平清盛 第18回 「誕生、後白河帝」
(1154年(久寿元年)。容態が悪化した近衛帝。近衛帝を救わんと僧たちに読経をさせる美福門院。崇徳上皇を騙した因果が巡ってきたのではないかと悩む鳥羽法皇。)
(家成の館。心労から体調を崩した家成を見舞う清盛。清盛の手を取って、この先も法皇をよろしく頼むと家成。承知したと清盛。たくましき野良犬の声を朝廷自らが聞く様になった、感無量だと家成。5月29日、家成死去。)
(崇徳上皇に拝謁し、重仁が帝となった暁には力を貸して欲しいと頼まれる清盛。鳥羽法皇に忠義を尽くしている以上、法皇と仲の悪い人に力を貸す事など出来ないと断る清盛。そちが私に、この醜き世を面白く生きろと言ったのではないのかと上皇。)
(身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ)
(西行の歌を詠い、世捨て人の様な暮らしを強いられて待つ事13年、やっと面白く生きる機会が訪れようとしている、そちが力にならずして何とすると言って清盛の肩を揺する上皇。黙って上皇を見つめ返す清盛。)
(廊下で雅仁親王と会った清盛。一介の武士を頼るとは、上皇も落ちぶれたものだ親王。武士の役目が少しずつ変わってきたのだと清盛。ため息をついて立ち去る親王。)
(清盛の館。今、上皇に近付くのはまずいと忠正。いずれ上皇の世となるは必至と頼盛。そうなれば法皇に与する者を追い落とそうとするかもしれないと盛国。上皇に仕えて歌会に招かれたいと経盛。情けない、鍛えて差し上げると経盛を庭に引き出そうとする忠清。法皇と上皇の両方に良い顔をしておけばよろしいと時忠。忠盛の時とは随分と趣きが違う、これが清盛の率いる平氏なのだなと池禅尼。)
(皆の言い分を聞いて考えが定まった、法皇と上皇に仲良くして頂くと清盛。何を言い出す、二人の間には長年の深い溝があると忠正。その溝を埋めぬ限り、世の乱れは正せぬ、平氏はその溝を埋める為に働くと清盛。)
(鎮西。鳥羽法皇の所領を荒らして回る男。彼は鎮西総追捕使源八郎為朝と名乗り、今よりこの地の主は自分だと宣言し、強弓を放って見せます。)
(為朝の所行により、左衛門大尉の勤めを解かれた為義。彼が頼れるのはいよいよ摂関家のみとなりました。)
(頼長の命により、叡山の悪僧を捕らえた為義。百叩きにせよと命ずる頼長。自分を見忘れたか、祇園社の争いの時に力を貸してやったのはこの自分だ、この場は見逃せと鬼若。二百叩きにせよと冷たく言い放つ頼長。法皇に見放され、残忍極まりない悪左府に従うしかないとは哀れだなと為義をあざ笑う鬼若。鬼若を殴り飛ばし、帝の容態が芳しくない、近い内に頼長の世も夢ではないと為義。悪僧までが馬鹿にしおってと鬼若を打ち据える為義。)
(頼長に会いに来た忠実。聖徳太子に習い、乱を治め、世を正す政を行っていると頼長。少しばかり度か過ぎないかと忠実。不埒な者を処罰するのは、摂関家が要となってよき国作りをするためだと頼長。それはわかる、しかしと言いかける忠実。自分の政が判らない愚人に貸す耳は無い、今度要らぬ口出しをすれば父とて容赦はしないと頼長。)
(出産ならぬまま、内裏に帰った呈子。)
(跡継ぎもなく、帝が儚くなってしまったら如何にもまずいと忠通。重仁が帝となり、その父である上皇の世となるというのがその理由でした。それは困るだろう、上皇は忠通や美福門院を恨んでいるからと信西。なんとかならぬのかと忠通。すぐにも帝が儚くなってしまう様な物言いは、如何にも不謹慎と言って立ち去る信西。)
(信西の館。戻った信西を慌ただしく出迎える朝子。雅仁親王が来ているのでした。)
(雅仁の用事とは、上皇の側は息が詰まる、青墓の宿に行きたいので供として朝子を借りるというものでした。驚く信西。青墓は芸事の盛んな土地なのだと朝子。今がどういう時かよく考えよと信西。自分には関わりのない事と雅仁。)
(御所。目が見えぬと這い回り、もう世を治める事はできないのかと叫ぶ近衛帝。)
(もっと僧を集め、目を治す薬師を捜して来いと美福門院。祈祷のための護摩壇を作らせて来たと義朝。早く運び込めと美福門院。)
(僧侶達と祈祷に励む美福門院。)
(鳥羽法皇に拝謁し、上皇を白河院の呪縛から解き放って欲しいと言上する清盛。それは何とすると法皇。これまでの事を上皇に詫びる事だと清盛。今更、あまりに虫が良すぎるのではないかと法皇。自分もまた忠盛の実の子ではなかった、しかし今は平氏の棟梁となっている、それはそれぞれが抱えるわだかまりと向き合い、嵐を乗り越えてきたからこそと清盛。逡巡する法皇。すれ違った心を引き合わせるのは今しかない、そして法皇自身がそれを望んでいるはずと清盛。じっと考え込む法皇。)
(青墓の宿。芸人達で賑わう町。町中で輿から下ろせと命ずる雅仁。雅仁の周囲に集まり、踊り出す芸人達。機嫌良く笑う雅仁。)
(どこからか聞こえてくる「遊びをせんとや」の今様。その声の主を訪ねていくと、そこには乙前と名を改めた祇園女御が居ました。もう一度歌ってくれと頼む雅仁。なりませぬと立ち去ろうとする乙前。頼むと強引に引き止める雅仁。)
(そなたは何者かと問う雅仁。ただの白拍子ですと乙前。京に来て私の今様の師となってくれと頼む雅仁。そればかりはと断る乙前。暮らしの事は心配せずとも良いと雅仁。都は今、何かと騒がしいと聞いている、老いの身には堪えると乙前。さようかと残念そうな雅仁。)
(「遊びをせんとや」と歌い始める雅仁。この歌の様に軽やかに世を生きている男が居る、法皇や上皇ですらその男を頼っていると言って笑い出す雅仁。それに比べて私はどうだ、声を涸らして歌っても誰も自分を見てくれない、生まれて来なくても何の障りもなかった者だと泣き出す雅仁。声を涸らして歌うのは、身の内に正体の知れぬ力がみなぎっているからでしょうと乙前。いつかきっとそれがあふれ出てくる、それは世を大いに動かすものでしょうと乙前。まことかと雅仁。うなずく乙前。まことかと言って、乙前の膝で眠る雅仁。)
(久寿2年7月23日。近衛帝崩御。)
(御所に参内すると清盛。誰に味方すべきか、武士も公卿も戦々恐々としているはずと盛国。一門には静まっている様に命じよ、これは争いの始まりではなく、法皇と上皇が歩み寄るべき良い機会なのだと清盛。)
(数日前に妻を亡くし、喪に服している頼長。そこにもたらされた帝崩御の知らせ。)
(急ぎ参内した頼長。しかし、服喪中の参内は差し障りありと止められてしまいます。理に叶っていると引き下がる頼長。頼長の参内を止めたのは信西でした。)
(重仁にいよいよだと声を掛ける崇徳上皇。)
(法皇の御前会議。重仁を次の帝にと推す声に、それは危うい、上皇に実権が移れば法皇にどんな仕返しをするか判らないと忠通。彼は仁和寺に入っている守仁を推します。守仁の父は雅仁、父を差し置いて子が即位されるなど前例がないと反対する信西。では姉の暲子で良いのではないかと雅定。やはり重仁でよいのではないかと別の声。話が戻っていると信西。)
(参内してきた清盛。彼は雅仁を見かけ、おくやみを言いに参内してきたと告げます。あれほど母君に望まれ、慈しまれてきた弟が、あんなにも早くはかなくなるとはと雅仁。人は生まれ出ずる事がばくちだと雅仁。雅仁を見上げる清盛。だが、と御簾を引き落とし、生まれてこなければ勝つも負けるもない、それでは面白くないと雅仁。)
(法皇様の考えはと促され、重仁を即位させると言って立ち上がる法皇。いっそ上皇を再び即位させても良いと考えているとも言う法皇。驚く忠通と信西。今こそ上皇に詫びたいのだと法皇。心より詫び、共に政を行って行きたい、それこそ朕の勤めだと法皇。)
(遊びをせんとやと歌い出す雅仁。)
(法皇のお心は身に浸みた、しかし、いささか考えが甘いと信西。きっと信西を見る法皇。今更詫びたところで上皇が法皇を許すはずもなく、法皇に付く者、上皇に付く者と国が大きく割れると信西。ここは法皇が自在に操れる者を帝の座に就けるべき、さもなくば天下大乱となるは必定と訴える信西。黙って出て行こうとする法皇。そこに現れて、私からもお願いすると美福門院。)
(その歌は何でございますかと雅仁に問う清盛。それはいつか海賊船で耳に甦った歌、それが無ければ生きていられなかったかもしれないと清盛。涙を流し、そなたもかと雅仁。そのまま出て行く雅仁。)
(翌朝、卒倒した上皇。呆然と座る法皇。)
(久寿2年7月24日。雅仁親王即位。後白河帝が誕生したのでした。)
今回は後白河帝の誕生が描かれました。史実に沿っていたかは別として、ドラマチックで面白い展開でしたよね。自らも帝の候補とは思っていなかった雅仁が玉座に着いたシーンは劇的ですらありました。
史実との関係としては、清盛が関与した事、法皇が上皇に歩み寄ろうとした事を除けば、ほぼそのままに描かれていたと思います。嫡流という事から言えば重仁が最も相応しいと考えられていたのですが、崇徳上皇と利害関係にある忠通と美福門院は守仁を候補にと推し、鳥羽法皇もまた叔父子と疑う崇徳上皇の子が帝の座に就けば、自分の血統は途絶えてしまうと苦慮していたのですね。しかし、守仁が即位するには、雅仁という障害がありました。信西が言っていた様に、父を差し置いて子が即位するという前例が無かったのです。
雅仁に関して言えば、ほとんど全ての人が帝の器にあらずと考えていました。乙前や神崎の白拍子たちを身辺に集めて今様に狂っていた彼は、朝廷の中では誰にも相手にされていなかったのですね。乳父である信西ですら、古今に比類無き暗主と言って憚らなかったと言われます。しかし、その雅仁を推したのは、他ならぬ信西でした。彼は忠通らの推す守仁の即位を前提とした上で、中継ぎとして父の雅仁を即位させる事を進言したのです。重仁を即位させるくらいならと法皇もまたこれに同意し、後白河帝の誕生となったのですね。まさに大どんでん返しが実現したのでした。
また、頼長が服喪のためにこの決定に参加出来なかったのも史実にあるとおりですが、それ以前に苛政が災いして反頼長の勢力が結成されており、意図的に彼の参内を阻んだとも言われています。
なお、清盛が法皇と上皇の間を取り持とうとした事実はなく、平家一門は時忠の言っていた様に両方に良い顔を見せていました。つまり、従来通り鳥羽法皇に忠誠を誓うと共に、忠盛と宗子が重仁親王の乳父、乳母となっていたのですね。常に多方面との関係を保ち、世の中がどう転んでも生き残れる様にという配慮は、忠盛の代から施されていたのでした。
ドラマに戻って、清盛はやっと主人公らしい主体的な行動を見せます。ただ、政治力学とはほど遠い情緒的なもので、説得力は無いに等しい考えでしたが、まっとうな意見ではありました。また、雅仁親王の苦悩ぶりもまた、見応えがありましたね。そなたもかという台詞は謎でしたが、異色の帝王の片鱗は見せてくれたと思います。
信西もまた、清盛とは対照的な政治力を見せてくれました。彼の黒幕ぶりは、今後の見所だと思われます。一方の頼長は、独りよがりが目立ち、急に影が薄くなりましたね。史実に沿っているとは言え、少し寂しい気がします。
なお、乙前という人物は実在しており、後白河帝の今様の師匠だったと言われ、青墓に縁があったというのも事実の様です。ただし、祇園女御が乙前となったという史実は無く、ドラマにおける創作ですね。また、雅仁親王が青墓に行ったというのも創作でしょう。
次週はいよいよ保元の乱への序章が描かれる様です。大きな時代のうねりをどう描くのか、楽しみに待ちたいと思います。
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