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2012年2月

2012.02.29

京都・洛北 京都梅事情2012 ~下鴨神社 2.25~

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平成24年2月25日の下鴨神社です。ここには光琳が屏風絵を描く時にモデルとしたと言われる光琳の梅があります。丸い綺麗な樹形と共に美しい花を咲かせるので、毎年見に行くのを楽しみにしている梅の一つです。

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この梅は年によって開花の時期が大きく変わるのですが、この日はまだこの写真の花が咲いているだけでした。一輪が開花し、二輪目が咲きかけているといったところでしょうか。この分だとどうでしょう、3月3日の流しびなの時には、ある程度は咲いているのかな。見頃はもう少し先になる様な気もしますね。

ただ、平成21年には咲き始めてから5日間で満開になった事もあるので、どういう展開を辿るかは予断を許しません。ここは最新の情報を知りたいところですが、巫女さん日記にでも書いてくれないものかしらん。

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2012.02.28

京都・洛中 京都梅事情2012 ~京都御苑 2.25~

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平成24年2月25日の京都御苑です。この日は出水口にある早咲きの紅梅が、ほぼ見頃になっていました。

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京都御苑の梅も開花は遅れており、見頃になっているのはこの梅と、皇宮警察本部前にある紅梅ぐらいなものですね。他は白梅が少し咲いている程度かな。

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全体的には、見頃と言うにはほど遠く、まだまだ寂しい景色が広がっています。今は例年より二週間以上は遅れている感じですね。

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見頃が何時になるかは今後の気温次第でしょうけど、今週は10度以上の日が続く様なので、週末あたりにはそろそろ咲きそろって来るんじゃなんいかしらん?

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まあ、そのあたりはほとんど希望的観測なのですが、いい加減早春らしい景色を見たいという気はします。桜と一緒に花見というのも良いかも知れないけれども、やっぱり順番どおりが良いですよね。

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2012.02.27

今日は「新選組の日」だそうですが

先日、左サイドバーのブログパーツを「今日は何の日」に更新しました。前のプロ野球速報のサービスが終了したため差し替えたのですが、まあ毎日色々な日があるものですね。たとえば今日は絆の日とあります。何でも、バレンタインデーとホワイトデーの中間にあたるこの日を、恋人同士の絆を深めて貰う日にしたいという事で結婚プランナー達が決めたのだとか。私はまた震災絡みかと思ったのですが、全然違いましたね。

で、他にもあるだろうかと調べてみたら、「新選組の日」とありました。ん、何だそれはと思ったのですが、更に調べてみると由来は二通りある様ですね。

一つは、新選組の前身である浪士組が結成された日であるとする説。

もう一つは、浪士組を会津藩お預かりにするよう建白書が提出された日であるとする説。

これなんですが、二つともおかしいのですよ。

まず、浪士組が結成された日をいつにするかは微妙なのですが、小石川伝通院に集合が掛けられたのが文久3年2月4日、編成が発表されたのが翌5日、江戸を発ったのが8日の事です。27日は既に京都に着いた後でした。

次いで、会津藩お預かりの建白書の件ですが、芹沢、近藤を初めとする京都残留者17名は、確かに会津藩に対して嘆願書を出しているのですが、それは3月10日の事です。それも会津藩に預かって欲しいとは一言も書かれて居らず、単に京都に残って将軍警護の任に当たりたいので、市中警護を命じて貰えば有り難いという内容でした。これが認められたのは3月12日の事ですね。また、壬生浪士組に新選組の名が与えられるのは、8月18日の事です。

手持ちの資料で調べた限りでは2月27日には特記すべき事件は何も起こっていないのですが、どこか私の知らない資料に何か書いてあるのかな。ちなみに、ウィキペディアの新選組の項には、浪士組が江戸を出立した日が2月27日となっていますね。これもどこから来た記述なんだろう。

「新選組の日」と言っても、良く判らない日が一人歩きをしているというのが今のところの感想です。

参考文献:「新選組始末記」 子母澤寛 「新選組2245日」 伊藤成郎 「新選組」 松浦玲 「新選組を歩く」 別冊歴史読本 「新選組全史」 木村幸比古

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京都・洛中 梅花祭2012 ~北野天満宮~

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平成24年2月25日、北野天満宮で梅花祭が行われました。

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およそ900年の歴史を持つという神事で、菅原道真公の御霊を宥めるという事から始まったそうですね。

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神事そのものは本殿で行われ、供物と共に白梅42本(男性の大厄)・紅梅33本(女性の大厄)が供えられます。

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一般参拝者が参加出来るのは境内で行われる野点で、1500円を払えば上七軒の芸舞妓が奉仕するお茶会を楽しむ事が出来ます。

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私は初めての参加で要領が判らなかったのですが、入ってすぐに供物引換券で御菓子と撤饌を頂きます。この御菓子が茶菓子だった訳ですが、私は当然お茶と共に運ばれてくると思っていたので、暫くは判らなかったのですよ。せめて渡す時に一言添えて欲しかったところです。

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この野点は、正直言って舞妓さんが居る以外には、あまり風情は感じません。雰囲気が雑然としているし、案内の人がやたらと高飛車で、とてもお茶を味わう気分にはなれなかったのですよね。まあ、一度行けば十分かなといったところです。もう少し、運営の仕方を考えて欲しいですね。

あと、舞妓さんが絡むと必ず増えるお年寄りのカメラマンのマナーの悪さも、雰囲気を壊していた要因の一つです。いつもの事だけど、何とかならないのかしらん。

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肝心の梅は、まだ見頃には至っていません。ぽつぽつと咲き始めており、部分的には良い感じの木もありましたが、全体として例年より2週間以上遅れている感じですね。今週末くらいには、もう少し見られる様になっているかな。ただし、梅苑の方は見ていないので、何とも言えません。

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北野さんは、とにかく凄い人出でした。梅花祭は25日なので、いわゆる天神さんと一緒なのですね。この日は雨模様だったので、いつもの自転車は使えずにバスで行ったのですが、行き帰りとも超満員でした。来年行こうかと考えている人は、そのあたりも覚悟しておいた方が良いですよ。

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2012.02.26

平清盛 第8回 「宋銭と内大臣」

(博多、神崎荘。宋との交易の市の賑わいを見て喜ぶ清盛。彼はそこで宋銭を初めて目にします。そんな清盛をからかう兔丸。銭を仲立ちにした交易を知り、生き生きとした市の有様に目を輝かせる清盛。)

(京、六波羅。一人騎馬で行く家盛。そこに現れた一人の娘。微笑み合う二人。)

(博多、平氏の館。宋の商人と取引している家貞。その様子を見て、なぜ太宰府を通さずにこんな事が出来るのかと不審を覚える兔丸と盛国。これにはからくりがあると家貞。実は、偽の院宣を忠盛が偽造し、太宰府に神崎荘の交易には手を出すなと手を回してあった、つまりは密貿易でした。秘密を知って、父の肝の太さに感心する清盛。平氏だけが潤っているわけだ、海賊より質が悪いとあきれる兔丸。)

(京、忠盛の屋敷。維綱から、宋の国との交易の品々を見せられ、平家繁栄のからくりを知った家盛。博多に行っている清盛の事を、半端者には良い使い道だと酷評する忠正。そして、平氏の行く末はお前に懸かっていると家盛りに告げます。)

(鳥羽院御所。庭一面に植えられた菊の花。菊を献上した宗輔を褒める上皇。その花を見ながら不老長寿の仙薬、菊酒を飲む上皇以下の面々。その菊酒の杯から菊の花びらを取り除き、私は不老長寿など望まないと頼長。菊を敷き詰めたのは得子の所望によるものと聞き、上皇の得子への傾倒振りを情けなき事と嘆く頼長。)

(教清に、菊を愛でた歌を詠めと命ずる上皇。庭先にまかり出でて、)

(君が住む 宿のつぼをば菊ぞかざる ひじりのみやというべかるらむ)

(と即興で詠み上げる教清。ここを聖なる住処と詠んだかと喜ぶ上皇。こびへつらった歌だと吐き捨てる頼長。)

(青白磁の杯を見て、これはと問う頼長。清盛が献上した宋の逸品だと答える宗輔。杯を持ち上げ、平清盛とつぶやく頼長。)

(京、清盛の館。郎党が鍛錬に励む中、博多から帰ってきた清盛。明子と叫ぶ清盛の声に、集まってくる郎党達。にこやかに出迎える明子。明子たちに博多の賑わいを嬉しそうに語り、妻への土産にと宋の紅を手渡す清盛。)

(忠盛の屋敷。清盛が宋との密貿易に興味津々だったと伝える家貞。狙いが当たり、少しずつ商いを覚えていけば良いと忠盛。)

(高倉邸。帰って来た頼長。一本だけ刈り残しがある庭木に目をやり、切っておけと命じ、庭師に暇を出す様にと家人に告げる頼長。)

(忠通と忠実にあいさつする頼長。頼長に内大臣就任が決まった事を伝え、そなたこそ摂関家復権の要となるであろうと告げる忠実。表情を変えない頼長を見て、もう少し喜んではどうかと忠通。喜んでなど居られぬ、今の都は乱れきっている、それを正すべき上皇は若き側女に入れ込まれて政に身が入らぬなどもってのほか、内大臣となった暁には、徹底した粛正を行うと頼長。)

(院の御所。身籠もった得子を慈しむ上皇。春には生まれましょうと得子。その頃には水仙が咲き乱れているだろうと上皇。水仙はみんな菊に植え替えましたと得子。そうだったと上皇。)

(菊を見つめながら、前には水仙が植えてあったはずと璋子。無くなってみると、姿、香りが懐かしく偲ばれると遠い目をする璋子。痛ましげな堀川局。)

(内裏。崇徳帝に呼ばれた教清。彼に向かって、上皇の前で歌を詠んだのは本当かと問う側近。はいと答える教清。上皇の前で歌を詠むのは許さぬと崇徳帝。帝は教清を近くにと呼び、上皇は自分を叔父子と呼んで忌み嫌っている、それは母の璋子の奔放な振る舞いのせいだと崇徳帝。帝は自ら御簾を出て教清の前に座り、信じられるのはそなただけだと教清の手を取ります。感激し、きっと帝を守ってみせると誓う教清。)

(御所の一角で警護をしている清盛。たいくつ紛れに投げた宋銭が逸れて、廊下に落ちます。それを拾う頼長。頭を下げてそれを受け取る清盛。立ち去ろうとした時、盛国が清盛の名を呼ぶのを聞いた頼長。盛国に急かされて行く清盛を見る頼長。)

(盛国が連れて行ったのは、都のとある通りでした。そこで商いをしているのは兔丸。なぜこんな事をと咎める清盛。宋と上皇と平氏でぐるぐる回しているだけでは面白くないからだと兔丸。その兔丸の店で、金石録の写しを見つけて驚く通憲。これをどうしたと問う通憲に、平家がこっそり取引したものだと教える兔丸。それを聞き、あっぱれだと叫ぶ通憲。宋の優れた品々を、直に民が目にして手に触れる事で、この国の道具も書もより良き物になっていくと語る通憲。それを見越して、大事になるかもしれないと判っていながら大通りで店を開いたのであろうと、どこまでも勘違いを貫く通憲。とまどう清盛を余所に、それが言いたかったと兔丸。兔丸の店で、目を輝かせる人々。その様子を見て、好きにすればよいと言い出す清盛。喜ぶ兔丸。)

(忠盛の屋敷。家盛に縁談をもちかける忠盛。良き縁をと家成に頼んだのだと忠正。家盛にはまだ早いのではと宗子。よい妻を得れば、出世も早まると維綱。気が進まぬなら無理にとは言わない、よく思案せよと忠盛。)

(相模国。正清と共に山野で腕を磨く義朝。それはほとんど無頼の生活でした。)

(為義の館。義朝からの文を見て、これは嘘だと見抜き、さぞかし厳しい暮らしをしているのだろうと案ずる為義。そこにやって来た客人。)

(客人とは、熱田大神宮の宮司の娘、由良でした。彼女の用件とは、父が助けてもらった礼にと、義朝にあいさつに来たのでした。自分は統子内親王に仕えていると言い、その自分と親しくなれば何かと心強いはずと由良。そして、父の伝言であると、為義にもっと勤めよと叫ぶ由良。あっけにとられる為義。)

(繁盛している様子の兔丸の店。ここで買った事は内緒だといちいち客に口止めをする兔丸。その様子を満足げに眺めている清盛。)

(店の儲けで、郎党に猪肉をふるまう清盛。盛り上がる一同。)

(夜、月明かりで酒を呑む清盛。明子といつか宋の国へ行こうと語り合う清盛。雑魚寝をしている郎党たち。)

(高倉邸。頼長に拝謁し、誼をと願う為義。あいさつ代わりにと持ってきたオウムですが、ここで買った事は内密にと兔丸の口まねをしてしまいます。オウムを見る頼長。)

(忠盛の屋敷。慌ただしげな郎党達。清盛が頼長に呼び出されたのでした。博多で買い求めた品々に目を付けられたと聞き、清盛と叫ぶ忠正。)

(高倉邸。部屋で控えている清盛と通憲。庭には盛国と兔丸。部屋にはオウムが居ます。)

(そこに現れた頼長。このオウムはどこで手に入れたと問う頼長。太宰府の鴻臚館と答える清盛。清白磁の酒器はと重ねて問う頼長。同じ時に同じ場所で仕入れたと清盛。清盛が太宰府に行っていたのは8月13日から9月5日、行き帰りの日数を考えれば太宰府に居られたのはせいぜい8月21日から25日の5日間、その間に取引された鴻臚館の記録にはオウムも清白磁の酒器も無いと指摘する頼長。自分には判らないととぼける清盛。ではと言って、同じ頃の神崎荘の倉敷の記録を見せる頼長。そこにはオウムと清白磁と記されています。頼長はそこで手に入れた偽の院宣を清盛に示します。平氏は神崎荘で院の証書を偽造して密貿易を行っていると指摘する頼長。沈黙する清盛に、返す言葉もないかと頼長。)

(あきれて言葉が出ない、よくも細かい事を調べたものだと清盛。誰がどこで取引しようが良いではないかと開き直る清盛。何を言ったと頼長。国の役人が王家の為にめぼしい品を集め、後は残りかすの様な品しかあたらないという仕組みを守って、何が面白いのかと噛みつく清盛。記録を調べる為にわざわざ博多に行ってきたのかと皮肉る清盛。人をやったと頼長。ならば、その足で行ってから言ってもらいたいと清盛。宋との取引の場が如何に生き生きとしているかを語り、宋銭を示してこれが国を豊にしてくれるかもしれないのだと迫る清盛。黙って聞いている頼長。長引く飢饉で民は飢え、海賊となって海を荒らし、平家はその海賊を追討した。しかし、それでは何も変わらない、同じ事を繰り返すばかりで、根本から作り替えなければならない。それには豊かな宋国を手本にするのが良い、どうか朝廷にて諮っていただく様お願いすると清盛。なんと愚かな、たかだか商いの場を見ただけで海の向こうを知った気になっているとはと頼長。)

(此度は清盛の了見を知りたかっただけだと帰る様に促す頼長。これだけの証拠を突きつけられながら、申し開きをするどころか法を罵り、浅はかな考えで国を変えよと迫る。私はその様な者を粛正すべく法を整え政を行うと冷たく言い放つ頼長。黙って聞いている清盛。)

(帰り道、なぜ良言い返さなかったのかと兔丸。言い返せなかったのだと清盛。言えば言う程、浅はかさを思い知らされそうな気がしたのでした。あのような男とやり合うには、まだまだ力が足りないと清盛。もう仕舞かと兔丸。すまぬなと清盛。落とし前は付けて貰う、宋と商いをして生き生きと豊かな世をいつかお前が作れと迫る兔丸。)

(高倉邸。回りくどい事をしたものだ、院宣を出したかどうかを確かめたければ院に聞けばよかったはずと通憲。この度は清盛の了見をと言いかけた頼長。それを遮り、違うと叫ぶ通憲。たとえ偽の院宣であったとしても院は平家を咎めない、それほど平家の財は院にとって欠くべからざるもの。王家は乱れきっている事をあなたは見抜いているのだと通憲。微笑む頼長。)

(清盛の館。これは当分都での出番は無いと宋銭を見つめる清盛。ではこうしてみては如何と宋銭で作った首飾りを差し出す盛国。これは何かと問う清盛に、いつかこれで豊かな世を作るという願懸けのようなものだと盛国。)

(清盛に子が出来たと告げる明子。でかしたと喜ぶ清盛。盛り上がる郎党達。)

(六波羅。娘と距離を置いて向き合う家盛。)

(忠盛の屋敷。父に向かって、婚儀を受けると言う家盛。)

(六波羅。娘に背を向ける家盛。)

今回は平家の力の源泉であった宋との貿易と頼長の台頭が描かれました。

平家が九州の神崎荘で密貿易を行っていたのは事実で、そのために院の権威を借りたのもドラマの様な筋書きでした。神崎荘は清盛紀行にもあった様に鳥羽院の荘園で、忠盛はその管理を任されていたのです。それほどまでに鳥羽上皇と忠盛の繋がりは深かったのですね。周囲の反発も強かったけれど、それ以上に密貿易のもたらす富は大きかったのでした。もっとも、清盛に兔丸や通憲が言っていた様な志があったどうかは疑問ですけどね。

一方の頼長は、日本一の大学生と呼ばれた才人でした。学生とは学者という意味で、実際に古今のあらゆる事象に通じていた様です。その才能から父の忠実の期待を一身に集め、ドラマにあった様に摂関家の威信を取り戻す期待の星とされていました。しかし、その性格は苛烈を極め、わずかな非違も見逃さないという一面を持っていました。そのあたりの事が、一本の枝を切り残した庭師を即座に罷免するという描写で現わされていましたよね。

ただ、内大臣になったのは18歳の時で、まだ辣腕を振るうには早すぎると思われます。つまりは、ドラマの様な展開は創作という事ですね。一介の北面の武士に過ぎない清盛が、内大臣に噛みつくという不自然な描写も創作という事で流しておくのかな。

それにしても、山本耕史ははまり役ですね。怜悧にして冷酷な頼長にぴったりな配役です。もしかしたら、土方以上に似合っているかも知れない。奔放な清盛とは好対照で、今後の展開が楽しみな人物です。

ドラマの展開の中では、後にライバルとなる通憲と頼長のツーショットが面白かったです。通憲は頼長も認める程の学者で、つまりは当時の学者の最高峰に位置していた二人が揃っていたのですね。現状では頼長の方がずっと強い立場にある訳ですが、今後この二人がどう絡んでいくのかも見所の一つになって行くと思われます。

さて、傍流では、得子がまた子供を宿し、ますます寵愛を我がものとして行きます。その一方で、上皇は水仙に未練があるらしく、そのあたりに璋子への思いが残っているらしい事が示唆されています。このありの描写が微妙で、面白いですね。でも、このところ璋子の出番が少なくて寂しい限りです。

その上皇に歌を詠めと命じられた教清ですが、実際にもドラマの様な筋書きがあった様ですね。その際に詠んだのがあの歌で、教清の最初の和歌とされている様です。その一方で、崇徳帝に頼りにしていると手を取られていましたが、あの下りはさすがに創作でしょうね。教清が崇徳帝の和歌のサロンに居た事は確かで、後に至るまで崇徳帝を慕っていたのは間違いのないところですが、力になって欲しいとまで言われていたかは定かではありません。でも、教清が後に取った行動を見ると、そんな事もあったかも知れないと思えても来ます。そのあたりは、今後どう描かれていくのかな。

為義を煙に巻いた由良ですが、これも創作でしょうね。ただ、彼女が統子内親王、つまり崇徳帝の妹にして後白河帝の姉、後の上西門院に仕えていた事は確からしく、熱田宮司家と上西門院の縁から源氏が朝廷に伝手を求めていった事は間違いないようです。もっとも、由良御前の方からそれを言い出すはずは無いと思われますけどね。

次回は清盛と後白河天皇の出会いがある様ですね。今様に狂っていたという若き日の後白河天皇が、どんな具合に描写されるのかが見物かなと思っているところです。


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2012.02.25

京都・洛東 雪景色2012 ~三年坂 2.18~

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2月18日の雪景色シリーズ、最後は三年坂で締めましょうか。

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ここも普段は観光客で混雑する道ですが、早朝なら誰も通る人は居ません。まあ、足跡は沢山残っていましたけどね。

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ここを訪れたのは午前7時前でしたが、既に雪かきがされていました。表戸は閉まっているけれども、きっとこのあたりの店の人がやったのでしょうね。この勤勉さはさすがと言えましょうか。

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この坂道の雪景色もまた、風情があるものですね。あたかも、おとぎ話の世界にでも紛れ込んだ様な気分になります。

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寒いばかりで雪の無かった今年の京都の冬でしたが、唯一と言って良いチャンスに巡り会えたのは嬉しかったです。でも、もう一度くらいは降るのかな。出来ればそれがまた週末だと嬉しいのですけどね。さて、春が来るまであと少し、どうなります事か。

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2012.02.24

京都・洛東 雪景色2012 ~清水寺 2.18~

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雪の清水寺です。時刻は午前7時頃、まだ雪は新鮮なまま残っていました。ここは午前6時から拝観出来るので、こういう時は助かりますね。

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いつもは観光客で溢れる仁王門前も、ほんの数人が居るだけです。静かな清水寺を楽しみたいなら、早朝の拝観はお薦めですよ。

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もっと贅沢を言うのなら、日が当たる瞬間まで待つのが良かったかな。すぐに雪が溶け始めてしまうのでタイミングが難しいでしょうけど、朝日に照らされた雪景色は、さぞかし綺麗だったでしょうね。

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でも、これだけの景色を見ることが出来たのだから、良しとしておくのしょうか。春の桜初夏の新緑秋の紅葉と並ぶ、最も美しい清水寺の姿の一つです。

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一足先に朝日が当たり始めた西山の景色です。とても京都とは思えない、北国の様な光景ですよね。

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舞台の上と音羽の滝に向かって降りる階段は立ち入り禁止になっていたのですが、他は特に規制されていませんでした。なので、いろいろな表情を撮ることが出来たのは収穫でしたね。

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舞台下も四季を通じて絵になります。ついこの間、ここで紅葉を見たばかりの気がするのですが、この日は雪の華が咲いていました。あとひと月もすれば、今度は桜で綺麗に彩られる事でしょうね。

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樹間に覗く三重塔も、良く狙うアングルの一つです。わずかに見える丹色が、雪の白と良いコントラストを描いてくれました。

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雪に埋もれた石仏も風情がありますね。なんだか昔話の世界を見ているかの様な気がします。

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この雪景色も2時間と保たなかった様ですね。つかの間の、静かで美しい清水寺を堪能出来たのは、とても幸運な事だったと思います。

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2012.02.23

京都・洛東 雪景色2012 ~石塀小路 2.18~

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石塀小路の雪景色は4年前にもお届けしていますが、ここまでは積もっていなかったですね。

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ここに着いたのは午前6時半頃でしたが、この時間帯でもこの道を先に歩いた人が何人か居た様です。

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でも、雪道にはある程度足跡が付いていた方が風情があるかな。その方が自然な感じがしますしね。

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あの角の向こうはどんな具合になっているのだろうと思うのが石塀小路の魅力の一つです。

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そして、その角を曲がって振り向くと、もうさっきの道は見えなくなっているという不思議な空間ですね。

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普段なら、出口の向こうは人の行き交うねねの道です。でも、雪の日の明け方なら静かなものですね。

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石塀小路という特別な空間を分かつのがこの灯籠。雪の日にはなお風情を増す、素敵な小道です。

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2012.02.22

京都・洛東 雪景色2012 ~八坂の塔 2.18~

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京都の雪景色洛東編は、八坂の塔からお送りします。

この日はライブカメラで京都に積雪がある事を確かめ、始発に乗って京都までやって来ました。修学院界隈の拝観開始は9時からなので、それまでの早朝の時間帯は洛東界隈を歩こうと決めていたのです。画面が少し暗いのは、まだ夜が明け切らない黎明の写真だからですね。

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まずは静寂が支配する京都の町並です。雪が降ると音が吸収されるのか、いつもより静かに感じますよね。

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この頃には雪雲が切れ、青空が広がっていました。そして、どういう訳か東の空ではなく西の空の方が朝焼けになっていたのです。

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どちらかというと夕暮れっぽい雰囲気があるかな。でも誰も通る人が居ない道の様子から、寝静まった静けさを感じて貰えるでしょうか。

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ねねの道もそんなには踏み荒らされてなかったですね。轍はたぶん新聞配達のバイクなのかな。雪の日の朝らしい、静かな景色だと思います。

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二年坂の路地から見た八坂の塔です。普段は少し雑然とした雰囲気があるのですが、雪のおかげですっきりとした絵になってくれました。

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夢見坂の途中から見た八坂の塔です。以前なら電線に邪魔されて絵にならなかった場所なのですが、地中化のおかげでなかなか見られる様になりましたね。

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こんな早朝でも、三脚を構えた人に何人か出会いました。私と同じように考えた人も多かったのですね。中でも、写真家の水野克比古さんを三年坂で見かけました。やはり、こういうチャンスは逃したくないという事なのでしょう。車で来られていたようなので、きっと京都中を飛び回っておられたのでしょうね。

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清水寺から帰って来た頃には、すっかり夜が明けていて朝日が差していました。やっぱりすっきりした青空に雪景色は似合います。

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時間と共に、道の雪が踏み荒らされていくのは仕方がない事ですね。ここも朝一番で撮りに来ればもう少し綺麗だった事でしょう。惜しい事をしたかな。

明日は石塀小路の雪景色をお届けしますね。

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2012.02.21

京都・洛北 雪景色2012 ~曼殊院 2.18~

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圓光寺から曼殊院へとたどり着きました。

途中懸念していたのが参道で、登り坂の上、道幅が狭くなるのですね。で、結果はと言うと、予想どおり大変な目に遭いました。とにかく滑りまくるのですよ。特に轍に入ってしまうと最悪で、タイヤに押しつぶされた雪が氷状になっているのですね。なので、路肩の新雪の上を歩くのですが、今度は雪に覆われて見えない路面が斜めになっており、歩きにくいったらありゃしない。途中車が来なかったのが幸いでしたが、もし来ていたら避けるだけでも大変だったでしょうね。

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でも、大変な思いをしただけの事はありました。参道を登りながら、坂の上に雪化粧をした山門が見えた時は嬉しかったですね。そこには、紅葉の時とは全く違う、水墨画の風情に溢れた景色が待っていたのです。

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どうです、とても京都市内とは思えない景色でしょう。どこか北国に紛れ込んだような気分がした一時でした。

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庭園も当然ながら白一色です。詩仙堂や圓光寺とはまた違う造り込まれた庭ですからね、モノトーンになっても雅さは失っていません。

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この庭を整備した良尚親王もこんな景色を楽しんだのかな。清少納言が「雪の降りたるはいふべきにもあらず」と書いたのは、こういう景色を指しているのでしょうね。

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さすがに足下が悪いせいか、ここに来ていたのは数人でした。それも入れ替わりがあるので、ほとんど独り占め状態になっていた時間も多かったですね。本当に贅沢な時を過ごさせて頂きました。

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帰りも坂道では苦労したのですが、無事に降りきる事が出来ました。白川通に出た時は昼近い時間になっていたのですが、まだ雪が沢山残っていたのはさすがに洛北だけの事はありましたね。

明日は洛東編をお送りします。時間的には洛東の方に先に行っていたので、こちらもとても綺麗な雪景色を見る事が出来ましたよ。お楽しみに。

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2012.02.20

京都・洛北 雪景色2012 ~圓光寺 2.18~

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詩仙堂から圓光寺へとやって来ました。この寺の雪景色もまた初めてですね。

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山門前はこんな具合で、詩仙堂に比べると訪れる人が少なく、足跡が一筋付いているだけでした。

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雪景色の中で聞く水琴窟の音も良いものですね。いつもに増してしんと静まった境内に、神秘的な音が響いていましたよ。

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先客は二人でした。独り占めという訳にはいかなかったけれど、じっくりと雪景色を楽しめたのは嬉しかったです。

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この庭でも、そこかしこにマンリョウが残っていました。この赤い実は、雪の中にあっては良いアクセントになって呉れますね。

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そんな中で、一番綺麗だと思ったのは、雪化粧を纏った百日紅の木ですね。時折差してくる朝日を浴びて、輝いて見えましたよ。

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ここは庭の南側が竹藪になっているのですが、そこでも面白い模様を見る事が出来ました。なんと、竹は節ごとに雪が付着するのですね。わざわざ絵の具で塗ったかの様な面白い造形です。

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緑の苔はすっかり雪に覆われていました。いつもーの庭とはまるで違う表情を見せてくれるのが雪景色の良いところですね。

Enkouji12022011

京都の雪景色はあっという間に消えてしまいます。でも、これだけ降っていれば次の日にも残っていたかな。まあそれも洛北限定ですけどね。

次は曼殊院へと向かいます。さて、あの坂道を登り切れるかが心配だ。


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2012.02.19

平清盛 第7回 「光らない君」

(保延元年8月。都に凱旋した平家。ますますの発展を誓う忠盛。海賊を検非違使に差し出さず、一門に取り入れた平家。平家だけが栄えるためだったら、自分は許さないと兔丸。その時は好きにするが良いと清盛。)

(盛康が亡くなった。その直前、鱸丸を養子にと頼んだ清盛。頼みを承知し、盛国と名付けられよと応えた盛康。)

(源氏物語の世界に耽る時子。)

(琵琶の稽古に行く途中、清盛と出会った時子。それは雅さとはほど遠い、最悪のものでした。)

(あと一息で公卿という地位にまで上り詰めた忠盛。しかし、海賊退治の褒美は清盛に対して従四位下を賜るというものでした。)

(院庁に、恩賞の御礼ために登庁した清盛。そこで忠実に会い、あの手この手でのし上がろうとする平家だが、これ以上の昇進は無理だと嫌味を言われます。)

(腹の虫の治まらない清盛に、忠実は摂関家の長なのだからと言って聞かす盛国。何時の間にそんな事を知ったのかと清盛。早く一人前の武士に成りたくて家貞に教えて貰っているのだと盛国。どんなに頑張っても武士は王家の犬扱いだと吐き捨てる清盛。)

(雷雨の中、家路を急ぐ清盛主従。その途中、道ばたで苦しむ親子を助けます。)

(助けられた男は、高階基章と名乗りました。娘の名は明子。清盛ではないかと見込みを付けていたと基章。)

(明子の手料理を食べる清盛。自分の家は貧しいと打ち明ける基章。そして、突然、娘を妻として側に置いて欲しいと清盛に迫ります。高階家は遠く紫式部に繋がる家柄で、明子は琵琶の名手だと基章。突然の申し出に呆然とする清盛。)

(鳥羽院の子を産んだ得子。その子が皇女であった事に胸をなで下ろす堀川局。得子に産着を届ける璋子。受け取る謂われはないがと得子。産着はいくらっあっても足りないものだと自分の経験を言う璋子。一番目の崇徳帝はいつまで経ったもよだれが止まらず、四番目の雅仁がまた大変だったと言いかけた時、良く判りましたと話を遮る得子。)

(なぜ産着を受け取ったのかと御影。あれは嫌味ではなく本当に祝いをしに来たのだと得子。そして、忌々しいと言って、皇女の天児を床に叩き付け、璋子から貰った産着を着せます。)

(昼の日中に、鳥羽院に抱きついて皇子を産みたいと迫る得子。)

(歌の才を認められ、崇徳帝に召し出された教清。)

(瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ)

(と自作の歌を聴かせる帝。それを聞き、激しい恋の歌であると共に、もっと強い何かを求めている様に思えると答える教清。次は何時来るかと崇徳帝。)

(教清の家を訪ねてきた清盛。妻の春子に清盛を紹介する教清。教清に妻が居た事に驚く清盛。)

(時子に琵琶の稽古を付ける明子。清盛の事を聞き、まるで光源氏と明石の君との出逢いの様だと言い、明子をお参りに誘う時子。)

(とある神社。時子と明子がお参りに行くと先客が居ました。もう一度会えます様にと願っているのは清盛。時子に声を掛けられ、振り向いた先に明子が居る事に気付きひっくり返る清盛。あなたのおかけで光源氏に会い損ねたのだと時子。ではこれでときびすを返す明子。後を追う清盛。)

(明子に追いつき、船に乗った事があるかと聞く清盛。海を見た事があるのかと明子。海賊退治、唐船の事などを熱く語り始める清盛。興深げに聞いている明子。しかし、父の言った事は忘れて欲しいと言って去って行きます。)

(宗子に清盛の縁談を持ってきた家成。礼を言う宗子。これは従姉妹である宗子のために持ってきた話だ、そろそろ清盛という肩の荷を下ろしても良いのではないかと家成。)

(夜、一人琵琶を弾く明子。その家の近くで、琵琶の音を聞いている清盛。彼は何かを決意した様です。)

(あんな光らない君では、明子の気が乗らないのは当然だと時子。海や船や海賊の話をしてくれたと明子。そんな恐ろしげな話をしたのかと時子。そこに清盛からの文が届きます。)

(からふねの 風なき夜のここちして ゆくももどるも君ぞ知るべし)

(この歌は教清の代作でした。歌の意味を清盛に教えてやる教清。そこに明子からの返事が届きます。)

(小夜あけて ゆくえあやまつからのふね めざめし君の ひとりゆれけむ)

(歌の意味が判らない清盛に、行き先を間違った船に女の姿はなく、一人寂しく揺れている事でしょうという意味だと教えてやる教清。断られているではないかと叫ぶ清盛。こうした駆け引きを楽しむのが恋というものだと教清。)

(なかなか物語の様には行かないものだと時子。身分違いの恋をして、明石の君は幸せだったのだろうかと明子。)

(そこに乗り込んできた清盛。代作を頼んだ事を詫び、断るなら面と向かってきっぱりと断っていただきたいと明子に迫ります。あなたの気持ちに応える事は出来ないと明子。なぜ父の思いが判らない、長年住吉明神にお前の幸せを願ってきたのだと基章。それ故だ、清盛の気持ちに応えたとしても、それは真に想われての事なのか住吉様の力なのかと悩む事になる、お告げなどに惑わされたくないのだと明子。)

(住吉明神の力でそなたを想っていると言うのか、俺をみくびるでないと叫ぶ清盛。初めて会った時に清らかな女性だと思った、手料理を食べで毎日食べたいと思った、海賊や唐船の話に目を輝かせているそなたを見て、生涯側に置きたいと思った、自分の心に従って言っているのだと清盛。海に行きたい、清盛様の目に映る広い世を見たい、共をさせて貰えますかと明子。きっと連れて行ってやると清盛。)

(一人、家路を辿のながら、雀の子を犬君がにがしつる。伏籠の内に込めたりつるものを、と源氏物語の一節をつぶやく時子。)

(忠盛の屋敷。明子を連れて現れた基章。彼は右近衛将監、正六位でした。位違いだとこの縁談を渋る郎党達。位違いだからと一緒に暮らせないのはおかしいと清盛。勝手を言うが、なにとぞ許してもらいたいと忠盛に願います。何故、この娘をいとしく思うのかと忠盛。明子はつまらぬ戯れ言に左右される事なく、自分の力で乗り越えようとする人だ。こんな女性と面白く生きていきたいと清盛。それを聞き、明子を清盛の妻に迎えると宣言した忠盛。何となく面白くなさそうな宗子。単純に喜ぶ家盛。泣いて喜ぶ基章。様々な思いを抱いた平家の人々。)

(家成のもって来た縁談を断っても良いのですねと忠盛に確かめる宗子。すまないがそうしてくれと応える忠盛。どこか不満そうな宗子。)

今回は清盛の結婚を主軸として描かれました。その前に重要な出来事として、清盛が従四位下に任じられた事が挙げられます。これは史実にあるとおりで、海賊退治の褒美として、忠盛の譲りで清盛が叙任したものでした。この事は大きな意味を持ち、五位と四位の間には大きな壁があり、五位までは中級貴族、四位から上は上級貴族の仲間入りを果たした事になるのですね。当時清盛は18歳であり、この叙任は破格の出世と言われました。それだけ平家の家格が上がり、また清盛が平家の嫡流としての地位を固めた証しであるとも言われます。かなり大きな出来事であるにも関わらず、ちょっとドラマでの扱いが軽かった様な気がするのですけどね。

次に、鱸丸が盛国になったというのは、独創的な創作ですね。盛国は実在した平家の家人で、清盛の信任も厚かった人ですが、その出自は諸説があってはっきりとはしない様です。しかし、漁師出身だったという説は初めてでしょうね。まさかこう来るとは思っていませんでした。

そして本題に入りますが、清盛の最初の妻が高階基章の娘である事は史実にあるとおりです。ただ、ドラマにもあった様に、身分違いとも言える高階家の娘をなぜ室としたのかについては謎とされ、その理由ははっきりとはしていません。一説には、清盛と基章は職務上近い関係にあり、その娘を知るきっかけがあったのではないかとも言われますが、これもあくまで仮説ですね。だから、ドラマの様な創作も許されるという事なのかな。

なお、明子という名も、琵琶の名手という設定も、時子が絡んでいたという設定も、全て創作です。と言うより、何も判っていないというのが実情ですね。

ドラマとして見た場合、何もかも唐突すぎるという気はしますが、これまでの清盛の行動ぶりからすると自然な流れとも言えます。前回、平家の一門であるという自覚が出来たという割には、勝手すぎる行動とも取れますけどね。

どこまでも天然ぶりを発揮する璋子と、それを深読みして、ますます対抗心を露わにする得子。その得子に押されるままになる鳥羽上皇。史実はどうだったのかは判らないけれど、こんな感じだったのかもとふと思ってしまいます。ただ、上皇にもう少し迷いがあっても良さそうには思うのですけどね。今後、得子がますます怖い女性になって行きそうな予感がして来ました。

清盛が自分で縁談を決めた事が面白くない様子の宗子でしたが、史実としては清盛は家成の家に足繁く出入りしていた様です。それは家成の娘との縁談を期待して宗子が行かせたのではないかという推測する向きもあるのですが、逆に家格違いの望みでもあった様ですね。ドラマでこれが今後どんな波紋を描いて行くのか、ちょっと気になるところではあります。

最後に崇徳帝の歌ですが、教清が解説した様に普通は恋の歌と解釈されています。その一方で、実権を奪われていた事に対する無念を詠んだ歌だという説もあって、その場合はいつかは権力を取り戻そうとする意思が込められていると読み解くのですね。もっとも、この時期にはまだ譲位はしておらず、少し早すぎる解釈だと思うのですが、教清が鋭すぎるという事なのかしらん。

次回は頼長卿が登場するのですね。頼長を演じるのは山本耕史ですが、BSで再放送している陽炎の辻の坂崎磐音とダブって困るという気はします。でも、かつて鬼の副長と呼ばれた土方を好演した彼が、悪左府と呼ばれた苛烈な人物をどう演じてくれるのか、楽しみに待ちたいと思っているところです。


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2012.02.18

京都・洛北 雪景色2012 ~詩仙堂 2.18~

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今日の京都は雪、市内で5㎝程度の積雪でしたが、京都としては大雪と言っても良いでしょう。せっかく週末に降ってくれたのだからと、カメラ片手に京都のあちこちを歩いてきました。さすがに足下が悪く、何度か転びそうにはなりましたが、雪景色を堪能出来ましたよ。

その中から、今日は詩仙堂の雪景色をお届けする事にします。

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雪の詩仙堂は、以前に少しだけ雪が残っている時に行った事はありますが、本格的な雪景色は初めてです。京都の雪はすぐに溶けてしまうので、午前9時の拝観開始に合わせて訪れて来ました。

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その甲斐あって、素晴らしい景色と出会えましたよ。やはり京都の北部に位置するからか、この辺りは10㎝近い積雪があった様ですね。そのぶん、ボリューム感もたっぷりでした。

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ただ、これだけ積もってしまうと何もかもが埋もれてしまうので、写真的には芯になる物が無くて構図を決めるのがちょっと大変でしたね。

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これだけの雪にもかかわらず、朝一番から何人も拝観者が来ていました。まあ、そのほとんどが私と同じ様なカメラマンだったのですけどね。考える事は誰しも同じという事なのでしょう。

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モノトーンの世界にあって、赤い実はとても綺麗に映える有り難い存在です。まだこのマンリョウは鳥に食べられることなく、たわわに実ったままでした。

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ウメモドキは、かなり少なくなっていたものの、まだ残っていましたね。良い位置にあるので、嘯月楼を背景に撮ってみました。

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庭全体を見渡せば、全くの白と黒の世界です。この時は周囲に誰も居らず、この景色を独り占めする事が出来ましたよ。

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今日は曼殊院や圓光寺、それに洛東界隈と沢山回って来たので、月曜日以降に順にアップします。今はまだ写真の整理中ですが、楽しみにお待ち下さい。


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2012.02.17

平清盛 璋子の眠る地~花園西陵、花園東陵~

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久安元年(1145年)8月22日、三条高倉第にて待賢門院璋子が亡くなりました。法金剛院で落飾してから3年後の事でした。享年45(数え歳)ですから、当時としてもまだ若かったのでしょうか。三条高倉第はその名の通り三条高倉にあった屋敷で、兄の三条実行が造営してくれた璋子の邸宅だった様ですね。三条高倉の東南にあったそうですが、今は特に跡を記すものは残っていない様です。

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璋子の亡骸は、法金剛院の北側に葬られました。今の花園西陵がそれですね。法金剛院にある境内図では地続きの様に描かれているのですが、実際には一度寺から出ないとたどり着く事は出来ません。入り口は住宅街にあるので、ちょっと判りにくいでしょうね。

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7人の子に恵まれた璋子ですが、その一人である統子内親王の墓が花園西陵のすぐ近くにあります。御白河法皇の一つ上の姉にあたり、その准母ともなりました。そのため院号を下されており、上西門院とも呼ばれます。

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清盛とほぼ同年代を生きた人で、平家の勃興から没落までを見届けました。頼朝の助命にも深く関わったとされ、御白河法皇を陰で支えたとも言われますね。大変な美女であり、和歌を愛した事から歌壇サロンを形成したとも。

ドラマには出てこない様ですが、この時代にかなりの影響力を持っていた人である事には違い無い様です。

その陵墓である花園東陵は、花園西陵のすぐ東、それこそ住宅街に埋もれる様にしてあります。ここも判りにくい場所なのですが、すぐ向かいの今宮神社が目印になるかな。

妙心寺の近くでもあり、京の冬の旅とセットで訪れるのにぴったりのポイントですよ。

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2012.02.16

京都・洛中 京都梅事情2012 ~北野天満宮 2.11~

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平成24年2月11日の北野天満宮です。この日は梅がちらほら咲きになっていました。

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それにしても、今年は梅の進行が遅いですね。例年ならそろそろ見頃の木が出て来る頃だと思うのですが、今年は絵馬堂の前の木がやっと3分咲きになっている程度です。

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既に梅苑も公開されているのですが、多分似た様な状況だと思われます。まだお金を出してまで見に行く様な感じではないですね。

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このまま行けば、見頃になるのは今月末くらいでしょうか。それまでに暖かい日が続けば一気に咲くのでしょうけどね。早く春色に染まった境内を見たいなあ。

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2012.02.15

京都・洛北 スプリングエフェメラル ~オオイヌノフグリ 2.11~

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早春の訪れを告げ、季節の進行と伴にいつの間にか姿を消してしまうのがスプリングエフェメラル、春の妖精ですね。京都府立植物園で見る事が出来るのはセツブンソウやフクジュソウ、スノードロップなどがありますが、このオオイヌノフグリもその一つです。

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どこにでも咲いている花ですが、今年最初の花は植物園で見つけました。こんな具合に、クリスマスローズの葉の間から顔を出していたのですよ。なんだか違う花の様に見えるでしょう。

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よく見ると、周辺には沢山咲いていました。まだ他の場所では見てないのですけどね、探せばきっと咲いている事でしょう。小さくて単純な花ですけど、よく見るととても美しい。私のお気に入りの花の一つです。

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2012.02.14

京都・洛北 梅一輪 ~京都府立植物園 2.11~

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平成24年2月11日の京都府立植物園梅林です。2月も半ばに差し掛かって来たこの日でしたが、梅はほとんど咲き進んでいませんでした。

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咲いているのは相変わらず紅冬至という木だけで、ここだけは2分咲き程度になっています。他の木は蕾が膨らんでいる程度かな。今年はかなり開花が遅れていますね。

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ロウバイは盛りを過ぎて、花がかなり痛み出しています。落花も目立ち始めていましたね。でも、香りはまだ健在でした。

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梅ではありませんが、同じく早春の訪れを告げるシナマンサクが咲いていました。

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花びらがゼンマイ状に丸まっているのは、丁度咲き始めたばかりだという事なのでしょう。この花もかなり遅れていた様ですが、やっと出番を迎えた様です。

場所は楠並木の中程、北側の植え込みの中です。そこだけほんのりと暖かい色合いになっているので、すぐに判ると思いますよ。まさに春の色ですね。

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2012.02.13

京都・洛北 節分草 ~京都府立植物園 2.11~

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平成24年2月11日の京都府立植物園です。この日は、一週間前には地面から顔を出したばかりだった節分草が、綺麗に咲き誇っていました。

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節分草は数年前に比べて数が増えていますね。ここは植物園ですから、きっと新たに植えられたという事なのでしょう。それだけ来園者に人気がある花だという事でしょうか。

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この花の周辺を歩いていると、早春の花を捜して歩く人達に多く出会います。大抵は年配の方で、中には毎日来ている人も居るようですね。それだけ春を待ち侘びる人が沢山居るという事でしょうか。

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そしてもう一つ、フクジュソウも咲いていました。こちらは先週には気配すらなかったので、ここ数日の内に顔を出したのでしょうね。この黄色い花を見ていると、いよいよ春が来るんだなと実感出来る様な気がします。

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2012.02.12

平清盛 第6回 「西海の海賊王」

(安芸の海で海賊を罠に掛けた清盛達。しかし、相手は想像以上の巨船であり、奮戦空しく逃げられてしまいます。清盛を庇って倒れた盛康。)

(相手の船は宋の国から来た唐船でした。相手の正体が判らず焦る忠盛たち。)

(一人陣屋を抜け出して小舟で夜の海に漕ぎ出そうとする清盛。その時、船の持ち主だという男が現れて清盛に組み付きます。男は通憲でした。しかし、清盛が唐船を探しに行くと言うと、自分が見たかったものも唐船だと答え、清盛に船を漕ぐ様に命じます。そして宋の国に渡るのだという通憲。)

(尾張国熱田。熱田神宮にて盗賊を取り押さえた義朝。義朝に礼を言う大宮司藤原季範。そこに明かりを灯しに来た由良姫。しかし、義朝が源氏と聞き、平氏ではなかったのかとがっかりした様子です。父親に恥をかかすとは心根が賤しい女だと由良姫を詰る義朝。きっとなって義朝を睨み付ける由良姫。)

(院の御所。廊下で鉢合わせとなった璋子と得子。暫くにらみ合ったのち、脇に避ける璋子。その璋子に上皇の子供が出来たと告げる得子。お勤めご苦労様ですと答える璋子。)

(寝所に教清を迎え入れている堀川局。教清に寄り添いながら今日の出来事を語り、璋子は先の院によっとて心も体も育てられたのだと告げる局。それで璋子の眼が空っぽの理由が判った、そもそも心が空っぽなのだと教清。薄々は気付いていたと局。この先、宮中を意のままにするのは璋子か得子かと教清。興を削がれた様子の局。今はまだあなたと歌を交わしていたいとフォローする教清。)

(清盛相手に、この国一の学者である自分が、高階の養子となってしまったからには出世の見込みは無い、無知な公卿達に見下されて世を送るしかないのだと愚痴る通憲。武士も同じだと共感する清盛。だから宋に渡りたいのだと通憲。宋では百姓だろうが商人だろうが、才で人を計って取り立てるという仕組みがあるのだと通憲。今から宋に渡ろうと乗り気になる清盛。飢え死にしてしまうわと通憲。その時、海中から現れた男達。)

(海賊船に捕らわれた清盛。目を覚ますと目の前に山羊が居て、周囲では異国の言葉が使われていました。海賊たちと宋の言葉で話している通憲。海賊の一人が自分の剣を持っている事に気付き、返せと叫ぶ清盛。相手は宋の言葉で答えますが、清盛には判りません。横から、大事はないかと聞いているのだと通訳する通憲。二人とも後ろ手に縛られています。)

(宋人の男女と仲良く話す通憲。男は春夜と言い、女は桃李という名でした。そこに入ってきた海賊の棟梁。)

(通憲に剣を突きつけ、宋の国の言葉ができるそうだなと聞く棟梁。そして、清盛を見て良い身体をしている、使い道はありそうだから生かしておくと言い捨てて去ろうとする棟梁。お前は何者だと叫ぶ清盛。反対に俺の言う事に答えろと凄む棟梁。)

(追討使はどれくらい来ているのか、大将は誰かと問う棟梁。そして、なぜ宋の剣を持っているのかと聞く棟梁。縛られた縄を振りほどく清盛。驚く棟梁に、賽子を指し示し、賭をしようと持ち掛けます。負けた方が勝った方の問いに答えるのだと清盛。それは賭にならぬ、我らは捕らわれているのだと通憲。ならば何も話さぬと清盛。)

(お前、阿保やろと言いながら、賭は嫌いでないと言って話に乗る棟梁。そして、賽子を受け取って、投げ出します。4の目を出した棟梁。続けて投げた清盛は3でした。へっと清盛を見下す棟梁。ところが、その時船が揺れて賽子が転がり、棟梁が1、清盛が6に変わります。へっと棟梁に言い返す清盛。)

(船倉から甲板に出る清盛と通憲。帆を操って動く船に驚く清盛。宋の書物を見て喜ぶ通憲。)

(清盛の前に剣を突き立てて、あまりうろちょろするなと凄む棟梁。棟梁は兔丸でした。元は都で盗賊をしていたという兔丸。仲間は食い詰めた百姓、漁師、商人など。食い詰め者ばかりだから強いのだと兔丸。)

(この船は、博多でかっ攫ったものだと兔丸。宋人のほとんどは開放したが、兔丸に共感する者だけが残り、船を操っているのでした。兔丸は海賊王になると言うのです。彼はこの国の長となり、民を虐げる帝以下公家達を支配し、善悪をひっくり返してみせると大見得を切ります。面白いと意気投合する清盛。)

(兔丸は朧月の子だと名乗ります。あの時の盗賊かと思い出した清盛。お前のせいで俺はと兔丸に掴みかかる清盛。清盛が忠盛の子で、追討使が忠盛だと気付いた兔丸。彼は清盛を蹴飛ばし、面白くなってきたと叫びます。)

(忠盛の陣屋。清盛の行方を気にする忠盛達。そこに矢文が津届けられます。)

(宋船。矢文を届けたのは兔丸でした。清盛を帰して欲しければ、一人で海に出てこいと忠盛に告げたのです。清盛を帆柱に吊し上げる兔丸。)

(陣屋。忠盛に万一の事があれば追討使は失敗という事になり、平家も終わってしまうと忠正。判っていると忠盛。後先を考えぬのが清盛だ、きっと自分の為に海賊の下に出かけていったに違いないと盛康。)

(ならば、海賊は忠盛の顔を知らない、自分が行くと忠正。清盛など居なくなった方がよいと思っている忠正でしたが、忠盛にとってはかけがいの無い存在だと知っていたからでした。)

(夜明けと共に不意打ちを掛けましょうと提案する忠清。かつての仲間を連れてきた鱸丸。)

(宋船。吊されている清盛の下で、李白の詩を中国語で口ずさむ通憲。それは何だと聞く清盛に、目の前の人生を謳歌しようという意味だと教えてやる通憲。どこかで聞いた事があると思う清盛。それは母の舞子が歌っていた「遊びをせんとや」の今様でした。)

(その時、薄闇の向こうに平氏の船団が迫っている事に清盛は気付きます。一斉に火矢を射掛け、宋船に乗り移ろうとする平家の郎党達。不意打ちに合いながらも応戦する海賊達。沖に出ろと命ずる兔丸。暴れ込んだ平家の武士達。)

(清盛を射殺せと部下に命ずる兔丸。その海賊を斬って清盛を助けた忠正。何故と叫ぶ清盛。我ら平家故にと答える家貞。清盛を助ける鱸丸。刺さっていた剣を振り回し、海賊に襲い掛かる清盛。必死に助けを呼ぶ通憲。)

(棟梁を捜す忠盛。忠盛を不意打ちし、船倉に追い込む兔丸。お前達が俺たちを斬るのは、俺たちが物を盗むのと同じだと叫ぶ兔丸。その言葉を聞き、朧月の子かと気付く忠盛。父の仇と斬りかかる兔丸。切り結ぶ二人。)

(忠盛を追い詰めた兔丸。危ういところで助けに現れた清盛。)

(朧月は義の人だった、それを王家にも王家の犬にも判らせてやるのだと叫ぶ兔丸。お前こそ、あの時余計な事を言わなければ、父の子として当たり前の武士で居られたのだと叫び返す清盛。)

(切り結びながら甲板に出た二人。お前のせいで無頼になったのだと清盛。知った事かと兔丸。けれども、皆が来てくれたこんな自分のためにと叫ぶ清盛。なぜこの剣を持っているのか教えてやる、それは武士だからだ、今ここで平家の男だと知る為にこの剣と出会ったのだと兔丸に叫ぶ清盛。清盛の剣を受け、へたり込む兔丸。大の字にひっくり返る清盛。)

(兔丸を捕らえよと郎党に命ずる清盛。それを制して、この者の処分は任せて欲しいと願い出る清盛。うなずく忠盛。)

(お前は俺と同じだと兔丸に声を掛け、平家と共に居ればきっと面白い事もあるはず、手下と共に平家に命を預けよと叫ぶ清盛。俺に王家の犬の為に餅をつけと言うのかと兔丸。王家の犬では終わらないと清盛。お前は阿保やろと兔丸。しかし、賭は嫌いではない、お前の阿保さ加減に賭けてやると言って清盛の手を握る兔丸。その様子を見て、いざ都へと声を上げる忠盛。おうと応える郎党達。一人がっかりしている通憲。)

(保延元年8月。捕らえた海賊70名を連れて都に凱旋した平家一門。ただし、70名は水増しした人数でした。そして、ほとんど検非違使には差し出さずに済ませてしまいます。)

(海賊王になるぞと都大路で叫ぶ清盛。お前ちゃうやろと叫ぶ兔丸。そんな清盛を眺めている時子。)

今回はほとんとが創作の回でした。史実どおりだったのは手下を海賊に仕立てて凱旋したという部分だけで、兔丸は架空の人物ですね。でも怪しい関西弁が面白い人物ではありました。兔の餅つきには笑ったなあ。

怪しいと言えば堀川局と教清ですね。何時の間にあんな関係になったのだろう。でも、この頃教清は数えで19歳、まだ若造というところですよね。それに対して堀川局は幾つだったのだろう。相当な年の差があるはずなのですが、この恋は成立したのでしょうか。

この二人に関しては、ずっと後に璋子が亡くなってから贈答歌を残しているのですが、それも歌のやりとりだけだったと考えられています。堀川局の正確な生年は判らないのですが、その頃にはほとんど老婆と言って良い年齢だったと推定されるからで、西行との間に恋愛感情が生まれるはずはなかったと思われます。それを踏まえての演出なのでしょうけど、かなり無理がありますね。でも面白い設定だから、まあ良いか。教清は打算ぽいですけどね。

でも、璋子の出番が少なくて、ちょっと詰まらなかったです。

由良姫については、頼朝の母という以外には知識がありません。ネットで調べても、あまり逸話とかは出て来ませんね。すると、この人もほとんどは創作という事になるのかな。まあ、今後の演出をみてみないとどうなるのかは判らないですね。

兔丸とは子供の頃から因縁が出来そうな設定ではありましたが、結局は盟友となったのですね。実際にはどうなのだろう、海賊を討伐するたげでなく手下にしたという事もあったのでしょうね。硬軟織り交ぜないと、海賊の取り締まりなど出来ないでしょうから。

憎まれ役だった忠正も、ここに来て平家を第一に考えている男だと証明されました。それを見た清盛も、自分は平家の男だとやっと自覚を持ちます。ここから本当の意味での平清盛が始まるという事なのかな。

次回は清盛の恋愛が描かれる様です。相手は今回顔出しした時子ではなく、史実どおり高階基章の娘(ドラマ上では明子)となる様ですね。どんな演出にするのか、じっくりと見てみたいと思っています。

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2012.02.11

京都・洛北 平成24年度紀元祭 蹴鞠奉納~上賀茂神社~

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建国記念日の今日、上賀茂神社の紀元祭に行ってきました。そこで行われるのが蹴鞠の奉納ですね。

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この行事を訪れるのは2年ぶりとなります。2年前は雨の為に屋内で行われたので、外で見るのは3年ぶりという事になりますね。

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今日はまずまずの天気に恵まれたので、蹴鞠日和と言っても良かったのではないでしょうか。日なたに居れば、それほど寒さも感じずに済みましたしね。

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蹴鞠の奉納の前には空手の奉納があり、下鴨神社の蹴鞠初めの様に待ち時間が無いのが良いですね。神前での儀式の間、じっと待っているのは辛いものがあるのですよ。

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もう一つのメリットは、下鴨神社の様に混雑しない事ですね。初めこそ人垣が出来ますが、時間と共に少なくなり、一番の蹴鞠が終わる頃には自由に動き回る事が出来る程に空いてきます。

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なぜかと言うと、正直なところあまりに続かないので、退屈して帰る人が多いのですね。私は何度も見ているのでこんなものだと判っていますが、初めて見る人はもっと長く蹴り続けられるものだと思っているのでしょう。でも、その割に蹴鞠初めでは人が減らないのが不思議なのですが。次に動画をご覧下さい。

これが撮った中では一番続いている方です。まあ寒い時期ですので、身体が動かないという事もあるのでしょうけど、これまで見てきたのはいつもこんな具合でしたね。

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最後はこんな感じで、観客がほとんど居なくなっている事が判るでしょうか。あまりに少ないので、ちょっと寂しい位でしたね。でも、そのぶんじっくりと見る事が出来るわけで、蹴鞠をゆっくりと見たい人にはお勧めのイベントです。ポジジョンも自由に選べるので、写真を撮りたい人にも向いてますよ。

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2012.02.10

平清盛 璋子出家の地 ~法金剛院~

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大河ドラマ「平清盛」で、不思議な存在感を見せている璋子ですが、その晩年を過ごした場所が法金剛院でした。

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法金剛院の前身は平安時代の初期に遡り、双丘寺として創建されています。後に文徳天皇によって大きく改修され、天安寺と改称されました。璋子こと待賢門院は、廃れていたこの天安寺を復興し、寺号も法金剛院に改めたのです。

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当時の法金剛院は、池を中心に西御堂、南御堂、宸殿が建ち並び、人工の滝を備えた見事な造りだったと言われます。さらにその後、三重塔、東御堂、水閣が整備され、四季折々の花が咲く洛西の名所として知られる様になりました。

今も花の寺としてその伝統を引き継いでいる訳ですが、当時の堂塔伽藍は全て失われ、わずかに池と滝の跡を残すに過ぎません。写真はその滝「青女の滝」の跡で、当時石立の僧(庭園造りに長けていた僧侶の事)として知られていた仁和寺の林賢と静意の作と言われています。

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白河法皇の後ろ盾で鳥羽天皇の中宮となり、国母ともなって権勢を極めた待賢門院でしたが、晩年は得子こと美福門院との争いに敗れ、鳥羽上皇の寵愛も失ってこの寺に隠棲したと言われます。待賢門院はこの寺で落飾しており、極楽浄土を再現したという庭を日々眺めて暮らしたのでしょう。

彼女が産んだ二人の息子、崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱が起こるのはその没後10年を経てからの事で、その争いを見る事無く亡くなったのはせめてもの慰めでしょうか。

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鳥羽上皇の待賢門院に対する思いには複雑なものがあり、7人の子をなすという寵愛ぶりを示した一方で、白河法皇との密通を疑って崇徳帝を冷遇したばかりでなく、後には美福門院を寵姫として待賢門院を遠ざけました。そして、待賢門院が亡くなった時には、磬を打ちながら大声で泣き叫んだと伝えられており、彼女を遠ざけた後も思慕の情は失っていなかった事が窺えます。愛憎共に深く、一筋縄では行かない感情がそこにはあった様ですね。

ドラマとの関係で言えば、堀川局が歌い、義清が添削した和歌、

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ

を刻んだ歌碑が境内にあります(冒頭の写真です)。義清の下りは創作ですが、後に西行となってからこの寺を訪れたとされており、不思議な繋がりは感じますね。

冬はさすがに殺風景な法金剛院ですが、池の畔で寒アヤメが咲いているのを見つけました。こんな時期に咲くアヤメがあるとは知らなかったですね。マンリョウやセンリョウの実は沢山あり、冬枯れの景色の中に彩りを添えています。

花は少ないけれど、晩年の待賢門院に思いを馳せるのならば、誰も居ない冬の法金剛院を訪れてみるのも一興ですよ。

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2012.02.09

京都・洛西 第46回京の冬の旅 ~妙心寺塔頭 玉鳳院~

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京の冬の旅、5カ所目は妙心寺塔頭の玉鳳院です。この寺は、妙心寺の開基である花園天皇が、伽藍の傍らに自ら建てた山内最古の塔頭で、開山である関山慧玄と禅問答を重ねた場所と言われます。その起源から、妙心寺では最も由緒のある寺とされています。

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見所は多く、まずは障壁画で、狩野安信作とされる「麒麟図」、「龍図」、「山水図」、狩野益信作とされる「秋草図」を見る事が出来ます。中でも龍図は冒頭の写真にあるように、伝統的な構図で描かれており、お手本の様に見事な絵ですね。

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開山堂である微笑庵は、元は東福寺にあったものだそうですが、室町時代の建築で山内最古の建物と言われます。妙心寺派の住職になるにはこのお堂の中で戒律を受ける必要があるという神聖な場所で、一般人は入る事が出来ません。

祥雲院殿は、豊臣秀吉の子である鶴松の霊屋で、夭折した鶴松の像が祀られています。利発そうな、可愛らしい子供の像でしたよ。

必見なのは、武田信玄、勝頼、信豊、織田信長、信忠の供養塔(墓石)が並んでいる所で、戦国のライバル同士が一同に会しているという珍しい光景です。

それぞれに経緯があって、武田家の供養塔は、武田家と縁の深い快川紹喜(武田家滅亡の時、菩提寺である恵林寺が信長の焼き討ちに遭った際、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った事で知られる僧。)の弟子である南化玄興が妙心寺住職であった事から信玄の墓があり、勝頼と信豊についてはその首が京都で晒された後、妙心寺が引き取って供養塔を建てたものです。つまりは、首塚と言っても良いのかも知れません。

一方、織田家については、織田家の縁のある大雲院という塔頭が別にあり、そこで供養塔が建てられました。後に大雲院が廃寺となったため、供養塔を玉鳳院で引き取ったとの事です。こうした経過を経て、今の光景があるという訳です。出来れば、大河ドラマ「江」の放映中に訪れたかったなあ。

このほか、三つの趣の異なる庭や、日本最古と言われる唐門などがあります。ここは見るべきものが多い事から、行く前に予習をしておいた方がより楽しめる場所ですね。

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2012.02.08

京都・洛西 第46回京の冬の旅 ~妙心寺塔頭 隣華院~

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今年の京の冬の旅、4カ所目は妙心寺塔頭の隣華院に行って来ました。隣華院を開いたのは安土桃山期の大名である脇坂安治で、慶長4年(1599年)に創建されています。開山には当時の大名たちから尊崇を集めていた南化玄興が迎えられました。  

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今回の特別公開では、障壁画が見所となっています。まずは長谷川等伯の水墨山水図で、方丈の四辺に描かれた襖絵です。雄大な構図の中に人物など細かな書き込みがあり、出来ればじっくり見たい絵なのですが、部屋には立ち入り禁止なので近付く事が出来ないのが残念でした。

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もう一つは狩野永岳による一連の作品で、江戸時代後期の文政から天保にかけて行われた隣華院の改修時に描かれたとされます。写真はその一つである西園雅集図で、北宋の時代の中国の庭園で遊ぶ文人墨客の姿が描かれています。四季花鳥図、紅葉図も同じく襖絵で、いずれも200年近い年月を経ているとは思えないほど、鮮やかな色彩を保っています。岩絵具を使っているのがその理由らしいのですが、先人の知恵には感心させられるばかりですね。竹虎図は杉板に描かれた絵で、青い目をしているのが面白いです。

私的には紅葉図が気に入りました。どこかの名所らしいのですが、秋の東福寺あたりを見ているかの様で、とても綺麗な絵でしたよ。

隣華院は、そんな障壁画に興味のある方にお薦めの場所です。

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2012.02.07

京都・洛中 早咲きの梅 ~京都御苑 2.4~

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立春の2月4日、京都御苑では早咲きの梅が咲き始めていました。

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咲いていたのは梅林の南、出水口の近くにある紅梅で、毎年いち早く見頃となる木です。この日はまだちらほら咲きで一分咲きにも満たない状況でしたが、来週末あたりには結構見られる様になっているのではないかしらん。

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近くではソシンロウバイが咲いていました。まだ苗木といった小さな木ですが、花そのものは綺麗でしたよ。

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木の高さが低いため丁度顔のあたりで花が咲いており、香りを楽しむのにも向いていました。このまま順調に育てば、数年後にはこの時期の京都御苑におけるお薦めスポットになっているかも知れないですね。

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2012.02.06

京都・洛北 早春の青空 ~京都府立植物園~

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立春に訪れた京都府立植物園で、嬉しいと思ったのが青空でした。だって週末に出かけるごとに曇りか雨の日ばかりだったし、すっきり晴れたのっていつ以来かしらん。

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これだけ晴れると、写真の背景にしたいですよね。そこで、見頃を迎えていたソシンロウバイをメインに撮ってみました。

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やっぱり、黄色と青の組み合わせは綺麗ですよね。でも、この色は早春と言うよりやっぱり冬かな。

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梅林にあるロウバイの方は、少し盛りが過ぎた感じでしたが、まだまだ健在でした。爽やかな香りも残っていましたよ。

今月の17日からは早春の草花展が始まりますね。その頃には梅の花もかなり咲いて来ている事でしょう。春が助走を始めている、そんな感じがした植物園でした。

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2012.02.05

平清盛 第5回 「海賊討伐」

(宗子の二人目の子供、平五郎の誕生に沸く忠盛邸。忠盛と宗子に薦められ、生まれたての赤子をこわごわ抱く清盛。)

(役所に遅刻した清盛。そこに現れた義朝。何かと絡み合う二人を自分の家に連れてきた義清。)

(飢饉が続く世の中は、武士にとっての好機到来だと言う義朝。盗賊が増えればそれを討つのが武士の勤め、そのために日々腕を磨き、王家に武士の力を思い知らせたいと義朝。義朝は高い志を持っていると義清。そんな義清に向かって、武芸や歌の才を磨くのは出世のためであろうと清盛。自分は美しさを求めているだけだ、いかかなる世でも美しく生きる事が志だと義清。)

(義清にお前はと聞かれ、面白く生きたいと答える清盛。ふざけているのかと絡む義朝。)

(鳥羽上皇に政での協力を願う崇徳帝。しかし、乱れの元は先の白河院の政にあるとし、その血を濃く引く帝には口出しして欲しくないと断る上皇。治天の君である事を止めない鳥羽院。)

(揺るぎない権勢を持つ璋子。その璋子に娘の得子の身の振り方を頼みに来た藤原長実。彼は娘を帝の側に上げて欲しいと願い出てきたのでした。判ったと答える璋子。)

(上皇に得子に目通りをと願う璋子。それには答えず、なぜ自分に入内したのかと問う上皇。白河院の仰せだったからだと答える璋子。あの時は悲しくて、辛くて、入内してすぐに寝付いてしまった。その時、白河院に会うが良いと上皇が言ってくれたおかけで、院の寵愛を存分に受ける事が出来た。なんと優しい人だろうと思い、中宮として子を産もうという決心が付いたと続ける璋子。璋子の言葉を涙しながら聞いていた上皇は、狂った様に笑いだし、お前の様な女を相手にした私が愚かだった、お前は人の心が通じない物の怪だと言い放ちます。驚愕する璋子。)

(雷雨の中に飛び出し、泣き笑いする上皇。そこに現れた得子。彼女を見た上皇は、璋子の思い通りにはさせぬと言いながら、得子に抱きつき組み敷きます。上皇を受け入れた得子。)

(入内は諦めよと上皇。あなたは璋子という女によって傷ついている、その思いを遂げる為に役に立つ女になりたいと得子。上皇の后となった得子。)

(西海での海賊騒ぎについて朝議に掛ける長成。彼はこの事について詳しい高階通憲を呼んでいました。殿上人では無い通憲を見て笑う人々。彼らに向かって、ご一同こそ海賊騒ぎの元凶と言い放つ通憲。彼は自分の事しか考えぬ者達が政を行っている、その結果民が飢え、恨み辛みが重なって海賊となったのだと言いたい放題に言ってのけます。いきりたつ殿上人を押さえ、良く判ったと言い、通憲を下がらせる忠実。)

(4月8日、平氏に下った西海海賊追討の宣旨。困難な任務に勇み立つ忠盛と郎党達。自分も連れて行って欲しいと願い出る清盛。元より考えていた事と初陣を命ずる忠盛。自分もと願い出る家盛に、維綱と共に京にのこれと命ずる忠盛。それは清盛を跡継ぎにしようと考えての事かと忠正。そんな事は考えていないと忠盛。自分は跡を継ぐつもりなどないと清盛。その証拠に、平家の男子として扱って貰わなくても良い、荷役でも何でも引き受けると清盛。)

(夏。追討使として西海に旅立つ平家一門。それを物陰から見送りつつ、忠盛と自分とでは目指す高みが違うのだと為義。その為義に向かって、東国に行き、腕を磨いて来ると言い出す義朝。彼は乳兄弟の蒲田正清を連れて旅立ちます。)

(一人残された家盛は、母に向かってなぜ父と夫婦になったのかと問います。宗子は、忠盛は会ってすぐに平太との事を話してくれた、その時多くの事を抱えている忠盛を痛々しいと思った、その一端を担ってあげたいと思って平太の母となる事を決めたのだと答えます。)

(安芸の宿営地。伊勢から馳せ参じた伊藤忠清。手だてはと問う忠清に、船と俵を用意してあると忠盛。俵は米を狙ってくる賊への囮でした。一網打尽にしてくれると勇み立つ忠清。その忠清に向かって、海で暮らす者に利のある戦いになる、安芸の海はこれまでとは違う海だと承知されたいと鱸丸。鱸丸にそういうからにはさぞかし強いのだろうと絡む忠清。止める清盛と家貞。謝る忠清。その忠清に謝る事はない、志の違う者が口を出す方が悪いと忠正。申し訳ございませんと謝る鱸丸。)

(鱸丸は清盛の友、邪魔者の様な言い方は控えて欲しいと盛康。漁師など海賊側に居るのが道理だと忠正。その言い方は許せぬと忠正に絡む清盛。放っておけ、戦の準備だと忠盛。忠盛に従う一同。)

(清盛に向かって、平五郎を見てどう思う、可愛いと思うかと問う忠正。うなずく清盛。自分もそうだ、自分の子の時も家盛も可愛いと思い自然に笑えた、しかしお前には笑えなかった。お前は災いの種としか思えないと忠正。お前に流れる物の怪の血がいつか平家に災いすると気になって仕方が無い。お前が本当に兄の子ならと思うと、自分でも口惜しいのだと忠正。)

(こんなところまで来て何をしているのだと座り込む清盛。その時、何でも良いから食わせてくれという声が聞こえてきます。その声の主は通憲でした。)

(清盛に焼き魚を食べさせて貰う通憲。彼は安芸の海で見たいものがあるからと、荷車に隠れて付いてきたのでした。彼の独得の口ぶりに、あの日落とし穴から助けた男だと思い出す清盛。彼は物の怪の血を引いたという定めを負った以上、それに負けぬ力があるという事だと清盛を励まし、災いとなるも宝となるも自分次第だと諭します。)

(海賊討伐に乗り出す平家。囮となるべく、小舟に分乗して船底に隠れる清盛と郎党達。やがて響いてくる銅鑼の音。水平線から現れた巨大な海賊船。)

今回は平家の海賊討伐を主軸に、義朝の関東下向と得子の登場が描かれました。

まず、平家が海賊追討を命じられたのは1135年(長承4年)の事です。ドラマには描かれていませんでしたが、この時は検非違使であった為義と海賊討伐に実績のあった忠盛の二人が候補に挙がり、鳥羽上皇の裁定によって忠盛に宣旨が下ったという経緯があります。為義とその郎党には何かと問題行動があったため、もし為義が討伐に行ったなら沿道の国々を滅ぼしかねないというのがその理由でした。為義も随分と見損なわれたものですが、それだけ忠盛への信任が厚かったと言う方が正しいのでしょうか。

次に義朝が関東に下向したというのは、史実にある通りです。ただし、それがこの時期だったかどうかは定かではありません。その後、彼は関東、特に相模に勢力を伸ばし、源氏の基盤を築いて行く事になります。

面白いのは璋子と得子の関係ですね。特に璋子という人は一体何なのでしょう。およそ人の心が判らないと言うのか、天然系と言うのか、上皇が物の怪と叫びたくなるのが判る様なキャラクター設定になっています。現実の璋子がどんな人だったのかは判りませんが、このドラマにおいては一番面白い人かも知れません。

祇園女御の猶子であったという点においては清盛と共通しており、ある意味姉と弟と見る事も出来ますね。ドラマでは全く触れられていませんが、そんな事実を踏まえておくのも一興です。

一方で自虐的としか思えないのが鳥羽上皇ですが、史実においても璋子に対する思いは複雑なものがあった様です。そのあたりは、ドラマにおいても上手く表現されていると思いますね。ですから、ドラマにおける上皇のキャラクター設定は、結構的を射ていると言えるかも知れません。

そして、今回登場した得子ですが、ある意味歴史を動かした女性の一人と言えるのでしょうね。この人と璋子を巡る関係が、今後の展開に大きく関わって来るはずですから、大いに注目すべき人物の一人です。後に美福門院という美称で呼ばれる女性ですが、その一方で上皇を惑わした九尾の狐のモデルとまで言われるなど評価は様々ですね。このドラマにおいてはどのように描かれるのか楽しみにしているところです。

ちなみに、平五郎とは後の頼盛の事で、間の三と四とは経盛と教盛の事を指し、それぞれ母親が違います。

高階通憲は清盛と交流があった事は確かですが、こんなに人間味のあった人だったのかどうかは定かではありません。どちらかと言うと学者肌で、融通の利かない人という描かれ方が多い様に思うのですけどね。このドラマにおいては面白味のあるキャラクター設定になっており、阿部サダヲにはぴったりの役柄ではありますね。無論、安芸に付いていったという設定は創作です。

来週は清盛と海賊になった兔丸の出逢いが描かれる様ですね。史実とはかなり違う展開になりそうですが、そこはドラマとして楽しめたら良いなと思っているところです。

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2012.02.04

京都・洛北 立春2012 ~京都府立植物園~

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立春を迎えた今日、早春の気配を見つけに京都府立植物園に行ってきました。すると、ありましたよ、バイカオウレンが清楚な花を咲かせていました。

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その隣では、セリバオウレンが咲いていました。この二つの花は、日本の在来種としとては最も早く咲く種類の様ですね。

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もう一つ期待していたセツブンソウは、まだ地面から顔を覗かせたところでした。咲ききるまでは、もう少し時間が掛かる様ですね。

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とても寒い今年の冬を象徴するかの様に、シモバシラの霜がとても大きく成長していました。今日はまだ寒さは弛んでいた方なので、昨日、一昨日あたりはもっと大きくなっていた事でしょうね。

まだまだ冬が優勢ですけれど、春の足音は確かにすぐそこまで聞こえて来ていますよ。

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2012.02.03

桂の木の下で 5

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4からの続きです。

やがて卒園の日を迎えた。

卒園式は母親同伴だった。親たちは一様ににこやかに笑い、無事に卒園を迎えた事を称えあった。小学校に上がる事は、なるほど目出度いに違いなかった。でも、私の中の不安は消えていなかった。小学校で友達になれそうな何人かの子にあたりは付けたけれども、正直言って心許ない相手ばかりだった。

卒園式は無事に終わり、最後のお別れを言うべく皆で教室に戻った。私は不安を隠すため、出来るだけ快活を装って仲間と別れのあいさつを交わした。

近くに住む子達には、

「また会おな!」

の一言を添え、遠くに住む子には、

「大きくなったらまた会えるって。」

と言った。どちらも私にとっては希望の言葉だった。いや、不安を打ち消すための魔法の言葉だったかも知れない。親たちは私の言葉を笑って聞いていたが、私は祈る様な気持ちで、仲間にまた会おうと言っていたのだった。

気がつくと、亜紀ちゃんがお母さんと二人で立っていた。あの日、先生はきつく何かを言っていたけれど、二人の様子は何事も無かったかの様に見えた。彼女のお母さんもまた、控えめながら笑顔で立っていた。ただ、どのお母さんとも話をしようとはしなかった。

私は亜紀ちゃんにもあいさつをしたかった。けれども、話しかけないでと何度も言われた以上、近づく事はためらわれた。

本当は亜紀ちゃんと仲直りをし、一緒に小学校に行けたらどんなに良いだろうと思っていた。亜紀ちゃんとなら行き帰りは同じ道だし、また帰りに家に寄って遊んで帰る事も出来る。学校で嫌な目にあっても、亜紀ちゃんと一緒ならきっと何とかなる。そう思っていた。

けれども、亜紀ちゃんは○○小学校には行かないと言ったきりだった。その後、話す事も出来ないまま今日まで来てしまっていた。毎日バスではすぐ前に座っていたにも関わらずだ。

一通りあいさつを済ました私は、母親の側に行った。もう幼稚園でする事は何も残ってはいなかった。あとは先生にあいさつをして帰るだけのはずだった。ところが、ふと横を見ると亜紀ちゃんがすぐ隣に来ていた。そして、素早く私の耳に囁いた。

「今日、家に行くから待ってて。」

亜紀ちゃんはそう言うと、驚いた私を残して、さっさと母親の下に戻っていった。亜紀ちゃんのお母さんは、私と彼女を等分に見比べ、何をしていたのと亜紀ちゃんに聞いていた。ううん、何もと答えた亜紀ちゃんは、素知らぬ顔をして向こうを見た。亜紀ちゃんのお母さんは少し首をかしげ、それから私を見てにこりと笑って会釈をした。

家に帰った私は制服を脱いで普段着に着替えた。卒園したのだから、もう制服は着ていられないと思ったのだった。そして、いつかの様に家の表に出て亜紀ちゃんが来るのを待った。話しかけるなと言っていた亜紀ちゃんが、家に来ると言ったのは意外だった。しかし、最後の日に会えるのは嬉しくもあった。また、何を言われるのだろうと不安でもあった。

やがて、鳥居の向こうから亜紀ちゃんが出てくるのが見えた。亜紀ちゃんはまだ制服のままだった。小柄な亜紀ちゃんは、まるで手まりが転がる様に駆けて来た。私の前まで来て止まった亜紀ちゃんを、私は家の中に誘った。とこころが亜紀ちゃんは、

「外がいい。家の人に会いたないの。」

そう言って私を桂の木の下に引っ張って行った。桂の木は、ちょうど芽吹き始めたところだった。上を見上げれば、冬枯れの枝にうっすらと緑が萌えているのが判った。私は亜紀ちゃんが何かを言い出すのを待った。

亜紀ちゃんは暫く黙ったあと、堰が切れた様に話し始めた。

「ごめんな、いけずばっかりゆうて。ほんまは、ずっと話たかってん。もっと遊びたかってん。でも、お母さんがあかんて言うてん。もうあの子と遊んだらあかん、家にも呼んだらあかんて。」

亜紀ちゃんは何を言い出したのかと思った。聞き間違えたのかとも思った。亜紀ちゃんは謝っている。そうか、私に冷たくしたのはお母さんに止められたからなのか。そうなんだ。お母さんの言いつけだったのなら仕方がないか。亜紀ちゃんの言葉を聞き、私の心の中にあったわだかまりがすっと消えていくのが判った。

「良かった。嫌われたかと思てた。」

「ううん。そんな事ない。ずっと一緒に居たかってん。何回も話しかけてくれたの、嬉しかってん。でも、もう話したらあかんて言われてたん。」

一生懸命の顔で亜紀ちゃんは言った。

私の思いは亜紀ちゃんに通じていた。私は目の前の霧が晴れ、心に暖かいものが満ちあふれて来る様な気がした。

「私な、もう幼稚園にも行ったらあかんて言われてたん。外にも出たらあかんて。でも、幼稚園だけは行かせてて頼んだん。泣いて頼んだん。」

なぜお母さんがそう言ったのかは判らなかった。聞いても亜紀ちゃんは答えなかっただろう。でも、私にはお母さんの事情はどうでも良い事だった。

「もうええよ。それより、小学校一緒に行こな。○○小学校に行くんやろ。」

心から安心した私は亜紀ちゃんにそう言った。きっと、小学校も楽しくなる。でも、行き帰りに一緒に歩くのは彼女が嫌がるかな。家の近くなら良いか。またあの家で遊べる、小学生になったら何をして遊ぼうか。

ところが亜紀ちゃんは声を落としてこう言った。

「○○小学校には行けへんて言うたやろ。」

意外な彼女の言葉に私は動揺した。

「けど、他にどこに行くところがあるの。」

「判らへんねん。」

亜紀ちゃんは俯いてそう言った。そして、やがて決心した様に私に言った。

「私、引っ越しするねん。そやから、小学校には一緒に行かれへん。」

引っ越し?引っ越しって何だろう。亜紀ちゃんがどこかに行くという事?小学校には一緒に行けない?そう言えば亜紀ちゃんは鎌倉から来たのだった。じゃあ、また鎌倉に帰るのか。せっかく仲直りしたのに、もう会えなくなる?そんなの嫌だ。それとも、引っ越すって京都の市内?京都の中なら何とかなる。

一瞬のうちに、様々な思いがよぎった。ついさっき見つけた暖かな幸せが消えようとしていた。このままじゃ駄目だ。何とかしなきゃ、何とか。そう思った私は、あの台詞を口走っていた。

「大丈夫。大きくなったらまた会えるって。」

本当はずっと一緒に居たかった。引っ越しなんてしないでと言いたかった。幼い私たちでは、離ればなれになっては、また会うことは難しいのは判っていた。でも、親が決めた事を変えるのは無理だとも判っていた。だから、私は亜紀ちゃんとの絆をこの言葉でつなぎ止めようとしたのだった。大きくなったらまた会えると。

でも亜紀ちゃんは寂しそうに言った。

「もう無理やわ。」

「何で。そんな事あれへん。」

「私、遠くに行くの。」

「遠くってどこ。京都のどこか。」

「私、兵庫、行くねん。」

兵庫?兵庫ってどこだ?確か西の方?大阪なら知ってる。おばあちゃんが居る所だ。大阪なら電車で行ける。兵庫はどこだっけ。大阪より向こう?それとも手前?電車で行けるのかな。どこかで乗り換えるのかな。乗り換えの電車は判るかな。

時刻は日暮れ時だった。西日が桂の木を赤く染めていた。私は夕日を探した。夕日は西に沈むと教えて貰っていた。あの日が沈む山の向こうに兵庫があるはずだ。でも、どうやったらあそこまで行けるのだろう。

亜紀ちゃんの顔も半分西日で染まっていた。心が一杯になった私は、亜紀ちゃんにこう言った。

「大丈夫。大きくなったら絶対会えるって!」

私はこの魔法の言葉に縋るほか無かった。もう会えなくなるとは、どうしても思いたくはなかった。

「そやね、そうやったらええね。」

亜紀ちゃんは寂しそうに言った。

「ほんまは、引っ越すて、誰にも言うたらあかんて言われてたん。ここにも来たらあかんて言われてたん。家の人の迷惑になるからって。でも、どうしても来たかってん。そやからお母さんには黙って来てん。」

亜紀ちゃんは親の言いつけを破ってまでも私に会いに来てくれた。彼女にはこれが最後のチャンスだと判っていたからだった。私はもうどうしようも無い事を悟った。幼い私の力で出来るのはここまでだった。でも、せめて亜紀ちゃんとの最後のこの時間を思い出に残るものにしたいと思った。

「なあ、もうちょっとええやろ。最後に遊ぼ。何して遊ぶ。」

「あかんわ。もう帰らなあかん。引っ越し、今日やねん。遅なったら、お母さんに叱られる。」

私はこれ以上言うべき言葉が見つからなかった。私は亜紀ちゃんをつなぎ止める術を全て失ったのを知った。

「いっぱい遊んでくれてありがとう。優しくしてくれて、ありがとう。嬉しかった。」

そう言った亜紀ちゃんの目には、涙が一杯たまっていた。

「それじゃ、行くね。」

さよならとは言わず、亜紀ちゃんは走り出した。鳥居に向かって駆けていく亜紀ちゃんは振り向く事はしなかった。その代わり時々腕を顔の前で交差した。きっと涙を拭いているのだろうと思った。やがて亜紀ちゃんの小さな姿は鳥居の向こうに消えて行った。

私は不思議に涙も出なかった。失ったものが大きすぎる時、悲しいとも感じないものらしいと幼な心に思った。ただ、心に大きな隙間が出来た様に感じた。心が寒いと感じた。

そして、同時に亜紀ちゃんの事は忘れようと思った。忘れなければ前に進めそうになかった。小学校に一人で通うには、亜紀ちゃんを失った痛手を抱えては居られなかった。だから私は、懸命に亜紀ちゃんの事を忘れ様とした。亜紀ちゃんとの事は最初から無かったんだと、そう思い込こもうとした。

でも、年とともに亜紀ちゃんの記憶は鮮明に蘇って来た。彼女の置かれた数奇な境遇も、今はおぼろげながら想像が付く。そして彼女が抱えていたであろう悲しみも今では判る。

親の都合に翻弄された彼女に、私も巻き込まれた形だった。でも、亜紀ちゃんを恨む気持ちなど毛頭無い。亜紀ちゃんと過ごした楽しい記憶は、今でも私の宝物である。そして、亜紀ちゃんが残した別れの言葉も。

兵庫に行った亜紀ちゃんは、その後幸せに暮らせただろうか。今となっては知る術も無いけれど、幸多かれと願うばかりである。

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京都・洛東 今日は節分ですね

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今日は節分ですね。京都では各地で様々な行事が行われた事でしょう。昨年は一日を掛けてはしごをしたものですが、今年は残念ながら無理でした。

写真は昨年撮った平安神宮の様子で、ここでは古式に則った追難式「大儺之儀」が行われます。

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そのあとに行われるのが茂山千之丞社中による鬼踊りですね。手に手に武器を持った鬼たちが、ユーモラスな踊りを披露してくれますよ。

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最後は大火焚神事で締められます。火焚串4万本を焚き上げる大たき火ですね。その様子は昨年の記事にアップしていますので参照してください。

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今年は地元の神社で行われている追難式に参列し、その後は我が家で豆まきをして過ごしました。こういう静かな過ごし方も良いものですね。

でも、来年は日曜日なので朝から晩まで京都を駆け回るつもりなんて、そんな事を言ったらそれこそ鬼に笑らわれてしまいますか。

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2012.02.02

桂の木の下で 4

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3からの続きです。

次の日、バスの乗り場には、亜紀ちゃん一人が居た。先生が、

「今日は一人?」

と聞くと、

「はい。」

と小声で答えて彼女はバスに乗ってきた。私の方をちらりとも見ないのはいつもの事なのだが、黙って前に座った亜紀ちゃんの後ろ姿を見ながら、何かあったのだろうかと私は気を揉んでいた。

幼稚園に着き、バスを降りた時に私は亜紀ちゃんに話しかけた。

「どないしたん?」

すると私は、意外な言葉を浴びせかけられた。

「もう私に話しかけんといて。それから、家に遊びに来てもあかんし。」

突然の絶交宣言だった。どうしてと問う間もなく、亜紀ちゃんは背を向けて教室に入って行った。何か気に入らない事でも言っただろうかとあれこれ思いをめぐらしたが、見当は付かなかった。やっぱり、昨日遊びに行ったのが良くなかったのか。でも、昨日は仲良く遊んで帰ったはずなのに。

訳の判らぬ私は、中休みに亜紀ちゃんに近づき、訳を聞こうとした。でも亜紀ちゃんは、

「話かけんといて。」

と冷たく言い放ち、私から離れていった。なぜか突然、私は彼女から嫌われてしまっていたのだった。

元々亜紀ちゃんとは幼稚園では話さない様にしていたので、絶交されても遊び相手には困らなかった。西山君も同じ組に居たし、他にも仲間は何人も居た。彼らといつもの様に遊びながらも、私は亜紀ちゃんの事を忘れる事が出来なかった。亜紀ちゃんの方をそれとなく見ていると、相変わらず他の女の子とは遊ばないで、一人で絵本を見たりお絵かきをしており、特に変わりは無いようだった。そんな亜紀ちゃんを見ながら、私は心のどこかに穴が開いたような寂しさを覚えていた。

それから数日後、さらなる変化が待っていた。亜紀ちゃんが登園して来なくなったのである。いつもの様にバスが大鳥居の前を回っても、いつもの待ち合わせ場所に亜紀ちゃんの姿は無かった。

「あれ。今日はお休みかな。連絡はありました?」

「いや、何も聞いてないけど。」

先生と運転手さんは短いやりとりをした後、

「仕方がないわね。」

と言ってそのまま通り過ぎた。次の日も同じだった。また、その次の日も。そのうちに、先生も運転手さんも何も言わずに、ちょっと徐行するだけで亜紀ちゃんの待ち合わせ場所を素通りする様になった。冬休みが来ても、とうとう亜紀ちゃんは姿を見せなかった。

やがて年が改まり、幼稚園も最後のシーズンを迎えた。正月を過ぎても亜紀ちゃんの姿は待ち合わせ場所に現れなかった。

その頃になると、年長組の話題は、次に上がる小学校の事で持ちきりとなった。みんな新しい世界に入ることに、期待と不安を抱いていたのである。そんな中、私は大きな問題に直面していた。なんと私の行く小学校には、幼稚園の仲間が一人も行かない事が判ったのである。

正確には何人か一緒に行く子達は居た。でも、どの顔も普段遊んだ事がない子たちばかりで、西山君を初めとする私の仲間はことごとく違う学校だった。幼稚園では大勢の友達に囲まれていた私が、小学校に上がったとたんに一人ぼっちになってしまうのである。

これはとんでもない話だった。女の子ではただ一人、大仏さんだけが一緒だった。亜紀ちゃんが居なくなった後、私は大仏さんとまた話す様になっていた。彼女は同じ学校で良かったねと言ってくれたが、彼女一人では心許なかった。どうにかしなければと思った私は、同じ学校に行く子たちの中で仲良く出来そうな子を探した。やっと一人、二人と見つけたが、やはりいつもの仲間とは勝手が違った。

そんな中、私はふと亜紀ちゃんの事を思った。そうだ、彼女が居る。あの子は間違いなく同じ小学校だった。でも、亜紀ちゃんには絶交されたままだった。そして何より、何があったのか今は幼稚園にも来ていない。

幼い私には、何もかもが荷が重すぎた。あれほど楽しかった幼稚園が、急に気重になって来た。このまま小学校に持ち上がればよいのに。どうにもならぬ事とは知りつつ、そんな事を思ったりしていた。

そして、一月も過ぎようとしていたある日、再び変化が訪れた。亜紀ちゃんが登園して来たのである。

その日、バスが大鳥居の前を曲がった時、どうせ今日も素通りかと思われたその場所に、亜紀ちゃんの小柄な姿が見えた。

「あれ?」

という声とともに、先生が運転手さんに止まるように声を掛けた。

「どうしてたの?お母さんは?」

心配そうに聞く先生には答えず、亜紀ちゃんは

「おはようございます。」

とだけ言って、さっさと私の前の席に座った。私の方をちらりとも見ないのは以前のままだった。

何があったのかは判らないけれど、久しぶりに亜紀ちゃんの姿を見た私は嬉しかった。私はバスに乗っている間、亜紀ちゃんの黄金色に透ける髪を飽かずに眺めていた。でも、亜紀ちゃんに話しかける事は出来なかった。亜紀ちゃんは以前にも増して冷たく装い、私を近づけようとはしなかったのである。

久しぶりに登園した亜紀ちゃんには、少しだけ変化が見えた。絶対に遊ばないはずの女の子達と、話をし出したのである。ずっと肩肘を張って女の子を近づけなかった彼女が、他の子と本をのぞき込んだりお絵かきをしている姿は、ごく普通のおとなしい女の子に見えた。

二月に入ると、卒園式の稽古が始まった。卒園式で歌う歌を習ったり、卒園証書を受け取る練習をするのが日課となった。私は卒園と同時に襲って来る孤独を思いながら、卒園の歌を歌っていた。

そうしている内に二月はあっという間に過ぎ、三月に入った。あと少しで卒園式となったある日、先生がみんなを集め、次に上がる小学校の名を言う様に言った。それぞれの進路先を確かめ合い、小学校に上がっても仲良くしようという趣旨だった。

仲間たちが次々に小学校の名を言っていく中、私は言いようのない寂しさを感じていた。私も彼らと同じ学校なら良かったのに。けれども、自分の順番が来たとき、私はやっと覚悟を決めることが出来た。○○小学校です、と少数派の名を言った時、仕方がないとあきらめる事が出来たのである。

自分の事はとりあえずけりを付けたが、気になるのは亜紀ちゃんだった。亜紀ちゃんとはずっと口を利いていなかったが、きっと私と同じ小学校の名を言うはずだった。ところが、亜紀ちゃんの番が回ってきた時、立ち上がった彼女はじっと俯いたまま、何も言わないのだった。

教室に、異様な沈黙が流れた。亜紀ちゃんは懸命に何かをこらえるように、ずっと下を見ていた。私は彼女が○○小学校の名を知らないのだろうと思った。彼女は一年前に鎌倉から来たばかりであり、きっと地元の小学校の名前は覚えていないに違いない。

私はよっぽど亜紀ちゃんに耳打ちしてあげようかと、やきもきしなが彼女を見つめていた。ところが、沈黙を破ったのは先生だった。先生の声はいつになく尖っていた。

「なんであなたは黙っているの。あなたの家はどうなっているの。お母さんは何も返事をくれないけど、授業料も溜まっているのよ。」

私は、先生は何を言い出すのだろうと思った。普段はとても優しい先生で、およそ園児を叱ったりする人ではなかった。なのに、今の言葉は明らかに亜紀ちゃんに厳しく当たっている。

「お母さんは悪くありません!」

亜紀ちゃんは突然叫んだ。いつかの日、あのおばあさんに向かって言ったのと同じ調子だった。先生も驚いた様子だったが、さすがに落ち着いた調子で、

「このままだと、あなたは卒園出来ません。先生からも言うけど、あなたからもお母さんに伝えるのよ。判った?」

先生にそう言われると、亜紀ちゃんはさすがに小声で、

「はい。」

と答えてやっと座った。

休み時間、私はどうしても放っておけず、亜紀ちゃんに近づいてそっと囁いた。

「なんで○○小学校て言わへんの?知らんかったん?」

ところが亜紀ちゃんの返事はきついものだった。

「○○小学校なんて行かへんわ。もう、話かけんといてて言うてるやろ!」

取り付く島も無いというのはこういう事を言うのかと思いつつ、じゃあ亜紀ちゃんはどこに行くと言うのだろうと考えた。でも、いくら考えても、幼い私には答えは出なかった。

以下5に続きます。

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京都・洛中 蝋梅 ~北野天満宮 1.28~

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北野天満宮で、蝋梅が満開になっています。

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蝋梅が咲いているのは本殿の西側で、周囲はほんのりと黄色に染まり、心なしか暖かい気分になりますね。

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その背後にある灯籠には文政5年とあり、190年前に奉納されたものだと判ります。かなり錆が浮いていますが、こういうのって途中で補修されたりするものなのでしょうか。それとも次々に奉納されるでしょうから、順番に更新されて行くものなのでしょうかね。まあ、190年も現役を通したのですから、十分に役割は果たしたと言えるのでしょうけど。

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蝋梅は丁度見頃といったところでした。花期の長い花ですから、まだ暫くは咲いていると思いますよ。

Kitano1202026

早咲きの梅もいくらか咲いていました。一番先進んでいたのは絵馬堂の前にある木で、1分咲き程度にはなっていたかな。極寒の日が続きますが、確実に春は近づいていると感じさせてくれる花ですよね。

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2012.02.01

桂の木の下で 3

2からの続きです。

反対に、亜紀ちゃんが私の家に来た事も一度だけある。幼稚園で亜紀ちゃんにそっと近づき、今日遊びに来ないと誘うと二つ返事で乗ってくれた。亜紀ちゃんは私の家を知らないので、とにかく神社を真っ直ぐに抜けて来る様に言い、私は家の外に出て待っている事にした。

私は嬉しくて家に帰るなり母親に今日彼女が遊びに来る事を告げ、すぐに表に飛び出して亜紀ちゃんを待った。そんなにすぐ来るわけがないと親に笑われたが、亜紀ちゃんが迷うといけないと思ったのである。

どれほど待っただろう、鳥居の所に彼女の小さな姿が見えた時は嬉しかった。私は手を振って亜紀ちゃんに合図した。すると亜紀ちゃんもすぐに気がついて、道の向こうから駆けて来た。勢いよく走ってきた亜紀ちゃんは、私の前であわてて止まった。亜紀ちゃんもまた、いつかの私のように制服のままだった。

「いらっしゃい。中に入って。」

いつもは遊びに行くばかりなので、私はうきうきしていた。ところが、亜紀ちゃんはいつもとは違う余所行きの顔をしていた。初めて来る家で緊張しているのだろうかと思ったけれども、何となく勝手が違って私はとまどった。

亜紀ちゃんは私と違って、私の母にきちんとあいさつをした。偉いね、あいさつが出来てと褒めた母は、亜紀ちゃんが気に入った様子だった。私は亜紀ちゃんがそうしてくれたように家の中を案内する事にした。でも、いつまで経っても余所行きの顔は変わらず、何だか調子が出なくて困った。

あまりに亜紀ちゃんが乗って来ないので、何をして良いのやらと迷ったあげく、その頃流行っていたシールを貼らないかと誘ってみた。これには亜紀ちゃんも反応を示し、どうやれば良いのと聞いてきた。

このシールはガムのおまけに付いていたもので、包み紙がシールになっていた。このシールを貼るのには、ちょっとしたコツがあった。紙が二重になっていて上のシールだけを一度はがし、表面を確かめてから貼らないと裏返しになってしまうのである。私はそれまでに何度も失敗し、先日やっと出来る様になったばかりであった。ところが、亜紀ちゃんに説明しながら貼っていると、見事に裏返しになってしまった。表と裏を間違えてしまったのである。ちょっと情けなくて泣きたいような気持ちになっていると、すぐ上の兄が現れた。そして、彼女のシールを手に取ると上手に剥がし、表を確かめてからこうしてご覧と言って亜紀ちゃんに手渡した。

「出来た。」

と喜ぶ亜紀ちゃんを見て、兄に良いところを持って行かれた私は、ちょっと複雑な気分だった。

もっと遊んでいけばと誘う私に、もう帰らなきゃと言って亜紀ちゃんは帰っていった。帰り際、

「また来る?」

と聞いた私に、うんと答えた亜紀ちゃんは、いつもの亜紀ちゃんに戻っていた。

次の日、私はまた亜紀ちゃんを家に誘ってみた。ところがなぜか彼女は元気が無かった。どうしたのと聞くと、お母さんに叱られたのだと言う。亜紀ちゃんはどういう訳か、私の家に来るのを止められていたのだった。昨日も話せばきっと駄目だと言われると思い、黙って出て来たと言うのである。それがばれて、彼女は二度と遊びに行ってはいけないと釘を刺されたのだった。

昨日亜紀ちゃんの様子が変だったのは、親に内緒で来ていたからだった。でも、なぜ駄目なんだろうと聞く私に訳は話さず、遊びに来てもらうだけにしなさいと母に言われたとだけ言った。

やがて幼稚園は夏休みとなり、亜紀ちゃんと会う機会は無くなった。家が近いのだから遊びに行けば良さそうなものだが、断りもなしに行くのは、はばかられたのである。私はちょっと寂しい思いをしながら、夏が過ぎるのを待った。

桂の木に秋が来て、やがて夏休みも終わった。幼稚園が始まると、亜紀ちゃんとは元通り仲良く遊んだ。おもしろい事に、亜紀ちゃんの言葉はいつしかすっかり京言葉に染まり、あの歯切れの良い関東弁は姿を消していた。

ところが、日が経つにつれて遊びに来てはいけないと言われる事が多くなり、2回に1回は駄目になり、やがてが3回に2回になった。私はその理由が判らず、亜紀ちゃんに嫌われ始めたのかと気を揉んだ。

Katura12020111

事態が急展開を見せたのは、秋も深まりを見せて来た頃である。その日も亜紀ちゃんは遊ぶのを渋っていたが、やっと来ても良いと言ってくれたのだった。黄色く染まった桂の葉は大半が散り、桜の葉も赤く染まって舞っていた。そんな落ち葉を踏みしめながら、私は亜紀ちゃんの家に向かった。

いつもの様に階段を上がって格子戸を潜り、玄関の扉を開いた。すると、座敷には掘りごたつがしつらえられていた。私は少し早い冬を感じた。そして、そこには見知らぬおばあさんが座っていた。私はちょっととまどった。正直言って、良い印象のおばあさんではなかった。私の周りにいるお年寄りとはどこか違う感じがしたのだ。あえて言うなら、油断がならない、そんな感じだった。

誰やろ、もしかしたら亜紀ちゃんのおばあさんかな、そやったら黙って奥に行くのは悪いかな。

そんな事を考えて立ちつくしていた私に、おばあさんは、

「あの子に会いに来たんか。」

とにこやかに声を掛けてきた。私は「うん。」と答えたが、その笑顔がかえってなじめないものを感じた。

「まあ、こっちに上がり。あの子は今奥に行ってる。じきに戻るよって。」

私はいよいよ亜紀ちゃんのおばあさんに違いないと思った。いつもなら亜紀ちゃんを呼んでさっさと奥に入ってしまうのだが、それではおばあさんに悪いと思い、座敷に上がって掘りごたつに入った。

「どうや、お菓子でも食べへんか。」

そういって、おばあさんは信玄袋から駄菓子を出してくれた。

「ありがとう。」

と言って受け取った私だが、何を話せばよいのだろうとそればかりを考えていた。そんな私を見て、

「おとなしい子やな。あの子の友達か。」

とおばあさんは話しかけてくる。うん、と私が答えようとした時、突然大きな音を立てて奥の部屋との間の襖が開いた。そこには幼稚園の制服を着た亜紀ちゃんが立っていた。そして、叫び始めた。

「何してんの。帰ってて言うたやろ!」

ものすごい剣幕だった。亜紀ちゃんの気が強い事は十分承知していたが、こんな勢いでまくし立てるのは初めて見た。亜紀ちゃんは誰に言っているのか。まさか自分のおばあさんにあんなきつい言い方はしないだろう。だとすると私に言っているのか。今日は本当は来て欲しくなかったのか。良いと言ったと思ったのは聞き間違い?私が無理に押しかけたのを怒っているのか。とまどう私の横から、意外にもおばあさんがしゃべり出した。

「お母さんを呼んでて言うたやろ。奥に居るのは判ってるんや。はよ呼んで来て!」

「お母さんはいいひん!さっき言うたやろ!」

「あんた嘘ついたらあかんえ!」

「嘘なんかついてない!はよ帰り!」

「嘘つきはあんたのお母さんえ!上手いこと言うて、ちょっとも約束どおりしてくれへん!あんたのお母さんは、ほんまにひどい人え!」

「お母さんは、そんな人とちゃう!嘘つきはあんたや!ええから、はよ帰って!」

幼稚園児にまくし立てられて、おばあさんも面食らったのだろう。顔を真っ赤にして肩を震わしていたが、幼児相手にこれ以上喧嘩も出来ないと思ったのか、

「ええか、お母さんにまた来ると言うといてや!」

と捨て台詞を残し、信玄袋を手に帰って行った。

二人のやりとりを呆然と聞いていた私は、このままここに居ても良いのかと思った。何とも居心地が悪かったのだ。そんな私を見て亜紀ちゃんは、まだ興奮がさめやらぬ様子で、

「何でこんなとこに居てるの!はよ奥に入って!」

と、いつに無い強い調子でまくしたてた。私もおばあさんのとばっちりを受けた格好だ。どうしたのかと声を掛けようと思いつつ、掘りごたつから出て隣の部屋へと入った。するとまた驚く事が待っていた。亜紀ちゃんのお母さんがそこに居たのである。

「あの人帰った?」

お母さんは、そっと表の座敷の方をのぞき込む様にして、小声で亜紀ちゃんに聞いた。

「帰ったわ!あの人、ほんまに好かん!」

「困った人だわ。」

そう言ったお母さんの顔は、本当に困ったというより、どこかずるそうに見えた。それっきりお母さんは奥の部屋に引っ込み、姿を見せなくなった。

私はやっと亜紀ちゃんに、

「おばあさんに、あんな事言うてもええの?」

と聞く事が出来た。

「あんな人、おばあさんちゃうわ。」

「え、自分のおばあさんやないの?」

「違うて言うてるやろ。全然知らん人や。」

まだぷりぷりと怒りながら、亜紀ちゃんはつっけんどんに答えた。

私は何が何だか判らないまま、亜紀ちゃんの機嫌が直るのを待つしかなかった。亜紀ちゃんがやっと落ち着いたのは、二階への階段を半ば上がり掛けた時だった。

「せっかく来たんやし、ゆっくり遊ぼ。」

亜紀ちゃんにはそう言われたが、私はとてもそんな気分ではなかった。と言って帰る気にもなれず、いつものように二階をのぞいたり、廊下を滑ったり、秘密の扉をそっと開けかけたりして遊んだ。亜紀ちゃんの機嫌はすっかり直ったが、おばあさんの事は二度と口にしなかった。そして、私たちはいつもの様に別れた。

以下4に続きます。

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京都・洛中 白の万両、赤の十両 ~高桐院~

Koutouin1202011

大徳寺の塔頭、高桐院を訪れてきました。冬にここを訪れるのは何度目になるのだろう、静かな庭園を眺められるのが気に入っている季節です。

Koutouin1202012

当初の目的は、この寺にある椿の銘花「雪中花」を見るためでした。ところが、何度来ても見る事が出来ないのですよ。正直言ってどの木が雪中花なのか判っていないのですが、椿らしき木に花はおろか蕾の一つも付いておらず、残念ながら今年も空振りに終わっています。

Koutouin1202013

写真は残っているので確かにあるのでしょうけどね、受付で聞いてもはっきりしないのでは確かめ様がありません。どなたか情報をお持ちではないでしょうか。

Koutouin1202015

それはともかく、冒頭にも書いたように、冬の高桐院は訪れる人も少なく、ゆっくり出来るのが良いですね。秋の紅葉の盛りに、これくらい空いていれば良いのですが、それは望むべくも無い事でしょう。

Koutouin1202016

椿は無かったのですが、赤い実はそこかしこにありました。これは南天の実ですが、背後の窓と良く調和して見えました。写真では今ひとつ表現出来ていないのですけどね。

Koutouin1202017

白の万両の実は、珍しいというほどでは無いけれども、少ない事は確かですよね。よく見る赤の万両とはまた違った風情を感じます。

Koutouin1202018

こちらは赤の十両です。ヤブコウジというのが本当の名前の様ですが、実の多寡を数字に置き換えて名前にするとは、何とも洒落た事をするものです。あと千両はいくつかあったのですが、百両は気が付かなかったな。どこかにあったのでしょうか。

こんな具合に、庭に込められた洒落を見つけられるのも、ゆっくりと出来る冬の拝観ならではの事ですね。


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