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2012.01.29

平清盛 第4回 「殿上の闇討ち」

(長承元年、院の北面の武士となった清盛。流鏑馬の稽古に励む武士達。見事にこなす佐藤義清。上手く射る事が出来ずに失笑を買う清盛。)

(待賢門院の供の支度を命じられる清盛達。その支度とは、顔に白粉を塗る事でした。唖然とする清盛。)

(待賢門院が和歌を詠う場を、警護する清盛達。武士達に歌の感想を求める女院。そつなく答えていく同僚に比べて、とんでもない答えをして叱責を受ける清盛。見事に添削して見せる義清。)

(あまりに武士らしくない勤めに、荒れる清盛。女院に気に入られる事で出世の糸口を掴みたいと願っているのだと義清。)

(鳥羽上皇の寝所。璋子に帝を産んだ事を詫びて欲しいと頼む上皇。私が悪かったと素直に謝る璋子。そなたという女はと、涙して寝所を出て行く上皇。あっけにとられている璋子。なぜ否定しないのかと女院を咎める堀川局。私がここに射るのは后の勤めゆえだと女院。)

(白河院の呪縛に思い悩む上皇に、得長寿院を献上した忠盛。心を癒してくれる忠盛を信頼し始める上皇。)

(家盛と弓の稽古に励む清盛。共に父と同じ様な立派な武士になりましょうと家盛。忠盛は正四位下という、武士にしては破格の官位を得ていました。出世の果てに何があると否定的な清盛。そこに転がり込んできた郎党の家貞。)

(忠盛の屋敷。忠盛が殿上人となった喜びに沸く一族郎党達。我が事のように父を祝福する家盛。促されて、上辺は父を祝福する清盛。清盛が北面の武士となり、王家への忠義を示したからこそだと家貞。家成から祝いの席を設けると言われている、お前も来いと言われ、不自然に笑いながら同意する清盛。顔を崩して祝福に現れた忠正。大宴会となる忠盛邸。)

(鱸丸から自分の郎党達が無事に西海に帰った事を聞き、安堵する清盛。忠盛が殿上人となった事を聞き、祝福する鱸丸。腹が満たされる程に空しくなっていくと清盛。)

(忠盛の出世を聞き、酒を呑んで荒れている為義。源氏が平家に遅れを取ったのは父が不甲斐ないからだと矢を向ける義朝。そのとおりだと悄然となる為義。顔を歪めて出ていく義朝。)

(忠盛の昇殿に異を唱える忠実。忠実を復職させたのは、白河院の勢力を一掃するためだ。藤原摂関家の天下をほ取り戻す機会などと思ってはいけないと釘を刺す上皇。意趣を含んだ様子の忠実。)

(宴の場に現れた忠盛。並み居る貴族の中で快く迎え入れるのは家成ただ一人。父に従って来た清盛。彼はまだ地下の身なので、庭に座ります。そこには徳大寺家の家士として、義清も来ていました。その場に忠実と忠通が現れ、畏まる人々。)

(忠実以下の人々に忠盛を紹介する家成。殊勝にあいさつをする忠盛。藤原摂関家が出る場に、伊勢平氏風情が連なるとはと嫌味を言う忠通。帝も上皇も昇殿を認めているのだと家成。上皇の心弱りに付け込んだ寄進で世に出ただけだと忠通。忠通を遮り、家成の言うとおり、武士でありながら昇殿を許されたのは才を認められての事だろう、では舞なと見せてくれと忠実。その言に従い舞い始める忠盛。)

(忠盛の舞を褒める義清。ところが、伶人達が出鱈目な演奏を始めます。あらかじめ忠実が手を回してあったのでした。音楽と合わずとまどう忠盛に、周囲から酒が浴びせかけられます。何事かといきり立つ清盛を押さえて、ここで行われているのは政だと諭す義清。懸命に舞っていた忠盛ですが、ついには酒に足を滑らせて尻餅をついてしました。あまりの事に、それくらいで良いでしょうと声を荒げる家成。殊勝にさらなる精進を誓う忠盛。悔しがる清盛。)

(豊明節会に出るべく支度をしている忠盛。)

(為義を呼び、今夜は忠盛が内裏の渡り廊下を一人で渡る事になる、源氏の誇りを取り戻すが良いと闇討ちを示唆する忠実。)

(出かけようとする忠盛に宋の国の剣を差し出し、これを腰に差して寄らば切るの気構えをもって昇殿してくれと詰め寄る清盛。殿上での帯刀は禁じられていると言い、飾り刀で行くと答える忠盛。父上は武士としての誇り、心の軸を失ってしまった、ただの王家の犬だと罵り、飛び出していく清盛。)

(河原で寝転がって剣を弄んでいる清盛。そこに現れた義朝。北面の武士なら暇を惜しんで鍛錬しろと叱りつける義朝。そんなに良い所ではないと清盛。北面の武士とは言っても大した志は持っていない、その果てが父、忠盛だ、情けない男になってしまうだけだと吐き捨てる清盛。その清盛に駆け寄って殴り飛ばし、父が殿上人である有り難みが判らぬのかと怒鳴りつける義朝。反対に馬乗りになり、見たくもないものを見せられる情けなさが判るのかと殴り返す清盛。肩で息をしながら座り込む二人。父を取り替えるかと義朝。)

(そこに駆け込んできた源氏の郎党の通清。かれは為義が忠盛を斬るつもりらしいと伝えに来たのでした。何、と飛び起きる清盛。)

(内裏。家貞と目配せをして中に入る忠盛。忠盛を討つべく待ち伏せをする為義。忠盛を救うべく駆ける清盛。)

(内裏で、忠盛を一人にすべく誘導する忠実の家人。一人、薄暗い廊下を行く忠盛。その背後から現れた為義。その気配に気付き、殿上での帯刀は御法度だと声を掛ける忠盛。意表を突かれた為義。)

(法に背いて自分を討っても源氏は報われないと忠盛。忠実が盛り立てて呉れると為義。人を頼っていては当てが外れると忠盛。自分の父は正盛に討たれた、今度は自分がお前を討つ、そうしなければ義朝は永遠に浮かばれないと為義。その様子を陰で見ている義朝と清盛。飛びだそうとする清盛を押さえる義朝。)

(斬りかかった為義を倒し、抜刀して突きつける忠盛。それは本身ではないかと為義。忠実には、忠盛が抜刀したゆえ斬れなかったと伝えるが良いと忠盛。そう伝えれば忠盛も唯では済まないぞと為義。ここで斬り合えば源氏の平家も終わりだ、どちらが強いか試すのは、もう少し先にのばせないかと忠盛。いぶかる為義に、その勝負は武士が朝廷に対して十分な力を持ってからにしたい、私は王家の犬では終わりたくないのだと言い捨てて立ち去る忠盛。貫禄負けした為義。)

(何事も無かったように、節会の席に着いた忠盛。その忠盛を見て、太い男だと忠実。打ちひしがれている為義。そこに現れた義朝に、また忠盛にしてやられたと謝る為義。父がやられた分は自分がとりかえすと義朝。自分が強くなって父を守ると義朝。それほど老いてはおらぬと為義。陰で涙する通清。)

(翌朝、都大路のとある門に差し掛かった忠盛は、そこで寝ている清盛に気付きます。いつからそうしていたのかと問う忠盛。父こそ、いつから王家の犬で終わりたくないと考えていたのかと清盛。それはお前を育てると決め、平太と呼んだ時からだと忠盛。照れ隠しに、殿上で抜刀などして、為義が告げ口でもしたらどうするつもりだったのかと食い付く清盛。為義は告げ口などしない、それに帯刀などしていないと言って太刀をぬいて見せる忠盛。それは銀箔を貼った木刀でした。新入りの殿上人は嫌がらせを受けるものと言って、家貞が考えて呉れたと忠盛。しかし、まさか為義が本気で斬りに来るとは思わなかった、ひやひやしたと哄笑する忠盛。ほっとする清盛。)

(殿上はお前が思うよりも面白いところだと忠盛。いい加減な事を言ってと哄笑する清盛。)

今回の冒頭の流鏑馬のシーンは、糺の森でロケが行われたのですね。まだ木々が緑なので、夏から秋にかけての頃かと思われますが、これは是非見たかったなあ。葵祭において、糺の森で流鏑馬が行われるのは周知のとおりですが、それを踏まえてのロケだったのでしょうね。

今回は平家物語にある殿上闇討の段に沿ってストーリーが展開しました。まず、忠盛が得長寿院を寄進した事により殿上人となって事は前回にも書いたとおりですが、これは平家物語にも書かれている事です。この時、忠盛は但馬国を与えられて但馬守となっているのですが、殿上人になったのはそれに加えての事でした。余程鳥羽上皇の琴線に触れる寄進だったという事なのでしょうか。

次に、忠盛が昇殿を許された事を快く思わない殿上人が闇討ちにしようとした事も平家物語にあるとおりですが、ドラマの様に忠実が為義を唆した訳ではなく、また名前までは記されていないので、誰が企んだ事なのかまでは判っていません。

これを聞いた忠盛が銀箔を貼った木刀を用意したのはドラマにあったとおりで、平家物語ではもっとあけすけにこれを使っており、わざと人前でこれを抜いて見せ、髭に当てて切れ味を試すという様なパフォーマンスを展開しています。そして、夜になるとかがり火の明かりが刀に反射して、さながら氷の刃の様だったと記されています。

一方、ドラマではこれを考案しただけとされていた家貞ですが、平家物語においては袋に入れた太刀を持って、殿上の小庭に潜むという大胆な事をしています。当然見とがめられて退出を命じられるのですが、彼は主人が闇討ちにされると聞いたので、それを見届ける為にここにいる、だから出て行く訳にはいかないと言って動きませんでした。事ここに至って、闇討ちを計画していた殿上人たちは実行を諦めたとあります。

忠盛が辱めを受けたのはこの後の事で、ドラマの様に舞を邪魔されたのではなく、もっと陰湿なやり方でした。まず、忠盛は生まれついての斜視で、これを眇(すがめ)とも言います。次に、平氏の本国は伊勢で、伊勢平氏とも呼ばれていましたが、この国で出来る瓶子(へいし)は粗末な物が多く、酢の入れ物程度にしか使われていませんでした。つまりは酢瓶(すがめ)ですね。

これをひっかけて、忠盛の前で、伊勢のへいしはすがめなりとはやし立てたのです。表の意味は伊勢の国の瓶子は酢瓶だと言っている訳ですが、その実は忠盛が斜視である事を当てこすっているのですね。何とも手の込んだ揶揄ですが、こういう事をさせたら当時の殿上人は天才的でした。これはまた悪しき伝統であり、昔から新入りの殿上人は、こうした嫌がらせを受けてきたのでした。

ドラマの忠盛は平然と受け流していましたが、平家物語においてはあまりの辱めに耐えられず、節会の途中で退席してしまってまいす。そして、皆で見ている前で女官に差していた太刀を預けて帰るという事をしました。

後日、殿上人達は、節会の席に太刀を持ち込んで抜刀までした事、また庭先に郎党を潜ませていた事は法度に触れると言いだし、忠盛の没官を要求します。これに対して忠盛は、預けて置いた太刀を取り寄せて、その場で抜いて見せました。これは前述のとおり銀箔を貼った木刀だった訳ですが、鳥羽上皇は忠盛の用意の良さに感心され、郎党が潜んでいた事についても武門の習いだとして咎める事はしませんでした。

ドラマと平家物語を比べるとこんな感じで、上手い具合に物語をなぞりながら、ドラマを展開させていた事が判ります。ただ、あれでは為義が可哀想過ぎるのですけどね、このドラマにおいてはそういう役回りを与えられてしまったのでしょう。

ドラマとしては、忠盛の大きさが際だった回でした。清盛もまた忠盛の真意に気付き、その意に服する様になった様ですね。なかなか格好良い父親ぶりだったのではないでしょうか。この時忠盛は36歳ですから、ちょっと貫禄がありすぎるという気もしますけどね。

次回は忠盛が海賊退治を命じられる様です。これも実は前回に書いてしまっており、どうも先走りすぎている様ですね。でも、どこまで史実に沿って来るかは判らないものなあ。

海戦のシーンは、前宣伝では最も力を入れたと言っていたところなので、どれだけ迫力のあるシーンが見られるか楽しみにしているところです。


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コメント

上皇さん、得長寿院がずいぶん気に入ったようでしたね(´∀`)

殿上抜刀の件といい、(良し悪しは別として)
いろいろうまいことドラマにするなぁと思いました。
でも本当に為義は可哀想過ぎましたね。

年齢設定のことを言うのは野暮ではありますが
どうしても義朝と義清が老けてるのが気になります(笑)

去年は待賢門院桜を見たので、今年は西行桜を見に行こうかなと思います。

※当方のサイトがご覧頂けないみたいで大変申し訳ありません。
ちなみに、掲示板だけでなくトップページ以下すべて見られない状態でしょうか?
シロウトなので原因解明できないでおりますが頑張って勉強いたします…

投稿: まきぼう | 2012.01.31 16:49

まきぼうさん、

シナリオの巧みさには感心しましたね。
為義は完全に忠盛の引き立て役にされてますね。
差があったのは本当の事として、いくら何でも源氏の棟梁なんだけどなあ。

年齢については清盛も14歳ですからね、違和感がありすぎます。
何で最近のNHKは年相応の役者を使わないのだろう。
経費節減ですかね。

まきぼうさんのサイトで見えないのは掲示板だけです。
3台のパソコン全てから見えないので、
私も良く判らないのですよ。
もし直るようならお願いしますです。

投稿: なおくん | 2012.01.31 20:05

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