平清盛 璋子の眠る地~花園西陵、花園東陵~
久安元年(1145年)8月22日、三条高倉第にて待賢門院璋子が亡くなりました。法金剛院で落飾してから3年後の事でした。享年45(数え歳)ですから、当時としてもまだ若かったのでしょうか。三条高倉第はその名の通り三条高倉にあった屋敷で、兄の三条実行が造営してくれた璋子の邸宅だった様ですね。三条高倉の東南にあったそうですが、今は特に跡を記すものは残っていない様です。
璋子の亡骸は、法金剛院の北側に葬られました。今の花園西陵がそれですね。法金剛院にある境内図では地続きの様に描かれているのですが、実際には一度寺から出ないとたどり着く事は出来ません。入り口は住宅街にあるので、ちょっと判りにくいでしょうね。
7人の子に恵まれた璋子ですが、その一人である統子内親王の墓が花園西陵のすぐ近くにあります。御白河法皇の一つ上の姉にあたり、その准母ともなりました。そのため院号を下されており、上西門院とも呼ばれます。
清盛とほぼ同年代を生きた人で、平家の勃興から没落までを見届けました。頼朝の助命にも深く関わったとされ、御白河法皇を陰で支えたとも言われますね。大変な美女であり、和歌を愛した事から歌壇サロンを形成したとも。
ドラマには出てこない様ですが、この時代にかなりの影響力を持っていた人である事には違い無い様です。
その陵墓である花園東陵は、花園西陵のすぐ東、それこそ住宅街に埋もれる様にしてあります。ここも判りにくい場所なのですが、すぐ向かいの今宮神社が目印になるかな。
妙心寺の近くでもあり、京の冬の旅とセットで訪れるのにぴったりのポイントですよ。
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コメント
こんにちは。
昔、唯一読んだことのある辻邦生作品である「西行花伝」で璋子のことを知った記憶が蘇りました。
元々西行に関心があったのですが、清盛と同僚だったりと同時代に生きた人たちの層の厚さが激動の時代という印象を深めます。
昨日の雪景色も圧巻ですね。
これほどの雪の多さでは撮影も苦労されたことでしょう!
マンリョウの美しさは白い世界でも映えますね。
入院中は携帯からねこづらどきを楽しませてもらいました。
楽しく励みになりました。
投稿: ちよ。 | 2012.02.19 12:30
ちよ。さん、
思わぬ大病、大変でしたね。
まだまだ寒さが続く季節なので、くれぐれもお大事になさって下さい。
西行、ドラマでは良く描かれすぎている様な気がしますが、
興味深い人物ではあります。
これから先の展開が楽しみですね。
雪景色は、久しぶりなのではしゃぎすぎました。
今日は足が筋肉痛になっています。
でも、それだけの甲斐はありましたよ。
明日以降アップしますので、よろしければご覧になって下さい。
投稿: なおくん | 2012.02.19 16:56