平清盛 ~額打論 清水寺炎上~
永万元年7月27日、二条天皇が崩御されます。二条天皇については昨日少し触れましたが、後白河法皇の第一皇子で、六条天皇の父でした。後白河法皇とは実の親子ではあったものの折り合いが悪く、常に対立関係にあったと言われます。非常に優れた人物であったとされ、後白河院政の影響を排除して天皇親政を実現させようとしていました。そのために清盛を頼りとし、一時は法皇を第一線から退ける事に成功するのですが、やがて病に倒れて志し半ばにして身罷ったのでした。その死の前に、満一歳に満たない六条帝に譲位したのは昨日書いたとおりです。
さて、二条帝が崩御された後、その葬儀は香隆寺の艮、蓮臺野の奧、船岡山にて行われました。この頃の天皇の葬儀においては南都北嶺の各寺が墓所の周囲に額を打つという習慣があり、この時も各寺から衆人が集まっていました。この額打ちには決まった作法があり、東大寺、興福寺、延暦寺、三井寺の順に行う事なっていました。ところがこの時、何を思ったのか延暦寺の衆人が興福寺の前に額を打ってしまったのです。南都の衆は口々に罵り、あげくは延暦寺の額をたたき落として散々に割り砕いてしまいます。この時は、延暦寺の衆は特に抗議もしなかったのですが、その実恨みは深く抱いていたのでした。
果たして、29日になると叡山の大衆が退去して下山するという噂が走ります。朝廷では検非違使たちを坂本に派遣してこれを阻止しようとしたのですが、大衆は苦もなくこれを排除し、洛中に乱入しました。この時、どういう訳か、後白河法皇が大衆に命じて平家を討とうとしているのだという噂が流れます。平家は俄に緊張し、六波羅に軍勢を集めて警戒に当たりました。法皇もまた驚いて、身に覚えの無い事と証明するためでしょう、六波羅に入られます。
そうした政治的緊張を孕む中、叡山の大衆が向かったのは清水寺でした。清水寺は法相宗(現在は北法相宗として独立)に属しており、興福寺の末寺だったのですね。いわば平安京における南都の出城の様な存在だったのですが、叡山の大衆は先日の額打ちの時に受けた辱めに対する報復として、清水寺を襲撃したのです。
大衆の乱暴狼藉は凄まじく、一宇の僧坊も残さない程の徹底的な破壊が行われました。そしてその焼け跡には、「観音火坑変池はいかに(観音は燃えたぎる火の穴も池に変えるという功徳があるというが、この様はどうした事か)」という札が立てられていました。その翌日には、「歴劫不思議力及ばず(観音の功徳は人智ではかれるものではない) 」という札が返されていました。
大衆が叡山に帰ったため、法皇もまた院の御所にお帰りになりました。この時は重盛が送って行ったのですが、清盛は噂があった事を用心して同行しませんでした。帰って来た重盛に清盛は、「法皇の御幸があったとは恐れ多い事だ。しかし、普段から平家倒滅を口にされていたからこそ、こうした噂も立ったのだろう。決して心を許してはならない。」と告げます。かねて清盛と法皇の仲が悪くなってきている事を苦にしている重盛は、「決してその様な事を口にしてはならない。法皇の意に沿うように、また人に情けを施すようにしていけば、きっと神明の加護も下る事でしょう。」と諌めました。これを聞いた清盛は「なるほど重盛は大物だな。」と苦笑するのでした。
一方の法皇は、なぜあんな噂が立ったのかとしきりに不思議がっておられました。すると切れ者として知られた西光法師が、「きっと平家の横暴を快く思わぬ天の声というものでしょう。」と答えます。これを聞いた人々は壁に耳ありという、恐ろしい事だと話し合いました。
以上が平家物語に記された額打論ですが、事件そのものは確かにあった史実です。額を打つ順番を巡って大騒動を起こすなど如何にも子供じみているのですが、天皇の葬儀の場の出来事であった事を考えるとなおさらですね。それほどに、当時の南都北嶺の大衆は驕り高ぶっていたという事でしょうか。そして、噂に振り回される平家と法皇もまた、大衆の力を恐れていたという事にもなるのでしょう。
平家物語には書かれていないのですが、この後も事件の余波は続いており、南都の大衆が退去して押し寄せ、天台座主の流罪を主張するという騒動が起こっています。また、叡山側は祇園社が報復の対象とされる事を恐れ、多数の僧兵を入れて終夜気勢を上げたと言われます。本来国家鎮護にあたるべき寺社がこの有様では、まさに末法の世と呼ぶに相応しい状況だったと言えるでしょう。
今は観光地として平和の象徴の様になっている清水寺ですが、こうした騒乱に巻き込まれた歴史もあるという事は知っておく必要があるのでしょうね。業火に包まれた清水寺など想像もしたくないのですけど、846年前にはこの恐るべき光景が確かにあったのでした。
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