平清盛 第12回 「宿命の再会」
(1144年(天養元年)。明雲を先頭に強訴を繰り返す延暦寺の大衆達。)
(忠盛に山法師を打ち払えと命じた鳥羽法皇。)
(武力の行使ではなく、荘園を叡山に寄進する事で強訴を退けた平氏。その恩賞として正4位の上に昇った忠盛。しかし、念願の公卿にはなれませんでした。武士を公卿にする気はない朝廷。)
(清盛の館。夜、出家して信西となった通憲が訪ねて来ます。出家の理由を問う清盛に、忠盛を三位に取り立てない朝廷のあり方に嫌気が差したのだと答える信西。志だけがあっても道は開けないと信西。)
(忠盛の館。元服し頼盛と名を改めた平五郎。武士として導いてやれという父の言葉に、朝廷の番犬として生きろと教えよという事かと噛みつく清盛。その不満の元は、明子が死んだ事にありました。疫病も飢饉も止める事が出来ない朝廷でありながら武士を参議にする気は無い、武力と財力を搾り取られるだけだ。妻の死に目にも会えず、そんなにしてまで背負わねばならない平氏一門とは何かと清盛。)
(清盛に後添えをと家貞。まだ言っても無駄、心の軸が定まっていないと忠盛。その手には鹿の角。それを陰から見ていた宗子。)
(清盛の館。淸太と清次相手に源氏物語を語る時子。)
(清太と清次に琵琶を弾いてやる時子。それを聞き、ここで琵琶を弾じるのは止めて貰いたいと清盛。なぜと時子。下手だからと清盛。清太も清次も喜んでいると時子。下手だから駄目だと清盛。言い争う二人。)
(時子の館。しょげている時信に訳を聞く時子。時忠が大事な書物をばくちで取られてしまったのだと時信。一冊分の値打ちを2冊分に増やしてやろうと思ったのだと時忠。姉はどこに行っていたのかと時忠。清盛の館だと時信。)
(清盛の館。清太と清次と戯れている時子。そこに訪ねてきた時忠。彼は清盛に会うなり、姉を後添えにしてくれないかと言い出します。驚いて止める時子。言い争う二人。ふと清盛に対する思いを口にした時子。琵琶を止めよと言ったのは、明子の音色を消されたくないからだと清盛。)
(時子の館。姉に謝る時忠。あのままでは清盛の悲しみに付け込む事になってしまったと時子。どんなきれい事も、欲が無ければ始まらないと時忠。)
(清盛の館。時子が来なくなり、むずかる清次。自分も時子が来なくなった事が心残りだと盛国。)
(法金剛院。如来像に手を合わせる待賢門院。その時、急に咳き込みます。気遣う堀河に大事ないと待賢門院。そこに現れた得子。)
(なにゆえ黙って出家されたと得子。あなたが人を愛しく思う気持ちの激しさを教えてくれた、己の愚かさを振り返れば俗世に未練はない。されどそんな激しい思いを知らずに生きて来た事だけが心残りだと待賢門院。どこまでも福々しげで、憎々しい方だ、法皇を奪い国母の座から追い落としても全てを奪い取る事は出来なかったと得子。)
(1145年(久安元年)。読経の中、病床にある待賢門院。)
(院御所。待賢門院の病が篤いと聞き、狼狽える法皇。そして菊が咲き乱れる庭に出で、水仙を捜します。そして無いと知るや、季節外れの水仙の花を捜せと命じます。)
(水仙を捜せという命に接し、道理に合わないと従わない清盛。一門のために従ってくれと家盛。明子を亡くした悲しみを誰が判ると清盛。自分は一門の為に好きな女子と別れて秀子と一緒になったと家盛。済まぬと清盛。)
(水仙を捜して草原を歩く清盛。その途中で、関東から戻った義朝に出会いました。久闊を叙す二人。ふと見ると、義朝の馬の鞍には水仙を入れた竹筒がありました。彼は尾張で法皇が水仙を捜している事を知り、東国の家来に命じて陸奥を捜させたのでした。急ぐと言って去っていく義朝。黙って見送る清盛。)
(水仙を手に待賢門院の寝所に駆け込む鳥羽法皇。しっかりせいと声を励ます法皇。目を開けた門院。門院に水仙を差し出す法皇。手を伸ばす門院。その手を握り、頬ずりをする法皇。病人の側に居てはいけないと側近に引き離される法皇。)
(部屋の外から叫ぶ法皇。部屋の中から呼びかける門院。扉に頬を付ける法皇。人を愛しく思う気持ちが、こんなにも優しく清げなる事がやっとわかりましたと門院。涙する法皇。水仙を握りしめながら、我が君と呼びかけ、今は愛しさに包まれていると門院。そのまま息を引き取った門院。扉を叩いて泣き叫ぶ法皇。)
(久安元年8月22日。待賢門院死去。寂しげに磬を鳴らす法皇。)
(門院に地獄を味あわせる事が望みだった。しかし、今は安らかに極楽に行く事を願って止まぬと言い、手を合わせる得子。)
(為義の館。東国から戻った義朝を見て狂喜する為義。)
(清盛の館。一人佇む清盛。)
(院御所。法皇からお褒めの言葉を頂く義朝。一朝事ある時は、東国のもののふを引き連れて参上すると義朝。これからは京にて忠勤に励めと法皇。)
(廊下。義朝の前に立ちはだかり、こんな事で頭に乗るなと清盛。一番強い武士は源氏だと義朝。いや平氏だと争う二人。これから平氏を背負って立つと清盛。なんと軽い一門かせいぜい励めと義朝。田舎武士めと清盛。)
(義朝の館。田舎武士と言われた事に腹を立てている義朝。そこに現れた由良姫。父に言われてあいさつに来たと由良姫。変わりはないかと聞かれ、男子を二人設けたと答える義朝。ショックを受けて、祝いを言って帰ろうとする由良姫。そなたも俺の子を産むかと義朝。おふざけもたいがいにと怒る由良姫。統子内親王に仕える由良姫はきっと役に立つ、自分の嫡男を産んで貰いたいと義朝。女子をばかにしてと由良姫。ずっと帰りを待っていたのではないのかと義朝。涙しながらずっとお待ちしていたと由良姫。由良姫を抱きしめる義朝。)
(清盛の館。あいつと居ると気が高ぶると帰って来た清盛。清太と清次と雀を捕まえて遊んでいる時子。それは盛国が呼んだのでした。突然時子に駆け寄り、そなたでよい、そなたは俺に惚れている、息子達はそなたに懐いている、後は俺がそなたに惚れるだけだと叫ぶ清盛。何の事かと時子。俺の妻になれと言っているのだと清盛。失礼なと清盛を突き放し、源氏物語の様な恋にあこがれていたのにあんまりだと時子。そして、清盛に駆け寄り抱きつきます。倒れ込む二人。祝福する郎党達。)
(1147年(久安3年)。尾張にて鬼武者、後の頼朝誕生。同じ年、子を授かった清盛。この年6月、祇園社の争いに巻き込まれる清盛。)
とうとう待賢門院璋子が亡くなりました。途中まで天然キャラとして面白い存在だっただけに、居なくなるのは惜しいという気がしますね。ドラマでは出家して悟った様になっていた璋子でしたが、実際にも法金剛院で念仏三昧の生活を送っていたと言われ、仏に縋る事で心の平安を見出そうとしていたのかも知れません。また、出家したと言っても寂しく過ごしていた訳ではなく、法皇もしばしば御幸されていたと言いますし、西行なども法金剛院を訪れていたと言われます。決してわびしい暮らしをしていた訳では無い様ですね。
その死因は病死ですが、何の病かは判っていません。ですから、流行病であったかの様なドラマの設定は創作ですね。亡くなったのは法金剛院ではなく三条高倉第で、死にあたって法皇が駆けつけたのはドラマにあったとおりです。そして、法皇が泣きながら磬を鳴らしたというのも史実どおりですね。
璋子の生涯を振り返ってみれば、栄光と挫折の波乱に富んだ人生でした。絶世の美貌を謳われ、二人の権力者の寵愛を受けて栄華を極め、その寵愛の翳りと共に次第に権勢を失い、最後は自ら種を撒いたとも言われる呪詛事件で出家を余儀なくされました。良くも悪くも、平安末期という時代を象徴する人物の一人であった事は間違いないですね。
璋子の亡骸は以前に紹介した様に花園西陵に葬られました。法金剛院にも近く、璋子に興味を持たれた方は、セットで訪れられると良いですよ。
さて、ドラマの流れで言えば、璋子の為に水仙を捜せと法皇が命じたのは象徴的な出来事でした。この花を璋子に合わせて上手く使っていますよね。ただ、義朝が陸奥から取り寄せたという設定は、如何にも無理がありました。この時代に宅急便とチルド技術があったのかと言いたくなりますよね。どう考えても有り得ないでしょうが。せめて、比叡山の山の上とかにあったというのなら判らなくもないですが。それでも無理ではあるのですけどね。
もう一つの大きな流れとしては、義朝と清盛の縁談がありました。どちらもデリカシーのかけらもない、乱暴極まりない求愛だったのですが、武士らしい演出をしたという事なのでしょうか。ただ、義朝の場合は打算が多分に入っていましたが、清盛の方はなぜ時子に求愛したのか、今ひとつはっきりしませんでした。何となく、周囲の状況が整ってきたからというだけだったものね。明子の死をあれほど嘆いていた清盛が豹変するのには、かなり不自然な設定だったという気がします。
なお、義朝が東国に勢力を築いたのは事実ですが、関東一円という訳ではなく、上総がその中心だった様ですね。そして、相模にもその勢力はあり、鎌倉に館を持っていた様です。ですから、ドラマの設定はかなり大袈裟ではありますね。
次回は祇園闘乱事件が描かれます。これも以前に紹介した事があるので、興味のある方は一読してみて下さい。ネタバレではあるけれども、ドラマの予習にはなると思いますよ。
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