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2012.01.27

京都・洛中 京の冬の旅2012 ~大光明寺~

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今年の京の冬の旅、3カ所目は大光明寺に行って来ました。ここは普段から庭までは自由に拝観出来るので何度となく訪れているのですが、中に入るのは初めてになるため期待していた場所です。

大光明寺については以前に紹介しているので繰り返しになりますが、1339年(暦応2年)に、後伏見天皇の皇后である広義門院によって開創されました。門院は夢窓疎石国師に深く帰依され、禅学を修されていました。そして帝が薨去されると落飾され、国師を開山に迎えて一堂を建立し、自らの法号をもって大光明寺と名付けられたのでした。

大光明寺は、当初は伏見桃山の地にあって伏見家の菩提寺とされていたのですが、応仁の乱によって荒廃してしまいます。その後、豊臣秀吉の手によって復興し、さらに1614年(慶長19年)に徳川家康によって現在地に移され、相国寺の塔頭となり現在に至っています。

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今回の特別公開においては、まず御本尊の普賢菩薩像を拝観する事が出来ます。この仏像は、座った白象の上に蓮華の台座を置き、その上に結跏趺坐っているという姿ですが、少し細っそりとした御顔立ちで、なかなかの美男の仏様ですよ。

私が見たかったのは伊藤若冲の絵で、小鳥が描かれた掛け軸「芭蕉小禽図」でした。ただ、若冲にしてはこぢんまりとしすぎて大胆さが見られず、私としては物足りない気がしました。小鳥の描き込みなどはさすがと思いましたが、落款が無ければ若冲作とは気がつかないかも知れません。まあ、私の素人判断ですので、的外れな批評だとすればごめんなさい。

面白いと思ったのは足利義尚直筆の書「和漢朗詠」で、この人に絡む遺品は初めて見たような気がします。応仁の乱の原因ともなった人ですが、足利幕府を一時的にせよ復興させた将軍らしい力強い書でした。マイナーな存在ですけどね、歴史好きには興味深い一品だと思います。

写真は心字の庭で、ここは普段から拝観出来る場所ですね。二枚目の写真を見れば、苔の部分が「心」という字になっているのが判るでしょうか。比較的新しい庭で、昭和50年代に当時のご住職が作庭されたのだとか。とても調和の取れた良い庭ですよね。

一点、心の字にはない黒い石の様な物が置かれているのですが、これは中国土産の置物だそうですね。なぜここに置いたのかは判りませんが、妙に調和しているのが不思議なところです。こんな事を教えて貰えるのは、特別拝観ならではの事ですね。


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