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2011.07.03

江~姫たちの戦国~25 愛の嵐

(聚楽第。利休切腹を諌める秀次。天下人故に取り消す事は出来ないと秀吉。利休の身柄を京に移し、三千の兵で見晴らせていると三成。うるさいと怒鳴る秀吉。)

(抗議に現れた江。何故にと聞かれ、山門の上の像、茶碗のに高値を付けた事で私腹を肥やしたなどと言い募る三成。黙れと一喝する江。)

(秀吉が利休に切腹を命じたのは利休を好きで堪らないからだ、自分に背を向けて去っていく者を許せないのだと秀次。唯一の手だてとしては利休が詫びる事だが、命乞いなどしたくないと断られたのでした。何とか利休に合いたいと願う江。そこに現れた秀勝。)

(炭屋に化けて利休の幽閉所に潜り込んだ秀勝と江。)

(茶室で江の為に茶を点てる利休。秀吉に頭を下げて欲しいと江。人には死に時があると利休。切腹などさせないと江。信長にあの世で会う事が楽しみだと利休。信長は利休を天下一の茶人だと言っていたと江。それは目の前の人を天下一と思って立ててきたからだろうと利休。だから今は江が天下一だ、利休が点てる最後の茶だと言って差し出す利休。泣いて叫ぶ江。これは利休が決めた利休の道なのだと拒絶する利休。)

(最後の茶を飲むという事は自分の志を継ぐという事、信長と同じく天下を泰平に、みんなが笑って暮らせる世にして欲しいという事だと利休。)

(最後の茶の味はどうだと聞かれ、泣き笑いしながら美味しゅうございましたと答える江。その顔が何よりだと利休。)

(天正19年2月28日。その日は朝からの強い雨に混じって雹まで降るという大荒れの日でした。死装束に身を包み、茶室に座っている利休。支度が出来たとの知らせにうなずき、茶室向かって深々と一礼をして出て行く利休。その茶室に置かれているのは利休が愛した黒茶碗。)

利休が亡くなった日は、確かにこういう天気だったと伝わります。偉大な茶人の死を悼み、豊臣政権の行く末を暗示する様な空模様だったという事なのでしょうか。

(雨を見つめている江。その背中から利休が見事に腹を切ったと知らせるヨシ。立ち去る江。)

(秀吉に報告し部屋を出る三成。そこに現れた江。三成を無視して秀吉に声を掛ける江。襖を開ける三成。)

(襖の向こうに居たのはうなだれた秀吉でした。黒茶碗を手に、利休が死んでしまったと泣き叫ぶ秀吉。殺したのはあなたではないかと冷たく言い放つ江。なぜ止めなかった、利休に会いに行ったのだろうと責める秀吉。驚く江。なぜ止めてくれなかった、利休よと黒茶碗を手に泣きじゃくる秀吉。黙って部屋を出る江。その背後で利休よーと叫ぶ秀吉。降りしきる雨。)

(そこに現れた秀勝。秀勝に駆け寄ってしがみつく江。泣きじゃくる江。そっと抱きしめる秀勝。)

利休を殺した事を後悔していたという秀吉。しかしドラマでは触れられなかったものの、彼が行ったのは利休の首を一条戻橋に晒しただけでなく、件の木像がその首を踏みつける様にして置いたという事でした。何とも子供じみてはいますが、その憎悪の程も窺い知れる処置ではあります。この事実をしてみれば、大徳寺山門の件もまた、秀吉の怒りを買った一因かなという気もしてきます。それにしても、文字通り利休の全てを踏みにじる様な惨いやり方ではありますね。

(淀城で亡くなった鶴松。悲嘆に暮れる秀吉と淀殿。なぜ皆が自分から離れていくのかと泣き叫ぶ秀吉。鶴松3歳の時でした。)

ドラマでは利休の死後すぐの事の様に描かれていましたが、鶴松が亡くなったのは8月5日の事ですからおよそ半年後という事になります。まあ、心象風景としては連続していたと言っても良いのかもしれないですけどね。

(呆然と縁側に座っている淀殿。その背後から何か召し上がって下さいと声を掛けている初。このままでは姉上までがみまかってしまうと江。なぜ生きていなければならないのか、自分はこのまま鶴松のところに行くつもりだと淀殿。)

(そこに現れたおね。彼女が見たのは手の付けられていない膳でした。淀殿に向かって、秀吉の為にまた子を産んでは貰えないかと声を掛けるおね。驚く淀殿。それが皆を救う道なのだと諭すおね。おねの胸で泣きじゃくる淀殿。淀殿を抱きしめるおね。)

(乱心したかの如く立ち上がり、短刀で髷を切る秀吉。髷を拾った三成に、秀長が死んだのも、鶴松が病になったのも、利休の無礼な振る舞いのせいだと言ったなと問う秀吉。はっと言いながら髷を差し出す三成。その髷をはらいとばし、利休を殺した故に鶴松が死んだのかと迫る秀吉。答えられない三成を蹴飛ばす秀吉。必死に這いつくばり、今は世に目を向けよ、朝鮮に向けて出した国書の返事はまだ届いていないと言い募る三成。ふと気付いた様に、会見の時の様子を思い出す秀吉。そして狂気の宿った目で、朝鮮に兵を進めるとつぶやく秀吉。そして俄に立ち上がり、皆に出陣の準備をさせよ、戦船を建造させよ、敵近く九州に城を築かせよと矢継ぎ早に下知を飛ばすのでした。必死に復命する三成。呆然と見つめる秀次。戦だと狂人のごとくつぶやく秀吉。)

またしても三成が悪者にされていますが、鶴松の死が朝鮮出兵の一因になったとは良く言われる事です。その死の悲しみを紛らわす為に起こした戦だと言うのですが、実際にはそんなに単純なものではなかった様です。一つには信長が描いていた構想を秀吉が受け継いだのだと言われ、また別の説では戦国時代が終わりを告げたものの各地の大名は強大な戦力を有したままであり、その矛先を外に向けさせる必要があったのだとも言われます。

つまり、国内を再び戦乱状態に陥れないために有り余るエネルギーのはけ口として朝鮮を選んだと言うのですが、だとすれば隣国にとっては迷惑極まりない話ではありますね。

(江戸城。朝鮮出兵の知らせに愚かな事だと家康。我が家も出兵をと問う正信。せいぜい九州までだ、この様な時の為に父祖代々の土地を明け渡して江戸に下ったのだ、これは秀吉に対する大きな貸しなのだと家康。)

秀吉の起こした朝鮮の役は、ほとんどの大名にとっては迷惑極まりないものでした。諸大名にしてみれば、長い戦乱の時代が終わって新しい知行地を割り振られたばかりであり、戦などよりも領内の経営に集中したい時でした。ましてや出て行く先は勝手の判らぬ他国であり、その背後には当時の超大国である明が控えていたのですからね。少し目端の利く者ならば、容易ならざる戦いになる事は明かだったのです。

徳川家は実祭にも朝鮮に渡ることなく、日本国内に止まっています。兵を出したのは九州を主力とする西国の諸大名で、徳川家を初めとする東日本勢は出役をまぬがれました。その代わりに伏見城普請などへの出仕を命じられたりしたのですが、やはり遠征軍の方がはるかに負担が重かった様ですね。そして、この事が後に家康に有利に働き、関ヶ原の戦いの勝利に繋がったとも言われています。

(子を亡くした故に、秀吉は少しおかしくなっているのではないかと家康。それを聞き、子を亡くすという事はそれほど辛いのかと問う秀忠。黙って秀忠の顔を見る家康。その家康に代わって、この世の何よりの苦しみだと答える正信。そうでも無いのかと思っていたと秀忠。何を言いたいのかと家康。信康を切腹させた事をすっかり忘れている様子だったからと秀忠。馬鹿な事をと家康。ならばなぜ、後に残った二人の子を人質に出せるのかと秀忠。何だとと怒りを抑える家康。それには答えず、朝鮮出兵がそれほどおろかな戦なら関わらなければよいと笑いながら立ち去る秀忠。あまりの態度に気に病む正信。捨て置けと家康。)

秀忠については依然として謎のままなのですが、家康は信康を死なせた事を生涯苦にしていたと言われます。例えば、関ヶ原の戦いの折に、信康が生きていれば老齢の自分がこんなに苦労する事は無かったと言ったと伝えられており、その死後20数年を経てもなお長男を亡くした事を惜しんでいたのだと言われます。この時秀忠は別働隊の大将を勤めていたのですが、彼では家康の代わりは勤まらないという意味もあったのだとも言われます。このあたりはドラマの後半で描かれると思いますが、どんな演出をするつもりなのか興味がありますね。

(聚楽第。食事をしている秀吉に向かって、朝鮮に兵を出すとはどういう事かと問い質している江。利休が亡くなったばかりだと言うのに、今度は異国の民を殺すつもりかと江。箸を動かしながら聞き流している秀吉ですが、鶴松も悲しんでいると言われ、急に真顔になる秀吉。)

(自分は利休とみんなが笑って暮らせる国にすると約束をしたと江。鼻であざ笑う秀吉。関白の身でありながら恥ずかしいとは思わないのかと江。黙ってにらみ返すだけの秀吉。)

(その日の夜。部屋の隅でしゃがんでいる秀吉。狂気の宿った顔で見つめているのは自分が書き散らした半紙。そこに書かれているのは朝鮮、関白、秀次といった文字。それを見ながら今日の出来事を思い出している秀吉。)

(秀次に関白を譲る、まずは自分の養子となれと命ずる秀吉。驚く秀次。)

(秀勝の方が関白に相応しいと江。あの者は兄思いだから辞退するだろうと相手にしない秀吉。とにかく戦は止めて下さいと食い下がる江。黙らぬかと一喝する秀吉。それ以上言うと、そなたでも許さぬと言い捨てて立ち去る秀吉。)

(半紙の中から秀勝と書かれた一枚を拾い上げた秀吉。)

(翌日の昼。秀勝を呼び出した秀吉。)

(天正19年12月。秀次に関白を譲り、太閤と呼ばれるようになった秀吉。)

(天正20年正月。鶴松の位牌を拝む淀殿。)

(秀吉に呼び出された江。横座りになって出迎えた秀吉。自分はまだ怒っていると江。関白ならもう譲ってしまったと秀吉。姉はまだ悲しみに沈んでいる、戦よりも先にそちらをと江。茶々は九州に連れて行く、所が変われば気分も変わるだろうと秀吉。彼は名護屋に朝鮮への足掛かりとなる城を築いていたのでした。)

(それよりも、そなたに話があると切り出す秀吉。それは江に嫁げという事でした。自分は以前佐治一成の下に嫁ぎ、離縁させられた身であると憤る江。そんな事もあったなと秀吉。ふざけるなと怒る江。それを無視して入れと命ずる秀吉。開けられた襖の向こうに居たのは秀勝でした。驚く江。)

(嫁ぐ相手は秀勝だと秀吉。秀次に万一の事があれば、後継として残るのは秀勝のみである。それを鍛えるには、気が強くて扱いにくい女を与えるのが一番だと秀吉。そして、後は二人で話せと言って去っていきました。)

(秀吉が言いたいのは、秀次を見張れという事だと秀勝。秀吉も不安があるらしく、自分たちの屋敷は秀次の真ん前にするつもりらしいと秀勝。)

(こんな縁組を押しつけられて腹は立たないのかと江。はいと明快に答える秀勝。驚く江に、この縁組みは兄を見張る代わりに江と一緒にさせて欲しいと自分が頼んだのだと秀勝。そして、改めて自分の妻になってくれないかと頼む秀勝。とまどいを隠せず、失礼しますと言って立ち去る江。)

(姉に報告する江。秀勝に望まれて良かったではないかと淀殿。秀勝を好いていたのではないかと問われ、思わず好きですと言ってしまった江。)

(秀勝と祝言を挙げた江。良い夫婦になろうと誓い合う二人。そして、利休の言葉は、自分も共に背負っていく覚悟だと告げる秀勝。言い忘れていたが、自分が嫁ぐのはこれが二度目だとと口走る江。思っていたとおり、楽しく暮らせそうだと笑う秀勝。)

やっと秀勝と一緒になれた江。無論、こんな恋愛結婚の様な経過を辿った訳は有りませんが、まあこのドラマだし、まあ良いか。

ドラマで自分たちの屋敷と言っていたのは、聚楽第周辺にあった大名屋敷の事を言っているのでしょう。聚楽第図という図面に依れば、秀勝の屋敷は秀次の屋敷の北側にすぐ隣接してあり、真ん前と言うより壁を隔てた隣同士の関係にありました。それをもって秀次を見張らせたというのはどうかと思いますが、その屋敷の位置関係を見ると秀勝が豊臣政権内で重きをなしていた事は確かですね。秀吉にすれば、この二人をして自分の死後の豊臣家を守っていく藩塀としたかったのだろうなという気がする屋敷の配置です。

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今回は大きく3つの話題から成り立っています。一つは利休の切腹で、前回の題名は「利休切腹」だったのですが、実際それが実行されるのは今回でした。2つ目の話題は鶴松の死、最後が江の再婚という流れで進んでいきます。いずれの3つの場面でも「愛」というものが登場することから愛の嵐という題名が付いたのでしょう。 まず利休の切腹ですが、これまでこの物語を実質支えていてくれた千利休がついに切腹することになります、秀次によると秀吉は心から利休のことを好いていていつもそばにいてほしいと思っていたのに離れることを選択された... [続きを読む]

受信: 2011.07.04 01:34

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