平清盛 第14回 「家盛決起」
(宗子の苦悩を知り、清盛に嫡男とは思わないと通告した家盛。)
(検非違使庁から戻った忠盛。何事も無かった様に出迎える宗子。忠盛に鹿の角を示し、宗子が舞子ゆかりのものだと気付いたと告げる家貞。)
(時子の歌に合わせて舞いの稽古をする清盛。上手く舞えずに時子に当たる清盛。)
(清盛に賀茂の祭にて舞を舞えなくなったと告げる家成。その理由は平家に対する世の反発が強くなったためでした。その代役として指名された家盛。)
(義朝の館を訪れた為義。頼長から賀茂祭の警護を頼まれたと告げますが、鳥羽院に仕える身であると断る義朝。源氏の嫡男なら従えと言って立ち去る為義。)
(義朝に頼長に従えと忠告する由良姫。余計な口出しをするなと義朝。朝廷の事を知りたくないのなら、なぜ私を妻としたと立ち去る由良姫。)
(賀茂神社。祭りの用意がされ、警護の武士や見物人が集まっています。)
(神殿の一角。鳥羽法皇に、清盛を軽い刑で済ませたと思えば今度は弟に大役を任せるとは、よほど延暦寺の呪詛を受けたいのかと皮肉を言う忠実。これが私の政だ、よく心得ておけと法皇。法皇の政とは、身分賤しき者を引き立てる事と見受けられると頼長。私の事かと得子。心当たりでもと頼長。頼長を睨み付ける得子。そのまま立ち去る忠実と頼長。)
(始まった舞。見守る法皇、忠実、頼長。家盛は正妻の子でありながら清盛に遅れを取っていると頼長に告げる忠実。家盛を見つめほくそ笑む頼長。)
(忠盛の館。家盛の舞の見事さを吹聴する維綱。家盛を褒める忠盛。そこに、頼長が家盛を屋敷に招くという知らせを持ってくる忠正。家盛の舞の見事さに感心したというのがその理由でした。これも家盛の日頃の精進の賜と喜ぶ郎党達。面白くなさそうな清盛。)
(都の通りで義朝に出会った清盛。強訴を阻んでやったのは我らと義朝。礼を言う清盛。)
(通りの店で酒を酌み交わす清盛と義朝。賀茂祭では内大臣の警護に当たったが、あの様な男に仕えたくはないと義朝。お前もそう思うのか、初めて気が合ったと清盛。頭に乗るなと義朝。自分は目の敵にされているが家盛は気に入られたらしいと愚痴る清盛。弟に先を越されそうなのかと笑う義朝。笑い事ではないと清盛。酒が切れた、家で呑むかと誘う義朝。その時、この酒を買って貰えないかと現れたみすぼらしい女。)
(母が病で、何も売れなければ身売りをするほかないと言う女。お前が買ってやれと義朝。六条の義朝の家にがらくたでも何でも持っていけと清盛。がらくたとは何だと義朝。人助けも出来ないのかと清盛。急に笑い出した女。瓢箪を差し出し、これで買うと義朝。)
(夜、忠盛の館。宗子の前に鹿の角を出す忠盛。自分がこれを持っているのは、陰陽師の世迷い言にたぶらかされた白河院が、罪無き女の命を奪った日の事を忘れない為だと忠盛。家盛が哀れだ、けれども私は全てを受け入れていると宗子。)
(高倉邸。頼長に拝謁する家盛。先だっての舞には感服した、清盛の数々の不始末を補って余りあると頼長。家盛は清盛とは違って正妻の子であると維綱。ではいずれ跡継ぎとなるのはこの家盛かと頼長。そうなるのが道理と維綱。理に叶った事こそ好ましい、優れたものが世に煌めくのが道理だと頼長。頼長にひれ伏す家盛。)
(1148年(久安4年)。半ば蟄居の日々を余儀なくされ、所在なげに酒を呑みながら郎党達の餅つきを見ている清盛。このままでは家盛に跡継ぎの座を奪われてしまう、どうなさるのかと時忠。杯を投げつける清盛。時忠に、餅でも食べないかと誘う盛国。)
(跡継ぎの座など譲ってしまえば良いではないかと時子。何だとと清盛。光源氏でさえ、帝の座は弟に譲ったと時子。光る君が譲ったわけではないと清盛。それくらい広い心を持てという事、小さな事を気に病む様ではそもそも跡継ぎの器ではないと時子。むっとするも、言い返せない清盛。)
(従4位下、右馬頭に昇進した家盛。)
(高倉邸。夜、縁側で酒を呑む頼長。側には家盛。家盛に酌をしてやる頼長。怪しげな出自の兄の陰で過ごした不遇の時は長かっただろうと頼長。そんな事はと家盛。あの兄さえ居なければと生きてきたはずだと頼長。家盛の手を取り、私が叶えてやろう、まこと世に輝くべきはそなただと頼長。平氏一門にも鳥羽院にもそう思い知らせてやろうと言って、家盛を押し倒す頼長。)
(1149年(久安5年)、忠盛の館。鳥羽院の熊野詣の警護を命じられた平氏。しかし、清盛の同行は許されませんでした。警護に同行するのは家盛、頼盛、教盛という清盛の異母弟たち。面白くなさそうな清盛。家盛に会いに来たという経盛。賀茂祭での見事な舞が都中の語りぐさしさとなっていると経盛。いよいよ跡継ぎらしくなってきたと教盛。まだ誰も跡継ぎとは決まっていないと家貞。家盛は正妻の子と経盛。清盛は先の騒動のせいで跡継ぎにはなれぬはずと教盛。ここではっきり、家盛を跡継ぎにすると決めてしまえと忠正。じっと背中で聞いている清盛。)
(私もそう定めてもらいたいと家盛。慎みなさいと宗子。その母を制し、兄を跡継ぎでないと示す事が一門のためになると家盛。一門の安泰だけを考えていて世を変えられるか、何の為の武士かと叫ぶ清盛。自分は神輿に矢を射た事を悔いていないと清盛。何と恐ろしい事をと教盛。こんな人を兄とは思いたくないと経盛。忠盛に迫る清盛。何も言わない忠盛。)
(家盛に向かって、自分は降りる、跡継ぎはお前だと言って出て行く清盛。)
(清盛の館。家に帰ってきて縁側に座る清盛。館の中で、盛国相手に、とんだ見込み違いだった、清盛に付いていてもこの先良い思いは出来そうにない、姉を家盛の側女にでもできないものかと愚痴る時忠。弟を叱る時子。時忠の言うとおりだ、側女となるなり出て行くなり、好きにするが良いと清盛。)
(何と情けない事をと時子。どれだけ落ちぶれようと、あなたさまこそが我が光る君と時子。時子を抱きしめる清盛。)
(忠盛の館。家貞相手に、自分は清盛こそが世を変える男と思って跡継ぎにするつもりでいた、しかし、家盛が後を継ぎたいと言った時に心の軸が揺れてしまったと忠盛。)
(高倉邸。夜、頼長の下を訪れている家盛。いよいよ清盛も終わりだと頼長。なぜかうかない家盛。そんな弱い心では世を正せないぞと頼長。家盛の肩を抱きながら、鳥羽院が頼りにしている平氏の武力と財力は、家盛が跡継ぎとなれば自分のものになったも同然と頼長。院は我らを頼らざるを得なくなる、その時こそ摂関家が栄華を取り戻す時だと頼長。平氏は院に忠義を誓っていると家盛。今更何を言う、そなたが院が頼りにしている清盛を蹴落としたのだと頼長。自分が棟梁に押したのは、ふさわしい器と思ったからではない、清盛よりも優れているのは、はるかに御しやすい男という事だけだと頼長。見目も申し分ないと言って家盛に迫る頼長。這って逃げ出そうとする家盛。もう遅いと頼長。家盛を背後から抱きしめ、欲に眩んで一門を売ったのだと言って押し倒す頼長。)
(夜、清盛の館。一人月明かりの中で座っている清盛。ふと目覚めて、清盛の側に座る時子。家盛に負けた事を悔しいとは思わぬ、ただ寂しいのだと清盛。仲の良い兄弟だったのだから当然だと時子。)
(忠盛の館。朝、庭に佇む家盛。そこに現れた宗子。勤めを無事に果たせと宗子。宗子に背を向け、嫡男であるかどうかはどうでも良かった、ただ跡継ぎになった事を当たり前の母として喜んで欲しかったのだと家盛。兄とも母とも、当たり前の関係で居たかった、せめて帰って来た時には当たり前の母として笑いかけて欲しいと涙ぐむ家盛。立ち去る家盛。家盛と叫んで涙ぐむ宗子。)
(2月13日、京を出立した鳥羽院の一行。無事に参詣を済ませ、3月15日に京の南郊の山崎に着いた一行。)
(清盛の館。庭で遊ぶ清太と清次を見守る清盛。)
(山崎。警護の列の中で、道ばたで遊ぶ幼い兄弟を見て、幼い頃清盛と木に登った日の事を思い出す家盛。)
(木に登る清太と清次を見ながら、家盛と木登りをした日を思い出す清盛。)
(清盛が手を差し出した時の事を思い出し、馬上で微笑む家盛。木から落ちた時を思い出し、そのまま馬上から崩れ落ちる家盛。)
(平次と叫ぶ清盛。)
今回は家盛の反乱が描かれました。史実においては、祇園闘乱事件の後、清盛が勢いを失ったのに対し、家盛が急速に台頭し始め、清盛に取って代わる勢いを示した事が知られています。その流れはドラマに描かれていたとおりですが、ただし、その背後に頼長が居たというのは創作です。
その頼長が男色家であったのは有名な事実で、自らの日記にその記録の数々を書き残しているのですね。この時代の性風俗は今と大きく違っていて、男色もごく普通の事とされていました。それどころか男色関係が政治にも人事にも大きな影響を及ぼしていたというのですから、この時代を知るには常識の違いを認識しておく必要があります。それにしても、NHKが大胆にも描いたものだとは思いますけどね。
それはさておきドラマに戻ると、家盛はやはり心優しき男なのでした。家盛の反乱は、頼長に唆された事よりも母親の無念を思っての事であり、自らの栄達を願っての事では無かったのですね。棟梁としては不向きではあっても、誰よりも親思いな息子なのでした。そして、忠盛もまた、親としての迷いを見せます。清盛に迫られてなぜ黙っているのかと思ったのですが、やはり我が子可愛さという思いが彼の中にもあったのでした。このあたり、建前だけてはない、人としての心の揺れを丁寧に描いていると思います。この脚本家の上手いところですね。
一方の頼長は、ただ正義感に燃えるだけの男から、悪辣さを加えた男に性格が変わって来ました。正論が通じない鳥羽院の世にあっては、一本調子では通じないと判ってきたという事なのでしょうか。史実では忠通の方の役回りなのですけどね、これも保元の乱への伏線という事なのでしょう。
保元の乱の伏線と言えば、義朝と為義の関係にもありました。頼長の警護を大役と言う為義に対し、自分は鳥羽院に仕える身と断る義朝でしたが、後の二人の関係がここで暗示されています。また、頼長に対する反発から、清盛と義朝が仲良くなるという設定もそうですね。一時的な呉越同舟という事になるのかな。
そして、常磐御前が出て来ました。まだ九条家の雑仕女になる前という設定なのですね。後に義朝の愛妾となると共に清盛とも関係して来るのですから、まさに運命的出逢いという事になるのでしょうか。次回はその常磐が九条家に仕える事になるいきさつも描かれる様ですね。
さて、家盛は突然馬から落ちてしまいます。史実では熊野詣の警護の途中で病死したと言われていますが、それにしても前触れが無く唐突過ぎますね。どんなけりの付け方をするのやら気がかりです。依然として清盛が主役らしく見えないところが難点ではありますが、周囲が面白いからまあ良いかというところですね。
次回は頼長か再び平家の前に立ちふさがる様です。これも創作の回となりそうですが、山本耕史演ずる頼長が面白くなってきたので、どんな具合になるか楽しみですね。
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