平清盛 厳島神社 ~京都御苑 九条池~
安芸の厳島神社と言えば、平家が篤く信仰した神社として知られます。絢爛豪華な装飾が施された平家納経がある事で有名ですよね。
この平家と厳島神社の関係は、高野山から始まるとされています。
清盛が安芸守だったころ、高野山の大塔の修復工事を請け負っていました。その修復がつつがなく終わり、高野山を訪れた清盛の前に、白髪の老僧が現れます。僧侶は清盛に向かって、いま安芸の厳島神社が長く荒廃している、これを修復すれば官位が上がり、他に並ぶ者が居なくなるだろうと告げます。老人はかき消す様に姿を消したため、清盛はきっと弘法大師が現れられたのだと考えます。
清盛は安芸守の任期を4年延長し、その間に厳島神社の再建を進めました。社殿を新たに起こし、鳥居を建て替えます。海上に回廊を巡らすという今の姿になったのはこの時でした。
神社の完成後、社殿に籠もっていた清盛は霊夢を見ます。夢に現れたのは神の使いという天童でした。天童は小長刀を清盛に与え、この剣をもって国家の鎮護となるべしと託宣を告げます。目を覚ました清盛は、今度は大明神のお告げを聞きます。大明神は、以前に聖に言わせた事を覚えておるか、もし悪行があれば官位繁栄は子孫にまで及ばないと言って昇天されました。
これ以後の清盛の出世ぶりは周知のごとくで、清盛は厳島神社に対する傾斜を次第に深くして行きます。清盛は後白河法皇や高倉天皇の御幸まで実現させたのですが、これは当時破天荒の事と言われました。今でこそ名高い厳島神社ですが、当時ははるか海上にある一地方の神社に過ぎなかったのですね。清盛は厳島神社をして畿内にある格の高い神社と同列に並べようとしたのですが、これが各方面から反発を呼ぶことになってしまったのでした。この事が平家の孤立を招く一要因になったとも言われます。
その清盛にゆかりのある厳島神社が京都にも残されています。それが京都御苑の南、九条池の畔にある厳島神社ですね。この神社は、清盛が母である祇園女御のために安芸から勧請したのが始まりと伝えられます。その後時代が下って室町時代の後期に、足利義晴によって細川高国の邸内に移され、さらに明和8年(1771年)に九条道前がその邸内に移しました。それが現在残っているこの神社ですね。
祭神は本来の宗像三女神に加えて祇園女御が祀られているそうです。現地の説明書きでは故あってとだけ記されており、祇園女御が加えられた理由はよく判らない様ですね。推測ですが、本来は祇園女御のための神社であった事に敬意を表し、祭神として加えたのかも知れません。たぶんですが、祇園女御を祀った神社はここだけではないでしょうか。(追記:NHKの特集を見たのですが、そこでは清盛自身が祇園女御を祭神に加えたと説明していました。宮司さんも一緒だったので、神社にはそう伝わっているのでしょうね。そうすると、女御の死後に追悼の意を込めて祀ったという事になるのかな。何にしても、現地の説明書きに追記して欲しいところではあります。)
笠木を唐破風形にした石鳥居は京都三珍鳥居の一つとされ、重要美術品に指定されています。一説に清盛が厳島に建立したとも言われていますが、実際には室町時代の作である可能性が高い様ですね。
祇園女御の数少ない縁の地であり、ドラマの放映とともに注目を集める事になるかも知れないポイントの一つです。
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