平清盛 第8回 「宋銭と内大臣」
(博多、神崎荘。宋との交易の市の賑わいを見て喜ぶ清盛。彼はそこで宋銭を初めて目にします。そんな清盛をからかう兔丸。銭を仲立ちにした交易を知り、生き生きとした市の有様に目を輝かせる清盛。)
(京、六波羅。一人騎馬で行く家盛。そこに現れた一人の娘。微笑み合う二人。)
(博多、平氏の館。宋の商人と取引している家貞。その様子を見て、なぜ太宰府を通さずにこんな事が出来るのかと不審を覚える兔丸と盛国。これにはからくりがあると家貞。実は、偽の院宣を忠盛が偽造し、太宰府に神崎荘の交易には手を出すなと手を回してあった、つまりは密貿易でした。秘密を知って、父の肝の太さに感心する清盛。平氏だけが潤っているわけだ、海賊より質が悪いとあきれる兔丸。)
(京、忠盛の屋敷。維綱から、宋の国との交易の品々を見せられ、平家繁栄のからくりを知った家盛。博多に行っている清盛の事を、半端者には良い使い道だと酷評する忠正。そして、平氏の行く末はお前に懸かっていると家盛りに告げます。)
(鳥羽院御所。庭一面に植えられた菊の花。菊を献上した宗輔を褒める上皇。その花を見ながら不老長寿の仙薬、菊酒を飲む上皇以下の面々。その菊酒の杯から菊の花びらを取り除き、私は不老長寿など望まないと頼長。菊を敷き詰めたのは得子の所望によるものと聞き、上皇の得子への傾倒振りを情けなき事と嘆く頼長。)
(教清に、菊を愛でた歌を詠めと命ずる上皇。庭先にまかり出でて、)
(君が住む 宿のつぼをば菊ぞかざる ひじりのみやというべかるらむ)
(と即興で詠み上げる教清。ここを聖なる住処と詠んだかと喜ぶ上皇。こびへつらった歌だと吐き捨てる頼長。)
(青白磁の杯を見て、これはと問う頼長。清盛が献上した宋の逸品だと答える宗輔。杯を持ち上げ、平清盛とつぶやく頼長。)
(京、清盛の館。郎党が鍛錬に励む中、博多から帰ってきた清盛。明子と叫ぶ清盛の声に、集まってくる郎党達。にこやかに出迎える明子。明子たちに博多の賑わいを嬉しそうに語り、妻への土産にと宋の紅を手渡す清盛。)
(忠盛の屋敷。清盛が宋との密貿易に興味津々だったと伝える家貞。狙いが当たり、少しずつ商いを覚えていけば良いと忠盛。)
(高倉邸。帰って来た頼長。一本だけ刈り残しがある庭木に目をやり、切っておけと命じ、庭師に暇を出す様にと家人に告げる頼長。)
(忠通と忠実にあいさつする頼長。頼長に内大臣就任が決まった事を伝え、そなたこそ摂関家復権の要となるであろうと告げる忠実。表情を変えない頼長を見て、もう少し喜んではどうかと忠通。喜んでなど居られぬ、今の都は乱れきっている、それを正すべき上皇は若き側女に入れ込まれて政に身が入らぬなどもってのほか、内大臣となった暁には、徹底した粛正を行うと頼長。)
(院の御所。身籠もった得子を慈しむ上皇。春には生まれましょうと得子。その頃には水仙が咲き乱れているだろうと上皇。水仙はみんな菊に植え替えましたと得子。そうだったと上皇。)
(菊を見つめながら、前には水仙が植えてあったはずと璋子。無くなってみると、姿、香りが懐かしく偲ばれると遠い目をする璋子。痛ましげな堀川局。)
(内裏。崇徳帝に呼ばれた教清。彼に向かって、上皇の前で歌を詠んだのは本当かと問う側近。はいと答える教清。上皇の前で歌を詠むのは許さぬと崇徳帝。帝は教清を近くにと呼び、上皇は自分を叔父子と呼んで忌み嫌っている、それは母の璋子の奔放な振る舞いのせいだと崇徳帝。帝は自ら御簾を出て教清の前に座り、信じられるのはそなただけだと教清の手を取ります。感激し、きっと帝を守ってみせると誓う教清。)
(御所の一角で警護をしている清盛。たいくつ紛れに投げた宋銭が逸れて、廊下に落ちます。それを拾う頼長。頭を下げてそれを受け取る清盛。立ち去ろうとした時、盛国が清盛の名を呼ぶのを聞いた頼長。盛国に急かされて行く清盛を見る頼長。)
(盛国が連れて行ったのは、都のとある通りでした。そこで商いをしているのは兔丸。なぜこんな事をと咎める清盛。宋と上皇と平氏でぐるぐる回しているだけでは面白くないからだと兔丸。その兔丸の店で、金石録の写しを見つけて驚く通憲。これをどうしたと問う通憲に、平家がこっそり取引したものだと教える兔丸。それを聞き、あっぱれだと叫ぶ通憲。宋の優れた品々を、直に民が目にして手に触れる事で、この国の道具も書もより良き物になっていくと語る通憲。それを見越して、大事になるかもしれないと判っていながら大通りで店を開いたのであろうと、どこまでも勘違いを貫く通憲。とまどう清盛を余所に、それが言いたかったと兔丸。兔丸の店で、目を輝かせる人々。その様子を見て、好きにすればよいと言い出す清盛。喜ぶ兔丸。)
(忠盛の屋敷。家盛に縁談をもちかける忠盛。良き縁をと家成に頼んだのだと忠正。家盛にはまだ早いのではと宗子。よい妻を得れば、出世も早まると維綱。気が進まぬなら無理にとは言わない、よく思案せよと忠盛。)
(相模国。正清と共に山野で腕を磨く義朝。それはほとんど無頼の生活でした。)
(為義の館。義朝からの文を見て、これは嘘だと見抜き、さぞかし厳しい暮らしをしているのだろうと案ずる為義。そこにやって来た客人。)
(客人とは、熱田大神宮の宮司の娘、由良でした。彼女の用件とは、父が助けてもらった礼にと、義朝にあいさつに来たのでした。自分は統子内親王に仕えていると言い、その自分と親しくなれば何かと心強いはずと由良。そして、父の伝言であると、為義にもっと勤めよと叫ぶ由良。あっけにとられる為義。)
(繁盛している様子の兔丸の店。ここで買った事は内緒だといちいち客に口止めをする兔丸。その様子を満足げに眺めている清盛。)
(店の儲けで、郎党に猪肉をふるまう清盛。盛り上がる一同。)
(夜、月明かりで酒を呑む清盛。明子といつか宋の国へ行こうと語り合う清盛。雑魚寝をしている郎党たち。)
(高倉邸。頼長に拝謁し、誼をと願う為義。あいさつ代わりにと持ってきたオウムですが、ここで買った事は内密にと兔丸の口まねをしてしまいます。オウムを見る頼長。)
(忠盛の屋敷。慌ただしげな郎党達。清盛が頼長に呼び出されたのでした。博多で買い求めた品々に目を付けられたと聞き、清盛と叫ぶ忠正。)
(高倉邸。部屋で控えている清盛と通憲。庭には盛国と兔丸。部屋にはオウムが居ます。)
(そこに現れた頼長。このオウムはどこで手に入れたと問う頼長。太宰府の鴻臚館と答える清盛。清白磁の酒器はと重ねて問う頼長。同じ時に同じ場所で仕入れたと清盛。清盛が太宰府に行っていたのは8月13日から9月5日、行き帰りの日数を考えれば太宰府に居られたのはせいぜい8月21日から25日の5日間、その間に取引された鴻臚館の記録にはオウムも清白磁の酒器も無いと指摘する頼長。自分には判らないととぼける清盛。ではと言って、同じ頃の神崎荘の倉敷の記録を見せる頼長。そこにはオウムと清白磁と記されています。頼長はそこで手に入れた偽の院宣を清盛に示します。平氏は神崎荘で院の証書を偽造して密貿易を行っていると指摘する頼長。沈黙する清盛に、返す言葉もないかと頼長。)
(あきれて言葉が出ない、よくも細かい事を調べたものだと清盛。誰がどこで取引しようが良いではないかと開き直る清盛。何を言ったと頼長。国の役人が王家の為にめぼしい品を集め、後は残りかすの様な品しかあたらないという仕組みを守って、何が面白いのかと噛みつく清盛。記録を調べる為にわざわざ博多に行ってきたのかと皮肉る清盛。人をやったと頼長。ならば、その足で行ってから言ってもらいたいと清盛。宋との取引の場が如何に生き生きとしているかを語り、宋銭を示してこれが国を豊にしてくれるかもしれないのだと迫る清盛。黙って聞いている頼長。長引く飢饉で民は飢え、海賊となって海を荒らし、平家はその海賊を追討した。しかし、それでは何も変わらない、同じ事を繰り返すばかりで、根本から作り替えなければならない。それには豊かな宋国を手本にするのが良い、どうか朝廷にて諮っていただく様お願いすると清盛。なんと愚かな、たかだか商いの場を見ただけで海の向こうを知った気になっているとはと頼長。)
(此度は清盛の了見を知りたかっただけだと帰る様に促す頼長。これだけの証拠を突きつけられながら、申し開きをするどころか法を罵り、浅はかな考えで国を変えよと迫る。私はその様な者を粛正すべく法を整え政を行うと冷たく言い放つ頼長。黙って聞いている清盛。)
(帰り道、なぜ良言い返さなかったのかと兔丸。言い返せなかったのだと清盛。言えば言う程、浅はかさを思い知らされそうな気がしたのでした。あのような男とやり合うには、まだまだ力が足りないと清盛。もう仕舞かと兔丸。すまぬなと清盛。落とし前は付けて貰う、宋と商いをして生き生きと豊かな世をいつかお前が作れと迫る兔丸。)
(高倉邸。回りくどい事をしたものだ、院宣を出したかどうかを確かめたければ院に聞けばよかったはずと通憲。この度は清盛の了見をと言いかけた頼長。それを遮り、違うと叫ぶ通憲。たとえ偽の院宣であったとしても院は平家を咎めない、それほど平家の財は院にとって欠くべからざるもの。王家は乱れきっている事をあなたは見抜いているのだと通憲。微笑む頼長。)
(清盛の館。これは当分都での出番は無いと宋銭を見つめる清盛。ではこうしてみては如何と宋銭で作った首飾りを差し出す盛国。これは何かと問う清盛に、いつかこれで豊かな世を作るという願懸けのようなものだと盛国。)
(清盛に子が出来たと告げる明子。でかしたと喜ぶ清盛。盛り上がる郎党達。)
(六波羅。娘と距離を置いて向き合う家盛。)
(忠盛の屋敷。父に向かって、婚儀を受けると言う家盛。)
(六波羅。娘に背を向ける家盛。)
今回は平家の力の源泉であった宋との貿易と頼長の台頭が描かれました。
平家が九州の神崎荘で密貿易を行っていたのは事実で、そのために院の権威を借りたのもドラマの様な筋書きでした。神崎荘は清盛紀行にもあった様に鳥羽院の荘園で、忠盛はその管理を任されていたのです。それほどまでに鳥羽上皇と忠盛の繋がりは深かったのですね。周囲の反発も強かったけれど、それ以上に密貿易のもたらす富は大きかったのでした。もっとも、清盛に兔丸や通憲が言っていた様な志があったどうかは疑問ですけどね。
一方の頼長は、日本一の大学生と呼ばれた才人でした。学生とは学者という意味で、実際に古今のあらゆる事象に通じていた様です。その才能から父の忠実の期待を一身に集め、ドラマにあった様に摂関家の威信を取り戻す期待の星とされていました。しかし、その性格は苛烈を極め、わずかな非違も見逃さないという一面を持っていました。そのあたりの事が、一本の枝を切り残した庭師を即座に罷免するという描写で現わされていましたよね。
ただ、内大臣になったのは18歳の時で、まだ辣腕を振るうには早すぎると思われます。つまりは、ドラマの様な展開は創作という事ですね。一介の北面の武士に過ぎない清盛が、内大臣に噛みつくという不自然な描写も創作という事で流しておくのかな。
それにしても、山本耕史ははまり役ですね。怜悧にして冷酷な頼長にぴったりな配役です。もしかしたら、土方以上に似合っているかも知れない。奔放な清盛とは好対照で、今後の展開が楽しみな人物です。
ドラマの展開の中では、後にライバルとなる通憲と頼長のツーショットが面白かったです。通憲は頼長も認める程の学者で、つまりは当時の学者の最高峰に位置していた二人が揃っていたのですね。現状では頼長の方がずっと強い立場にある訳ですが、今後この二人がどう絡んでいくのかも見所の一つになって行くと思われます。
さて、傍流では、得子がまた子供を宿し、ますます寵愛を我がものとして行きます。その一方で、上皇は水仙に未練があるらしく、そのあたりに璋子への思いが残っているらしい事が示唆されています。このありの描写が微妙で、面白いですね。でも、このところ璋子の出番が少なくて寂しい限りです。
その上皇に歌を詠めと命じられた教清ですが、実際にもドラマの様な筋書きがあった様ですね。その際に詠んだのがあの歌で、教清の最初の和歌とされている様です。その一方で、崇徳帝に頼りにしていると手を取られていましたが、あの下りはさすがに創作でしょうね。教清が崇徳帝の和歌のサロンに居た事は確かで、後に至るまで崇徳帝を慕っていたのは間違いのないところですが、力になって欲しいとまで言われていたかは定かではありません。でも、教清が後に取った行動を見ると、そんな事もあったかも知れないと思えても来ます。そのあたりは、今後どう描かれていくのかな。
為義を煙に巻いた由良ですが、これも創作でしょうね。ただ、彼女が統子内親王、つまり崇徳帝の妹にして後白河帝の姉、後の上西門院に仕えていた事は確からしく、熱田宮司家と上西門院の縁から源氏が朝廷に伝手を求めていった事は間違いないようです。もっとも、由良御前の方からそれを言い出すはずは無いと思われますけどね。
次回は清盛と後白河天皇の出会いがある様ですね。今様に狂っていたという若き日の後白河天皇が、どんな具合に描写されるのかが見物かなと思っているところです。
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