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2011.12.09

平清盛 ~平重盛屋敷跡 小松谷 正林寺~

清盛の嫡男として知られるのが重盛です。武勇に優れながらも温厚にして周囲に対する気配りが効き、清盛の後継者として大いに期待されていました。しかし、一門に暗雲が立ちこめ始めた頃に清盛に先立って亡くなり、その事が平家滅亡を早めたとも言われます。小松谷に住んでいた事から小松殿と呼ばれたり、その家系を指して小松一門と呼ぶ事がありますね。

ところが調べていくと、この重盛は必ずしも清盛の後継者としての地位は盤石ではなかった様ですね。その原因はと言うと母にありました。重盛を生んだのは高階基章の女とされるのですが、その実家はおよそ有力とは言い難い家柄でした。そして、その母が生きていればともかく早くに亡くなったため、清盛の後室は後妻の時子によって仕切られる事になります。

清盛によって嫡男の地位は与えやられたものの、一門の主導権は時子が握っていたのですね。特に子に対する母親の影響力は大きく、その実家の実力もまた子の出世のためには大事な要素でした。重盛の場合は実母の実家からの援助はほとんど見込めず、継子である彼は一門の中ではやや浮いた存在だった様ですね。小松一門という呼び方には、先妻の子の系統という意味合いも含まれていた様です。

それでも、その実力と人望で自らの地位を築いた重盛でしたが、やがて挫折の時を迎えます。それが鹿ヶ谷の陰謀でした。この事件は後白河法皇の近臣が平家の勢力を除こうと画策したとされますが、その賛同者の中に藤原成親が居ました。この成親は重盛の妻の兄にあたる人だったのですね。重盛は義兄を助けるべく奔走したのですが、その甲斐むなしく成親は流刑に処せられてしまいます。これに対して、重盛は左大将を辞任して抗議の意を表したのですが、追い打ちを掛けるように成親は流刑先で殺害されてしまいます。一連の処分は清盛から出されており、重盛は嫡男としてこれを阻止しようと計ったのですが、ことごとくが無視されてしまい、重盛の面目は潰され、政治的地位も失われてしまったのです。

この事件以降、重盛は政治の表舞台に出る事は無くなり、やがて病を得て亡くなってしまいました。代わって一門の嫡流となったのは、重盛の子である維盛ではなく異母弟の宗盛でした。つまり、清盛の後妻である時子の子が主流となったのですね。これ以後は、小松一門とは、平家の中でも傍系に置かれた人々という意味合いを持つようになります。一枚岩の様に見える平家ですが、その内実は複雑な色合いを持っていたのですね。

その重盛が邸宅を構えていた小松谷は、今で言う西大谷の南、馬町から東側一帯がそれにあたります。庭園に48の灯籠が据えられていた事から灯籠大臣とも呼ばれたとも言われており、相当に広大な邸宅であっただろうと想像出来ますね。その邸宅跡と言われているのが正林寺で、浄土宗の始祖である法然の霊跡の一つとして知られます。

正林寺に行くと、門柱には小松谷と書かれた木札が掛けられており、また門前には小松谷御坊と刻まれた石碑が建てられています。ここが小松谷と呼ばれる地である事を示している訳ですが、実はそれ以外には重盛邸があった事を示すものは何も残されていません。

一歩山門を潜るとそこは保育園になっており、およそ観光目的で行く場所ではないですね。また、保育園と寺の区別があいまいで、カメラを持った男が一人でウロウロしづらい雰囲気でもあるのですよ。なので、あまり境内を知らないのですが、ネットで調べてみると本堂に参拝したり出来る様ですね。

わずかに重盛との繋がりを感じさせるものとして、阿弥陀経石という一種の石仏があるそうです。これは、かつて重盛が中国の阿育王寺という寺に寄進を行った返礼としてかの国から送られてきたものなのだそうですね。もっとも、ここにあるのは江戸時代に刻まれた模刻で、オリジナルは九州の宗像神社にあるそうです。

おそらくは、ここが重盛の古跡である事を示すために据えられたものではないかと思われますが、唯一と言って良い小松殿の存在を彷彿とさせる痕跡ではありますね。もっとも、私もまだ実物を見た事が無いので、機会があれば確認してきたいと思っているところです。

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コメント

東山武田病院の庭の積翠園は小松邸の跡の一部とも言われてますね、来年よりフォーシーズンホテルの工事が始まる予定で、どれだけ庭園が保存されるかわかりませんので、平氏関連取材されるなら今しかありません。

投稿: タフ | 2011.12.12 13:20

タフさん、

そうでしたね、積翠園も重盛邸跡と言われている場所でした。
でも、あの病院がホテルになるのですか。それは全く知りませんでした。
確かに行くなら今の内ですね。情報の提供ありがとうございました。

投稿: なおくん | 2011.12.12 21:00

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