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2011.12.05

平清盛 ~祇園闘乱事件 八坂神社~

昨日は清盛生誕に関わる忠盛灯籠を紹介したところですが、八坂神社は忠盛親子にとってもう一つの大きな出来事に関わりを持っています。それが祇園闘乱事件で、順調に出世の道を歩んできた清盛が、初めて味わう蹉跌でもありました。

事件が起きたのは久安3年(11417年)6月15日の事で、この時清盛は30歳、前年に正4位下に叙せられ、安芸守に任じられたばかりでした。(ただし、安芸守就任については異説もあります。)この日は祇園社の御霊会の翌日にあたり、朝廷や摂関家を初めとして、広く諸家から奉納祈願が行われる日でした。清盛もまた宿願成就を祈願するため、田楽を奉納すべく、郎党を率いて祇園社を訪れていたのです。

ところが、清盛の郎党が武装していた事を祇園社の社人が咎めた事から小競り合いが発生し、郎党が放った矢が神殿や神官に命中してしまいます。その場はひとしきり揉めただけで治まったのですが、24日に延暦寺がこの事件について朝廷に訴え出た事で事態は急展開を始めます。

このあたり、なぜ延暦寺が出て来るのかが分かり難いのですが、祇園社はこの地にあった観慶寺(または祇園寺)の天神堂から始まっており、神社というより寺として認識されていたのですね。そして、初めは南都の興福寺に属し、この頃には延暦寺の末寺として位置付けられていたのです。

忠盛は訴えが出された事を知るや、下手人7人を検非違使に差し出し、事態の収集を計りました。しかし、延暦寺の大衆は収まらず、日枝大社の御輿を担ぎ出して忠盛、清盛親子の流罪を求めて強訴する勢いを示します。この時は鳥羽法皇の治世だったのですが、法皇は検非違使や軍勢を派遣して大衆の乱入を阻止しました。そして、その一方で使者を立て、訴訟は道理に任せて裁許する旨を通知したため、大衆は一旦比叡山に引き上げます。

その後、法皇は関係する公卿を集めて協議し、下手人の尋問や現地の調査などを行いましたが、容易に結論は出ませんでした。そのうちに10日が過ぎ、怒った大衆は再び洛中に乱入する勢いを示します。これに対して法皇は、忠盛を除く源氏、平氏の軍勢に命じて比叡山の麓を固めさせ、防御する態勢を整えました。この時、出陣する武士達はそれぞれの家に伝わる武具を携え、綺羅を飾って法皇の閲兵を受けたと伝わります。あたかも、武士の時代がすぐそこまで来ている事を暗示するかの様な出来事ですね。この出兵は交代で行われ、半月に及びました。

裁断が下ったのは7月27日の事で、贖銅30斤という罰金刑が科せられただけで済まされています。法皇は大衆が要求した流罪をはねつけたのですね。ここで再び揉めそうなところなのですが、延暦寺では事件の処理を巡って内紛が生じ、再度の強訴に及ぶどころではなくなったため、いつしか事態は収束に向かったのでした。

この事件は、延暦寺に対して法皇が強気に出たという希有の例で、忠盛親子に対する信任の厚さが窺えると言われます。忠盛たちは白河法皇に続いて鳥羽法皇にも近侍して身分を上昇させ、法皇もまたその財力や武力を利用するという相互依存の関係が成り立っていたのですね。平氏は鳥羽法皇にとって、最も信頼のおける武家の一つだったのでした。

しかし、清盛にとっては、この事件は一時的にせよ、彼を主流の座から押しやる事になってしまいます。事件後も鳥羽法皇の近臣としての立場は変わらなかったのですが、弟である家盛が急速に頭角を現してきたのです。家盛は忠盛の後妻の子で、清盛より5歳の年下でした。事件後は清盛に代わって朝廷から重んじられる様になり、官位もまた従4位下と清盛と並ぶ勢いを示すようになったのです。

このまま行けば清盛の嫡流の座は家盛に奪われるのではないかとも思われたのですが、その家盛が久安5年(1149年)に急死してしまいます。この時も清盛に代わって、鳥羽法皇の熊野詣に同行する途中の出来事でした。家盛は病を押して同行していたとされ、法皇の信任を守ろうとして裏目に出たのですね。

この家盛の死によって、清盛に再び光が当たる事となります。事件の後およそ1年半の間は、清盛が味わった数少ない挫折の時でした。この後は一族の内に清盛の立場を脅かす者は居なくなり、仁平3年(1153年)には忠盛の死と共に平氏一門の棟梁となるに至っています。

もし、家盛がそのまま存命していたらどうなっていたのでしょうね。清盛は存在感を無くしたまま、歴史の中に埋もれてしまったのでしょうか。あるいは平家は二つに割れて、源氏の様に一族が相争う様になっていたのか。そう考えると、この祇園闘乱事件は、もっと大きな意味を持つ可能性のあった出来事だったのかも知れません。

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コメント

早くも、大河ドラマシリーズを書き始められたのですね。
このところ、京都へのお出かけがないようで残念ですが、大河シリーズも楽しみに拝見しています。
舞台が身近なところばかりで、興味深いです。

投稿: zuzu | 2011.12.06 09:55

zuzuさん、

今年はほとんど出かける事が出来ないまま、紅葉シーズンが過ぎていきました。
何とも残念なのですけとれど、また来年を楽しみにする事とします。
まあ、まだ糺の森あたりは残っているでしょうけどね。

さて、清盛を始めたのは、紅葉ネタを使えないための苦肉の策ではあるのですが、
書いてみると結構面白いです。
義経の時に一度浚った世界ではあるのですが、
追加の資料をいくつか読んだ事で前とは違った景色が見えて来た気がしています。
とにかくネタが沢山あるので助かりますね。
暫く続けますので、読んで頂けたら嬉しいです。

投稿: なおくん | 2011.12.06 21:47

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