平清盛 第20回 「前夜の決断」
(保元元年7月2日、鳥羽院崩御。)
(今宵こそ 思い知らるれ 浅からぬ 君に契りの ある身なりけり)
(そう詠って、鳥羽院との縁を語る西行。その西行に戦になるとつぶやく清盛。)
(崇徳上皇に接近する頼長。彼は自らの財を頼りに、上皇の権威によって天下の権を奪い返そうと誘いかけます。)
(御所。先手を打って、頼長と崇徳院に謀反の動きありと宣言する信西。彼は全国の武士に向かって、後白河帝の守護に馳せ参じる様に命じます。これは鳥羽法皇の遺志であり、美福門院の命であると訴える信西。)
(清盛の館。天皇方に付くか上皇方に付くかで意見の分かれる郎党たち。裁断を求められた清盛はどちらにも付かないと言います。その理由を、戦の後の恩賞をつり上げるためと説明する清盛。釣りあげると言っても、どちらが勝つか見極めが肝要と郎党達。ただ勝つだけでは駄目だ、勝った後に公卿に昇らなければ政に参画出来ない、世を変える事が出来ないのだと清盛。)
(忠正の様子がおかしいといぶかる家貞。忠盛が生きていれば、同じ事をしたのではないかと思ったのだと忠正。)
(7月8日。京に入った為朝。都大路でその様子を見ていた鬼若。)
(館で弓の稽古をする清盛。)
(鳥羽田中殿。平氏がまだ態度をはっきりさせないと教長。荘園を分け与えると言っているのにと頼長。)
(高松殿。平氏が態度をはっきりさせないのは、上皇が餌で釣っているからではと成親。平氏になど媚びなければならないとはと信頼。今様を口ずさむ後白河帝。)
(鳥羽院御所。義朝に、親兄弟と別れても自分たちに付くのかと確かめる得子。例え親兄弟と争う事になってもと、故法皇と帝に忠誠を誓う義朝。)
(田中殿。頼長に、義朝の不参加を詫びる為義。きっと勝てと言って立ち去る頼長。このまま親子が戦うのかと為義に詰め寄る通清。説き伏せられると思っているのかと為義。正清に好きにせよと為義。ここに居ると正清。)
(清盛の館。義朝が親兄弟と別れて帝に付いたと聞き、自分たちは断じてそうはしないと清盛。清盛を訪ねてきた信西。)
(双方の恩賞はつり上がったかと聞く信西。さすが信西、此度は領地か官位かと清盛。さにあらずと清盛を誘う信西。)
(高松殿。後白河帝に拝謁する清盛。人払いをして、清盛と二人になる帝。)
(清盛に、どれだけ恩賞を釣り上げようとも忠盛の遺志など叶わない、武士はあくまで番犬で終わるのだと言い、賽でも振ってさっさと決めよと言い放つ帝。投げつけられた賽を握りしめ、平氏は必ず勝ってみせる、この戦にも、あなたとの勝負にもと清盛。笑みを浮かべて立ち去る帝。陰からその様子をじっと見ている信西。)
(7月9日。為義の館に入った為朝。喜ぶ為義。そこに現れ、あれだけ見下されていながらまだ頼長の為に戦うのかとからかう鬼若。つまみだそうとする郎党達。笑いながら立ち去る鬼若。)
(清盛の館。清盛の下に馳せ参じた伊藤忠直。これで勝利は疑いなしと笑う忠清。しかし、意気消沈している郎党達。為朝が上皇方に付いたという情報が入っていたのでした。それでも決断は変えないのかと頼盛。平氏は帝方に付くと清盛。)
(何故かと忠清。帝はお見通しだったと清盛。それはまずいのではと頼盛。それは帝が自分を煽って、昇ってこいと言われたのだと悟ったと清盛。そんな了見で戦わされたのではたまったものではないと頼盛。あの方だけが武士の力を良く判っているのだと清盛。)
(戦は戦う事に一心に撃ち込まなければ生き残れないものだと忠清。もっともな事だと清盛。)
(此度の戦いは、上皇と帝の名代として武士同士が戦う、これに打ち込めるのかと皆に問う清盛。答えられない郎党達。自分は武士の世がそこまで来ているという確かな手応えを得たい、そのために平氏は帝と共に戦うと清盛。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の強さとは忠盛の言葉と一同に釘を刺す盛国。)
(常磐の館。赤子を抱く常磐に、洛外に用意した別宅に移れと命ずる義朝。)
(洛外の別宅。由良御前に常磐を引き合わせ、ここに置いてやってくれと頼む義朝。常磐に向かって、殿がお世話になっていると微笑みかける由良。黙って頭を下げる常磐。子供心にも酷だと思う鬼武者。)
(家族を洛外の館に案内して来た清盛。そこに待っていたのは家成の娘、経子でした。源氏物語まで持ってきたのかと驚く重盛。この様な時こそ、恋する心が必要なのだと時子。微笑む経子。俯く重盛。)
(池殿。自分の郎党達に、平氏の血を引かぬ清盛に命運を預ける事は出来ない、今宵の内に兵を集めよと命じ、上皇に味方すると宣言する頼盛。そこに現れ、棟梁に逆らう事はなりませぬと諌める池禅尼。自分は家盛の様にはなりたくない、立派な志のために命を落としたくはない、父と母のただ一人の子となったこの身を失いたくないのだと頼盛。)
(7月10日、保元の乱当日。高松殿に本陣を置いた帝方。白河北殿に本陣を置いた上皇方。)
(経子の館。二人の息子に、存分に戦ってこい、しかし命は粗末にするなと言い聞かせる時子。そして、清盛に向かって、お腹の子に勝って顔を見せてやって欲しいと言います。ややがと驚く清盛。今朝気付いたのだと時子。きっと戦上手な子になるだろうと清盛。女子だったらどうすると時子。笑いながら盛国に後事を託して出立する清盛。)
(由良の別宅。鎧を付けている義朝。身内と戦う事で良いのかと義朝を見つめる常磐。友切の太刀を差し出し、志を遂げる為に存分に働き下さいと由良。太刀を受け取り、出立する義朝。見送る由良と常磐。)
(白河北殿。郎党にかかれと命ずる為義。応ずる一同。一人動かない正清。それを見て、通清にここで待てと命ずる為義。正清に義朝の事を悪し様に言う通清。義朝の悪口を言う者は父とて許さないと正清。厄介な殿を見捨てられないのは自分譲りだなと言って立ち去る通清。)
(高松殿。友切の太刀を見る義朝。そこに現れ、ひれ伏す正清。遅いではないか、主に恥をかかせるなと言って正清を立たせる義朝。一同に支度を命ずる義朝。微笑んで義朝に従う正清。)
(清盛の館。これより高松殿に向かうと出陣を命ずる清盛。応ずる一同。)
(廊下を行く頼盛を見る池禅尼。目を反らす頼盛。その様子を見ていた忠正。)
(池殿で鎧を着けている頼盛。そこに現れた忠正。上皇方に付く事はならぬ、勝ち目はないと釘を刺す忠正。自分たちが参じれば分が良くなるはずと頼盛。たとえ勝ったとしても一門を裏切り、棟梁を裏切ったと誹りを受けると忠正。そんな事になれば義姉が悲しむ、亡き忠盛にも顔向けが出来ないと忠正。清盛が平氏に災いすると危ぶんできた叔父に止められるとは思わなかった、平氏が根絶やしになったら何とすると頼盛。微笑む忠正。)
(清盛の館。現れた頼盛を見て、忠正は一緒ではないのかと問う家貞。跪いて、叔父は来ないと言う頼盛。)
(白河北殿。上皇に向かって、此度の戦、味方すると誓う忠正。)
(清盛の館。忠正を連れ戻すと出て行こうとする清盛。忠正は平氏を根絶やしにしないために戦うつもりだと引き止める家貞。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の絆、その絆を断って何とすると清盛。きっとそう言うだろうと、叔父から言づてを預かったと頼盛。)
(自分とお前の間には、はなっから絆などない。それが忠正の言づてでした。頼盛をにらみ据え、肩で息をする清盛。辛そうな頼盛。座り込み、地面に手を突いて、叔父上とつぶやく清盛。)
(邸の中で、忠正殿、かたじけないと手を合わせる池禅尼。)
(白河北殿。清盛に向かって、お前との間にはなかっら絆などないと、心の中でつぶやく忠正。)
(清盛の館。涙を堪えていた清盛は、やがて立ち上がります。)
(いよいよ戦だと意気上がる兔丸とその郎党達。)
(高松殿。馬上で友切の太刀に触れる義朝。)
(帝に、清盛が300騎を率いて参陣したと伝える伝奏。微笑む帝。)
(馬上、腕を組んで義朝の前に現れた清盛。それを見て馬を巡らす義朝。)
今回は保元の乱前夜が描かれました。平家の帰趨を巡ってのやりとりなど、緊迫感があって面白い回だったと思います。
敵味方に分かれた天皇家と摂関家、源氏と平氏でしたが、その構図を明確に描き出したのは信西でした。彼は、守仁が即位するまでの中継ぎという弱い立場の後白河帝の権威を守るため、その地位を危うくする反対勢力を一掃しようと画策したのですね。
鳥羽法皇の死後、頼長と崇徳上皇は不利な立場にはあったものの、兵力で劣る事は明かであり、挙兵しようとまでは考えていませんでした。それ以上に、時が経てば悪評の高い後白河天皇から時勢が離れ、やがては自分たちの世が来るかもしれないと期待すらしていた様です。
ところが、そうは行かなくなってしまったのですね。まず、頼長が父と共に諸国の荘園から軍兵を集めていると噂が流れ、朝廷はこれを禁ずる命を全国に下します。それと同時に、彼の住まいである三条殿が没収され、氏の長者である事が否定されました。そして、彼が命じて呪詛していたという僧侶が掴まり、これが謀反の決定的な証拠とされます。全ては信西と忠通の仕組んだ罠だった訳ですが、事ここに至って頼長は挙兵せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。崇徳上皇はこの頼長に巻き込まれただけであり、全く不本意な挙兵だったと思われます。
乱の勃発に際しては、朝廷側が官として全国に動員令を出したのに対し、上皇方は摂関家の私兵のみが頼りでした。最初から帝側の有利は明かであり、上皇方は劣勢に置かれていました。その中で平氏の帰趨が不明確だったのはドラマにあったとおりですが、その理由は清盛が恩賞を両天秤に掛けたからではなく、忠盛夫婦が重仁親王の乳父、乳母であった事によるものです。鳥羽法皇はその事を警戒しており、法皇が生前に指名してあったという御所を守る武士の名簿の中に清盛の名はありませんでした。
その清盛が帝側に馳せ参じたのは、美福門院の誘いに応じたものと言われます。女院は平氏の武力を得る為に、法皇の遺命であるとして清盛に参陣を命じたのですね。清盛も帝側が有利である事は十分に承知しており、これを奇貨として参陣に応じたのでした。
その中で、頼盛が帰趨を迷ったのはドラマにもあったとおりですが、池禅尼の説得により清盛に従って帝側に付く事で兄弟の対立は避けられました。禅尼は前述の様に重仁の乳母だったのですが、帝の命という筋目を重んじて頼盛を帝方に付けたと言われます。では忠正はと言うと、最初から頼長方の人間でした。決してドラマの様に、頼盛の身代わりとして上皇方に参陣したのではありません。
彼は、若い頃は忠盛と共に鳥羽法皇に仕えていたのですが、ある時に法皇から勘当されてしまったようです。それ以後は摂関家に仕える事で立身し、殿上人にまでなっていました。鳥羽法皇に忠誠を誓う忠盛や清盛とは、早くから対立関係にあったのですね。乱の勃発に際しても、頼長から離れるには、余りにも深い関係となっていたのです。
一方の源氏は、摂関家の私兵となっていた為義と、鳥羽法皇に接近していた義朝が対立していたのはドラマにあったとおりで、乱に際しては親子兄弟で争う事になります。そんな中で、為義が最も期待した戦力が為朝であったのもドラマにあったとおりで、彼は期待に違わぬ奮戦をしてみせる事になります。
ドラマに戻って、清盛が恩賞の釣り上げを狙って帰趨を明らかにしなかったという設定でしたが、これまで筋目にこだわってきた事に比べてあまりに打算的で、ちょっと納得し難いものがありました。私はまた両派の宥和を計るために、詰まらぬ時間稼ぎをしているのかと思いましたよ。
その目論見を破ったのが後白河帝だった訳ですが、文字通り清盛がどちらに転ぶか賽を振ってみたというところだったのでしょう。そして、出た目は後白河帝の望んだとおりのものでした。あれだけ悪し様に罵倒したならば、逆の目が出てもおかしくないところですが、そうはならなかったところが二人の呼吸というところでしょうか。
頼盛は、史実に添って清盛との立場に一線を画しながらも、母の言葉に従うという道を取りましたが、忠正は一門のために身を犠牲にすると描かれました。史実において唯一人、一門の中で清盛に対立した人物を、ドラマでは悲劇の人として救ってやったのですね。ドラマでは頼盛、忠正、そして清盛の苦悩振りを、丁寧に描いていたと思います。
そして、清盛以上に苦悩していたのが義朝で、親子で争わなければならないという悲劇を耐えている様が、見ていて良く伝わってきました。為義もまた、彼の持つ優しさが描かれていましたね。
一点違和感を感じたのが清盛が武士の世をもたらすと言っていた事で、史実と比べるとまだ少し早過ぎます。確かに、武力としては武士の力が大きかったのは確かですが、乱の主役は王家であり、摂関家でした。そして陰の主役は信西であり、清盛たちは朝廷の命によって戦ったに過ぎません。清盛自身も、自らが政治の中枢に躍り出るとは、まだ考えていなかったでしょうね。せいぜい平家の家格を上昇さようと言う程度だったのではないかと思われます。
次回は保元の乱ですね。ここまでこのドラマは、この乱の回のために多数の伏線を張り巡らせて来た様なものですから、その集大成としてどのように描かれるのか、楽しみに待ちたいと思っているところです。
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