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2011年8月

2011.08.31

京都・洛北 夏の大田の沢

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昨年の夏の終わり頃、百日紅巡りの合間に大田神社に寄って来ました。まだ残暑が厳しい時分だったので、この木陰が如何にも涼しそうに見えたのです。

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参拝を終えた後、大田の沢を覗いてみました。ここは言うまでもなくカキツバタの名所で、初夏には青い花が咲き乱れる場所です。でもこの時には、一夏を越したカキツバタの葉は黄色く染まって枯れ始めており、花時分の華やかさはどこにも見られませんでした。

代わりに咲いていたのが、岸辺の黄色い花です。

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近付いてみるとキクイモでした。初夏の爽やかさとはまるで違う鬱蒼とした雰囲気のある沢にあって、野性的ではあるけれど、インパクトのある存在感を示していましたよ。

天然記念物として保存されている沢にあって雑草扱いされていないのかなと思いつつ、カキツバタに影響が無ければ良いのかと考えながら写真を撮らせてもらった次第です。

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2011.08.30

夏の庭 比叡山ガーデンミュージアム2011

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今年の夏休みは延暦寺で過ごしましたが、その前に比叡山ガーデンミュージアムに寄ってきました。ここはいつ行っても花で溢れているという、植物好きにはうってつけのスポットなのです。

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京都側の入り口から入ってまず目に付いたのはバラの花でした。山上の涼しい気候とは言え、夏にこれだけ綺麗な花わ咲かせるのは大変でしょうね。さすがにバラに自信を持つ、京阪園芸の底力という所でしょうか。

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庭全体としてはルドベキアの黄色が主体で、夏の青空とのコラボレーションが綺麗でした。その中にあって、ミソハギの紅い花色が印象的でしたね。

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こちらはメランポジウムで埋められた北の斜面です。春はアネモネやラベンダーで青一色に染まる場所なのですけどね、こうした暖かい色もまた良いものです。

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この日はジャグリングのショーがありました。シンクロニシティというユニットで、これまでに見たジャグリングの中では特にレベルが高かったですね。トークも面白く、暑さを忘れて楽しませて頂きました。

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山上から見た琵琶湖の上には、大きな夏雲が広がっていました。この雲がさらに発達すると集中豪雨を降らせる事になるのでしょうか。

山の澄んだ空気と共に、夏を満喫させてくれた花の庭でした。

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2011.08.29

京都・洛北 百日紅めぐり ~三宅八幡神社~

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先週末に予定していた百日紅巡りで行くつもりだったのが三宅八幡神社です。昨年も紹介していますが、境内に隣接して池と公園があり、その池のほとりに綺麗な花を咲かせる百日紅があるのです。(写真はすべて昨年撮影したものです。)

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ここは噴水があるおかげで、とても涼しく感じる事が出来るのが嬉しいですね。やはり暑い時期には水辺が恋しくなるものです。

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もう一つ、水辺の百日紅は、水面に浮かんだ落花にも見所があります。他の花と違って、形を保ったまま水に浮かんで静かに流れていくのが面白い。その姿からは、ものの哀れを感じさせるのではなく、飄然と旅に出て行くかの様な軽みを感じます。落花そのものが、美しい事は言うまでもありませんね。

今年は、ここがどんな具具合になっているのかは判りませんが、機会があればまた行ってみたいと思っています。

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2011.08.28

江~姫たちの戦国~33 徳川の嫁

(伏見、徳川屋敷。前田利家が同席いする中で、伊達政宗、福島正則らとの婚姻を進めた事について、家康を詰問する三成。媒酌を頼んだ茶人がうっかり届けを忘れたのだろうととぼける家康。いずれ豊臣に刃を向けるつもりかと迫る三成。なんだとと、凄味を見せる家康。そこまで、と輪って入る利家。)

(三成には矛を収めよ、家康には法度に背いたのだから頭を下げよと、とりなす利家。これこのとおりと頭を下げる家康。憤懣やる方なしと思いつつ、引き下がらざるを得ない三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の間で争いが起きていないかと気が気でならない様子の江。そこに入ってきた大姥局は、江のだらしない姿勢に早速噛みつきます。)

(徳川に嫁いだ以上、男子を産むのが務めとまたも迫る局。そこまで言うのなら、男子を産んでやるとやり返す江。それなら良いと、にっこり笑って引き下がる局。)

(あの者は何だと秀忠に愚痴る江。あの局には家康も頭が上がらないのだと秀忠。局の出自を調べてきたヨシ。彼女は今川家の家臣の妻だった人で、人質時代の家康も良く知っており、その後秀忠の乳母となったのでした。母が亡くなった後、その代わりとなって育ててくれた人だと秀忠。まだ秀忠の事を良く知らないままでいると今更ながら気付く江。)

(三成と家康のその後について聞く江。知らない、江戸に来てみると遠い話の様な気がすると、とぼける秀忠。)

(近江、大津城。高次に、徳川と豊臣の関係について問い質す初と龍子。何でもないと言って聞かせる高次。もし、両者で争いになったらどうするつもりかと問う初。秀吉から拝領した脇差しを捧げ、自分が豊臣の家臣である事の何よりの証しである、それは家康とて同じ事で、今でも豊臣家の家臣であり続けていると真顔で言って聞せるす高次。高次は人が良すぎると初。初は疑り過ぎると高次。)

(家康に、三成にあそこまで言われて腹が立たないのかと迫る忠勝。あれで良いのだと取り合わない家康。次は何をどうしてやろうかと、楽しそうに企む家康。)

(官兵衛を呼び出した三成。彼の用件は、家康の事を共に考えて貰いたいという事でした。三成には人の心が判らない、忠誠を誓った時にどのような気持ちであったか、そして、朝鮮出兵のせいで、どれほど恨みを買っているかと説く官兵衛。)

(一月前、朝鮮から引き上げてきた諸将を出迎えた三成。慰労のための茶の支度が出来ているという三成に、自分たちが戦っている間、秀吉の側で茶を飲んでいたのかと毒づく正則、清正、長政達。彼らとの間に深い亀裂を感じる三成。)

(三成の欠点は人の気持ちになって考える事が出来ない、とりわけ戦場に立つ男達の気持ちが判らない事だと諭す官兵衛。苦言を聞く為に呼んだのではないと怒り出す三成。)

(気を鎮めて、秀吉の懐刀と呼ばれた官兵衛に協力を頼もうとする三成。それを遮り、勝ち目の無い戦に加わるつもりはないと断る官兵衛。三成に力を抜けと言って立ち去る官兵衛。)

(慶長4年正月、大坂城で諸将の拝賀を受ける秀頼と淀殿。大蔵卿局と名を改め、奥向きの差配を勤める事になったサキ。)

(三成に、家康の動向について問う淀殿。政は一切自分にまかせよと三成。そして、秀頼の世が成り立つように全力で補佐し、また淀殿を守る所存であると言う三成。訝る淀殿に、秀吉の遺言だからと答えて、真っ直ぐに淀殿を見つめる三成。とまどう淀殿。思い深げな大蔵卿。)

(江戸城。江に向かって、秀頼が大坂城に入ったのは秀吉の遺志であり、利家が後見役として大坂城に、家康は伏見にあって政を見るというのが新しい豊臣家の態勢なのだと説明する正信。)

(三成がまた動いているそうだなと聞く秀忠。はあと明確には答えない正信。三成は何をしようとしているのかと問い質す江。三成は家康が信じられないのだろう、つまり、豊臣を乗っ取ろうとしていると考えているのだと秀忠。そんな事がと驚く江。家康は何事も自分で考えて自分で決めいてしまう、つまり私には何も出来ないのだと秀忠。)

(そこにやって来た大姥局。江に安産のためだと言って、床に散らした大豆を這い蹲って拾わせます。やっとの思いで全てを拾い集めた江でしたが、局はまた豆をぶちまけさせて一からやらせます。鳥ではないぞと嘆く江。男子をと祈る局。)

(利家の死により、一気に動き出した政局。三成に復讐するため、屋敷を囲んだ正則、清正ら武断派の諸将。追い詰められた三成は、家康に使いを出せと左近に命じます。)

(家康に匿われた三成。それを知り、家康の下に押し寄せた正則たち諸将。口々に三成の引き渡しを迫る諸将に、それは出来ないと断る家康。収まらぬ諸将に向かって、今三成を殺してしまえば多勢に無勢で、卑怯者のそしりを受けてしまう、それに幼い秀頼の心を悩ませる様な事はするべきではないと諭す家康。やむなく矛を収める諸将。)

(諸将は帰ったと三成に告げる家康。安堵しながらも、なぜ家康が自分を匿ったのかその心が判らないと三成。ここに来たのは、ここが一番安全だと思ったからだろう、如何にも頭がよいと持ち上げる家康。そして、そういう人物が好きで、頼られた事も嬉しかったと続ける家康。三成の浮かぬ顔を見て、本気にしてはいない様だと訝る家康。何にせよ感謝していると頭を下げる三成。)

(ここまで話がこじれた以上隠居しかないと、さらりと説く家康。されどと異議を申し立てようとする三成に、これはあくまで仮隠居、いつか復帰する時もあると説く家康。そして有無を言わさぬ様に秀康を部屋に呼び入れ、佐和山城までの警護をすると申し出ます。やむなく、かたじけないと受ける三成。)

(髪を落とし、佐和山で隠居した三成。)

(江戸城で事の顛末を聞く秀忠。どういう事かと問う江。身重の身ゆえ休んでいてはどうかと気遣う秀忠。むしろ、政に興味を示すのは良い事だ、生まれてくるのは若君に違いないと大姥局。)

(三成を助けたのは、生かしておいた方が使い道がある、いずれ事を起こす時には豊臣恩顧の大名に声を掛けるはず、家康はまとめて始末が出来るその時を待っているのだと秀忠。では豊臣はどうなるのかと迫る江。)

(豊臣、豊臣と未練がましいと詰る大姥局。徳川に嫁いだ以上、争いとなった時には徳川の事だけを考えて貰うと局。そうはいかないから困っているのだと叫ぶ江。興奮したせいか、産気づく江。)

(無事に姫を産んだ江。子供は珠と名付けられました。約束が違うと嘆く大姥局。次は男子を産んでみせると江。)

(大坂城。江が姫を産んだ事をおねに知らせる淀殿。徳川とのあつれきを避けるために、城を出て行くと告げるおね。驚く淀殿に、まずは家康を信じる所から始めてみようと諭すおね。これからは京に行き、秀吉の菩提を弔うのだと言い、お互い秀吉の妻としての勤めを果たしていこうと淀殿に告げるおね。)

(おねと入れ替わりに大坂城に入った家康。おねの言った、家康を信じてみようという言葉を思い出す淀殿。)

(大津城。家康から届いた城の修繕の為の贈り物。無邪気に喜ぶ初に、これは京極家を取り込むためのものだと告げる高次。だからあなたは人が良いと言ったのだと憤る初。それを言っている場合ではないと戦慄する高次。)

(西の丸で紅葉を見ながら酒を呑む家康。)

(佐和山で、家康が西の丸に入ったという報告を受ける三成。)

(江戸城。豊臣と徳川の争いの予感の中、姉たちを思い悩む江。)

今回は、秀吉亡き後の複雑な政局が主題でした。本来、一冊の本になるほどの内容を45分にまとめ上げた手際には感服しますが、それにしても走りすぎの感は否めません。何より、正則たち諸将の登場が唐突に過ぎ、何を怒っているのか説明がなさ過ぎでしょう。

良く言われるのが三成たちは文治派で、秀吉の側近として行政面に携わっていました。一方、正則たちは武断派と呼ばれ、主として戦場で戦う事を本務としていました。今でも良く聞く、現場と本部の対立の構図がこの時もあったのですね。

また、文治派の多くは近江出身者であったのに対し、武断派は尾張出身者が多く、気質の違いもあって上手く反りが合わなかった様です。一説には、秀吉は意図的に両者を対立させ、互いに競わせる事で育てようとしたとも言われます。

その対立が頂点に達したのが朝鮮の役でした。清正たち武断派が戦場で戦う一方で、文治派は軍監として従軍し、その戦いの様子を秀吉の下に報告していました。武断派はその報告に偏りがあると感じ、自分たちの働きぶりが正確に伝わっていないと不満を抱いていたようです。

その最たる例が清正で、彼は常に先鋒として戦っていたのですが、軍艦の報告によって、明と交わした公式文書に勝手に豊臣の姓を使ったなどの罪に問われ、秀吉に蟄居を命じられています。清正にすれば、罪に問われた事柄はどれも言い分があったのですが、秀吉は報告書を信じ、清正に問い質す事もせずに処分を下してしまったのでした。清正は秀吉が自分に会ってくれないのは三成たちに籠絡されているからだと感じ、三成に対する憎悪を決定的なものにした様です。

この事件の直後に大地震が伏見を襲うのですが、その騒ぎの中、真っ先に秀吉の下に駆けつけた清正は、感激した秀吉によって罪を許されています。この事からも、直接秀吉に会う事が出来れば自分の正しさを伝える事が出来る、つまり間で事実を歪めているのは三成達だという論法が清正の中で成り立ったのでした。

他の諸将も大同小異で、必ずしも三成が何かをしたという訳ではなかったのですが、文治派に対する様々な不満が代表者たる三成に集中し、憎悪の対象とされた様です。

諸将に襲われた三成が家康に匿われたのは史実にあるとおりで、三成は騒動の裏に家康が居る事を知りつつ、公的には筆頭大老としては事態を収める責任があるという事に着目し、家康を頼ったのでした。逆手を取られた家康でしたが、三成を蟄居させると言う形で見事にやり返したというのはドラマにあったとおりです。でも、私的には、三成はもっと傲然としていて欲しかったなという気がしますけどね。

余談ですが、あの兜の似合なさといったら何なのでしょう?ひこにゃんが被ると丁度良いという位に巨大だったのは、現物を忠実に再現したという事なのかしらん。戦場で目立つには、あれくらいでなければならなかったのかな。

今回の秀忠は、視聴者に対する筋書きの説明者でした。江とのやりとりの中で、関ヶ原に至るまでのあらすじを端的に語っていましたが、時間の無い中で手っ取り早く知らしめるには効果的な方法だったと思います。まあ、不自然さは否めませんけどね。

大姥局と江の関係は、思っていたとおりになりました。意地悪な教育係とそれに耐える嫁という構図ですが、三度目の嫁入りという事でか、江があまり負けていないのが救いだったかな。でも、このドラマとしては、むしろこちらが主題なのかしらん?ここまでの江は架空の人物に近く、その描かれ方も歴史の傍観者でしかなかった訳ですが、これからは江戸城の大奥の基礎を築いたという本当の江の生涯が描かれるわけですからね。歴史のうねりはむしろ添え物で、江戸城の中で江がどう考えてどう動き、何を残したかが焦点となって来るのではないかな。そのためにも、大姥局は必要な存在だったのかという気がしています。

生きた江はここから始まる、なんていうのは言い過ぎですか。


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2011.08.27

京都・洛中 百日紅2011 ~京都御苑 8.20~

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今週末はまた京都に出かける事が出来なかったので、過去に撮った写真からの構成となります。

まずは、先週に撮った京都御苑の百日紅の続きからです。

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京都御苑に百日紅は沢山ありますが、ボリューム感があると言えばこの木でしょうか。間ノ町口を入ってすぐの所というとても目に付く場所にあり、この季節にはその美しい花で訪れる人を楽しませてくれます。ただ、今年はこの場所の百日紅も、今ひとつ花付きが良くない様です。

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京都御苑の百日紅の定番の一つに、建礼門前の木があります。広場の左右両方にあって、門を背景に花を撮ると、とても風情があって良いのですよね。ところが、今年は遠目に見ただけですけど、ほとんど咲いていない様子なのです。九条池の近くから見た限りでは赤い色が見えませでした。この日は雨が降っていた事もあってそのまま素通りしたのですが、近くまで行けばちゃんと咲いていたのでしょうか。

そのため、九条池から先は、普段は通らない御苑の南べりを歩いてきました。その道の途中で咲いていたのがこの花で、富小路休憩所の前にあたります。なんという程の木ではないのですけどね、一面の緑の中に鮮やかな色彩が際だっていたのが印象に残りました。

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こちらは、富小路広場の東側で咲いていた百日紅です。傘を差しながらの撮影で撮り難くて困ったのですけど、反面雨の日特有の光のおかげで深い花色を撮る事が出来ました。

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最後は寺町御門の前で咲いていた百日紅です。ちょっと樹形が乱れた感じだったのですが、花付きは良く、綺麗に咲いていました。

グラウンドばかりで近付く事が無かった富小路周辺なのですが、歩いてみると意外な程百日紅は咲いてましたね。まだまだ知らない部分があると気付かされた、雨の京都御苑でした。

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2011.08.26

京都・洛東 百日紅2011 ~祇園白川~

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京都御苑で雨に降られた週末、雨の京都と言えば濡れた石畳、石畳と言えば祇園と言う事で、安直な発想ながら祇園白川に寄って来ました。

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ここに来たのは百日紅が咲いているからでもあります。この木があるのは辰己大明神で、夏の祇園に鮮やかな彩りを添えてくれています。ただ、今年は花付きが今ひとつかも知れません。

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そして、石畳はというと、ぎりぎり濡れていました。やはり夏ですね、わずかの止み間に、どんどん乾いて行くのですよ。でも、なんとかしっとりした風情は捉える事が出来ました。

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いつからなのかな、橋の袂の家が不動産会社の管理地となっています。ここは商売をするなら一等地、何をやっても繁盛する様な気がするのですけどね、世の中そう甘くはないという事でしょうか。

この家には細いながらも綺麗に咲く八重紅枝垂れ桜があり、花時分には柳とのコラボレーションが見事でした。店は変わっても、そういう祇園らしい風情を大事にして行って貰えると嬉しいのだけどな。

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2011.08.25

京都・洛中 京の夏の旅2011 ~木戸孝允旧邸~

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京の夏の旅の三カ所目は、木戸孝允旧邸に行ってきました。ここはずっと以前からその存在は知っていたのですが、普段は非公開であるため、なかなか入る事が出来ずにいた場所なのです。

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ところがですね、いざ入ってみると、あれっという感じなのです。特に1階の座敷などは実にそっけなく、どこを見れば良いんだ状態でした。装飾らしきものはこの丸窓くらいですからね。

でも、さすがに解説を聞くと見所は判って来て、たとえばこの写真の下、真ん中あたりに斜めになった取手が判るでしょうか。障子の中にこんな取手があるのはあまり見た事がありませんが、これは孝允が考案したものなのだそうです。

他にも壁に一本の竹の棒が埋められているのですが、おそらくは床の間に見立てた装飾ではないかという事でした。

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この建物は元々は茶室で、二階が茶席となっています。なんと言っても窓からの景色が売りで、かつては隣の建物も正面の木も無く、鴨川を隔てた東山の景色が一望出来た事でしょう。実際、この眺望が全てとも言って良い茶席だったと思われます。

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木戸孝允旧邸とは実は近衛家下屋敷を拝領したもので、河原御殿と呼ばれていました。相当に広大な敷地を有していたらしく、近くのホテルにもまた木戸孝允旧邸という石碑が建っています。この石碑を初めて見た時あれっ、場所が違うじゃないかと思ったのですが、間違いではありませんでした。つまりはそのホテルがあるところまでを含めて邸宅が広がっていたのですね。

この建物は河原御殿の唯一の遺構で、公家邸の特徴を残す、貴重な存在とされています。

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もう一つ公開されているのが達磨堂です。木戸孝允の子息である忠太郎は達磨のコレクターであり、50年を掛けて日本中の達磨を集め続けました。その展示室として建てたのがこの達磨堂であり、内部には数万点と言われる達磨が、所狭しと展示されています。

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建物も凝っており、屋根の鬼瓦がだるまなら、窓もまた達磨型になっています。それだけでなく、採光を良くする為に高窓を周囲に配置するなど工夫が見られ、ただの趣味のためとは思えない本格的な展示室となっています。ここまで来ると、金持ちの道楽も一つの文化をなしうる好例と言えるのかも知れません。

正直言って、木戸孝允、すなわち桂小五郎に興味の無い人が行っても、あまり面白い場所では無いかも知れません。でも、幕末史ファンにとっては桂小五郎終焉の地というだけで意味があり、ましてや彼が茶の湯を楽しんだかも知れない茶亭に入れるとあれば行かない手は無いでしょう。

京の夏の旅における公開は9月30日まで、料金は600円となっています。

そうそう、ここは他の場所とは違って、拝観料がドリンク代込みとなっています。拝観後、隣にある喫茶ルームでアイスコーヒーやアイスティーなどを頂く事が出来ますよ。暑い時期には嬉しいサービスですね。

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2011.08.24

京都・洛中 百日紅2011 ~九条池 8.20~

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拾翠庭の前に広がるのが九条池、かつての九条邸の庭園の名残を止める池です。この写真を撮った時にはかなり強い雨が降っており、池面がざわついて見えるのはその雨のせいです。

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ここも百日紅の名所なのですが、今年は他の名所と同じく、いま一つといったところですね。その中で、この木は比較的綺麗に咲いていてくれました。

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橋の袂でにゅっと飛び出していたのはネムノキでした。花が咲いていないかと探したのですが、見あたらなかったですね。代わりに水滴の付いた葉を撮ったのですが、縮小してしまうと判らなくなってしまいました。まあ、緑の葉と赤い花との対照という事で、これはこれで綺麗に見えません事?

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2011.08.23

京都・洛中 百日紅2011 ~拾翠亭 8.20~

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平成23年8月20日、百日紅を求めて京都御苑に行ってきました。ここは百日紅の名所の一つですからね。最初に行ったのが拾翠亭、御苑の南にある九条家の別邸跡です。

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ここは公家の屋敷ですから、軽みが感じられて、肩肘張らないところが良いですね。まあ、あまりに寛ぎすぎて、あたかも自宅に居るかのように振る舞う人が居るのが難点なのですが。

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ここに来ると、いつも撮ってしまう丁字七宝の透かし彫りです。人によっては、これだけでここがどこだか判ってしまうというほど、特徴的な装飾ですね。

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ここは茶室ですから、周囲にはこうした飛び石が敷かれています。茶会に招かれれた人は、この飛び石伝いに建物の周囲を歩き、庭を楽しみながら茶席に上がるという趣向なのでしょう。

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肝心の百日紅ですが、あまり花付きが良いとは言えませんでした。今年は花が良く咲いている木と、全然駄目な木が分かれているのですが、ここは咲いているだけまだましな方かもしれません。

この日は雨模様で、拾翠亭に入ったとたん、強めの雨が降ってきました。仕方が無いのでしばらく雨宿りをさせてもらったのですが、こういう場所で味わう雨の風情というのも良いものですね。屋根を叩く雨音と、池面に描かれる波紋と、夏の驟雨をしばし楽しませてもらった一時でした。

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2011.08.22

京都・洛中  海鮮茶屋 池田屋はなの舞 居酒屋編

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延暦寺に泊まった翌日、夏休みの締めとして家族で池田屋はなの舞に寄ってきました。以前に昼のランチを食べに入った事はあるのですが、夜の居酒屋としては初めてです。

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お盆という事もあってか店は繁盛しており、ほぼ満席でした。一つの小上がりをカーテンで仕切って二つに分けるという方式で席を増やしていましたね。まあ、飲んでしまえば隣の事なんて気にならないから、これでも問題はないのですが。

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最初に頼むドリンクで目に付いたのは、薄桜鬼とのコラボであるカクテルでした。ゲームのキャラクターにちなんだネーミングがされたカクテルで、例えばこれは「斎藤の志」というラムネベース&ジン&ソーダのカクテルです。ほとんどジュースと言って良い味で、うっかり調子に乗って飲み過ぎてしまいそうでしたよ。

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こちらははなの舞サラダ。いわゆる海鮮サラダで、わさびドレッシングとのコラボが美味しかったです。ただ、504円は少し高いんじゃないかしらん?

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これはたこわさ。どこにでもある定番メニューですが、ぴっりとしていてなかなか美味でした。ただ、料理全般に味が濃く、やはり若者向きですね。

池田屋は、居酒屋としてはまず標準的で、家族でも楽しめるという点では○でしたね。でも、やはり池田屋跡にあるという事は特別で、新選組ファンにとってはこれ以上ないというシチュエーションでした。次はやはり宵々山に来なくてはなりますまい。

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実は、この日は20歳になった息子と初めて来る居酒屋デビューなのでした。息子が生まれて以来、成人を迎えたら一緒に飲みに行きたいと妻と話していたのですが、それがやっと実現したのです。息子と飲めるというのは、うーん、何とも良いものですね。

実感としては20年も経ったとは思えないのですが、振り返ってみると確かにそれだけの年月が過ぎているのですよねえ。妻と二人して、ちょっぴり感慨に耽った夜でした。

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2011.08.21

江~姫たちの戦国~32  江戸の鬼

(島左近に家康の動きを見張れと命ずる三成。その理由は家康は天下を狙っているという事でした。)

(誰よりも嫌いだったはずの秀吉が死んで、なぜか悲しみが消えない江。それは親子であったからではないかと秀忠。有り得ないと否定する江。実の親子の様であったぞと秀忠。)

(幼い秀頼に、五奉行が政を行い、その目付役として五大老が居る。その筆頭が家康と紹介する三成。)

(三成の回想。これからは家康を父と呼べと秀頼に伝えよと遺言する秀吉。)

(豊臣家を守ると誓う家康。よしなにと頼むおね。)

(朝鮮からの引き上げが上手く行くのかと問う淀殿。三成に一任してあるので大丈夫だと請け合う家康。)

(回らぬ舌で、そなたたちが頼りであると言う秀頼。既に風格、貫禄が備わっていると追従を言う家康。嬉しそうな淀殿。複雑なおね。苦虫をかみつぶしたような三成。)

(秀忠と江に、秀吉の死は来春までは秘しておく、それは朝鮮の兵を無事に引かせるためだと説明する家康。)

(秀忠に、すぐに江戸に行けと命ずる家康。その訳は、豊臣家を危うくする自分を除こうとする者が少なからず居る、嫡男と当主が一緒に居ると危ういというのがその理由でした。明日、内密に発てと江に性急に命ずる家康。)

(その夜。大切な人達の顔を見ておきたいと秀忠に願う江。まあ良いだろうと簡単に認めてやる秀忠。すべては三成のせいだと決めつける江。同意しかねる様子の秀忠。)

(江戸行きの支度の差配をする正信。)

(翌朝、出かけると秀忠にあいさつする江。江戸に下る事は内密にせよと釘を刺す秀忠。)

(最初に訪れたのはガラシャの下でした。夫から聞いた話では、キリシタンへの弾圧が止むかもしれないとガラシャ。そうかも知れないと口を滑らせる江。太閤に何かあったのかと探りを入れるガラシャ。懸命にとぼける江ですが、ガラシャには判ってしまいました。)

(今更ながら、光秀が信長を討った事を詫びるガラシャ。自分は本能寺の後、光秀に会ったと告げる江。信長が死んだ事は悔やまれるが、光秀も好きだったと江。救われた様子のガラシャ。これからは自分の道を歩いていくと言って、江の手を取るガラシャ。)

(伏見城で初と会った江。龍子の下に江を連れて行く初。)

(秀吉が死んだ事を嘆き悲しんでいる龍子。江に向かって、秀勝が死んだ時、初めから居なかったと思えば良いのだと言った事を詫び、抱きつく龍子。年が明ければ大津に龍子を迎える、そうすれば気も晴れると慰める初。晴れるはずがないと食い付く龍子。)

(何をしに来たのかと江に問う初。秀吉亡き後、皆さんはどうしているかと気になったのだと誤魔化す江。)

(高次は秀吉の形見として脇差を賜った、つまりは秀頼を頼むという事だが、これからは豊臣も大変だと初。切り口上で別れを告げる江。)

(廊下で家康を見かけ、見つかっては大変だと姿を隠す江。)

(淀殿に会う江。秀吉が死んで、心細いばかりだと淀殿。その一方で、秀頼の父としての役割も果たさねばならぬと決意を見せる淀殿。秀頼を豊臣の跡継ぎするために、家康、秀忠の力を借りなければならない、頼りにしていると江に告げる淀殿。浮かぬ顔の江。いぶかる淀殿。姉に嘘はつけないと江。)

(人払いをし、江戸に行くと淀殿に告げる江。なぜ急にと訝る淀殿。そろそろ秀忠にも、当主としての実務を踏ませたいという家康の意向だと誤魔化す江。出立が今夜と聞き、江の嘘を見破る淀殿。)

(家康の命を狙う者が居るという噂は聞いていると淀殿。その相手は三成ではないかと江。驚く淀殿。)

(徳川と豊臣が争う事を恐れる江。そのような事はさせないと淀殿。)

(完に会って行かないのかと淀殿。二度と会わないと決めたのだと断る江。それに構わず、完を呼びにやる淀殿。)

(回らぬ舌で、叔母上様とあいさつする完。私の事を覚えていたのかと問う江。にっこりと笑って、はいと答える完。大きくなったなと声を掛ける江。長居はさせずに、すぐに完を下がらせる淀殿。)

(娘を育てて貰った礼を言う江。息災でなと別れを告げ、妹を抱きしめる淀殿。)

(おねに会う江。完に会えた事を祝し、心おきなく江戸に下れるなと江に告げるおね。おねは、家康が秀忠を江戸にやる事を見通していたのでした。)

(豊臣と徳川が争わぬ様に力添えをと頼む江。その様なことにはならないと断言するおね。そのおねは、秀吉が亡くなった今、豊臣がどうこうとは思わない、天下が丸く収まってくれれば良いのだと江に告げます。しかし、秀吉は秀頼にこだわっていたとおね。姉もその事を言っていたと江。これから先、淀殿と自分は、歩く道が違ってしまうかも知れないとおね。)

(夕刻、約束通りの時間に屋敷に帰ってきた江。これから三成と会うという秀忠。驚く江。)

(三成と会う秀忠。江が立ち聞きしている事に気付き、入ったらどうだと声を掛ける秀忠。気まずそうに入ってくる江。酒を持てと家臣に命ずる秀忠。)

(三成と秀忠に酒を注ぐ江。秀吉の冥福を祈りと杯を上げる秀忠。秀忠が飲み干したのを見てから、杯を空ける三成。)

(秀吉が死んだ事を悼む秀忠。家康が大老では腹に据えかねるだろうと秀忠。それよりも、秀吉の遺言が自分を通り越して秀忠に行った事が堪えたと三成。あれは家康の大きさゆえ、息子も数に入れておこうかというだけの事だ、親の七光も辛いものがあると秀忠。)

(豊臣方が、父の暗殺を企んでいるというのは本当かと本題に入る秀忠。その為に自分を呼んだのか、無礼だと怒る三成。自分は父の命で江戸に行く、それくらいの事はとうに承知しているはずと秀忠。)

(三成の目の前に迫り、如何と問い重ねる秀忠。根も葉もない噂だと答える三成。火のない所に煙りは立たないとも言うがと秀忠。家康は豊臣にとって大切な人、その証拠に死の床にあった秀吉が、家康の手を取って秀頼の将来をひたすら頼んだのだと三成。)

(父は遺言を忠実に守ろうとしている、今後は不穏な動きに目を光らせて頂きたいと言って、三成の肩を抱く秀忠。それには答えず、秀忠の手を外して暇を乞う三成。)

(立ち上がった三成に、秀吉はそなたには何も残さなかったのかと声を掛ける江。一つだけ、淀殿と秀頼の事を頼むと言われたと答える三成。そして、これからも二人のために尽くしたいと考えている言って去っていく三成。)

(さすがに徳川の嫡男だけあって、いろいろと考えていたのだなと江。後を継ぐのは自分である以上、面倒でも何かと知っておかなくてはならないのだと秀忠。嬉しそうな江。)

(三成は、姉と秀頼の事を何よりと思っていると知り安心したと江。それが一番怖い、その為には何でもするという事だと秀忠。しかし、家康はその上を行く狸だとも言う秀忠。それは徳川と豊臣が争うという事かと江。判らないが、家康は既に動いていると秀忠。)

(自分の子と諸侯の子の年を調べている家康。たしなめる忠勝。大名同士の婚儀を進める事は法度に背くと嘯く家康。それは豊臣相手に喧嘩を売るようなものだと忠勝。だから良いのだ、三成あたりはねじ込んで来るだろうがと答える家康。それは10数年に渡って続く、豊臣家への徴発の始まりでした。)

(江戸に着いた江。地味な城だとヨシ。ここで新しい暮らしが始まるのだと江。江を呼び出す秀忠。)

(秀忠の部屋に入った江が見たのは、寝転がった秀忠の足を揉む老女でした。大姥局と紹介する秀忠。彼女はまた、秀忠の乳母でもありました。)

(大姥と呼んで下さいと、あいさつする局。江と申すと答える江。その江が気に入らなかったのか、六つも年上と聞いていたので案じていたが、似合いの様で安堵したと、嫌味の様に言う大姥。そして、江の着物が派手だと言い、質実剛健な徳川の家風に慣れて貰わないと言い渡す大姥。もう揉むのは良いと言う秀忠に、まだ凝りは取れていないと甘焼かすように言う大姥。自分はいつまでも子供ではないと秀忠。自分にとっては、いつまでも子供と同じだとにこやかに言う大姥。その様子を見てため息を付く江。そして、むかつきを覚える江。)

(江のむかつきは、悪阻でした。三月になったとかと言って駆け込んでくる大姥。祝いを言う一方で、今度こそ男を産め、嫡男を挙げてこその正室だと言う大姥。驚く江。ため息をつく秀忠。大姥こそ、江戸に巣くう鬼でした。)

今回はほとんどが江の別れのあいさつに裂かれ、史実に掛かる場面はわずかでした。その中で出て来たのは家康暗殺の噂で、史実においても何度となく流れていた様です。それは三成が画策していたとも、家康自身が流したのだとも言われますが、真相は良く判らない様ですね。しかし、家康はその噂を上手く利用し、自家の警護を固める口実とする一方で、自分のために駆けつけて来る諸侯は誰かという試金石にしたとも言われます。

なお、秀忠が三成を自邸に呼んだというシーンはフィクションです。

もう一つは諸侯との婚姻で、これも史実において家康が行った事でした。その最たるものが福島正則の息子と自分の養女との婚姻で、豊臣家の柱石たる正則がこれを受け入れれば、他の者も法度破りを気にせずに受け入れるだろうという計算がありました。正則にすれば、自分と徳川の関係が強くなれば、それだけ秀頼が安全になるのだという理屈があった様ですけどね。

しかし、これはドラマにあった様に豊臣家に対する挑発で、これを正そうとして武力に訴えるものがあれば、すかさず大老の資格で討ち取ろうという狙いがあったと言われます。

秀吉に対して忠誠を誓う誓紙を書いてから間もない頃の事で、家康が狸親父と呼ばれる所以ですね。これ以後、家康の挑発はしきりに行われ、最後はほとんど言い掛かりに等しいものにまでエスカレートして行く事になります。

最後に出て来た大姥という乳母については、私もその存在を知りませんでした。江のホームページにある「江を読む」の中にざっと書かれていますが、品行方正で才気があり、面倒見も良かったという優れた女性だった様です。ドラマでは鬼と呼ばれていましたけどね。江との実際の関係は判りませんが、ドラマでは姑の様な役割を演じて行くのでしょう。

ただ、昔ながらの嫁姑の関係が形通りに描かれるとすれば、ちょっとうんざりかなと思ってしまいます。まあ、江の事ですから、最後は仲良くなるのでしょうけどね。

今回は島左近だけでしたが、次回は福島正則や加藤清正といった三成の敵となる諸将が出て来る様です。このドラマだけを見ていると唐突過ぎやしないかと気になっているのですが、ちゃんと関係を説明できるのでしょうか。彼らをどう描かくつもりなのか見てみたいと思っています。

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2011.08.20

延暦寺会館より ~琵琶湖2題~

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法灯花の日は延暦寺会館に宿泊しました。根本中堂の近くにあり、夜と早朝の延暦寺を楽しめるのが魅力ですね。また、食事は精進料理となるのですが、これがなかな美味しいのです。肉類は無くてもボリュームはたっぷりですよ。静かでかつ清潔感もあって、なかなか良い宿泊施設でした。

さて、この日泊まったのは琵琶湖側の部屋だったのですが、思わぬプレゼントがありました。それがこの夜景です。

湖畔に連なる灯りと、月明かりに照らされた湖面のコラボレーションが見事でした。月夜の琵琶湖がこんなにも美しいと教えられた光景でしたよ。画像が小さいままだと分かり難いので、ぜひクリックして拡大して見て下さいね。

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一方、こちらは明け方の朝日に照らされた琵琶湖です。昨夜の銀色とはうって変わって、黄金色に輝いていました。

これも縮小してしまうと判らなくなってしまったのですが、湖面には沢山の舟が出ています。たぶん、琵琶湖の漁師さんたちの舟ではないでしょうか。また、湖面には不思議な模様が出ていますが、これは何なのでしょうね。風で出来た波の模様なのかしらん?

山上に泊まったからこそ見る事が出来た、素敵な琵琶湖の景色でした。

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2011.08.19

延暦寺 「法灯花」 2011

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今年の夏休みは、延暦寺の法灯花に行ってきました。昨年に続いての拝観なのですけどね、夜の延暦寺の風情がとても素敵だったのですよ。

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ライトアップそのものは、昨年とほぼ同じでした。やはり省エネが叫ばれている今日、派手な方向へと振る事は出来ないのでしょうね。

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この行事のメインとなるのは、根本中堂での献灯です。今年は1000円の志納金のうち半分は震災復興金として寄付されるそうで、延暦寺でも宗教者として出来る事を模索されている様ですね。

このお堂の中は撮影禁止なので外から撮ったのですが、実は中で写真を撮る人が絶えませんでした。はっきりと書いていないのが原因の一つかと思いますが、大半のお坊さんは見ていても注意しないのですよ。中には厳しく止めていたお坊様も居られたのですけどね。

ここは厳しい修行の場でもあるのですから、厳正な態度で臨んで欲しかったところです。それでこそ延暦寺という気がするのですけどね。

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境内に展示されていたのは、成安造形大学が制作したオブジェ「ひかりのすあし」で、宮沢賢治の同名の童話がモチーフとなっています。使われているのは琵琶湖のヨシで、この中を通って行く間に身が清められるという趣向の様ですね。

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このライトアップに先立って、今年も護摩供法要と天台声明が行われました。声明を聞くのは昨年に続いて二度目で、やはり素晴らしいものですね。ただ、今年はどういう訳か参加者に落ち着きが無く、途中で退出する人や携帯を見る人が絶えず、集中し難かったのが残念です。

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その声明についてですが、司馬遼太郎さんの国盗物語の中に、最後の戦いに臨む斉藤道三が声明を唄う場面が出て来ます。その描写が見事でずっと本物を聞きたいと思っていたのですが、昨年やっとそれが実現したのでした。

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その場面の説明の中で、声明は大月氏国で盛んに行われていたとあり、そういうものかとずっと思っていました。ただ、ネットで調べた限りではそういう記述は見あたらず、どこまで根拠がある話かはわかりません。

でも、聞きながら思っていたのは、この旋律は日本でもなく中国でもないなという事です。イメージとしてはやはり中央アジア、つまりは大月氏国で唄われていた旋律が、ほぼそのまま日本に入ってきたのかな、などと考えながら耳を澄ませていました。まあ、何の根拠もないただの空想ですけどね、根本中堂の中に居るとそんな事も考えてしまうのです。

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この日は丁度満月で、ライトアップと見事なコラボレーションになっていました。ちょっと分かり難いですけど、この写真の右の方に月が丸く写っているのが判るかな。

声明と月とライトアップと、派手さないけれど、落ち着いた素敵な夜のイベントでしたよ。

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2011.08.18

京都・洛東 真如堂精霊送り灯ろう供養会2011

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送り火の日に真如堂へ行ったのは、精霊送り灯ろう供養会があるからでもありました。この行事は2年前にも訪れた事があるのですが、先日、真如堂の苦沙弥和尚からコメントを頂いた事をきっかけに、その後どうなったかを見ておきたいなと思ったのです。

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行事そのものは、基本的にはあまり大きくは変わっていない様です。気付いたのは、大の字の中心になる灯籠が大きくなっていた事くらいかな。たぶん、運営の細かい所は色々と変更されているのでしょうけどね。

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人出は確実に増えていました。とは言っても、混雑するほどでは無かったのですけどね。でも、大半は灯籠を奉納した人達らしく、私のように写真メインの人は少数派でした。そういう意味では、お盆にふさわしい行事だと言えますね。

なお、この明かりはすべてロウソクで、エコという面では満点ですよ。

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写真と言えば、今はシーズンを限らず三脚、一脚が禁止されてしまったので、こういうシーンは撮り難くなりました。カメラとレンズのおかげで何とかなってはいますけどね、もう少し時間を掛けて露光したいところではあります。

でも、そういうルールだから仕方がないな。中には堂々と本堂の階段で一脚を使っていた人も居たけどね。そういう人を見る度に、いつか写真自体が禁止されてしまうのではないかとひやひやしてしまいます。いい加減、自分で自分の首を絞めていると気付いて欲しいのだけどなあ。

それはともかく、静かで落ち着いた行事を探している方にはお薦めだと思います。この後、大文字を見る事も出来るし、疲れたら座る場所も沢山あるしね。問題はアクセスだけだよなあ。

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2011.08.17

大文字送り火2011 ~真如堂・神楽岡周辺~

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今年の大文字送り火は、真如堂から始めました。ここは2年前にも来ているのですが、今年はある事をしたかったのです。

真如堂から大文字を見るポイントはいくつかありますが、元三大師堂の前が一番人気でしょうか。ここに来るのは近所の人がほとんどらしく、8時5分ほど前になると急に集まって来るという特徴があります。それまでは閑散としているのですけどね。

いつもの年なら8時丁度に点火されるのですが、今年はなぜか数分の遅れがありました。私の周辺でも何かあったのかという声が聞こえていたのですが、どうやら点火の前に震災被害者に対する黙祷が行われていた様ですね。

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私がしたかった事とは、真如堂を起点に神楽岡を移動しながら大文字を見て行くという事でした。ここに来る度に、大文字だけならどこからでも見えるじゃないかと思っていたのです。

その手始めに訪れたのは真如堂の東北側にあるポイントで、大文字が最も近くなる場所です。これを見た時、思わず「特大の大文字だ」とつぶやいてしました。上の写真とほぼ同じに見えますがこれは縮小率が違うせいで、元の写真同士を比べると1.3倍ほど大きく写っています。

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その近くでは、法の字が見えるポイントがあります。神楽岡から見えるのはこのふたつの送り火で、真如堂の境内に戻れば左大文字と鳥居形を見る事が出来ますよ。でも、この日は今出川通に向かって神楽岡を北上して行く事に決めていました。

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思っていたとおり、ポイントはいくつもありました。東に抜ける道ごとがポイントになっているほか、家並みが途切れる場所からでも見る事が出来ます。広々と見えるという意味では墓地が絶好のポイントでしたね。

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それぞれのポイントでは近所の人達が家の前で送り火を見送る光景が見られ、昔ながらの京都の風情がありました。私の実家でも以前はこんな感じだったのだけどなあ、今は大文字方向にある木が生い茂って見る事が出来なくなっています。

面白かったのは、北に移動するごとに大の字の見え方が変わって行く事でした。斜めから正面へと序々に変わって行く訳で、冒頭の写真とこの写真を見比べるとその違いが判るでしょう。難点は素早く移動しないと最後まで行き着く前に消えてしまう事で、各ポイントでゆっくりしている暇は無かったですね。

ただ、紹介しておいて何ですが、神楽岡は普通の住宅地であり、大勢で押し寄せる様な場所ではありません。また、アクセスも悪いので一般向けでは無いですね。駐車場も無いので、間違っても車で乗り着けたりしてはいけませんよ。

地元の人に迷惑にならない様、少人数で静かに回るぶんにはお薦めのポイントです。

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2011.08.16

江~姫たちの戦国~31 秀吉死す

(秀忠に助けられた翌日、秀勝の遺品を箱に仕舞う江。淀殿に宛てた手紙は渡されないままに手元に戻ってきました。その時、家康と秀忠が戻ったという知らせが入り、江はいそいそと出迎えに行きます。ところが、聞こえてきたのは秀吉の声でした。)

(火事見舞いに来た秀吉の姿を見て、慌てて姿を隠す江。しかし、その姿は窓を通して秀吉からまる見えでした。嬉しそうに声を掛ける秀吉。忌々しげに窓を閉める江。)

(秀忠と共に秀吉に対面する江。しかし、相変わらず秀吉に口を利かない江。たしなめる家康。あきれる秀忠。)

(江を咎めず、懐から拾の肌着が入った袋を取り出し、匂いを嗅ぐ秀吉。そして、拾は天下人となり、大坂城の天守に立つ、その姿を見るのが楽しみだとつぶやきます。激しく咳き込む秀吉。その秀吉を冷徹な表情で見つめる家康。)

(正信相手に、秀吉が拾が天下人となった姿を見る事は叶わないだろう、自分も忙しくなるとつぶやく家康。)

(その日の夜、寝所で秀忠に妻として一心不乱に仕えていくと宣言する江。なにも自分達の流儀を変える事はない、これまでどおりお互い干渉しあわずに行こうと秀忠。不満そうな江。)

(二ヶ月後、大坂城。明に送った国書の返事がもたらされ、そこには秀吉を日本国の王となすと認められていました。つまり、自分は明国の家来だという事かと知り、怒りにまかせて再度の出陣を命ずる秀吉。何とかとりなそうとする家康。委細構わず、三成に陣触れを命ずる秀吉。)

秀吉が明国に対して出していた講和条件は、朝鮮南部の割譲や明国皇女を天皇に嫁入りさせるなど、およそ実現不可能なものでした。窮したのは小西行長や宗義智ら外交を受け持っていた担当者たちで、日本軍の実情や明国内の情勢を知る彼らはこの無茶な条件をそのまま明国に伝える事はせず、日本は明国に冊封し、勘合貿易がしたいだけだと偽りの講和条件を提示したのでした。ですから、明国から日本国王となすという返書が来たのは当然のことだったのですね。

行長たちはこの返書の事も騙し通すつもりだったと思われますが、明国の使者に加わっていた朝鮮からの使者が偽者だったと知れたためだとも、国書を偽って読み上げる手筈だった僧侶が事態の大きさに恐れをなし、本当の事を言ってしまったために発覚したのだとも言われています。一説には三成もまた、この企てに関与していたとも言われていますね。

何にしても、明国を征服すると宣言していた秀吉が、反対に日本国王にしてやると言われては、拳の落としどころは無かった事でしょう。

(三成に向かって、秀吉はおかしくなっている、出兵を取りやめるよう諌めるのもまた忠義の道だと声を掛ける家康。自分は秀吉の命を聞くだけだと言って立ち去る三成。)

(秀忠から再度の出兵と聞き、驚く江。今度は秀吉は伏見から指揮を執る、拾の側を離れられないのだろうと秀忠。これでは秀勝は何の為に命を落としたのか判らないと嘆く江。)

(急に倒れ込んだ江。医師の見立てでは妊娠で、二月から三月になるとの事でした。喜ぶヨシ。なぜか気が重いと浮かない江。)

(その夜、寝所。秀忠に子供が出来たと報告する江。静かに驚く秀忠。もっと喜びはないのかと不満げな江。大事にせよとそっけない秀忠。そして、女なら良いなとつぶやきます。なぜと問う江に、男は戦で死ぬか、人質に出されるか、養子にだされるかでつまらないと答える秀忠。女も大変なんだと返す江。とにかく大事にしてくれと言って寝てしまう秀忠。)

(その年の冬。見舞いに来ている初。火鉢で何やら焼きながら、沢山産んで一人呉れと以前の願いを繰り返す初。側室の子に家を乗っ取られるというのがその理由でした。悪阻にむせかえる江。)

(数日後、家康が調合した薬を飲む江。拾が4歳で元服し、秀頼と名乗ったと告げる家康。朝鮮での戦と言い、キリシタンへの仕置きと言い、秀吉は生き急いでいるかもしれないと家康。)

(細川屋敷。ガラシャに向かって、キリシタンは長崎に送られて磔にされると聞いたと告げる忠興。水の様に冷静に、存じていますと答えるガラシャ。ではキリシタンの教えを捨て去る事は迫る忠興。生涯無いと答えるガラシャ。細川家のためでもかと懇願する忠興。ロザリオを握って、じっと忠興を見返すガラシャ。)

(慶長2年5月。女の子を出産した江。)

(娘と対面し、これが私のかと言ってうなる秀忠。他に言う事はないのかと江。そこに駆けつけてきた家康。可愛らしい姫だと褒め、江を労る家康。夫とは違う対応に、嬉しそうに礼を言う江。姫の名をと懐から紙を取り出そうとする家康を制し、名はもう考えてあると言い出す秀忠。そして、千と書いた紙を取り出し、江に手渡します。自分の考えとは違うが良いのではないか、そちの子だと言って立ち去る家康。)

(千の字の書かれた紙を広げたヨシ。そこには竹千代と書かれていました。いぶかる江に、徳川家代々の嫡男の幼名であり、その中から一番良さそうな名を取ったのだと答える秀忠。あきれる江。名前など、呼びやすければ良いのだとうそぶく秀忠。)

(言葉とは裏腹に、子煩悩になった秀忠。あきれながらも、微笑ましく見守る江たち。そこに淀殿からの祝いの品が届きます。千を産んだ事を祝い、完もまた無事に育っている事を伝える淀殿の文。置いてきた娘を思い、複雑な表情の江。)

(家康から、秀頼と千を許嫁にすると聞かされた江。秀吉が如何に徳川家を大切に思っているかという事だと諭す家康。)

千姫と秀頼が幼くして婚約したのは、史実にあるとおりです。無論、娘婿となる秀頼を秀忠が守ってくれる事を期待しての事ですが、千姫には人質という意味もあったのでしょうね。

(伏見城。秀頼と千の婚約を聞き、さぞかし江が怒っているだろうと気遣うおね。大事ない、江とは口も利いていないがと秀吉。)

(三成に朝鮮の戦況を聞く秀吉。朝鮮の大軍に迫られ、一時はあやうく敗北寸前にまで行ったと正直に答える三成。面白くない話をするでないと怒り出す秀吉。お前様が始めた戦でしょうと咎めるおね。何か気張らしは無いのかと苛立つ秀吉。)

(慶長3年3月。醍醐寺にて絢爛たる花見を催した秀吉。周囲を軍勢に警護させ、親しい大名や女達の前で舞を舞って見せる秀吉。)

(舞終えて、桜吹雪を前に一人座っている秀吉。その花の中で激しく咳き込み血を吐きます。目も眩むような花の舞を見て、生きるとは夢幻のごとくじゃなと一人つぶやく秀吉。)

醍醐の花見については、その後の日本に花見の習慣を根付かせたと言われる程インパクトの強いものでした。秀吉はこの花見のために醍醐寺を修復し、桜も各地から移植したと伝えられます。当日は八つの茶屋を順に巡るという趣向で、秀頼を初めとする豊臣家の人々や1300人の招待客を楽しませました。そこで使用された道具類、供された料理の数々は桃山文化の粋を集めたものだったと言われています。

ドラマでは描かれませんでしたが、この花見の時に、側室の序列を巡って淀殿と龍子の間で争いがあったと言われています。秀吉は秀頼の生母としての淀殿の地位を重く見て序列を上げ、おねに次ぐ次席に据えたのですが、元の寵姫であった龍子としては面白くない処置でした。この怒りが会食の時に爆発し、秀吉からの杯を受ける時に、序列を無視して淀殿の前に無理矢理割り込んだのです。当然淀殿と争いになったのですが、これを納めたのは秀吉ではなく、おねでした。さしもの秀吉も、側室同士の争いは治める術を持たなかったのですね。

なお、秀吉が能を披露したかどうかは定かではなく、たぶんドラマによる演出だと思われます。

(伏見城で寝たきりとなった秀吉。彼は遺言がしたいと言って、三成に大名達を呼ぶように命じます。その筆頭は、家康、次いで利家、そしてその次に来たのが秀忠でした。意外な名を聞いて驚く三成。)

秀忠については、家康亡き後には徳川家の総帥となるべき人物であると同時に、秀頼の岳父となるはずの人物でした。ですから、3番目に名前が出て来たとしても不思議では無いのですね。秀吉にすれば、家康よりもずっと頼りにしたい存在であったものと思われます。

(秀吉に、家康が大老で自分が奉行では面白くないかと聞かれ、面白くないと正直に答える三成。その時、一時的に人事不省に陥った秀吉。)

(無理を冒して、家康と対面する秀吉。彼は家康に天下の仕置きを任せたいと言い出します。驚く家康。秀吉は家康と利家を筆頭大老に5人の大老を置き、三成を含む5人の奉行と共に何事も相談の上で薦めて貰いたいとたのみます。ただし、と秀吉が言いかけるのを遮り、家康は、秀頼公成人の暁には政の座は直ちに返しますと誓うのでした。かたじけないと言って手をさしのべ、家康の手を取って頼みますぞと願う秀吉。はは、と真摯な顔つきで答える家康。その様子を疑わしげiに見る三成。)

(8月、さらに悪化した秀吉の病状。見舞いに来ている高次と初。その初に近江国蒲生郡の所領を与え、龍子を頼むと言う秀吉。そして高次には秀頼を盛り立ててやってくれと頼むのでした。)

(徳川屋敷。秀忠から秀吉に遺言を貰ったと聞く江。秀頼を盛り立てよとのみ言われたと秀忠。秀吉には会いにいかないのかと江に問い掛ける秀忠。頑固に行かないと答える江。)

(伏見城。秀吉を見舞う淀殿と秀頼。自分はそなたの仇だと秀吉。仇がいつか大切な人となっていたと淀殿。父上と抱きつく幼い秀頼。その上から二人に抱きつく淀殿。)

(その夜、繰り返し秀頼の事を頼むと記した手紙をあえぎながら書く秀吉。)

百姓から成り上がった秀吉には、徳川家の様な譜代の家臣団を持っていませんでした。わずかに身内は居たものの、その筆頭であった秀次を殺してしまったがために、秀頼の養育を託すべき人物が居なかったのですね。そこで、わずかにでも縁のある諸大名に対して、秀頼の事を頼むと言うしかなかったのです。

無論、秀吉には口約束や誓紙が何の役にも立たない事は判っていたのでしょう。それでも、それ以外に手段はなく、ひたすら相手に縋り続るしかなかった秀吉の心境たるや、どんなに悲痛だった事でしょうね。

(他には会いたい人は居ないのかと秀吉に聞くおね。皆会ったと答える秀吉。江と聞かれ、あれは来ないと答える秀吉。そうだろうかと言って立ち上がるおね。入れ替わりに入ってきたのは江。)

(夢を見ているのかと秀吉。夢をみさせてたまるかと江。自分から夢を奪った、浅井の父母、柴田の父、利休、秀次、一成、秀勝、そして完を取り上げさらには千姫までもと恨みを言い募る江。酷い事をしてきたものだとつぶやく秀吉。私はあなたを殺したい、病でなど死なれては困るのだと江。そなたのおかげで面白かったぞと秀吉。その様な言葉では騙されないと言って席を立つ江。)

(江の背中に向かって、最後の頼みがあると言う秀吉。秀頼の事なら知らないと冷たく言い放つ江。しかし、秀吉の言葉は意外なものでした。江に向かって幸せになれと言う秀吉。驚いて振り向く江。今度こそ、徳川家で幸せになってくれと秀吉。そして、これにてさらばじゃと言って目を閉じます。黙って頭を下げて去っていく江。)

江と秀吉のやりとりは創作ではありますが、ドラマとしては完結させてくれました。秀吉は江を振り回しはしましたが、最後は本当に幸せを願っての結婚だったのですね。江は秀吉にとってもお気に入りの相手だったのです。あまりに酷い秀吉の晩年でしたが、少しは救われたという思いがします。無論、史実では有り得ない設定ではありますが。

(慶長3年8月18日。おねに抱かれながら息を引き取った秀吉。)

(猿が死んでしまったと泣き崩れる江。)


秀吉の辞世は、

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

でした。これは花見の後の台詞の中に反映されていましたね。それにしても、一世の風雲児としては、寂しすぎる辞世という気もします。自らを成り上がり者と規定し、その死後は豊臣家も滅びる事を予感していたとも受け取れますよね。

死の床で考えているうちに諦観の境地に達していたのかも知れませんが、あれほど執心していた秀頼の事がかけらも現れていないのは不自然という気がしないでもありません。

次回は関ヶ原の戦いの前哨戦が描かれる様です。このドラマの三成はあまり能吏という印象を受けないのですが、ただの忠義者として終始してしまうのでしょうか。それに、彼と対立すべき加藤清正や福島正則がまるで描かれていないのですが、家康対三成だけで乗り切ってしまうのかしらん?それとも、唐突に清正達が現れるのか。ちょっと乱暴な展開になりそうなのが気になる次回ではあります。

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2011.08.14

更新停止のお知らせ

いつも当「ねこづらどき」を訪れて頂き、ありがとうございます。

所用により、本日と明日の更新は停止します。「江~姫たちの戦国~」のレビューは16日にアップする予定ですので、よろしくお願いいたします。

とうとう秀吉が最後を迎え、その前には醍醐の花見も描かれる様ですね。豪華絢爛と言われるこのイベントが、どう演出されるかちょっと楽しみにしています。

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2011.08.13

京都・洛中 京の七夕2011 ~鴨川会場~

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仕事帰りの夕暮れ時に、京の七夕・鴨川会場に寄ってきました。この日は幸い夕立も無く、川風が気持ちの良い河原でしたよ。

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鴨川会場は四条大橋から御池大橋までのエリアで行われています。冒頭の写真は風鈴灯で、三条大橋から北側に置かれており、午後7時にLEDの明かりが灯されます。

三条大橋から下流側は七夕飾りがメインとなっていて、この笹もまたLEDで照らされています。

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この日は特にイベントも無かったのですが、それなりの人が訪れていました。普段から夕涼みがてらに歩く人は多いですけど、やはり明かりがあると寄ってみたくもなるのでしょう。

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みたらし川には、竹灯りが灯されていました。花灯路でおなじみですけど、やはり風情があって良いものです。この日は行かなかったのですが、四条大橋寄りのステージには仙台の七夕飾りが設置されているそうです。

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明日は友禅流しの実演が行われる予定になっています。場所は四条大橋と三条大橋の中間あたり、時間は19時からと20時からの2回です。鮮やかな友禅染がダイナミックに放り投げられる様は、なかなか絵になるシーンですよ。

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2011.08.12

京都・洛北 百日紅2011 ~北山通 8.6~

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詩仙堂の近く、白川通北大路から西の北大路通は、百日紅の街路樹がある事で知られます。

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今年の百日紅は咲いている木と咲かない木がはっきりと分かれているのですが、この街路樹でもそれが見て取れますね。これから先、ちゃんと咲き揃って来るのか、それともまだらなまま推移するのか、どうなるのでしょう?

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ところで、冒頭の交差点はアニメ「けいおん!」に良く登場した場所の一つです。「けいおん!」はそろそろ放映が終了してから1年近くになるのかな、当時は録画をしては息子たちと一緒に見てました。

私が結構嵌ったのは、修学院や松ヶ崎を中心に京都市内が主な舞台となっていたからで、京都巡りをしていると、ああここだという場所に良く出くわすのですよ。この交差点の周辺に特に多く、いわゆる聖地巡りをしているらしい人達を見かけた事もありましたね。

次は12月に映画が公開されるのですが、さすがに見に行くのはつらいものがありますね。息子と同世代の話なので、私的には抵抗なく見る事が出来るのですけどね、子供と一緒に行ったとしても周囲からは完全に浮いてしまうだろうなあ。仕方が無いので、後でDVDを買って見る事といたしましょう。

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2011.08.11

京都・洛北 夏の庭2011 ~詩仙堂~

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夏の詩仙堂、昨日は蝉時雨をお届けしましたが、今日は庭の様子をお届けします。

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とても暑い日ではあったけれど、日が傾き始めると少しはほっとした気分になってきます。その傾いた西日を浴びると、緑が色あせて見えるものなのですね。

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この時期の庭は寂しいもので、あまり咲いている花はありません。その中で元気だったのは桔梗でした。

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盛りの時期とは言えないけれど、色あせて見える庭の中でこれだけ綺麗な花を見せてくれるのは有り難い存在です。

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もう一つ元気だったのがギボウシでした。やけに長い花穂を出しているので、どこに葉があるのかと探したほどでしたよ。

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ギボウシは花よりも葉の様子を楽しむものだと聞きますが、確かに面白い模様を描いています。その深い緑の葉は、日陰にあっても存在感を示していましたよ。

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最後は涼しげな写真をお届けします。と言ってもまた手水鉢なのですが、やはりこの時期は水が恋しくなりますよね。

静かに垂れる水を受けて、鉢を満たした水が波紋を描いていました。ゆらゆらと揺れながら光る水面に、涼しさを感じません事?

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2011.08.10

京都・洛北 蝉時雨と鹿威し ~詩仙堂~

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北白川の駒井家住宅を出て、詩仙堂へとやって来ました。時刻は午後3時30分、日は既に西に傾き、少し夕日色を帯びています。

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この時期の詩仙堂は蝉時雨で埋まります。特に夕方に鳴くヒグラシは風情があって良いですね。その様子を動画に撮ってきたのでご覧下さい。(ただし、ボリュームを上げると近くの話し声が聞こえてくるので、小さめの音でお聞き下さい。)

この暑い最中に詩仙堂を訪れる人は少なめですが、この風情が感じられるのなら出かける値打ちはあるでしょう?

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時折、コーンと響いているのは添水、いわゆる鹿威しの音ですね。この様子は以前に動画としてアップした事があるのですが、Niftyの動画サービスが終了したために今は消えています。なので、改めてアップしますね。

最後に上手くヒグラシの声が被ってくれました。明日はこの詩仙堂の夏の庭をお届けしようと思っています。

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2011.08.09

京都・洛北 京の夏の旅2011 ~駒井家住宅~

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京の夏の旅の二カ所目は、駒井家住宅を訪ねて来ました。駒井家住宅とは北白川の地にある洋風建築で、ヴォーリーズ建築事務所が設計した建物として知られます。

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駒井家住宅が建てられたのは昭和2年の事で、京都帝国大学理学部教授であった駒井卓博士の住居として設計されました。外観はアメリカン・スパニッシュ様式を基調としており、全くの洋風建築になっていますね。

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1階はダイニングルーム、リビング、サンルーム、和室からなっており、これに台所や風呂などが付属します。まあそのあたりは今の住宅と変わりはないですね。面白いのは全ての窓が二重になっており、和室では内側の窓には障子戸が填められていて、ここが洋風建築である事を感じさせない様になっています。

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玄関ホールには二階に上がる階段があるのですが、その手すりが優美な曲線で出来ており、趣味の良さを感じさせます。そしてなぜか内側の窓には黄色のガラスが填められており、不思議な色合いの空間になっていました。

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2階は寝室とサンルーム、それに書斎からなっています。サンルームにはこのロッキングチェアが置かれており、かつては駒井夫人の為の席だったそうです。

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その椅子に座ると見えるのが大文字でした。ここでこの山を見ながら寛いだ時間を過ごしていたのでしょうか。そして、送り火の夜には特等席となった事でしょうね。

また、二階の各部屋からは比叡山を望む事が出来、眺望を重視した家作りであった事を窺わせます。

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その二階は全室フローリングなのですが、なぜか壁には作り付けの和箪笥がありました。どうにも不釣り合いだと思ったのですが、それは終戦直後にGHQによる接収があったためだと判りました。

駒井博士は遺伝学の権威であり、昭和天皇の侍講でもありました。いわば天皇の側近であった事がGHQに睨まれる原因となり、自宅を取り上げられてしまったのですね。そして数年の間はアメリカ軍の高級将校の住宅として使用されており、その間に畳敷きからフローリングに改装されてしまったのでした。つまりは、元は和室だったのですね。

駒井夫人は実家が教会で、自身も熱心なキリスト者でした。夫の米国留学にも同行しているのですが、そうした経歴とは逆に、普段の生活様式は洋風ではなく和風にこだわったそうですね。常に和服を着て過ごしていたそうで、洋風建築なのに中は畳敷きという形になったのは、そうした夫人の要望が反映されたからなのだそうです。

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ドアノブは洒落たクリスタル製で、青と白が使われています。頂いたパンフレットには部屋の外と内側で色が使い分けられているとあったのですが、実際には部屋ごとに使い分けられているというのが正しい様です。というのは見学者から質問があったからで、案内の方と実際に見比べてみると、どうやらパンフレットの記述が誤りだと判ったのでした。

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こちらが台所です。流し台は後年のものですが、食器棚や手前の作業台は当時のままだそうです。何だか今でもそのまま通用しそうで、当時としてはとてもモダンな作りだった事でしょう。なお、作業台の上の丸い大理石は、パンこね板だそうです。

駒井家住宅は平成10年に京都市指定有形文化財に指定され、平成14年には駒井家から(財)日本ナショナルトラストに寄贈されました。今は夏期と冬期を除いた金曜日と土曜日に公開されているそうで、今回の特別公開は普段の非公開時期に合わせて行われているのですね。ですので、金、土土曜には時間が取れない方には良い機会と言えるのでしょう。

ただし室内はかなり狭いので、ツアー客とぶつかると大変な目に遭うとだけは覚悟しておいて下さい。

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2011.08.08

京都・洛東 京の夏の旅2011 ~南禅寺 大寧軒~

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京都の夏の観光プラン、京の夏の旅が今年も開催されています。基本的にバスでポイントを巡る団体ツアーなのですが、特別公開地に関しては個人でも拝観が可能という嬉しいイベントですね。その一つが大寧軒、南禅寺界隈に点在するお屋敷の一つです。

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大寧軒は、元はと言えば南禅寺の塔頭寺院「大寧院」があった場所でした。明治の初年にあった廃仏毀釈の折に廃寺となり、いくつかの変遷を経て明治の末年に茶道の家元である藪内家の手に渡ったそうです。この庭を整備したのは第11代当主の透月斎竹窓紹智氏で、茶人らしく露地庭として作庭されました。

その中心となる茶室がこの「環翠庵」です。

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この庭園の中央にあるのは池、その池の周囲には飛び石が配されています。つまり、茶会に招かれた客は飛び石伝いに池を巡り、途中にある待合いを経て「環翠庵」に至るという趣向なのですね。

借景として東山を配し、奥行きを感じさせています。全体として樹木が多く、緑の中で安らぎを感じますね。ただ、木々が茂りすぎていて鬱蒼とした雰囲気になっているとも言えます。

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この庭の基調をなしているが瀬音なのですが、その源がこの滝です。琵琶湖疎水からの引水で、取水口との落差を生かしてこの轟々たる滝を演出しているのですね。静的な作りの庭にあって唯一ダイナミックなこの滝は、庭全体に動きと音を与える装置でもあります。

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この庭で特徴的なのが数々の石像物です。中でも印象的なのが石の五重塔ですね。如何にも由緒がある様に見えるのですが、残念ながらその由来は判っていないそうです。

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石像物の中で数が多いのが灯籠です。織部灯籠、春日灯籠、雪見灯籠などいくつも配されており、庭園各所のアクセントになっています。

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この庭で最も謎めいているのがこの三本足の鳥居ですね。蚕の社にある鳥居を模したものである事は確かなのですが、なぜここに置いたのかは良く判っていないそうです。

一説にはこの鳥居の下からは清水が湧いており、茶人にとって大切な水を守るという意味で建てたと言われているとか。また、茶釜の蓋置きは三本足であり、その形に似た鳥居をここに置いたのだという説もあるそうですね。

ただ、藪内家の手を離れた後に建てられたという説もあって、正確な事は判らないのが現状の様です。

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庭園の片隅に唐突な感じで建てられているのは、城崎の玄武洞から持ち出した玄武岩の柱状列石です。今は天然記念物ですから持ち出しなんてとんでもないのですが、作庭当時はそんな規制は無かったとの事で、玄武洞以外で実物を見る事が出来る貴重な例と言われているそうです。

大寧軒は藪内家の手を離れた後所有者は転々とし、三井家などいくつもの変遷があった様です。そして平成16年に南禅寺が買取り、百数十年ぶりに元の所有者の元に返りました。それを受けてでしょうか、これまでに何度か特別公開が行われている様ですね。私としては初めての拝観で、社寺の庭園とは趣きの違う庭を見る事が出来て良かったです。

今回の特別公開は9月30日まで、拝観料は600円となっています。


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2011.08.07

江~姫たちの戦国~30 愛しき人よ

(朝寝坊してしまった江。江を寝ころんで出迎える秀忠。江を格別なるお方と褒めそやす正信。)

(完の風車を見て完を思い、秀勝の遺品を見て秀勝を思う江。)

(秀忠と江に茶を点てる家康。心ここにあらずといった様子の江。上機嫌の家康。次は子だと言われ、茶にむせかえる江。菓子を江の口に突っこんで誤魔化す秀忠。それを見て仲の良い事だとますます機嫌が良くなり、男子を産んでくれと頼む家康。)

(その夜。いきなり男子を産めと言われても、自分は道具ではないと不満そうな江。武家に嫁げば当然な事、家康は既に8人目の男子を側室に産ませていると秀忠。秀忠の丁寧な言葉使いはどうかと江。自分たちは名ばかりの夫婦だからと言って寝てしまう秀忠。)

(翌日、また寝過ごした江。江を残してさっさと登城して行く秀忠。)

(また完の風車を見て過ごす江。そこに駆け込んできた初。抱きつこうとした江に、泣きながら抱きつく初。)

(初の用件は、高次に側室があり、しかも男子を設けていたという事でした。秀吉の薦めで断れなかったと言う高次。子が出来ないのは自分のせいである、離縁でも何でもしてくれと言って飛び出す初。)

(江に向かって、どんどん子を産み、一人私にくれと頼む初。困り切り、秀忠との仲が上手く行っていないと白状する江。秀忠の遺品を持ち出し、こくんなものをいつまでと江に迫る初。そこに現れた秀忠。)

(如才なく初にあいさつする秀忠。最後に、武士の働きは良き妻あっての事と言って立ち去る秀忠。ひっかかる江。良き人ではないかと初。外面が良いのだと認めない江。夫婦になる、ならぬなどわがままだ、頭を下げよと言い捨てて帰って行く初。)

(その夜。姉妹とはどういうものかと聞く秀忠。言いよどむ江。それなら良いと秀忠。城の事を聞く江。自分の事が知りたい、それはつまり夫婦になりたいという事かと秀忠。そうではないと反発する江。これからはお互いに聞きたい事だけ聞く事にしようと言って寝てしまう秀忠。)

(寝床に江が居ない事に気付いた秀忠。自分の部屋で、秀勝の遺品と完の風車を手元に置き、泣きながら眠ってしまった江。その様子を見て驚く秀忠。)

(ある日の事。秀吉が病気だと知らせる秀忠。どんな具合なのだと気遣う江。仇なのに心配するのかと秀忠。今は姉の夫なのだと言い訳する江。それなら、直接会ってくれば良いと秀忠。頭を下げて出て行く江。江の部屋にある秀勝の遺品を見て複雑な面持ちの秀忠。)

(家康に秀吉の病状を聞く江。薬研を擂りながら、そう大した事もないのではと言う家康。ただ、江とは口も利かぬままになっていると秀吉が嘆いていたと厳しい口調の家康。困った様子の江。)

(江がそれほど心配していると知ったら、秀吉も喜ぶだろうと家康。天下人に何かあったら、世の中が変わってしまうからだと誤魔化す江。そうじゃのうと、意味ありげにつぶやく家康。)

(孫はまだかと家康にせがまれ、励んでいると誤魔化す江。江を見送った後、秀吉の病状から目を離すなと厳しく家臣に命じる家康。)

(伏見城。おねと三成に看病されている秀吉。かなり弱っている様子。そこに現れた淀殿と拾。拾を抱きしめる秀吉。)

(江から文が来たと知らせる淀殿。あやつの減らず口を聞きたいものだと秀吉。ならば江を呼ぶかとおね。江は来ない、完に会う事になるからだと淀殿。江から娘を奪ったゆえに、寝込む事になったのかとつぶやく秀吉。江に会いたいのなら、自分で行けばよいと励ますおねと淀殿。)

(体調が持ち直した秀吉。)

(天皇までが平癒祈願したと聞き、嬉しそうな江。亡くなったら亡くなったで良いのではないかと秀忠。投げやりなとたしなめる江。秀吉も亡くなった後の事については何かと手を打っているだろうと秀忠。それはそうだがと江。急に謝り、知りたい事以外は口を利かぬという約束だったと言って出て行く秀忠。)

(その後もよそよそしく暮らしている江と秀忠。そんな関係が1年近くも続いたのでした。)

(江の元気が無いと心配する正信。あの者は、秀勝の遺品を後生大事に携えているのだと秀忠。それは悋気というものだと正信。自分にも良く判らない、しかんし、江と居ると疲れるとぼやく秀忠。)

(秋。ヨシに淀殿への手紙を託す江。)

(その夜。離縁を言い出した江。ヨシに持たせた手紙は、秀吉から命じでもらう様に頼んだものでした。自分に一言も相談が無いのは愉快ではないと秀忠。自分の勝手な一存であると認めたと江。その話は明日にしようと言って寝てしまう秀忠。)

(夜中、眠れぬままに寝床を抜け出した秀忠。これで良かったのだとつぶやく江。その時、遠くから響く火事だという声。)

(侍女が止めるのも聞かず、秀勝の遺品と完の風車を取りに行く江。しかし、火の廻りが早く、炎の中に閉じこめられてしまいます。煙に巻かれ、気を失いそうになりながら、完と秀勝の名を呼ぶ江。)

(江と叫びながら助けに来た秀忠。秀勝の遺品に手を伸ばす江。それを棄てて、江を担ぎ出す秀忠。)

(江を助け出した秀忠。呆然と見つめる江。その江を見て、着物を水に浸して被り、再び炎の中に飛び込んでいく秀忠。彼は秀勝の遺品を取りに戻ったのでした。しかし、煙に巻かれて倒れる秀忠。)

(秀忠の帰りを待つ江。炎の中から奇跡的に生還した秀忠。あわてて駆け寄る江。持ち帰った遺品を江に手渡す秀忠。彼が怪我をしている事に気付く江。)

(夜回りの侍女が落とした火が原因だったらしいと正信。けが人が無かったのだから、誰も責めるではないと秀忠。)

(仮の寝室で、秀忠に礼を言う江。そして、秀勝の遺品を持ってきた事を詫びる江。もうどうでも良いではないかと秀忠。意地を張ってきた自分も自分だが、そんな私を放って置いたあなたもあなただと秀忠を責める江。落ち着けと江を宥める秀忠。)

(実は遺品を取りに戻った時、棄てていこうかとわずかばかり迷った、しかし江にとっては大事なものであろうと思ったので持って帰ったのだと白状する秀忠。これまでの事は許して欲しい、そして自分を妻にして欲しいと手を付いて頼む江。助けられた事で恩義を感じたのかと秀忠。そうではないと江。心から妻になりたいと感じたのかと秀忠。そうだと江。それなら自分の勝ちだと秀忠。とまどう江を抱きしめ、夫婦になりましょうと囁く秀忠。泣きながらはいと答えて、秀忠を抱きしめる江。)

今回も大河と言うよりホームドラマという展開でしたが、史実に沿った展開もあります。それは初と高次の関係で、二人の間に子は無く、高次は初との結婚6年目にして、側室に世継ぎとなる男子を産ませています。でも、それを初が知らなかったとすれば2年も隠していた事になるのですが、そのあたりはどうなのでしょう。

また、初が江に子供をくれと言った事は現実の事となり、このドラマの時期から8年後に江の四女を初夫婦が貰い受けて育てる事になります。そしてその娘は長じて後、側室が産んだ世継(忠高)の正室になるという道をたどる事になります。

ドラマとしては、よくも一年間も引っ張ったなという気がしますが、これは江が秀忠の最初の子を産むまでに二年かかっているという事を下敷きにしているのでしょう。本当の夫婦仲がどうだったのかは窺い知る事は出来ませんが、江は秀忠を尻に敷いた悪女というイメージで語られる事もあり、今回の演出はそれを払拭したいという意図もあったのかも知れません。

秀忠について言えば、微妙な男心を向井理が上手く演じていたと言えるのでしょうか。特に遺品を拾う事を躊躇する場面にそれが良く現れていました。そして、火事の後の指示の出し方に、後の君主らしさの片鱗が現れてもいましたね。

さらに家康については、いよいよダークサイドが露わになりつつあります。秀吉の死後の家康は陰謀家としか言えない様な人物に変貌して行くのですが、そのあたりをどう演出して行くのか楽しみではあります。北大路家康には今後注目ですね。

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2011.08.06

京都・洛東 百日紅2011 ~知恩寺 8.6~

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平成23年8月6日、今日の知恩寺の百日紅です。

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知恩寺の百日紅は山門を入って右側、保育園の北側にあります。山門の外からでも見えており、場所はすぐに判りますよ。

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上の写真で判るように小振りな木なのですが、その咲きっぷりは素晴らしいものがあります。やや殺風景な境内にあって、燃えるような赤い色は際だって見えますよ。

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それにしても、今日も暑かったです。久しぶりの京都巡りだったのですが、さすがに堪えました。本当は「京の七夕」に寄ってこようかと思っていたのですが、炎天下を走り回った後では体力が保たなかったです。

まだ夕立が来なかっただけましだったかな。来週はそんな夏の京都で拾ってきた景色をお届けしますね。

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2011.08.05

京都・洛北 百日紅めぐり ~鷺森神社~

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修学院の地にある鷺森神社でも百日紅が咲いています。名所として紹介するほどではないのですが、緑の中に白と赤の花が咲いている様は印象的ではありますよ。

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貞観年間(859年-877年)の創建と伝えられますから、既に1100年を越えている事になりますね。元はもっと東寄りにあったのですが、修学院離宮の造営にあたって現在の地に移転して来たのだそうです。

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最近、司馬遼太郎さんの「街道をゆく 叡山の諸道」を読み直したのですが、その中に南北朝時代の記録として鷺森という地名が出て来ると書かれていました。修学院村の小字にあたるそうですが、南朝方の軍勢が陣を張った場所として記されており、今は静かなこのあたりも、かつては戦の場として刀槍が煌めいていた時があったのでした。

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鷺森神社と言えば紅葉の名所、今の時期は色濃くなったもみじの葉が鬱蒼と茂っています。それでも夏に日陰は有り難いもので、炎天下からこの境内に入るとほっとしたのを覚えています。

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ここに来たのは昼下がりだったのですが、うるさいクマゼミは声を潜め、けだるい感じのアブラゼミが鳴いていました。このアブラゼミ、以前はクマゼミよりも優勢な蝉だったはずなのですが、最近はあまり見なくなりました。温暖化が進んだ事によって暑さに強いクマゼミが勢力を強めたという事らしいのですが、いつかはアブラゼミが希少種と言われる様になるのかしらん?

あまりに数が多くて見飽きていた蝉も、居なくなってしまかも知れないと思うと何だか寂しい気分がして来ますね。


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2011.08.04

京都・洛東 百日紅めぐり ~長徳寺~

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出町柳にある長徳寺は、春におかめ桜が咲く事で知られます。その山門から境内を覗くと、それは見事な百日紅が咲いていました。

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ここも山門は柵で閉じられているので入りにくいのですが、潜り戸は開いていたので中に入らせて頂きました。(立ち入り禁止とは書かれていなかったので大丈夫とは思うのですが、もし駄目なようでしたらご一報下さればこの記事は削除します。)

百日紅は本堂の前で咲いており、それほど大きくはないのですが咲きっぷりは見事でしたよ。

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長徳寺は浄土宗の寺。かつてこの寺の背後を砂川という川が流れており、常林寺、正定院と共に砂川の三軒寺と呼ばれていました。ご本尊は浄土宗の寺らしく阿弥陀如来様だそうですが、ネットで調べてもおかめ桜の事ばかりが出て来てしまい、あまり詳しい事は判らない寺ですね。

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そう言えば三軒寺に共通しているのがお地蔵様で、長徳寺には北向き延命地蔵、常林寺には世継ぎ地蔵、正定院には子育て地蔵があります。それぞれが今でも篤く信仰を集めていると聞いているのですが、ここは地蔵信仰のスポットだったのかも知れませんね。三軒寺という呼び名には、そういう意味合いも込められていたのかしらん?そのあたりも、いつか調べられたらと思っています。

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2011.08.03

京都・洛中 百日紅めぐり ~大光明寺~ 

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もうお気づきかと思いますが、先週末も京都に出かける事が出来ていません。本当に困ったものなのですけど、やむを得ないので今週も昨年に撮った写真を元に構成しています。で、今日からは百日紅を求めて巡った中から、紹介出来なかった場所をピックアップしてお届けする事にします。

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今日紹介するのは大光明寺。相国寺の塔頭で、当ブログでも何度か登場していますが、この見事な枯山水の庭園がある事で知られます。

ここは白砂の中にバランス良く配置された石と苔があり、それだけても見ていて気持ちがよいのですが、何より背景にある檜の緑が素晴らしく、何時行っても絵になると思う庭ですね。門が閉まっているためか入る人は少ないらしく、たいていの場合が貸し切り状態となります。今頃は蝉時雨がやかましいくらいに響いている事でしょうね。

難点は縁側に座っていると直射日光を浴びてしまう事かな。真夏の昼間には、ゆっくりと鑑賞するというのはきつい庭かも知れません。

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その大光明寺では、白の百日紅が咲いていました。白花というのは、珍しいという程ではないけれど数は少ないですよね。

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名所として紹介する程ではないと思って去年はアップしなかったのですが、美しい花である事には違いないですね。庭園とのセットでなら、行ってみる価値はあるかもです。


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2011.08.02

比叡山 夏の庭園 ~ガーデンミュージアム~

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延暦寺に行く時は必ず寄るのがガーデンミュージアムです。標高が800mを越える四明岳の山頂にあるという庭園で、冬期を除いて季節の花を楽しむ事が出来ます。

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昨年行った時にはルドベキアが花盛りでした。山頂とは言え、真夏の気温と日差しは相当なものなのですが、暑さに強いと言われるこの花は元気そのものでした。

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でも、この時期は総体的に花が少ない事は否めません。中心になるのはこのダリアの類かな。あと、涼しい環境が合うのでしょうか、チョコレートコスモスが元気なのが印象的でした。

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そうそう、夏のガーデンミュージアムと言えば冒頭の睡蓮ですね。ここはモネの庭をモチーフにしており、睡蓮の咲く池は絵で見る景色をそのまま再現したものになっています。

山上遊園地を改装して始まったこの庭も、今年で10年になるのですね。かつてはお化け屋敷で賑わった場所なのですけどね、今では覚えている人も少なくなったのだろうなあ。ナイター営業もされているとの事ですし、本物の涼を求めて行ってみるのも一興かも、ですよ。

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2011.08.01

京都・洛中 「京の七夕」が今年も開催されます

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昨年から始まった行事「京の七夕」が今年も開催されます。京都に大きな七夕行事が無いという事から始まったと聞くこのイベントですが、祇園祭と大文字の間を埋める新しい風物詩として定着させようと様々に工夫をされているようです。

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会場は鴨川と堀川の二つに分かれており、それぞれを天の川に見立てているのですね。そのうち、鴨川では友禅流しが再現されて話題となっていました。ここには写っていませんが、周囲には大勢の見物客やカメラマンが詰めかけており、その美しくもダイナミックな動きを見つめていましたよ。

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鴨川会場では、6日と7日の二日間は鴨川納涼との共催となり、様々なブースで賑わう事になります。本来は別の行事なのですけどね、京の七夕の開催にあたって協賛事業という位置付けでタイアップされた様です。

このほか、協賛事業としてしは市内のみならず京都府下にも広がりを見せており、七夕を京都の一大イベントにしようという意気込みが感じられる様な気がします。

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鴨川会場には舞妓茶屋というブースもあります。先斗町歌舞練場にあるのですが、普段は高嶺の花である舞妓さんの踊りを手軽に見る事が出来るそうです。ワンドリンク+おつまみで1500円と少々高めではありますが、お茶屋さんに上がる事を思えば格安とも言えますね。あと、記念写真も撮れるそうですよ。

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もう一方の堀川会場では、遊歩道として整備された堀川が舞台となっています。メインはここでも友禅流しで、ダイナミックな技はありませんが、鮮やかな色彩のページェントを楽しむ事が出来ますよ。

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両方の会場に共通しているのが七夕らしく笹飾りで、鴨川では岸辺でライトアップされ、堀川では通路沿いに飾られています。この笹に付けられている短冊は地元の小学生や幼稚園児が書いたもなのだそうです。

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堀川会場を上から見るとこんな感じで、掘割の中の遊歩道の様子を判って頂けるでしょうか。北行き一方通行ですが、橋のところで出入りが出来るようにはなっています。なにしろ狭くて暑いですからずっと歩いているのは大変で、辛くなったら堀川通に出てしまうのが良いですよ。もう一度見たい場所があれば下流の橋まで戻って会場に復帰する事は可能ですから、無理をして頑張る必要はありません。

京の七夕は平成23年8月6日から15日まで開催されます。

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