん。

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1年を通して緑が絶えないのが楠の道ですが、最も美しい色になるのはこの時期かも知れません。新葉に入れ替わり、雨に濡れる事で、その緑に磨きが掛かる様な気がします。ここなら雨の日に歩いても、爽やかな気分で居られる事、間違いなしですよ。

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2012.06.15

京都・洛北 花菖蒲2012 ~京都府立植物園 6.9~

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平成24年6月9日の京都府立植物園です。この日は菖蒲園で花菖蒲が見頃を迎えていました。

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咲いていたのは一番花がほとんどで、ようやく咲き揃ったところの様でした。花殻の無い綺麗な姿は、すっきりとしていてやはり綺麗なものですね。

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今咲いているのは、早咲き系だけなのだそうですね。中咲きや遅咲き系はまだこれからなので、時と共に華やかさは増して行くものと思われます。

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ここiに来た時に丁度土曜ミニミニガイドの一行と出会いました。暫く解説を聞かせて貰ったのですが、やはり見ているだけでは判らない事が多いですね。

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その時にちょっと驚いたのは、この花の大半はビニールポットで栽培してあるのですね。解説用にと、花を株ごとひょいと持ち上げて運ぶのを見て、少し驚いてしまいました。

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植物園の花菖蒲はこれからが見頃と言って良いのでしょう。手入れの行き届いているのもさすがで、いつ行っても見応えのある花に出会えると思いますよ。

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2012.06.14

京都・洛北 京都さつき事情2012 ~圓光寺 6.9~

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平成24年6月9日の圓光寺です。

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さつきを求めて訪れたこの寺でしたが、あれっと思う程咲いていなかったですね。前週に山門から覗いた時もこんな感じだったので、そろそろかと思っていたのですが案外な結果でした。

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もう少し華やかになるはずなので、これからまだ咲くのかな。それとも既に終わった後なのか、見ている限りでは判断出来ませんでした。ここは、なかなか盛りの時には出会えないですね。

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その代わりに、雨で鮮やかさを増した苔の緑に出会えたのは収穫でした。より深くなったもみじの緑とあいまって、とても美しい景色でしたよ。

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雨の圓光寺は訪れる人も少なく、私以外にはもう一人居ただけでした。水琴窟の音だけが聞こえる境内は、とても静かで情緒溢れる世界でしたよ。

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2012.06.13

京都・洛北 京都さつき事情2012 ~詩仙堂 6.9~

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平成24年6月9日の詩仙堂です。この日はさつきが見頃を迎えていました。

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詩仙堂のさつきは、一度に咲かないのでいつが盛りか判断が難しいのですが、これだけ咲いていればまずまずと言えるんじゃないかな。毎日見ていれば、もっと綺麗な時に出会えるかも知れないのですけどね。

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詩仙堂は相変わらずの賑わいで、この写真を撮るのに20分位待たされました。庭は部屋の奥から見た方が綺麗だとは言っても、混雑していてはそうも行かないですからね。でも、待っていればこんな瞬間もあるのです。

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小雨の降る庭は、しっとりと落ち着いていて良いものですね。雨の日も詩仙堂の魅力の一つだと言えるでしょうか。

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この密集した花の咲き方は、さつきならではのものですね。雨に濡れているので、花色がより深くなった様に感じられます。

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詩仙堂のさつきは、まだ咲いていない株もあって、もう暫くは見る事が出来ると思われます。座敷から眺める花は、そろそろ盛りを過ぎる頃かも知れないですれどね。

あと、京鹿子は、まだつぼみの株と、見頃を迎えた株が混在していました。こちらもまだ暫くは楽しめると思いますよ。

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2012.06.12

京都・洛北 京都さつき事情2012 ~金福寺 6.9~

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平成24年6月9日の金福寺です。これで3週連続で訪れた訳ですが、さつきの盛りはいつの間にか過ぎてしまった様でした。

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6月2日の写真と比べて貰えば判ると思いますが、かえって寂しくなっていたのですよ。なんだか肩すかしを食らった気分でした。

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多分ですが、先週半ばに盛りを迎えたのものの、その後の雨で花を散らしたのではないかと思われます。週末にしか行けないので、なかなかタイミングは合ってくれない様ですね。

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それでも、梅雨らしくしっとりした緑に出会えたのは収穫でした。誰も居ない静かな境内は、しっとりとした空気に包まれて、とても素敵でしたよ。

それにしても、猫はどこに行ったのかなあ。3週続けて会えなかったのは残念でした。

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2012.06.11

京都・洛東 花菖蒲2012 ~平安神宮 6.9~

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平成24年6月9日の平安神宮です。この日は白虎池の花菖蒲が、見頃を迎えていました。

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咲いているのは池の北岸沿いで、南東側の一角はまだ咲いていなかったです。こちらは遅咲き系になるのでしょうか。

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ほとんどは一番花らしく、最初の見頃と言って良いのでしょうね。いくらか二番花が混じっていましたが、暫くは綺麗な状態が続く事でしょう。

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同じ池にあるコウホネの群落も、花盛りとなっていました。花菖蒲に比べると小さな花ですが、その鮮やかな黄色は結構目を惹き付けます。

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そして、睡蓮とのコラボレーションが素敵ですね。この池の最も華やかな季節がやって来たという感じです。

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これからは遅咲き系も咲き出し、華やかさは更に増す事でしょう。暫くは花菖蒲を見に訪れる人で、平安神宮は賑わいそうですよ。

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2012.06.10

平清盛 第23回 「叔父を斬る」

(忠正とその子息に死罪を申し渡した信西。その様な法は無いはずと清盛。古にはあった、今の世の乱れを納めるためには復活させなければならない、それが政だと信西。そもそもが王家の争いであったはず、それなのに何故駆り出されただけの武士がこれ以上の苦しみを背負わなければならないのかと清盛。それは武士だからだと信西。いつまで武士を犬扱いするつもりかと叫ぶ清盛。従わないのなら、官位を剥奪し、領地財宝をことごとく召し上げると信西。卑劣なと、やっと声を絞り出す清盛。)

(廊下。衝撃のあまり、階段を踏み外した清盛。)

(成親に会い、帝への取り次ぎを頼む清盛。自分も散々に諫めたのだが及ばなかった、許して欲しいと頭を下げる成親。無言で飛びだして行く清盛。ふてぶてしい顔でそれを見送る成親。)

(義朝に為義と弟たちの斬首を命ずる信西。父と弟たちが、そこまでの罪を犯したとは思えないと義朝。戦場で相まみえても、肉親と命のやり取りをすると言ったのはそなただ、戦はまだ終わっていないと信西。恩賞は全て返上する、命ばかりは助けて欲しいと信西に縋り付く義朝。清盛は、叔父とその子を斬ると言い放つ信西。愕然とする義朝。清盛はこの先武士が力を持つ為には、今、何をしなければならないかを判っているに違いないと信西。)

(義朝の館。弓の稽古を見る為義。その姿を遠くから見る義朝。彼は由良を見つけるやいなや駆け寄り、その頬を張り飛ばします。何故連れ戻したりしたのだ、余計な事をしなければ父は逃げられていたかも知れないと叫ぶ義朝。懸命に引き離す郎党。何故だと叫び続ける義朝。愕然とする由良。その様子をじっと見つめる為義。)

(清盛の館。今宵西国に逃がしてしまおうと忠清。それより信西に賄を渡してはどうかと教盛。帝に直々に訴えてはと経盛。ことごとく反対する時忠。まじめに考えて欲しいと重盛。私はまじめだがと時忠。)

(清三郎のために竹馬を作る忠正。そこに現れ、静かに頭を下げる清盛。何かを悟った様子の忠正。)

(忠正に斬首を告げる清盛。一瞬目をつぶった忠正。しかし、従う気はない、すぐに手だてをと言いかける清盛。間髪を入れず、承知したと忠正。絶句する清盛。いつ斬られると忠正。彼が恐れているのは、自分が平氏の災いとなる事でした。両二日の内に行えとの事と告げる盛国。お前が斬れと忠正。そんなと清盛。自分が平清盛である事を見届けて欲しいと言ったはずと忠正。)

(義朝の館。苦しげに友切を見つめ、そのまま地面に叩き付ける義朝。座り込んで肩で息をする義朝に、源氏重代の太刀を乱暴に扱うでないと声を掛ける為義。力なく父を見る義朝。庭に落ちた友切を拾う為義。髭切と名を改めたと義朝。そうかと言って、太刀を義朝に渡す為義。苦しげに受け取る義朝。)

(縁に並んで座る為義と義朝。義朝に、殿上人となったそうだなと声を掛ける為義。はいと答える義朝。20数年前、忠盛が殿上人となった時、悔しくてならなかった、しかし、今お前がその望みを叶えてくれた、孝行な倅だと為義。言葉の出ない義朝。)

(源氏の棟梁の証しである太刀で自分の首を刎ねよ、親兄弟の屍の上にも雄々しく立て、それが源氏の栄光への道だと為義。じっと為義を見つめる義朝。)

(父が祖父を斬る事になったと鬼武者に告げる由良。苦しげに下を向く鬼武者。そなたもその目で見て来るが良いと由良。じっと由良を見つめる鬼武者。)

(一人座っている忠正。そこに現れ、申し訳ございませぬと這い蹲る頼盛。お前のせいではない、顔を上げよと忠正。自分の苦しみは一門が潰える事、ここで身内を斬る痛みを乗り越えれば平氏は栄える、そのためなら喜んで斬られると忠正。涙で声の出ない頼盛。)

(忠盛の鎧兜に向かって、申し訳ありませぬと詫びる家貞。)

(一人、苦しみに耐えている清盛。その姿をじっと見つめる時子。)

(翌日。清盛に刻限だと告げる盛国。無言で、ゆっくりと立ち上がる清盛。辛そうな時子。)

(4人の子を前に、断じて一門を恨むな、恨むなら父にせよと告げる忠正。辛そうな子息たち。そこに現れ、刻限だと告げる忠清。真っ先に立ち上がる忠正。そこに現れ、竹馬は出来ましたかと問う清三郎。済まない、出来なかったと微笑む忠正。なら帰って来たらと清三郎。清三郎の肩を抱き、そうしようと忠正。きっとと清三郎。ああとうなずく忠正。)

(待っている一門の前に現れた忠正たち。居並ぶ中に頼盛を見つけ、うなずく忠正。悲しげに見つめる頼盛。次いで家貞を見る忠正。泣き笑いの様な表情になる家貞。最後に清盛を見て、参ろうと告げる忠正。太刀を持って立ち上がる清盛。うなずき合う二人。)

(池禅尼と目があった忠正。じっと忠正を見つめ、頭を下げる禅尼。忠正を先導して行く清盛。涙を堪えている禅尼、時子、家貞たち。)

(六条河原。刑場に座る忠正とその子息達。御免つかまつると声を掛ける清盛。その様子を陰から見守る西行。)

(船岡山。背を向けて座っている為義と弟たち。髭切を手に為義の背後に立つ義朝。その様子を見に現れた鬼若。)

(静かに髭切を抜く義朝。その様子を見守る正清と鬼武者。静かに首を差し出す為義。)

(六条河原。忠正の背後で太刀を構える清盛。)

(船岡山。為義の背後で髭切を構える義朝。)

(六条河原。太刀を構えたまま、斬れない清盛。斬れと叫ぶ忠正。斬れないと、今にも泣き出しそうな清盛。)

(船岡山。ためらう義朝に、斬れと静かに語りかける為義。じっと見守る正清、鬼武者、鬼若。斬れないと義朝。)

(六条河原。斬れないと言う清盛に、それでも平氏の棟梁かと叫ぶ忠正。これから十万億土に旅立ち忠盛に会う、その時にあんな赤子を引き取ったために平氏が滅んだと言って欲しいかと罵る忠正。なおためらう清盛。)

(船岡山。ためらう義朝に、最後の頼みだ、お前の手で黄泉路に旅立たせてくれと静かに語りかける為義。なおためらう義朝に、斬れと叫ぶ為義。)

(六条河原。斬らぬか清盛と叫ぶ忠正。うわー、と叫びながら太刀を振るう清盛。)

(船岡山。叫び声を上げる義朝。)

(六条河原。忠正を斬り、肩で息をしている清盛。倒れている忠正。手を合わせる盛国と西行。)

(為義を斬れなかった義朝。髭切を地面に落とし、尻餅をついて、ああ、と叫び声を上げる義朝。)

(六条河原。忠正を斬ったまま動けない清盛に、我らも早く斬って欲しいと声を掛ける長盛。呆然と振り返る清盛。お願いしますと忠綱。)

(船岡山。這い蹲って泣き叫んでいる義朝。その義朝に、泣かずとも良い、もう良いと静かに声を掛ける為義。泣き続ける義朝。その背後で倒れる音がします。見かねた正清が為義を斬ったのでした。父上と叫ぶ義朝。その義朝を、最後の頼みも聞けない者が、我らの父を父と呼ぶなと罵る頼賢。父の供をしたい、早く斬れと口々に叫び、念仏を唱える義賢たち。その背後に立ち、太刀を構える正清。のたうつ義朝。次々に斬っていく正清。叫び続ける義朝。その様子をじっと見つめている鬼武者。)

(六条河原。次々と太刀を振るい、最後に倒れてしまった清盛。じっと見守る盛国。)

(信西に、処刑が終わった事を告げる師光。静かに、大路にて晒せと命ずる信西。突然笑い声を上げる師光。信西の本当の狙いは為義一党を殺し、摂関家の力を徹底的に削ぐ事にあった、戦の前からずっとこうなる様にし向けていた、悪左府以上に苛烈な人だと師光。それを聞きながら涙を流す信西。どこまでも付いて行くと師光。)

(清盛の館。寝込んだ清盛を介抱する時子。)

(清盛に向かって、力になれなかった事を詫びる成親。彼の用件は、帝が宴を催すというものでした。新しい世の始まりを祝いたいという主旨でしたが、清盛の様子を見て、俄の病と断ろう言う成親。しかし、行くと答える清盛。)

(内裏。後白河帝の宴。殿上人たちに、新しい播磨守、300騎を率いて戦で活躍した平家の棟梁だと紹介する成親。黙って平伏する清盛。その清盛に向かって、忠盛が殿上人となった時は認め難く思い、宴の場で散々にからかい辱めた、しかし今度の戦いで見せた武士の働きは認めざるを得ないと告げる忠通。そして、今後も朝廷の為に勤めよと言って杯を取らせる忠通。あの気位の高い関白がと言って驚く人々。静かに杯を干す清盛。)

(清盛に向かって、帝から直々の祝いを下されると告げる信頼。背後で響く鈴の音。清盛が振り向くと、白拍子たちの舞が始まったのでした。遊びをせんとやと今様を歌いながら舞う白拍子たち。じっと耳を澄ませる清盛。そのうちに白拍子の一人が清盛を誘いに来ます。誘われるままに、舞台に立った清盛。)

(謎の様な笑みを浮かべながら、皆の者、呑めや歌えと命ずる帝。直々のお声掛けはとたしなめる師光。それを無視して、我らは遊ぶ為に生まれてきた、戯れる為に生まれてきた。ここに居るのは選ばれた者、面白い事をするのを許された者たちだと言って縁先にまで歩み出る帝。)

(白拍子に囲まれたまま、じっと俯いて立っている清盛。どうだ生きる力が湧いてくるだろうと清盛に声を掛ける帝。ぞくぞくとして来ようと言って高笑いする帝。帝を睨む様にして振り向き、その前に跪く清盛。その目には涙がありました。このような晴れがましき宴に招かれ、身に余る光栄と口上を述べる清盛。その清盛を見下して、歪んだ顔で高笑いをする帝。)

(誰も居なくなった庭先。手を付いたままの清盛。遊ぶ為に生まれてきたとは何か、戦に勝って力を見せつけたところで何も変わっていないとつぶやく清盛。どこからともなく現れ、そのとおりだと告げる信西。怒りを込めて、信西と叫ぶ清盛。)

(そなたは叔父を斬ったという新たな荷を背負ったと信西。それはお前がと言いかける清盛。それを遮り、それだけの力があるという事だと信西。禍々しくも輝かしい荷を背負って道を切り開いていく力だと信西。信西を睨み付ける清盛。すべての荷を背負ってこの国の宝となれと信西。信西に歩み寄り、殴り倒す清盛。)

(太刀も手にした事が無い者が気楽な事を言うなと叫ぶ清盛。這い蹲りながら清盛を見上げ、太刀なら私も振るっている。この腐った世を根底からたたき直す為の見えない太刀をと信西。その返り血と自分の血反吐にまみれて生きているのだと信西。涙を流しながら立ち上がり、もうなれ合いは終わりにしよう、私は知力を持ってお前の野心を支える、お前は武力をもって私の政を補えと告げる信西。信西を睨み続けている清盛。共に世を変えようと信西。じっと信西と対峙する清盛。)

(清盛の館。滋子に向かって、勤めに出よと告げる時子。えっと聞き返す滋子。後宮にも人出が足りなくなっている、誰かの下に仕えよと時子。一門の為に使われるのは厭だと言ったはずだと滋子。そなたも棟梁の義妹だ、一門の役に立てと時子。姉らしくもないと滋子。今になって武士の妻になるとはどういう事かとやっと判ったのだと時子。)

(義朝の館。常磐に向かって、自分ではどう仕様もないので、義朝をよろしく頼むと由良。そんな事はと常磐。常磐の子を見て、優しい子に育ててくれ、自分は鬼武者を強い子に育てなければならないと由良。)

(呆然と庭を見つめている義朝。その義朝に向かって、元服したいと言い出す鬼武者。えっと鬼武者を見る義朝。早く大人になり、強い武者となって父を支えたいと鬼武者。鬼武者を抱きしめる義朝。それを見て、男泣きする正清。)

(元服した鬼武者に頼朝という名を与える義朝。)

(清盛の館。一門に向かって、平氏は常に一蓮托生と改めて宣言する清盛。)

今回は身内を斬らなければならなかった清盛と義朝の苦悩が描かれました。二人の悲しみと苦しみが克明に描かれ、見ていても息苦しく感じた回でしたね。

史実との関係で言えば、叔父を斬った清盛に対して実の親を斬った義朝に世間の風当たりはきつく、親の首を斬ったと罵られたと愚管抄にはあります。そのぶん、保元物語では義朝は自分では斬る事が出来ずに正清にやらせたと書かれている一方で、清盛は義朝に源氏一門を処分させるために進んで叔父を斬った腹黒い者として描かれています。このあたりバランスが取れているとも言えますが、清盛には気の毒な気もしますね。

為義を実際に斬ったのは誰かという事については諸説がある様ですが、どうやら義朝自身というのが史実らしいですね。ドラマでは保元物語を参照して正清に斬らせましたが、斬る側がためらうあまりに太刀を落としたり、斬られる側が念仏を唱えたりという場面もまた、この物語の描写を引用したものです。なお、斬った場所については船岡山が正しいと思われますが、保元物語では七条朱雀、愚管抄では四つ塚(東寺の南?)と記されています。

もう少し史実に触れておくと、ドラマでは同時進行として描かれていましたが、実際には忠正の処刑が二日早く行われています。保元物語に拠れば、忠正の処刑後に二度に渡って義朝が帝に赦免について奏聞した事が記されており、最後は後白河帝の逆鱗に触れてしまい、義朝が斬らなければ清盛に斬らせるという勅命が下ったとあります。ここまで言われた上に世間から非難されたという義朝には、何とも気の毒な話ではありますね。

次に、信西が長く行われなかった死罪を復活させた理由については、学者として故実に詳しかった信西が律令を厳格に適用したとする説、ドラマで師光が言っていた様に、信西が摂関家の力を徹底的に削ごうとしたのだとする説、武士の世界では、後の報復を防ぐ為に、反乱した者は死罪とする事が既に一般化していたのだとする説などが唱えられています。それぞれに説得力がありますが、信西が主導した事だけは確かな様ですね。信西はこの後、ドラマの最後に清盛に語った様に、平家をパートナーとして国政の改革に乗り出していく事になります。

ドラマに戻って、身内を斬らなければならなかった二人の苦悩ぶりは、見ている側にもひしひしと伝わってきました。斬られる側も同じで、特に為義が泣き叫ぶ義朝にもう良いと言って聞かせる様は、幼子に言って聞かせる親の様でもあり、真情に溢れていたと思います。

その処刑の様を鬼武者に見せた由良も凄い人ですね。さずかは武家の妻と言うべきなのでしょうか。それに応えた鬼武者もまた、武家の子らしい強さを持っていたという事なのいでしょう。後に平家を破滅に追いやるだけの強さを、この子は初めから有していたという伏線になるのかな。

信西について言えば、冷徹に見えた彼も、清盛と宋に渡ろうとしていた頃と何も変わっていないのでした。彼もまた、血の涙を流していたのですね。彼をそこまでに追い込んだのは、白河院以来、乱れに乱れた世に対する憤りでした。義朝ではなく清盛を同志に選んだのは、同じ憤りを持つ者として解り合えると思ったからなのでしょう。

そして、後白河帝について言えば、やはり彼は白河院の血を引くもののけなのでしょうか。苦悩する清盛を余所に、白拍子を呼んで華麗な宴を催し、平伏する清盛を見下して高笑いする様は、白河院の再来と言っても良い狂態ぶりでした。

彼を取り巻く近臣も癖のある者達で、二面性を見せる成親や愚人にしか見えない信頼など、今後の展開に向けての伏線が見て取れます。これからは彼らと信西、そして清盛の絡みが見所となって来るのでしょうね。

次回は相撲節会を主催する清盛が描かれる様です。清盛の太宰大弐就任に題を取った創作の回となりそうですが、現役の力士である豊真将が登場すると事前に話題になった回でもありますね。どんな収録となったのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.06.09

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~下鴨神社 6.2~

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下鴨神社のある糺の森は、町中に残る自然の森として知られます。

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その参道はいつ行っても緑に囲まれており、清々しい気分になれる素敵な道ですね。

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6月にもなると緑が濃くなり、新緑とは言えなくなってきていますが、この色を見るとまだ新鮮な感じが残っていますよね。

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糺の森は自然の森と書きましたが、実際には人の手が絶えず入っています。参道沿いには植林が行われていますし、この馬場でも高木の剪定をしているところを見た事があります。そうでもしないと、これだけの森を守っていけないのでしょうね。

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ただ、ここが観光バスの駐車場になっているのは悲しいですね。初詣の頃にはほぼ全面が臨時駐車場になっているし、自然保護を謳うのなら車を入れるのを止めて欲しいのだけどな。ここを走るのは、馬だけに止めて欲しいものです。

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2012.06.08

京都・洛中 京都新緑事情2012 ~本法寺 6.2~

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本法寺は、堀川通沿いにある町中の寺ですが、そうとは思えない程緑に恵まれています。特に落ち着いた佇まいをみせてくれるのが巴の庭です。

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その巴の庭には、宝物展示館を通って行く事になるのですが、その大理石を貼った廊下にもみじの緑が写って、床もみじになっていました。本家の実相院程ではないですけど、なかなか綺麗なものでしょう。

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巴の庭は本阿弥光悦の作とされ、半円形の切石を組み合わせた丸石と、その向こうの蓮池を合わせて宗祖の日蓮を表していると言われます。如何にも日蓮宗の寺らしい趣向ですね。

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その蓮池では、かなり葉が茂っていました。もう少し経てば、この池にも綺麗な花が咲く事でしょうね。

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巴の庭の中心はこの石組みにあるとされ、ここに築かれた三つの築山が現在、過去、未来を表す事から巴の庭と名付けられたそうなのですが、正直言って何度来ても良く判らないです。一度じっくりと解説してもらいたいですね。

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境内には町中には珍しい多宝塔が建っています。解体修理が施されてからまだ数年ですから、綺麗な姿を保っていますね。

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桜時分には花に囲まれていたであろう境内ですが、今年は訪れる事が出来ませんでした。その桜が今は新緑となって、多宝塔を優しく包んでいます。今の季節は訪れる人も少ない本法寺ですが、その分落ち着いた散策が出来る素敵な場所ですよ。

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2012.06.07

京都・洛東 睡蓮2012 ~平安神宮 6.2~

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花菖蒲は今ひとつでしたが、睡蓮は盛りを迎えつつあるところでした。水面を覆う様にして、色とりどりの花が咲いていましたよ。

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睡蓮が咲いているのは白虎池と蒼龍池ですが、どちらも見事なものでした。これだけ咲いていれば、十分に見応えがあると言えます。

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ただ、管理する側としては大変らしく、平安神宮のブログ「はんなり便り」に拠れば、広がり過ぎない様に適宜間引きが行われているのだろそうですね。

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そうした管理が行われていなければ、きっと池全体が睡蓮に覆われてしまう事になるのでしょう。花が沢山咲くのはうれしいけれど、葉っぱだらけの池というのもあまり絵にはならないでしょうね。

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二つある睡蓮の池で、面白いのは飛び石の橋を渡る蒼龍池の方でしょうか。ここは花のすぐ側まで行く事が出来るので、こういう写真がすぐに撮れるのが嬉しいですね。

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平安神宮には、睡蓮はあるけれど蓮は咲いていません。栖鳳池なんかには似合いそうなのですが、やはりお寺のイメージなのかな。私的には植えて欲しいと思うのですが、そうは行かない事情があるのでしょうね。

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この日は、池の畔にあるさつきが満開になっていました。そう数は多くないけれど、やはり華やかなものですね。池の深い緑によく映えていました。これもこの季節ならではの光景ですね。

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2012.06.06

京都・洛東 花菖蒲2012 ~平安神宮 6.2~

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平成24年6月2日の平安神宮です。この日は白虎池の花菖蒲が、3分咲き程度になっていました。

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花菖蒲は、いつ見ても豪華で華やかですね。良く似た杜若以上に人気があるのも判る様な気がします。

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この日は一番花がほとんどで、綺麗な状態で見られたのは収穫でした。ただ、花によっては2番花もあり、随分と早く咲き出した株も有るようです。

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全体としてはまだまだ寂しい状態で、見渡す限り咲いているという訳には行かなかったですね。盛りになるのは、今週末から来週にかけてになるのかな。

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その後も3番花まで咲き続けるので、6月下旬近くまで見頃は続くのでしょうね。暫くは花菖蒲を見に訪れる人で、平安神宮は賑わい続ける事でしょう。

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かく言う私も、今週末にもう一度訪れてみるつもりです。今度は一面の花盛りになっていると嬉しいのだけどな。さて、どんな具合になっている事でしょうか。

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2012.06.05

京都・洛北 京都さつき事情2012 ~金福寺 6.2~

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詩仙堂に続いて、金福寺に行ってきました。こちらも先週よりはさつきが咲き進んでいました。

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ここの庭も眺め方はいろいろ有りますが、部屋の中から見るというのも悪くないですね。もう暫くすると、手前の方に青い桔梗の花が咲き始めて、また違った趣きになります。

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ここでもさつきの咲き方は様々で、一番咲いていたのがこの株かな。同じ場所にあるのにこれだけ違うというのは、少し不思議な気もしますね。

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ここの盛りの時はまだ知らないのですが、きっと華やかになるのでしょうね。ここも今週末にまた来てみようかと思っているところです。

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もう一つの圓光寺の方は、入り口から覗いた限りでは、ほとんど前週と変わっていない様子でした。なので中には入っていないのですが、やはり気になるところではありますね。金福寺と同じく、また様子を見に行ってみようかと思ってます。

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2012.06.04

京都・洛北 京都さつき事情2012 ~詩仙堂 6.2~

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平成24年6月2日の詩仙堂です。この日は庭園のさつきが咲き揃い始めていました。

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詩仙堂へは前週に行ったばかりで、2週続けてはどうかと思っていたのですが、自宅や職場周辺で咲き揃っているのを見ていると、どうしても気になって訪れてみました。

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結果としては、盛りとは言えないまでも、まずまず咲いていましたね。これくらい咲いていれば、行った甲斐はあったんじゃないのかな。

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詩仙堂のさつきは木によって遅い早いがあって、一度に全てが咲くという事はありません。それでも見頃はやはりあって、たぶん今週半ばから来週初め頃にかけてではないかと思われます。まあ、これはあくまで見込みで、実際に咲いてみないと判らないのですけどね。

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四季を通して見応えのある詩仙堂ですが、華やかさという点ではさつきの頃が一番でしょうね。ここから見えるさつきが満開になれば、さぞかし見応えがある事でしょう。

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もう一つの楽しみである京鹿子は、一株だけが咲いていました。この鮮やかで、かつ上品な色合いは、この庭の雰囲気に相応しいですね。ほどんどの株はまだ蕾だったので、盛りになるのはこれからだと思われます。

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3週続けてというのもどうかと思いますが、これだけ綺麗だともう一度見たいと思ってしまいますね。なので、今週末も行ってみようかと考えているところです。丁度盛りになっていると良いのだけどな。

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2012.06.03

平清盛 第22回 「勝利の代償」

(1156年(保元元年)7月12日、逃げまどう上皇方の人々。輿に乗って逃げる最中に襲われ、首に矢が刺さった頼長。落ち延びる途中、付き従ってきた兵達に、落ち延びて生き延びよと解散を命ずる上皇。教長に出家がしたいと言い出す上皇。ここには僧も剃刀もないと教長。何とも思いのままにならぬ人生よと嘆く上皇。)

(高松殿。為朝に射殺された忠直を悼む清盛達。通清を失って呆然としている正清。その正清の肩に残念だったなと手を掛ける義朝。これより自分を父と思えと直致。そこに現れた信西、忠通たち。)

(一同の前に現れ、つわものどもよ、良くやったと声を掛ける後白河帝。軍功に応じて報償を取らすと信西。)

(裏庭で仰向けになり、終わったと叫ぶ清盛。おなじく終わったと叫ぶ義朝。義朝に気付き、戦はお前の方が一枚上手だったと清盛。王家の諍いに武士が決着を付けた、武士の力を見せつけたのだと清盛。はにかむ義朝。もうすぐそこまで武士の世が来ている、朝廷に対してものが言える様になる、そうすれば世を変えられると清盛。どんな世に変えるのだと義朝。面白い事を自分で考え、自分で形にする、こんな面白い事があるかと清盛。またそれか、お前らしいと義朝。)

(強く生きたいがお前の志だった、でももう遂げたのではないのかと言って剣を抜く清盛。それに合わせて友切を抜く義朝。これを機会に友切の名を変えたい、友を斬るとは縁起が悪いと義朝。友と聞いて微笑む清盛。お前を友と言ったのではないと義朝。判っている、髭切にしろ無精髭がむさ苦しいと清盛。夜通し働いたのだから当たり前だと義朝。もう眠い、引き上げると清盛。一人残り、太刀を見て髭切とつぶやいて微笑む義朝。)

(経子の館。凱旋した清盛を喜んで出迎える時子。その姿を見て安らぎを覚える清盛。)

(夜。祝勝の宴。疲れたと言って一人席を立つ基盛。初陣は誰にでも堪えるものだと清盛。重盛を気づかう時子。忠正の事が気がかりだと重盛。忠正は消息が分からなくなっていたのでした。きっと無事に逃げているだろうと清盛。捜さないのかと重盛。棟梁としてそれは出来ないと清盛。)

(由良の別邸。凱旋した義朝を迎える由良と鬼武者。鬼武者を膝の上に座らせる義朝。為義の消息を尋ねる由良。行方知れずだと義朝。捜さないのかと鬼武者。俗に落ちた者に係われば、累が自分たちにも及ぶと義朝。)

(常磐の館。由良に遠慮せず、ひと目だけでも会えば良かったのではないかと常磐の母。由良は正妻に相応しい大きな器を持っていると常磐。)

(7月13日、瀕死の頼長が南都の忠実の館に到着します。ほっとした様子の頼長。)

(頼長の到着を聞き、苦悩に満ちた表情で、去らせよとつぶやく忠実。)

(矢に当たったたげでも春日大明神に見捨てられた印、その様な者を近づける訳には行かないと忠実の言葉を頼長に告げる家人。それでも父君かと叫ぶ頼長の家臣。)

(門を叩き、ひと目で良いから会ってやって欲しいと叫ぶ家臣。自分まで罪に問われれば、摂関家は終わりだとつぶやく忠実。)

(これにて御免つかまつると家人。縋り付く家臣。苦しげに座わりながら、父上とつぶやく頼長。そして涙を流しながら舌をかみ切ります。驚いて頼長を運ぶ家臣達。門前の騒ぎを聞きながら、じっと座っている忠実。)

(まんじりともせず、縁で夜を明かした忠実。その庭先に一羽のオウムが舞い降ります。傷ついた身体で、父上としゃべり続けるオウム。庭に降り、オウムに手を差し伸べる忠実。息絶えたオウム。オウムの亡骸を拾い上げ、頼長、なぜひと目会ってやらなかったのかと涙し、我が子よと絶叫する忠実。)

(頼長の屋敷跡。頼長の死が伝えられたのは7日後の事でした。頼長邸跡を訪れた信西は日記を見つけます。そこには子が参議に任じられた時に与えた訓戒が記されていました。豪華な衣服や家来の数を求めるな、それで人に嘲られても恥じる事はない、つとめよや。自分が死んだ後も魂は朝廷に残る、そこでお前達が良き国作りをするのを見守っている。その一節を読み、じっと一点を見つめる信西。)

(清盛の館。捕まった忠正が連行されて来ました。縄で縛られ、変わり果てた叔父と対面する清盛。伊勢の縁者を頼っていた事を知り、連れてこさせたのだと忠清。まずい事をした、俗となった者を匿えばただでは済まないと盛国。自分が忠清に命じた、残党狩りに会うと思ったら放っておけなかったと清盛。ここまで来た以上逃げはしない、縄を解けと忠正。忠清に命じて縄を解いてやる清盛。そのとたん逃げ出す忠正。取り押さえる郎党達。これ以上生き恥を晒せと言うのか、一門の災いとなりながら生きながらえる、これ以上の辱めがあるかと叫ぶ忠正。それでもここに止まれと清盛。それでも棟梁かと忠正。叔父上は一門に欠かせぬ人だと清盛。たわけと言って、大人しくなる忠正。)

(部屋の中。忠正に、今度の恩賞で播磨守になったと清盛。播磨は物成りの良い上国でした。何か面白い事が出来そうだと清盛。敗軍の将に何を言っているのだ、自分は遠島にななる身だと忠正。そんな事はさせない、信西に自分から頼んでみると清盛。それで助かったからと言って、再び一門に連なる事は出来ないと忠正。武士が朝廷にものを言って、世を変えるのはこれからだ、力添えをして欲しいと清盛。戦場でお前が信じられなかったと言った事が聞こえなかったのかと忠正。そう言った忠正にこそ、自分が平清盛である事を見届けて欲しいと清盛。)

(義朝の館。為義が尾張で見つかったと知らせてくる正清。残党狩りに見つかったのかと義朝。そこに現れ、自分が命じたのだと由良。残党狩りに会ったのではそのまま流罪となってしまう、それでは二度と会えなくなってしまうというのがその理由でした。余計な事をするな、父と会って話す事などないと義朝。鬼武者にためにしたのだ、父が不孝者では示しがつかないと由良。父とはもはや親子ではないと言って立ち去る義朝。)

(館の一室。為義の前に膳が出されます。傍らには由良。自分に構う必要はない、義朝に救って貰うつもりは毛頭無いと為義。義朝が左馬頭となり、内昇殿を許されたと告げる由良。義朝が殿上人となっと知り、喜ぶ為義。)

(仁和寺。放浪のあげく、弟を頼った上皇。出家をしたものの、朝廷へのとりなしを断られ、罪人として沙汰を待つ身となります。)

(御所。双六に興じながら、上皇、忠正、為義が捕らえられた事を聞き、直ちに罪を定めよと命じる帝。双六に負ける信頼。もっと強い相手は居ないのかと帝。丁度良い相手が来ていると臣下。)

(帝の双六の相手をする美福門院。なかなか強いと帝。双六に勝ち、敵を全て葬り去り、一人勝ちと思っているかも知れないが、あなたは仮初めに帝にの位に着いた過ぎない、それを努々忘れるなと言って去っていく女院。双六の盤上を薙ぎ払い、ぞくぞくする、自分は生きていると笑みを浮かべる帝。)

(清盛の館。忠正に会い、今度の事は申し訳なかったと詫び、会わせる顔がないという頼盛の言葉を伝える禅尼。気に病むなと伝えて欲しいと忠正。聞かぬ気を持つ兄を持った弟の気持ちが良く判る、いつも忠盛の尻ぬぐいばかりをして来たと忠正。あの赤子を子にすると言った時も、これは一生尻ぬぐいをしなければならないと思った、それがとてつもない事をする兄を持った弟の定めだと忠正。忠正がこれ以上苦しまない様に祈ると禅尼。微笑む忠正。)

(高松殿。信西に向かって、忠正が上皇方に与したのは一門の滅亡を防ぐためであり、断じて帝への背信ではないと訴える清盛。これから帝の役に立っていく平家にあって、忠正は要となるべき者、罪状には酌量をと求める清盛。私に任せるが良い、世にとって最も良き断を下すと信西。)

(御所。罪状を詮議する会議。まず忠実が俎上に昇ります。上皇方に与していない以上、咎めるには及ばないと忠通。骨肉を争った人の言葉とは思えないと信西。そして、頼長と同じく荘園を取り上げるが良いでしょうと断を下す信西。勝手な事を言うなと忠通。それを無視して、議事を進める信西。絶句する忠通。次の議題は上皇でした。流罪にせよと信西。既に出家しており、しかも上皇を流罪にするなど先例が無いと驚く人々。事の発端を思い出せ、帝の位を巡っての争いだった、上皇は嫡流にして皇子も持っている、この先再び復位を望む事がないとも限らないと信西。いくら何でもと逡巡する人々。ならば、何の為に戦などしたのだと叫ぶ信西。いかなる国作りをめざしているのか、考えがあれば言ってみろと息巻く信西。高笑いをし、上皇を流罪にせよとつぶやく帝。)

(次に武士達の処分が議題となります。厳罰だろうと人々。黙って一同を見回す信西。)

(清盛の館。一人佇む忠正の下に、重盛と基盛がやって来ます。後から続く時子。忠正と朝餉を摂りたいと言って来たのでした。そこに清三郎と清四郎もやって来ます。彼らが乗っているのは忠正が作った竹馬でした。いつかこの子もあの竹馬で遊ぶでしょうと言ってお腹を押さえる時子。竹馬が壊れたと言って泣き出す清三郎。また作ってやると忠正。)

(高松殿。信西から忠正とその4人の子の処分を聞かされる清盛。それは死罪でした。今言った者を斬首せよと命じる信西。呆然と信西を見つめる清盛。)

今回は保元の乱の戦後処理が描かれました。肉親の情に厚い平家、旧態然とした殿上人、政治原理で動く信西というコントラストが鮮やかに描かれた回だったと思います。

史実との関係で言えば、頼長の死はほぼ史実通りに描かれました。ただし、保元物語によれば、流れ矢に当たって重傷を負った頼長は、木津の祝園までやってきたものの動けなくなり、使いの者を興福寺の禅定院に居た忠実の下に使わしたとあります。これに対して忠実は、氏の長者たるものが武具の手にかかるなどという事があってはならない、その様な不運の者に会う事は出来ないと言って、泣きながら対面を断ったのでした。それを聞いた頼長が舌をかみ切ったのはドラマにあったとおりですね。

ドラマでは描かれていませんが、保元物語に拠れば信西は頼長に対してさらに酷い仕打ちをしています。なんと、葬られていた彼の亡骸を掘り返してその死を確かめさせたのですね。検死者たちは、死体の痛みが酷く誰だか判らないと言って、頼長の死体を路傍にうち捨てたまま帰ってしまったのでした。左大臣ともあろう人に酷い仕打ちをしたもので、そりゃ死後に怨霊になる訳ですね。

もっとも、頼長の遺体は荼毘に伏されたとも言われており、この話が実話かどうかは定かではありません。

なお、清盛紀行では悪左府の「悪」を文字通り悪いという意味で捉えていましたが、実際には強いという意味で、辣腕家という意味で使われていた事を付記しておきます。

忠正と為義については、それぞれ身内が捜索を命じた事になっていましたが、実際には忠正は清盛を、為義は義朝をそれぞれ頼って出て来たのでした。保元物語では、ドラマとは反対に義朝が為義の助命を嘆願したのに対し、清盛は自分が叔父を斬れば義朝は父を斬らざる得なくなる、そうすれば源氏の勢力を漸減出来ると考えて忠正を斬ったのだと記されています。清盛と忠正は仲が悪かったとも言われますが、これは少し清盛に惨い書き方ですね。おそらくは、清盛は源氏をそこまでライバル視はしておらず(両家の力関係については、平家の方がずっと上位に居ました)、これは後世の創作ではないかと思われます。

平安時代の初期にあった薬子の変以後は死罪を適用された例はなく、為義と忠正親子の死罪には反対する者も多く居たと言われますが、これを強行したのが故実に詳しかった信西とされます。その一方で、反乱した者を死罪とするのは武士の習いとして定着していたからだと見る向きもあり、このあたりの評価は必ずしも一定している訳ではない様ですね。

摂関家について言えば、忠通は勝利者側に居た訳ですが、頼長の所領は没収され、源氏という私兵は解体されました。また忠実はかろうじて罪を免れましたが、洛北の知足院で蟄居の身となります。ただ、ドラマでは忠実の所領も没収とありましたが、実際には忠通が相続している様ですね。いずれにしろ、摂関家はその力を大きく落とし、忠通もまた朝廷内での力を次第に失っていく事になります。

戦後の恩賞として、清盛が播磨守に就任し、義朝が左馬頭に任じられて殿上人となったのはドラマにあったとおりです。播磨は伊予と並ぶ上国とされ、経済的にも平氏は更に潤う事になったのですね。そして、頼盛と経盛の二人の弟も殿上人となっており、平家は保元の乱によって家格を大きく上昇させる事になったのでした。

崇徳上皇については、これもほぼ史実どおりですね。ただ、途中まで付き従っていた武士は、保元物語に拠れば為義一行で、如意ヶ岳に逃げ込んだとあります。しかし、あまりに大人数だと見つかりやすいと思い、為義たちと別れたのでした。その時に、出家したいと言ったところ、この山中ではどうにもならないと臣下に言われた事も保元物語にあるとおりです。

上皇が最後に頼ったのは、ドラマにあった様に仁和寺に居た弟の覚性入道親王でした。覚性は上皇と後白河帝と同じく待賢門院の子で、末弟にあたります。姉の上西門院も含めて仲の良い兄弟姉妹だったと言われますが、乱に当たっては間に入って苦しむ立場となりました。結果としては上皇を救う事はせず、後白河帝の側の意に従っています。もし、母である待賢門院が生きていたら、さぞかし嘆き悲しんだ事でしょうね。

ドラマに戻って、身から出た錆とは言え、頼長の死は哀れでした。最期は実の父にまで見捨てられたのですからね、自ら舌を噛んで死んだのは氏の長者としての、最後の誇りだったのでしょうか。信西に日記(台記と言って実在します。)を読ませて、その人となりが清廉なものであった事を示したのはせめてもの救いだったと言えるかも知れません。

それにしても、最後までオウムを効果的に使っていましたね。かなり無理のある演出ではありますが、本音を吐かない頼長の本心を代弁する存在として上手く生きていたと思います。

信西について言えば、出自は低いものの、乳父として後白河帝のすぐ横に座り、その権威を背景として辣腕を振るう姿が印象的でした。彼もまた、清盛と同じく自分を認めない旧弊な世の改革を目指す者であり、そのために強行な断罪を主張して実権を握ろうと画策しているのが判ります。しかし、その素顔は若き日に清盛と語り合った頃と変わっておらず、それは頼長の日記を読んだ時にかいま見る事が出来ます。この後暫くは、強権を握った信西と、武士の世を目指す清盛との絡み合いが焦点となって行くのでしょうね。

最も不可思議な存在が後白河帝で、あれほど仲睦まじかった上皇を、高笑いしながら流罪にせよと告げる表情には、狂気すら感じました。このドラマでは、うつけを装ったもののけの一人として、世を混乱に導く存在として描かれて行くのかしらん。その謎の微笑みが気に掛かります。

来週は忠正を斬る清盛が描かれる様ですね。少し引っ張りすぎではないかと思われますが、平家一族の結束が中心テーマの一つとして掲げられているドラマである以上、仕方がない事なのかな。私的には、信西と清盛の絡みがどう描かれるか見てみたいと思っています。

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2012.06.02

桜塚 ~藤原頼長首塚 相国寺~

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保元の乱を終えた大河ドラマ「平清盛」ですが、明日は悪左府こと藤原頼長の最期が描かれるはずです。それに先立ち、頼長の首塚と伝わる桜塚にお参りして来ました。

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桜塚に関してはzuzuさんに教えていただいたのですが、今は相国寺の墓地内にあります。塚に隣接してある石碑に拠れば、元は東竹屋町にあったと言いますから、白河北殿の故地、今の京大熊野寮の辺りにあったものと思われます。

頼長はその死後に崇徳上皇と共に都に祟りをなしたと恐れられ、正一位太政大臣を追贈されると共に保元の乱の跡地に営まれた粟田社に祀られている事から、彼にまつわる塚が築かれていたのかも知れません。ただし、頼長は奈良にまで逃れて亡くなり、般若野に埋葬されていますから、この石塔は墓ではなく祠廟だろうと石碑には書かれています。

粟田宮はやがて荒廃し塚だけが残ったのですが、誰言うともなく頼長の首塚と呼ばれる様になったらしく、都名所図絵にも載っているのだそうですね。そして、左府塚が訛って桜塚と呼ばれる様になったのだとか。

現在の地に移されたのは明治40年の事で、東竹屋町にあった絹絲紡績株式会社の工場拡張に伴っての事でした。絹絲紡績では、工場の敷地に入ってしまったこの塚を掘ってみたのですが、下には何もなかったそうです。そこで、その土を相国寺に運んで新たに塚を築いて石塔を移し、供養を施したのですね。この石碑はその事を記念して建てたと記されています。

ドラマのオウムの台詞ではないけれど、日本一の大学生と称されて将来を嘱望されていながら非業の死を遂げた頼長ですが、彼を偲ぶものは今ではこの桜塚くらいなのかな。山本耕史演ずる頼長は哀れを誘いますが、怨霊と恐れられた事もこの塚は教えてくれますね。

ドラマを機に、この塚を訪れてみるのも一興かと思いますよ。

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2012.06.01

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~金福寺 5.26~

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洛北の新緑を巡るシリーズ、最後は金福寺にやって来ました。ここもみもじとサツキの名所として知られた寺ですね。

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そのサツキは、ここもまたやっと咲き始めたばかりでした。詩仙堂とは少し時期がずれるかなと思っていたのですが、ほぼ同じ傾向を辿っている様ですね。

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新緑はご覧のとおり見事なもので、サツキがほとんど咲いていない分も、補って余りがあります。

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新緑は芭蕉堂の周辺も見事です。茅葺きの屋根が良い風情を感じさせてくれますね。

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その屋根にもみじの若葉が一枚落ちていました。よく見ると沢山の若葉が落ちているのですが、これってなぜなのでしょうか。虫か鳥が何か悪さをしているのかしらん。

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芭蕉堂からの窓の眺めです。今は雑然とした印象がありますが、かつては一面の田園風景だった事でしょう。ここにじっと座っていれば、自然と一句浮かんで来るのかな。芭蕉や蕪村を思い浮かべながら、佇んでみるのも一興だと思います。

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