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2011.08.16

江~姫たちの戦国~31 秀吉死す

(秀忠に助けられた翌日、秀勝の遺品を箱に仕舞う江。淀殿に宛てた手紙は渡されないままに手元に戻ってきました。その時、家康と秀忠が戻ったという知らせが入り、江はいそいそと出迎えに行きます。ところが、聞こえてきたのは秀吉の声でした。)

(火事見舞いに来た秀吉の姿を見て、慌てて姿を隠す江。しかし、その姿は窓を通して秀吉からまる見えでした。嬉しそうに声を掛ける秀吉。忌々しげに窓を閉める江。)

(秀忠と共に秀吉に対面する江。しかし、相変わらず秀吉に口を利かない江。たしなめる家康。あきれる秀忠。)

(江を咎めず、懐から拾の肌着が入った袋を取り出し、匂いを嗅ぐ秀吉。そして、拾は天下人となり、大坂城の天守に立つ、その姿を見るのが楽しみだとつぶやきます。激しく咳き込む秀吉。その秀吉を冷徹な表情で見つめる家康。)

(正信相手に、秀吉が拾が天下人となった姿を見る事は叶わないだろう、自分も忙しくなるとつぶやく家康。)

(その日の夜、寝所で秀忠に妻として一心不乱に仕えていくと宣言する江。なにも自分達の流儀を変える事はない、これまでどおりお互い干渉しあわずに行こうと秀忠。不満そうな江。)

(二ヶ月後、大坂城。明に送った国書の返事がもたらされ、そこには秀吉を日本国の王となすと認められていました。つまり、自分は明国の家来だという事かと知り、怒りにまかせて再度の出陣を命ずる秀吉。何とかとりなそうとする家康。委細構わず、三成に陣触れを命ずる秀吉。)

秀吉が明国に対して出していた講和条件は、朝鮮南部の割譲や明国皇女を天皇に嫁入りさせるなど、およそ実現不可能なものでした。窮したのは小西行長や宗義智ら外交を受け持っていた担当者たちで、日本軍の実情や明国内の情勢を知る彼らはこの無茶な条件をそのまま明国に伝える事はせず、日本は明国に冊封し、勘合貿易がしたいだけだと偽りの講和条件を提示したのでした。ですから、明国から日本国王となすという返書が来たのは当然のことだったのですね。

行長たちはこの返書の事も騙し通すつもりだったと思われますが、明国の使者に加わっていた朝鮮からの使者が偽者だったと知れたためだとも、国書を偽って読み上げる手筈だった僧侶が事態の大きさに恐れをなし、本当の事を言ってしまったために発覚したのだとも言われています。一説には三成もまた、この企てに関与していたとも言われていますね。

何にしても、明国を征服すると宣言していた秀吉が、反対に日本国王にしてやると言われては、拳の落としどころは無かった事でしょう。

(三成に向かって、秀吉はおかしくなっている、出兵を取りやめるよう諌めるのもまた忠義の道だと声を掛ける家康。自分は秀吉の命を聞くだけだと言って立ち去る三成。)

(秀忠から再度の出兵と聞き、驚く江。今度は秀吉は伏見から指揮を執る、拾の側を離れられないのだろうと秀忠。これでは秀勝は何の為に命を落としたのか判らないと嘆く江。)

(急に倒れ込んだ江。医師の見立てでは妊娠で、二月から三月になるとの事でした。喜ぶヨシ。なぜか気が重いと浮かない江。)

(その夜、寝所。秀忠に子供が出来たと報告する江。静かに驚く秀忠。もっと喜びはないのかと不満げな江。大事にせよとそっけない秀忠。そして、女なら良いなとつぶやきます。なぜと問う江に、男は戦で死ぬか、人質に出されるか、養子にだされるかでつまらないと答える秀忠。女も大変なんだと返す江。とにかく大事にしてくれと言って寝てしまう秀忠。)

(その年の冬。見舞いに来ている初。火鉢で何やら焼きながら、沢山産んで一人呉れと以前の願いを繰り返す初。側室の子に家を乗っ取られるというのがその理由でした。悪阻にむせかえる江。)

(数日後、家康が調合した薬を飲む江。拾が4歳で元服し、秀頼と名乗ったと告げる家康。朝鮮での戦と言い、キリシタンへの仕置きと言い、秀吉は生き急いでいるかもしれないと家康。)

(細川屋敷。ガラシャに向かって、キリシタンは長崎に送られて磔にされると聞いたと告げる忠興。水の様に冷静に、存じていますと答えるガラシャ。ではキリシタンの教えを捨て去る事は迫る忠興。生涯無いと答えるガラシャ。細川家のためでもかと懇願する忠興。ロザリオを握って、じっと忠興を見返すガラシャ。)

(慶長2年5月。女の子を出産した江。)

(娘と対面し、これが私のかと言ってうなる秀忠。他に言う事はないのかと江。そこに駆けつけてきた家康。可愛らしい姫だと褒め、江を労る家康。夫とは違う対応に、嬉しそうに礼を言う江。姫の名をと懐から紙を取り出そうとする家康を制し、名はもう考えてあると言い出す秀忠。そして、千と書いた紙を取り出し、江に手渡します。自分の考えとは違うが良いのではないか、そちの子だと言って立ち去る家康。)

(千の字の書かれた紙を広げたヨシ。そこには竹千代と書かれていました。いぶかる江に、徳川家代々の嫡男の幼名であり、その中から一番良さそうな名を取ったのだと答える秀忠。あきれる江。名前など、呼びやすければ良いのだとうそぶく秀忠。)

(言葉とは裏腹に、子煩悩になった秀忠。あきれながらも、微笑ましく見守る江たち。そこに淀殿からの祝いの品が届きます。千を産んだ事を祝い、完もまた無事に育っている事を伝える淀殿の文。置いてきた娘を思い、複雑な表情の江。)

(家康から、秀頼と千を許嫁にすると聞かされた江。秀吉が如何に徳川家を大切に思っているかという事だと諭す家康。)

千姫と秀頼が幼くして婚約したのは、史実にあるとおりです。無論、娘婿となる秀頼を秀忠が守ってくれる事を期待しての事ですが、千姫には人質という意味もあったのでしょうね。

(伏見城。秀頼と千の婚約を聞き、さぞかし江が怒っているだろうと気遣うおね。大事ない、江とは口も利いていないがと秀吉。)

(三成に朝鮮の戦況を聞く秀吉。朝鮮の大軍に迫られ、一時はあやうく敗北寸前にまで行ったと正直に答える三成。面白くない話をするでないと怒り出す秀吉。お前様が始めた戦でしょうと咎めるおね。何か気張らしは無いのかと苛立つ秀吉。)

(慶長3年3月。醍醐寺にて絢爛たる花見を催した秀吉。周囲を軍勢に警護させ、親しい大名や女達の前で舞を舞って見せる秀吉。)

(舞終えて、桜吹雪を前に一人座っている秀吉。その花の中で激しく咳き込み血を吐きます。目も眩むような花の舞を見て、生きるとは夢幻のごとくじゃなと一人つぶやく秀吉。)

醍醐の花見については、その後の日本に花見の習慣を根付かせたと言われる程インパクトの強いものでした。秀吉はこの花見のために醍醐寺を修復し、桜も各地から移植したと伝えられます。当日は八つの茶屋を順に巡るという趣向で、秀頼を初めとする豊臣家の人々や1300人の招待客を楽しませました。そこで使用された道具類、供された料理の数々は桃山文化の粋を集めたものだったと言われています。

ドラマでは描かれませんでしたが、この花見の時に、側室の序列を巡って淀殿と龍子の間で争いがあったと言われています。秀吉は秀頼の生母としての淀殿の地位を重く見て序列を上げ、おねに次ぐ次席に据えたのですが、元の寵姫であった龍子としては面白くない処置でした。この怒りが会食の時に爆発し、秀吉からの杯を受ける時に、序列を無視して淀殿の前に無理矢理割り込んだのです。当然淀殿と争いになったのですが、これを納めたのは秀吉ではなく、おねでした。さしもの秀吉も、側室同士の争いは治める術を持たなかったのですね。

なお、秀吉が能を披露したかどうかは定かではなく、たぶんドラマによる演出だと思われます。

(伏見城で寝たきりとなった秀吉。彼は遺言がしたいと言って、三成に大名達を呼ぶように命じます。その筆頭は、家康、次いで利家、そしてその次に来たのが秀忠でした。意外な名を聞いて驚く三成。)

秀忠については、家康亡き後には徳川家の総帥となるべき人物であると同時に、秀頼の岳父となるはずの人物でした。ですから、3番目に名前が出て来たとしても不思議では無いのですね。秀吉にすれば、家康よりもずっと頼りにしたい存在であったものと思われます。

(秀吉に、家康が大老で自分が奉行では面白くないかと聞かれ、面白くないと正直に答える三成。その時、一時的に人事不省に陥った秀吉。)

(無理を冒して、家康と対面する秀吉。彼は家康に天下の仕置きを任せたいと言い出します。驚く家康。秀吉は家康と利家を筆頭大老に5人の大老を置き、三成を含む5人の奉行と共に何事も相談の上で薦めて貰いたいとたのみます。ただし、と秀吉が言いかけるのを遮り、家康は、秀頼公成人の暁には政の座は直ちに返しますと誓うのでした。かたじけないと言って手をさしのべ、家康の手を取って頼みますぞと願う秀吉。はは、と真摯な顔つきで答える家康。その様子を疑わしげiに見る三成。)

(8月、さらに悪化した秀吉の病状。見舞いに来ている高次と初。その初に近江国蒲生郡の所領を与え、龍子を頼むと言う秀吉。そして高次には秀頼を盛り立ててやってくれと頼むのでした。)

(徳川屋敷。秀忠から秀吉に遺言を貰ったと聞く江。秀頼を盛り立てよとのみ言われたと秀忠。秀吉には会いにいかないのかと江に問い掛ける秀忠。頑固に行かないと答える江。)

(伏見城。秀吉を見舞う淀殿と秀頼。自分はそなたの仇だと秀吉。仇がいつか大切な人となっていたと淀殿。父上と抱きつく幼い秀頼。その上から二人に抱きつく淀殿。)

(その夜、繰り返し秀頼の事を頼むと記した手紙をあえぎながら書く秀吉。)

百姓から成り上がった秀吉には、徳川家の様な譜代の家臣団を持っていませんでした。わずかに身内は居たものの、その筆頭であった秀次を殺してしまったがために、秀頼の養育を託すべき人物が居なかったのですね。そこで、わずかにでも縁のある諸大名に対して、秀頼の事を頼むと言うしかなかったのです。

無論、秀吉には口約束や誓紙が何の役にも立たない事は判っていたのでしょう。それでも、それ以外に手段はなく、ひたすら相手に縋り続るしかなかった秀吉の心境たるや、どんなに悲痛だった事でしょうね。

(他には会いたい人は居ないのかと秀吉に聞くおね。皆会ったと答える秀吉。江と聞かれ、あれは来ないと答える秀吉。そうだろうかと言って立ち上がるおね。入れ替わりに入ってきたのは江。)

(夢を見ているのかと秀吉。夢をみさせてたまるかと江。自分から夢を奪った、浅井の父母、柴田の父、利休、秀次、一成、秀勝、そして完を取り上げさらには千姫までもと恨みを言い募る江。酷い事をしてきたものだとつぶやく秀吉。私はあなたを殺したい、病でなど死なれては困るのだと江。そなたのおかげで面白かったぞと秀吉。その様な言葉では騙されないと言って席を立つ江。)

(江の背中に向かって、最後の頼みがあると言う秀吉。秀頼の事なら知らないと冷たく言い放つ江。しかし、秀吉の言葉は意外なものでした。江に向かって幸せになれと言う秀吉。驚いて振り向く江。今度こそ、徳川家で幸せになってくれと秀吉。そして、これにてさらばじゃと言って目を閉じます。黙って頭を下げて去っていく江。)

江と秀吉のやりとりは創作ではありますが、ドラマとしては完結させてくれました。秀吉は江を振り回しはしましたが、最後は本当に幸せを願っての結婚だったのですね。江は秀吉にとってもお気に入りの相手だったのです。あまりに酷い秀吉の晩年でしたが、少しは救われたという思いがします。無論、史実では有り得ない設定ではありますが。

(慶長3年8月18日。おねに抱かれながら息を引き取った秀吉。)

(猿が死んでしまったと泣き崩れる江。)


秀吉の辞世は、

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

でした。これは花見の後の台詞の中に反映されていましたね。それにしても、一世の風雲児としては、寂しすぎる辞世という気もします。自らを成り上がり者と規定し、その死後は豊臣家も滅びる事を予感していたとも受け取れますよね。

死の床で考えているうちに諦観の境地に達していたのかも知れませんが、あれほど執心していた秀頼の事がかけらも現れていないのは不自然という気がしないでもありません。

次回は関ヶ原の戦いの前哨戦が描かれる様です。このドラマの三成はあまり能吏という印象を受けないのですが、ただの忠義者として終始してしまうのでしょうか。それに、彼と対立すべき加藤清正や福島正則がまるで描かれていないのですが、家康対三成だけで乗り切ってしまうのかしらん?それとも、唐突に清正達が現れるのか。ちょっと乱暴な展開になりそうなのが気になる次回ではあります。

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