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2012.04.01

平清盛 第13回 「祇園闘乱事件」

(1147年(久安3年)6月15日、祇園社。一門繁栄祈願の為の田楽奉納に訪れた清盛とその郎党達。そこに社人たちが現れ、清盛たちが武器を携えている事に難色を示します。警護のためだと答える盛国。田楽の奉納に弓、太刀は要らないと社人。社人にどけと言って出て来る兔丸。その社人は兔丸の幼なじみの金覚と銀覚でした。親の仇であるはずの忠盛の息子に仕えている事を揶揄された兔丸は、銀覚に頭突きを食らわします。血を流して倒れた銀覚。神域を血で穢されたと怒り、撃ち掛かる社人達。応戦する郎党達。乱闘を止めようとする清盛。)

(清盛一統に厳罰を求めて鳥羽院に訴え出た明雲。数日の内に詮議し、処断すると答える院。)

(すぐに盛国たちを検非違使に差し出せと忠盛。)

(一条二坊右獄の牢に入れられた盛国達。すぐに出してやると清盛。もうすぐ子が生まれる北の方を気遣えと盛国。)

(盛国たちを差し出しただけでは収まらず、強訴に及んだ延暦寺。彼らの求めるところは忠盛と清盛の流罪でした。)

(源氏に鎮圧を命じられた鳥羽院。)

(神輿を盾に推し通ろうとする法師達。神輿を避けて矢を射る源氏の武者達。その時、一本の矢が神輿に命中します。驚いて腰を抜かす鬼若。矢を射たのは清盛でした。かつて藤原師通が神輿に矢を射て急死して以来、神罰を恐れて神輿に矢を向ける者は誰も居なかったのです。)

(神輿に矢で射た事について揉める平家一門。たまたまではなく、狙って射たのだと清盛。神輿などただの箱、神など宿っていないと清盛。おののく郎党たち。お前は災いの種だと忠正。わざと射ったと知れては、流罪をまぬがれないと家貞。清盛を殴る忠盛。そして、宗子に蟄居の準備を命じます。)

(検非違使庁の一室に案内された忠盛と清盛。忠盛に謝る清盛。加茂川の水、双六の賽、山法師を天下の三不如意と白河院は言ったと忠盛。つまり、山法師は平家の力ではどうしようもないものだと忠盛。)

(6月30日、延暦寺。清盛に懲らしめをと呪詛する明雲。)

(院御所。清盛と忠盛の流罪を主張する頼長。事の始まりは祇園社の言い掛かりにあり、流罪は厳しすぎると忠通。平氏の武力は世に欠かせぬものと家成。そうなった事が間違いの元、白河院が敷いた誤った道筋を今こそ正すべきだと頼長。信西に意見を求める鳥羽院。さすがは頼長、しかし、賛同はしかねると信西。誤った道でもここまで続いてきた、それを無しにするなど治天の君がするべき事ではないというのが彼の意見でした。)

(父の師通を亡くした忠実は、誰よりも神罰の恐ろしさを知る故、鳥羽院の世は長くないと言います。ここで清盛をかばい立てすれば災いが及ぶ、親子共々流罪にせよと忠実。)

(廊下。信西に向かって、なぜ我が意に逆らう事を言ったと問う頼長。すべて真の事、自分が目指すのは新しき政による新しき国作り、藤原摂関家による古い政治ではないと信西。なんとしても流罪にしてやると頼長。)

(再び強訴を行う動きを見せる延暦寺の大衆。)

(比叡山の麓を固める源氏の武者達。平家が没落すれば我らの利、しかし、ここは強訴を阻んで源氏の武が平氏に劣らぬところを見せつけるのだと為義。)

(忠盛の館。検非違使庁で謹慎する忠盛の下に着替えなど差し入れを用意する宗子。その準備の途中で、忠盛の鹿の角を見つけます。何事も無かったかの様に元に戻す宗子。)

(検非違使庁。忠盛に詮議が揉めている様子と知らせる家貞。時子からの清盛への差し入れは双六盤でした。何と気が利かぬち怒る清盛。)

(清盛の館。旺盛な食欲を見せる時子。その時、急に産気づきます。)

(先日の詫びを言いに来た忠正。しかし、手が足りないと相手にされません。)

(淸太と清次相手に竹馬を作る忠正。喜ぶ清次。元気の無い清太。彼は時子が子を産めば、自分の子ばかりを可愛がるのではないかと気にしていたのでした。そんな事はない、生まれてくる子をうんと可愛がってやれと忠正。)

(検非違使庁。双六に興じる忠盛と清盛。何故自分を引き取ったのか、いつか平氏に災いする日が来ると思わなかったのと清盛。白河院にたった一人で立ち向かった強い母だったとその最期の様子を語る忠盛。そして、舞子から生まれた清盛が、迷信のごときものに立ち向かう時が来るのを待っていたと忠盛。そして、清盛に向かって平氏にもこれから咲きの世にもなくてはならぬ男だと言う忠盛。)

(院御所。兔丸が海賊の棟梁であった事を暴露する頼長。海賊を役立つ者として取り立てるなど、清盛の才覚の表れだと信西。詭弁だと頼長。)

(鬼若に、強訴の場で見た事を言えと頼長。清盛が神輿を狙って矢を射たのを見たと鬼若。わざと神の宿る神輿に矢を射立てるとは、もはや無法者と言うしかなく、都から放逐されるべき男だと頼長。たった一本の矢に国中がかき乱されている、それは清盛が世になくてはならぬ男と言う事と信西。おってはならぬ男だと頼長。)

(庭を見ている法皇。何を迷っている、平氏なくしては法皇の世は続かないと得子。白河院のお胤と言われる清盛が騒ぎをお越し、自分わ追い詰める、未だに白河院が世を治めている様な気さえする、忠盛親子を救う事は白河院の血に操られている気がするのだと法皇。)

(検非違使庁。賽子を手に柱にもたれている清盛。黙って座っている忠盛。そこに現れた鳥羽法皇。ひれ伏す二人。清盛に向かって、神輿を射たのはわざとかと問う法皇。わざとだと清盛。両手を広げて、神輿を射た時の孤独自分を射てみよと法皇。立ち上がり、矢を射る仕草を取る清盛。そして、ねらい澄ました様に射る真似をします。射られたがごとくみぞおちを押さえ、我が身に巣くう白河院の血が吹き出ていると笑う法皇。)

(清盛に向かって、そちこそが神輿に放たれた矢そのもの、白河院と自分が乱しに乱した世に報いられた一本の矢だと鳥羽法皇。)

(清盛の館。清太と清次を見ている忠正の下に、忠盛と清盛は流罪をまぬがれ、銅30斤の償いで済んだと知らせた忠清。軽く済んだ事にほっとする忠正。その時、聞こえてくる産声。)

(院御所。裁きを聞き、嬉しそうに一礼して立ち去る信西。怒りを堪えている頼長。)

(忠盛の館。浮かぬ顔の宗子に訳を聞く家貞。鹿の角を取り出し、忠盛は前の奥方が大事なのだろう、それ故に清盛を大事にするのだと宗子。それを廊下で聞いている家盛。)

(清盛の館。生まれたばかりの清三郎を抱く時子。早く抱かせよと清盛。生まれてきた時に蟄居させられていたどうしようもない父だと時子。もしも帰ってこなかったらと怖かったのだと時子。自分はどこにも行かぬ、自分にはこの京において勤めがある、平氏の子としてと清盛。そこに訪ねてきた家盛。)

(此度はすまなかったと清盛。もはや兄を嫡男とは思えなくなったと家盛。そして、これからは自分が一門を率いていくと宣言する家盛。)

今回は祇園闘乱事件が描かれました。大筋としては史実に沿っていましたが、いくつか創作も入っています。元々創作の兔丸はともかくとして、清盛が神輿に矢を射たという事、後の弁慶である鬼若が絡んでいたという事、清盛の処分を巡って頼長と信西が対立したという事、清盛と忠盛が検非違使庁で蟄居した事などはすべて創作です。特に、清盛が矢を射たという設定は新平家物語に見える事で、この小説から拝借したものなのでしょうね。それにしても唐突過ぎて、なぜあの場に事件の当事者たる清盛が居たのか理解不能です。それたけでも命令違反で、処罰ものなんじゃないのかしらん?

もっと違和感があったのは、ドラマではまだ何もしていないのに等しい清盛が、何やら大物の様に扱われていた事で、鳥羽院が間違った世を正す矢だと叫んだのは如何にも不自然という感じがしました。まあ、それだけ神輿に矢を放つという行為が破天荒なものであった、つまりは迷信に囚われた世を正す行為だと言いたいのでしょうけどね、何だかなあと思ってしまいます。ドラマの場面としては迫力はあったのですけどね。

ドラマの流れとしては、どこまでも白河院の影を引きずっている鳥羽法皇が印象的でした。そして、世の乱れの元はやはり白河院にあるという設定もなるほどなという感じです。このあたりは上手い手法ですね。どこまで行っても、もののけの血が災いをなす、それを絶つのがやはりもののけの血を引いた清盛の役目という事なのでしょうか。それに目覚めたのが今回という事になるのでしょうね。

もう一つの流れとしては、朝廷と平家に分裂の兆しが見えてきた事ですね。朝廷では忠通と頼長・忠実、頼長と信西に亀裂が見えて来ています。そして、平家では家盛が突如として叛旗を翻しました。これも史実に沿った流れではあるのですが、家盛の場合は母の泣き言を聞いたからというのでは、少し理由が弱くはありますまいか。これまで清盛が平氏を散々窮地に追い込んできたにも関わらず兄を立ててきた家盛なのに、ここに来て急変するというのは無理を感じてしまいます。反対に、忠正が清盛一家に対して良い感じになっているというのも面白い設定ですね。これも、どんでん返しのための伏線なのか。

何にしても、次回は家盛が決起するのだとか。兄思いであったはずの家盛がどう豹変するのか、楽しみに待ちたいと思います。

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コメント

知っている場所が舞台だと面白さ倍増ですね(^◇^)

投稿: Milk | 2012.04.02 12:23

Milkさん、

今は平和そのものの八坂神社ですが、
かつてはこんな事件もあったんだと思うと、また違って見えますね。
これも大河ドラマの効能の一つですか。

投稿: なおくん | 2012.04.02 20:04

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