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2011.10.09

江~姫たちの戦国~39 運命の対面

(江戸城。初めての御台所となった江。民部卿局と名を改め、江戸城の奥を取り仕切る事となったヨシ。二人に相応の覚悟をと迫る大姥局。そこに現れた福。)

(竹千代に熱があるからと連れてこなかった福。ではこちらから参ると立ち上がる江。御台所としての覚悟が足りぬと江を止める大姥。我が子も抱けないで、何が御台所かとこぼす江。)

(京。高台院の下を訪れている家康。秀忠の二代将軍就任を祝う高台院。怒っていないのかという家康の問い掛けに、出家した身ゆえ、俗世の事には感心が無くなったと答える高台院。そして、家康も隠居したのだから、いつでも茶の相手くらいはさせてもらうと続ける高台院に、自分はまだまだ俗世に生きる身、隠居は形の上だけと言って茶碗を置く家康。そして、高台院に願いがあると切り出します。)

(大坂城。秀忠の将軍就任祝いために、秀頼の上洛を促す家康。その使者となり大坂城にやってきた高台院。その伝言を伝えつつ、味方する大名が居ない豊臣の現状を訴え、ここは一歩譲るべきだと主張する且元。それでも豊臣の家臣かと且元を面罵する治長。)

(自分はともかく、秀頼が見下されるのは許せない。どうしても上洛せよと言うのなら、秀頼を殺して自分も死ぬと伝えよと答える淀殿。)

(秀頼は上洛しないという高台院の手紙に目をやり、また機会もあろうとあっさりと諦める家康。このままでは大戦になってしまう、その火種を消す為にこれから大坂に行くと言い出す秀忠。それには及ばぬと引き止める家康。)

(諸大名には秀忠の名で江戸城を築く手伝いをせよという命令を出してある、これからは大坂ではなく江戸が日本の中心となる、その江戸で諸大名を差配するのは将軍である秀忠の役目だと諭す家康。不服そうな秀忠に念を押す家康。)

(淀殿の言葉を聞き、憂いの色が濃くなる江。江戸城修築に駆り出される大名の中にも不服を抱く者が出て来ると心配する秀忠。)

(慶長11年6月。改築が進む江戸城で、二人目の男子、国松を産んだ江。その国松を自分で育てる事にした江。その母を見て、様子がおかしい竹千代。)

(大坂城。国松誕生の知らせに祝いの品をと淀殿。二人の跡継ぎが出来た徳川に比べて、豊臣にはまだ居ないと言い出す治長。千姫はまだ10歳だと言う淀殿に、秀頼は既に17歳だと答える治長。側室の事かと驚く淀殿に、世継ぎが居ないままに、徳川に戦を仕掛けられたらと迫る治長。)

(側室の部屋に入る秀頼。自室で一人座り、これで良いのかと自問する淀殿。)

(慶長11年11月。江戸城。城普請が進む城内を検分し、満足そうな家康。その家康に、この城には家康が入るのが相応しい、自分は家族を連れて伏見城に入る、出来る事なら大坂城の西の丸に入るのがなお望ましいと願い出る秀忠。そうすれば、淀殿や秀忠と意思疎通が出来るというのがその理由でした。賛同する江。秀頼と手を結んで自分と戦を構えるつもりかとあきれる家康。)

(きれい事は良いと秀忠の申し出を一蹴し、自分は駿府に城を建て、そこで隠居する事にしたと言い渡す家康。大坂と江戸の間に身を置き、両方に睨みを利かせて全てを操るつもりかと迫る秀忠。隠居だとあくまでとぼける家康。自分は自分のやり方を貫くと言って、席を立つ秀忠。江を呼び止める家康。)

(国松をなぜ乳母に任せないと問う家康に、国松は自分が産んだ子だと答える江。それは違う、江の子である前に徳川の子だと諭す家康。しかし、自分の産んだ子は全て自分の子だ、家康お気に入りの福に奪われた竹千代を除いてはと抗う江。驚く家康を棄てて立ち去る江。大姥局相手に、どいつもこいつもだなと嘆息する家康。)

(落成した駿府城で、二元政治を始めた家康。)

(若狭、小浜城。江からの手紙を読む初。そこに現れた高次。江からの手紙には、乳母の福の事、そして何より淀殿の事で悩んでいる事が認められていました。自分も姉の事が心配だと初。)

(天下取りの為には、豊臣を臣下に置く事が早道だと高次。天下取り?!と驚く初。何を今更、火を見るより明らかではきないかと高次。豊臣と徳川の間に立たされた江の苦悩を思いやる初。その時、急に倒れ込んだ高次。驚き、抱き上げる初。苦しそうな高次。)

(病となり、寝込んだ高次。その横で高次の手を握ったまま座り続ける初。)

(慶長16年11月。完成した江戸城。庭で剣の稽古をする国松。その様子を見守り、自らも相手をする秀忠。その近くの部屋で、福と共に進講を受けている竹千代。国松と秀忠が気になる様子です。)

(江の部屋。勝に香道を教え、5人目の娘、和と共に団欒を楽しんでいる江。そこに現れた初は、出家姿となっていました。高次は2年前に亡くなり、初は出家して常高院と名を変えていたのです。)

(徳川、豊臣の双方を裏切ったという思いが消えぬ高次の遺言に従い、徳川と豊臣を繋ぐ役目を果たすべく大坂城に入るという常高院。それは母の市が残した言葉でもありました。是非にと初に頼む江。)

(大坂城に入った初。歓迎する淀殿。そこで目にしたのは、秀頼の側室が産んだ男の子でした。)

(大勢の侍女たちに世話をされている秀頼の子。)

(淀殿に、秀忠が将軍になったのは世を泰平にするためであり、決して豊臣を追い詰める為ではないのだという江の伝言を伝える常高院。秀忠は嫌いではないと言いつつも、泰平の世を作るのは秀頼の役目であったはず、それを家康は横から奪い取ろうとしている。関ヶ原では豊臣恩顧の大名を次々に裏切らせ、さらには天下取りまで企んでいる。江が何と言おうと徳川は敵である、この恨みは徳川が滅びる日まで消える事がないと惑乱する淀殿。その様子に驚き、自分が側に居ると言って淀殿を抱きしめる常高院。)

(駿府城。秀頼に再度上洛を求める家康。)

(大坂城。新しい帝の即位の祝いに上洛せよという家康の言葉を伝える且元。狙いは6年前と同じで、豊臣を臣従させるためだと叫ぶ淀殿。断固断るまでだと息巻く治長。そこに、話し合ってみなければ互いの思いは判らないではないかと割って入る常高院。しかし、秀頼が家康に殺されるかもしれないと譲らない淀殿。絶句する常高院。)

(その時、殺されはしないと口を開いた秀頼。驚く淀殿に、殺されはいたしませぬと笑顔で答える秀頼。)

(駿府城。秀頼が来るという知らせに驚く家康。秀頼は一歩も大坂城を出た事がない、大うつけという噂もあると伝える正純。どこか嬉しそうな家康。)

(慶長16年2月28日、京。上洛して来た秀頼の行列を見て、かつての豊臣家の栄光を思い、騒ぎ立てる京の人々。輿の中からその様子を見ている秀頼。)

(二条城。秀頼の到着を待ちながら、落ち着かない様子の家康。そこに秀頼が着いたという知らせが届きます。)

(秀頼に付き従ってきた清正ら豊臣恩顧の大名達。彼らは刀を番の者に手渡し、丸腰で城の奥へと入って行きます。)

(一室に控える秀頼と清正達。秀頼の前に進み出た清正は、万一の時にはと6寸ほどの針を秀頼に握らせます。その時、対面の場への案内の者がやってきました。)

(案内に従って廊下を行く秀頼。後に続く清正たち。その途中で、柱に針を打ち込む秀頼。驚きながらも、秀頼の後を追う清正たち。)

(密かに針を抜き、それを家康に報告して、如何様にでも咎め立てできると進言する正純。いや、と言いながら針を脇息に突き立てる家康。その拍子に手のひらに傷が付き、血が溢れてきます。その血を舐めて、秀頼は幾つになると問う家康。19と答える正純。19かと考え込む家康。)

(対面の部屋。下座で控えている秀頼と清正たち。上座に座り、秀頼に面を上げられよと声を掛ける家康。良く母上が出したのだと聞く家康に、自分から言いだした事だと答える秀頼。何故と問う家康。少し間を開け、かつて秀吉に臣従を強いられ、また国替えも命じられて恨みもあるはず、それでもなお豊臣のために働いてくれる家康に詫びを言いたかったのだと答える秀頼。そして、これからも徳川殿と共に泰平の世を築くべく、考えていきたいと明瞭に言い放つ秀頼。驚きの表情をもって秀頼を見つめる家康。よろしく頼みますと臆することなく言う秀頼。それに合わせて一礼する清正達。当てが外れたと言わんばかりにうろたえる正純。黙ってかすかにうなずく家康。)

(大坂城に戻ってきた秀頼。泣きながら出迎えた淀殿。やさしく母を労る秀頼。)

(江戸城。徳川と豊臣が戦になるのかと秀忠に問う江。秀頼の覚悟は無駄にしないと答える秀忠。彼の考えは秀頼が関白となり、自分が将軍としてそれを支えるというものでした。徳川と豊臣が並び立つと聞く江に、必ずそうしてみせると約束する秀忠。その言葉に縋る江。)

今回は一気に6年の歳月が流れました。

まず大きな出来事は最初の上洛要請ですね。この時淀殿が上洛を断り、どうしてもと言うなら秀頼を殺して自分も死ぬと言い放ったのは如何にも演出ぽくはあるのですが、これは史実にあるとおりです。ちなみに、家康の意を受けて高台院が上洛を薦めたというのも史実どおりですね。

そこまで淀殿が思い詰めたのは、当然と言えば当然だったかも知れません。家康は秀吉との約束を破った上、秀頼に臣従しろと迫って来た訳ですからね。ここまで居丈高に出られたのでは、淀殿が惑乱したのも無理はなかったものと思われます。それでもまだ徳川と豊臣両家の関係が続いて行くのがこの時代の複雑さを物語っているのでしょうか。

次に描かれていたのは、国松の誕生ですね。ドラマでは慶長11年6月としていましたが、他に3月とする説、5月とする説などがあり、はっきりとはしない様です。また、ドラマでは江が自分で育てた様に描かれていましたが、実際には国松にも乳母が付けられていた様です。

秀頼に側室が居たのも事実で、その側室との間に子が生まれたのも史実にあるとおりです。その子の名前はドラマには出て来ませんでしたが、ややこしい事にこれが「国松」というのですね。たぶん、二人の国松という混乱を避ける為にドラマでは名を伏せたのでしょう。

家康が駿府城に入って、二元政治を行ったのは周知のとおりですね。家康は大御所と呼ばれ、実質的に徳川家の実権は握ったままでした。これを秀忠がどう思っていたかは謎のままですね。ドラマでは豊臣との宥和をしきりに画策していましたが、全て創作です。こうでもしないと、江の立場が無くなるからでしょうか。

高次が亡くなった後、初が常高院と名乗り、大坂城に入った事も史実のとおりです。ただ、その時期がいつかまでは判っていないんじゃないかしらん。大坂冬の陣の時に城内に居たのは確かなのですれけどね。

秀頼の上洛の時、名目として掲げられていた新帝の即位というのは、後陽成天皇から後水尾天皇への譲位の事でした。この譲位にも家康の意向が働いていたと言います。

ドラマでは出て来ませんでしたが、秀頼に上洛を勧める使者となったのは、信長の弟である織田有楽でした。つまり、淀殿にとっては叔父にあたる人物ですね。有楽は関ヶ原の戦いの時に東軍に加担し、戦後は家康から3万2000石の領地を受けていました。しかし、織田一族として特殊な位置に居た人物であり、秀頼にとっても血縁の年長者であるという、この時の使者にはうってつけの存在だったのですね。この時、淀殿は反対したものの、秀頼自身が上洛を決めたというのは史実にあるとおりです。

淀殿が、秀頼が上洛すれば家康に殺されるという畏れを抱いていたのも事実で、清正たちが秀頼警護のために付き従ったのも史実のとおりです。ただ、清正が針を渡したという下りは創作でしょうね、たぶん。

一説には、この時家康は実際に秀頼を毒殺しようとしていたと言われ、秀頼は一切食べ物を口にしなかった為に難を逃れたものの、清正はこの対面から数ヶ月後に毒が効いて亡くなったと言われています。状況証拠としては、この時清正と共に秀頼を警護した浅野幸長、池田輝政なども前後して死んでおり、このうわさの信憑性を高めています。でも、この当時に数ヶ月後に効力を現すという巧妙な毒があったとは思えず、単なる偶然という見方が有力ですね。

家康と秀頼の会見の内容については記録したものが無く、どういう会話が交わされたかは判っていません。ですから、ドラマで秀頼が言っていた事は全て創作という事になりますね。一点気になったのは家康が上座に着いていた事で、形式的にはまだ豊臣の家臣であるはずなのに不自然ではないでしょうか。司馬遼太郎氏の小説「城塞」では上下の区別が無い様に工夫されていたとあり、その方が筋が通っていると思うのですが、どんなものでしょう。

ドラマの秀頼はとても格好が良かったのですが、実際の秀頼もカリスマ性に富んだ人物だったと言われます。一説には、そのカリスマ性に恐怖した故に、家康は秀頼殺害を決意するに至ったのだとも言いますね。ドラマでもそれに似た展開をしており、副題の運命の対面とはそこから付けられたのかと思われます。

ただ、秀頼の背丈はドラマよりももっと高く、家康を見下ろすような偉丈夫だったとも言われます。秀吉は小柄な人物だったので、これは祖父の浅井長政に似たのではないかとも考えられていますね。

次回は竹千代と国松の跡目争いが描かれる様ですね。これってもう少し時間を掛けて描くのかと思っていたのですが、あっさりと決着を着けてしまうのか。やっぱり、淀殿と秀吉の関係に時間を掛けすぎた付けが出て来ているのではないかしらん。最後に来て、急ぎすぎの印象がありますね。

あと、宮沢りえの演技が、だんだんと本領を発揮してきていると思います。最初の頃は違和感が有りすぎたからなあ。最初はやっぱり子役に任せるべきだったのではって、今更遅いですね。

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