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2012.01.15

平清盛 第2回 「無頼の高平太」

(文治元年、壇ノ浦で平家を滅ぼした源頼朝。父の菩提を弔う建柱式の場で、三種の神器のうち、草薙の剣が見つからないという報告を受けます。苛立って、もっと探すように命ずる政子。その一方で、もう良いと捜索の打ち切りを言い出す頼朝。彼はまだ清盛がどこかで生きていて、剣を振り回している様な気がしたのでした。)

(57年前。京の賭場で賭け事をしている平太。見事に勝って帰ろうとしますが、一人勝ちは許さないと引き止められます。しかし、負けた奴の許しなど要らないと言って凄む平太。彼は無頼の高平太として名を知られていました。珍妙な格好をして京をうろつく平氏の御曹司、それが今の平太だったのです。ならず者達を相手に大立ち回りを演じ、見事に逃げ切ってみせる平太。)

(平太の無頼ぶりを憤る忠正。彼は平太に平氏の血が流れていない事が気に喰わず、忠盛が嫡男として育てている事に反対なのでした。跡継ぎとして、次男の平次を推す忠正。そこに帰って来た平太に、年明けすぐに元服だと伝える忠盛。やがて位を貰えば貴族の仲間入りだと喜ぶ郎党達。一緒に舞を習いましょうと言う平次の手を払う平太。何をなさいますと気色ばむ宗子。その宗子に食って掛かる平太。甥の無礼をたしなめる忠正。良いのですと平太を庇う宗子。)

(無言で立ち去ろうとする平太。その平太に向かって、平家の男子に相応しい振る舞いをする様になって下さいと郎党。自分は貴族にも、王家の犬にも、平家の犬にもなる気はない、いっそ野良犬として生きてやると吐き捨てる平太。そうか、と平然と答える忠盛。次に博打場か盗賊の隠れ家で会う時は容赦しないと凄む忠盛に、貫禄負けして逃げ出す平太。)

(都大路で仰向けになり、俺は誰なんだと叫ぶ平太。その時、誰でも良いから助けと呉れという声が聞こえます。驚いて塀の上に上ると、平太が掘った落とし穴に落ちている男が居ました。助けを求める男を穴から出してやる平太。)

(平太に礼を言いつつ、この穴は荒れた今の都を現していると男。いや、これは自分が掘った落とし穴だと平太。平太の言う事には耳を貸さず、月を覆う煙を指さし、あれも今のどす黒い世を現していると男。自分には、あの煙は自分のどす黒さに嫌気が差し、懸命にもがいて登ろうとする姿に見えると平太。あの煙の正体を知って言っているのか、あれは白河院が出した殺生禁断令によって漁網が焼かれているのだと男。白河院こそは物の怪、泰平の世が産んだ怪物だと男。物の怪と聞いて複雑な表情の平太。)

(御所の門前で焼かれる漁網。白河院は、仏教の教えに従って殺生を禁じ、狩りや漁までも禁止したのでした。白河院の行列に供奉して、警護にあたる忠盛。)

(祇園女御の家。遊びをせんとやと歌いつつ、白河院の前で舞う祇園女御。)

(白河院に忠盛の忠勤を褒める祇園女御。忠盛は身をわきまえているのだと白河院。平太が元服すると告げ、会ってやってはどうか、そうすれば漁網など焼かずとも極楽往生が叶うのではと祇園女御。平太の名を聞き、かっとなって女御を張り飛ばす白河院。)

(璋子の下に渡りながら、堀川局相手に自らの愚かさを自嘲する鳥羽上皇。何事も無かったように、上皇の御簾内に入ってくる璋子。一転して、璋子を愛し始める鳥羽上皇。)

(大治4年。元服の式の場に無頼の姿のままで現れた平太。加冠役は藤原家保の息子家成。その家成に向かって、なぜ貴族達は白河院の悪政に異を唱えないのかと食って掛かる平太。これは手厳しいととぼける家成。答えて貰えないなら、加冠役は御免蒙ると言って烏帽子が載った台を覆し、立ち去ろうとする平太。その前に立ちはだかった伊藤忠清。忠盛の命により、式を滞りなく進めさせて貰うと言って、力尽くで清盛を席に着かせる忠清。)

(先程の問いについてと、平太に語りかけつつ烏帽子をかぶせる家成。白河院も76歳、耳が遠くなっているゆえ、野良犬がいくら外で吠えても聞こえない、せめて飼い犬となって耳元で吠えなければと皮肉を込めて言って聞かせます。忠清に押さえつけられながら、悔しげに歯がみして家成を睨み付ける平太。その平太に向かって、今日から清盛と名を改めよと命ずる忠盛。)

(鱸丸の漕ぐ小舟に乗って雄叫びを上げる清盛。すっくと立つ清盛を見て、身体の軸が出来た様だと話しかける鱸丸。とたんに倒れ込む清盛。要らぬ事を言うからだと鱸丸に毒づく清盛。漁師に生まれ、魚を捕って生きて行けたらどんなに良いかと叫ぶ清盛。黙って答えない鱸丸。白河院の禁令がここにも及んでいたのでした。)

(漁を禁じられても、皆を飢えさせる訳にはいかないと滝次。殺生禁断令によって、自分たちが死んでも良いと法皇は言うのかと鱸丸。法皇に仕えている平氏の前で、法皇の悪口を言うではないとたしなめる滝次。)

(3ヶ月後。都で行き倒れとなった鱸丸。屋敷に担ぎ込まれた鱸丸を見て驚く清盛。息も絶え絶えに、滝次が漁をした為に連れて行かれた、滝次は村の者が飢えているのを見かねたのだと言って気を失う鱸丸。その様子をじっと見ている忠盛。)

(早く滝次を救わねばと忠盛に食って掛かる清盛。今度の事は法令に逆らった滝次の過ち、沙汰を待つまでだと忠盛。話にならないと飛びだそうとする清盛。法皇に逆らってはいけないと止める忠盛。なぜ自分に清いという文字を与えたのか、罪無き民を苦しめて武士など名乗れるかと言って飛び出していく清盛。)

(清盛を見送り、宗子に向かって清盛が自分を武士と言ったと喜ぶ忠盛。)

(御仏に向かって読経に励む白河院。そこに近習が目通りを願う者が来ていると伝えますが、追い返せと答える院。いきなり来て拝謁出来ると思うとはどこの誰だと言って、ふと気が付く院。)

(拝謁を願い出たのは清盛でした。階の下で跪いている清盛。清盛に会ってやる白河院。)

(清盛に向かって、忠盛の子かと問う白河院。忠盛は父ではないと答える清盛。その答えにためらいつつも、何用があってここに来たと問う院。殺生禁断令に反した滝次を救って欲しいと訴える清盛。漁をするのは漁師の生きる道、これを捕らえるは奇怪至極というのが清盛の言い分でした。示しが付かぬと清盛の願いを一蹴する院。見せしめのためかと食い下がる清盛。国を治めるためだと院。戯れ言だと吐き捨てる清盛。この世に生きる物の怪の様な自分の姿におののき、今更の様に仏の教えに縋って漁網を焼く、どす黒い煙のように月の光に染まろうともがいているのだと法皇を罵る清盛。)

(面白い事を言うと白河院。わしが物の怪ならお前はどうだと、清盛が生まれたいきさつを話し始める院。母が白拍子であった事、その腹に王家に災いをなす子を宿した事、それゆえ流せと命じた事、さからって逃げたが故に殺した事、その場所がここで、赤子だった清盛の目の前だった事。全てを聞いて衝撃を受けた清盛。)

(何故自分は生きているのかと問う清盛。それはこの物の怪の血が泣かれているからと言い、分かったか清盛と叱りつける法皇。びっくとして目を閉じる清盛。バックに流れる遊びやせんとやの今様。哄笑を残して去っていく法皇。)

(悄然と屋敷に帰った清盛。ひれ伏す鱸丸を見て、すまぬと謝る清盛。もう良いのです、父はもう、と鱸丸。事情を知って済まぬと謝り続ける清盛。そこに現れた忠盛。父に向かって、舞の稽古を付けて欲しいと願い出る清盛。背後で聞こえている犬の遠吠え。)

(以前、清盛が落とし穴から助けた男は、高階通憲でした。その通憲に今日の舞は見物だ、清盛が舞人を勤めると告げる家成。)

(しずしずと舞台に現れた清盛。今日は見違えるような公達の姿。それを見守る白河院と祇園女御。平氏はどこまで図に乗るのだと吐き捨てる為義。)

(優雅に舞い始めた清盛。その姿を見て、さすがは白河院の落としだねと噂されるだけの事はあると家成。それを聞いて驚く通憲。)

(舞の途中で太刀を放り投げた清盛。塀の外から宋の国の剣を投げ入れた鱸丸。剣を手に、出鱈目に舞い始めた清盛。その姿を見て、あの夜助けてくれた相手が清盛だった事に気付く通憲。舞台を飛び降りて、法皇に剣を突きつけ、睨み付ける清盛。平然と受け流す法皇。騒然とする中、剣を地面に突き立てて舞を納める清盛。)

(あまりの事に、あれは舞の手かとささやき合う人々。すっくと立ち上がり、面白い舞であった、武士の子らしいと清盛を褒めて退席する法皇。)

(忠盛に向かって、自分は父の様にはならない、王家の犬にも平家の犬にもならない、この野良犬が面白くもない世の中を変えるまで面白く生きてやると言い放つ清盛。そうか、好きにせよと冷静に受け止める忠盛。剣を抜いて、満足そうに帰って行く清盛。)

(塀の上からその様子を見ていた武者丸。彼は為義の息子でした。)

(大治4年7月7日、白河法皇崩御。鳥羽上皇に拝謁する藤原忠実。兆し始めた乱世の予感。)

今回も創作と史実が織り交ぜとなった回でした。基調となったのは白河法皇による殺生禁断令ですが、実際に何度となく禁断令を出し、漁網も焼かせた様ですね。迷惑な話ではあるけれど、何度も出されているという事は、法令をかい潜る者が跡を絶たなかったという事なのでしょうか。きっと、滝次の様な悲劇も実際にあった事でしょうね。

清盛が大治4年に石清水八幡宮で舞を奉納したのは清盛紀行にあったとおりで、彼が貴族の子弟として認められた証しとされます。ここから清盛が出世の階段を登り始めたのも、紀行にあったとおりですね。

一方、清盛が無頼の生活を送っていたとしいうのは完全な創作です。と言うより、彼がどんな若年時代を送っていたかは記録に残っていません。あえて言うなら、新平家物語の設定がこれに近いかな。

何より無理があるのは、このドラマの時期の清盛は12歳であり、松山ケンイチが演じたのではイメージが合わない事ですね。このあたりは、前回の江と同じく子役を使わないのが納得の行かないところです。大体、12歳の子供が賭場に出入りして大人相手に大立ち回りが出来るのかという疑問がありますが、まあ、そこは不問に付しておくのがドラマを楽しむコツというものでしょうか。

清盛がまだ12歳の子供と考えれば、忠盛に頭が上がらず、忠清には歯が立たず、家成にも言い負かされるというのも納得が行きますね。また、白河法皇に一喝されてすくみ上がってしまうのも無理はないというところでしょうか。そもそも法皇に簡単に拝謁できたのかという疑問はありますが。

さらには剣を振るって法皇に突きつけたのは演出としては面白いのですが、実際にやったのならただでは済まなかった事でしょう。模造刀ならともかく、真剣ですからね。下手をすれば、平家が取りつぶしになったかも、です。

一番面白かったのは、清盛が白河法皇に向かって物の怪と言い放った事で、大人では無茶でも、子供の放言としてはあり得た事かも知れません。実際に言った人は一人も居なかったでしょうけどね。でも、それを平然と受け流した法皇は小童の清盛とは役者が違うという感じで、巨大さを見せつけたシーンでした。伊東四朗の演技が光っていたと思います。

などなど色々と不自然な点はありますが、全体としては見応えがあるドラマですね。あまり細かい所にこだわらなければ、十分に楽しんで行けると思っています。次回が楽しみです。

(追記:清盛の幼名の平太についてですが、前回は根拠が判らないと書いてしまったのですが、実は平家物語に出ていました。鹿ヶ谷事件があった時、首謀者の一人である西光が捕まるのですが、その時に清盛に向かって「14、5の時まで出仕もせずに家成卿の屋敷の出入りしていたのを、京童が高平太と呼んでいた」と罵る場面があるのですね。事実としては、清盛は12歳で従五位下に叙せられており、左兵衛佐に任官していますから明らかに間違っているのですが、高平太と呼ばれていたのは確かな様ですね。この高平太の意味は判然としないのですが、高足駄を履いた平氏の太郎という意味ではないかと推測されています。つまり、平太というのは名前と言うより通称だったのかも知れないですね。ちなみに、ここで言う家成卿とはドラマで烏帽子親となった家成の事で、この事から清盛は若年の頃には家成の屋敷に頻繁に出入りしていた事が判るとされます。平家と家成の家は、とても深い関係(義母の宗子と家成が従兄弟だった)にあった様ですね。)


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