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2011.10.23

江~姫たちの戦国~41 姉妹激突!

(江戸城。暴慢さが目立つ竹千代。)

(福を呼び、竹千代の教育方針について問い質す江。上に立つ者として、ある程度の暴慢さも必要だと嘯く福。竹千代はまだ世継ぎと決まった訳ではないと家康の言葉を伝える江。驚く福。竹千代を誰からも好かれる男子に育てよと命じる江。慌てて下がる福。それを陰で聞いていた竹千代。)

(近習とすごろくで遊ぶ国松。そこにやって来た竹千代。すぐに済むから次にと言う国松に向かって、今すぐやりたいのだと言って近習を押しのける竹千代。とまどう国松。賽子を庭に投げつけ、国松を睨み付ける竹千代。)

(将軍になって10年目の秀忠。しかし、依然として家康の許可が無ければ何事も進まない状態が続いていました。)

(竹千代の事を秀忠に相談する江。それどころではない様子の秀忠。話題を豊臣の事に変える江。特段の動きはないと秀忠。もう諦めたのだろうかと聞く江に、豊臣と徳川が並び立つという願いは無視されていると秀忠。そして、親父は73だったか、なかなか死なないとつぶやき、死なないならこちらから動くと秀頼に宛てた文を書く事を思い立ちます。)

(秀忠の書いた文には、秀頼が関白に就き、秀忠が将軍としてそれを支え、共に世を治めて行くという構想でした。)

(嬉しそうに秀忠の書いた文を眺める江。その江に、夫の気持ちに嘘偽りはないという文を書いてくれと頼む秀忠。)

(駿府城。秀忠の構想を家康に問う正純。主が二人居ては天下が乱れるばかりだと一蹴する家康。そして、まずは秀頼を一大名として臣下に置く事だ、そのためには大坂城から引きずり出し、大阪、堺の商人、そして朝廷から遠ざけなければならないと自らの構想を語ります。家康が悩む問題はその口実をどうするかでした。)

(大坂城。つかの間の平穏を楽しむ秀頼と淀殿たち。そこに、方広寺の鐘の撞き初めが終わったと報告に来た且元。あとは8月3日の開眼供養を待つばかりでした。)

(且元を見送り、豊臣が進めている社寺の修復事業について、背後で家康が動いている、あれは豊臣の財力を削るためのものではないかと案ずる治長。それしきの事で大坂城の金銀が減るものではないと受け流す秀頼。そして、修復事業は秀吉が殺めた幾多の人々に対する供養として、豊臣家が何よりも行うべき事だと治長を諭します。)

(駿府城。家康の前に方広寺の鐘銘の写しを広げ、「国家安康」「君臣豊楽」の文字を示して、家康を呪い、豊臣の繁栄を願うものに外ならないのではと問う正純。)

(大坂城。徳川からの詰問状に、言い掛かりだと吐き捨てる淀殿。鐘を鋳造する前に駿府に鐘銘も届けてあると且元。ならば家康も知っていた筈と淀殿。それでも弁明に努める他はない、抗弁すれば戦を仕掛ける口実とされると秀頼。受けて立つまでだと憤る淀殿を宥め、今一度駿府に行ってくれと且元に命ずる秀頼。くやしくはないのかと問う淀殿に、今は耐えようと答える秀頼。)

(夜、治長に戦支度を命ずる淀殿。)

(江戸城。家康の言い分は言い掛かりだと憤る江。親父はどうしても豊臣を追い詰めるつもりらしいと秀忠。どうすれば豊臣を救えるのかと江。豊臣が一大名になる事を甘んじる事と秀忠。それは姉がとても受け入れないだろうと江。それとも家康が先に死ぬ事かと秀忠。秀頼に宛てた文はと問う江に、届いている筈だがと答える秀忠。)

(駿府。城近くの寺で、ずっと待たされている且元。)

(大坂城。なかなか戻らない且元にしびれを切らし、私とが行くと立ち上がる淀殿。淀殿を宥めるため、秀忠と江から届いた文を差し出す秀頼。これが本当なら先に光が見えてくると淀殿。その文で、自分も夢を持つ事が出来たと秀頼。夢とはと問う淀殿に、自分一人では無理でも秀忠と二人でならこの世を泰平に出来ると答える秀頼。)

(二人のやりとりを見ていて、自分が行くと言い出す常高院。行き掛かり上、私が行きますと名乗り出る大蔵卿局。)

(廊下にて、母に向かって家康に会うという事がどういう事か判っているのかと突っかかる治長。豊臣に掛けられた疑いを晴らす事だと大蔵卿。相手は家康、母が敵う相手ではないと詰る治長。行くと言ってしまったと大蔵卿。こうなったら行って疑いを晴らして貰うしかないと開き直る治長。気が重くなってきたと大蔵卿。)

(駿府城。家康に拝謁している大蔵卿。彼女に向かって、豊臣をおろそかにするつもりなどなく、案じるには及ばないとやさしく伝える家康。)

(大坂城。大蔵卿の報告を聞き、安堵する秀頼と淀殿。そこに帰って来た且元。彼は徳川から難題を突きつけられたと言って、家康の書状を取り出します。そこには、大坂城を明け渡すか、淀殿または秀頼の身柄を江戸城に移し、徳川に二心なき証しとすべしと書かれていました。ここで事を荒げては戦となると迫る且元に、それは家康自身から聞いたのかと問う秀頼。しかし、且元が会ったのは正純でした。大蔵卿の話を聞き、真の事とは思えないと且元。)

(大蔵卿は家康に会い、且元は会えなかったのなぜだと秀頼。よもや寝返ったのではあるまいなと問い詰める淀殿。必死に否定する且元。ならば何故話が食い違うのかと詰問する淀殿。言い澱む且元。それぞれに違う答えを持ち帰らせ、こちらを混乱させる策かも知れないと家康の魂胆を見破る秀頼。それに違いないと同意する且元。)

(何にせよ、且元の言った事に従うつもりはないと言い切る淀殿。駿府に答えを持ち帰らなければと食い下がる且元を、下がりおれと一喝する淀殿。)

(寝返りの疑いを掛けられ、大坂城を退去した且元。)

(駿府城。且元が大坂城を離れたと報告し、これは話し合いを拒んだ事に他ならないと進言する正純。そして、治長がしきりに大名達に近付き、戦支度わしているとも報告する正純。これは黙っている訳には行かないと、諸大名に出陣を命ずる家康。)

(江戸城。豊臣と戦と聞き、愕然とする江。家康の狙いは豊臣を一大名に落とす事にあり、命まで奪う事はしないはずと秀忠。そして、そのために大阪に行くのだと言い切ります。)

(大坂城。秀忠からの文を手に、一人佇んでいる秀頼。)

(10月。戦支度で賑わう大坂城。)

(秀頼に、彼らを関ヶ原浪人だ、その数は10万を超えていると説明する治長。なぜ大名が集まらぬと不満げな淀殿。徳川を気にしての事だろうと言いよどむ治長。その徳川に叛旗を翻そうという骨のある大名は居ないのかと声を荒げる淀殿。この城は秀吉が築いた天下無双、どれぼとの兵が押し寄せようともびくともしないと話をすり替える治長。)

(どうしても戦は避けられないのかと秀頼。今更何をと淀殿。自分からもお願いする、千が哀れでならないと常高院。秀忠との約束もあると秀頼。その様な約束はもはや無きもの、この城は戦場となると冷たく言い放つ淀殿。そして初に向かって、千を連れて城を出るが良いと言います。その時、嫌ですと叫ぶ千。私は秀頼の妻だと言う千。自分も姉の側に居ると言う常高院。父と祖父に文を出したと千。江に文を書いたと常高院。有り難いが、既に戦は始まっていると淀殿。和平を諦めてはいけないと叫ぶ常高院。その声が聞こえなかった様に、江と敵味方に分かれる日が来ようとはなとつぶやく淀殿。すすり泣く千。その時知らせが入ります。嬉しそうに叫ぶ治長。)

(秀頼たちの前に現れた浪人の一行。それは幸村の一党でした。上田城の戦いで天下に名を馳せた名将、これ以上無い味方と紹介する治長。有り難いと思いますと淀殿。なぜか浮かない様子の秀頼ですが、絞り出す様な声で礼を申すと声を掛けます。宿敵徳川を相手とするのは、この上なき幸いと答える幸村。)

(江戸城。正信から幸村が大坂城に入ったと聞き、関ヶ原での悪夢が甦る秀忠。その心を見透かした様に、あの時の仇を討てるかもしれないと正信。そして、10万の兵が城に入った以上、かつて無い厳しい戦いになるかもしれないと楽観を諌める正信。)

(10月23日、出陣する秀忠に、天下布武の印判を持たせ、無事を祈る江。二人の息子に向かって、敵は伯母であり、従兄弟であり、さらには姉も居る。しかし、全ては天下泰平のために動いていると信じている言い、留守を頼むと伝える秀忠。出陣する秀忠に、よろしく頼みますと伝える江。)

(京、二条城。集まった諸大名を前に、此度は戦をするではなく、戦の火だねをもみ消す為に来て貰ったのだと切り出す家康。10万の浪人が大坂城に押しかけ、天下に争乱をもたらそうとしている。秀頼の嘆きはいかばかりかと言い、かくなる上は大坂城を囲み、力ずくで和議を結ぶ他はないと秀忠は考え、それに応えるべく自分も駿府から出て来たのだと諸侯に語りかける家康。そして、諸侯が集まった事を秀頼は力強く思い、あとはその働きに期するのみだと語り終える家康。)

(20万の軍勢で大坂城を囲んだ家康。どこから攻めようかとつぶやく家康に、和議の為に囲んだのではないのかと問う秀忠。豊臣が一大名に降りてくれればそれで良い、しかし場合によっては戦もやむなしと言う家康。豊臣と徳川が並び立つという自分の案について問い質す秀忠に、言下に無いと否定する家康。天下を泰平にするために、自分の思いを通すと言う秀忠に、これは天下を泰平にするための戦だと諭す家康。そして、自分にとってこれが最後の戦となるとつぶやく家康。)

(11月19日、開戦。)

(江戸城。姉たちの無事を祈る江。)

今回は大坂冬の陣の前夜が描かれました。

まず冒頭に出て来た社寺の復興ですが、秀頼の名で再建された社寺は近畿を中心に全国に広がり、85件に上ると言われます。この事業の文化的意義は大きいと言われ、応仁の乱以降失われ、荒れ放題だった社寺の多くが秀頼のおかげで復興を遂げています。主なところで言えば、北野天満宮本殿、相国寺法堂、東寺金堂などがそうですね。

この事業は家康が薦めたと言われ、豊臣の財力を削ろうという狙いがあったとされます。実際、夥しい費用が掛かったと思われますが、秀吉の残した財産はそれに数倍するものがあったらしく、ドラマにあった様に豊臣氏の経済を傾けるという程には至らなかった様です。

次に、方広寺鐘銘事件ですが、ドラマでは本多正純一人で組み立て様になっていましたが、実際には金地院崇伝という僧侶を中心に、林羅山、南光坊天海など家康の側近のブレーン達によって仕組まれた罠でした。

この鐘銘を書いたのは文英清韓という僧侶で、東福寺や南禅寺の住職を勤めた高僧です。豊臣氏とは縁が深く、世が大きく徳川氏に傾いたこの時期でも秀頼の顧問を勤めていたと言われます。先に掲げた崇伝もまた南禅寺の僧侶で、この清韓とは対立関係にあったとも言われますね。この銘文がことさら狙われたのも、そういった事が関係していたのかも知れません。

この鐘銘事件にあたっては、徳川方は京都の五山の僧侶に意見を求めているのですが、そのことごとくが清韓の非を鳴らすものでした。これはあらかじめ徳川方が手を回してあったとも言われますが、それによって単なる言い掛かりではないと権威付けられたのは確かです。

しかし、この銘文自体を本気で問題視していなかった事は、事件後も鐘がそのまま存置された事を見ても明らかで、本当に呪われたと思っていたのなら、きっと有無を言わさずに鋳つぶしてしまっていた事でしょう。実際、家康は豊臣方の言い訳には関心が無く、ドラマにあった様に大坂城を明け渡すか、秀頼か淀殿が江戸に出て来るという条件を突きつけています。要するに、鐘銘はこの条件を出す為のきっかけを作ったに過ぎず、役目を終えればどうでも良かったのでしょう。

ただ、銘文を書いた清韓は無事では済まず、南禅寺を追われた上、住まいとしていた東福寺の天得院は破却されてしまっています。ちなみに、この天得院は後に再建され、今では桔梗の寺として親しまれていますね。

この事件の時に使者となった且元と大蔵卿局の二人に対し、家康が別々の回答を与えたというのも史実にあるとおりで、大坂方を混乱させる事が目的でした。そしてその結果、且元が大坂城を退去した事もまた開戦のための口実としたのです。このあたりの家康の腹芸は見事としか言い様が無いのですが、そのあまりのあくどさ故に、後世に至るまで狸親父の悪名を着る事になったのでした。

豊臣方の誘いに乗って大坂城に入った真田幸村ですが、かつて真田家の人質として大坂城に住んでいた事があり、秀吉近くに仕えていたとも言われます。ですので、淀殿とは顔見知りだった可能性もありますね。関ヶ原の戦いで西軍の将として戦った大谷吉継の娘を妻としており、その事が父昌幸と共に西軍に付いた要因の一つとなったとも言われます。

関ヶ原の戦いの後は父と共に紀伊国の九度山に配流の身となっており、昌幸は大坂冬の陣の3年前に亡くなっています。この当時幸村の名はさほど知られておらず、戦の名人としてその名が轟いていたのは昌幸の方でした。実際、幸村が戦ったのは関ヶ原の戦いの時くらいの様ですからね。しかし、真田氏一族の出という事で、豊臣方の期待は大きいものがあった様です。

大坂城に入った浪人衆の中で特に有力な武将は大坂五人衆とも呼ばれ、幸村の他に後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登、毛利勝永が居ました。この中で最も高名だったのが後藤又兵衛で、黒田家の家臣として活躍し、知勇を兼ねた武将として知られていました。たぶん、実戦経験も群を抜いて豊富だったんじゃないかな。

幸村は確かに有名な武将ですが、彼ばかりが強調されるこのドラマには少し違和感を感じますね。まあ、いまさら5人衆を出しても煩雑なだけという気もしないではないですが。

秀忠が秀頼に手紙を書いたというのは創作ですが、それを拠り所とするしかなかったドラマの秀頼というのも、何だか哀れに思えましたね。史実とはまるで違うとは判っていても、あの思いが通じていたらと、ふと思ってしまいます。

次回は大坂冬の陣、再び家康の悪辣さが発揮される戦いですね。そして幸村の活躍は描かれるのかしらん?淀殿の甲冑姿もあるらしいので、いろいろ楽しみな回ではあります。

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