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2011.08.28

江~姫たちの戦国~33 徳川の嫁

(伏見、徳川屋敷。前田利家が同席いする中で、伊達政宗、福島正則らとの婚姻を進めた事について、家康を詰問する三成。媒酌を頼んだ茶人がうっかり届けを忘れたのだろうととぼける家康。いずれ豊臣に刃を向けるつもりかと迫る三成。なんだとと、凄味を見せる家康。そこまで、と輪って入る利家。)

(三成には矛を収めよ、家康には法度に背いたのだから頭を下げよと、とりなす利家。これこのとおりと頭を下げる家康。憤懣やる方なしと思いつつ、引き下がらざるを得ない三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の間で争いが起きていないかと気が気でならない様子の江。そこに入ってきた大姥局は、江のだらしない姿勢に早速噛みつきます。)

(徳川に嫁いだ以上、男子を産むのが務めとまたも迫る局。そこまで言うのなら、男子を産んでやるとやり返す江。それなら良いと、にっこり笑って引き下がる局。)

(あの者は何だと秀忠に愚痴る江。あの局には家康も頭が上がらないのだと秀忠。局の出自を調べてきたヨシ。彼女は今川家の家臣の妻だった人で、人質時代の家康も良く知っており、その後秀忠の乳母となったのでした。母が亡くなった後、その代わりとなって育ててくれた人だと秀忠。まだ秀忠の事を良く知らないままでいると今更ながら気付く江。)

(三成と家康のその後について聞く江。知らない、江戸に来てみると遠い話の様な気がすると、とぼける秀忠。)

(近江、大津城。高次に、徳川と豊臣の関係について問い質す初と龍子。何でもないと言って聞かせる高次。もし、両者で争いになったらどうするつもりかと問う初。秀吉から拝領した脇差しを捧げ、自分が豊臣の家臣である事の何よりの証しである、それは家康とて同じ事で、今でも豊臣家の家臣であり続けていると真顔で言って聞せるす高次。高次は人が良すぎると初。初は疑り過ぎると高次。)

(家康に、三成にあそこまで言われて腹が立たないのかと迫る忠勝。あれで良いのだと取り合わない家康。次は何をどうしてやろうかと、楽しそうに企む家康。)

(官兵衛を呼び出した三成。彼の用件は、家康の事を共に考えて貰いたいという事でした。三成には人の心が判らない、忠誠を誓った時にどのような気持ちであったか、そして、朝鮮出兵のせいで、どれほど恨みを買っているかと説く官兵衛。)

(一月前、朝鮮から引き上げてきた諸将を出迎えた三成。慰労のための茶の支度が出来ているという三成に、自分たちが戦っている間、秀吉の側で茶を飲んでいたのかと毒づく正則、清正、長政達。彼らとの間に深い亀裂を感じる三成。)

(三成の欠点は人の気持ちになって考える事が出来ない、とりわけ戦場に立つ男達の気持ちが判らない事だと諭す官兵衛。苦言を聞く為に呼んだのではないと怒り出す三成。)

(気を鎮めて、秀吉の懐刀と呼ばれた官兵衛に協力を頼もうとする三成。それを遮り、勝ち目の無い戦に加わるつもりはないと断る官兵衛。三成に力を抜けと言って立ち去る官兵衛。)

(慶長4年正月、大坂城で諸将の拝賀を受ける秀頼と淀殿。大蔵卿局と名を改め、奥向きの差配を勤める事になったサキ。)

(三成に、家康の動向について問う淀殿。政は一切自分にまかせよと三成。そして、秀頼の世が成り立つように全力で補佐し、また淀殿を守る所存であると言う三成。訝る淀殿に、秀吉の遺言だからと答えて、真っ直ぐに淀殿を見つめる三成。とまどう淀殿。思い深げな大蔵卿。)

(江戸城。江に向かって、秀頼が大坂城に入ったのは秀吉の遺志であり、利家が後見役として大坂城に、家康は伏見にあって政を見るというのが新しい豊臣家の態勢なのだと説明する正信。)

(三成がまた動いているそうだなと聞く秀忠。はあと明確には答えない正信。三成は何をしようとしているのかと問い質す江。三成は家康が信じられないのだろう、つまり、豊臣を乗っ取ろうとしていると考えているのだと秀忠。そんな事がと驚く江。家康は何事も自分で考えて自分で決めいてしまう、つまり私には何も出来ないのだと秀忠。)

(そこにやって来た大姥局。江に安産のためだと言って、床に散らした大豆を這い蹲って拾わせます。やっとの思いで全てを拾い集めた江でしたが、局はまた豆をぶちまけさせて一からやらせます。鳥ではないぞと嘆く江。男子をと祈る局。)

(利家の死により、一気に動き出した政局。三成に復讐するため、屋敷を囲んだ正則、清正ら武断派の諸将。追い詰められた三成は、家康に使いを出せと左近に命じます。)

(家康に匿われた三成。それを知り、家康の下に押し寄せた正則たち諸将。口々に三成の引き渡しを迫る諸将に、それは出来ないと断る家康。収まらぬ諸将に向かって、今三成を殺してしまえば多勢に無勢で、卑怯者のそしりを受けてしまう、それに幼い秀頼の心を悩ませる様な事はするべきではないと諭す家康。やむなく矛を収める諸将。)

(諸将は帰ったと三成に告げる家康。安堵しながらも、なぜ家康が自分を匿ったのかその心が判らないと三成。ここに来たのは、ここが一番安全だと思ったからだろう、如何にも頭がよいと持ち上げる家康。そして、そういう人物が好きで、頼られた事も嬉しかったと続ける家康。三成の浮かぬ顔を見て、本気にしてはいない様だと訝る家康。何にせよ感謝していると頭を下げる三成。)

(ここまで話がこじれた以上隠居しかないと、さらりと説く家康。されどと異議を申し立てようとする三成に、これはあくまで仮隠居、いつか復帰する時もあると説く家康。そして有無を言わさぬ様に秀康を部屋に呼び入れ、佐和山城までの警護をすると申し出ます。やむなく、かたじけないと受ける三成。)

(髪を落とし、佐和山で隠居した三成。)

(江戸城で事の顛末を聞く秀忠。どういう事かと問う江。身重の身ゆえ休んでいてはどうかと気遣う秀忠。むしろ、政に興味を示すのは良い事だ、生まれてくるのは若君に違いないと大姥局。)

(三成を助けたのは、生かしておいた方が使い道がある、いずれ事を起こす時には豊臣恩顧の大名に声を掛けるはず、家康はまとめて始末が出来るその時を待っているのだと秀忠。では豊臣はどうなるのかと迫る江。)

(豊臣、豊臣と未練がましいと詰る大姥局。徳川に嫁いだ以上、争いとなった時には徳川の事だけを考えて貰うと局。そうはいかないから困っているのだと叫ぶ江。興奮したせいか、産気づく江。)

(無事に姫を産んだ江。子供は珠と名付けられました。約束が違うと嘆く大姥局。次は男子を産んでみせると江。)

(大坂城。江が姫を産んだ事をおねに知らせる淀殿。徳川とのあつれきを避けるために、城を出て行くと告げるおね。驚く淀殿に、まずは家康を信じる所から始めてみようと諭すおね。これからは京に行き、秀吉の菩提を弔うのだと言い、お互い秀吉の妻としての勤めを果たしていこうと淀殿に告げるおね。)

(おねと入れ替わりに大坂城に入った家康。おねの言った、家康を信じてみようという言葉を思い出す淀殿。)

(大津城。家康から届いた城の修繕の為の贈り物。無邪気に喜ぶ初に、これは京極家を取り込むためのものだと告げる高次。だからあなたは人が良いと言ったのだと憤る初。それを言っている場合ではないと戦慄する高次。)

(西の丸で紅葉を見ながら酒を呑む家康。)

(佐和山で、家康が西の丸に入ったという報告を受ける三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の争いの予感の中、姉たちを思い悩む江。)

今回は、秀吉亡き後の複雑な政局が主題でした。本来、一冊の本になるほどの内容を45分にまとめ上げた手際には感服しますが、それにしても走りすぎの感は否めません。何より、正則たち諸将の登場が唐突に過ぎ、何を怒っているのか説明がなさ過ぎでしょう。

良く言われるのが三成たちは文治派で、秀吉の側近として行政面に携わっていました。一方、正則たちは武断派と呼ばれ、主として戦場で戦う事を本務としていました。今でも良く聞く、現場と本部の対立の構図がこの時もあったのですね。

また、文治派の多くは近江出身者であったのに対し、武断派は尾張出身者が多く、気質の違いもあって上手く反りが合わなかった様です。一説には、秀吉は意図的に両者を対立させ、互いに競わせる事で育てようとしたとも言われます。

その対立が頂点に達したのが朝鮮の役でした。清正たち武断派が戦場で戦う一方で、文治派は軍監として従軍し、その戦いの様子を秀吉の下に報告していました。武断派はその報告に偏りがあると感じ、自分たちの働きぶりが正確に伝わっていないと不満を抱いていたようです。

その最たる例が清正で、彼は常に先鋒として戦っていたのですが、軍艦の報告によって、明と交わした公式文書に勝手に豊臣の姓を使ったなどの罪に問われ、秀吉に蟄居を命じられています。清正にすれば、罪に問われた事柄はどれも言い分があったのですが、秀吉は報告書を信じ、清正に問い質す事もせずに処分を下してしまったのでした。清正は秀吉が自分に会ってくれないのは三成たちに籠絡されているからだと感じ、三成に対する憎悪を決定的なものにした様です。

この事件の直後に大地震が伏見を襲うのですが、その騒ぎの中、真っ先に秀吉の下に駆けつけた清正は、感激した秀吉によって罪を許されています。この事からも、直接秀吉に会う事が出来れば自分の正しさを伝える事が出来る、つまり間で事実を歪めているのは三成達だという論法が清正の中で成り立ったのでした。

他の諸将も大同小異で、必ずしも三成が何かをしたという訳ではなかったのですが、文治派に対する様々な不満が代表者たる三成に集中し、憎悪の対象とされた様です。

諸将に襲われた三成が家康に匿われたのは史実にあるとおりで、三成は騒動の裏に家康が居る事を知りつつ、公的には筆頭大老としては事態を収める責任があるという事に着目し、家康を頼ったのでした。逆手を取られた家康でしたが、三成を蟄居させると言う形で見事にやり返したというのはドラマにあったとおりです。でも、私的には、三成はもっと傲然としていて欲しかったなという気がしますけどね。

余談ですが、あの兜の似合なさといったら何なのでしょう?ひこにゃんが被ると丁度良いという位に巨大だったのは、現物を忠実に再現したという事なのかしらん。戦場で目立つには、あれくらいでなければならなかったのかな。

今回の秀忠は、視聴者に対する筋書きの説明者でした。江とのやりとりの中で、関ヶ原に至るまでのあらすじを端的に語っていましたが、時間の無い中で手っ取り早く知らしめるには効果的な方法だったと思います。まあ、不自然さは否めませんけどね。

大姥局と江の関係は、思っていたとおりになりました。意地悪な教育係とそれに耐える嫁という構図ですが、三度目の嫁入りという事でか、江があまり負けていないのが救いだったかな。でも、このドラマとしては、むしろこちらが主題なのかしらん?ここまでの江は架空の人物に近く、その描かれ方も歴史の傍観者でしかなかった訳ですが、これからは江戸城の大奥の基礎を築いたという本当の江の生涯が描かれるわけですからね。歴史のうねりはむしろ添え物で、江戸城の中で江がどう考えてどう動き、何を残したかが焦点となって来るのではないかな。そのためにも、大姥局は必要な存在だったのかという気がしています。

生きた江はここから始まる、なんていうのは言い過ぎですか。


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関ヶ原の戦いがどのようなものだったのか、それをしっかりと把握したいという思いから、司馬遼太郎の「関ヶ原」という時代小説3巻を読んでみました。そこには、秀吉の死語に家康が考え抜いた様々な諜略とそれを支えた本多正信の動きがつぶさに記述されていて、スリリングな状況がそこにはあったことを知ることができます。 それを見ているからなのかもしれませんが、今回の江というドラマの中で描かれる家康や正信はずいぶん丸く優しい人物に描いているようで、そのギャップに悩まされています。例えば、三成が豊臣ゆかりの武将たちに囲まれ... [続きを読む]

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