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2011.10.30

江~姫たちの戦国~42 大坂冬の陣

(慶長19年11月19日、大坂冬の陣開戦。)

(江戸城。家臣たちに、大坂から届く全ての知らせを自分に報告せよと命ずる江。)

(籠城へと追い込まれた大坂方。)

(優勢になり、一気に攻め込もうと意気込む徳川方の諸将。諸将を押さえ、幸村の築いた出城「真田丸」の優秀さを指摘し、楽観を諌める家康。)

(真田勢に押さえられ、攻めあぐねる徳川方。俄に和睦を言いだした家康。秀忠にその真意を質され、恩賞が惜しくなったなどとあくまでとぼける家康。)

(和睦の使者が来た事を知らなかった秀頼。憤る秀頼に、和睦に応じるつもりは無いと言い切る淀殿。急ぎ和睦すべきだと主張する秀頼に、この城を出るのは家康が死ぬ時しかないと言い放つ淀殿。)

(真田丸で大勝利を収めた幸村。痛手を負った徳川方。)

(3度目の籠城となる淀殿。4度目の籠城となる常高院。もう止めてはどうかと薦める常高院。後戻りは出来ないと淀殿。)

(真田丸の優勢に気を良くし、秀頼出馬を淀殿に進言する治長。ならぬと言下に拒否する淀殿。)

(鎧姿に身を固め、諸将のたまり場に現れた淀殿。淀殿の激励に意気の上がる諸将。その中で、なぜ秀頼が出てこないと訝る後藤又兵衛。なすべき事は家康の首を上げる事だけだと幸村。)

(和睦の道を探り始めた秀忠。)

(江戸城。国松を相手に、豊臣は滅びよと打ち込む竹千代。それを見て、豊臣には伯母、従兄弟、それに千が居るのだとたしなめる江。竹千代を庇い、豊臣に殺された者の目を見よ、徳川家御台なら同じ目を持てと噛みつく福。)

(幸村を討ち取ると出陣を願い出る秀忠。もうすぐ戦は終わると家康。城に向かって穴を掘らせているのだと正純。また、夜を徹して鉄砲を撃ち掛け、夜討ちかと思わせているとも。子供だましだと秀忠。次の恐怖を与える前段だと家康。)

(且元を呼び、淀殿の居場所はどこだと確かめる家康。彼はそこに向かって大砲を撃ち込めと命じます。)

(俄に襲ってきた大砲に、恐慌に陥る淀殿の侍女達。気丈に振る舞う淀殿。傷つく秀頼。そこにもたらされた和議の知らせ。)

(和睦を受け入れようと主張する秀頼。家康の命は長くない、すぐにも恥を雪ぐ時が来ると治長。泣き崩れつつ、説得を受け入れた淀殿。)

(常高院に和睦の使者を頼む淀殿。拒む常高院に、誰も信じる事が出来ない、今の願いは城を出ずに済む事だけだと打ち明ける淀殿。引き受けた常高院。)

(家康の使者阿茶の局と談判する常高院。2日後、成立した講和。)

(江戸城。戦が終わったという知らせに胸をなで下ろす淀殿。しかし、堀を埋めていると聞き、かつて秀吉が家康に語った大坂城を落とす秘策を思い出す江。)

(徳川方が三の丸から二の丸まで手を出していると聞き、なぜだと憤る淀殿。騙されたと気付いても、すでに手遅れでした。無惨な城の様子を見て歩く秀頼。)

(なぜ二の丸にまで手を出しているのかと詰問する秀忠。豊臣方は自分が死ぬのを待っている、早く仕事を済まさなければならないのだと家康。何が何でも豊臣を滅ぼさなければならないと本音を漏らした家康に、約束が違うと叫ぶ秀忠。そんな約束はした覚えがないと嘯く家康。)

(正信に頼みがあると切り出す秀忠。)

(正信の従者に紛れ、秀頼の前に現れた秀忠。驚いて人払いを命ずる秀頼。)

(秀頼と淀殿を前に、家康の真意は豊臣を滅ぼす事にある、ここは何としても生き残って貰わなければならないと力説する秀忠。豊臣の為に戦えと飛ばした檄に、一人も応じる者は居なかったと詠嘆する淀殿。城を開けて生き残る道を選んで欲しいと力説する秀忠。秀忠に感謝しつつも、最後までこの城で戦い抜くと拒絶する淀殿。)

(失意の秀忠を呼び止めた使いの者。案内された先で待っていたのは秀頼でした。)

(秀忠の文に返事を出さなかった事を詫びる秀頼。今でも考えに変わりはない、淀殿の考えを変えてくれと秀忠。なぜ母が豊臣の天下にこだわるのか判らなかった。しかし、城が壊されていく様を見て、胸が痛んだ。生まれた時から暮らした城が崩され、徳川を初めて憎いと思った、この城は自分自身なのだと秀頼。城の外にも未来はあると秀忠。城を出た時、自分は死ぬ。秀忠と話が出来た事は嬉しかった、しかしこれからは敵同士だと言い渡す秀頼。)

(一人廊下を行く秀忠の前に現れた幸村。身構える秀忠に、戦は戦場にてしようと立ち去る幸村。)

(私は間違っていないかと淀殿。しかし、秀頼だけは救うつもりだと淀殿。)

(江戸に帰った秀忠。出迎えた江が見たのは、無精ひげを生やし、悄然とした秀忠でした。崩れ落ちながら、江に詫びを言う秀忠。訝る江。)

今回は副題どおり大坂冬の陣が描かれました。このドラマにしては珍しく、戦いの経過が比較的克明に再現されています。

まず冒頭の木津川口砦の戦いですが、これは大坂方が城の周辺に築いた砦を巡る戦いでした。

開戦に先立ち、幸村はいきなり籠城するのではなく、まず畿内を押さえた上で近江に兵を出し、瀬田川を挟んで戦うべきだと主張しました。そこで徳川方に一勝し、大軍を立ち往生させる事が出来れば、大坂方強しと観て豊臣方に内通して来る者が出て来るはずという目論見でした。後藤又兵衛らも賛同し同様の案を出したのですが、大野治長がこれに反対し、当初から難攻不落の大坂城に籠もるという策に落ち着きました。

その籠城に際して、大坂方は城の周囲に小規模な砦をいくつか築き、前線の守りとしたのですが、その一つが木津川口砦でした。この砦の守備兵はわずか800という小規模なもので、幸村は大軍に対してこの様な脆弱な砦を築く事に反対したと言われます。実際、この砦の存在に気付いた鉢須賀勢3000に襲われ、砦は瞬く間に落ちてしまいました。

これに続いて鴫野・今福、博労淵、野田・福島などの砦で相次いで戦いが起こったのですが、いずれも大坂方の敗退に終わっています。結果として治長が築かせた砦は幸村が危惧したとおりとなり、徒に兵を損耗しただけに終わっています。

次に真田丸についてですが、ドラマにあったとおり大坂城の唯一の弱点とされたのが南の守りでした。大坂城は上町台地に築かれているのですが、北は淀川、東は大和川(今は東流して堺市の北で大坂湾に注いでいますが、昔は北流して淀川と合流していました。)、西は大阪湾に囲まれており、それぞれが防衛線となっていました。ところが、台地の続きである南側には盾とすべきものが無く、秀吉もその手当てには頭を悩ませていたとされます。無論、堀はあったのですが、大軍で囲まれると心許ない場所でした。

自然、徳川方の主力も南側に集中し、前田、伊達、井伊、榊原、藤堂などの諸大名が布陣していました。この南の守りの任に就いたのが幸村で、城の南に真田丸と呼ばれる出丸を作ってその中に籠もりました。この真田丸は堀と何重もの柵に囲まれた一種の要塞で、夥しい銃が配されていたと言います。

ドラマでは絵図の中にだけ記されていましたが、この出丸の前に笹山という小さな丘があり、幸村はここにも柵を築いて兵を籠めていました。

この方面に対する家康の指示は真田丸を力攻めにはせず、野戦陣地を作ってそこから大砲を撃ちかけよというものでした。この陣地を担当したのが前田利常だったのですが、笹山からの妨害にあって陣地の構築が思う様に進みませんでした。

そこで利常はまず笹山を奪う事を考え、これを夜襲しようとします。ところが真田方ではあらかじめこの動きを察知しており、笹山から兵を全て引き上げていました。そうとは知らずに無人の丘に攻め上った前田勢を、真田方はさんざんに嘲弄します。この挑発に乗った前田勢は、そのまま真田丸に攻め掛かりました。

幸村は前田勢が出丸の石垣に取り付くまで引き付けておき、頭上から一斉に銃撃を浴びせかけます。この攻撃で前田勢は大損害を食らったのですが、この前田製の動きにつられて徳川方の諸隊が次々に真田丸に押し寄せました。幸村はこれらの敵勢を十分にに引き付けては銃撃するという戦法を繰り返し、徳川方に数千に上る損害を与えたと言われます。

この敗報は1万5千の損害という数字に膨らんで諸方に飛び、世間に徳川方の敗北を印象付けました。ドラマで治長が、やがて豊臣に味方する大名が出て来るに違いないと狂喜していたのも無理はなかったのですね。しかし、幸村の勝利も全体から見ると局地戦の勝利に過ぎず、大勢を決するまでには至りませんでした。

なお、秀忠が真田丸を攻めると言ったのは史実にあるとおりですが、ドラマにあった様に停戦を目指したものではなく、あくまで攻勢を貫くためでした。しかし、和議を考えていた家康に一蹴され、沙汰止みとなっています。

和議の決め手となった本丸への一斉砲撃は、ドラマにもあった様に淀殿への心理的圧迫を狙ったものでした。城の周辺から多数の砲弾が撃ち込まれ、その内の一発が淀殿の居室近くに着弾し、7、8人の侍女が即死したと言われます。

また、これもドラマにあった夜を徹しての銃撃や、坑道に依る攻撃も実際に行われています。いずれも現実の効果は薄く、あくまで心理戦を狙っての事でした。

こうした心理戦に加えて、城方では兵糧、弾薬共に不足を生じ始めており、和議に応じようという動きになった様ですね。この時、ドラマにあった様に治長は、家康の寿命は長くないと言って秀頼を説得したとされています。

城方の代表として常高院が選ばれたのはドラマで描かれたとおりで、徳川方の代表として阿茶局が出て来たのも史実にあるとおりです。ただし、常高院を指名したのは家康であったとされ、ドラマの様に淀殿が頼んだという訳ではなかった様ですね。

談判が行われたのは、京極忠高の陣でした。つまり、常高院の義理の息子の陣ですね。彼はこの時、徳川方の将として城攻めに加わっていました。彼は義母が籠もる城を攻めていた事になりますが、城方の代表となった常高院もまた相当に複雑な立場にあった事が判ります。しかし、だからこそこの場にある事が相応しかったとも言えそうですね。

この談判は2日に渡って行われ、一日目の談判は不調に終わり、二日目に修正案が出されてようやく締結に及んだと言われます。その条件とは、

1.本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋める。
1.淀殿を人質とはしない。
1.大野治長、織田有楽斎それぞれより人質を出す。

という事でした。また、了解事項として、外堀は徳川方が埋め、二の丸、三の丸は豊臣方が埋めるという約束があったものと思われます。しかし、徳川方は20万の軍勢を使って一斉に作業を始め、瞬く間に全ての堀を埋めてしまったのでした。これに対して、治長は抗議を申し込んでいるのですが、相手にされずに終わっています。

その後、秀忠が秀頼親子に会いに行ったというのは荒唐無稽な創作ですが、このドラマにおける秀忠らしさは出ていたと思います。正信の家臣に化けて行ったというのは、昔見た時代劇の様で面白かったですし、江との約束を果たすべく、真摯に秀頼親子を説く姿には好感を持てました。ただし、現実の秀忠は、そんな事はかけらも思っていなかった事でしょうけどね。

そして、城が壊されるのを見て、初めて徳川が憎くなったという秀頼の心理描写も面白いですね。これまで意外な器量者として描かれていた秀頼が、一転して城に依存した弱者に一変してしまいました。秀頼が城から出たのは二条城に行った時だけと言われており、その生い立ちを考えればこういう心理描写も有りかなとは思います。でも、あの凛々しい秀頼はどこに行ったんだとも思ってしまいますね。

最後に、淀殿の鎧姿は似合っていました。これから先、宮沢りえに、こんなオファーが来るかも知れませんね。

次回は大坂夏の陣が描かれる様です。副題も「淀、散る」と衝撃的ですね。絶望的な戦いの果てに訪れる淀殿、秀頼親子の最期がどう描かれるか、じっくりと見てみたいと思います。


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