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2011.07.10

江~姫たちの戦国~26 母になる時

(太閤となり、朝鮮へと兵を進めた秀吉。その数30万。)

(天正20年春、浜松城。寝ころんでいる秀忠。彼は九州へと向かった家康の代わりに留守を預かっていたのでした。しかし、鬼の居ぬ間にとのんびりとしている様子です。朝鮮出兵に批判的な秀忠。まさに猿の戯言と秀吉をこき下ろします。)

(江と秀勝の婚儀を聞き、やはりとうなずく秀忠。)

(聚楽第で、夫の世話を甲斐甲斐しく焼く江。しかし、やり付けていない事ばかりで、周囲をはらはさせています。)

(帰宅した秀勝を出迎えた江。袴をたたむと言って近習と争い、ひっぱり合った挙げ句に破いてしまいます。それを見て高笑いする秀勝。)

(夜、夫婦で語らう二人。秀吉から命じられた秀次の見張り役を思い出し、気が進まぬ江。では行ってみるかと英勝。)

(秀次の屋敷。夜遅くまで書類に印判を押している秀次。やってきた二人を見てうんざりした様子です。)

(関白の仕事はどうかと問う秀勝。やりがいはあるが、公家相手の行事ばかりだとぼやく秀次。婚礼の時の礼を言う江。その江を見て、秀吉が猿なら秀次は小猿だ、とても関白の器ではないと言われていた事を思い出す秀次。)

(公家相手に和歌の手ほどきをしていると意気込む秀次。秀勝と楽しそうに話し込む秀次を見て、意外なと微笑む江。)

秀次という人は、こうした文化人としての側面を持っていた様です。実際にも公家との間に交流があり、その教養を認められてもいたそうですね。また、古典の収集にも熱心で、数多くの書籍の散逸を防いだとも言われています。後に言われるような殺生関白とはまるで違った姿がそこにはありますね。

(秀勝の屋敷。以前追放された時に、秀次が金子を送ってくれたと明かす秀勝。秀次は誤解を受けやすいが、感じやすい心を持つ優しい人だと言い、江にも好きになってもらいたいと頼む秀勝。)

(大将として8千の兵を率い、朝鮮に渡る事になったと江に告げる秀勝。戦を思い出し、秀吉に会って止めさせると部屋を出て行こうとする江。既に多くの大名衆が出陣しており、甥である自分が拒む訳には行かないと秀勝。)

(利休の言葉を共に背負って行こうと言ってくれたではないかと萎れる江。江を抱きしめ、許せと言うしかない秀勝。)

(秀勝出陣の日。首途の酒を注ぎ、守りの札を渡して無事の帰りを願う江。必ず戻って来ると誓う秀勝。)

この場面、メロドラマ風の演出ではありましたが、家臣の前であんなやりとりをするとは考えられず、さすがにどうかと思いましたね。家族と離れるのは家臣達も同じ事で、主君がことさら悲しそうに別れを告げるなど許されない事とは思いますが、そこは江だから仕方が無いという所かな。

(天下布武の印を取り出し、これをお守りに渡せば良かったと悔やむ江。)

(九州へ向かう淀殿。なぜ朝鮮出兵を止めなかったのかと江。自分もおねも止めたが聞き入れて貰えなかったと淀殿。戦が嫌いなのになぜ九州に行くのかと江。子が欲しいからだと答える淀殿。)

ドラマでは後から呼ばれた様になっていましたが、実際には最初から一緒に行っていた様です。その道中には淀殿のために厳島神社にも参拝したと言われ、およそひと月かけての旅だったそうです。このあたり、淀殿に対する秀吉の心遣いが現れていると言えそうですね。

(秀勝に手紙を書く内に、突然つわりに襲われる江。子が出来たと知り、喜ぶ江。)

(夏になり、お腹が大きくなった江。見舞いに来た初。高次もまた九州に出向いているのでした。戦は連戦連勝で、すぐに終わるのではないかと楽観的な初。)

(壱岐の陣で下知を下す秀勝。)

秀勝は、九つに分けた軍の殿でした。この時は細川忠興が3千5百の兵を率い、秀勝は8千の兵を率いるという混成軍だったのですが、なぜかドラマでは出てこなかったですね。

(破竹の勢いに気を良くしている秀吉。水軍が不利な事を危ぶむ家康。秀勝に海峡を扼する島に城を築かせよと命ずる秀吉。そして、自分が行って采配を振るおうかと叫ぶ秀吉。まだその時ではないと引き留める家康。その時、なかが病に伏せったという知らせが入りました。)

朝鮮側は、本当に日本が攻めて来るとは思っていなかった様ですね。準備が不足していた上に、彼の地には鉄砲が無かった様です。初めて見る鉄砲の威力に押しまくられ、為す術もなく後退して行った様です。日本側からすれば連戦連勝という訳で、開戦から半月足らずの間に国都を堕とすという勢いでした。もっとも、秀吉の狙いは朝鮮ではなくその向こうの明にありましたから、そう簡単に戦が終わると言うはずは無かったのですが。

秀吉が朝鮮に渡るという案は実際にもあったらしいのですが、ドラマの展開のとおり、なかが重体に陥ったという知らせを受けて取りやめになったそうです。この時、帰りの船が瀬戸内海で座礁するという事故があり、秀吉は危うく助けられたのですが、その時の船頭を自分を危うい目に遭わせたとして手打ちにするという事件があったと言われます。秀吉の耄碌が既に現れていた事例の一つとも言われ、秀吉の特長であった寛大闊達な心を無くしてしまっていたという事なのでしょう。

(なかの見舞いに駆けつけた江。)

(病床でおねを相手に、朝鮮に兵を出した秀吉を怒るなか。天下人になっても、昔の日吉のままだと懐かしむなか。)

(江のお腹を触り、ここにひ孫がいるのかと喜ぶなか。そして、秀吉をゆるしてやって欲しいと頼みます。そして、たわけ程可愛いんじゃとしみじみとつぶやくなか。涙ぐむ江とおね。)

(その翌日、76歳の生涯を閉じたなか。)

(朝鮮の陣。水軍相手に苦戦をしている秀勝。そこに、食料徴発に不満を持った朝鮮人達が抗議に現れます。小競り合いの末、刀を振るおうとする兵。それを止めに入った秀勝。その秀勝の足を切ってしまった兵。自分の事はさておき、地元民に手出しはならぬと一喝する秀勝。)

始めは連戦連勝だった日本軍も、次第に苦戦に陥り始めます。その要因の一つが水軍でした。亀甲船と呼ばれる独特の船で、船を屋根で覆い尽くして攻撃を防ぎ、優れた火力で日本船を沈めたと言われます。もう一つの要因が、各地で起きた朝鮮民衆による反乱でした。直接には大した武力ではなくても補給路を脅かすには十分であり、前線が延びきった日本軍は食料、弾薬の補給に事欠く様になり、思うように戦えなくなっていったのでした。

(足の傷は重く、陣頭で指揮を執っている最中に倒れてしまう秀勝。)

(京にあって、不吉な予感を覚える江。)

(仏間に行くと、九州から戻っていた秀吉が居ました。旭、秀長、鶴松に続いて母を亡くした秀吉は、すっかり弱っています。江に向かって、良い子を産み、良い家を作れと言う秀吉。家を造ろうにも夫は居ないと恨み事を言う江。戦は連戦連勝だ、すぐに終わって秀勝にもどーんと褒美を出すと答える秀吉。そんな物は要らないから、すぐに秀勝を返して欲しいと訴える江。黙って出て行く秀吉。)

秀吉が家族思いだった事は良く知られています。この時も、朝鮮に渡る事を取りやめにして京に帰っています。それだけ母親に対する思いが強かったのでしょうけど、動員されている諸将達にはどう映ったのでしょうか。いくら親の事とは言え、この非常時にと腹が立ったのではないかしらん。もっとも、朝鮮で戦っている諸将には伝えられなかったでしょうけどね。

(臨月を迎えた江。その江に秀勝が病死したと知らせた秀次。驚愕する江。泣き崩れる秀次。ショックから急に産気付いた江。慌てて人を呼ぶ秀次。)

秀勝がどんな具合に亡くなったのかは良く判っていない様です。日時は文禄元年9月9日、場所は巨済島で、病死とだけ伝えられている様ですね。わずか24歳という早すぎる死でした。

(父の居ない子を産んだ江。秀勝と自分の子だと言って、涙に暮れる江。)

江と秀勝が一緒に暮らしたのは、ほんのひと月足らずの事でした。その間に一児をもうけたのだから、仲睦まじかったと言えるのかどうか。実際にはドラマの様な恋愛劇があったとは考えられず、秀吉の命によって夫婦とされたのですから、まだお互いの事を良く知らない内に死に別れとなってしまった事でしょう。そして、その子を産むというのがどういう心境だったのかはちょっと想像が付きません。さぞかし心細かっただろうとは思いますけどね。

ちなみにこの時生まれたのは女の子で定子と名付けられ、後に公家の関白家に嫁ぐ事になります。

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