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2012.04.15

平清盛 第15回 「嵐の中の一門」

(馬から落ちて亡くなった家盛。)

(家盛の亡骸に縋って泣き崩れる宗子。駆けつけた清盛に、家盛に触るなと宗子。お前が平家に災いを持ち込んだ、お前が死ねば良かったのだと清盛に言う忠正。)

(清盛の館。土砂降りの雨。秀子は親元に戻ると時子に告げる盛国。雨の中、屋根に登っている清盛。驚く時子と盛国。やる事がいちいち仰々しいと頼盛。)

(落馬の寸前、家盛は兄上とつぶやいたと頼盛。清盛に向かって、あなたが苦手だ、代わりに死ねば良かったとまでは思わないが、家盛はただ一人、父と母を同じくする心やすい兄だったと頼盛。)

(鳥羽院御所。改めて院に対する忠義を誓う忠盛。その忠盛に高野山の大塔の修復を命ずる鳥羽院。清盛を名代にと願い出る忠盛。)

(7月9日、大塔造営の事始めが行われ、その代官として臨んだ清盛。そこに現れた一人の僧。怪しい奴と殺気立つ郎党。私だと笠を取ったのは、西行となった教清でした。)

(西行の僧坊。いつからここにと清盛。つい先頃まで陸奥に行っていたと西行。)

(とりわきて 心は凍みて冴えぞわたる 衣川見に来たる今日しも)

(衣川が見たくて陸奥にまで行ったが、心まで凍る寒さだったと西行。何をやっているのだ、いつまでも変わらない奴と清盛。)

(競う様に西行を訪ねてきた大勢の女達。彼女たちは、西行に食べ物を持って来たのでした。相変わらず女性に人気のある様子を見てあきれる清盛。)

(清盛の館。家盛が死んだのは清盛のせいだともっぱらの噂だと時子に告げる時忠。つまらぬ事をと時子。あれのどこが光る君かと時忠。思っていたのとは違って、誰よりも寂しく、人恋しい人、私は側を離れないと時子。)

(忠盛の館。蔵の物は要るだけ清盛に与えよ、大工も仏師も極上の者を使えと家貞に命ずる忠盛。)

(この期に及んで清盛を名代とするとはと忠正。張り詰めてきたものがぷつりと切れてしまって、忠盛は大丈夫だろうかと家貞。)

(1150年(久安6年)1月4日、近衛帝元服。数日後、入内した頼長の養女、多子。これを警戒して、自分の養女、呈子を入内させようと動き出した忠通。)

(忠通に向かって、頼長に摂政の座を譲れと迫る忠実。話はこれまでと断る忠通。対立を深める摂関家の兄弟。)

(今様を歌う雅仁親王。彼は今、崇徳上皇と共に暮らしていました。そなたは帝となりたいと思った事はないのかと上皇。まるでない、帝になっては一日歌っている事など出来ないと親王。いっそ、そなたほど潔ければと上皇。)

(清盛の館。清盛に、当代きっての絵師と常明を紹介する信西。常明に、高野山に奉納する曼荼羅を画いて欲しいと依頼する清盛。身命を賭してと常明。信西に礼を言う清盛。雅仁が常明の絵を好きなので見知っていたのだと信西。今日は家盛の一周忌だから、供養のために正倉院に愛用の品々を納めると清盛。)

(忠盛の館。忠盛に、これも納めて欲しいと鹿の角を差し出し、この志のために家盛は死んだのだからと宗子。それで気が済むのならと忠盛。角を床に叩き付けて泣き崩れる宗子。呆然と見つめる清盛。角を床に叩き付けて砕く宗子。黙って見つめている忠盛。)

(泣きながら忠盛を叩く宗子。何事かと集まってくる忠正たち。砕けた角を見つめる清盛。)

(夜、清盛の館。清盛を訪ねてきた西行。時子を紹介する盛国。どうしたと聞く清盛。宝塔再建の勧進のために山を下りてきたと西行。済まぬが、自分には宝塔再建の役目は務まらないと清盛。どうしましたと西行。一門は酷い嵐の中に居る、その元は自分だと清盛。家盛の亡骸に触れる事も許されず、代わりに死ねば良かったとまで言われて、どうして大役が務まろうかと言いながら、大塔の完成図をたき火の中にくべる清盛。)

(身も心も凍る衣川で、一心に川を見つめ続けていた、それは美しきものが潜んでいたからに違いないと西行。美しきもの?と清盛。今は嵐の中で一心に大塔再建に努められよ、そうすれば風雪を堪え忍んだ者だけが見られる美しきものが見つかる、嵐の中の一門のため、余所者にしかできない事がきっとあるはずと西行。)

(西行の言に従い、大塔再建の仕事に打ち込む清盛。)

(義朝の館。頼長警護のために義朝を誘いに来た為義。太刀を手に出て行こうとする義朝。それを咎める為義。かつて忠実に唆され、忠盛を闇討ちにしようとした事を忘れたのか、あんな目に遭っておきながら摂関家に従う父の気持ちが判らないと義朝。背を向けて出て行く義朝。)

(都大路。常磐とその父が騒いでいます。そこに通りかかった義朝。訳を聞けば、忠通が間もなく入内する呈子の雑仕女とするため、都中から見目麗しき女を集めよという命が下ったのでした。病の母を捨てては行けないと常磐。呈子に仕える事が出来るのなら父の暮らしぶりも良くなる、そうすれば母の病も癒えるはず、親の役に立つ事は何より嬉しいだろうと常磐に説く義朝。)

(都中から集められた千人の女の中から、随一の美女として選ばれた常磐。内裏の一室で瞬く間に宮中の女に仕立てられて行く常磐。)

(美女たちを従えて華やかに入内した呈子。)

(院の御所。院号宣下を受けて美福門院となった得子。美福門院に拝謁する忠盛。大塔が完成した暁には、忠盛を公卿とするよう口添えをすると美福門院。ありがたきお言葉と忠盛。)

(廊下で、家貞にあと一息だと忠盛。廊下の先に頼長を見つけて跪く忠盛。)

(美福門院の覚え目出度い様だなと頼長。身に余る光栄と忠盛。家盛が落命してから1年かと頼長。一周忌の供養を済ませたばかりだと忠盛。私も残念だ、優れた男と目を掛けていたのだがと頼長。有り難きお言葉と忠盛。身の程を弁えぬ野心を持つ者は、苦しみ抜いて死ぬという事だと頼長。ぎょっとする忠盛。)

(知らず知らず、生まれ怪しき兄への鬱屈が溜まっていたのであろう、家盛こそが跡継ぎに相応しいと少しばかり煽ってやったら、何もかも差し出しおったと頼長。はっとして頼長を見る忠盛。つまるところ平氏の足並みを乱したに過ぎないと気が付いたが、今更後には引けない、死ぬまで自分に与するしかないと悩んでいたのであろうと頼長。返す返すも残念だ、自分と家盛は何もかも結ばれた仲だったのだからと頼長。かっとして立ち上がる忠盛。)

(薄笑いを浮かべながら随人の手を取り、もう死んだ人間の話だと頼長。忠盛に向かって、自分が父ならあっぱれな事と褒めてやる、さすが武士の子、見事なる犬死にだと言い捨てて去る頼長。怒りで震える忠盛。)

(清盛の館。曼荼羅を画く常明。弟への供養のために筆を入れてはと清盛を誘う常明。清盛が絵に筆を入れようとした時、忠盛が現れます。今すぐ止めよと命ずる忠盛。いぶかる清盛。もう財をなげうって、このようなものを寄進しなくてもよいと忠盛。)

(家盛を殺したのは自分だと忠盛。清盛が居たからこそ、この世を変える為に鬼にも蛇にもなれた、一門の者にも家盛にも無理を強いた、いつか志が遂げられれば全てが報われると信じてきた。だが家盛は断じて報われない、武士は己の分を弁えて生きていればよいのだと忠盛。)

(話はそれだけか、ならぱ帰って欲しいと言って絵に向かう清盛。止めよと言っているのが判らないのかと清盛を突き飛ばす忠盛。再び絵に向かう清盛。言う事が聞けないのかと清盛を叩き付ける忠盛。血を流しながら、自分は家盛の兄だと言って絵に向かって這う清盛。)

(流れる血を筆に含ませて、仏を描く清盛。それを見つめる忠盛。清盛に手を合わせる常明。絵を描き上げて仰向けに倒れる清盛。涙する忠盛。倒れている清盛を見て駆け寄る時子。)

(時子に続いて現れた宗子、忠正、頼盛。清盛の書き上げた仏の絵を見つめる宗子。そして、家盛が兄によろしくと言っていると清盛に告げる宗子。涙する清盛。微笑む宗子。微笑む清盛。嵐を乗り越えた平氏一門。)

(為義の館。郎党に号令を下す為義。)

今回は家盛の死と、それに伴う平氏一門の動揺が描かれました。かなり創作色が強い回ではありましたが、史実に沿った動きもいくつかあります。

まずは、清盛紀行にもあった様に、高野山の大塔の再建を平家が請け負った事ですね。この事が清盛の出世に大きく寄与する事は紀行にあったとおりですが、その出世を予言した老僧はドラマにも出て来るのでしょうかね。また、これも紀行にあった様に、清盛が奉納する曼荼羅図に自らの血で筆を入れたと平家物語にはあり、それを上手くドラマに取り入れていました。もっとも、忠盛に殴られて血を流した訳ではなく、自ら首の血を抜いて宝冠を描いたと物語には書かれています。

次に、西行が高野山に住んだ事も、その前に陸奥にまで旅をして来た事も史実のとおりですね。彼が陸奥にまで行ったのは能因法師という和歌の先達の跡を偲んでの事と言われ、風雅探訪の旅だったとされます。また、奥州藤原家とは縁戚の関係にあり、その縁もあった様です。その後は長く高野山に住みながら、都へも足繁く出入りするという生活を送る事になって行きます。その事もドラマに生かされていますね。

そして、近衛帝を巡って、多子と呈子を相次いで入内させた事も史実にあるとおりです。結果として藤原摂関家が二つに分かれるのですが、そのあたりの描き方が分かり難かったのではないかしらん。確かに史実においても忠実と頼長が仲が良く、忠通に摂政の座を譲れと迫っているのですが、突然過ぎてドラマを見ているだけでは何の事やらと混乱したのではないかな。判りやすく言えば、出来の良い頼長に忠実は摂関家復活の望みを託し、今ひとつ冴えないように見える忠通に代わって摂関家の長に据えようとしたのですね。その事を巡って対立が深まって行くのですが、説明が足りてない様に思えます。

また、常磐が呈子の雑仕女として千人の美女の中から選ばれたというのは、史実がどうかはともかくとして、物語としては伝わっている事ですね。この後、義朝と関係が出来ていく訳ですが、そのあたりどう描くのか、楽しみにしているところです。

わずかに触れられている所では、雅仁親王と崇徳上皇が一緒に暮らしていた事も史実にあるとおりで、後に対立関係になる二人も、この頃には仲睦まじい兄弟だったと言われます。また、雅仁親王が今様をどうしても止められなかったというのも史実に沿っていますね。

ドラマに沿っては、頼長が見事な悪役振りを示してくれました。何もあんな事を言わなくてもと思いますが、まさしくはまり役でもあります。また、それに対する忠盛の演出も良い出来でした。押さえていた親としての激情をぶちまける忠盛が、実感を持って迫ってきました。中井貴一はやはり上手いですね。それに対する清盛の反応も見事で、初めて主役らしい演技を見せて呉れたのではないかしらん。

今回の出来事で、やっと清盛出生から引きずっていたわだかまりが一掃され、清盛が跡継ぎとしての自覚と役割を担うという地ならしが出来たという事になるのでしょう。ここからの新生清盛が楽しみですね。ただし、忠正と頼盛が清盛とは一線を引いたままという図式は変わりはなさそうで、ここは史実に沿った描き方になりそうです。

次回は忠盛が亡くなりそうですね。ドラマの基調を支えていた忠盛が居なくなって大丈夫かと思ってしまいますが、そこは清盛の成長に期待するのが正しいのでしょう。次回はさらに主役らしくなった清盛の姿を見てみたいものです。

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