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2012年5月

2012.05.31

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~詩仙堂 5.26~

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圓光寺から詩仙堂へと移動します。ここは相変わらず人気が高いですね。午後2時過ぎという時間帯もあってか、大勢の人で賑わっていました。

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新緑の見事さは言うまでもなく、もみじを主体に、柿、サツキ、椿など様々な木々の緑が良く調和していました。そんななかにあって、キショウブが良いアクセントになっていましたね。

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サツキはここでもまだ咲き始めたばかりで、見頃になるのはこれからと思われます。たぶん、来週あたりにはかなり綺麗になっているんじゃないかな。

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庭では、丈山菊が咲き誇っていました。いわゆるミヤコワスレですが、清楚で美しい花ですね。もう一つ楽しみにしていたのが京鹿子ですが、まだつぼみが出始めたばかりでした。こちらも来週あたりに咲くんじゃないかな。

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詩仙堂のサツキも一度に咲くという事はなく、樹種や陽当たりの加減などで、順番に咲いていきます。一番綺麗なのは6月上旬頃かと思われますが、6月一杯はどこかの木で咲いているという状態が続きます。

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この日は遺宝展が開かれており、寺宝の数々を拝観する事が出来ました。中でも狩野探幽作の丈山像は素晴らしい出来で、しばし見とれてしまいましたよ。この遺宝展は毎年5月25日から数日間開催されており、興味のある方はこの時期に訪れる事をお薦めします。

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詩仙堂の新緑は堪能出来ましたが、やはりここはサツキを見たいですよね。でも2週続けて行くのもどうかと思うし、その次の週末に行ってみようかと思ってます。丁度良い具合に咲いていると嬉しいのですけどね。

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2012.05.30

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~圓光寺 5.26~

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修学院・一乗寺界隈のもみじの名所の一つに圓光寺があります。臨済宗南禅寺派に属する禅寺で、今は研修道場として使用されている様です。

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その庭園である、仏教の教えをモチーフにした十牛の庭は、ほぼもみじで埋め尽くされており、境内は新緑で溢れていました。

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もみじに囲まれた蟠龍窟は座禅堂。ここで禅僧が修行をすると共に、毎週日曜日の午前6時からは座禅会も開かれている様です。興味のある方は如何ですか。

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以前に比べると訪れる人も多くなって来ていますが、詩仙堂と比べればまだまだ空いています。庭も広いし、ゆっくりと新緑の中を散策する事が出来ますよ。

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座禅堂の前にある、居眠りしている小坊主さんの石像です。何か謂われがあるのかなと思うのですが、詳しい事は判りません。とにかくユーモラスではありますね。

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境内の南側は竹林になっています。もみじが主体の庭にあって、この一角はまた違った風情を持っていますね。

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そろそろかなと思っていたサツキは、やっと咲き始めたばかりでした。見頃になるのは今週末から来週にかけてになるのかな。サツキは一度にぱっと咲くという事はない代わりに、陽当たりなどの関係で順番に咲いていくので、結構長く楽しめると思いますよ。

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2012.05.29

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~鷺森神社 5.26~

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鷺森神社を訪れるのは、桜の季節以来ですね。ひと月と少しの間にすっかり様変わりし、境内は深い緑で覆われていました。

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ここは隠れた紅葉の名所であり、つまりは新緑の名所でもある訳です。今の季節はもみじの若葉がとても綺麗ですよ。

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そして、頭上を覆う様なもみじの枝振りが、この神社の真骨頂です。今は新緑、秋は紅葉のドームに包まれる訳ですね。

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鷺森神社は、観光とは縁がなく、大きな村の鎮守様といった風情です。訪れるのは近所の人がほとんどで、たまに私の様に写真を撮りに来る人が来る程度かな。

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それだけに、静かにゆっくりと新緑を楽しめるのが良い所ですね。手入れも行き届いていて、気持ちの良い場所ですよ。

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創建は平安時代の前期と古く、それだけに風格も感じる神社です。あまりに人が増えても困るけど、もっと知られても良い場所かなとも思いますね。

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2012.05.28

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~赤山禅院 5.26~

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蓮華寺から赤山禅院へとやって来ました。ここも参道から新緑に埋もれている、もみじの名所です。

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中国の神様である泰山府君を祀っているという珍しいお寺ですが、境内には地蔵堂をはじめ、弁天堂、福禄寿堂などもあり、現世利益に験のある寺でもある様ですね。

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境内にはもみじが数多く植えられており、初夏の新緑、秋の紅葉で諸堂を彩ります。

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これだけ美しい環境にありながら、訪れる人が少ないのは不思議ですね。まあ、それだけ静かな風情を楽しむ事が出来るので良いのですが、ちょっともったいない気もします。

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唯一残念なのが、参道に車が停まっている事かな。駐車スペースが無いから仕方が無いのかもしれませんが、せっかくの景観を壊してますね。もし観光に力を入れるのなら、どうにかしてもらいたい所です。

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2012.05.27

平清盛 第21回 「保元の乱」

(1156年(保元元年)7月10日、経子の館。子供達に夕餉を摂らせている時子。そこに忠正が離反したという知らせが入ります。清盛の心中を推し量る時子。)

(高松殿。参陣を告げる清盛と義朝。戦後の恩賞を約束し、昇殿も許されようと、帝のために戦えと励ます成親たち近臣。死んでしまってはどうにもならない、今すぐの昇殿をと迫る義朝。それを聞いて高笑いする後白河帝。)

(戦場で肉親と命のやりとりをする覚悟があるのかと問う信西。無論と義朝。それを聞き、昇殿を許して軍議に加われと告げる信西。じっと一点を見つめている清盛。)

(宇治、忠実の館。戦の行く末を案じる忠実。)

(洛外。守仁と共に避難している美福門院。父と伯父の戦いに疑問を持つ守仁。これは法皇の遺志である、戦の後には大きな役目が待っていると諭す女院。)

(白河北殿。武士達に向かって、戦に関する存念があれば言ってみよと問う頼長。立ち上がり、最も効果のある策は夜討ちだと為朝。)

(高松殿。為朝と符合する様に夜討ちを主張する義朝。)

(白河北殿。自分が敵陣に突入し、義朝の首を取る。そして逃げようとする帝を輿ごとここに連れて来て譲位させ、上皇が復位すれば良いと迫る為朝。)

(高松殿。夜の明けぬ内に敵陣を攻めよと下知をと迫る義朝。関白の意見はと問う信西。なんとおぞましいと顔を顰める忠通。それが戦だと義朝。)

(白河北殿。さあ、と決断を迫る為朝。その議はまかりならないと却下する頼長。夜討ちなど田舎の戦、これは帝と上皇の争いだというのがその理由でした。戦は先手を取った方が勝ちだと息巻く為朝。孫子の言葉を引き、兵力で劣る側から責めるのは理に合わない、大和の軍勢が着くのを待つのだと頼長。何を言っているのか判らないと為朝。さらに孫子の言葉を引き、夜に兵が呼び合うは臆病だ、何より夜討ちは卑怯だと頼長。)

(高松殿。孫子の言葉を引き、夜通し議論し続けるのは臆病者のする事。さらに、ぼんやりと夜明けを待つ事を孫子は良しとはしないと言い、今すぐ動くが良いと下知を飛ばす信西。)

((白河北殿。天下を争うこの戦で、夜討ちなどという下策を採れば、上皇は世を治める器にあらずと示すも同然と言い切る頼長。いまいましげに座る為朝。左大臣の言うとおりに従えと上皇。)

(高松殿。すぐに討って出よと下知する忠通。見事な献策だったと褒める信西。さすがに戦慣れしている、都育ちの武士ではこうは行かないと信西。黙って聞いている清盛。義朝に破格の恩賞を約束する信西。勇んで立ち上がる義朝。じっと座っている清盛に、早く行けと促す信西。我らにも働きに見合った恩賞をと要求する清盛。お手並み拝見と信西。立ち去る清盛。あれでは義朝が可哀想だと信西の臣。何の事やらと信西。)

(清盛の陣。敵の要は為朝、奴を狙えと清盛。あれは化け物、源氏に兄弟で争わせておけばよいと弟たち。それでは平氏の武功にならない、たとえ勝っても王家の犬のままだと清盛。ならば我ら兄弟で攻めると忠清。南門は忠清、忠直に任せたと清盛。承る二人。重盛と基盛にも忠清たちの勢に加われと命ずる清盛。この戦は武士にとって千載一遇の好機、死ぬ気で戦えと檄を飛ばす清盛。)

(自分も加えて欲しいと願い出る頼盛。すぐにここから立ち去れと清盛。何故と頼盛。弱気を抱えた者に従う兵は、無駄に命を落とす、そんな者を戦には出せないと頼盛を突き飛ばす清盛。悔しげに立ち去る頼盛。身内を敵に回すというのは難儀な事だと兔丸。)

(義朝の陣。長田忠致の参陣を伝える正清。これは頼もしいと義朝。彼らの前に現れ、直々に言葉を掛ける後白河帝。)

(この戦は白河院より乱れ爛れた世を止めるためのもの、それが出来るのは武士しか居ないと帝。武士によって白河北殿を落とす事が新しい世の始まりだと帝。じっと聞き入っている清盛たち。微笑んで姿を消す帝。出陣を命ずる義朝と清盛。武者押しの声で応える一同。)

(7月11日寅の刻。3手に別れて白河北殿に向かった帝の軍勢。それを見送る鬼若。)

(白河北殿。敵の夜襲に慌てる上皇軍。何と卑怯なと憤る頼長。)

(為義に上皇の側を守れと薦める通清。彼は子供同士が戦う姿を為義に見せたくないのでした。じっと佇む為義。)

(賀茂川。弟の頼賢の軍勢と出会った義朝。源氏の面汚しと義朝を面罵する頼賢。有無を言わさず矢を放つ義朝の郎党。たちまち乱戦になる軍勢。)

(由良御前の館。手を合わせて義朝の無事を祈る常磐。常磐に武運を祈りましょうと声を掛ける由良。)

(白河北殿、南門。対峙する忠清と為朝。名乗り合う二人。忠清を歯牙にもかけない為朝。自ら名乗り出て為朝に挑む忠直。矢を向け合う二人。放たれた為朝の強弓は、忠直の身体を突き破って、後ろの忠清の鎧の袖までも貫きます。六郎と叫ぶ忠清。唖然とする平家軍。)

(北門。攻め寄せた清盛の軍勢の前に現れた忠正。忠正の前に進み出て、無駄な血は流したくないと清盛。いざ勝負と矢を放つ忠正。)

(経子の館。清盛の身を案じて落ち着かない時子。もし忠正と清盛が対峙すれば、武士として存分に戦うはず、これは武士の世への道と盛国。)

(矢を打ち合う忠正と清盛。矢を討ち果たした忠正を見て、剣を抜き剣での勝負を挑む清盛。固唾を呑んで見守る郎党達。激しく切り結ぶ二人。)

(戦場で戦うのは武士の生きる道そのもの、今宵集まった千を超える武士は命を燃やすのだと時子に説く盛国。辛そうに聞いている時子。)

(激しく戦う義朝たち。)

(観音の絵図に手を合わせる池禅尼。そこに戻ってきた頼盛。何故と禅尼。戦場から追い出すという辱めを与えた清盛の兄が憎いと頼盛。)

(白々と明ける夜。その中で撃ち合っている清盛と忠正。焦れて門を打ち破れと叫ぶ兔丸。黙って見ていろと叫ぶ郎党。あほらしいと引き上げに掛かる兔丸。そこに駆けつけてきた家貞。南門はどうしたと問う清盛。忠直が討ち死にしたと伝える家貞。驚く清盛。このまま為朝を狙い撃ちしても被害が増すばかりと家貞。それを聞いて、功を焦ったなと忠正。)

(自分が上皇方に付いたのは頼盛のためばかりではない、最後の最後まで信じられなかったのだ、清盛の中に流れる物の怪の血をと叫んで撃ち掛かる忠正。俺はもののふだ、平氏の棟梁だと反撃する清盛。この戦にも、物の怪の血にも勝ってみせる、俺は平清盛だと叫ぶ清盛。)

(二人の戦いを余所に、門から討って出る上皇方の軍勢。迎え撃つ平氏の軍勢。)

(賀茂川。激戦を続ける義朝。そこに援軍に現れた頼政の軍勢。)

(南門。苦戦を続ける平氏軍。そこに現れた正清。源氏の郎党がと憤る為朝。為朝に矢を射る正清。その矢を受け、射返す為朝。子の前に立ち、その矢を受けた通清。驚く正清。この父を見習うでないぞと言って去る通清。父を撃たれて、怒りの余り為朝に襲い掛かる正清。)

(オウムの駕籠を抱えて狼狽えている頼長。落ち着けと為義。庭で矢を受けて倒れる武者。その姿を見て腰を抜かす頼長。)

(為義に、その息子たちの戦い振りを伝え、源氏の夜はきっと来ると言って息絶えた通清。悲鳴を上げる頼長。通清を看取って、戦に出て行く為義。ここに居て自分を守れと叫ぶ頼長。その頼長に黙れと叫び、戦を知らぬ者は、耳を塞いで時が過ぎるのを待っておれと怒鳴りつける為義。駕籠を抱えながらうなずく頼長。)

(激戦の続く南門。駆けつけた義朝。その前に現れ、通清は死んだと告げ、叫びながら義朝に斬り掛かる為義。慌てて防ぐ義朝。親子で激しく斬り合う二人。義朝の加勢に加わる正清。放たれる為朝の強弓。たまらず引けと下知を下す義朝。彼は正清に信西の下に向かう様に命じます。戦い続ける忠清たち。)

(信西に火攻めの許しを願う正清。義朝は火攻めによって、隣接する法勝寺が焼失する恐れがあると懸念したのでした。)

(激戦の続く北門。撞木を運んできて、門を突き破ろうとする兔丸。)

(義朝は愚か者だ、帝がこの世にあれば法勝寺などすぐに再建が出来る、許しを請うに及ばず、即刻火を掛けよと命ずる信西。)

(門を突き破ろうとする兔丸。火矢を射掛ける義朝の軍勢。)

(火矢の雨に怯む上皇方の軍勢。兄の策かと歯ぎしりする為朝。)

(門を突き破り、中に突入した兔丸。混乱する上皇軍。駕籠を持ったまま避難する頼長。)

(はずみで転んだ頼長。そこに現れた崇徳上皇。地に転んでいる頼長を見て、そなたを信じた自分が愚かであったとつぶやく上皇。呆然と上皇を見つめる頼長。近臣に守られ、逃げていく上皇。取り残された頼長。頼長様の才は、古今和漢に比類なきものとしゃべり続けるオウム。叫びながら駕籠を振り上げる頼長。)

(帝の前にひれ伏し、にっこりと笑う信西。御簾の内で微笑む帝。)

(壊れた駕籠から出たオウム。その側を逃げまどう人々。)

(追い詰められた為義。そこを救い、早く逃げろと鬼若。)

(燃えさかる館の中で、忠正を捜し求める清盛。見つけてどうする、忠正は敗軍の将だと忠清。諦めて館を出る清盛。燃え落ちる館を見つめながら、幼き日に白河法皇に、お前にもこのもののけの血が流れていると言われた事を思い出す清盛。武士の手によって落とされた白河法皇のかつての御所。)

今回は保元の乱が描かれました。前半の山場なだけに、期待に違わず見応えがありましたね。戦の経過だけでなく、身内で争う同士の悲しみも丁寧に描かれており、これまでで最も面白い回だったと思います。

戦いの経過は以前に書いたので省略しますが、ドラマもほぼ史実に添って描かれていました。ただ、違ったのは清盛が活躍し過ぎた事で、実際には最初に南門に攻め掛かったものの、忠直が為朝に射殺された時点で戦意を失ってしまい、さっさと旗を巻いて別の戦場に移っています。この清盛のあまりの弱腰に腹を立てた重盛が為朝に向かおうとしたのですが、郎党がこれを取り押さえるという一幕もありました。要するに、清盛はこの戦いでは脇役に過ぎなかったのですね。主役を演じたのは源氏の一門で、中でも為朝の働きは抜群だったと伝えられます。

また清盛と忠正が一騎打ちをしたという事実はありません。忠正がこの戦いでどの様な働きを示したかは伝わっておらず、どこで戦っていたのかもわかっていないはずです。また、頼盛が戦からはずされたという史実も無く、全てはドラマにおける創作ですね。

ドラマに戻って、戦いの前の信西と頼長の対比の仕方は見事で、観念で動いた頼長が墓穴を堀り、より実践的に動いた信西の勝利に終わった事が明確に描かれていました。頼長のために少し弁護をしてやるとすれば、彼には興福寺の軍勢が援軍に来るという当てを持っていたのですね。逸って打って出るより、時を稼いだ方が有利になるはずという読みが彼にはあったと言われます。それを覆したのが義朝の夜討ちであり、火攻めだったのでした。そして、それを即座に認めた信西の読み勝ちだったという事なのでしょう。

史実と少し違ったのは、義朝の昇殿を信西が認めた事で、保元物語では義朝が無理に軍議の席に昇ってしまい、信西はあきれたものの、帝は大層面白がられたとなっています。

身内同士の争いでは、為義の悲しみが良く表されていました。息子に斬って掛かるなど、正気では居られなかった事でしょうね。そこを堪えて戦う姿に、戦の惨さがにじみ出ていたと思います。史実では為義と義朝は直接戦ってはいない様ですが、為朝、頼賢は義朝と刃を交えており、骨肉の争いがあった事は事実です。

清盛と忠正の戦いでは、まだそこまで悲壮感は無かったのですが、清盛の中に流れる物の怪の血がここでもテーマとして再現されていました。忠正は最後まで白河院の血の怖さを恐れていたのですね。それを指摘されて、俺は平清盛だと叫んだ台詞が印象的でした。彼は心から平家の棟梁であろうとしたのです。

主題とは関係の無いところで、脇役もさりげなく登場していました。長田忠致と源頼政がそうで、彼らは今後の物語で重要な役目を果たす事になります。

火攻めの場面では、信西の台詞が保元物語とは少し違っていました。ドラマでは義朝は愚かなりと言っていましたが、物語では殊勝なりと言っています。この違いは、今後のドラマの展開を考えた伏線なのでしょうか。ちょっと考え過ぎかな。

秀逸だったのは頼長の周章狼狽ぶりですね。何を血迷ったのかオウムの駕籠を後生大事に抱え込み、武士が討たれたの見て腰を抜かす臆病者ぶりで、山本耕史が情けない姿を見事に演じきっていました。ずっと頼長に頭が上がらなかった為義が彼を怒鳴りつけた事は、時代が武士の手に移りつつある事を象徴していましたね。また、オウムを効果的に使っていた事も面白かったです。ただ、保元物語には、あそこまで臆病だったとは描かれておらず、少し可哀想な気もしますね。

一つ判らないのは頼盛を戦から外した事で、一歩間違えれば、彼をして上皇方に走らせる結果になったかも知れない清盛の言葉でした。これは今後彼に独自の動きをさせるための伏線なのでしょうか。そこまで追い詰める必要があったのかしらん。

さて、大きな山場が過ぎ、次回は戦後処理が描かれます。待っているのは源氏と平家の悲劇ですが、どう描かれるのか楽しみに待ちたいと思います。特に信西の演出には注目ですね。

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2012.05.26

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~蓮華寺 5.26~

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京都の新緑を巡るシリーズ、今週は洛北を巡ってきました。最初に訪れたのは蓮華寺、上高野にあるもみじの名所ですね。

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ここは小ぢんまりとした寺ですが、秋の紅葉が素晴らしい事で知られ、シーズンにはとても混み合います。でも、他の季節はそうでもなく、静かな風情を楽しむ事が出来るのですが、今日は違いました。意外なほど賑わっていたのですよ。

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どうやら、「そうだ京都行こう」の初夏のキャンペーンの対象になっている事に原因がありそうですね。いつもの事ですが、このブランドの影響力には侮れないものがあります。

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まあ、キャンペーンの如何に関わらず、ここのもみじが素晴らしい事には変わりなく、遠くからわざわざ見に来るたけの価値があるのは確かですね。

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今日はまずまずの好天に恵まれ、木漏れ日に新緑が良く映えていました。如何にも初夏らしい色合いですね。

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6月3日には、キャンペーンの一環として、篠笛の演奏があるそうです。これは会員でなくても聞く事ができるそうですから、興味のある方は行ってみるのも良いかもしれないですね。

少し混み合うのが難点ですけど、初夏の蓮華寺は、新緑に溢れた素敵なスポットですよ。

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2012.05.25

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~鳥居本 5.19~

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新緑を求める嵯峨野めぐり、最後は鳥居本までやって来ました。ここももみじの多い、新緑の名所です。

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鳥居本は、伝統的建物群保存地区に指定されており、風情のある町並みが続きます。この道を歩くのも、鳥居本を訪れる楽しみの一つです。

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惜しいのは、この狭い道を結構車が結構行き交うのですよ。その都度に道の端に追いやられてしまうのですが、出来れば歩行者専用にしてもらえないものなのかしらん。まあ、お店があるので、なかなか難しいのでしょうけどね。

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鳥居本の新緑の中心は、一の鳥居の周辺です。赤い鳥居と平野屋さんの古い建物があいまって、とても風情のある一角ですよ。

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その平野屋さんを、向かいの崖の上から見下ろすのも、この場所ならではの景色ですね。ここに和傘が広げてあればもっと良いのですけど、そんなチャンスには恵まれた事はありません。グラビアなどではよく見るのですが、あれってやっぱり演出なのかな。

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鳥居本は、奥まった場所にあるせいか、修学旅行生を見る事はまずありません。時間が限られているので難しいのだろうけど、渡月橋ばかりでなく、この景色も修学旅行生には見て帰って欲しいですね。如何にも京都らしい景色として、思い出に残ると思うのだけどな。

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2012.05.24

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~祇王寺 5.19~

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嵯峨野には新緑の名所が数多くありますが、祇王寺もまた境内がもみじで埋め尽くされた素敵なスポットです。

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地面を覆う苔と共に、まさに緑一色の世界ですね。この時期は、秋の様に混み合う事もなく、静かにこの風情を楽しむ事が出来ます。

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この庭は普段はあまり花とは縁が無いのですが、珍しく灯籠の横に白菊が咲いていました。苔の緑に良く映えて、清楚な美しさを見せてくれていましたよ。

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祇王寺は、平家物語で語られる祇王縁の寺です。今年は大河ドラマの影響で混み合っているかと思ったのですが、そうでもなかったですね。

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私的には、1月に長講堂で「過去現在牒」に書かれた祇王、祇女、仏御前の名を見た時から、彼女たちをより身近に感じる様になりました。物語の中の人ではなく実在していたんだと思うと、彼女たちの像を見るに付けても、感慨を覚える様になります。

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ドラマでは、彼女たちは出て来るのかな。描き方は難しいだろうけど、どんな演出をするのだろうと、今から楽しみにしているとろこです。もし出て来たら、この寺もさぞかし賑わう事でしょうね。

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2012.05.23

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~落柿舎 5.19~

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常寂光寺を出て、落柿舎の前にやって来ました。ここは柿の新緑を楽しめる場所です。

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柿の新緑は、少し明るく素感じますね。もみじの新緑とあいまって、調和して見えるのが良い感じです。

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この日は時間があったので、中に入ってみました。農家風の小さな庵ですが、文人らしい洒落たしつらえになっているのですね。

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もう少しすると前の田んぼに田植えがされて、如何にも嵯峨野らしい景色となるのですが、この時は未だ耕される前で、ただの空き地だったのが少し残念です。写真を撮りに訪れるのなら、田植えの終わった6月以降が良いかも、ですね。

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2012.05.22

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~常寂光寺 5.19~

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嵯峨野で新緑を求めて最初に訪れたのは常寂光寺。全山がもみじで埋まる新緑の名所の一つですね。

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山門を潜ると、本堂へと繋がる石段に出会います。紅葉の時は人で埋まる階段ですが、この時期は静かなもので、この寺本来の風情を感じる事が出来ます。

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階段を登って山門を見下ろすと、もみじに囲まれた空間が美しい。新緑ならではの柔らかい色彩が良いですね。

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庭園はもみじに覆われて薄暗いのですが、それだけ落ち着く場所でもあります。縁側に座ってしばし眺め、ここまで歩いてきた疲れを癒させてもらいました。

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多宝塔を望む常寂光寺の定番写真ですが、やはり背景が青空だと絵になります。遠くに見えているのは比叡山で、東山三十六峰を一望できるのもこの寺ならではの事です。

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その多宝塔の周囲も新緑で埋まっていました。同じもみじのはずなのに、微妙に色合いが異なるのが面白いところですね。

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帰り道の階段も新緑で染まっていました。初夏の常寂光寺は、爽やかさを堪能できる素敵な場所ですよ。

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2012.05.21

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~天龍寺 5.19~

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嵐山と嵯峨野の接点に位置するのが天龍寺、足利尊氏に縁のある臨済宗の名刹です。

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ここは参道から新緑が綺麗ですね。特に印象的なのが八幡大菩薩で、丹塗りの社殿に新緑が良く映えています。

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庭園に入ると、曹源池の周囲も新緑で埋め尽くされています。もみじが主体ですが、様々な樹種があるので複雑な色合いになっているのが良いですね。

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池越しには、嵐山を借景として見る事が出来ます。この奥深さがこの庭の真骨頂とも言えるのでしょうか。

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池の畔には、アヤメが咲いていました。庭園の至る所に、こうした季節の花が咲いているのも天龍寺ならではです。

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裏手に回ると、よく手入れされた竹林が広がっています。竹は今、古い葉と新葉が入れ替わる時期なのですね。竹の秋とも言いますが、いつもとは違った独得の色合いを楽しむ事が出来ます。

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その竹にもみじの新緑をあしらってみました。竹の落ち葉と新緑と、この季節らしいコントラストですね。明日はここから嵯峨野めぐりへと向かいます。

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2012.05.20

平清盛 第20回 「前夜の決断」

(保元元年7月2日、鳥羽院崩御。)

(今宵こそ 思い知らるれ 浅からぬ 君に契りの ある身なりけり)

(そう詠って、鳥羽院との縁を語る西行。その西行に戦になるとつぶやく清盛。)

(崇徳上皇に接近する頼長。彼は自らの財を頼りに、上皇の権威によって天下の権を奪い返そうと誘いかけます。)

(御所。先手を打って、頼長と崇徳院に謀反の動きありと宣言する信西。彼は全国の武士に向かって、後白河帝の守護に馳せ参じる様に命じます。これは鳥羽法皇の遺志であり、美福門院の命であると訴える信西。)

(清盛の館。天皇方に付くか上皇方に付くかで意見の分かれる郎党たち。裁断を求められた清盛はどちらにも付かないと言います。その理由を、戦の後の恩賞をつり上げるためと説明する清盛。釣りあげると言っても、どちらが勝つか見極めが肝要と郎党達。ただ勝つだけでは駄目だ、勝った後に公卿に昇らなければ政に参画出来ない、世を変える事が出来ないのだと清盛。)

(忠正の様子がおかしいといぶかる家貞。忠盛が生きていれば、同じ事をしたのではないかと思ったのだと忠正。)

(7月8日。京に入った為朝。都大路でその様子を見ていた鬼若。)

(館で弓の稽古をする清盛。)

(鳥羽田中殿。平氏がまだ態度をはっきりさせないと教長。荘園を分け与えると言っているのにと頼長。)

(高松殿。平氏が態度をはっきりさせないのは、上皇が餌で釣っているからではと成親。平氏になど媚びなければならないとはと信頼。今様を口ずさむ後白河帝。)

(鳥羽院御所。義朝に、親兄弟と別れても自分たちに付くのかと確かめる得子。例え親兄弟と争う事になってもと、故法皇と帝に忠誠を誓う義朝。)

(田中殿。頼長に、義朝の不参加を詫びる為義。きっと勝てと言って立ち去る頼長。このまま親子が戦うのかと為義に詰め寄る通清。説き伏せられると思っているのかと為義。正清に好きにせよと為義。ここに居ると正清。)

(清盛の館。義朝が親兄弟と別れて帝に付いたと聞き、自分たちは断じてそうはしないと清盛。清盛を訪ねてきた信西。)

(双方の恩賞はつり上がったかと聞く信西。さすが信西、此度は領地か官位かと清盛。さにあらずと清盛を誘う信西。)

(高松殿。後白河帝に拝謁する清盛。人払いをして、清盛と二人になる帝。)

(清盛に、どれだけ恩賞を釣り上げようとも忠盛の遺志など叶わない、武士はあくまで番犬で終わるのだと言い、賽でも振ってさっさと決めよと言い放つ帝。投げつけられた賽を握りしめ、平氏は必ず勝ってみせる、この戦にも、あなたとの勝負にもと清盛。笑みを浮かべて立ち去る帝。陰からその様子をじっと見ている信西。)

(7月9日。為義の館に入った為朝。喜ぶ為義。そこに現れ、あれだけ見下されていながらまだ頼長の為に戦うのかとからかう鬼若。つまみだそうとする郎党達。笑いながら立ち去る鬼若。)

(清盛の館。清盛の下に馳せ参じた伊藤忠直。これで勝利は疑いなしと笑う忠清。しかし、意気消沈している郎党達。為朝が上皇方に付いたという情報が入っていたのでした。それでも決断は変えないのかと頼盛。平氏は帝方に付くと清盛。)

(何故かと忠清。帝はお見通しだったと清盛。それはまずいのではと頼盛。それは帝が自分を煽って、昇ってこいと言われたのだと悟ったと清盛。そんな了見で戦わされたのではたまったものではないと頼盛。あの方だけが武士の力を良く判っているのだと清盛。)

(戦は戦う事に一心に撃ち込まなければ生き残れないものだと忠清。もっともな事だと清盛。)

(此度の戦いは、上皇と帝の名代として武士同士が戦う、これに打ち込めるのかと皆に問う清盛。答えられない郎党達。自分は武士の世がそこまで来ているという確かな手応えを得たい、そのために平氏は帝と共に戦うと清盛。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の強さとは忠盛の言葉と一同に釘を刺す盛国。)

(常磐の館。赤子を抱く常磐に、洛外に用意した別宅に移れと命ずる義朝。)

(洛外の別宅。由良御前に常磐を引き合わせ、ここに置いてやってくれと頼む義朝。常磐に向かって、殿がお世話になっていると微笑みかける由良。黙って頭を下げる常磐。子供心にも酷だと思う鬼武者。)

(家族を洛外の館に案内して来た清盛。そこに待っていたのは家成の娘、経子でした。源氏物語まで持ってきたのかと驚く重盛。この様な時こそ、恋する心が必要なのだと時子。微笑む経子。俯く重盛。)

(池殿。自分の郎党達に、平氏の血を引かぬ清盛に命運を預ける事は出来ない、今宵の内に兵を集めよと命じ、上皇に味方すると宣言する頼盛。そこに現れ、棟梁に逆らう事はなりませぬと諌める池禅尼。自分は家盛の様にはなりたくない、立派な志のために命を落としたくはない、父と母のただ一人の子となったこの身を失いたくないのだと頼盛。)

(7月10日、保元の乱当日。高松殿に本陣を置いた帝方。白河北殿に本陣を置いた上皇方。)

(経子の館。二人の息子に、存分に戦ってこい、しかし命は粗末にするなと言い聞かせる時子。そして、清盛に向かって、お腹の子に勝って顔を見せてやって欲しいと言います。ややがと驚く清盛。今朝気付いたのだと時子。きっと戦上手な子になるだろうと清盛。女子だったらどうすると時子。笑いながら盛国に後事を託して出立する清盛。)

(由良の別宅。鎧を付けている義朝。身内と戦う事で良いのかと義朝を見つめる常磐。友切の太刀を差し出し、志を遂げる為に存分に働き下さいと由良。太刀を受け取り、出立する義朝。見送る由良と常磐。)

(白河北殿。郎党にかかれと命ずる為義。応ずる一同。一人動かない正清。それを見て、通清にここで待てと命ずる為義。正清に義朝の事を悪し様に言う通清。義朝の悪口を言う者は父とて許さないと正清。厄介な殿を見捨てられないのは自分譲りだなと言って立ち去る通清。)

(高松殿。友切の太刀を見る義朝。そこに現れ、ひれ伏す正清。遅いではないか、主に恥をかかせるなと言って正清を立たせる義朝。一同に支度を命ずる義朝。微笑んで義朝に従う正清。)

(清盛の館。これより高松殿に向かうと出陣を命ずる清盛。応ずる一同。)

(廊下を行く頼盛を見る池禅尼。目を反らす頼盛。その様子を見ていた忠正。)

(池殿で鎧を着けている頼盛。そこに現れた忠正。上皇方に付く事はならぬ、勝ち目はないと釘を刺す忠正。自分たちが参じれば分が良くなるはずと頼盛。たとえ勝ったとしても一門を裏切り、棟梁を裏切ったと誹りを受けると忠正。そんな事になれば義姉が悲しむ、亡き忠盛にも顔向けが出来ないと忠正。清盛が平氏に災いすると危ぶんできた叔父に止められるとは思わなかった、平氏が根絶やしになったら何とすると頼盛。微笑む忠正。)

(清盛の館。現れた頼盛を見て、忠正は一緒ではないのかと問う家貞。跪いて、叔父は来ないと言う頼盛。)

(白河北殿。上皇に向かって、此度の戦、味方すると誓う忠正。)

(清盛の館。忠正を連れ戻すと出て行こうとする清盛。忠正は平氏を根絶やしにしないために戦うつもりだと引き止める家貞。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の絆、その絆を断って何とすると清盛。きっとそう言うだろうと、叔父から言づてを預かったと頼盛。)

(自分とお前の間には、はなっから絆などない。それが忠正の言づてでした。頼盛をにらみ据え、肩で息をする清盛。辛そうな頼盛。座り込み、地面に手を突いて、叔父上とつぶやく清盛。)

(邸の中で、忠正殿、かたじけないと手を合わせる池禅尼。)

(白河北殿。清盛に向かって、お前との間にはなかっら絆などないと、心の中でつぶやく忠正。)

(清盛の館。涙を堪えていた清盛は、やがて立ち上がります。)

(いよいよ戦だと意気上がる兔丸とその郎党達。)

(高松殿。馬上で友切の太刀に触れる義朝。)

(帝に、清盛が300騎を率いて参陣したと伝える伝奏。微笑む帝。)

(馬上、腕を組んで義朝の前に現れた清盛。それを見て馬を巡らす義朝。)

今回は保元の乱前夜が描かれました。平家の帰趨を巡ってのやりとりなど、緊迫感があって面白い回だったと思います。

敵味方に分かれた天皇家と摂関家、源氏と平氏でしたが、その構図を明確に描き出したのは信西でした。彼は、守仁が即位するまでの中継ぎという弱い立場の後白河帝の権威を守るため、その地位を危うくする反対勢力を一掃しようと画策したのですね。

鳥羽法皇の死後、頼長と崇徳上皇は不利な立場にはあったものの、兵力で劣る事は明かであり、挙兵しようとまでは考えていませんでした。それ以上に、時が経てば悪評の高い後白河天皇から時勢が離れ、やがては自分たちの世が来るかもしれないと期待すらしていた様です。

ところが、そうは行かなくなってしまったのですね。まず、頼長が父と共に諸国の荘園から軍兵を集めていると噂が流れ、朝廷はこれを禁ずる命を全国に下します。それと同時に、彼の住まいである三条殿が没収され、氏の長者である事が否定されました。そして、彼が命じて呪詛していたという僧侶が掴まり、これが謀反の決定的な証拠とされます。全ては信西と忠通の仕組んだ罠だった訳ですが、事ここに至って頼長は挙兵せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。崇徳上皇はこの頼長に巻き込まれただけであり、全く不本意な挙兵だったと思われます。

乱の勃発に際しては、朝廷側が官として全国に動員令を出したのに対し、上皇方は摂関家の私兵のみが頼りでした。最初から帝側の有利は明かであり、上皇方は劣勢に置かれていました。その中で平氏の帰趨が不明確だったのはドラマにあったとおりですが、その理由は清盛が恩賞を両天秤に掛けたからではなく、忠盛夫婦が重仁親王の乳父、乳母であった事によるものです。鳥羽法皇はその事を警戒しており、法皇が生前に指名してあったという御所を守る武士の名簿の中に清盛の名はありませんでした。

その清盛が帝側に馳せ参じたのは、美福門院の誘いに応じたものと言われます。女院は平氏の武力を得る為に、法皇の遺命であるとして清盛に参陣を命じたのですね。清盛も帝側が有利である事は十分に承知しており、これを奇貨として参陣に応じたのでした。

その中で、頼盛が帰趨を迷ったのはドラマにもあったとおりですが、池禅尼の説得により清盛に従って帝側に付く事で兄弟の対立は避けられました。禅尼は前述の様に重仁の乳母だったのですが、帝の命という筋目を重んじて頼盛を帝方に付けたと言われます。では忠正はと言うと、最初から頼長方の人間でした。決してドラマの様に、頼盛の身代わりとして上皇方に参陣したのではありません。

彼は、若い頃は忠盛と共に鳥羽法皇に仕えていたのですが、ある時に法皇から勘当されてしまったようです。それ以後は摂関家に仕える事で立身し、殿上人にまでなっていました。鳥羽法皇に忠誠を誓う忠盛や清盛とは、早くから対立関係にあったのですね。乱の勃発に際しても、頼長から離れるには、余りにも深い関係となっていたのです。

一方の源氏は、摂関家の私兵となっていた為義と、鳥羽法皇に接近していた義朝が対立していたのはドラマにあったとおりで、乱に際しては親子兄弟で争う事になります。そんな中で、為義が最も期待した戦力が為朝であったのもドラマにあったとおりで、彼は期待に違わぬ奮戦をしてみせる事になります。

ドラマに戻って、清盛が恩賞の釣り上げを狙って帰趨を明らかにしなかったという設定でしたが、これまで筋目にこだわってきた事に比べてあまりに打算的で、ちょっと納得し難いものがありました。私はまた両派の宥和を計るために、詰まらぬ時間稼ぎをしているのかと思いましたよ。

その目論見を破ったのが後白河帝だった訳ですが、文字通り清盛がどちらに転ぶか賽を振ってみたというところだったのでしょう。そして、出た目は後白河帝の望んだとおりのものでした。あれだけ悪し様に罵倒したならば、逆の目が出てもおかしくないところですが、そうはならなかったところが二人の呼吸というところでしょうか。

頼盛は、史実に添って清盛との立場に一線を画しながらも、母の言葉に従うという道を取りましたが、忠正は一門のために身を犠牲にすると描かれました。史実において唯一人、一門の中で清盛に対立した人物を、ドラマでは悲劇の人として救ってやったのですね。ドラマでは頼盛、忠正、そして清盛の苦悩振りを、丁寧に描いていたと思います。

そして、清盛以上に苦悩していたのが義朝で、親子で争わなければならないという悲劇を耐えている様が、見ていて良く伝わってきました。為義もまた、彼の持つ優しさが描かれていましたね。

一点違和感を感じたのが清盛が武士の世をもたらすと言っていた事で、史実と比べるとまだ少し早過ぎます。確かに、武力としては武士の力が大きかったのは確かですが、乱の主役は王家であり、摂関家でした。そして陰の主役は信西であり、清盛たちは朝廷の命によって戦ったに過ぎません。清盛自身も、自らが政治の中枢に躍り出るとは、まだ考えていなかったでしょうね。せいぜい平家の家格を上昇さようと言う程度だったのではないかと思われます。

次回は保元の乱ですね。ここまでこのドラマは、この乱の回のために多数の伏線を張り巡らせて来た様なものですから、その集大成としてどのように描かれるのか、楽しみに待ちたいと思っているところです。

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2012.05.19

京都・洛西 京都新緑事情2012 ~嵐山 5.19~

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今日は新緑を求めて嵐山・嵯峨野を歩いてきました。期待に違わず、素敵な緑と出会う事が出来ましたよ。まずはここ、嵐山からお届けします。

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嵐山は相変わらず人出が多いですね。観光シーズンという程でもないと思うのですが、修学旅行生が大勢訪れていたのが効いていたのかな。

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他府県の中・高校生にとっては、京都と言えば嵐山というイメージが定着しているのでしょうか。確かにこの風光明媚な景色は、京都そのものとも言えるでしょうね。

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さて、肝心の新緑ですが、文字通り目に染みるという感じで、とても綺麗でした。ただ、光線が強すぎたのか、写真では新緑ならではの柔らかい色が出ていないのが残念です。

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実際、今日は汗ばむ程の陽気で、初夏を通り越して夏と言った方がぴったり来ましたね。こういう水辺に居るのが嬉しいと感じる程強い日差しでした。

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写真では深緑という感じになっていますが、今の嵐山は木々の新鮮な緑で満ち溢れています。少しばかり混み合いますが、初夏の風情を求めて訪れるには、ぴったりの場所ですよ。

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2012.05.18

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~法然院 5.12~

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南禅寺から哲学の道を通って法然院にたどり着きました。ここは山懐に抱かれた緑の深い寺です。

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参道の石段を昇っていくと、杉木立の向こうに山門が見えて来ます。山寺の風情を感じる一瞬ですね。

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この景色を見ると物静かな境内と思うでしょうけど、実際には結構賑やかなのですよ。次々と参拝客が訪れるので、誰も居ない瞬間を撮るのはなかなか大変だったりします。

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特に絵になるのが山門付近なので、ここで立ち止まって写真を撮る人が大半です。なので、こういうチャンスを得るには、じっと機会を待っているしかありません。

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でも、それだけの値打ちのある景色ではありますね。拝観料が要らないというのも嬉しい場所ではあります。

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新緑を求めて訪れる所としてはご覧の通りで、とても素敵なポイントです。以前に比べると人が増えて俗ぽくはなっていますが、まだまだ十分に風情は感じる事が出来る寺ですよ。


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2012.05.17

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~天授庵 5.12~

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南禅寺の塔頭、天授庵もまた、新緑の名所として知られます。境内の続きにあるのですが、その中は外とはまた違った世界が広がっているのが面白いところです。

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山門を潜って最初に目に入るのが、書院の座敷越しに見る南庭の景色です。窓から見える庭は、まるで額縁に入れて飾った絵画の様ですね。

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庭は二つあって、まず本堂前の東庭から巡る事になります。通用門から入ると、良く手入れされたこのもみじが目の前にぱっと広がります。美しい新緑が出迎えてくれる一瞬ですね。

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東庭は、白砂ともみじと苔が織りなす素敵な庭で、ここに座っていると時が経つのを忘れてしまうほど落ち着いた空間ですよ。

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洒落た腕木門を潜ると、南庭に入ります。そこは池とその周囲の緑に囲まれた野趣に富んだ世界となります。

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この日は池に映った緑が綺麗でした。もう暫くすると睡蓮が咲いて、さらに変化を与えて呉れる事でしょうね。

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無料の南禅寺境内だけも新緑は楽しめるのですが、天授庵はまるで趣きの違う景色を見せてくれます。わざわざ拝観料を払ってでも味わう価値のある風情が、そこには待っていますよ。

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2012.05.16

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~南禅寺 5.12~

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平安神宮から南禅寺へとやって来ました。ここもまた、新緑が美しい事で知られるポイントです。

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ここでも新緑の主役はもみじです。特に三門の東側は、もみじに埋もれる様にして歩く事になり、初夏の風情を堪能出来るエリアです。

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法堂の裏手には銀杏の木がありますが、この木の新緑もまた、もみじとは違った色合いがあって綺麗ですね。ここでは法堂の風鐸をあしらってみましたが、この構図も南禅寺の定番写真の一つと言って良いのかな。

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この日は本坊には入らなかったのですが、きっと庭園でも新緑が綺麗だった事でしょう。特に流れ落ちる様なもみじの壁が見事だったでしょうね。

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南禅寺で絵になる場所と言えば水路閣でしょうか。この独得の造形美は、写真に撮っていても楽しいと感じます。

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特に、新緑にはこの煉瓦の色合いがよく似合います。100年以上の風雪を経て初めて出せる、素敵な色ですね。

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最後はアーチ越しに南禅院の新緑を見てみました。この景色も水路閣ならではのもの、この綺麗なカーブに、明治の人の確かな仕事ぶりを感じます。

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2012.05.15

京都・洛東 杜若2012 ~平安神宮 5.12~

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東福寺から一気に北に移動して、平安神宮へ来ました。ここでは杜若が出迎えてくれましたよ。

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杜若が咲いているのは青龍池、主として池の西側に群落があります。

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この日は一番花と二番花が混在していました。察するに、一度に咲き始めたのではなく、開花時期にばらつきがあった様ですね。少し花数が少ない様に感じたのですが、まだましな時に訪れたと言えるのかも知れません。

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こちらは園芸品種の折鶴ですが、やっと数輪が咲いている程度でした。なぜか年々株が少なくなっている様に見えるのですが、栽培があまり上手く行っていないのでしょうか。少し気がかりです。

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杜若の他には、睡蓮が咲き始めていました。まだ花数は少なめですが、これからこの神苑を綺麗に彩ってくれる事でしょう。

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また、コウホネも咲き始めていました。小さな花ですが、その独得の色合いで存在感を主張しています。

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栖鳳池は、緑一色に染まっていました。ここまで来ると、新緑と言うより深緑ですよね。華やかさはないけれど、これはこれで美しいと感じる景色でした。

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2012.05.14

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~東福寺 5.12~

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先週末は、新緑を求めて洛東界隈を歩いて来ました。その洛東の一番南に位置するのが東福寺、言わずと知れたもみじの名所ですね。

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通天橋から眺めた景色です。文字通り緑一色に埋まってますね。この大半がもみじで、通天楓がその中に混じります。

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その緑の海の底に流れるのが洗玉澗ですね。ここはまさに緑に支配された世界です。

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洗玉澗から上がってくると、頭上をもみじの屋根が覆っていました。この光を透かして見る新緑が、何とも美しいですね。

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階段を登り切ると、もみじの林が広がっています。新緑の色に、身体まで青くなってしまいそうでしたよ。

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通天楓は、秋になると独得の色に染まる事で知られますが、新緑の色合いもまた少し違いますね。紅葉の時ほどではないけれど、境内の新緑に変化を与えてくれています。

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最初から紅い種類のもみじもいくらか植えられています。秋を思わせる色ですが、背景が新緑一色なので初夏だと判る景色ですね。この眺めもまた、東福寺ならではの風景の一つです。

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2012.05.13

平清盛 第19回 「鳥羽院の遺言」

(後白河帝誕生に混乱する朝廷。権力者となった信西の廻りに集まってきた公家達。)

(信西に会い、いったいどういう事かと問い質す清盛。上皇の世が来ては自分が困ると信西。雅仁は、王家に渦巻く積年の鬱屈から流れ出た膿、すべてを抱え込んだ毒の巣と言ったのは信西ではなかったのかと清盛。そんな人物であるからこそ、自分が乳父として思う様に政治が出来るのだと信西。再び父に裏切られた上皇はどうなると清盛。微笑んでうなずく信西。立ち上がって御簾を引き千切る清盛。)

(崇徳上皇の御殿。法皇を生涯許さないとつぶやく上皇。)

(院の御所。上皇よ許せ、我が子よ許せとつぶやきながら写経をする法皇。)

(政の場から遠ざけられている頼長。あのうつけが帝とはけしからぬと啼くオウム。それは頼長が何度となくつぶやいた言葉でした。夕べ内覧の宣旨が下る夢を見た、きっと正夢だろうとオウムに向かって言う頼長。)

(美福門院の前で近衛帝が呪詛されたと口寄せをした巫女。その口寄せに従って愛宕山を調べたところ、目に釘を打たれた天公像が見つかれました。どこからともなく立つ、頼長の仕業という噂。)

(法皇に申し開きをすべく御所を訪れようとする頼長。その前に立ち塞がり、法皇にも美福門院にも会う意思は無いと冷たく言い放つ忠通。どうしても申し開きををと言う頼長に、誰もそなたに肩入れする者は居ない、会っても無駄だと笑って立ち去ると忠通。さては、風聞を立てたのは兄の仕業かと頼長。そのやりとりを側で聞いていた忠実。父上とすがる頼長。今度の風聞は、そなた自らが立てたのだと忠実。何を言うと頼長。綱紀粛正の名の元に公家の恨みを買い、過激な取り締まりにより寺社をも敵に回したと忠実。それは摂関家に実権を取れ戻す為だったと頼長。お前はやり過ぎたと言い捨てて立ち去る忠実。けしからぬと啼き続けるオウム。)

(東国。義朝の命を受け、義賢の館を襲った義平。友切の太刀を譲れと言う義平。これは父から授かったものと拒む義賢。義賢を矢で射殺した義平。義朝の手にもたらされた友切。)

(義朝の館。満足げに友切の太刀を抜く義朝。祝いを言う郎党たち。そこに駆け込んできた為義。義賢を殺して友切を奪ったのは本当だったのかと義朝に掴みかかる為義。為義を突き飛ばす義朝。友切を奪い返そうとする為義。これは源氏で最も強い武士が持つべき太刀、父に返す気は無いと義朝。)

(父の思いを踏みにじり、自分の弟を殺させるなど正気なのかと叫ぶ通清。もう良いと力なくつぶやき、肩を落として出て行く為義。後を追う通清。まことにこれでと言いかける正清。出かける、支度をせよと叫んで立ち去る義朝。その様子を陰から見ていた鬼武者。)

(じっと庭を見ている鬼武者。何をしている、弓の修練の時間だと由良御前。修練などしてどうなる、欲の為に身内を殺す者になるばかりだと鬼武者。鬼武者を叩き、父には志があっての事、子の分際で軽々しく咎め立てなどするなと叱る由良。)

(常磐御前の館。じっと考え込んでいる義朝。気遣う常磐。何もないと義朝。友切を示し、これを手に入れて少し気が高ぶっているのだと義朝。今若や乙若も、いずれ太刀を振るう様になるのだろうかと常磐。今若は3つ、乙若は生まれたばかりだと義朝。)

(清盛の館。一同が集まっているのを見て、訝る清盛。その中に居る見知らぬ女性。そこに時忠が現れ、滋子という自分たちの妹だと紹介します。清盛に目通りさせたいと言う時忠に、自分には時子が居ると清盛。誰が側女にと言ったかと声をとがらせる時子。では誰の側女に、自分のかと詮索する郎党達。)

(そうではなく、新しい帝の世となったのを機に、やんごとなき方の妻となる手だてはないのかと聞く時忠。やんごとなき方?と清盛。これだけの美貌ゆえ、いずれ帝の耳に入って妃にという話になるかも知れないと時忠。帝の寵愛を受けるとは、朧月夜の君の様だと時子。)

(やんごとなきお方の寵愛を受ける為に入内するなどまっぴらだと滋子。たとえ、盗人でも乞食でも、好きな人の妻となると滋子。じっと滋子を見る清盛。何を言い出すのだと時忠。時忠にあかんべえをして、立ち去る滋子。感嘆する郎党達。)

(池殿。面白い女子が一門に加わったものだと池禅尼。感服した、今の世に足りないものは滋子の様な強い志だろうと清盛。自分は新しい帝に気に入られるよりも、上皇の心に添いたいと清盛。上皇の心にと禅尼。自分は実の親子でないからこそ、いつか解り合える日が来ると知っている、法皇と上皇にもいつかその喜びを知って貰いたいのだと言って立ち去る清盛。)

(今の言葉を聞いたら、亡き殿もさぞかし喜ぶだろうと須磨。さて、どうであろう、苦笑いしているかもしれないと禅尼。)

(10月、内裏仁寿殿。正式に即位した後白河帝の祝宴が開かれています。帝の側に居るのは、お気に入りの成親と信頼の二人。公卿でもない者を物好きなと噂する殿上人。それを聞き、面白くないとつぶやく信頼。)

(そこにもたらされた、崇徳上皇からの祝いの歌。よほど恨みの籠もった歌なのではと噂する殿上人たち。)

(あさぼらけ 長き夜を越え にほひたて くもゐに見ゆる 敷島の君)

(新しい帝の姿を見事に読んでいる、さすがは上皇と褒めそやす殿上人たち。立ち上がって、歌が書かれた紙を見て、あなにくしとつぶやく後白河帝。それぞれの句の初めの文字をつなげると「あなにくし」、実に難いとの言葉が織り込まれていると信西。おのれ上皇と膳を投げる後白河帝。狼狽する法皇。)

(膳を投げ続ける帝。上皇の歌を拾い上げ、ならぬ、此度の即位は取りやめだと叫ぶ法皇。今すぐ譲位せよ、自分が浅はかだったと帝に迫る法皇。帝は重仁だと叫ぶ法皇。法皇を睨み付け、法皇よ、ここは私の世だと重々しく宣言する帝。その姿に、白河帝の姿を重ねる法皇。突然倒れてうずくまる法皇。駆け寄る美福門院。冷たく見据える帝の近臣たち。)

(鳥羽法皇の見舞いに参上した清盛。その前で是は我が子なりと写経を続ける法皇。起きていて大事ないのかと気遣う清盛。上皇は自分や帝を殺したい程憎んでいる、一朝事があれば武士が力を合わせて御所を守るが良いと言って清盛の手を取る法皇。我らの武力は、父と子の争いをさらに荒立てるためにあるのではないと断る清盛。驚く法皇。それよりも、法皇の心を上皇に伝えよと清盛。泣き崩れる法皇。)

(上皇の御所。法華七喩の長者窮子の写経を献上した清盛。それは何十年も別れ別れであった父子が再会して和解し、説是我子、これは我が子であると父が子に対して心より言葉を掛けるという話でした。法皇は帝が即位した日から悔い、心より詫びて許しを乞い、いまこそ本当の親子になろうと毎日この写経をしているのだと伝える清盛。しかし、その写経を破いてしまう上皇。 )

(保元元年。悪化した法皇の病と共に、崇徳院挙兵の噂が広まります。自分が死んだ後に何が起こっても、それは上皇にして来た事に対する報いだと法皇。自分を責めてはいけないと美福門院。そこに現れた信西。今は悔いている時ではない、治天の君としてなすべき事をせよと信西。)

(信西の発案により、戦が起こった時には鳥羽院に忠誠を誓うという文を書けという命を下した鳥羽院。)

(上皇と鳥羽院の仲を案じ、平氏は書かないと言い張る清盛。忠正にいざと言う時には亡き忠盛の志を守って欲しいと頼む池禅尼。)

(御所で誓書に署名した義朝。その表で通清に、この先左大臣がどのような立場になるかも知れないというのに署名したのかと聞かれ、下野守として当然の事をしたまでと答える義朝。義朝は強くなった、しかしその強さは為義を守る為のものではないのかと問い質す通清。為義と同じ道を歩く事はないと言い切る義朝。これまでと立ち去る通清。今の義朝について行けないと立ち去る正清。)

(清盛の館。息子達を前に剣を振るう清盛。そこに訪ねてきた義朝。息子達を紹介する清盛。御所に誓いの文を書きに寄った帰りだと義朝。自分は上皇を追い詰め、この世を乱す元となる文など書けないと清盛。乱れれば良い、武士の働き甲斐があると義朝。自分さえ良ければ良いのかと清盛。それでも武士の棟梁かと刀を突き付ける義朝。)

(その刀を清盛に示し、源氏重代の家督を継ぐ者の証しの友切だと言い、この太刀を手に入れる為に我が子を使って弟を殺したと義朝。義朝を殴り、なんという事をと清盛。源氏を率いるには、この友切が必要だと義朝。だからと言って身内をと義朝に掴みかかる清盛。何が上皇と法皇の仲直りか、揉めさせておけばよい、戦になればもっと良い、それこそが武士にとって無二の機会だと義朝。そんな腐った土台の上に何が築けるのかと清盛。土台はとっくに腐っている、もう元には戻らないと義朝。そんな事はないと清盛。ならば勝手にせよ、お上親子の仲直りにうつつを抜かし、一門を滅ぼすが良いと言って出て行く義朝。)

(崇徳上皇の御殿。縁に座っている上皇。そこに現れた美福門院。かつて自分の父は白河院に頼み、自分を上皇に入内させようとした事があった、それがこの様な事になろうとはと女院。黙って聞いている上皇。法皇を傷付ける人を押しのけ、帝位に就けた我が子はわずか17歳で儚くなった、無理に帝にした事が命を縮めたのかも知れないと女院。)

(法皇はもう長くはない、どうか余生に悔いを残さぬ様にと女院。)

(清盛の館。清盛を訪ねてきた信西。なぜ誓いの文を書かないと信西。返事をしない清盛。法皇は、初めは上皇の重祚すら考えていた、だがそれは世の更なる乱れの元となるかも知れないと散々迷った末に雅仁を帝に据えたのだと信西。しかし、今はそれを悔いていると清盛。つまりはそういう事だ、誰が帝位に就こうと、時はそちらに向かってうねっていると信西。そちらにとはと清盛。すなわち、天下大乱と信西。誓いの文を書くか書かないか、自分の守りたいものは何かをよく考えて決めよと信西。)

(縁で一人、信西の言葉を思い返している清盛。側に座り、義朝がすぐに帰ってしまって残念だった、優しそうな人だとと時子。優しいだとと吐き捨てる清盛。優しげな目で重盛たちを見ていた、きっと大切な奥方や子があるのだろうと時子。じっと考え込んでいる清盛。)

(7月2日。降りしきる雨の中、鳥羽院危篤の噂が飛び交います。周囲が止めるのを振り切り、鳥羽院の側に駆け込む美福門院。女院の声に、うっすらと目を開ける法皇。)

(崇徳上皇の御殿。縁で鳥羽院の写経の切れ端を拾い上げる上皇。そこには我が子と書かれていました。そこに知らされる法皇危篤の知らせ。)

(院の御所。美福門院に、そなたの人生を巻き込んで済まなかったと謝る法皇。諸大夫の娘の自分がこうして面白く生きられるのはあなたのおかげと涙する女院。)

(法皇の見舞いにやって来た崇徳上皇。ところが、警護する武士達の中に居た藤原惟方は、法皇に仇する恐れのある者は通す訳には行かないと門を開けません。自ら輿を出て、我は法皇の子だ、通せと叫ぶ上皇。子が親の死に目に会って、何の障りがあると上皇。そこに現れた清盛。清盛を見て、早く法皇の下に案内せよと命じる上皇。上皇の前に立って剣を抜き、少しばかり遅かった、自分には自分の守るべきものがあると上皇に剣を向ける清盛。聞こえてくる磬の音。それを聞いて父上とつぶやき、引き返す上皇。剣を下ろして俯く清盛。鳴り続ける磬の音。)

(鳥羽院の亡骸を菊の花で埋め尽くす美福門院。)

(雨の中、泣き崩れる上皇。その前に現れた頼長。)

(誓いの文に書かれた清盛の名を見て微笑む信西。武家の棟梁として、苦渋の決断をした清盛。)

今回は鳥羽法皇の死去とそれに伴う乱世への道筋が描かれました。概ね史実に沿った展開でしたが、鳥羽院の心情と清盛の取った行動は大きく違っていた回とも言えます。

ドラマでは近衛帝に対する呪詛は頼長が行ったものとされていましたが、当時の噂としては上皇もまたこれに絡んでいたと言われていた様です。恐らくは忠通あたりが流したものと思われますが、法皇と美福門院はこの噂を信じ、上皇を憎悪する様になったと言われます。史実では、それまでの上皇と法皇の仲はそれほど険悪なものではなく、共に熊野詣に出かけるほどの良好さは保っていました。法皇と上皇の仲が決定的に決裂するのは、近衛帝崩御の後というのが事実に近い様ですね。その意味から言えば、これまでのドラマの展開そのものが創作でああり、史実とは正反対の展開になっていると言えそうですね。

一方、鳥羽法皇が生前に北面の武士を中心に誓文を書かせたというのは史実にあるとおりで、自分の死後に乱が起こると予想していたと言われます。その誓文に清盛が署名したのも史実どおりですが、それを迷っていたという事は伝わっていません。つまりは、この部分は創作という事になりますね。前回にも書いた様に、忠盛夫妻は重仁の乳父と乳母であり、平氏は上皇方とも強い繋がりがありました。ですから、清盛の立場としては難しいものがあったと思われますが、時の権力は鳥羽院側にあり、院に忠誠を誓うのに迷いは無かったものと思われます。

また、鳥羽法皇の死去の際に、見舞いに訪れた崇徳上皇が門前払いに会ったのも史実にあるとおりで、藤原惟方が法皇からその旨を命じられたと伝えられます。ただし、この時清盛が立ち会って上皇に剣を向けたという事実はなく、これも完全な創作ですね。

源氏方で言えば、義朝の子義平が義賢を討ったのは史実にあるとおりですが、その時友切を奪い返したという事は聞かない様です。たぶん、親子の相克をより強調するための演出ではないかと思われますが、その方が確かにドラマチックではありますね。それにしても、義朝に見捨てられた為義は少し可哀想でしたね。

ドラマに戻って、清盛はあくまで前回に立てた方針を守り抜こうとし、上皇と法皇の仲を取りもとうとします。そのために中立を貫こうとしましたが、信西の言葉に時代の流れを感じ取り、平氏一門を守る為に法皇方に就く事を決意します。その決意の表れが上皇に剣を向けるという行動に出た訳ですが、かなり乱暴な演出と言えるでしょうね。いくら何でも、あの段階で上皇に臣下が剣を向けるなど、許されるはずもありませんから。それに、直前までの苦悩を払った経緯が見えにくく、唐突な感じは否めませんでした。

もう一つ、意図が見えなかったのが美福門院で、上皇に余生を誤るなと言ったのは何を意味しているのでしょう。法皇の意思を尊重して仲直りせよという意味だったのかどうか、ちょっとした謎の行動です。あるいは、挙兵をするという噂に対する釘刺しだったのかな。史実としては、上皇とは利害の相反する関係にあり、あの段階で上皇に会いに行くとは考えられないですね。法皇と共に美福門院もまた善人として描こうという脚本家の意図の表れかも知れません。

代わって、全てを引き受けたのが信西で、まるで天下大乱を望んだ張本人の様に描かれました。実際、忠通らと共に上皇と頼長の勢力を消そうと策謀したのは事実であり、保元の乱を演出した張本人ではあります。でも、その責任は生前に種を撒いた鳥羽法皇や美福門院にもあり、彼一人の仕業とするのは少し可哀想ですね。まあ、それほどの辣腕家であったのは確かなのですが。

後白河天皇については、崇徳上皇に対する憎しみを露わにし、類い希な暗主と酷評されたとおりの演出がなされました。鳥羽法皇が即位は取りやめたと叫んだのも無理なからぬところですが、これも少し可哀想な気もします。崇徳上皇との仲は即位が決まる日までは良好なものであり、一緒に暮らす仲睦まじい兄弟でした。即位後は天皇としての公的な立場に拘束され、自らの意思よりも、周囲の政治的な動きに翻弄されたというのが正直なところではないでしょうか。個人的に崇徳上皇をどう思っていたのかは、推し量る術もないというのが実情でしょう。なお、後白河帝の即位の時の悪評は、その後の政局にも大きな影を落としていく事になります。

頼長については、近衛帝崩御と共に内覧の権は無効となり、後白河帝即位の後は認められる事はありませんでした。これはドラマにあった様に、近衛帝呪詛の噂のせいであり、忠通による策謀と言われます。そして、これもドラマにあった様に、頼長自身が撒いた種でもありました。忠実の台詞のとおり、彼はやり過ぎたのですね。失脚した彼は、この後も忠通と信西によってさらに追い込まれる事になって行きます。

次週は保元の乱の前夜が描かれる様ですね。清盛の決断が見所となりそうですが、私的には池禅尼が忠正に掛けた言葉が気になる所です。史実とは少し違うのではないかとも思えるのですが、どう描かれるのか見てみたいと思います。


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2012.05.12

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~円山公園 5.4~

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知恩院から隣の円山公園へと移動しました。ここでも沢山の新緑が出迎えてくれます。

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円山公園の一番奥でも、人力車が通っているのですね。ここはおよそ100年前には西洋式ホテルがあった場所で、丁度このあたりは人力車の溜まり場だったエリアになります。100年を経て復活した人力車が走っている訳ですが、何とも不思議な感慨を覚えますね。

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この日はカキツバタはちらほら咲きでした。この花は今年は少し遅れ気味なのかも知れません。

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池の畔では、ついこの間までの桜に代わってもみじの新緑が鮮やかでした。季節の移ろいを感じる景色です。

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その新緑を透かして知恩院の三門を見てみました。深山みたいな雰囲気があって、ちょっと良い感じがしません事?

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隣の大谷本廟の山門もまた、新緑に包まれていました。こちらは常緑樹が主体です。もみじの軽やかさとは違った、味わいのある新緑だと思います。東山三十六峰を彩る色合いでもありますね。

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2012.05.11

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~知恩院 5.4~

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得浄明院を出て、知恩院へと向かいます。ここもまた、新緑の宝庫ですね。

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特に見事なのが黒門の内側で、まさに緑が溢れています。もみじや椋、それに椎などの常緑樹も混じって、様々な色合いを楽しむ事が出来ますよ。

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中でも一際鮮やかなのは、やはりもみじかな。新緑と言えば、この色合いがぴんと来ますよね。

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ここは紅葉の穴場でもあるのですが、新緑も見事です。階段を登りながら見上げる緑は、はっとするほど美しいですね。

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この日は時折小雨がぱらつく様なあいにくの天気だったのですが、つかの間の青空を見る事が出来ました。やはり新緑には青空がよく似合います。

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今の御影堂はこんな感じで、仮覆いの設置が進んでいるところですね。8年がかりという大工事ですが、巨大なクレーンなどが使用され、ものものしい雰囲気になっています。重機の無かった江戸時代にはどうやってこんな御堂を建てたのでしょうね。人海戦術だったのでしょうけど、さぞかし大変だったのだろうなあ。

工事見学などがあったら、是非見せて貰いたいです。特に忘れ傘の実物などを見る事が出来たら面白いでしょうね。

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2012.05.10

京都・洛東 戒壇めぐりと一初鑑賞会 ~得浄明院~

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知恩院近くにある得浄明院で、「戒壇めぐりと一初鑑賞会」が行われています。毎年この時期に行われている特別公開ですね。

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見所の一つがこの一初で、境内に咲き乱れる姿を鑑賞する事が出来ます。この日(5月4日)は地植えの部分で咲いていて、別に置いてあるプランターではまだ蕾が出ている程度でした。今頃はもう少し咲き揃っている頃かも知れません。

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その一方で、白の一初はほとんど咲いていませんでした。いつもはこの小さな庭で沢山咲いているのですけどね、今年は不調だった様です。

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戒壇めぐりは、本堂下に設けられた真っ暗な通路を巡り、ご本尊に繋がるという錠前を探し当てるという趣向で、善光寺如来のご利益を授かる事が出来るとされています。全くの真の闇で、壁に触れる手探りだけが頼りという状態ですが、出口の明かりが見えるとほっとし、何度やっても面白ものですね。

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今年は書家の吉川寿一氏の個展も同時開催となっています。「出会いを愛でる京都展」と銘打ち、吉川氏の作品の展示販売と、エルメスの協賛によるスカーフと書のコラボレーションの展示が行われています。また、寺の門札が新しくなっていると思ったら、これも吉川氏が揮毫したものだったのですね。氏の書道に興味のある人には、良い機会と言えると思いますよ。会期は14日の日曜日までとなっています。

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2012.05.09

京都・洛東 つつじの小道 ~祇園白川 5.4~

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平成24年5月4日の祇園白川です。この日は歩道沿いに植えられたつつじが満開になっていました。

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あまり知られていませんが、ここはつつじの花を沢山見る事が出来る、隠れた名所なのですよ。風情のある町並みと共に絵になる場所です。

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桜に続く花として植えられたのでしょうけど、見所が絶え間なく続いていく様にという地元の人の配慮が垣間見える気がします。この後は少し間を置いて紫陽花へと続いて行きます。

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桜程の集客力はありませんが、とても綺麗で私的には気に入っている光景です。むしろ静かに歩けるぶん、桜以上に素敵な小径だと思います。

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つつじは、白川のほとりにも咲いていました。水辺にもよく似合う花ですね。

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その花が咲いていたのは巽橋のすぐ側で、柳の緑ともよく映えてます。

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ここはあの悲惨な事故があった場所からすぐ近くなのですが、既に事件の痕跡はありませんでした。でも、実際に道を歩いてみるととても狭い道を猛スピードで車が走り抜けた訳で、想像しただけで怖くなりますね。

改めてになりますが、事故で犠牲になられた方のご冥福を祈ると共に、二度と恐ろしい事故が起きない様にと願うばかりです。

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2012.05.08

京都・洛北 京都新緑事情2012 ~曼殊院 5.3~

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平成24年5月3日の曼殊院です。この日は庭園のキリシマツヅジが満開・見頃になっていました。

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この寺のキリシマツツジは概ね連休中に見頃となる事が多いのですが、ピークが来る日となると毎年違っています。それが今年は3日だった訳で、一番良いタイミングで訪れる事が出来ました。

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そして、全ての株で同時に満開だったのも嬉しかったです。年によっては、株ごとに咲き方が異なる事もありましたからね。

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写真的にも、曇天だったのが幸いしました。これが晴天だと、この強烈な赤色が色飽和を起こして、まともな写真を撮るのが大変になるのです。

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また、新緑も見事でした。雪景色を撮ったのがつい昨日の事の様なのですけど、季節が大きく動いたのを実感する光景です。

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主役となるのがもみじで、この柔らかい緑色は、この木ならではのものですね。

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新緑は、寺の周囲でも綺麗でした。雲り空でも、わずかな光を透かして見る緑は、とても美しいと感じます。

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この日は、すぐに下鴨神社に向かったのでここだけでしたが、圓光寺や詩仙堂の新緑も素敵ですよ。この季節、修学院界隈は新緑探訪にはぴったりと来るエリアです。

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2012.05.07

京都・洛北 賀茂競馬2012 ~上賀茂神社~

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平成24年5月5日、上賀茂神社で行われた賀茂競馬に行ってきました。2008年に訪れて以来病み付きとなり、今年で4回目の観覧となります。

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4回目にも係わらず、まだまだ知らない部分は沢山あります。今年初めて見たのが境内外末社の藤木社へのあいさつで、乗尻と12頭の馬が社家町の外れにある社にまで往復するのですね。これは社家町の景色とあいまって、なかなか絵になる光景でしたよ。

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藤木社から帰ると、一度乗尻たちは庁ノ舎に帰ります。その後、境内への参進となるのですが、その前にも一つの儀式が行われます。それがこのならの小川を渡った場所で行われる遙拝で、馬上拝を行った後一度輪乗りをしてから一の鳥居前に進むという手順を踏みます。この儀式にどういう意味があるのか、実は良く判っていないとも聞きますね。

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馬上拝は、馬場を北から南へと進む九折南下の際にも行われます。これは馬場脇に来られている神に対する拝礼ですね。賀茂の神様もまた、この儀式を見る為に本殿から頓宮へと渡御されているのです。

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馬場を何度か行き来する三遅、巴、小振の儀が終わると、いよいよ本番です。最初の組が必ず左方が勝つ様に先行するのは足汰式の記事にも書いたとおりですが、その由来は江戸時代に遡るそうです。この馬を提供してくれるのが京都所司代だったそうで、幕府の権威を傷付けない為に、わざと勝たす事にしたのが始まりなのだとか。以来、連綿と受け継がれているのですね。

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足汰式は勝負の楓の前で観覧したので、今回はスタート地点により近い見返りの桐の前で観覧する事にしました。ここならスタートの駆け引きと加速する馬の迫力を同時に楽しめると思ったのですが、まずまずの場所でしたね。

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スタートは、乗尻が被っている冠が合った時とされています。世話役が「合うーた」と叫ぶと同時に駆け出すのですが、この時のタイミングに合わせられるかどうかで、後の結果が大きく変わってきます。

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この組では、左方が綺麗なスタートを切ったのに対し、右方は馬が入れ込みすぎてスタートが遅れてしまいました。

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右方も懸命に馬を駆けさせたのですが、この時は左方の圧勝に終わっています。如何にスタートが肝心かが判るケースですね。

他の組になりますが、動画にも撮って来たのでご覧下さい。

「合うたー」の掛け声とタイミングの取り方、その後の加速の迫力をお判り頂けたでしょうか。

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乗尻は、走り終わった後は自分の組の念人の所に行き、結果を聞く事になります。負けた場合は「お負けでござる。」と言われてすごすごと帰る事になりますが、勝った場合は「お勝ちでござる」と祝福されて、禄という白い布を貰って鞭で受け取り、頭上高く振り回す事になります。その様子も動画でご覧下さい。

この後乗尻は嬉しそうに馬から下り、労る様に馬の背を叩いて行きましたよ。

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勝った乗尻は、先程の録を肩に掛けて、頓宮へと勝利のあいさつに行く事になります。この時は引き分けだったので二人で訪れていますね。

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これらの他にも、まだまだ知らない儀式や決まり事が幾つも有る様です。それを一般人が全て知るのは至難の業の様ですね。でも、そうした儀式に彩られているという事を知っておくだけでも、この行事を見る面白さが深まると思います。

なお、この日の勝負の結果は、3勝2敗1引き分けで左方の勝ちでした。左方が勝つと豊作年となると言われており、今年は安泰の年となると良いですね。

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最後に観覧のマナーですが、今年もあまり良いとは言えませんでした。私の横はとある儀式のための通路になっていたのですが、その儀式が終わった後は空きスペースとなります。そこに大勢の人が入り込んで来て、立ったままで観覧を始めたのですよ。当然後ろの人は見えなくなりますが、そんな事はお構いなしに最後まで立ち続けていました。私には直接の被害は無かったのですが、あまりの厚かましさにちょっとあきれましたね。よく後ろの人たちが黙っていたものだと思いますが、人数が多かったので言いにくかったのかな。トラブルが起こってもおかしくないケースで、周囲への配慮が出来ない自己中心的な人を見ると本当に厭になります。また、カメラのフラッシュも最後まで無くならなかったな。ほとんど名指しで注意されていたのですけどね、効き目は無かった様です。

こういう行事に行く度に、マナー違反には厭な思いをさせられますね。取材に行く意欲も削がれてしまうのですが、それでもこの競馬にはやはり来年も行くだろうな。それだけ面白い、魅力的な行事という事です。

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2012.05.06

平清盛 第18回 「誕生、後白河帝」

(1154年(久寿元年)。容態が悪化した近衛帝。近衛帝を救わんと僧たちに読経をさせる美福門院。崇徳上皇を騙した因果が巡ってきたのではないかと悩む鳥羽法皇。)

(家成の館。心労から体調を崩した家成を見舞う清盛。清盛の手を取って、この先も法皇をよろしく頼むと家成。承知したと清盛。たくましき野良犬の声を朝廷自らが聞く様になった、感無量だと家成。5月29日、家成死去。)

(崇徳上皇に拝謁し、重仁が帝となった暁には力を貸して欲しいと頼まれる清盛。鳥羽法皇に忠義を尽くしている以上、法皇と仲の悪い人に力を貸す事など出来ないと断る清盛。そちが私に、この醜き世を面白く生きろと言ったのではないのかと上皇。)

(身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ)

(西行の歌を詠い、世捨て人の様な暮らしを強いられて待つ事13年、やっと面白く生きる機会が訪れようとしている、そちが力にならずして何とすると言って清盛の肩を揺する上皇。黙って上皇を見つめ返す清盛。)

(廊下で雅仁親王と会った清盛。一介の武士を頼るとは、上皇も落ちぶれたものだ親王。武士の役目が少しずつ変わってきたのだと清盛。ため息をついて立ち去る親王。)

(清盛の館。今、上皇に近付くのはまずいと忠正。いずれ上皇の世となるは必至と頼盛。そうなれば法皇に与する者を追い落とそうとするかもしれないと盛国。上皇に仕えて歌会に招かれたいと経盛。情けない、鍛えて差し上げると経盛を庭に引き出そうとする忠清。法皇と上皇の両方に良い顔をしておけばよろしいと時忠。忠盛の時とは随分と趣きが違う、これが清盛の率いる平氏なのだなと池禅尼。)

(皆の言い分を聞いて考えが定まった、法皇と上皇に仲良くして頂くと清盛。何を言い出す、二人の間には長年の深い溝があると忠正。その溝を埋めぬ限り、世の乱れは正せぬ、平氏はその溝を埋める為に働くと清盛。)

(鎮西。鳥羽法皇の所領を荒らして回る男。彼は鎮西総追捕使源八郎為朝と名乗り、今よりこの地の主は自分だと宣言し、強弓を放って見せます。)

(為朝の所行により、左衛門大尉の勤めを解かれた為義。彼が頼れるのはいよいよ摂関家のみとなりました。)

(頼長の命により、叡山の悪僧を捕らえた為義。百叩きにせよと命ずる頼長。自分を見忘れたか、祇園社の争いの時に力を貸してやったのはこの自分だ、この場は見逃せと鬼若。二百叩きにせよと冷たく言い放つ頼長。法皇に見放され、残忍極まりない悪左府に従うしかないとは哀れだなと為義をあざ笑う鬼若。鬼若を殴り飛ばし、帝の容態が芳しくない、近い内に頼長の世も夢ではないと為義。悪僧までが馬鹿にしおってと鬼若を打ち据える為義。)

(頼長に会いに来た忠実。聖徳太子に習い、乱を治め、世を正す政を行っていると頼長。少しばかり度か過ぎないかと忠実。不埒な者を処罰するのは、摂関家が要となってよき国作りをするためだと頼長。それはわかる、しかしと言いかける忠実。自分の政が判らない愚人に貸す耳は無い、今度要らぬ口出しをすれば父とて容赦はしないと頼長。)

(出産ならぬまま、内裏に帰った呈子。)

(跡継ぎもなく、帝が儚くなってしまったら如何にもまずいと忠通。重仁が帝となり、その父である上皇の世となるというのがその理由でした。それは困るだろう、上皇は忠通や美福門院を恨んでいるからと信西。なんとかならぬのかと忠通。すぐにも帝が儚くなってしまう様な物言いは、如何にも不謹慎と言って立ち去る信西。)

(信西の館。戻った信西を慌ただしく出迎える朝子。雅仁親王が来ているのでした。)

(雅仁の用事とは、上皇の側は息が詰まる、青墓の宿に行きたいので供として朝子を借りるというものでした。驚く信西。青墓は芸事の盛んな土地なのだと朝子。今がどういう時かよく考えよと信西。自分には関わりのない事と雅仁。)

(御所。目が見えぬと這い回り、もう世を治める事はできないのかと叫ぶ近衛帝。)

(もっと僧を集め、目を治す薬師を捜して来いと美福門院。祈祷のための護摩壇を作らせて来たと義朝。早く運び込めと美福門院。)

(僧侶達と祈祷に励む美福門院。)

(鳥羽法皇に拝謁し、上皇を白河院の呪縛から解き放って欲しいと言上する清盛。それは何とすると法皇。これまでの事を上皇に詫びる事だと清盛。今更、あまりに虫が良すぎるのではないかと法皇。自分もまた忠盛の実の子ではなかった、しかし今は平氏の棟梁となっている、それはそれぞれが抱えるわだかまりと向き合い、嵐を乗り越えてきたからこそと清盛。逡巡する法皇。すれ違った心を引き合わせるのは今しかない、そして法皇自身がそれを望んでいるはずと清盛。じっと考え込む法皇。)

(青墓の宿。芸人達で賑わう町。町中で輿から下ろせと命ずる雅仁。雅仁の周囲に集まり、踊り出す芸人達。機嫌良く笑う雅仁。)

(どこからか聞こえてくる「遊びをせんとや」の今様。その声の主を訪ねていくと、そこには乙前と名を改めた祇園女御が居ました。もう一度歌ってくれと頼む雅仁。なりませぬと立ち去ろうとする乙前。頼むと強引に引き止める雅仁。)

(そなたは何者かと問う雅仁。ただの白拍子ですと乙前。京に来て私の今様の師となってくれと頼む雅仁。そればかりはと断る乙前。暮らしの事は心配せずとも良いと雅仁。都は今、何かと騒がしいと聞いている、老いの身には堪えると乙前。さようかと残念そうな雅仁。)

(「遊びをせんとや」と歌い始める雅仁。この歌の様に軽やかに世を生きている男が居る、法皇や上皇ですらその男を頼っていると言って笑い出す雅仁。それに比べて私はどうだ、声を涸らして歌っても誰も自分を見てくれない、生まれて来なくても何の障りもなかった者だと泣き出す雅仁。声を涸らして歌うのは、身の内に正体の知れぬ力がみなぎっているからでしょうと乙前。いつかきっとそれがあふれ出てくる、それは世を大いに動かすものでしょうと乙前。まことかと雅仁。うなずく乙前。まことかと言って、乙前の膝で眠る雅仁。)

(久寿2年7月23日。近衛帝崩御。)

(御所に参内すると清盛。誰に味方すべきか、武士も公卿も戦々恐々としているはずと盛国。一門には静まっている様に命じよ、これは争いの始まりではなく、法皇と上皇が歩み寄るべき良い機会なのだと清盛。)

(数日前に妻を亡くし、喪に服している頼長。そこにもたらされた帝崩御の知らせ。)

(急ぎ参内した頼長。しかし、服喪中の参内は差し障りありと止められてしまいます。理に叶っていると引き下がる頼長。頼長の参内を止めたのは信西でした。)

(重仁にいよいよだと声を掛ける崇徳上皇。)

(法皇の御前会議。重仁を次の帝にと推す声に、それは危うい、上皇に実権が移れば法皇にどんな仕返しをするか判らないと忠通。彼は仁和寺に入っている守仁を推します。守仁の父は雅仁、父を差し置いて子が即位されるなど前例がないと反対する信西。では姉の暲子で良いのではないかと雅定。やはり重仁でよいのではないかと別の声。話が戻っていると信西。)

(参内してきた清盛。彼は雅仁を見かけ、おくやみを言いに参内してきたと告げます。あれほど母君に望まれ、慈しまれてきた弟が、あんなにも早くはかなくなるとはと雅仁。人は生まれ出ずる事がばくちだと雅仁。雅仁を見上げる清盛。だが、と御簾を引き落とし、生まれてこなければ勝つも負けるもない、それでは面白くないと雅仁。)

(法皇様の考えはと促され、重仁を即位させると言って立ち上がる法皇。いっそ上皇を再び即位させても良いと考えているとも言う法皇。驚く忠通と信西。今こそ上皇に詫びたいのだと法皇。心より詫び、共に政を行って行きたい、それこそ朕の勤めだと法皇。)

(遊びをせんとやと歌い出す雅仁。)

(法皇のお心は身に浸みた、しかし、いささか考えが甘いと信西。きっと信西を見る法皇。今更詫びたところで上皇が法皇を許すはずもなく、法皇に付く者、上皇に付く者と国が大きく割れると信西。ここは法皇が自在に操れる者を帝の座に就けるべき、さもなくば天下大乱となるは必定と訴える信西。黙って出て行こうとする法皇。そこに現れて、私からもお願いすると美福門院。)

(その歌は何でございますかと雅仁に問う清盛。それはいつか海賊船で耳に甦った歌、それが無ければ生きていられなかったかもしれないと清盛。涙を流し、そなたもかと雅仁。そのまま出て行く雅仁。)

(翌朝、卒倒した上皇。呆然と座る法皇。)

(久寿2年7月24日。雅仁親王即位。後白河帝が誕生したのでした。)

今回は後白河帝の誕生が描かれました。史実に沿っていたかは別として、ドラマチックで面白い展開でしたよね。自らも帝の候補とは思っていなかった雅仁が玉座に着いたシーンは劇的ですらありました。

史実との関係としては、清盛が関与した事、法皇が上皇に歩み寄ろうとした事を除けば、ほぼそのままに描かれていたと思います。嫡流という事から言えば重仁が最も相応しいと考えられていたのですが、崇徳上皇と利害関係にある忠通と美福門院は守仁を候補にと推し、鳥羽法皇もまた叔父子と疑う崇徳上皇の子が帝の座に就けば、自分の血統は途絶えてしまうと苦慮していたのですね。しかし、守仁が即位するには、雅仁という障害がありました。信西が言っていた様に、父を差し置いて子が即位するという前例が無かったのです。

雅仁に関して言えば、ほとんど全ての人が帝の器にあらずと考えていました。乙前や神崎の白拍子たちを身辺に集めて今様に狂っていた彼は、朝廷の中では誰にも相手にされていなかったのですね。乳父である信西ですら、古今に比類無き暗主と言って憚らなかったと言われます。しかし、その雅仁を推したのは、他ならぬ信西でした。彼は忠通らの推す守仁の即位を前提とした上で、中継ぎとして父の雅仁を即位させる事を進言したのです。重仁を即位させるくらいならと法皇もまたこれに同意し、後白河帝の誕生となったのですね。まさに大どんでん返しが実現したのでした。

また、頼長が服喪のためにこの決定に参加出来なかったのも史実にあるとおりですが、それ以前に苛政が災いして反頼長の勢力が結成されており、意図的に彼の参内を阻んだとも言われています。

なお、清盛が法皇と上皇の間を取り持とうとした事実はなく、平家一門は時忠の言っていた様に両方に良い顔を見せていました。つまり、従来通り鳥羽法皇に忠誠を誓うと共に、忠盛と宗子が重仁親王の乳父、乳母となっていたのですね。常に多方面との関係を保ち、世の中がどう転んでも生き残れる様にという配慮は、忠盛の代から施されていたのでした。

ドラマに戻って、清盛はやっと主人公らしい主体的な行動を見せます。ただ、政治力学とはほど遠い情緒的なもので、説得力は無いに等しい考えでしたが、まっとうな意見ではありました。また、雅仁親王の苦悩ぶりもまた、見応えがありましたね。そなたもかという台詞は謎でしたが、異色の帝王の片鱗は見せてくれたと思います。

信西もまた、清盛とは対照的な政治力を見せてくれました。彼の黒幕ぶりは、今後の見所だと思われます。一方の頼長は、独りよがりが目立ち、急に影が薄くなりましたね。史実に沿っているとは言え、少し寂しい気がします。

なお、乙前という人物は実在しており、後白河帝の今様の師匠だったと言われ、青墓に縁があったというのも事実の様です。ただし、祇園女御が乙前となったという史実は無く、ドラマにおける創作ですね。また、雅仁親王が青墓に行ったというのも創作でしょう。

次週はいよいよ保元の乱への序章が描かれる様です。大きな時代のうねりをどう描くのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.05.05

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~八坂神社 5.4~

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平成24年5月4日の八坂神社です。この日は境内が新緑で溢れていました。

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境内のそこかしこに鯉のぼりがあるのは、端午祭があるからなのですね。今日はボーイスカウトが参拝者に短冊を配り、受け取った人は願い事を書いて舞殿に奉納するという行事が行われていたはずです。

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それにしても可愛らしい鯉のぼりで、これもボーイスカウトが奉納したものだそうですね。

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以前は行われていなかったはずで、近年になって始まったものなのでしょう。端午の節句の行事は有る様で意外と少なく、結構貴重なイベントと言えるかも知れません。

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八坂神社で一番緑が深いのは、北側のこの通路でしょうか。サスペンスドラマなどで良く出て来ますが、この時期も素敵な風情で溢れている小道ですよ。

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2012.05.04

京都・洛北 流鏑馬神事2012 ~下鴨神社~

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大型年休後半の初日は、下鴨神社の流鏑馬神事に行ってきました。これは葵祭の前儀の一つとして行われている行事の一つです。

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流鏑馬の歴史は古く、記録としては雄略天皇即位の年(457年)に行われたとあるそうですね。平安時代の初期に編纂された続日本紀には、賀茂祭で流鏑馬が行われていた事が記されているそうで、千年以上の歴史を有している事になります。

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大河ドラマ「平清盛」でも流鏑馬のシーンがありましたが、実際に清盛がこの流鏑馬を下鴨神社に奉納したという記録があるそうです。本当に悠久の歴史を感じてしまいますね。ただ、1502年に一度途絶えており、復活したのは昭和48年(1973年)になってからなのだとか。今は保存会の手によってこの行事が行われています。

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騎射をする人は全国から来られていて、特に関東から参加している人が多かったです。このあたり、やはり鎌倉武士の伝統が残っているのでしょうか。

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この日は3つの的を全て射抜く「皆中」の人が3人出ました。見ていて凄い早業で、素晴らしいの一言です。

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私が見ていたのは、参道横に作られた観覧席で、上から見下ろす事になります。着いたのが拝観券配布開始の30分程前で、空いている席が限られていたという理由もありますが、下手に馬場脇の後列に座るよりは余程ましと思ったからでした。

結果としては、いまいちでしたね。通路に脚立を立てる人が多くて、視界を遮られる事がしばしばあったからですが、写真を撮るどころか的が見えなくなる事も多かったです。下賀茂神社もあの席を有料(2千円です)にするのなら、脚立を禁止にしてくれないと割に合わないですね。それに通路の前の方で脚立を立てている人も居て、周囲から相当に迷惑がられていたのではないかな。ああいう混雑する行事の場では、脚立の使用は止めて欲しいです。

ちゃんとした写真を撮るなら最前列に行くしか無く、その為には3時間以上前から並ばないと無理みたいですね。来年どうするかは、考慮中という事にしておきます。

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2012.05.03

京都・洛中 一初2012 ~御霊神社 4.29~

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平成24年4月29日の御霊神社です。この日は境内南側にある堀で、一初が見頃を迎えていました。

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咲いていたのは一番花で、花殻も無くすっきりとした満開でしたよ。

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堀の長さは、南門を挟んで100m程かな。そこをびっしりと一初が埋めているのですから、なかなかの光景です。

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こちらは楼門の西側の堀です。これから2番花、3番花と咲いていきますので、もう暫くは見頃が続くと思われます。一初を見たいと思っている人には一押しの場所ですよ。

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2012.05.02

京都・洛北 競馬会足汰式2012 ~上賀茂神社~

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5月1日はお休みをもらって、上賀茂神社の競馬会足汰式に行って来ました。足汰式とは5日の本番に先立って行われる予選会のようなものです。

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競馬(くらべうま)と言っても単純に馬が走るだけではありません。そこは900年以上の歴史を持つ神事ですから、決まり事や約束事が数多くあります。例えばこれは走る前に馬の歯を見て、年齢と健康状態を診ているところです。このあと馬場に向かうのですが、途中で必ず芝生の角を踏むなど、細かいところまで作法が決められているのだそうです。

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こちらは、競馬の乗尻にだけに許される下馬しないでの遙拝で、馬上拝と呼ばれる仕草です。二の鳥居を通る度に行われ、あぶみを外して鞭を顔前にかざし、神に祈りを捧げるのですね。

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足汰式は、乗尻の技量と馬の能力を見るための儀式で、まず12頭の馬が単騎で馬場を疾走します。この様子を見て採点が行われ、上上から下下まで9ランクに分けられます。そして、本番での技量に見合った組み合わせを決めるのですね。

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単騎での試走が終われば、今度は本番どおりの試走が行われます。最初の組では左方が先行するのも本番どおりですね。この鞭を後方に指し示す動作は一番馬独得のもので、右方の乗尻を付いてこいと挑発している姿です。

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そして、先着した左方の馬が、埒から身体を半分出した時が右方の馬のスタートの合図となります。これも挑発的な行為ですね。

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挑発された右方は、鞭を前方に差し出して、猛烈な勢いで駆けていきます。出来レースではありますが、負けてたまるかという意気込みを示しているのでしょうね。

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2組目からはガチの勝負となります。この日は勝負の楓の前に居たのでスタートの様子は良く見えなかったのですが、馬の顔が合った瞬間がスタートのタイミングとなります。そこからはひたすら馬を疾駆させるのですが、迫力は満点ですよ。

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勝負が終わったら、御所舎の前に行って報告をします。そこから下がる時も袈裟乗りという作法があるそうですよ。

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最後の締めは庁ノ舎での乾杯となります。これ以外にもならの小川で馬の脚を清めたりなど、作法はいくつもある様ですね。

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この日は神馬の神山号も神馬舎に出ていたのですが、沢山の馬が居たせいで興奮したのでしょうか、あまりに暴れるので途中退場となりました。普段はおとなしい馬なのですけどね、仲間が走っているのに刺激されたのでしょうか。

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連休とはいえ、さすがに平日だったせいか人出は少なめでした。有料観覧席は、最前列がやっと埋まった程度でしたからね。ただし、昨年まで出来ていた埒ぎりぎりに立っての撮影は出来ませんでした。席のない西側のスペースは、プレス専用になっていたのですよ。その点は少し残念だったな。

次は5月5日の本番ですね。これも毎年観覧しているので、今年もまた行って来ようかなと思っているところです。

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2012.05.01

京都・洛東 京都新緑事情2012 ~真如堂 4.29~

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連休2日目は、新緑を求めて真如堂へ行ってきました。ここは紅葉の名所として知られますが、つまりは新緑の名所でもあるという事ですね。

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境内は楓樹が多いですから、どこに行っても新緑で溢れています。連休中でも人は少ないですし、気持ちの良い散歩が出来ますよ。

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新緑には初夏の日差しが似合いますね。木陰で木漏れ日を浴びていると、とても爽やかな気分になる事が出来ます。

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本堂裏手は、少し鬱蒼とした感じかな。これはこれで落ち着いた風情があるとも言え、静けさに浸るにはもってこいの場所ですね。

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ハナノキは花の時期が終わって、やはり新緑に変わっています。もみじとはまた違う味わいのある緑ですね。

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今年は吉祥院の前がれんげ畑になっていました。ご住職の苦沙彌和尚が種を撒かれた様ですね。いつも様々な演出をして下さるので、真如堂を訪れるのが楽しくなります。

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このシャガもまた苦沙彌和尚が植えられたものですね。境内のあちこちにあり、見頃を迎えていました。初夏の真如堂は、見所が沢山ある素敵な場所ですよ。

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