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2011.11.06

江~姫たちの戦国~43 淀、散る

(江戸城。母に次いで姉、淀殿が自害するという悪夢にうなされる江。)

(家康が何が何でも豊臣を滅ぼそうとしている事、淀殿と秀頼が滅びる事を覚悟で戦おうとしている事を、江には話す事が出来ないと一人苦悩する秀忠。)

(慶長20年春。駿府城。京で大火事があり、御所にまで騒動が及んだ。これは豊臣方が召し抱えている浪人どもの仕業に違いないと家康に報告する正純。そして、さらに浪人の数を増やし、鉄砲まで運び入れているという報せに、もはや動くしかないかとつぶやく家康。)

(大坂城。新たに家康から示された条件、秀頼の国替えか浪人の放逐を選べという指示を聞き、憤る淀殿。冷静にこれは挑発だと見切りながらも、受けて立つまでだと戦う決意をみせる秀頼。戦はならぬと叫ぶ常高院。城が裸城となっている今は、戦は得策ではないと治長。家康の言い分を聞く為に、自分が駿府に行くと常高院。)

(城内の慌ただしい様子を、一人で感じている千姫。)

(駿府城。家康に拝謁し、大坂城は秀頼の生まれた場所であり、国替えには応じられない、浪人の召し放ちについては、なまなかな数ではないので時が掛かると大坂方の言い分を述べる常高院。初どの、とその俗名で語りかけ、そなたはどう思っているのかと問い掛ける家康。戸惑いながらも、姉を止めたいと願っていると答える常高院。ならば、その思いを伝えてはどうかと家康。気持ちを変えて貰えぬかと手を付いて頼む常高院。立ち上がり、曖昧な返答なら要らないと冷たく言い放つ家康。)

(江戸城。江に、東海道筋の大名を連れて大坂に行くと告げる秀忠。戦が始まると知り、自分が大坂に行き、姉を説き伏せると江。その思いを受け止めつつ、ここは自分に任せてくれと秀忠。そして、江に文を書いてくれと頼む秀忠。)

(4月10日、大坂に向けて軍勢と共に出陣した秀忠。)

(伏見城。常高院と会い、戦を避ける為に、とにかく淀殿たちに城を出て貰いたい、その後の事は改めて考えれば良いと伝える秀忠。そして、淀殿の気持ちを変えるべく江の手紙を託します。)

(高台寺。高台院に会い、淀殿を説得して欲しいと頼む秀忠。秀吉が淀殿に惹かれたのは、お市の方の姿を見たからだ、武将の様な強さと激しさと高台院。つまりは、淀殿の心を変える事は出来ないという事かと秀忠。板挟みになった秀忠の立場を思いやる高台院。将軍とは名ばかりと自嘲する秀忠。家康が豊臣を滅ぼそうとしているのは、秀忠の為でもあるのではと高台院。そんな事は望んでいないと秀忠。)

(この世を泰平にする為には、避けては通れない戦があるのではないかと高台院。それが今度の戦かと秀忠。)

(二条城。大坂方に残されているのは野戦のみ、その手並みを拝見しようと余裕を見せる家康。言い掛かりを付けて戦に持ち込んだ冬の陣の時と同じだ、戦にしなくて済む手だては無いのかと迫る秀忠。たわけた事を言うなと叫ぶ家康。)

(戦無き世が欲しいなら、戦に勝つ他はない、それが判らないのなら今すぐここを去れと、秀忠を突き放す家康。)

(大坂城。江の手紙を読む淀殿。そこには戦の嫌いな淀殿がなぜ戦を引き寄せるのか、江戸で共に暮らさないかと記されていました。如何にも江らしいと微笑む淀殿。浪人を放逐することが無理なら降参すれば良いと迫る常高院。そのつもりは無いと淀殿。この城で戦う事は死ぬ事と同じだと叫ぶ常高院。穏やかに、もはや引き返す事は出来ぬと言い、江の手紙を引き出しに仕舞う淀殿。そこには守り刀も納められていました。)

(4月26日、大坂夏の陣開戦。城を出て戦う豊臣方。)

(江戸城。写経をしながら、秀忠に祈る江。)

(大坂。城を見ながら高台院の言葉を思い出している秀忠。)

(秀忠の陣。小松山にて、後藤又兵衛を討ち取ったという知らせに、ご苦労と答える正信。じっと目を閉じている秀忠。次いで知らされた幸村勢に苦戦しているとの報告に目を上げる秀忠。)

(戦場にて、悪鬼のごとく戦い続ける幸村。)

(摂津平岡、家康本陣。翌日のための軍議が開かれています。主戦場となるのは天王寺口、大坂方は茶臼山に陣を敷く幸村を中心とする部隊、対する徳川方は家康の本陣が正面となる構えでした。それを見て、自分を総大将にして欲しいと願い出る秀忠。)

(戦に反対のお主がと訝る家康。将軍である以上、戦わなければならない戦いなら戦うまでと決意を見せる秀忠。しかし、豊臣を滅ぼす最後の戦の采配は自分で振ると言って秀忠を退ける家康。)

(慶長20年5月7日。大坂夏の陣、最大にして最後の戦いが始まりました。著戦は大坂方有利の内に始まります。これを機に、士気を揚げるべく秀頼の出陣を願う浪人衆。判ったと立ち上がる秀頼。しかし、淀殿は総大将が軽々しく動いてどうすると言って遮ります。総大将だからこそと抗弁する秀頼に、ならぬと譲らない淀殿。)

(茶臼山、真田隊。ずらりと整列した真田の赤備え。秀頼公の出陣が無いと知り、自分は自分のやり方を貫くまでと幸村。そして、狙うは家康の首一つと叫びながら突撃を開始します。)

(秀忠の陣。先鋒の本多忠朝討ち死、小笠原秀政敗走、忠脩自害と次々に敗報が届きます。ここまで激しい戦いは見た事がないと正信。籠もる城も無いのに、なぜここまで戦うのかと秀忠。狙いは大御所の首一つだろうと正信。そこに、幸村の軍勢3000が、徳川方の1万の軍勢を突き破り、家康の天王寺本陣に迫っているという知らせが入ります。ただちに援軍を出すと下知を下す秀忠。岡山口を手薄にしてはならない、大御所も喜ばないと異議を唱える正信。親父の命などくそ食らえと叫んで出て行く秀忠。)

(天王寺口、家康本陣。迫る真田軍。その鉄砲で打ち倒された金扇の馬印。本陣に殺到する真田勢。家康を捜して荒れ狂う幸村。しかし、家康の姿は見つかりません。そこに攻め寄せてきた藤堂と松平勢。)

(家康の下へと疾駆する秀忠とその軍勢。)

(戦いが終わり、死体だけが転がっている家康の本陣に到着した秀忠。警戒しながらも家康を捜す秀忠。そこで見つけたのは瀕死の幸村でした。秀忠を見て、良き死に場所を貰ったと幸村。親父はどうしたと聞く秀忠。身体を動かそうとして、うめき声と共に倒れ込む幸村。秀忠が、がれきの向こうに見つけたのは、息絶えた幸村でした。呆然と見つめる秀忠。)

(その時、背後から現れた家康。無事を喜ぶ秀忠に、岡山口はどうしたと叱責を浴びせる家康。家康に幸村の死体を指し示す正純。)

(幸村を見て、大した男よ、此度ばかりは駄目かと思ったと言いながら、死体に旗を掛けてやる家康。そして、この戦に勝って乱世を終わらせると秀忠に向かって言う家康。その時、城外の豊臣方は全滅し、徳川方が本丸に攻め寄せたという伝令が届きます。城を遠望しながら、いよいよ大詰めだと家康。城には娘が居ると秀忠。)

(大坂城。幸村が討ち死にし、敵が二の丸に迫っているという伝令を受け、座り込む淀殿。)

(髪を切り、半紙に包む秀頼。そして、千を抱きしめ、すまぬと謝る秀頼。)

(江戸城。侍女が唱えるお経を聞きながら、写経を続ける江。)

(大坂城。すべて終わったと淀殿。そして、常高院に城を出る様に勧めます。今更出る気は無いと常高院。千を連れて行ってくれないかと頼む秀頼。その千に向かって、父の秀忠に秀頼の命を助けてくれる様に頼んで欲しいと頼む淀殿。何をおおせかと遮る秀頼に背に、全ては自分の科であると言い、常高院に家康宛の手紙を託す淀殿。)

(姉上はどうするのかと問う常高院。私は母上の様に逝きたい、誇りを持ってと答える淀殿。そして、江に宛てた手紙を託し、豊臣と徳川の間で苦しめた事を済まぬと伝えて欲しいと頼みます。そして、それはそなたも同じと気づき、今まで支えてくれた事に対する礼を言う淀殿。)

(千にも辛い思いをさせた、許せと言い、二人を城の外へと命じる淀殿。兵士に促され、後を振り返りながら部屋を出て行く常高院と千。黙って見送る秀頼と淀殿。その姿に、北庄城での市の方の姿を重ねる常高院。)

(後に残った淀殿と秀頼。出馬を許さなかったのは、自分を救うためだったのかと秀頼。そればかりではない、一時も自分の側から離したくなかったからだ、愚かな母と笑ってくれと淀殿。)

(誇りと言ったが、意地で選んだ道だったかもしれないと淀殿。母上は誇り高き人だった、そして愛に満ちていたと秀頼。その愛でそなたを苦しめたと淀殿。そこに響く敵が攻め寄せてきたという知らせ。)

(江戸城。写経を続ける江。その時、目に止まる滅の字。)

(城を遠望しながら、城内の様子を聞く秀忠。はっきりしない回答に、自分が行くと陣を出ようとします。その時、常高院が現れました。)

(常高院の背後から現れた千を抱きしめる秀忠。泣きながら、秀頼と義母を助けて下さいと願う千。)

(淀殿の手紙を見て、良く判ったとつぶやく家康。手を付いて、秀頼と淀殿の命を助けて欲しいと願う常高院。それには答えず、奥で休む様に勧める家康。どうか答えをと叫ぶ常高院。じっと祖父を見つめる千。私に任せてと常高院を助け起こす秀忠。)

(常高院と千を見送った家康と秀忠。その時、この沙汰を任せる、今、この時からそちが総大将だと秀忠に告げ、立ち去ろうとする家康。その背後から、秀頼たちが山里曲輪の蔵に逃れたという知らせが入りました。)

(城を遠望しながら苦悩する秀忠。)

(山里曲輪。徳川からの知らせを待っている淀殿。)

(江とのやりとりを思い出している秀忠。彼はその思いを振り切る様に、城に火を掛けよと命じます。)

(炎上する天守を見て絶句する淀殿。これが徳川からの答えだと秀頼。)

(高台寺。遠く、赤く染まった大坂の空を見る高台院。)

(炎上する天守を見つめる家康と秀忠。正純に向かって、秀頼の籠もる蔵に向かって、一斉に鉄砲を撃ち込めと、絞り出す様に命ずる秀忠。承知と出て行く正純。じっと秀忠を見つめる正信。涙する秀忠。)

(焼け落ちる天守。今ならまだ間に合う、城から逃れよと秀頼に勧める淀殿。自分は豊臣の主、太閤殿下の子である、戦に敗れたのなら死ぬまでと答える秀頼。涙ぐむ淀殿。微笑み返す秀頼。その時、徳川勢に囲まれているという知らせが入ります。一斉に撃ち込まれる銃弾。最後の反撃に出る兵士達。)

(秀頼と淀殿を庇う様に立ちふさがり、最後まで仕える事が出来て幸せでしたと治長。息子と一緒に死ぬ事が出来ると大蔵卿。侍女達に済まぬと声を掛ける淀殿。再び撃ち込まれる銃弾。淀殿と秀頼を庇って立ちふさがる侍女達。扉を閉める治長。その扉ごと打ち抜かれた治長。次々とたおされていく侍女達。苦しい息の下、火を掛けよと命ずる治長。炎上を始めた蔵。)

(一足先に自害した大蔵卿。二人並んで自害の支度をする秀頼と淀殿。共に参りましょうと声を掛ける秀頼。守り刀を袋から出す淀殿。それは市の方から託された、長政縁の刀でした。その時、淀殿の目に浮かんだのは小谷城の跡から見た琵琶湖の景色。琵琶の湖が見える様だと泣き笑いする淀殿。琵琶の湖と聞く秀頼。秀頼にも見せたかったと淀殿。微笑む秀頼。)

(父母そして初と江に別れを告げ、胸に刀を突き刺した淀殿。同じく刀を突き刺した秀頼。)

(同時刻、江戸城。風に吹かれて不意に消えた蝋燭に、異変を感じ取った江。)

(炎上する大阪城を見つめながら泣き崩れる常高院と千姫。その側で、じっと城を見つめている秀忠。)

今回は大坂夏の陣が描かれました。ドラマの主題は淀殿との死と秀忠の苦悩にあり、あまり史実がどうのと言っても仕方がない様な気がしますが、ざっと触れておきます。

まず、正純が報告していた京の火事は実際にあった話で、これは大阪方の兵士が放火をして回った結果だと京都所司代から報告が上がっています。この件については、大野治長が豊臣とは無関係だと弁明に努めたのですが、家康はこれを奇貨として捉え、秀頼に対して伊勢あるいは大和郡山への転封に応じるか、大坂城内に居る浪人衆を召し放つか、どちらかに従えと迫ったのでした。要するに家康としては、方広寺鐘銘事件と同じく、豊臣方に戦を仕掛けるきっかけが欲しかったのですね。

これに対する弁明の使者として、常高院が派遣されたのも史実にあるとおりです。常高院が家康に会ったのは名古屋城でした。家康がここに居たのは、名古屋城主であり、家康の九男であった義直の婚儀が行われていたからだと言います。この時の会見は、ドラマにあった様に一方的な叱責で終わりました。

実は、常高院はもう一度使者を務めており、今度は二条城で家康に会っています。この時は再度、国替えに応じるか、浪人を召し放つかという条件を提示された様ですね。そして、これは実質的な最後通牒だったのですが、大阪方は何も回答しないまま戦いに突入してしまったのでした。

秀頼が国替えに応じられないのはともかくとして、浪人の召し放ちに応じられない理由は、一つには戦力を手放す事が不安だったという事もあったでしょうけど、下手に彼らを追い出そうとしようものなら、反対に浪人達の反乱に遭ってしまいかねないという事情があった様です。つまり、浪人を召し放とうにも、直属の家臣団よりも浪人たちの方の数がずっと多く、強制力を持っていなかったという事ですね。ドラマの中で常高院が家康に時間を呉れと言ったのも、淀殿に対して一旦開戦した後で降伏すれば良いと言ったのも、こうした背景があったからだと思われます。

次に合戦の経過ですが、まず小松山で後藤又兵衛が討ち死にしたとあるのは、道明寺の戦いと呼ばれる合戦においてでした。

大坂方は、徳川方が大坂平野に出て来る前に、その隘路で迎え撃とうと考えており、その予定戦場の一つが大和から河内への出口にあたる国分村(現在の柏原市)でした。大坂方は、又兵衛、幸村、毛利勝永らの兵をこの方面に差し向け様としたのですが、寄せ集めの軍勢故か連絡が上手く行かず、又兵衛の軍(2800)だけが国分近くの道明寺に来てしまいます。徳川方(34000)は既に国分村に展開しており、又兵衛はやむなく近くの小松山に陣を敷き、味方の来援を待つ事にしました。大軍に囲まれながらも又兵衛は力戦し、何度となく敵を退けましたが、やがて力尽きて壊滅してしまいます。

又兵衛の軍が潰え去った後に到着した幸村たちは、小競り合いはあったものの決戦に及ぶことなく軍を引き、天王寺方面へと後退したのでした。ドラマで真田方に苦戦していると言っていたのは、この戦いの時に、幸村が敵勢を支えきった事を指しているのでしょうか。

5月7日の戦いにおいて、徳川方の本多忠朝が戦死したのも史実にあるとおりです。この忠朝には面白いエピソードがあって、この人は大酒飲みとして知られた人でした。忠朝は冬の陣にも出陣しているのですが、ある戦いにおいて前日に過ごした酒のせいで二日酔いになってしまい、遅参するという失態を冒してしまいます。これを家康から厳しく叱責された忠朝は雪辱を誓い、夏の陣においては先鋒として奮戦しました。しかし、無理な戦い方が災いして討ち死にの運命となってしまったのですが、その死にあたって、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と言い残したと言われます。忠朝の墓は大阪の一心寺に実在するのですが、この言い伝えのおかげで、禁酒の願掛けにお参りする人が今でも絶えないそうですよ。

(ただし、忠朝が叱責された経過については諸説があり、必ずしも二日酔いで失敗したとは限らない様です。)

そして、幸村の突撃については、これも史実とされています。幸村のみならず、天王寺方面では大阪方が総攻撃を掛けており、幸村はその間隙を縫って家康の本陣へと迫ったと言われます。徳川方は忠朝が討ち取られたのを始め、小笠原勢の壊滅などによって混乱を極めており、小勢の幸村にも活路が開けたのですね。

幸村は三度に渡って突撃を掛けたとされ、家康の本陣が壊乱し、金扇の馬印が倒されたというのも有名なエピソードですね。家康は身一つで逃げ、途中で何度も切腹を口走ったと言われます。ここまで家康が追い込まれたのは、武田信玄と戦って敗れた三方ヶ原の戦い以外には無いと言われます。

しかし、如何に善戦しようとも多勢に無勢であり、ついには幸村も力尽きて討ち取られてしまったのでした。

この戦い振りを賞賛して、幸村は後に「日本一の兵」と呼ばれる様になります。ドラマでは家康が旗を掛けてやっていましたが、敵方であったにも関わらず江戸期を通じてその武勇は称えられ、今に続く評価を形作っていったのでした。

なお、秀忠の本陣も大坂方に攻め込まれており、ドラマの様に援軍に駆けつける事はとても出来る状況ではなかった様です。

以下は細かい事ながら、常高院は最後まで城内に止まっていたのは史実のとおりなのですが、城を出たのはドラマの状況よりも少し前の様でした。そして、彼女は淀殿に説得されたのではなく、自らの判断で城を出たようです。つまり、彼女は京極家の人間でもあり、淀殿と最期を共にしてしまっては、京極家に迷惑が及ぶと判っていたからなのですね。それでも、ぎりぎりまで城内に居たのは、やはり姉妹の情があったからだと思われます。

また、千姫を連れて出たのは常高院ではなく、治長が命じた誰かだった様ですね。秀頼と淀殿が最後に山里曲輪に逃れたのは、この千姫に託した助命嘆願の結果を待つためだったと言われます。あ、これもドラマにあるとおりか。

最後はドラマの感想ですが、淀殿の意地と悲しみが良く出ていたと思います。宮沢りえの演技は、最後に来てぐっと良くなりましたね。娘時代は何だかなあと思っていたのですが、ここに来てやっと実力と演出が釣り合ったと言えそうです。こういうのをもっと見たかったなあ。

秀忠と家康の関係については、さすがに意表を突かれました。これまでの二人の確執は、この結末を持ってくるための前振りだったのですね。それにしても、秀頼と淀殿を殺す決断をしたのが秀忠だったとはねえ。史実ではそのとおりなのでしょうけど、このドラマの展開としては見事などんでん返しでした。

ただ、苦悩の末に家康と同じ決断を下した秀忠でしたが、もう少しその苦悩振りが描かれても良かったのではないでしょうか。その答えは次回にあるのかも知れないけれど、あまりの豹変ぶりは不自然でもありますからね。理詰めで責任ある考え方をしたら、この答えしかなかったという結論かなと思われますが、そのあたりは来週を待ちたいと思います。でも、江は許さないだろうなあ。

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今回はかなり見応えのある内容となりました。これまでくすぶっていた徳川と豊臣の火種がとうとう爆発し、大坂夏の陣へと向かっていきます。そのきっかけは、豊臣方の浪人が大阪市中で放った火がもとになっていると「江を読む」の著者である小和田哲男さんは解説しています。(この小和田さんの解説は毎回とても面白く、ドラマの中では描かれることのない人間関係や背景に関する知識を深める上で非常に大きな手助けになっています。) しかし、ドラマの中ではこのあたりの状況はあまり描かれておらず、自然に夏の陣へと向かっていきます。江か... [続きを読む]

受信: 2011.11.07 00:08

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