平清盛 ~伝・平重盛邸門 建仁寺勅使門~
建仁寺には、平重盛邸ゆかりとされる門が残されています。それが境内の南の正面に位置する勅使門です。
勅使門は切妻造りの四脚門で、鎌倉時代の作風を伝えると言われます。文字通り天皇の勅使を迎えるための門で、勅使以外は通る事が出来ないため、普段は閉じられたままになっています。
そうした格式のある門なのですが、扉や柱に矢の跡がある事から矢の根門、あるいは矢立門とも呼ばれます。格式の高さとは裏腹に、戦乱の時代を潜って今に至っている事を示す痕跡ですね。
この門には平重盛邸から移設されたという伝承があり、事実とすれば貴重な遺構という事になりますね。だとすれば、この門に残る矢の跡は源平時代のものという事になりそうなのですが、必ずしもそうとも限らない様です。
この門には、重盛邸の門という説とは別に平教盛邸の門、あるいは六波羅探題の北門ともいう説もあるのですね。また、移設の時期は応仁の乱後とも言われ、矢の跡は応仁の乱の時に付いたとも考えられるのです。
すべては伝承であり、どの説が正しいのか決め手となる根拠は無い様です。そして、この門の様式は鎌倉時代の後期に属するとも言われており、そうなると重盛の時代にまでは遡らない事になりますね。だとすれば、六波羅探題の北門という説が有力なのかなという気もして来ます。
そうではあるとしても、重盛の存在を彷彿とさせてくれる事は確かであり、伝承の地として訪れてみるのもおもしろいと思いますよ。
なお、門の屋根は元はこけら葺であったのが、防火上の配慮で銅板葺に改められています。
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