平清盛 ~小督出家の地 清閑寺~
平家物語には、本筋とはあまり関係の無いサイドストーリーがいくつかあります。その中で悲恋として伝わるのが小督と高倉天皇の恋物語ですね。
高倉天皇は後白河法皇の第7皇子にして清盛の義理の甥でした。この頃の皇統は政治的駆け引きのせいで乱脈を極めており、先代は甥にあたる六条天皇で、数え年2歳(満年齢で7ヶ月)の時に即位し、6歳にして退位するという異常さでした。その後を叔父の高倉天皇が継いだ訳ですが、それでもわずかに8歳で帝位に就いています。このあたりは二条天皇と後白河法皇、そして清盛の主導権争いが関係しているのですが、こうした力関係の中で擁立された天皇である事を覚えておいて下さい。
さて、高倉天皇の中宮として配されたのは、清盛の娘である徳子でした。後に建礼門院となる徳子は、天皇の従姉妹でもあったのですね。この徳子が使っていた女童に、葵前という少女が居ました。天皇はこの葵前がお気に入りで、自分の侍女であるかの様に側に召されていました。この様子を見て人々は、やがて葵前が后に立つに違いないと噂し、葵女御と呼ぶようになります。この事を伝え聞いた天皇は、葵前を遠ざける様になりました。
事情を知った時の関白は、葵前を自分の猶子にするので近くに召されよと薦めましたが、天皇は位を下りた後ならその様な事も出来るだろう、しかし在位中では後世の誹りを受ける事になると言って、これを退けます。
その後、天皇は薄い緑色の紙に、古歌を思い出しつつ、
しのぶれど色に出にけり我恋は、物や思ふと人のとふまで
と認められました。この手習いを冷泉少將隆房が貰い受けて葵前に見せたところ、顔を赤らめて気分が悪くなりましたと言って里に下がってしまいます。そして、5、6日臥せった後に亡くなってしまったのでした。
ここまでが話の前段ですね。前提を知らずに読んでいると、天皇が年端も行かない少女に恋をするなんてと思ってしまいますが、まだ10代前半の年頃であった事を考えると何とも切ない話と思えてきます。
さて、葵前を失った天皇は、毎日を沈んだ気持ちで過ごされていました。これを見かねた徳子が、小督という女房を天皇の下に参らせます。小督は櫻町中納言重教卿の娘で、宮中一の美女との声が高く、また琴の名手としても知られていました。
ところが、小督は隆房卿の想い人でもありました。小督は泣く泣く隆房との関係を断ち切って主上の下に上がったのですが、隆房は思い切る事が出来ませんでした。そこで、
思かね心は空にみちのくの、ちかの鹽釜近きかひなし
という歌を認めて、小督の居る御簾の内に投げ入れます。しかし、小督は後ろめたくはあったものの、主上のためだと思って女童に命じて、中も見ずに文を外に放り出させました。これを見た隆房は、恨みにこそ思ったけれども、誰かに見られてはまずいと思って文を拾って一人立ち返り、
玉章を今は手にだにとらじとや、さこそ心に思ひすつとも
と歌い、いっそ死んでしまおうと考えます。
この隆房もまた、清盛の娘婿でした。事情を知った清盛は、小督一人に婿二人を取られてしまうと激怒し、いっそ捕らえて殺してしまえと命じます。これを漏れ聞いた小督は、私が居ては主上のためにならないと考え、姿を消してしまいます。葵前に続いて小督まで失った天皇は、前にも増して嘆き悲しみました。しかし、清盛はこれも小督のせいだと言って、天皇から女房たちを遠ざけ、臣下の者も近づけない様にしてしまいます。
8月10日の頃、この日も天皇は涙ながらに月を見ていました。そして夜が更けて来た頃、誰かあると呼ばわります。その日、宿直だった彈正少弼仲國が御前にまかり出ると、天皇から小督の行方を知らないかと尋ねられます。仲國が知らないと答えると、天皇は嵯峨野の辺りに隠れ住んでいると伝え聞いた、その家の主人の名は判らないがどうか探し出して来て欲しいと涙を流して頼まれます。
仲國はつらつらと考えました。小督は琴の名手だから、こんな月夜の日には、主上を想って琴を弾いているかも知れない。嵯峨野の辺りで琴を弾く者はそう多く無いだろうから、琴の音を頼りに訪ねてみよう。そして、何も持たずに人の家を訪ねていく訳にもいかないからと言って、天皇に一筆書いてもらう事にしました。天皇はもっともな事と一筆を認め、寮の馬を使って行けと命じます。
さて、仲國は馬に乗って嵯峨野まで来てみたものの、琴の音はどこからも聞こえませんでした。もしかしたら、どこかの寺に参っているかも知れないと思って釈迦堂などを見て回ったのですが、小督らしき人は見あたりません。どうしたものかと思いながら馬を進めていくと、いつしか法輪寺の近くにまで来ていました。すると、亀山の近くからかすかに琴の音が聞こえて来るではありませんか。良く耳を澄ませていると、それは妻が夫の事を想いながら詠うという想夫恋という曲でした。仲國はこれは小督に間違いないと思い、その琴の音が聞こえる家を訪ねていきます。
仲國は門を叩き、内裏よりの使いで参ったと声高に呼ばわります。琴の音は止み、誰も答える人は無かったのですが、やがて一人の女房が現れました。彼女は門を細目に開けて顔を覗かせ、家を間違っているのではないか、ここには内裏からの使いを受ける様な者は居ないと言います。仲國は門を閉められては面倒と思い、無理矢理押し入ってしまいました。そして、妻戸の内に向かって、どうしてこの様な所に居られるのか、主上は嘆き悲しんで、明日の命をも知れないほど弱っておられると語りかけます。さらに、自分が天皇の使いである証拠として、書き付けを女房に手渡しました。小督が文を開いて見ると、紛れもなく主上の筆跡でした。小督は返書を認め、女房装束を添えて扉の外に差し出します。仲國は女房装束を肩に担ぎながら、なお直に返事が頂けないのは残念だと呼ばわります。小督はそれももっともと思い、これまでのいきさつを語り始めました。
清盛怖さの一心で内裏を抜け出し、ここまで逃げてきた。この様な荒れ家では琴も弾く事はないだろうと思っていたが、明日よりは大原の奥に引きこもると決めると名残惜しくなり、主上を想って弾いてみた。まさか誰も聞いていないだろうと思っていたのだが、案に相違して簡単に見つけられてしまった。
仲國は涙ながらにこれを聞いていたのですが、小督が大原に引きこもってしまったのでは主上の嘆きは収まる事がなくなってしまうと考え、出立はしばし待って欲しいと言い、家来を見張りに残した上で内裏へととって返します。
内裏に着いたのは明け方でした。天皇は仲國の帰りを寝ないでずっと待っており、小督の返書を見るや、今夜にでも連れて帰って欲しいと仲國に頼みます。仲國は清盛が怖くもあったのですが、これも天皇の命令であるからと思い、牛車や雑色を整えて小督を迎えるために嵯峨野へと向かいました。
内裏に戻った小督は、密かに隠れ住みながら天皇と睦み合い、やがて一女を設けます。この姫は、後に範子内親王となったのですが、この事が清盛に知られてしまいます。怒った清盛は小督を捕らえ、無理矢理に尼にして放逐してしまいます。この時、小督は23歳、やつれ果てて嵯峨野に隠れ住んだと伝わります。
天皇はこの様な辛い日々が続いたためやがて衰弱し、若くして亡くなってしまわれたのでした。
以上が平家物語で描かれた小督の悲恋物語です。ここでは小督が出家した場所は特定されていないのですが、清閑寺に伝わっている寺伝に拠ればそれは同寺の事で、小督はその後もこの寺に住み続け、そのまま亡くなったとの事です。さらにこの話には後日談があって、高倉上皇は亡くなる時に、死んだ後は小督が居る清閑寺の側に葬って欲しいと遺言されたため、今も清閑寺陵に眠っておられると伝わります。
小督は実在の人物で、範子内親王を産んだのも事実です。その娘を一人残して内裏を去ったのも事実で、恐らくは清盛の逆鱗に触れたのではないかと言われています。ただし、その理由は明らかになっておらず、平家物語では清盛が悪人として描かれ過ぎているという気もしますね。
また、高倉天皇は21歳で亡くなっていますが、それほど軟弱な人だったかと言うと、そうでもない様ですね。高倉天皇を擁立したのは前述のとおり後白河法皇と清盛でしたが、時と共に平家にとって重要な存在へと変わっていきました。つまり、清盛の血を継ぐ安徳天皇こそ平氏にとっての本命でしたが、即位したのはわずか2歳の時で、天皇に代わって実際に政務を執る人物が必要でした。その人物として父である高倉上皇が期待されたのですね。
高倉上皇は平家との関係が良好で、後白河法皇の影響を排除して自らが政務を執る意欲に溢れていたと言います。安徳天皇が即位したのは、清盛が後白河院政を覆すために起こした政変によってであり、この時法皇は平家によって幽閉されています。つまり、高倉上皇にとっては好機到来だった訳であり、清盛も高倉上皇に期待する所が大きかったと言われますが、残念な事に志を遂げる前に病で亡くなってしまったのですね。清盛は、やむなく後白河法皇の幽閉を解き、その院政の復活を認めざるを得なくなったのです。
こうしてみると、病弱ではあったものの、小督に去られたからと言って嘆き死んでしまうような人とは思えないですね。物語としては小督の話は面白いけれど、かなり脚色が入っているのかなという気がしています。
なお、小督が晩年を過ごしたという清閑寺には彼女の供養塔が残されていますが、最後の地は嵯峨野という説も有力ですね。また、嵯峨野には、小督にちなむ史跡が残されており、琴聴橋や彼女の墓があるとの事です。実はまだそれらの史跡は確認できていなくて、今度嵯峨野に行った時には、是非探して来ようと思っているところです。
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